不適切な関係






「やっと、ついたな…」

見知らぬ街を地図を片手に30分ほど歩き、俺はやっと目的のアパートについた。

お世辞にも大きいとは言えないが…築5年ということで、割と小奇麗な感じで好感のもてるアパートではある。

「思ってたよりまともそうで一安心だな…」

そう1人ごちて、ゆっくりとアパートの階段を上っていった。

そう……今日から俺が、一人暮らしを始める事になるアパートを―――


















高校卒業を機に俺は、あの街を出て一人暮らしをする事を決心した。

俺が合格した大学は、無理をすれば決して水瀬家から通えない距離ではなかったのだが…俺はあえて水瀬家を出る事を選んだ。

もちろん水瀬家での生活が嫌だった訳じゃない。

だがやはり、片道1時間の距離を通いつづけるのは抵抗があったし…それに、これからもあの家に更に4年間もお世話になるのはさすがに気が引けた。

もっとも、秋子さんも名雪も俺が居候する事を迷惑だなんて思ってなかったみたいだが。

名雪にいたっては、最後まで俺が出て行くことに反対していたし。

だが、それももう今さら考えてもしょうがないことだ。

俺は、水瀬家を出て一人で暮らしていく事を選んだのだ。

そう…このドアを開け、何もない部屋へと一歩踏み出した瞬間から、俺の新しい生活の幕が明ける。



がちゃり


ためしにドアノブに手をかけてみると、どうやら鍵はかかっていないらしくスムーズに回る。

俺はそこで一旦大きく息を吸い込み、軽く気合いを入れた後、一気にそのドアを開いた。



さぁ…! 



俺の新しい生活の幕開けだ!!



「あ、お帰りなさい。祐一」

どんがらがっしゃーん!!!

ドアを開けた瞬間聞こえてきたその声と姿に、頭から豪快にスライディングしてしまう俺。

「ご飯ならもうすぐ出来るから、そこら辺に座ってくつろいでてね」

そんな俺を気にした風もなく、エプロン姿の名雪が極めていつもののほほんとした調子で当然のように言った。

トントントントントン…

「きゃべつ、きゃべつ」

そして、そんな俺にお構いなく、実に楽しそうに謎の歌を歌いながら料理を続ける名雪。

「にんじん、にんじん」

「…って、ちょっと待てええぃ!」

俺はがばぁっと勢いをつけて起き上がりながら叫ぶ。

「どうしたの祐一? あ、なにか食べたいもののリクエストあるの?」

「違うっ!」

「じゃぁ…ご飯より先にお風呂に入りたいとか?」

「だからそうじゃないっ!!!」

「ご飯じゃない…お風呂でもない……そ、それじゃあもしかして…!?(ぽっ)」

「『ぽっ』じゃないぃぃぃぃ!!」

「そんな、いきなりだけど……うん、いいよ。祐一がそういうんだったら……わたしはいいよ」

「人の話を聞けぇぇぇ!!!」

「祐一…来た早々そんなに大声で叫んでたらご近所様に迷惑だよ?  わたしたちこれからここでお世話になるんだから、ちゃんと周りの事も考えないと…」

「誰のせいだと思ってるんだっ!! …って、ちょっと待て。お前、今……なんて言った?」

「え? だからちゃんと周りのことも考えてって…」

「そこじゃない! その前だ!」

「その……祐一がそういうんだったら、わたしの方もおっけーだよって…(ぽっ)」

「そこでもないっ! その間だっ!!」

「え…だから、わたしたちこれからここでお世話になるって…」

「そこだっ!! どういうことだ、わたし『たち』って!? その言い方じゃまるで俺だけじゃなくて…」

「うん。今日からわたしもここにお世話になるんだよ」

「…は?」

「わ、祐一……ハニワ顔になってる」

「お前もお世話になるって……このアパートにか?」

「うん。このアパートというか、祐一の部屋に」

「…なんで?」

「祐一と一緒に住みたかったからっ!」

「…ほう、俺と一緒に住みたかったから、か…」

「うんっ! だって……あれだけ反対したのに、祐一は結局うちを出て行っちゃったでしょ? だったらあとは、わたしが祐一の家に住むしかないと思って」

「…なるほど。確かにお前の言うとおり、そうすれば俺と一緒に住めるわな…」

「でしょ?」

「けどな、これから聞く事が一番肝心なことだが…」

「うん?」

「…俺は、それについて許可をしたか?」

「ううん、まだもらってないけど……でも、祐一が駄目だなんて言うはずがないもん」

「なっ…!? なんでそうなるんだよっ! そんなの駄目に決まって…!!」

「だって…祐一もこれまで、うちでお世話になってたんだから、これでおあいこだもんね?」

「え…?」

「祐一があの街にいた頃はうちにお世話になったんだから、今度はわたしが祐一の家でお世話になってもなんにも問題ないってことでしょ?」

「…え? …あ、え? そ、そう……なのか?」

「それとも祐一……まさか、これまで受けた恩義なんか綺麗さっぱり忘れて知らん振りするつもり…?」

「え、い、いや……俺だってそんなつもりはないけど……」

「そうだよね、祐一がそんな薄情者のはずがないよね。良かった……それじゃあ、わたしがここに住んでも何にも問題ないってことだよね」

「あ、ああ……えっと…………そう……なるのか……な…?」

「良かった、祐一が許可してくれて。それじゃあ、祐一。座って待っててね。もう少しでお料理できるから」

そう言いながら、再び料理を再開する名雪…




「…え、えっと……?」

俺は名雪に言われるままにテーブルの前に座りながら、先ほど名雪が言った事をもう一度反芻してみる。

…そうなのか? 本当にこれでいいのか?

そりゃあ確かに、水瀬家には突然の居候にも関らず随分暖かく迎えてもらって、その事をとても感謝はしてる…

出来る事なら俺だって、その恩義については返したいと思っていた。

それで今、その恩返しとして、名雪をここに住まわせる…?

…そうなのか? 本当にそれであってるのか!?

しかし、待てよ……確かに俺も水瀬家に住んでいた。そして、その恩返しとして、名雪をここに住まわせる訳だから…

…ああ、なるほど。確かに恩返しとしてはこれでまったくの等価な訳か…

なあんだ、結局なんにも問題ないって事じゃないか。はっはっはっ、気にして損したなぁ……

「…って、やっぱり問題あるわぁ!!」

俺は一瞬この事態を認めてしまいそうになった思考を取り払うように、大声で自分自身に突っ込む。

「わ、どうしたの祐一……突然叫びだしたりして…」

「いや、やっぱりどう考えてもおかしいだろ! この状況は!」

「なにが?」

「いいか名雪、よーく考えてみろよ! お前がここで暮らすってことは、恋人でも夫婦でもない、年頃の男女が2人きりで一緒に暮らすことになるんだぞ!? お前はこの状況をおかしいとは思わないのか!?」

「え? うーん……言われてみれば確かに祐一の言うとおりかも知れないね…」

「そうだろ!? やぱりおまえだってそれはおかしいと思うだろ!?」

「うん。恋人でもない男女が同棲してるなんて……そんなの不自然だもんね」

「理解してくれて幸いだ。それじゃあ、俺の言いたいことも分かるよな?」

「うん、もちろんだよ。だからつまりそれは……わたしと正式な恋人になりたいっていう、祐一からの告白と受け取っていいんだよね?(ぽっ)」

「違あぁーーーうっ!!」

「え…!? それじゃあわたしと籍を入れたいっていう、遠まわしなプロポーズ!?(ポッ)」

「もっと違ぁぁーーーーう!!!」




































不適切な関係(2)




俺が一人暮らし……だったはずの生活を始めてから、すでに一ヶ月が経過した。

『はず』というのは言うまでもない。

「お洗濯、お洗濯」

結局、名雪も未だにここに住み着いているからだ。

俺も…最初は数日付き合えばさすがに気が住んで帰るか大目に見ていたのだが…あれから一月過ぎた今でも一向に帰る気配をみせない。

…いや、それどころか昨日住民票を移してきたとかぬかしたぐらいだ。

このままでは本当に、ここに永住しかねないような勢いである。

ここらで本格的に手を打っておかないと、そろそろ取り返しのつかない事になるだろう。

…とはいえ…

「タオル、タオル」

この一ヶ月、食事をはじめ、掃除や洗濯、買い物などほとんどの家事を名雪がやってくれていたのも事実である。

本当は、俺も何度かやろうとしたのだが…やたらと嬉しそうに家事をこなす名雪を見ていると、ついつい口をはさめずそのまま名雪に任せきりになってしまうのだ。

「Tシャツ、Tシャツ」

今も楽しそうに謎の歌を歌いながら乾いた洗濯物を畳んでいく名雪…そんな名雪を、今さら無下に追い出すとなると、さすがに俺だって気が咎めてしまう。

「パンツ、パンツ…あ、これ…祐一のパンツだよぉ…」

かといって、このままずるずると名雪がここにいるのを容認するのもお互いのためにならないだろう…

「祐一のパンツ…祐一がいつも肌身はなさず身に付けてる衣類…あ、そうだ!」

俺は…俺はいったいどうすれば…

「わたしのパンツと祐一のパンツをこっそり交換しておけば…祐一はいつも、わたしのパンツを肌身はなさずに穿いて…!(どきどき)」

「…って、やっぱり今すぐ出て行け! この変態娘ぇっ!!」

「わ、祐一!? いつのまにそこに!」

「さっきからずっといたわ! ここは俺の部屋だぞ!」

「そうだったね、ここはわたしと祐一の愛の巣だもんね」

「いや、全然違うけど…それよりお前は、人の下着を交換してどうするつもりだったんだ?」

「え、えっとね…例え2人が離れている間でも、お互いの下着を穿き合っておくことで心の繋がりが感じられるかなぁーって…」

「…そんな心の繋がり、嫌すぎるぞ…」

そもそも、下着がお前の物に変えられてても、俺がそのまま気付かずに穿く訳ないだろうが…



「なぁ、名雪…お前さ、本当にいつまでここにいるつもりなんだ?」

「え?」

「お前がここに来てから一月…もういい加減に気が済んだだろ? ここら辺で水瀬家に帰ったらどうだ」

「そういうわけには…いかないんだよ」

不意に、名雪が表情が曇ると、やけにしんみりとした悲しそうな声で言った。

「わたしね…ここに来るとき、2度と水瀬家の敷居は跨がせないって言われちゃったから…」

敷居を跨がせないって…それってまさか、俗に言う勘当ってやつか!?

「そんな…嘘だろ? あの秋子さんがお前にそんなこという訳…」

「残念だけどね…でも、本当のことなんだよ…」

そう言って、寂しそうに目を伏せる名雪…

「わたしね…言われちゃったんだよ。祐一に盗られたものを取り返すまでは、絶対に家には入れませんよって…」

「ちょ…ちょっと待てよ! なんだよ、俺に盗られたものって! 俺はお前からなにも盗んだりしてないぞ!」

「ううん、祐一はまんまと盗んでいったよ…わたしから、とんでもないものをね…」

「…お前、それってまさか…」

「…わたしの、心だよ」

「……」

ぼかっ

「痛いよ祐一…無言で殴るなんて酷いよ…」

「やかましいっ! 誰がカリオストロの城ごっこをやれなんて言った!?」

「だって、ルパンダイブは乙女の浪漫なんだよ!?」

「いや……あの話、ルパンダイブなんてされてないし…」

っていうか、なんだ乙女の浪漫って?



「でもね、わたしが家にいれてもらえないのは本当の話なんだよ?」

俺が謎の単語に首をかしげていると、名雪が先ほどのまでのちょっと悲しそうな表情に戻って言った。

「祐一を射止めるまでは決して家には帰らせないけれど、その覚悟があるのなら行ってきなさいって…お母さん、今までに見たこともないぐらい厳しくて、それでいて見守るような温かい目で言ってたから」

「……」

秋子さん…普通、一人娘が男と同棲するなんて言いだしたら、母親として止めようとか思いませんか…?

…っていうか、勝手に押しかけられる俺の立場は考えてくれなかったんですか…?

「だからね…今さらのこのこと家に帰っても、わたしは家のドアを開けてさえもらえないんだよ」

「そうか…なるほど、確かにお前の事情は分かった」

「うん、分かってくれて嬉しいよ。それじゃあ、これからもよろしくね、祐一」

「よろしくじゃない! 確かに事情は分かったけど、それでどうして俺がお前の面倒を見なくちゃいけないんだよっ!?」

「だって…祐一はわたしから、とんでもないものを盗んでいったから…」

「そのネタはもういいっ!」

「その変わり、わたしも祐一からとんでもないものを盗み返しちゃったんだけどね」

「え…? 俺からって…俺は別にお前からなにも盗まれたりしてないぞ。心だって絶対に盗られてないし…」

「ううん、心はまだまだ、これから時間をかけてゆっくりといただくよ。だから…」

そう言って急に拳を握ってたかと思うとそれをパッと開き、さきっまでたたんでいたはず俺のパンツを取り出す名雪。

「今はこれが精一杯」

「お前…やっぱり今すぐ帰れぇ!!」




























不適切な関係(3)



俺がこの街に来てから、既に半年が過ぎた…

最初はまったく道の分からなかったこの街も、今ではもう自由自在に歩くとが出来るようになった。

そう…住めば都とはよく言ったもので、人間の適応能力とは本当に大したものだと思う。

…ただ…

がちゃ

「…ただいま」

「あ、おかえりなさい…あ・な・た(はあと)」

…勝手に家に住み着いた人間がいるという現状にまで慣れてしまうというのはどうなのだろう…

まぁ、いくら慣れたといっても…

ぼかっ

勝手に新婚を演出されて、それを許容してやるほど俺の心は広くないが。

「…いたいよ、祐一…」

「お前は…なんでそう懲りないんだ? たしか昨日も同じようなことをやって叩かれただろ?」

「じゃあ、明日はお帰りのキスを…」

ぼかっ

「俺が言ってるのはそういうことじゃないだろ?」

「うぅ…乙女の浪漫なのに…」

だからなんなんだ、乙女の浪漫って…



「そうだ…なぁ、名雪。前からちょっと聞きたかったことがあるんだが…」

「え? なに?」

「その…正直、お前には答え辛い質問かもしれないけど…」

「私には答え辛い…? 祐一…そ、そうだったんだ…(ぽっ)」

「…ちょと待て。なぜそこで顔を紅らめる?」

「だって…祐一がそんなに、わたしのスリーサイズが気になってただなんて…」

「全然違うっ!」

「もう…そんなに気になってたのならいつでも聞いてくれればよかったのに。あのね、上から…」

ぼかっ

「だから、違うって言ってるだろ?」

「そ、それじゃあ直接見て確かめたいの…? もう、恥ずかしいけど…でも、祐一だから特別に…(しゅる)」

ぼかっ

「脱がんでいい」

「…じゃぁ…直に触って確かめたいとか…?」

ぼかっ

「いい加減、スリーサイズから離れろ」

「うぅ…痛い…」

頭を抑えてうずくまる名雪…さっきからちょっと叩きすぎかた?

「あ、でも…慣れてくれば、この痛さがちょっといいかも…(ぽっ)」

「……」

…2度と名雪にこの折檻はするまいと心に誓う。

「…って、なにやら話が逸れたが…何度も言うように、俺が聞きたかったのは別に、お前のスリーサイズなんかじゃない」

「…なんか…」

なにやら名雪が複雑そうな顔をしているが、構わず話を続ける。

「気になってたことっていうのは…お前はこの先どうするつもりなのかってことだ」

「え…?」

そう、こいつが俺と一緒にここに移り住んでから既に半年。

俺の所を出た後はいったいどうするつもりでいるのか。さすがに俺も、こいつのことが素で心配になってきたのだ。

だが…

「祐一…ようやくわたしとの将来を真剣に考えてくれる気になったんだねっ!」

そんな俺の意図をはきちがえまくった解釈をのたまうと、明らかに人間を越えた動きで一瞬にしてベッドへと移動する名雪。

「さぁ、祐一! わたしたちの幸せ家族計画に向けて輝ける第一歩を…!」

ぼかっ

「だおっ」

しまった…つい速攻で誓いを破ってしまった。



「なぁ、名雪…俺が聞いてるのはそういうことじゃなくてだな、仮に、俺が今すぐお前を追い出したらどうするつもりかって聞いてるんだ」

「…え…」

俺が真剣な質問をしているということが伝わったのか、名雪も悪ふざけをやめて大人しくベッドから出てくる。

「祐一…わたしを本気で追い出すの?」

「そういうこともありえる。お前だって本気でずっとこのままでいられると思ってた訳じゃないだろ?」

…いや、こいつだったらそれも大いにありえるかな…

台詞を言った後で、俺がそんなこと考えていると、名雪がやけに静かな調子でゆっくりと首を振った。

「うん…わたしだって、いつまでもこのままでいられるだなんて思ってないよ」

「…え?」

そんな名雪のしおらしい態度と返答が予想外で、正直面食らってしまう。

「元々わたしの勝手なわがままで祐一のところに押しかけんだから…いつまでも、こんな生活が続くだなんて思ってないよ」

そう言って、普段の名雪に似つかわしくない、どこか影のある笑顔を浮かべる。

「でも…できればもう少しだけ、わたしのわがままを続けさせてもらえないかな…? そうしたらその後は…きちんと、わたしの方から出て行くから…」

「…名雪…」

「お願い…できないかな…」

そう言った名雪の笑顔があまりにも寂しそうで、俺はそれ以上なにも言えなくなった。

普段あれだけ能天気に見えたこいつが、実はちゃんと終わりを覚悟していたことに驚いて。

いや…いつか終わる事を覚悟していたからこそこいつは、俺と一緒にいるっていうたったそれだけの事で、いつもあんなに幸せそうだったのかもしれない。

「…分かったよ」

そんな名雪の想いと覚悟が分かってしまった以上、俺にはもうなにも言うことなんて出来なかった。

「…え…?」

「これまでだってお前のわがままに付き合ってきたんだからな。あともう少しぐらい、お前のわがままに付き合ってやるさ」

「祐一…うん、ありがとっ」

そう言って、さっきまでとはうって変わって弾けるような極上の笑顔で微笑む名雪。

やっぱりお前にはこんな笑顔の方が似合うななんて、決して声には出さずには思ってみる。

「それじゃあもう少しの間…改めてよろしくね、祐一」

そう言って、手を差し出してくる名雪。

「…ああ。こっちこそよろしくな、名雪」

俺もそう言いながら、名雪の手を握り返して微笑んだ。

「…って、名雪。俺の手を引いてどこへ連れて行くつもりだ?」

「え? その…せっかくだから、わがままついでにベッドの上で思い出作りでもって…」

ぼかっ

「調子に乗るな」

「だ、だお…」




























不適切な関係(4)




俺がこの街に来てから一年が過ぎた…

静かな夏を、紅葉に囲まれた秋を、白い雪に覆われた冬を巡り、そして季節はまた春へと帰ってきた。

そんな移ろいゆく時間の間でも決して変わらないもの。

いつも俺のそばで笑ってくれる人。いつまでも俺の側にいてくれる人。

…っていうか、勝手にいつまでも俺の部屋に住み着いてるやつ。

早い話、あれから半年経った今でも名雪は当然のようにここに住み着いてる訳だ。

もう少し間だけと言っておきながら、未だに平然と住み着く名雪を見ていて俺は、結局あれはその場を逃れるための方便だったのだろうと思っていた。

今朝だって、俺が出かける前に『今日はわたしと祐一が一緒に暮らし始めてから一周年の記念日だから、腕によりをかけてご馳走をつくるからね』なんて言って、いつも通りに微笑んでいたから。

『おかずはうなぎとすっぽんで、飲み物は赤マムシドリンクで、そしてデザートは…わ・た・し、だよっ(はあと)』

そんなことを冗談とも本気ともつかない様子で言って、いつもどおり俺に叩かれていたから。

そんなやり取りが、もうすっかり日常と呼べるほどにいつもの事だったから。

『今日まで、本当にありがとうね。祐一』

そう言って俺を見送った時の儚げに見えた名雪の笑顔を、その時の俺はたいして気にもとめないでいた。

どうせ、今日も帰ってきたら名雪がいるって……当然のようにそう思っていた。

このドアを開けたらいつものように名雪が笑顔で出迎えてくれるんだって、そう信じて疑わないでいた。

だから俺は―――





























―――いるべき人がいないこの部屋を見て、酷く愕然としてしまったんだ。




























ややしばらくの間、俺は馬鹿みたいに玄関でただ立ちつくしていた。

『おかえりなさい、祐一』

このドアを開けたら、いつでもそう言って出迎えてくれた人の笑顔がないことに、どうしようもないほどの焦燥感を感じた。

『今日は特別だからね。祐一の好物ばっかり用意したんだよ』

テーブルの上に用意されたご馳走を見て、それを作った人の笑顔がないことに、言いようのない喪失感を感じた。

そして―――その人の荷物がなくなっていることに気付いた時、俺は部屋を飛び出していた。




















『大切なものは、失ってみて初めて気づく』

そんな、手垢のついたありきたりな言葉を、これほど深く実感する日が来るとは思わなかった。

一年前、勝手に俺の部屋に住み着いた名雪。

俺のそばにいようと一生懸命だった名雪。

よく馬鹿なことを言っては俺を呆れさせてた名雪。

いつも嬉しそうに家事をしていた名雪。

いつでも笑顔で出迎えてくれた名雪。

いつまでも俺のことを好きでいてくれた名雪。

いつの間にか―――俺がこんなにも好きになっていた名雪。



























だから―――

「名雪!!!」

その人が駅前のベンチに座っているのを見たとき、俺は周りのことなんて気にせず声の限りに叫んでいた。

「ゆう…いち…?」

俺の声に気付いた名雪が、驚きの表情を隠さないまま俺の方を振り返る。

「祐一…どうしたの…こんなところに…」

「…どうしたじゃ…ないだろ…」

未だにどうにも落ち着かない呼吸を整えながら俺は言う。

「お前こそ…なんで勝手に出て行ったんだよ…」

「勝手じゃないよ…だって、わたしの方から出て行くっていう約束だったもん…」

「それにしたって…いきなりすぎだろ」

「うん…ごめんね。本当はちゃんとお別れをしてから出ていこうって思ってたんだけど…」

祐一の顔を見たらきっとまたわがままを言っちゃいそうだったからと、今にも消えそうなほど小さな声で呟く名雪。

「でも…ごめんね。そのせいで祐一にはわざわざ見送りに来させちゃったね」

「いや、違う」

「え?」

「俺は…お前を見送りに来たわけじゃない」

「でも…じゃあ、どうして?」

「俺は…お前に盗られたものを取り返しに来たんだ」

「え…」

「まったく…お前と来たら、予告してた通りにまんまと盗んでいきやがって…」

「祐一…それって…」

「ああ、そうだ…」

俺はもう…どうしようもないぐらい、お前に心を奪われちまったみたいだ。

俺がそう言葉を続けようとした時だった。

「ごめんね、祐一…」

「え…?」

「その…やっぱり、どうしても祐一との思い出が欲しかったから…」

そう言いながら、ごそごそとポケットを探り出す名雪。

「一枚ぐらいだったら問題ないかなって思って…」

そう言って、名雪がポケットからとりだしたのは―――

「ホントにごめんね、祐一」

―――まぎれもない、俺のパンツだった。

「……」

「あの…祐一?」

「この……馬鹿娘がぁっ!」

さきほどよりも、更にひときわ大きい俺の叫び声が、駅前一帯に響き渡った。

「ゆ、祐一…?」

「この……馬鹿娘…」

そう言いながら俺は、未だパンツを握り締めて呆然としているこの天然の愛しい少女を抱きしめた。

「え…ゆ、祐一…?」

その様子から、面白いぐらいに名雪が動揺しているのが感じられた。

とりあえず今は…こいつが状況を理解するまでこのまま抱きしめててやろう。

それで、落ち着きをとりもどしたら、その時は思いっきりからかってやろう。

そうやってひとしきり笑ったら……その後は一緒に帰ろうな。



今日からは正式に―――俺とお前の、2人の部屋にさ。



投票結果

久慈光樹 (採点:4)
面白かったです。もうちょっと短くまとまっていれば満点だった。


ういんど (採点:5)
最後までそのネタを使いますか(笑) いや、誉め言葉です。


Kanade (採点:4)
ボケ倒しでラブというのは、愛しい。


空明美 (採点:4)
基本は繰り返しですね。ギャグは。


かずき (採点:3)
読みやすいし、ラストも良い。でも題名と中身があってない。


荒野草途伸 (採点:5)
変態なゆちゃんサイコー!


名夜 (採点:5)
とっつぁーん!(謎) 最高です。5点。


ash (採点:4)
短い中にこれだけの話をよくまとめられましたね。…名雪がかなりヘンですけどね。


烏賊悪魔 (採点:5)
文句ナシ、満点。ギャグがあるからシリアスが引き立つ。シリアスだからギャグが面白い。この好循環を勉強させてもらいました。素晴らしいです。・・・・タイトルはもうちょっと一考の余地があったかも。『ど〜せいっちゅ〜の!?』とかね(笑)


Lv2 (採点:5)
最高です。ネタの使い方や文章の流れ、最後のどんでん返しなど文句のつけようがありません。


Gすぽると (採点:4)
ギャグのテンポが良い。読んでいて飽きさせない。そして少ししんみりさせてまたギャグで落とす。今まで読んだギャグ物でもトップ10に入る出来。


きこ〜もと☆ゆに (採点:4)
単なるギャグかと思って読んでいたらラブラブじゃないですか。と、思ったらパンツに執着する名雪さん…(笑)。とっても笑わせてもらいました。でも、最後はきれいにらぶらぶでしたね♪


橘征五郎 (採点:1)
まずは基本的な文章作法の勉強を。サブタイトルは不要。行間が空きすぎで見苦しい。ラブコメとしてもギャグとしても中途半端。展開が強引。一年後にいきなり出て行くのはおかしい。なんらかのきっかけ、前兆やその描写が必要。実は祐一が名雪を大事に感じてたというのなら、途中でそれらしい伏線が必要。


夏葵 (採点:4)
突飛さが魅力です。惜しむらくは標準化がなされていないこと。


ありたけ (採点:4)
ここまでくると名雪じゃないって気もするんですが、面白かったです。


TOM (採点:4)
笑わせて頂きました。落ちが読めたのがちょっと残念。でも、壊れ系をほのぼのと終わらせるのが狙いだったなら、これで正解だと思います。


sein (採点:4)
時々、ふっと笑ってしまいます。


り〜だ〜 (採点:5)
笑いの後の真面目の中にある笑い。いいよねぇ。


殺陣倉Xp (採点:4)
名雪がかつてないほど壊れている……まりねぇの声がフルボイスで流れていました。俺も壊れてるなぁ


Gara (採点:5)
名雪がここまで自分勝手でお馬鹿で積極的な話も珍しいですね。パンツのくだりはとても笑いました。


おーふな (採点:4)
上手い! 最後の展開に新味はありませんが、きっちり良い仕事がしてあります。


JIMMY (採点:5)
名雪が押し掛け女房でボケ担当、というSSは珍しいですねぇ。とても楽しく読みました。


グE (採点:3)
始めのうちの馬鹿っぽいギャグもよかったですが、祐一と名雪が一年で恋人同士になった描写がよかったです。


(採点:5)
こういうの個人的にはとても好きです。笑えましたし。


舞耶 (採点:4)
ぐはっ!一方的ラブラブ(死語)


コータ (採点:5)
いい作品でした。ちょっと感動しました。


tabibito (採点:5)
ラスト、少しギャグに傾いてますが、二人の思いが伝わってくる良い作品だと思います


NG翁 (採点:5)
よっしゃあっ!(謎)って、暴走名雪が最高でした。ラストもじ〜んとキました。コンペが終わったらシリーズ化する予定とか…あります?(’’)


ugen (採点:4)
なんと言うか名雪の性格が良すぎ、と言うか、すべて秋子さんの策略だったのではと疑ってしまう。


まちゃる (採点:4)
ぬう。Kanonじゃなくてもいい気が。でもこゆの好きだからいいんです。


はぐ (採点:1)
採点不能「読むのやめました」 感じた事:ラブコメですねぇ。いい感じではないでしょうか。「文が読めればの話」ですが。


naoki (採点:5)
最後までオチを用意しておきながら、同時に人の心を揺り動かすなんて!


taka (採点:3)
いるべき人がいないって、寂しいですよね・・・。そう、感じました。


全採点
5点 : 49
4点 : 61
3点 : 45
2点 : 13
1点 : 7

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転載、無断引用を固く禁止します。

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