sTrAwbErRy FiElDs fOreVeR
「メンバーはどうすんだよ？」「まず俺とお前」「俺は楽器できねぇよ」「だからボーカルをやればいいんだよ。俺はベース弾くから」「おめぇ弾けんのか？」「少しは弾ける」「で後どうすんだ」「片山がドラムでアングがギター」「大丈夫か？」「絶対大丈夫だよ。パンクバンドってことにすりゃあいいんだから」「なんでパンクバンドだったら大丈夫なんだよ」「パンクはへたくそなほどいいんだよ。真実味がある、とかなんとかいって」「そんなもんかい」「そうなんだよ」
町田康『人間の屑』
Track 1 White Name/Snow Name
スケートボードがコンクリートに緊急着陸する。勢い余って、カオリが口裂け女のように気味の悪い笑みを浮かべ――やっちまったと、中指を立てたかと思ったら、灰色の地面に転んだ。
ごろごろと、ボードが地面の凹凸に感応するように音を立てながら、５メートルくらい滑る。
それを見てナユキが上品に笑う。
そして冷水のような真顔に戻った。
「やめなよ。カオリみたいな優等生には似合わない」
「うっさいわね。栞にcoolなとこ見せたいのよ」
カオリは正直だ。その言動は傍から見ればイカレちまったようにしか見えない。やけに正直な要望の言葉を添えて、今日もナユキを呆れさせる。
もちろん、俺、相沢ユウイチだって呆れかえっているわけだが。
「カオリ、いい加減ナユキのいうこと聞き入れて諦めろって」
俺は地べたに座り込んで胡坐をかき、膝に肘をつき、カオリを見上げた。
「あたしには才能があるのよ。それを摘み取る気？」
「crazyだっていわれただけじゃない？ カオリはからかわれているだけなんだよ」
ナユキは説き伏せる気もなく、これで確か３度目の言葉を吐いた。
「そうだー。栞だってカオリが怪我すんの見たくねーはずだぞ」
見てて痛々しいし、実際カオリは怪我してる。
「栞に見せるときは、これがすべてperfectなのよ」
カオリの腕前なら、そこまで辿り着くことはあまり難しくないらしい。ただ、カオリの場合は、栞を外に連れ出そうと躍起になっていて、それの成れの果てが、スケボーというあまり好ましい展開ではなかったのだ。
「もう知らないよー。どうなっちゃったって」
ナユキが立ち上がる。
「帰るね。ほんとに帰っちゃうよ」
「bye-bye」
カオリの冷淡な対応に、む〜っとひとつ唸って、肩を落としたと思ったら、水瀬家の方角へと歩き出した。どうやら本当に帰ってしまうらしい。
カオリはそれを気に留めることもなく、また滑り始める。
「ユウイチもいこ。「練習」の「邪魔」だし」
嫌味ったらしく強調してカオリに舌を出す。べー、と。
「俺、デパス飲んでちょっと気だるいんだ。動きたくない」
「だいじょうぶ？ 肩、貸そっか？」
「ちょっと休んでから帰る。ナユキは先に帰れ」
「だめだよ。わたしがお母さんに怒られちゃう。「不調時のユウイチさんをひとりにして帰ってくるものがありますか」って」
「俺は子どもじゃないよ。それにそんなに頼りなくもない。単に調子の波の下降時にいるだけなんだ。そして波というものは誰にだってある。俺だけ誰かに甘えてちゃ、いけないだろ？」
「ユウイチは病気なんだから仕方ないよ。こころの病気なんだから」
「だからこそ甘えちゃいけないんだよ」
「甘やかしているつもりはないよ。それにユウイチを見限っているわけでもない。こうしよう。わたしはユウイチと帰るのが楽しいから、一緒に帰る。病状がどうだからとかそんなのはなしで、ね」
がらがらとゆったりとしたスピードだとわかるボードの滑る音が近付いてくる。
「あんたら、邪魔。ふたりとも帰りなさい。そう、「一緒に」しかも、「ラブラブモード」で」
カオリがわざとらしく憮然とした表情で告げる。気を使わせて悪いと思った。
「ラブ、って。そんなんじゃないよ。わたしユウイチを心配して……」
ナユキは俺をやっぱり「心配」していたらしい。結局はそれなんだ。俺は病人。本心ってやつは結構人を傷つけるものだとわかっていても、やっぱりつらいもんだな。
「あんた、さっきといってることが違うわよ。気をつけなさい。そんなことはいいから帰りなさいよ。あんたらに揶揄されるのうざったいから」
カオリは最初、俺たちが栞の代わりだといった。栞に見せるつもりでいるらしいから、誰かがいたほうがいいということらしかったが、今ではその意見も翻されている。カオリだっていってることが１８０度逆だよ。まあ、俺たちもやめさせようとばかりしていたのだから、うざったく思われても仕方ないのかもしれない。
「ユウイチ。肩は貸さないから、手を繋いで帰ろう。そのほうがわたしに都合がいいから」
「ひゅー。みせつけないでよー」
「カオリうるさい」
俺は頭を掻いて、いつもと違うことはしたくないと手を振った。
「そっか……」
ナユキはどことなく寂しそうだった。
Track 2 Rave/Rape
わたしは自室でけろぴーを抱いたまま、ベッドに寝転がった。
他人が殺されるのを見て喜ぶ人間はいない。だが、誰かが手酷く殺されるのを見ることでしか、自分が生きているということを実感するしかない人間がいる。
身近なひとが死ぬのはとても嫌なことだ。
でも、遠くはたくさんあって、そこでたくさんの人が死んでいるのには平気な顔でいられる。
だけど、TVで、新聞で無残に殺されている人を知ると、たちまちにしてその距離は変化してしまう。もちろん近くなってしまうのだ。
カオリがわたしの家に来る。それからビデオを鑑賞するのだ。そして、その内容は「死」と密接なものだ。ホラー映画。そうだ、まだその死は遠くにしかないから、わたしにとって、ホラー映画に過ぎない。
興味本位で覗くには、精神的リスクが大きすぎる。カオリから聞いた話によると、そのビデオの「悲劇の主人公」は、白人ながらもユウイチとそっくりなのだという。
「ユウイチが殺されるんだぁ……」
わたしは静かに興奮していた自分に気付いた。
カオリが来るまでの時間を、けろぴーを弄びながらボーっとして過ごした。ときどきこのふさふさのカエルを、ユウイチに見立ててじっと見つめてしまうことがある。だってユウイチは、わたしが見つめると、すぐにふざけて冗談をいってしまうから、ときどきはおとなしいユウイチが欲しいんだ。
カオリのお父さんが海外の裏の市場で手に入れたらしいスナッフビデオを、カオリがそっと書斎から失敬して持ってきた。
スナッフビデオとは幼い子どもが、特異な性的嗜好を持つ者の欲望の犠牲となって成り立っている物だ。
説明すると、いたいけな子どもたちが、残酷にも暴力を加えられ、同時に性的な虐待を受け、最後には殺されるというものだ。
つまり、子どもがいたぶられる。変態が喜ぶ。子どもが血を流す。変態が興奮する。子どもが殺される。変態が昇天する。という捉え方で、大体合っていると思う。
最初は正直乗り気ではなかったけれど、犯される男の子がユウイチに似ているらしいことには興味がいった。だから結局見てみることにした。ユウイチを好きだから。
カオリは悪趣味だと思うが、それでもユウイチが辱めを受けて――殺されるところを見たかった。
「ナユキも悪趣味ね。どうせなら本物をヤっちゃう？」
あははと気のない笑いを漂わせるカオリ。
正直今の自分には笑えない。だって殺して自分のものにしたい気持ちは本当だから。
「デッキどこよ？」
当然のように訊いてくる。
「カオリはめくら。テレビの下にあるものが見えないの？」
「探すのめんどい。あー、それと差別用語よして。いくらあたしが狂っているからって、なにもかもの価値観を消化してしまうほどのモンスターじゃないから」
「カオリよくきちがいっていうじゃない。それはいいの？」
「きちがいくらいよくいうじゃない？ 少なくともめくらよりかは」
「おかしいよね？ きちがいはよくて、めくらはよくないって。まったく理解に苦しむよ」
「あんた相沢君のことをいわれたつもりになっているんでしょ？ あまり気にしないほうがいいわよ。まあ、あたしは相沢君のことを知ってから、そういう言葉に怒りを強く感じるようになってきたけれど。なにも知らない人はなにも知らないのよ。きちがいだとか、精神に関することには幾分か甘い今の社会を恨むことね。そのときにはあたしも一緒に憎悪してあげるわ」
「それじゃあまるでユウイチがそうみたいじゃない？」
「んー、じゃあ、こういうのどうかな？ ひとは誰もが狂っていて、戦場で逃げた歩数が五十歩だったり百歩だったりする数よりもっと差なんかなくて、一万五十歩と一万百歩だったりするというのは」
「差を作っちゃいけないの。そういう区別が差別なの。どちらにしろ、五十歩多く逃げたことは事実じゃない？ 人はあくまでそれを気にするの」
「人間って難儀なものね。あたしはどっちでもいいのに」
「だから、両者とも一万歩逃げたってことにすれば問題はないんだよ。つまり、ひとはみんなおなじくらいずれてて、同じくらい狂っていて、同じくらい正気なの。そしてこれが事実なの」
「そういうことね。意味のない言葉ということよ。聞き流すなり、読み流すなり、また、怒ったりできる実質の権利と余地を用意すべきね。だって、本当になんの意味もないものだから。ただ、一部の心無い人が、その答なき問いを考えさせようとして、弱い人に言葉を吐きかけているだけじゃないかしら」
「そしてわたしたちも、気付いたらその一員なのかもしれないんだね」
「そのときは自分に対して怒りを感じなくてはいけないわ。それも、適切にね」
「……わたしたち、もしかしてこれから起こることに怖気づいているのかな」
「……見るんじゃないの？」
「あー、話逸らしたー」
「わかったわよ。わかった。もういわない。あたしがそういう言葉使ったから、ナユキもわたしに使った、そういうことね」
「あー、それだとちょっと申し訳ないかな」
「いったいどっちなのよ」
「とにかく、よくないよ」
「まあ、あたしもそう思うわ。良心がわずかにある限りね」
間を置いて告げる。
「だけど、これから見るものに対しては良心なんてもの必要ないの。あたしには悪趣味さ、あんたには無頓着さが必要なのよ」
カオリのビデオは、もちろん一般向けには販売されていない。結局、人が死ぬ映像なんて誰も見たくないということだ。
一回きりの死。その一回きりをテープのなかで見たカオリと、ユウイチのこれからありえるひとつの可能性を見たいわたし。どちらがどれくらい狂っているのだろう。
「アシッドある？」
カオリが真顔で告げる。
「ないよ」
「最悪」
デッキにテープが吸い込まれていく。あの黒いテープのなかに「死」の瞬間が刻まれていることを考えたら、背筋が凍りつきそうになる。
でも、こういうものは「ほんとにあった怖い話」と同じで、「こんなのあるわけがない」と遊びのように怖がりながら楽しむものなのだろう。
――そうなんだ。わたしがユウイチを好きな気持ちが曖昧なように、このテープに映されたものが事実だということもきっと曖昧なんだ。だって、こんな悪趣味なもの、信じられない。
TV画面に砂嵐が映し出された。
少しして、始まる。
少年のプロフィールが表示される。主に身体的特徴が解説される。瞳はブルーで、髪はブロンド。もちろん男の子だ。名前はジョンというらしい。ありきたりだ。
ピントが合わない映像の先に、裸の「ユウイチ」がいた。
そして、撮影者の手によって、ピントが合わせられた。
「なんかホームビデオのような感じだね」
わたしは息をのんだ。
「だって個人撮影だもの。それよりさ……結構相沢君に似ていると思わない？」
「うん、似てるよ。ユウイチが白人に生まれれば、きっとあんな感じだよ。いじわるそうな顔つきなんかそっくり」
「でしょ？ あー、これが撮影された目的がわかってるのなら同情は禁物よ。だって、
「この子はもうこの世にいないんだから」
あ、こっちがヤるひとよ。レイプして、殺す役のひと」
カオリが画面に指を指す。
そこには逞しい黒人の男の人がいた。彼は裸になっていた。用意周到だ。
白人撮影者の命令によって、ビデオの中のユウイチが様々なポーズをとらされる。撮影場所はアメリカかどこかにある平和な一軒家にしか見えない。家具だって、綺麗なものだ。
このユウイチはこれから自分がされる仕打ちを知っているのだろうか。
撮影は二人組みで行われている。さっきカオリが殺す側だと説明した黒人のほうがユウイチに近付く。
ユウイチが脅える。さあ、始めて。早く始めて！ わたしは念じる。ユウイチを強姦したい！ わたしの変わりに、そのはちきれそうなモノでユウイチを制圧して！
Start party!
笑い声が聞こえた気がした。わたしはそのときから、過去の水瀬ナユキじゃなくなった。
……。
……。
……。
ビデオがすべて再生し終わった後の砂嵐が、画面に表示された。最後に、イってしまったようにしか思えない目の黒人が、切断されてばらばらになったユウイチの突起物を舌で弄んでいたのが脳に焼き付けられた。
「ユウイチがあんなふうに滅茶苦茶にされるんだ。そしてわたしにもできるんだ……」
「ナユキ。あんた……面白い冗談をいうわね」
「うん。覚醒したよ。わたしは覚醒したんだよ」
「アシッド喰ってたら、あんたはすぐに相沢君の部屋に飛び込んでいったんでしょうね」
「さあ、どうかな」
Track 3 Bollocks/News
わたしが水瀬家の階段を上ると、そこにユウイチがいた。
「ユウイチ、調子どう？」
するとユウイチはビデオを持った手を前に出した。あのビデオだ。ユウイチがわたしの部屋に入った？
「このビデオは何だ……？ ナユキ、俺を苦しめて楽しいか？ 答えろ、答えろっ！」
蒼褪めた顔で怒るユウイチは、ビデオで血を流しすぎて、血の気が失せていったあの少年に似ていた。もともと顔が似ているからそう思うのだろう。
「ユウイチ……わたしの部屋に勝手に入ったの？」
「お前がノートを持って行っていいっていったんじゃないか！ そこで見つけたのがこれだ。なんなんだ、これは」
まだ冷静に受け答えをしなければいけない。たぶん中身を見てしまったのだろうが、それはユウイチの口から告白させなければいけない。
「なにって……ビデオテープだけど……」
「なんでお前が、こんなものを持っているんだ。お前……俺がアメリカでジョンの代わりにされた仕打ちを知らないから平気でこんなことができるんだっ……！ お前は……お前は……クソ！ 俺が貴婦人という人物に虐待されていたことを知らないんだ、お前は。そして、そのとき、本来ならジョンが犠牲になるはずだった。俺が庇ったんだ」
わたしは冷静に対処した。冷静とはとぼけることに違いない。
「なんのことだかわからないよ。貴婦人？ ジョン？ ユウイチがアメリカにいた頃の話？ わかってるよ、酷い目にあったんだってことなら」
「ならなんで、こんなものを持ってるんだよ……！」
「それはカオリのだし」
「じゃあなんでお前の部屋にあったんだよ？」
「借りたから」
「なっ……！」
「それよりユウイチ。ちょっと話があるんだけれど……」
わたしはユウイチを部屋に招き入れようとした。だが警戒していたのか、ユウイチの部屋でないとダメだといいだした。私はその要求に応じた。ユウイチはそれでようやくわたしに従った。本格的に話し合いがなされると思ったのだろう。
ユウイチは絨毯に胡坐をかいた。わたしはベッドに腰掛けた。
「ユウイチは今生きているよね？」
「そんなの当然だ」
「ならどうしてそんなに怖がるの？」
「思い出すんだよ。貴婦人に「お前なんかいつだって殺せる」と脅されたんだ。なのに両親はそんな嘘をつくなと相手にしてくれなかった。わかるか？ 誰にもわかってもらえずに、暴力にだけさらされる日々が」
「ユウイチはTVニュースの向こうで死んでいるひとにも、そんな風に感じるんだ？」
「な……！ それとこれとは別だろ！ 俺はお前があんなビデオを持っていることを問題にしているんだ」
「でもあのビデオはカオリのお父さんので、カオリ自身は結構前に見ていたんだよ。もちろんカオリのお父さんはそれより前に見ているってことになるね」
「それがどうしたっていうんだ。あんな酷いことが起こっているってことが問題なんだ」
わたしは溜息をついた。
「ちがうよ。あんな酷いことは今この世界のどこかで起こっていることなんだよ。それこそこの瞬間にも。なのにユウイチはそれには怒らないんだね。そう、ユウイチは今ここにビデオがあることを問題視しているんだ」
「……ああ、そうだ。そこまで割り切れるだけの器用さなんかないが、ナユキの考えかたを尊重して答えるとするなら、そうだ」
「それなら気にしないってこともできるはずだよね？」
「な、なんだって……あれは俺なんだ！ よく見れば俺に似ている。あれは俺に違いないんだ。それなのにお前は……お前はあれを娯楽としてみているんだよっ！ それを気にするなだと……！」
「ユウイチは生きているじゃない。ここに生きているじゃない」
「畜生……俺は生きている……でも、傷ついているんだ。なんのために薬を服用しているのかわからないのか！ あんなことが例え世界の裏側でですらも起こって欲しくないって祈っているんだ。なのに……お前みたいな変態がいるからっ……！ 変態だ。水瀬ナユキは変態だ。こんなやつが従兄弟だったなんて」
ユウイチは頭を抱えて崩れ落ちた。
「もう嫌だ……」
わたしはユウイチと目線を合わせようとしゃがみこむ。
「え、なに？ なんていったの？」
「嫌なんだよっ！ もう嫌だ。よしてくれ。出てけ！ もう俺は誰も殺さないし、誰にも殺されない。なにやってんだ。従兄弟だからって俺のこんなところまで踏み込むのかよっ！ いい加減にしろっ。この腐女子め」
「ゆ、ユウイチ……そんなはずじゃないんだよ。わたし、ユウイチを心配して……」
「ならその死んだ魚のような目はなんだ？ 貴婦人たちと同じ目だ。俺をなんだと思っている？ 俺が悪いっていうのかよ。俺が虐待されたのは俺に落ち度があるっていうのかよ。俺はここに療養に来た。なのにこのざまだ。いいか、秋子さんが帰ってきたら、すぐにこのことを知らせる。もう俺は被害者に甘んじない！ いいな、いやとはいわせないぞ」
「いいから落ち着いて……」
「なにが落ち付けだ！ じゃあ秋子さんが来るまでにあのビデオをとっととばらばらにしろ。クソ、騙された。お前の顔なんて見たくない。俺は二度と弄ばれないんだ。わかるな？ お前だって知ってたんだろう？ 俺がこの街になぜ来たのか。知らされていたんだろう？」
殺そうかと一瞬邪な感情が脳裏を掠める。それしかないと焦る。他に何か方法があるはずだ。きっと今の段階では見つからない何かがあるはずだ。
「ユウイチ。ユウイチは病気なの。ありもしないものを見ているの。でも心配はいらないよ。わたしがいるから。わたしがいたら、不安なこととか全部吹きとうんじゃうんだから。ビデオに怖い人たちがいたんだね。でも、ここにはいないよ。「いない」んだよ」
「しらばっくれるなよ……しらばっくれるなよ。俺は現実をちゃんと見ている。ビデオの中身だってちゃんと覚えているんだ。俺はちゃんと現実を見ているんだ。見ているんだ。……だろっ!?」
チャンスだ。すかさずそう思った。同意を求めたということは、少なからず動揺して、かつ、水瀬ナユキを必要としているということだ。
「ユウイチ、よく聞いて。ユウイチは間違ってる。わたしはなにもユウイチの気分を低めることなんてしていないの。ユウイチは多分夢を見ていたんだと思うよ。だって、ユウイチ、最近悪い夢ばかり見るっていってたじゃない。それなんだよ。わたしがユウイチのいうようなビデオをもっていて、そしてなにになるっていうの？ 気味が悪い。だよね？」
「ウゥ……ウゥ。おまえはうそつきだ、おまえはうそつきだ、おまえはうそつきだおまえはうそつきだおまえはうそつきだおまえはうそつきだおまえはうそつきだうそつきうそつきうそつきうそつき」
「目を覚ましなよ！ ユウイチはわたしが変態の仲間入りをしたっていうんだね。信じられないよっ。いい？ ビデオの中でも、もちろんユウイチが心配するように、この場所でも、誰も「殺されていない」んだよ。わかる？ 復唱して。そして誓って。もうナユキを疑わないって。お願い」
「そんなことあるもんか。そんなことあるもんか。俺は見た。見た……はずだ。そんな……見た、んだ。多分、多分、絶対、いや、多分。わからない。わからない。いや、多分、でも……」
笑いがこぼれそうになる。なんて精神薄弱なユウイチ。
「ユウイチっ。わたしがそんなことするはずないよっ。わたしはユウイチを「誰より」愛しているんだよ。それを知っていて、私を誹謗中傷するの？ いい、ユウイチの主張することはわたしを間断なく傷つけているんだよっ。なのに、ユウイチは平気なのっ！ いい加減にしてよっ」
「俺、俺、ナユキ、ナユキ、あんなのないよな。やっぱりナユキがいってたこと……いまいっていること、正しかったんだ。ごめん。でも、いや、ごめん。でも、いや、ごめん。許してくれ。でも……」
わたしは最後の一押しとばかりにユウイチの頬を張り飛ばした。脅えたように見上げる瞳に多少罪悪感が湧いて出たが、それより、ユウイチを洗脳できたことのほうの喜びが大きかった。
クスッと笑う。もちろんユウイチに対する「海より深い愛」からだ。
「ごめんナユキ。なぐらないでおねがい。なぐらないで、なぐらないで……もういやだ。服従します。「ぼく」がまちがっていたんだ……」
そしてユウイチは「惨めにも」泣きだした。わたしはまた「海より深い愛」から、ユウイチの頭をなでなでした。
「よしよし。わかればいいよ。ユウイチはもうわかってくれたんだね。さっきたたいたのはユウイチを愛しているからだよ。けして憎いわけじゃないの。だから安心して、ユウイチはわかってくれた。だからもう心配する必要なんてないんだよ」
ユウイチは「素直に」頷いた。そのしぐさがあまりにも愛らしかったので、わたしはユウイチを抱きしめた。
「ウゥ……ウゥ……」
わたしの腕の中で雨に濡れそぼった子犬のように震えるユウイチ。だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよと慰める。たぶんまだ納得がいかないのだろう。
「わたしと一緒にいさえすればなんのことはないんだよ」
Track 4 Flag/Frog
学校校庭。
「水瀬ナユキの旗が掲揚されつつあるのがカオリには見える？」
日本国旗が掲揚されているポールのてっぺん、つまり日の丸の上には星条旗があった。
ガソリンに濡れたポールに炎が走る。日の丸が燃やされた。燃えゆく旗に視線をやって、「見てて」と胸を張る。
半分焦げ付いた日の丸から、炎が星条旗に燃え移った。しばらくすると、ふたつの旗が燃え尽きた。
そして隣にあったポールにかえるのマークがついた旗が掲げられる。
「制圧、だよ」
カオリは風にはためくかえるを見て溜息を漏らす。
「おめでとう」
カオリは嫌味ったらしく告げると、首を振った。
「あまり嬉しそうじゃないね」
「相沢君という犠牲の上に成り立った国家に敬意は抱けないわ」
「ユウイチは身勝手すぎたよ。わたしの世界で勝手なことをするとああなるんだよ。ビデオテープこそが真実」
――ユウイチはわたしが制圧したんだよ。
わたしはこれをけろぴーフラッグと呼んでいる。いつか万国の国境は霞んで、なくなり、この旗が掲げられるのだ。カオリはけろぴーなんて恥ずかしい名前呼べないわ。フロッグフラッグでいいでしょう？ と、わたしを冷たくあしらおうとした。正直に白状すれば、フロッグフラッグのほうが語呂がいいと思った。だけど、物心ついた頃からけろぴーという名前はあったわけだし、フロッグではけろぴーの個性が失われるような気がした。
今、この旗が掲げられた。ビデオテープから抽出した無数の「白人の」「しかも、ブルーの瞳の」「ブロンドでさらさらの髪の」「ユウイチ」が、校庭でマスゲームを始めている。制圧、それから支配。
――穏やかかつ、機知に富んだ恐怖による支配。
「ナユキ。あんた相沢君をなんだと思っているの？ あんた相沢君を「普通に」愛したいっていってたじゃない。あれは嘘だったの。幻滅。いい？ あんたがやっていることは間違いなく「異常」なの。あんたは相沢君を支配するために、相沢君を人形にしようとした。人間が人間に支配されやすい状態は、あんたが相沢君にした仕打ちの後に、すぐに現われた状態よ。つまり、なにも正しい情報を与えずに「無垢」かつ「愚かな」理想主義者を作り上げることにより、人形が完成したのよ。あんたの勝手な妄想の犠牲になった人形がひとつね」
「それだって、「くだらなく」「取るに足らない」ながらも「人間」なんだよ。間違いなくわたしはユウイチを愛しているの。ただ奔放すぎるユウイチをありのまま愛せなかったってだけのこと」
カオリは校庭の地面に唾を吐いた。
「相沢君は検閲されるべき存在だったってことね。あんたの手によって改変されて初めて愛されるしかなかった存在だってことね。あたしなら相沢君のありのままを愛せたのに……残念ね。もう相沢君は弄くられて、まったく違った人物になってしまった。きっと向こうでパネルをひっくり返している白人の男の子が相沢君なんでしょう？ 反吐が出るわ。どうして好きな男の子を外人なんかにできるの？」
「単にきれいだからに決まってるよ。わたし、ビデオテープを見て悟ったの。あっちのユウイチが本物なんだって。ユウイチの魂はあっちにあるんだって。そして嫉妬したよ。どうしてユウイチをわたしの了解もなく「素敵に」「残酷に」殺せるの？ って。そしてそれは、テープを巻き戻せば何度だって繰り返されるんだよ。OneがZeroになる決定的な瞬間がそれこそテープがなくなるまで際限なく繰り広げられるんだよ。処女性が失われないの。この上なく純粋な記録なんだよ」
「あたしにはアレがお父さんが喜びそうだなって、あと、めずらしいものだって印象だけがあった。アレをナユキに見せたのは、興味本位からだったのよ。だけどあんたは狂ってしまった。そして犠牲者は相沢君となった」
「そうだね。そして次はアユちゃんが死ぬの。ユウイチの恋慕の記録をすべて消去するためにそうするしかないから」
「「アユちゃん」についてはあまり意見をもたないわ。ただ、前にわたしに話したよね。あの子を殺すって。どうぞやりなさい。気に食わないだけじゃなくて、あの子は死なないわ。あの子はもともと死んでいるから。幽霊みたいだって印象があって、あの子、死ぬって意味を理解していないわよ」
「心配しなくてもだいじょうぶ。確実に殺すから」
「あの子は相沢君が壊れてしまったことを知ったら同じように壊れてしまうわ」
「アユちゃんは馬鹿だから知ることもないんじゃないかな。いつものユウイチだって思うよ。むしろ優しくなったユウイチを喜ぶんじゃないかな」
「さあ、どうかしら？」
「どっちでもいいね」
「そうね。どうせ「死ぬ」。でしょ？」
「そうだね」
「相沢君はけろぴーを侮辱したんだったっけ？」
「そうだよ。けろぴーを辱めることは、わたしを辱めることと同義なんだよ」
「ナユキ……正直にいうと、あんた、尋常じゃないくらい狂ってるわ。ビデオを収集するお父さん以上にね。いいからよしなさい。戻ってこれなくなるわよ」
「アユちゃんのB5ノート換算にして、２０枚に及ぶ告発文書はわたしの手の中だよ。要約すると、「ユウイチ君騙されないで。ナユキさんは危険。きみのアユより」ということだったの。アユちゃんは教養がないから誤字脱字が酷くて、大意すら捉えられなかったかもしれないけれど、わたしがユウイチを騙しているってことは書いてあったよ。まあ、アユちゃんもよくそこまでわたしを観察したものだよねって感じ。もうすぐアユちゃんは「わたしの手によって」「殺される」わけだけど。なかなか面白い「遺言」を残したと思うよ」
あのとき、わたしが階段を上がると、なゆきの部屋と書いてあるプレートの下がった扉が微かに開いていた。
なかから蛍光灯の光が漏れていた。
それと、なにやら荒い鼻息が聴こえていた。
なんだろうと急いで駆け寄って、ゆっくりとドアのノブを握り締めて、中を覗く。
ユウイチはけろぴーと「交尾中」だった。
けろぴーの足の付け根辺りが無残に引き裂かれ、そこにはユウイチのモノが挿入されていた。
ユウイチは激しく腰を律動させて、ナユキ、ナユキと涙声で囁いていた。
泣いている？ どうして？
「わたしはいつだってユウイチとする準備はできているのに……どうしてけろぴーなの……？」
わたしは扉を開放する。
それに気付いて、呆けた顔でわたしを見つめるユウイチ。
「わたし、けろぴーなんかに負けない！ 見て、わたしを見て！」
ユウイチはわたしに「制圧」されたショックで心を失っていた。だから、欲望に訴えるしかなかった。
わたしはスカートをたくし上げる。
それでも戸惑ったままのユウイチを見て、わたしはけろぴーに負けたと悟った。
人間そのものより、作られた「人形」のほうが遥かに上質だということ。
わたしよりけろぴーのほうが、ユウイチの奔放すぎる「虹」を描ける、自由なキャンバスを持っていたということ。
Track 5 Death Parade
ナユキ：
もしもし。アユちゃん？
アユ：
う、うん。カオリさんから電話するようにって、そして、これがボクの命運をわけるって。
いったんだ。ボクはユウイチ君に愛されるほどじゅうぶんな人間じゃない、って。
ナユキ：
重要なのはアユちゃん自身がどれだけユウイチを愛しているかだよ。
愛が深ければ深いほど、返ってくるものも大きいんだよ。
アユ：
でも、きっとユウイチ君はナユキさんを好きなんだよ。
見ててわかるもん。
ボクなんかいつもからかわれてばかりで、恋愛対象としては見られてないよ。
ナユキ：
だからアユちゃんは心置きなくユウイチを愛せない、ということ？
アユ：
そ、そんなわけじゃないけれど。
ナユキ：
馬鹿にしないでよ……ユウイチは「最終的には」「わたしのもの」なんだよ。
ならアユちゃんがどう努力しても手に入らないはずのものなんだよ。
それなのに、アユちゃんがそんな態度だったら、それはユウイチもわたしも馬鹿にしているよ。
アユ：
ご、ごめんなさい。ボク……ボク……。
ナユキ：
萎縮したの？ ほら、なにかいったらどうなの？
当然ね。ユウイチだって、こんな弱いアユちゃんなんか好きになる可能性すらないよ。
アユ：
そうだよね。ユウイチ君に愛されないボクなんか……存在価値ないね。
ナユキ：
アユちゃん。もしかして死にたがってる？
アユ：
わからないよ。でも、ユウイチ君に愛されないボクなんか、生きていても仕方ないって思う。
だけど、死にたいとか、そういう感じじゃないんだ。ボク、幽霊なんだよ。
ナユキ：
幽霊？ お化け？
アユ：
そうなんだ。ボク、今までのような空虚さがずっと続くなんて耐えられないよ。
ボクはいずれ消える存在なんだ。
さがしものが見つかって、それから、ボクがいる意味がなくなっちゃうんだ。
ナユキ：
その前に私がアユちゃんを保存してあげるよ。
アユちゃんの胸いっぱいの衝動を保存してあげるよ。
アユちゃんの一番素敵なシーンを録画してあげる。そして、それは結晶となるんだよ。
アユ：
うん、わかったよ……。
ナユキ：
商談成立、だよ♪
奇蹟というものがあるとしたら、わたしはそれに唾を吐きかけるだろう。アユちゃんのいう「学校」の近くにあった小屋で、わたしはビデオから学んだすべてを注ぎ込むつもりだった。あるのは奇蹟じゃない。奇蹟なんて起きない。今からそれを証明する。
「アユちゃん。いい残すことは？」
古びたベッドに横たわっている少年のような身体つきのアユちゃん。わたしは欲情している。
「う……ん。なんだろう……ボク、死ぬことによって生きていたんだって証明されるのかな……って」
「わたしは少しでも生きているかもしれないって疑問を持ったなら、それは生きているって思うんだよ。でも、アユちゃんはそうじゃないんだね」
わたしは持ってきたジャムの瓶を取り出した。
このジャムにはね、鎮痛作用があるんだよ。だからこうしてアユちゃんが苦しまないように体中に塗り込んであげるの。あ、匂いは気になるだろうけど、がまん、だよ。でも残念なことにその効果は未知数なんだよ。お母さんね、このジャムには美容効果があるとか、防腐作用があるとか、血行促進の効果があるとか、聞くたびに違うことをいうんだよ。で、そのなかのひとつに、鎮痛作用があるらしいよ。まあ、嘘かもしれないけれど。アユちゃん、ふぁいと、だよ。謎のジャムって、そのまま謎なんだよね。でも、結局普通のジャムなんだろうけれど、なんだかこうしてアユちゃんの体に塗ると、神聖なものみたいだよ。
「うん、わかった。ちょっとぬるぬるして気持ち悪いけれど。はやく始めようよ。ボク、今いちばん「生きている」って感じがするから、醒めないうちに」
ナイフを取って大袈裟に振りかぶる。彼女は恐怖しているだろうか。
今日までに見つけるつもりだったのだろう、ねがいごとの人形が御守りのようにアユちゃんの隣にある。
わたしはそれを取り上げて、銜えてから噛み千切った。人形の首が切断された。わたしはそれを床に放ると、じりじりと踏み躙った。
「アユちゃん主演の、このスナッフビデオが『祐一』の目の前で「配信」されているよね？ 今こそ「Count／Repent」するんだよ。さあ、
Ready
３――
２――
１――」
ナイフが血を散らした。
「うぐぅゥぁぁァぁぁuguuAaaaAAhhhHHHHhHhhHhhァァあぁぁアaAaAAaaahHHhhあアぁァあぁうグぅゥぅあぁァぁぁぁァaaaAaAAaahHhhHHHhhHHhhhうグぁウぐうぐうがうガあァぁAaaAAAaHhhuGuuAHHHhアあああッぁぁァああアアぁぁアあぁaAaaaaahHhHHhhUguuあぐぁうウぐぅぁアアああァぁぁァあぁァぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うっわー。うぐぅ？ こんなときにも媚びてるんだー。ユウイチはここにはいないのにねー。それにもう二度とユウイチとは会えないのにねー。あ、もしかして生まれつきなの？ その、クソみたいな口癖。今そんなこと口にしても、それはわたしをムカつかせるだけだよ。あー、腹立つ」
始まった。鳥肌が立つ。なんて楽しいの。見ているだけじゃだめ。参加しなくちゃ。
狂いたい。
裂いた場所から噴き出してくる鮮血。
わたしは叫ぶ。
わたしは清められている。
アユちゃんが血を吐く。赤く濡れた唇がいとおしくて、キスをする。血の味。死の味。
「止めて欲しいって思ってる？ 馬鹿じゃないの。笑えてきちゃう。死ぬってこういうことなの。ほんと、救いようがないくらい頭悪かったんだね。死んだほうが正解だよ。わたしの愛するユウイチのためにもね！」
メッタ刺しにする。アユちゃんは気絶している。
狂宴は続いた。わたしは今、アユちゃんを殺すことだけに、深い喜びを感じた。
Track 99 Strawberry Fields Forever
再生。
血を流す部屋のオーディオ。表示部分に99とある。無音。しばらくして、「俺の」「悲鳴が」「聞こえ始める」
俺は狂っちまった。さっきナユキから電話があったよ。
これからアユを殺す、って。
理由は俺のこころがアユにあるからだって。
わけわかんねぇ。ナユキが狂っているのか、俺が狂っているのか。
――たぶんその両方だ。
俺はビデオのなかの相沢ユウイチかもしれない。
ナユキ、あいつはアユを本気で殺してしまっただろう。
アユの絶叫が電話越しに聞こえたんだ。
次は俺の番かもしれない。
怖いよ……怖いんだ。「本当に」狂ってしまいそうだよ。誰か助けてくれ。
秋子さん。助けてくれ。
俺が精神を病んでいるだけなんだって片付けないでくれ。
昔と同じだ、同じなんだ。
貴婦人に虐待された俺。それを相手にしなかった両親。
俺がいなくなったから、アメリカではジョンが俺の代わりになってしまっているのかもしれない。
畜生。畜生。ナユキは最低のやつだ。
ナユキさえいなければ、あのビデオさえなければ、こんなに傷つくこともなかったかもしれないのに。
俺は外へ出た。
もう水瀬家は安全じゃない。
俺は錠剤の副作用でふらついて、うまく走れる気がしなかった。
そして、景色が歪み始めた。
気のせいだって思いこもうとしても、それは次第に俺を蝕んでいった。
畜生。お前のせいだ。みんなお前のせいだ！ 畜生。畜生。畜生。
あのビデオのように、殺す側と殺される側の人間がいるとして、それが記録されたものである限り、「傍観者」が必ずいるんだ。
それがあんただ。いいか、俺はあんたが見えるんだ。気付くのが遅すぎた。
――そうだ、よく聞け、繰り返す。
「俺には「お前」が見えるんだ。お前に俺が見えるように」
お前は俺を嘲笑している。
お前は俺から目を逸らしたがっている。
お前は俺がごみみたいに排斥されればいいと思っている。
その前に、俺はお前を破滅させるだろう。
感じるだろ？ ナユキがアユを殺したように……いや、それ以上だ。もっとやばいことがおこるぜ。覚悟するんだ。そして泣きながら「悪魔に／俺に」忠誠を誓え。あんたを殺すことにかけちゃあ、俺以上の逸材はないんだから。俺はあんたを殺すために生まれ、憎悪を育むために「虐待／教育」されたのだから。
吐気がするだろ？ オーケイ。深呼吸するんだ。あんたはアユみたいに解脱の境地に達しなければならない。そうさ――苦痛を感じる隙間もないくらいに。
俺はあんたをコントロールするよ。航海士の指が南を指している。舵を取るんだ。あんたを打ちのめす。けろぴーフラッグを千々に切り裂くための練習台だ。散々愚弄した仕返しだ。俺は相沢ユウイチだ。あんたのダイスキな虐待の象徴である相沢ユウイチだ。旗を降ろすなら今のうちだ。俺は腕を伸ばす。もちろんあんたの首筋めがけてだ。俺は決して躊躇しない。俺という感染源は断てない。間違いなく俺とお前は繋がっていて「ひとつに」「なるべき」「なのだから」。俺は二度と殺されない。100万回生きたねこって絵本があるだろ？ 俺はたぶんそれ以上死んでるぜ。ビデオの中で、ナユキのなかで。決して穏やかでない死を体験しているんだぜ。
蝿が視界を遮る。それを手で払っても、まだ届かない、だが視界の中を飛んでいる。あんたの首筋めがけて伸ばした腕は、無数の蝿の跳ぶ中、Rapに刻まれたRhymeのように、チェインソウのように、カマキリの鎌ように唸りを上げている。
そのむこうの空は快晴。きれぎれの見えるか見えないかの雲が冬の空に停滞を望むように鎮座している。
Lyricが増殖して……ローティーンが強姦され……レコードが再生され……最後には殺され……。そしてニュースが放映される。俺はそれを眺めているだけ。キャスターが口にすることを耳にするだけ。
俺にはどうしようもない。高速道路の路上でつっ立ってる。思い出すよ。「おしいれのぼうけん」。たしか、夜中の高速道路に恐怖を感じるんだ。おかしいよな。それを見て以来、高速道路にはなにか禍々しいものがいるんだって思いこんじまった。
想像の中で全部が曖昧になっていく。そこでは様々な誤魔化しが罷り通ってしまう。
俺はいーち、にー、さーん、よーん、ごー、ろーく、しーち、と太陽の昇る数を、紛れもない日本語で数えた。
俺は中世の街並みにいる。俺はビデオのなかにいたあの少年のような自分を見る。
「死の行進（デス・パレード）に旗を振れ。水瀬ナユキ女王の凱旋だ！」
観衆が声を上げる。
透けるような肌に蒼い瞳の無数の俺に厳重に警備されて、着飾った女王が現われた。
緩やかな弧を描くように手を振る女王。もちろん天使の笑顔が添えられている。
民衆は旗と手を振る。
「水瀬ナユキ女王万歳。水瀬ナユキ女王万歳」
そして、いつもの声援を送る。
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
「ダオー、ナユキ！」
大衆は掛け声に合わせて、拳を振り上げる。
ナユキはそれに呼応するように拳を掲げながら、
「だおー！」
と勇ましく、咆哮する。俺はそれに畏怖の念を抱いた。
それがナユキの口癖である、「〜だよ」から望まれずに派生したことは、人々にはあまり知られていない。
ナユキだって全然改変されていないってわけじゃないんだ。むしろ内面においては俺よりも変化が激しいのかもしれない。ナユキの本性を知らなかった俺にいえたことではなかったが。
「俺も」「白人となって」パレードに参加している。磔にさせられたアユは髑髏とFUCK!という文字がデザインされたシャツを着せられている。首には有刺鉄線のような刺々しいデザインの輪がかけられている。いばらの冠が天使の輪のように頭部を被っている。それらがアユを束縛こそすれ、解放しているなんて嘘っぱちだって感じて、俺はやりきれなくなる。ナユキは相変わらず「だおー」とブロンドの後姿映えるユウイチの、行進の先頭のほうを見つめている。
ナユキの右の翼ばかりが力強くはばたいている。左側の翼は蒼褪めて大きさすら小さい。
ナユキがああだから、誰もが、俺の思想の大本である心臓が、右側に位置していたっておかしくないと思っているらしいけれど、人間の心臓ってのは左側にあるものだ。
なぁ、狂ってるだろ？ 正直にいっていいんだぜ。おかしいだろ？ なんだってこんなことになっちまったんだ。きっと俺とナユキは導火線という赤い糸で結ばれていて、必ずや心中する運命だってこと、どうして受け入れられるんだ？ そしてたぶん俺の頭の中には爆弾があって、条件を満たせば、ナユキから火がつけられて、俺は爆発してしまう。
俺は自分を取り戻す。畜生。なんださっきのは……畜生……俺の頭……どうなっちまったんだ。
また斜めに傾く。だけど、自分が傾いたのか、世界が傾いたのか、判断がつけられない。
観客席は安全じゃないぜ。お前はこの大気の中に漂う僅かなアユの死臭に気付かないのか？ 半狂乱の暴徒。あんたの意識の片隅でいつも隙をつけねらっているんだぜ。
また何か言葉が侵入してくる。それが誰のものかわからない。
わからない。わからない。わからない。クソ……殺してやる。誰でもいい、殺してやる。俺を苦しめる傍観者に銃口を向ける。
俺があんたを愚弄していたにしろ、あんたはそれを望んでいたんだ。わかるだろ？ 相沢ユウイチが貴婦人から受けた仕打ちがある限り、あんたは優越感に浸っていられるんだ。あんたは俺が籠の中の鳥だって思ってるんじゃないのかい？ それが間違いだってことはいずれ証明されるよ。あんたを滅ぼしてしまえば、それが可能なんだ。俺というスナッフビデオが映された画面（ディスプレー）から、マーク・デイヴィッド・チャップマンの銃口が、あんたの頭をブチ抜くために照準を合わせているのが見えるかい？
想像してみなよ。
想像してみなよ。
天国などない。
国家などない。
宗教すらない。
「John」が凶弾に倒れたことはあんたの死の予言だったのかもしれないな。今ならわかるよ。俺が水瀬ナユキという触媒に出会ったときから、あんたを滅茶苦茶にするんだって決まっていたんだ。俺は俺の銃を手にしたよ。あとはそいつの引き金を引くだけだ。愛しているからあんたを撃つ。そうだよ、あんたが俺を愛している限り。俺はあんたが「ダイスキ」だ。あんただって俺を好きでたまらないんだろ？ わかるぜ、俺はかつてないほどお前の存在を身近に感じているんだから。
国道６６６号線を俺のオープンカーが走っている。そして俺の頭の中には言葉の爆弾。今からお前のところに行くよ。この車は盗難車。俺の言葉ですらも。覚悟しろ、今からお前を殺しに行くから。
俺のMTV直伝の哲学に照らし合わせてみても、ゴーサインが出るのさ。
覚悟するんだ。いいか、俺が相沢ユウイチである限り、お前の脅威であり続けるんだ。よく聞け、お前が俺を間接的に虐待していたんだ。貴婦人の思想と同じものをお前は持っている。アホ面ぶら下げて笑ってろよ。そのままの表情で殺してやるから。そのままで待ってろ、いいか、お前を殺す。これは絶対だぜ。俺はお前のアドレスを手にしたんだ。俺は相沢ユウイチだぜ。決してお前の前に現われるはずのない相沢ユウイチなんだぜ。
夕焼けが俺の顔を照らしている。俺はもう誰にも命を弄ばれない。あの少年のように無残に切り刻まれるのはごめんだ。
俺を見続けたお前を殺して、記憶の流出を防ぐ。お前は俺。お喋りな俺。
俺という弾道がお前の所在地に辿り着くまで、俺はこのビデオを見続ける。ナユキがアユを殺っちまってるシーンだ。
助手席にTV。俺は信号機のランプが変わるのを待つたびにそれに目をやってる。
そうさ、俺はこの教典通りにお前を殺すのさ。ほら、俺を見ているお前にならわかる。お前はこんな風に殺されるんだぜ。ワクワクしないか？ ほんと笑いがとまらないぜ。
だが俺は事故に遭って死んでしまう。
俺の想像力の弾丸は、お前に届かない。
射程距離外の脅威。畜生、お前は安全なところで俺が苦しんでいるのを見て、笑っていやがるんだ。畜生、俺が心でお前を殺そうとするたびに、お前はほくそえんでるんだろうな。畜生、畜生。俺は死ぬことでしかお前から逃げられないのか。
ジョンのこと思い出すよ。やつは、自分は文章が下手だから人の心に訴えかける小説が書けない、っていったのさ。
だけど、楽器なんて弾けなくてもガレージを飛び出してロックスターにはなれるっていうから、文章なんか書けなくったって、小説は書けるって答えたんだ。やつはそれにいたく共感したみたいだった。そうだよな、そうだよな、って。今思えばアホだって思うけれど、やつに必要なのは初期衝動ってやつだったんだ。ああいう意見に同調するやつだから、本当に小説を愛好しているかどうかは謎だな。今も小説を書いているかわからないけれど、あのときの言葉があるっているのに、あいつ、ずっと書きつづけたんだ。持続的にだぜ、信じられるか？ 俺が帰国した後は関係が途切れちまって、その後のことは知らないけれど。もしかしたら、俺のいったことなんてすぐにすっかり忘れちまったのかもしれないな。
俺は理解した。
ジョンは俺だ。俺は決してジョンであることから逃れられやしないんだ。
俺のなかには天国も、国家も、宗教もないよ。
あるものといえば、きっとそれは「パブリック」な「イメージ」の「リミテッド」なんだ。
アメリカでいまだに貴婦人にジョンが「俺の代わりに」虐待されていたにしろ。俺は、ここでも同じことをされていたんだ。
だって、そうだろ？ ナユキが、ナユキが俺を滅茶苦茶に……っ。クソ、思い出しちまう。
「お前」は俺を夢想家だと思うかもしれない。
だけど俺は信じていたんだ。
こんなクソ忌々しい世界でだって、手を取り合えるかもしれないんだってことを。
俺は「傍観者」として、ナユキとアユを見ていた。
そうさ、「お前」と同じだったんだ。
今ならお前のことが理解できるよ。
それに、お前を理解できるのは俺ひとりだ。
気持ち悪いと思ったかい？ 吐気がするって思ったかい？
そうだよ、俺たちは「嫌悪感」というものを共有できているじゃないか。
俺はオープンカーであんたのところへ６６６号線を走っていたのさ。
そう、あんたとひとつになるためにね。
ビデオがダビングされるように、CDが録音されるように、俺は物語からコピーされた。サンプリングを繰り返し、劣化する人格。劣化するストーリー。――劣化する魂。そんな安っぽい存在なんだってことに気付いたんだよ。
パレードに掲げられた、十字架に磔にされたアユが逆光を浴びて眩しい。旗が振られる。歓声が上がる。俺はどうすることもできない。女王に逆らうわけにはいかない。
アユは死んでいる。そして俺は改変されながらも生き延びている。ナユキは知らずのうちに変わり果てた。この行進はいつ終わる？ 俺たちは録音された旋律のなか、踊り続けるしかない。もしかしたらこの街並みすべてが蜃気楼で、俺は赤い砂漠に立っているのかもしれない。地平の先までいちご色の砂の大地が広がっているんだ。ナユキから遠ざからなければならない。だけどそれはできないことなんだ。疲れ果てて、死ぬ気力すらない。もし、オアシスという幻覚があれば、ナユキと一緒に――心中することもできるかもしれないのに……。
俺は目を閉じる。俺は無意識に身を委ねる。俺は死にたい。もう生きていたくない。もう苦しみたくない。
体から生気が抜けていく。俺は「たぶん」昏倒した。そして「たぶん」もう立ち上がる必要性を感じていなかったと思う。
薄れゆく意識のなかでうわごとのように繰り返した。もういい……もういいんだ……。俺が再び目を開くときには、もう、俺は俺じゃない。俺は石畳の砂漠の上で干からびる。俺の小指から赤い運命の導火線が、地平の向こうにあるだろう宮殿にいるナユキの「中指」を終着点とすべく、俺の死の影のように気だるげに伸びている。そしてそこには、けろぴーフラッグが「ナユキが愛してやまない完璧な白人の俺」の手によって掲揚されているんだ。
D E A D E N D
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