Time
朝
ベッドから起き上がり、ひとつため息をつく
体が重い
気だるい
日に日に、体の自由を奪われていく
だが、学校にいかなければならない
まだ、リタイヤするわけにはいかない
北川潤であることを、リタイヤするわけにはいかない
今日は卒業式
人生の新たなる旅立ち
だが俺にとっては……
今日が……ラストなんだ
第１幕
『Time Limit』
卒業式。
はっきり言えば、無駄な話のオンパレードだ。
そのためになるかわからない話の中で、あるものは泣き、またあるものはあくびをする。
予定調和な、何の面白みのない儀式みたいなものだ。
だが、俺は気が気でなかった。
朝、下駄箱を見たときに入っていた手紙。
内容は簡素だった。
『午後１時、屋上にきてほしい』
たったこれだけの文。
差出人の名前もない。
だが、俺には字で誰かがわかっていた。
確信はない。
だが、十中八九間違いない。
教室でそいつと話しても何も反応がなかったが、多分間違いない。
だから……それは絶望への手紙だった。
俺が人を傷つけることが決定づけられた、地獄への片道切符。
しかもその相手は……俺が唯一好きになった女性なのだから。
「きてくれたんだ」
それが、俺が屋上にきてからの彼女の第一声だった。
意外に落ち着いているその人。
いや……多分装っているのだろう。
彼女は……美坂香里は、そういう女性だ。
クールなようで、実は熱い。
自分のことではなく他人のことで悩める女性。
俺が好きになってしまった、大切にしたい女性。
「……あぁ」
俺は気の重さからまともな返事ができない。
もう、俺の答えは決まっている。
傷つける答えしか、持ち合わせていない。
だから……思いとどまってほしいと思う。
「なんだか、暗いわね」
「……否定はしないさ」
事実、軽口をたたくほどの余裕なの、今の俺にはない。
いくら鈍感な俺でも、この状態で何が行われるかぐらいはわかる。
できるなら、俺の表情だけで彼女があきらめてくれることを望んだ。
そうでなくては、俺は彼女の心に深い傷を負わせることになる。
そうならないためにも、ここであきらめてほしかった。
だが、彼女は意を決して口を開く。
「北川君……好きなの」
驚きはない。
手紙を見たときから、わかっていたことだ
だが……心のどこかでそれを否定していた。
『もう付きまとわないで』とか『ずっと友達でいて』とか、まったく違うことを言ってくれることを期待していた。
だが、現実は……一番まっとうな可能性の、一番恐れていたものだった。
「ずっと、好きだった……終わりにしたくないの……」
涙目で、俺に訴えかけてくる。
（まいったな……）
心の中で俺は苦笑する。
相手が美坂でなければ、どんなに楽だっただろう。
ほかの子なら、自分の心を偽らないで断れる。
できることなら、この手紙が美坂でないことを本気で願った。
だが……現実は違った。
相手は紛れもなく美坂で、間違いなく俺に向かって『好きだ』といってくれている。
……男として、好きな女性から告白されるのは嬉しい。
普通なら、頷ける……抱きしめられる。
『俺から告白できなくて、ごめんな』って、優しく言える。
だが……俺は頷けない。
これは、俺に課せられた義務。
そんなことはわかっているの。
わかっているのだが……
「……返事、明日まで待ってくれないか」
すでに出ている答えを、俺は先延ばしにしてしまう。
「明日はもう、学校にはこないわ」
当然の言い分。
だが、それでも俺は頼むしかなかった。
「……頼む」
卑怯だとは、わかっている。
今日が過ぎれば、明日には俺は動けないだろう。
そうすれば彼女は俺を嫌うだろう……卑怯な男として、忘れようとするだろう。
それでいい。
俺がなに言われようとかまわない。
だが美坂には……俺が大切にしたいこの子だけは、傷つけたくない。
「……それじゃ、ひとつ聞かせて。
一応可能性はあるの？」
残酷な質問だ。
この状況で待ってもらうには、答えはひとつしかないじゃないか。
「……ある」
それはそっぽを向いて答えた。
これぐらいの嘘でこの場を逃げられるなら安いもの……
（くっ！）
一瞬、視界がゆがむ。
刹那、脚に力が入らなくなる。
（やばっ！）
膝から自分が崩れていくのがわかる。
「北川君！」
美坂が、倒れる寸のところで俺を支えてくれる。
「……ありが、と……」
何とかそういって、俺は意識を失ってしまった……
俺の腕の中には、変わり果てた両親の姿があった。
肉は焦げ、爪ははがされ、右腕には何回も傷つけたような痕、左腕にはいくつもの注射の痕……
「怖いな、麻薬は……」
親戚の一人が、ポツリとそうつぶやく。
「こんないい子がいるのに……そんなに刺激がほしかったのか？」
別の人が、残念そうにつぶやく。
（三文芝居、だな）
俺は心の中で毒づく。
真実は知っていた。
両親が俺の前から消えてしまう前に、手紙で残してくれた。
親戚が結託して、俺の両親を壊したことを。
北川家の中では唯一のお金持ち。
その資産は莫大過ぎて、一生遊んで暮らせるほど。
それをねたんで、こんな仕打ちをしたことを。
「さてと、これから潤君はどうするつもりだ？」
にやついた、顔も知らない新たな親戚が俺に聞いてくる。
「……何って？」
「来年から受験で大変だろ？
よかったらうちに……」
「ちょっと、なに抜け駆けしてるのよ！」
母さんの姉さんが、そんなことを言い出す。
「そうです。彼のことは一番仲がよかったうちの姉が預かるのが当然でしょう！」
旦那さんがヒステリックな声を上げる。
それが始まりだった。
俺の行く末を勝手にあれやこれやと討論する……いや、すでに子供の喧嘩レベルだ。
それを聞きたくないがゆえに、俺は両親をその場に横たえ、そっとこの部屋を出る。
「……大変なことになってるな」
縁側で待っていたのか、母さんと仲がよかった女性弁護士さんが、俺に苦笑しながらそういう。
「手紙は？」
「読んだよ……君はあれを望むのか？」
タバコの煙を庭にむかって吐き出し、真剣に聞いてくる。
「まさか、弁護士さんまで俺に言い寄る気ですか？」
「厳しいな……安心しな、そんな気はない」
彼女の言葉に、俺はほっとする。
少し大げさだが、世の中には親戚どもみたいな連中だけが生きているわけじゃないと思えたから。
「名字の変更手続きの準備は終わった。
住む場所はここだ……」
そういって、住所の書かれたメモとその場所へのいくための切符を俺に渡してくれる。
「すいません」
「いいさ……しかし、私のことをつけていた探偵がいた、安心するな」
「そうですか……」
俺はうんざりしながらそういう。
できることなら、遺産をすべてクソどもに渡して、俺は静かに暮らしたかった。
しかし、それでは父さんと母さんが必死でがんばったものが汚されているみたいで嫌だった。
だから、俺は逃げることにした。
醜い争いの見えない、静かに暮らせる場所へ……
「金は定期的に振り込む形をとった。
私が振り込めれば一番よかったんだが、そこから潤君のことを割り出される可能性があるからね。
海外にあんた名義の隠し口座を作って、そうしてもらうように頼んだ。
少々非合法だが、その筋のプロにも見つけられない、一番安全な場所だ」
「……本当に、お手数をおかけします」
俺は深くお辞儀をする。
「気にするな……あと、最後にこれはアドバイスだ」
彼女はそういって、一度紫煙を吸い込み、吐き出す。
駅でよく見かけるタバコを吸っている人たちとは、どこか違うかっこよさがある……女性には失礼かもしれないので、口には出さないが。
「中学はもしかしたら転々とすることになるかもしれないが……高校はいい場所がある。
場所はさっき渡したメモに書いておいた。
北国でちっとばっかし寒いが、あそこには絶対信頼してもいい人がいる。
名前は水瀬秋子。
彼女のいる町なら、誰もお前には手が出せない。その人にはもう大まかな事情は説明しておいたから安心しろ。
両親も、そこに休めてあげるようにする」
正直、その水瀬秋子が信用できるかどうかわからなかった。
だが、この人の好意を無駄にするわけにはいかない。
「わかりました」
俺は力強く頷く。
彼女は満足そうに頷き、そして俺の横を通り過ぎる。
「あとは任せて、潤君は早くここから去りな」
そういって、さっき俺が出て行った部屋に入っていった。
（ありがとうございます）
俺は声には出さずそういって、この家を出ていった。
そこで、急速に景色がブラックアウトしていく……
ゆっくりと、現実に戻る感覚。
朝よりだいぶ、体が重い。
（昔の夢か……）
別に懐かしくもなかった。よく見る夢だ。
このあと、俺が移り住んだ住所も一週間ともたずに暴かれた。
それから嫌がらせのオンパレードだった。
無言電話、動物の死体、脅迫、根も葉もない噂……
俺が知る限りのあらゆる嫌がらせは、全部受けた気がする。
そのたびに、俺は逃げるように学校を変えた。
それでもたいした効果はなかった。
嫌がらせののべ回数は万を越えたあたりで数えるのをやめた……一ヶ月で万を超えれば数える気も失せる。
結局、いやがらせは高校に入るまで続いた。
しかし、あの弁護士さんが教えてくれた高校に入ってその町に移り住んでからはからは、彼女の言ったとおり嫌がらせがぴたりとやんだ。
水瀬さんが知らない秋子さんの力かどうかは知らないが、俺はそれを深くは追求しなかった。
その分、普通の学生であることを謳歌しようと思った。
だが、それは思わぬ形で打ち砕かれた。
１年間受けた精神的な攻撃に、とうとう俺の身体が悲鳴を上げた。
日に日に、体が重くなっていった。
病院で検査を受けてみたところ、医者からは『精神的な病気』だと言われた。
今まで嫌がらせに耐えてきた反動が、高校に入学してからきたらしい。
そして、通告された余命は……３年。
高校が卒業する頃には、かなり衰弱しているだろうとのことだった。
体が覚えた精神的ダメージは、どんな医術をもってしても回復する術がない。
（まったく……俺はどこまでいっても、普通じゃいられないのか）
心の中で俺は毒づく。
最初は信じられなかったが、半年もすればそれは事実だと痛感した。
徐々に朝起きるのがつらくなり、たまに痺れを起こすようにもなった。
そして、医者の言ったことが事実だとわかったときから、俺はなるべく『軽い男』を演じてきた。
深くかかわらず、深く干渉しない。
すぐに誰からも忘れ去られるような、そんな男を……
だから、あのときはすごくそれを後悔した。
一年のときからの女友達、美坂香里の急変。
表面的には取り繕っていたが、あいつが何かに悩んでいたことはすぐにわかった。
友人として、悩みを聞いてやりたかった。
だが、俺はそれができない……万が一がありえたから。
やさしさは時として人をひきつける。
そうなっては最終的に彼女を傷つける。
でも、放っておくわけにはいかない。
だから……美坂と二人で帰っていたとき、俺はこう言った。
『何か悩んでいるなら、相沢に相談してみろ』
幸い、あいつはいい奴だしきっと美坂の力になってくれるだろうと思った。
その読みはあたった……だが、ふたつ計算外があった。
美坂が俺に惚れてしまったこと。
そして、俺が美坂に惚れてしまったこと……
「はぁ……」
俺は無意識のうちにため息をついた。
「北川君！？」
いきなり近くで、美坂の声が聞こえる。
「よかった、急に倒れるから……」
彼女は涙目でそう語ってくれる。
（やっぱり、泣かしてしまうんだな……）
涙は、俺の心をえぐる。罪悪感にかられる。
だからなるべく見せてほしくなかったが……この際仕方がないだろう。
「悪いな……」
ここで初めて俺は目を開ける。
白い天井が見えた……多分保健室だろう。
「もう５時よ……」
「……そうか」
彼女の言葉に俺は頷き、起き上がろうとする……が、うまく力が入らない。
それでも何とか起きようとしたとき……
「ねぇ、どこか体が悪いの？」
心配そうに、美坂が聞いてくる。
俺は迷った。
果たして自分のことを話していいものか。
これにより、さらに彼女を傷つけることにならないか……
（……どちらにしろ、一緒か）
多分、話さなくても結果が変わるものではない。
みえみえの嘘をついても、彼女を余計に心配させるだけだ。
だから……
「結構前から、な。詳しい病名は忘れたが……どうも、全身が動かなくなるらしい」
俺は正直に答えた。
「えっ？」
美坂は驚いた表情をする。
だが、俺はかまわずに話を続ける。
「肉体的な欠陥ではなく、精神的なダメージが大きいらしい……心当たりもある」
未だに思い出す、親戚どもの悪魔の笑み。
中学の頃に受けた、嫌がらせの数々。
無言電話、家への落書き、噂によって離れていく友人、冷めた視線、銃を持った黒服……
ガキだった俺には、あまりにも重過ぎた。
発狂しなかったのが不思議なぐらいだ。
「単純な話、トラウマ……と、言葉にしちまえば簡単なものさ」
そういって、俺は外を眺めた。
部活動にいそしむ生徒の姿が見える。
何度も、うらやましいと思った。
仲間と一緒に、励ましあい、一つの目標に向かってがんばること。
だが、俺には叶わぬものだ。
「北川君……」
泣きそうな顔をする美坂に、俺は笑顔を見せる。
「『奇跡』ってのはあんまり好きな言葉じゃないけど……俺がこうやってここにいること自体、もう奇跡なんだよな。
普通に入学して、普通にダチ作って、遊んで、ふざけあって……まともな学園生活。
そして、３年間それを貫き通して……卒業した。
これ以上は、なにも望めない」
そう、これ以上は高望みでしかない。
俺はもう、普通の人間としては生きていけない。
ひっそりと一人で生きていく……そのための準備も、きちんとしてきた。
「でも、そんなのっておかしいじゃない！
なんで北川君だけがそんな……」
「別に俺だけってことはないだろ？
人はみんな、多かれ少なかれそういった部分と向き合わなきゃならない。
美坂だって、栞ちゃんのことがあった。
相沢も、水瀬さんも、それぞれ背負っているものがある。
ただ、俺はそれがちょっと特殊だっただけさ」
俺の言葉に彼女は再び黙ってしまう。
「でも、ある種俺は運がいいんだよ。
目標を貫き通せたことは……本当に、幸せなことだと思う」
「そんなのって……」
俯いてしまう美坂。
（やっぱり、話すべきじゃなかったかな……）
いまさらながら、俺は後悔した。
彼女がこういう風にふさぎこむことも、俺にはわかっていたはずだった。
なのに、迷惑をかける選択肢を俺はとってしまった。
「わりぃ……今の話は忘れてくれ」
俺はそういって、力を振り絞ってベッドから立ち上がる。
今度はうまく起き上がれる。
ベッドから降りて足が地に付いていることを確認する。
……どうやら、大丈夫そうだ。
「それじゃ、これでお別れだ」
そばに置かれた卒業証書を手に取り、俺は保健室から出ていこうとする。
「……帰るまでが、卒業式でしょ？」
後ろから、美坂がそんなことを言い出す。
「おい……」
「このまま別れたら、無事に家に着いたかどうかもわからないわ……
家まで付き添ってあげる」
彼女はそういって、椅子から立ち上がる。
「そ、それはできれば断りたいんだが……」
「心配かけたくないんなら、素直に送られなさい」
そういって俺の横に並び、そのまま腕をひっぱていく美坂。
いつもなら簡単に振り払えるのだが、そんな力は俺に残っているわけもなく……
「これがラストだぞ」
俺はそういうのが精一杯だった。
帰りは終始無言だった。
何も話さないまま、俺たちは最後の帰り道を一緒に歩く。
沈んだ雰囲気……俺が一番苦手なもの。
しかも、自分が好きになった女の子にそれを味あわせるのは……
（俺って、最低だな）
自分自身に腹が立つが、今となっては後の祭りだ。
俺は何とか会話をしようと、重たい頭を無理に働かせようとする。
しかし、そんな努力はすぐに無駄に終わってしまった……俺の家に、ついてしまったから。
（これでよかったのか……な）
残念だと思っている反面、ほっとしている俺もいる。
好きな女と離れたいなんて……やっぱ、最低だわ、俺。
俺は彼女に向き直る。
「それじゃ、お別れだ」
できるだけ笑顔で……多分笑顔になってないだろうけど、それでも笑顔で、さよならを言う。
だが、彼女はそれに頷いてくれない。
かわりに……
「……ねぇ、なにがあったの？」
真剣なまなざしで聞いてくる。
多分、『トラウマ』のことだろう。
保健室で話したときから、ずっと聞きたかったことだろう。
（さて、どうするか……）
心の中でそう問い、苦笑する。
わかりきっていることだ……答えなくてもいい。
はっきりいって、これ以上彼女に迷惑をかけたくない。
こいつは優しいから、俺のことを背負ってしまう。
すぐに死んでしまう俺ごときのことを……こいつは、背負ってしまう。
美坂香里とは、そういう女性だ。
だから、答えないでいい。
そんなことはわかっている。
だけど……
「単純なことさ」
俺は、話してしまう。
「俺の両親が生きたまま焼かれ、爪をはがされて、クスリ打たれて廃人にされて、死んだ。
遺産がほしかった親戚どもの手でな。
そのあと逃げ出した俺は、嫌がらせを大量に受けただけさ」
人生の地獄絵巻を、俺はまるで他人事のように明るくそういった。
まるで、ドラマのワンシーンを語るように。
少しでも、こいつの負担を軽くするために……
「……そう」
彼女はそれだけしか答えなかった。
それで十分だった……
「じゃ、今度こそお別れだ」
軽く手を振り、俺は背を向ける。
十分幸せだった……もう、俺は満足だ。
そう思えることに感謝して、ゆっくりと美坂から離れていく。
「……私は覚えてるから」
不意に、美坂はそういった。
「北川君が話してくれたこと……ううん、北川潤がちゃんといたことを、覚えているから！」
涙声で、彼女はそういった。
『それは迷惑な話だ』
俺はそう言おうとしたが、なぜか言えなかった。
もしかしたら、俺はこの言葉を望んでいたのかもしれない。
誰かと、この苦しみを共有することを。
だけど、それは肯定できない。
だから……
「好きにしてくれ」
俺は振り返らずに、そういった。
そして……振り向かずに、俺は玄関をくぐり、家の中へと入った。
最後に聞こえた扉の閉まる音は……まるで、俺の人生を締めてしまったかのような、そんな音に聞こえた。
そう思うと、不思議と体は軽かった……
人生、覚えなくてもいいことはたくさんあると思う
まだ続く長い人生に、取捨選択は必要だと思う
だけど、これは覚えておかなくちゃいけないことだと思う
彼は『忘れてくれ』といったけど、忘れてはいけないと思う
忘れることは、痛いこと
捨てるものを間違えると、とても心が痛いんだということを、私は知っているから
だから、忘れない
彼のことは、決して忘れない
そして、望む
再び、私たちと……いいえ、私と一緒に生きてくれることを
奇跡は安売りじゃない
奇跡は、起きないから奇跡
でも……今は、奇跡がほしい
彼が普通の人生を歩める
そんな奇跡が、ほしい……
第２幕
『Time Start』
大学に入って１年がたった。
私は高校の頃と変わらない生活を送っている。
ただ、北川君がいないことに物足りなさを感じる。
「ねぇ、香里」
名雪が私に語りかけてくる。
「なに？」
「今年入学してくる人に、車椅子の人が入学してくるんだって」
「ふーん……」
「ここってエレベーターないのに、どうやって上の階に行くんだろうね」
「さぁ、誰かに手伝ってもらうんじゃない？」
正直、私には興味のない話だった。
もし近くで見かけたら手伝うぐらいはするかもしれないけど、それ以上関係することはないだろう。
「うー、香里ノリが悪いよ」
「名雪、そういうことはあまり言わないほうがいいわよ」
私は諭すようにそういう。
あまりそういったことを悪い風に言うのは感心しない。
「でも、その人ってき……」
「水瀬君！」
彼女が何か言おうとしたとき、遠くから男の人の声が聞こえてきた。
たしか、名雪のサークルの先輩だったと思う。
「今日は大会の選手発表だって言っただろ？」
「あっ」
どうやら、完全に忘れていたらしい。
「ごめん、香里……」
「はいはい……いってらっしゃい」
私はため息をつきながらそういう。
「埋め合わせはちゃんとするから……」
「期待しないでまってるわ」
私の言葉に彼女は反論しようとしたが、その前に先輩に再び呼ばれ、慌てて走り去ってしまった。
（ふぅ……）
これで今日は完全に暇になってしまった。
これからどうしようかと考えたとき、ふと校門のところに珍しいものを見つける。
車椅子で、桜を見上げている人。
多分、さっき名雪が言っていた新入生だろう。
明日の入学式の下見というところか……
（あれ？）
少し近づいてみると、なかなか面白いものを発見した。
寝癖なのかわからないが、髪が一部立っているのがよくわかる。
（だらしない……）
私はそう思いながら、ある人のことを思い出していた。
高校３年間、ずっと思い続けた彼のことを。
高校の卒業式の日に告白して……まだ返事をもらっていない、彼のことを。
（……いけないわね）
私は頭を軽く振る。
感傷的になってしまった。
彼はそれを望んではいない。
だけど、やっぱり忘れられない。
（……今日ぐらい、彼の家の前を通って帰ろうかな）
あまりきれいな思い出ではないけど、初めて彼を身近に感じた瞬間。
今日１日ぐらい、それを噛み締めるのも悪くはない。
私はそう思い、校門に向かって歩き出して……
「トラウマっていうのは、案外軽いものみたいだな」
校門を通り過ぎようとしたときに、声が聞こえた。
私は思わず立ち止まる。
その話に興味があったわけではない。
「お笑い種だぜ……あの日から徐々に、体か軽くなっていくんだから」
苦笑交じりの声。
聞きなれたはずの声。
久しぶりに聞く、心地よい声。
「そんなものよ……私にも経験があるし」
私は、平静を装ってそう答える。
「面白いことに、車椅子もあと一ヶ月でとれる。松葉杖になるけど、それも半年ぐらいでとれるらしい……健康優良児になっちまうな」
「……いい、ことじゃ、ない」
我慢できずに、少し涙声になっているのが自分でもわかる。
「あぁ、いいことだ……でも、その間は付き添いをお願いしたいかな」
「……忘れてほしいんじゃなかったの？」
相変わらずこちらを見ない彼に、私は少し意地悪をする。
「それを言われるとつらいな……」
彼は頭を軽くかきながら、やっとこちらを見る。
やけにさっぱりした笑顔。
高校のときに見ていた笑顔より、ずっと輝いて見える。
「でも、忘れてくれなかった美坂に……やっぱり、頼みたいな」
久しぶりに見る彼は、少しだけ細くなっていた。
でも、変わってない……何も変わってない。
それに安心して、私は彼の目の前に立つ。
「条件がひとつ」
「なんだ？」
「……香里って、呼んで」
「りょーかい……香里」
なれないのか、顔を真っ赤にして彼はそういう。
私は大きくうなずいて……
「潤！」
彼にしっかりと抱きついた。
今まで我慢してきた分、強く、強く……
「お、おい……」
彼は抗議の声をあげようとしたが、それを途中で止めて、やさしく私を抱きしめてくれた。
しばらく、お互いにそうしていたが、思い出したかのように彼はこう言う。
「……あのときの返事、ＯＫってことで……」
彼の言葉に、私は思わず噴き出しそうになる。
（もう、態度で示してもらったからわかっているのに……）
私はそう思ったが、口には出さずに……さらに力を込めて抱きしめる。
今まで感じたことのない幸せを、ゆっくりと噛み締めながら……
これからの楽しくなるだろう時間に、思いをはせながら……
Fin
投票結果
Ｇすぽると (採点:4)
奇跡を招き寄せた香里の一言が良いですね。
TOM (採点:3)
前半が説明的すぎたのが残念。でも、読ませる文章力はありますね。
荒野草途伸 (採点:4)
ちくしょう、北川×香里なのに・・・・・・くやしい・・・
竹仙人 (採点:4)
過去の描写が足りなく感じました。願わくば連載してほしいです・・・
ugen (採点:2)
シチュエーション優先に見える設定が破綻していところが多く楽しめない
zero (採点:1)
なんか違う気がする
kuryu (採点:4)
北川かっこいい。
グＥ (採点:5)
北川の過去からの開放がよく描かれていてよかったです。
naoki (採点:2)
話自体は悪くないですが、心と肉体の関係をもっと研究するべきでは？
かずき (採点:5)
北川カコイイ、香里カコイイ。
Alice (採点:3)
ちょっと安易なラストだったかな？北川の身の上を重いものにするバックボーンはあっても、それを補う展開とはちと言い難いと思った。まぁ、短編にまとめれるようなものじゃないという気もするんだけど…。そこそこ読める内容だったので、評価はBということで。
橘征五郎 (採点:2)
設定としては面白いのだが、設定を置いてあるだけでキャラが描けておらず北川に魅力がない。香里も作者にとって都合のいい狂言回しでしかない。文章力不足のせいで全体的に盛り上がりに欠ける。
浮動明王 (採点:4)
北川のヘビーな裏設定は面白い 原作との関連が無いのが残念
taka (採点:3)
精神病で体がそこまでなる事ってあるのかなと思いましたが、どうなんでしょう？
神代 悠 (採点:5)
ああもう、北川かっこいいなぁ！ 一見無茶に見える設定もぴたりと嵌ってますね。満点。
はぐ (採点:1)
採点不能「最悪です」 感じた事：これ、誰なんでしょう。無論、本編であまり語られてないキャラだからというのはあるでしょうが、それでも違和感があり過ぎませんか。ただの「北川・香里」という名前のキャラがいる創作小説でしょうか。あと、２幕で終わるならこういう表記はしないほうがいいですね、中途切りにしか見えない。
阿倍碧郎 (採点:4)
オリジナルっぽい部分は多いけれど、限られた容量で話をちゃんと作っている力量には唸らされます。僕もこんなのが書ければなあ、という感じ(^^;
全採点
5点 : 22
4点 : 51
3点 : 43
2点 : 24
1点 : 14
このSSは、作者の方に二次著作権が存在します。
転載、無断引用を固く禁止します。
戻る