冬の夜の過ごし方
夕ご飯の後。
いつものように秋子さんが洗い物をし、名雪がテーブルの上を片付け、俺が食器を戸棚に仕舞ってから、三人揃って居間でくつろぐ。
「最近、寒くなってきたな」
「え、そう？ 寒の入りもまだだよ」
テレビを眺めていた名雪が、ほえっと受け応えた。
「地元育ちなら平気かもしれないけど、俺には辛いぞ」
実際、基本構造が本当に同じなのかと思うことがある。どーして雪の舞う中を、あんなに短いスカート姿で闊歩できるんだ。
「これぐらいの寒さで音を上げちゃうなんて、祐一はたるんでるよ」
「ぐぬぬ」
丸顔ぽややん寝惚すけ従姉妹に、ふふんと鼻で笑われた。
「祐一、ひどいこと考えてない？」
丸いほっぺたをぷくっと膨らませて、訝るように上目遣いで俺を見据える名雪。
「気のせいだ」
「うー」
「祐一さんは、まだ躰が慣れていらっしゃらないんですよ」
俺と名雪のやり取りを微笑ましげに見つめていた秋子さんが、ほほに手を添えながらおっとりと言った。
「でも、そのご様子ですと、夜はもっとお辛いんじゃありませんか？」
「ええ、実は」
情けない話しだが、そのままだと寒さで眠れないから、トレーナーを重ね着して寝ている。
「まあ、そうですか…気が付かなくて、すみませんでした」
本当にすまなさそうに謝り、深々と頭を下げる秋子さん。
「…困りましたね。冬布団はまだ押し入れに仕舞ってあるんです」
秋子さんは形のいい眉根を上品に寄せて呟いた。
「いいんですよ。まだなんとか耐えられますから」
「そうですか？ 本当にご無理はなさらないで下さいね」
「はい」
・
・
時計の針が十二時を回り、日付が変わった。
「そろそろ寝るか」
アンダーシャツと寝間着、トレーナーを着込む。ベッドに入ろうとしたのと同時に、ドアがノックされた。
「はい」
こんな夜中に誰だろう…って、名雪がこの時間に起きているわけないから、秋子さんに決まっているな。
『秋子です』
「どうぞ、開いてます」
『はい』
ドアがゆっくりと開いて、両手に布団を抱えた秋子さんが入ってきた。
「夜分遅く、失礼します。祐一さん、もうお休みになられていましたか？」
「いえ、起きてましたけど…秋子さん、それは？」
布団を床に置いた秋子さんは、にっこりと柔らかく微笑んだ。
「お布団ですよ」
「それは見れば分かります。そうじゃなくて、さっき布団はないって言っていませんでしたか」
「ええ、これは私の使っている掛け布団です。余分なお布団はありませんから、こちらを祐一さん使っていただこうと思いまして」
「えっ…そのために、わざわざ持ってきてくれたんですか」
「はい」
秋子さんの優しい気遣いに、感動する。
「あ。でも、そうすると、秋子さんはどうやって寝るんですか」
いくら寒さに慣れているといっても、布団なしでは夜は過ごせないだろう。
「うふふ、大丈夫です」
ほほに手を添えるお馴染みの仕草で、にっこり微笑む秋子さん。
「祐一さんと、ご同衾させていただきますから」
「…え？」
ちょっと待った。
秋子さんの言葉を反芻する。俺と同衾…一緒に寝る！？
「なっ、何を言ってるんですか、秋子さんっ！ 駄目ですよ、そんなこと」
秋子さんはきょとんと瞳を瞬かせて、不思議そうに小首をかしげた。
「あら、どうしてですか？」
「ど、どうしてって、その…」
本当に不思議そうに俺を見つめる秋子さんの表情に、言葉に詰まる。
「？」
無警戒に寝間着姿を晒している秋子さんと見つめ合い、その立ち姿を眺める。
「……」
普段は丁寧に三つ編みに編み込まれている紫色の髪の毛を、ほつれないように緩く束ねられて肩の前に垂らしている秋子さんは、いつもよりずっと色っぽく見える。細い撫で肩の下では、円熟した乳房の膨らみが、寝間着の生地を張り詰めさせながら、呼吸に合わせて窮屈そうに上下していた。
「祐一さん？」
「はっ」
いかん、秋子さんの美貌に見取れていた。
「ええと…とにかく、一緒に寝るなんて、絶対に駄目ですっ」
「いいじゃありませんか。子どものころは、よく名雪も一緒になってお休みしていましたし」
「子どものころとは違いますよ」
俺がそう言うと、秋子さんは悪戯っぽく微笑して、
「あら、どんなふうに違うんですか？」
「え？ それは、その…」
秋子さんはくすくすと可笑しそうに微笑みながら、俺の顔を上目遣いに見つめた。
「うふふっ。どんなふうに違うのか、私に教えて下さい♪」
「ええと、ええと…」
「お願いします、祐一さん♪」
「あ、あう」
秋子さんの妖艶な仕草に、頭がくらくらしてきた。
「うう…ぬおおっ」
なけなしの理性をかき集めて、劣情を駆逐する。
「とにかくっ、一緒には寝ませんっ！」
俺が語気を強めてそう言うと、秋子さんは怯えたように肩を震わせた。
「……」
秋子さんの澄んだ瞳が、じわっと滲む。
「…私と一緒に眠るのが、そんなにお嫌なんですか」
秋子さんは唇を弱々しくわななかせながら、囁くように呟いた。
「え？ いえ、嫌なわけじゃなくて」
「…分かりました。祐一さんは、私のことが嫌いなんですね」
「なんでそうなるんですかっ。そんなこと、一言も…」
「いいんです」
俺の言葉を遮って、抑揚のない声で呟く秋子さん。
「…どうせ、どうせ私なんて…あ、分かりましたよ」
「何がですか」
秋子さんは自嘲的な微笑みを浮かべた。
「子どものころと違うことというのは、もう私に飽きてしまわれたということですね」
「誰もそんなこと言ってませんっ。っていうか、人聞きの悪いことを言わないで下さい」
秋子さんは小さく溜め息を吐くと、顔を伏せた。
「もう、結構です。…変なことを言い出してしまって、すみませんでした。…寂しがり屋な年寄りの、莫迦な独り言だと思って、忘れて下さい」
力なく呟いた秋子さんは、糸の切れた人形のように深々とお辞儀をして、
「このお布団は置いていきますから、ご自由にお使い下さい。…では、お休みなさい、祐一さん。夜分遅く、すみませんでした」
そう言って、きびすを返して出ていこうとする秋子さん。
「ま、待って下さい、秋子さん！」
ほとんど反射的に躰が動き、ドアノブに掛けられていた秋子さんの手を押さえていた。
「…なんでしょうか。もう夜も遅いですし、お話しはまた明日にでもお聞きしますから…」
秋子さんは寂しげな微笑みを浮かべながら、瞳を伏せた。
「あの…ええと、俺、秋子さんと一緒に寝るのは、嫌じゃありません」
「え…？」
「だから、その…秋子さん、俺と一緒に寝て下さいっ！」
…なんかすごいことを言ってないか、俺？
「まあ…」
秋子さんの美貌が、満開に咲き誇る華のように目映（まばゆ）くほころぶ。
「本当に宜しいんですか？」
「は、はい…よろしいです」
綺麗な微笑みに魂を奪われそーになりながら、なんとかうなずき返した。
・
・
「るんららら、るるらら〜♪」
秋子さんが愉しそうに鼻歌を唄いながら、てきぱきと手際よく布団を整えている。
「……」
枕を二つ預かって、秋子さんの作業が終わるのを待っていると、
「…う」
ふと、軽やかな鼻歌に合わせて、ふりふりと左右に揺れる秋子さんのお尻が眼に入った。
流れるようなまろやかな曲線で形作られた綺麗なハート型は、熟れた瑞々しい桃を連想させる。大きく厚みがあって、ふっくらと柔らかそうだ。
「お待たせしました、祐一さん」
「うわっ！ は、はい」
むちゃくちゃ驚いた。秋子さんのお尻に完全に魅入られ、我を忘れて眺めていたらしい。
「どうかなさいましたか？」
不思議そうに小首をかしげる秋子さん。
「いえ、なんでもないです」
「そうですか」
秋子さんは深く詮索せずに、にっこり微笑んだ。
「祐一さん、枕をこちらに」
「はい」
枕を二つ並べた秋子さんは、柔らかく微笑みながら振り向き、ぽんと柏手を打った。
「うふふ、さあ祐一さん、閨（ねや）の準備が出来ましたよ」
「ね、閨って…」
「閨というのは本来は寝室のことを指しますけれど、狭義的な意味合いである夫婦の寝床のことを表す場合が多いんですよ」
ほほに手を添え、丁寧に説明してくれる秋子さん。
「だから、そういうことを聞きたいんじゃなくて…もういいです」
なんかもう、寝る前なのにどっと疲れてしまった。
「……」
いつもは一つしかない枕が、二つ並べられているというだけで、随分と違和感がある。っていうか、これから秋子さんと同衾するということを再確認させられて、緊張がぶり返してきた。
「…うう」
「どうかなさいましたか？」
枕を睨んで呻いている俺を見て、秋子さんが不思議そうに言った。
「いえ、なんでもありません」
平静を装って、ぶんぶん首を振りながら返事をする。
「……」
秋子さんのおっとりとしたいつもの表情を見て、少し気持ちが落ち着いた。よく考えれば、秋子さんが何も意識してないのに、俺が一人でおたおたしているのは変だし。
「ふう」
土壇場で落ち着きを取り戻して、ほっとした。
「秋子さん、俺が壁側で…どえええええっっ！？」
「あらあら祐一さん、夜中に騒がしくするのは、ご近所の方々に迷惑ですよ」
「あ、はい。すみません…じゃなくて秋子さんっ、どうしてパジャマのボタンを外しているんですかっっっ！？」
寝間着の前を全開にして、のほほんと微笑んでいる秋子さんに向かって叫ぶ。…全裸よりも、脱ぎ掛けのほうが色っぽいというのは本当だなあ。…いや、そーじゃない。
秋子さんは呑気な表情でほほに手を添え、
「私は、眠るときはいつもこうですよ。こうしておかないと、息苦しくてよく休めないんです」
「……」
そりゃまあ、そんな無闇に大きな胸を抱えていれば当然でしょうよ、とも言えず、押し黙る。
「…いけませんか？」
不安そうに表情を曇らせ、上目遣いになって訊ねる秋子さん。
「え。…いえ、いけなくはないですけど」
寝間着の隙間からちらちらと見える秋子さんの柔肌に、眼を奪われる。
白磁器のように透明感のある白肌は、一見すると冷たそうにも思えるが、ふっくらとした丸く柔らかな描線のおかげで、母性的な温もりを感じさせている。
ずっしりと重々しく実った乳房も、ぱっと見には秋子さんの細い体躯には不釣り合いな印象を受けるが、その不完全さがむしろ秋子さんを作り物のような神聖な存在ではなく、温もりを持った生きた人間だということを実感させてくれていた。
「ううっ」
それはそれとして、目の前の秋子さんの肉感的な肢体に、完全に圧倒される俺。
「…ゴク」
頂頭が隠されていても、まん丸い乳房の膨らみとその谷間の放つ濃い色香に、頭がくらくらしてきた。
「祐一さん」
「うぐぅっ」
「うふふ、お布団にどうぞ」
「は、はい」
俺の視線に気付いていないはずはないのに、秋子さんはのほほんとしているけど、何を考えているんだろう。
「……」
掛け布団を捲り、潜り込む。
「それでは、失礼しますね」
「は、はい」
秋子さんが上品に一礼して、掛け布団を持ち上げた。
「うふふ」
愉しそうに微笑んだ秋子さんが、滑り込むように布団に入ってきた。
「ぐふぅっ」
身を屈めた秋子さんの、紡錘型になってたゆたゆと揺れる乳房も、その先端の桜色の突起も、何も見えなかった！
「うー」
秋子さんがもぞもぞと寝心地を整えて身じろぎをするたびに、腕や指を撫でていく柔らかな感触も、気にならない！
「ふー、はー、ふー」
ほんのりと薫ってくる、秋子さんの甘い女香も気にならない！
「…はふぅ…♪」
秋子さんの満足げな吐息が、首筋をくすぐっていくのも、気にならない！
新手の我慢大会の疑似体験をしている俺のすぐ脇で、秋子さんはのほほんと微笑んだ。
「明日はお休みですけれど、夜更かしはよくありませんから、もう寝ましょうか」
「はあ…そうですね」
電灯が消され、常夜灯のオレンジ色の光が淡く室内を照らす。
「おやすみなさい、祐一さん」
「はい、おやすみなさい」
「……」
「……」
「…すぅ…すぅ」
三分もしないうちに、隣の秋子さんから安らかな寝息が聞こえ始めた。
「ふう」
ようやく肩の荷が下りて安堵できたような、がっかりと拍子抜けしたような、微妙な心境だ。
首を曲げて、秋子さんの寝顔を見てみる。
「…すぅ…」
柔らかな寝息も幸せそうな寝顔も、可憐で幼く、とても俺と同い年の娘が居るとは思えん。ふっくらと丸いほっぺたや、今は伏せられている大きな瞳なども、下手をすれば二十代前半の女性のように若々しい。
そうかと思えば、すっきりと整った細い鼻梁や、薄い唇には、ある程度の熟年を経た色気があったりするから、ますます分からない。
「むう」
いかん、秋子さんの美貌を見つめていたら、また変な気持ちになってきた。でもあいにく、俺は眠っている相手に悪ふざけをする趣味嗜好は持ち合わせていない。
「寝よう」
布団にもぐり込み、秋子さんの女香から逃れるよーに躰を壁際に寄せて、眼をつぶった。
「……」
カチコチと時計の秒針が進む音と、秋子さんの微かな寝息が、規則正しく聞こえてくる。そろそろ眠くなってきたかな、と思い始めたころ、
「……………ぁふ」
「？」
いま、妙な声が聞こえたよーな。
「気のせいかな」
「……ん…くふん」
「……」
「…ぁふぅ…んっ、くぅん」
「……」
「はあっ…んっ、んふ、ん、んんっ…あっ」
明らかに気のせいではない。
「……」
気が進まないまま、首を横に傾ける。
「あっ、はあっ、はあ、ああっ…あん、ああ、あぁん♪」
秋子さんは瞳を閉じたままほほを赤らめ、うっとりと顔をほころばせながら、甘い喘ぎ声を上げていた。
「あの、秋子さん」
「はぁ、はぁ…んっ、うぅん、んっ、んふっ…はぁ、はぁっ、あぁ…っ」
「秋子さんっ、ちょっと」
「はぁっ、あっ、あぁっ…はぁっ、ぁはぁっ、ぁはぁっ、はぁぁっ、あっ、あっ、あぁんっ♪」
「ううっ」
秋子さんの寝息とゆーか寝言とゆーか、とにかく色艶に満ちた嬌声が、脳内に染み込んできた。…いかん、このままでは俺の躰か理性か、どっちかが崩壊する。
「すみません、秋子さん。起きて下さいっ」
秋子さんの肩を掴んで、軽く揺さぶる。
「んっ、んんっ…あっ、あぁんっ！ はぁっ、あっ、あんっ、あんっ、ああんっ」
秋子さんの頭が左右に揺れて、前髪がさらさらと流れる。ついでに、何故か喘ぎ声が大きくなった。
「あっ、あっ、ああ…っ、はぁっ、はぁっ、ぁはぁっ、はぁっ、はぁっ、あっ、あっ、あはぁんっ♪」
まぶたを伏せたまま、恍惚とした表情で、切羽詰まった嬌声を上げ続ける秋子さん。
「もしもーし、秋子さーん！」
「はぁっ、はぁっ、ぁはぁっ、あっ、あっ、ああ、はぁっ、あっ、ああっ…！」
布団の中で、秋子さんの肢体が妖艶にくねる。薄く開いた唇から垣間見える舌が、扇情的に震えるのが見えた。
「はぁっ、はぁあっ、あぁっ、あっ、あぁっ、あっ、あっ、ああんっ！」
やがて、秋子さんの身悶え方が激しくなり、それに合わせて、声が大きくかん高くなってきた。
「はぁ、はぁっ、あっ、ああっ、あ…っ」
喘ぎ声が小刻みにひきつり、溜めるように間を置いてから、
「…あっ、ああ、あぁあぁ―――っっ」
一際大きな歓声と共に、秋子さんの躰が弓なりに仰け反った。
「あっ…ああ…はぁぁっ…」
しばらく仰け反ったまま硬直していた秋子さんの躰が、布団の中で弛緩した。
「ん、ん…ぅふぅ…♪」
うっとりと顔をほころばせた秋子さんの唇から、満足げな吐息が漏れ出る。
「…………すぅ…すぅ」
秋子さんはまた穏やかな寝顔を浮かべ、安らかな寝息を立て始めた。
「……」
「…すぅ…」
秋子さんの寝顔を覗き込む。無垢で柔らかな表情からは、ほんの数分前の激しい嬌悶ぶりの片鱗も見出すことは出来ない。
「はあ」
また疲れてしまった。秋子さんは大人しく寝入っていてくれたみたいだし、さっきのは寝言のようなものだと思うことにしよう。我ながら、無理がありまくるけど。
「寝よ」
秋子さんの肩に掛け布団をかけ直して、布団にもぐり込む。
「…ふわあ」
そろそろ、本格的に眠くなってきた。
秋子さんの持ってきてくれた布団と、秋子さん自身の体温のおかげで、すこぶる温かいし、これならぐっすり眠れそうだ。…秋子さんが何もしないでいてくれれば。
「よいしょ」
枕に頭を埋めて、眼を閉じる。
「…ん」
もそもそと布団が動いた。
「？」
見ると、仰向けに寝ていた秋子さんの顔と躰が横になって、俺に向けられている。寝返りをうったらしい。
「……」
なんとなく嫌な予感がして、秋子さんから離れるように躰を壁際に寄せる。
「…うぅん」
ずりっ、と秋子さんの躰が俺に向かって転がってきた。
「……」
嫌な予感が、ますます大きくなる。
寒さを覚悟して、ベッドから逃げ出そうかと考えた瞬間、
「…んふぅ」
予備動作もなく伸びてきた秋子さんの両腕に肩と腕を掴まれ、捕まった。
「あっ」
すさまじい力で引っ張られるのと同時に、秋子さんの躰が寄ってきて、ぼふっと柔らかな衝撃と共に俺と秋子さんの躰がぶつかる。
「ぐあっ」
「…ん、んん」
俺の肩と腕を掴んでいた秋子さんの手が一旦離れ、背中に回されて、抱きすくめられた。
「…ぅふぅ…」
秋子さんの満足げな吐息が、俺の首筋をさわさわとくすぐっていった。
「秋子さんっ、ちょっと…」
目の前に迫った秋子さんの美貌に向かって、呼び掛ける。無論、返事はない。
「…すぅ…すぅ」
「すぅすぅじゃなくてっ」
「…くー」
「くーでもないです」
でも、ちょっと可愛かった。…いや、そーじゃない。
「ううっ」
ぴったりと寄り添った秋子さんの柔らかな肢体から、ほのかな温もりがじんわりと伝わってくる。さらに、鼻先が掠りそうなほど近付いた秋子さんの綺麗な寝顔と、甘い女香の波状攻撃に、頭がくらくらを通り越して熱くなってきた。
「んっ、んふ…う、うぅん♪」
秋子さんが色っぽく鼻を鳴らし、もぞもぞと躰を動かす。押し付けられた乳房が、むにむにと波打つように形を変えているのがはっきりと分かった。
いかん、このままでは大惨事になってしまう（←？）。
「ぐぬぬっ」
躰をよじって逃れようとしたが、俺の背中をフックした秋子さんの腕はビクともしない。
「ぬおお」
腕を動かして振り払おうにも、秋子さんに関節技を極められていて、力が入らない。
「ぐおーっ、ぬおーっ」
「…すやすや」
秋子さんは平和そうな寝顔のまま、健やかな寝息を立てている。
「ぐぐぐ…ふう、はあ」
力尽きて、大きく深呼吸をしてしまい、華の匂いのような甘い空気を肺いっぱいに吸い込んでしまった。
「ううー」
仕方ない。もうこの状況を受け入れて、寝てしまおう…と、前向きなのか後ろ向きなのかよく分からない結論を出して、眼を閉じようとしたのと同時に、
「…………んふ…」
秋子さんが甘く囁きながら、俺の顔に唇を近付け、
「んっ…ちゅ」
ほっぺたに、温かく湿った感触があった。
「…ん…好き♪」
「……」
ちょっと待て、これはいくらなんでも行き過ぎではないかな、と覚めた考えを空回りさせる俺。その間にも、
「…ん、ん、うふん…ちゅっ、ちゅっ、…ぅん、んん」
うっとりと顔をほころばせた秋子さんが、何度も俺のほほや鼻先にキスの雨を降らせている。
「はぁ、はぁ、ああん…んちゅっ、ちゅっ、んん…っ、…んふ、ぅん、んっ、んっ」
いつの間にか秋子さんの脚が俺の腰に絡み付き、完全に抑え付けられていた。
「んっ、んふ、うぅん…んっ、んちゅ………はぁ、ふぅ…好き、好きです…♪」
切なげに眉根を寄せながら、甘えた声音で囁き、うずうずと躰をくねらせる秋子さん。
「…んん、ふっ、うふん…うふふ…」
秋子さんの肢体が、ごりごりと俺の躰を圧迫する。
「うー、あうー」
落ち着け、騙されるな相沢祐一！ 目の前にある事象を盲信してはいけない。これは夢だ。…夢だから、何をしても許される…って、駄目だぁーっ！
「ぬうおー」
……朝は、朝はまだか―――――――っっっっ！
「はふん♪」
・
・
チュンチュン、チチチ。窓の外から、スズメの囀りが聞こえる。
「…朝、か」
ぐらぐら揺れる視界でなんとか朝陽を見出し、呟いた。
「ふう」
秋子さんの抱き枕状態のまま一夜を過ごし、精と根をすり減らしながら理性を保ち続けた自分を誉めたやりたい気分だ。…チキンのよーな気もするが。
「んっ…んん」
秋子さんがのどを小さく鳴らして、ゆっくりとまぶたを開いた。
「はあ…あ、おはようございます、祐一さん」
俺をみとめて、にこっと微笑みながら朝の挨拶をする秋子さん。
「おはようございます、秋子さん」
しばらくぼんやりと俺を見つめていた秋子さんは、おっとりと微笑んで、
「祐一さん、昨夜はよく眠れましたか」
「……。いえ、あんまり」
と言いますか一睡もしてません、と心の中で付け加える。
「まあ、そうなんですか」
秋子さんはほほに手を添え、気遣うように俺の顔を覗き込んだ。
「…やっぱり、私がご一緒していたせいですか？」
気落ちしたように瞳を伏せ、小声で呟く秋子さん。
「え？ ええと…そういうわけでもないですけど」
秋子さんがいたことは、たぶん直接の原因ではない。
「……」
秋子さんは思慮深い表情で、何か考え込んでいる。
「あの」
俺が呼び掛けようとしたのと同時に、秋子さんは顔を上げた。
「分かりました。…取り敢えず、祐一さんはお休みになって下さい」
「はあ」
何が取り敢えずなのかよく分からないが、お言葉に甘えることにしよう。眠いし。
「…ぐう」
・
・
「あー、いい湯だった」
風呂から上がり、居間のソファに腰掛けて一息つく。結局今日は昼近くまで寝てしまい、一日の大半を無為に過ごしてしまった。
「湯冷めする前に、部屋に戻るか」
風呂に入る前に、秋子さんが冬用の布団を用意してくれると言っていたし、今夜は昨日みたいなことにはならずにすむだろう。
「どれどれ」
部屋に入ってみると、ベッドの上に布団がどんっと鎮座していた。
「おお」
わざわざ俺のために用意してくれた秋子さんにお礼を言いに行こうかとも思ったが、こんな時間にお邪魔するのも迷惑かもしれない。明日の朝一番に、お礼を言おう。
近付いて見てみると、羽布団だろうか、やけに厚みがある。
「何枚あるんだ、これ」
独り言を呟きながら、何の気なしに掛け布団を捲ってみた。
「お待ちしていました、祐一さん」
「……」
ばふっ。
「きゃっ」
「……」
捲った掛け布団を元通りにしてから、天井を見上げてゆっくりと深呼吸する。
「すーはー、すーはー」
いま、生まれたままの姿の秋子さんが、シーツの上で丸まってえん然と微笑んでいたような気がしたが、俺の気のせいだろう。
「ふっ」
幻覚を見てしまうなんて、疲れが溜まっているんだろーか。ははは、最近仕事が忙しかったからなあ（←混乱気味）。
「さてと、寝るか」
捲り。
「うふふ」
ばふっ。
「きゃん。…またですか？」
秋子さんの声が聞こえるけど、気のせいだろう。
「……だああっ」
いい加減、現実逃避するのも面倒になり、三たび布団を捲る。
「うふふ」
秋子さんは目映い裸体を惜しげもなく晒しながら、のほほんといつもの笑顔を浮かべていた。
「……」
ひょっとしたらこれは夢で、俺はまだ朝の目覚めも迎えていないのではなかろーか。そうだ、そうに違いない…と信じてもいない奇蹟にすがってみる。
「祐一さん？ 天井に何かあるんですか」
「いえ、何もありません」
秋子さんの声音で、俺の希望は打ち砕かれた。
「さ、祐一さん、いらして下さい♪」
にっこり微笑みながら、優雅な仕草で腕を開く秋子さん。豊穣な乳房が、ゆさゆさと揺れ動く。
「いらして下さいじゃなくてっ！ 秋子さん、どうしてここに居るんですか」
秋子さんは呑気そうに微笑んだまま、ほほに手を添えた。
「あら、祐一さんがお訊きして下さいませんでしたから、説明しなくても宜しいと思っていたんですけれど」
「よろしくありません」
取り敢えず、秋子さんの肩まで掛け布団を持ち上げて、これ以上刺激的なモノが眼に入らないようにする。
「祐一さん。昨晩は、私の寝相が悪いせいで、ご迷惑をお掛けしました」
「はあ」
あれが寝相というのは、無理があるような気もするけど。それに、そこそこ気持ちよかったし。…すいません、嘘です。かなり気持ちがよかったです。
「祐一さんを勝手に抱き枕にしてしまって…申し訳のしようもありません」
「ええと…いいんですよ。気にしないで下さい」
「いいえ、そういうわけにはまいりません」
秋子さんは毅然とした表情でそう言うと、躰を起こした。減り張りの利いた裸身が、また露わになる。
「あああっ」
秋子さんはちょこんとシーツの上に正座をして、
「ですから祐一さん、今夜は私を、肉布団として扱って下さい」
刻が停まる。
「…ニクブトン？」
「はい」
秋子さんはにっこり微笑んで、うなずいた。
「肉布団というのは…」
「いえ、説明は要りません」
細かく説明し始めようとした秋子さんを、慌てて止める。
秋子さんはほほに手を添え、いつもと全く変わらない表情でのほほんとしている。
「昨夜は私が祐一さんを抱き枕にしてしまいましたから、今夜は私が祐一さんの肉布団になります。これで、おあいこですね」
「あいこじゃないと思いますけど」
「いいじゃありませんか。…さあ、そういうことですから祐一さん、いらして下さい♪」
にこっと微笑みながら俺の手を取り、ぐっと引っ張る秋子さん。
「え！？ ちょ、ちょっと、秋子さん…ああっ」
不意を突かれ、そのまま布団の中に引きずり込まれた。ぼふっと柔らかい感触と共に、顔面が秋子さんの乳房に埋まる。
「うふん♪ ようこそ、いらっしゃいました♪」
秋子さんは歓声をあげると、器用に躰をねじり、俺を組み伏せた。
布団の中にこもった秋子さんの体温、女香、そして躰に密着した柔らかみに、頭が急速に熱くなる。
「あ、秋子さん！ 待った、待って下さいっ」
「うふふ、いいじゃありませんか」
秋子さんは可笑しそうに微笑んで、俺の顔を覗き込んだ。
「祐一さん、私を掛け布団としてお使いになりますか？ それとも、敷き布団になったほうが宜しいですか？」
きらきら輝く瞳で俺を見据え、とろとろに甘えた声音で囁く秋子さん。
「あ、あうう」
「うふふ、さあ祐一さん…」
秋子さんの唇がほほに触れた途端、頭の奥で何かが弾け、千切れ飛んだような気がした。
「…あっ、秋子さんっっ」
がばっ。
「きゃんっ。…あらあら、先ずは敷き布団ですね？ …………あっ、ああん♪」
世界に一つしかない高級布団の手触りを、全身で味わう。どこもすべすべとなめらかで、ふかふか柔らかく、そのうえ温かい。
「はぁ、はぁ、うふん…うふふっ、そんなに慌てなくても、夜は長いんですから…あ、あ、ぁふぅ♪」
「秋子さんっ」
もがもが暴れているうちに羽布団が蹴飛ばされてベッドから落っこちたが、気にしない。
「ゆ、祐一さんっ…あっ、ああっ、あんっ、あんっ、あんっ、あぁんっ♪」
・
・
「うふふ、祐一さん。冬の夜は、布団にくるまって熱く過ごすのがいいですよね♪」
「そうですね」
「…うふん…熱くして下さい、祐一さん♪」
「はいっ」
冬の夜は、まだ終わらない。
おしまい
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