朝顔
掌の上に朝顔がある。
本物の花ではなく、折り紙でできた朝顔の花。
紺と白のその花は、やや汚れてしまっているがそれでもあたしの大切な宝物。
本棚の下の段。
鍵のついた一枚板の扉のその裏に封印されている一枚の絵。
はっきり言うとけっして上手くはない絵。
けれど、そこには描き手の想いが強く込められている。
少し怒った表情のあたしの似顔絵。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
周りから、いえ、あたし自身ですらそう思っていた、仲の良い姉妹。
たった一つしか離れていないから、つまり最初の一年以降はずっと一緒に生きてきた栞。
その栞を、あたしは消してしまった。
生まれた時から身体が弱く、一年の半分以上を 〜 酷い時には二年以上続いたことも 〜 病院のベッドの上で過ごしてきた栞。
だから辛かったんだ。
あの時聞いてしまった主治医の言葉。俯き言葉を無くす父、そして泣き崩れる母。
あたしに出来ることなんて、何も無かった。
だって、何が出来たというの？
いくら学校でいい成績を取っていたからって、それで栞の病気がよくなるわけでもない。
それは栞のためになんてなりもしない。
あたしに出来ることといえば、神様に祈ることくらい。
だから祈った。小さい頃からずっと祈り続けてきた。
栞を助けてって。
だけど神様はそんなあたしの祈りなんて聞きもしてくれなかった。
だから、クリスマスなんて祝ってあげない。
もちろんあたしはキリスト教徒なんかじゃない。
日本のそれがただのお祭り騒ぎってことも十分承知している。
でも、神と呼ばれるモノを信じ、祝う気なんて無い。
そう思い、家族で行っているパーティーに参加もせず、こうして部屋にいる訳。
そこに、コンコン、とノックの音。
あたしが答えると、栞がおずおずと入ってきた。
「お姉ちゃん、今日はクリスマスイブですよね」
「私、プレゼントなんて入りませんから、本当のことを教えてください」
「この病気は、治らないんですよね」
「私は、助からないんですよね」
「それは解ってます」
「自分の身体だから」
「だから教えて」
「私の命は何時までですか？」
「あとどれくらい残っているんですか？」
あたしは言えなかった。
「馬鹿ね、そんなわけ無いじゃない」
「ちゃんと先生のいう事を聞いていれば、すぐには無理かもしれないけど、きっと治るから」
そんな気休めは。
だって、いままでずっと栞はそうしてきていたんだから。
それでも一向によくならなかったんだから。
だから。
だからあたしは、言うしかなかった。
「ええ、そうよ」
「あなたは治らない」
「あなたの命は、今度の誕生日までだから」
真実を。
もうこれ以上嘘をつくことは出来なかった。
それが彼女にとってどれだけ辛いことかは、愚かなあたしにだって解る。
だからきっと、泣き崩れるかあたしを罵るか。
少なくともあたしに好意を寄せてはくれないだろうと思った。
でもそうしてあたしを憎んでくれれば、恨んでくれれば、その先にある別れが少しでも楽になる。
今のままでは栞もあたしも、辛すぎるから。
けれど違った。
栞が私に向けた表情は。
笑顔。
「ありがとう。本当のことを教えてくれて」
「これで気休めを、嘘を言うようなら、私はお姉ちゃんを嫌いになってました」
「でも、やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんでした」
「私は、お姉ちゃんが大好きなままでいられます」
あたしには返す言葉が無かった。
嫌いにさせるために放った言葉が、全く逆の効果を発揮してしまった。
だからあたしは、鬼になるしかなかった。
次にあたし発した言葉は。
「あのね」
「あたしに、妹なんて、いないの」
「だから、あたしの、ことを」
「お姉ちゃん、なんて、呼ばないで」
流石に栞は目を見開いて驚いた表情を浮かべた。
これで嫌いになってくれる？
あたしを恨んでくれる？
その方がきっとあたしの為になるの。
その方がきっとあなたの為になるの。
だから、思いっきり蔑んで頂戴。
ゆっくりと目を閉じた栞は言葉を紡ぎだす。
「ごめんなさい」
「迷惑、でしたよね」
「私なんかが妹で」
「ずっと、迷惑ばかりかけて」
「お姉ち、香里さん、自分のしたいことも出来ずに私のことばっかり」
「ごめんなさい」
「もう私のことなんて無視してくれて構いません」
「私のことなんて放っておいてくれて構いません」
「でも一つだけお願いがあります」
「馬鹿な私の最後のお願いです」
「お姉ちゃんのこと、大好きで、いさせてください」
「それだけです」
「いままで、ありがとうございました」
カチャ。
ドアの開く音。
パタン。
ドアの閉まる音。
そしてあたしはその場に崩れ落ちた。
これじゃ、なんの意味も無いじゃない。
栞があたしを嫌ってくれなければ。
あんなことを言った意味が、ない。
どうして笑顔なんか、浮かべられるのよ。
どうして自分が悪いって言えるのよ。
悪いのはあたしじゃない。
笑顔なんて見せる相手じゃないでしょう？
これで完全に狂ってしまった。
栞のためと思ったことが、栞を突き放すことになってしまった。
追い込むことになってしまった。
きっと栞は辛い気持ちを抱えたままこれからの生を過ごすことになる。
大好きと言ったあたしに無視されて。
あたしは、取り返しのつかないことをしてしまった。
あの子の人生ってなんだったのよ？
ずっと病魔に苦しめられて。
人並みの幸せさえ味わうことなく。
最後に、愚かな姉に見放されて。
どうして栞はあたしを恨んでくれないの？
どうしてあたしを嫌ってくれないの？
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
半ば放心状態のまま、床を這うように本棚まで移動したあたしは一番下の扉を開く。
そこに仕舞われている似顔絵と折り紙。
あたしの誕生日に、病院のベッドの上の栞がくれたもの。
これくらいの物しかあげられないけど、と。
破り捨てようと両手で持ち。
けれどそんなこと出来るはずも無く。
すぐに両手から滑り落ちる。
床に散らばった折り紙を再び手に取る。
今度は大切に。
だって、あたしの宝物だから。
紺と白の朝顔。
掌の上で咲く、やや色褪せたその花は。
少し翳りを帯びていたさっきの栞の笑顔と重なって見えた。
《終》
投票結果
poronium (採点:4)
構成が巧いです。中間部では別のドラマが待っていて、ラストで冒頭の導入部と相似化しています。演出に感情を動かされました。
十七夜 (採点:4)
情が深い故に裏腹な態度をとってしまう彼女の心が痛かった。
ugen (採点:3)
少し香里の感情が冷静すぎる気がする、けどうまい
グＥ (採点:2)
香里の描写がいいのですが・・・、クリスマスのとき栞にそこまではいっていないと思います・・・。
naoki (採点:3)
見え透いた感じがします。とくに会話部分。
kuryu (採点:2)
思い出の品の思い出、その人物に対する思い入れが伝わってきました。
Ｇａｒａ (採点:4)
香里が「妹なんて居ない」と言った気持ちが、納得いく形で書かれているＳＳは、私的にはこれが初めてです。
匿名希望 (採点:3)
テンポは良いのですが、姉妹間で交わされるセリフがストレート過ぎて、違和感を感じました。今後は、現実の人間だったらどう言うかを想像しながら書いてみてはいかがでしょうか。
かずき (採点:4)
みごとに違和感なくｋａｎｏｎの世界に入っている。
tabibito (採点:4)
香里の気持ちが良く描かれています。読んでいて辛くなってしまいました。
橘征五郎 (採点:2)
冒頭とラスト、似顔絵と折り紙のくだり以外が極めて退屈。Kanon本編をプレイしてすでにわかっている、ある程度推察出来ていることをああして改めて書くには文章力が不足していたか。しかし小道具に折り紙を持ってきたところにはセンスを感じた。
浮動明王 (採点:3)
「妹などいない」と決心したときのことを描いたSSは意外と少ないですよね その点はよろしいと思います
taka (採点:3)
香里の後悔がよく伝わりますね・・・。
はぐ (採点:2)
「ひとまず読み切りました」 香里の苦悩がもっと実感できたら良かったかなぁ。一字下げがないので減点１。
神代 悠 (採点:3)
いつか、笑顔を取り戻して欲しいですね。
全採点
5点 : 6
4点 : 30
3点 : 63
2点 : 42
1点 : 11
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