コンクール
時間は土曜日の午後、学校も半日で終わり、家に帰って暇を持て余していた時間。
俺の居候している水瀬家に一本の電話が入った。
その電話は栞からのものだった。
「祐一さん、今日時間空いてますか？」
「ああ、暇だけど何か用か？」
「はい、ちょっといつもの公園に来てもらえませんか？」
そういうわけで俺は栞の待つ公園へとやってきていた。
とりあえず栞を探す。
公園、とだけしか聞いていなかったので探すのに時間がかかると思っていたがすぐに栞を発見することができた。
それは栞の格好が周りから浮いていたから。
手にはいつものスケッチブックではなくパレットと筆、そして頭にはベレー帽。
それは、栞が本気モードに入ったと言うことだった。
あれはまずい、見つかったら間違いなくモデルにされる。
この前も同じようなことがあった。
そのときの栞は無言で筆を振るいつづけ、俺も栞からすごい気迫を感じていた。
しかし、見せられた絵はなんだか独創的な代物で、よく言うならばメルヘンの世界ならありえるかもしれない絵、悪く言えば何処をどう見たらいいのか分からないような絵だった。
なんせモデルである俺とただの背景にすぎないはずの木の区別がつかない。
はっきりいって俺がモデルをしなければいけない理由が分からなかった。
あの時ほど、使ってしまった時間をもったいないと感じたことはないだろう。
今回も間違いなくその類のものだということが予想できた。
いくら暇だからって時間を捨てるつもりはない。
「あ、祐一さん、こっちですよ」
そんな声が聞こえた気もしたが、俺は聞かなかったことにして回れ右をした。
「ああっ、待ってください」
予想通りに栞は俺の後を追ってくる。
「どうして逃げるんですか、まだ私何も言ってませんよ」
「どうしてもこうしても、俺をモデルにして絵を書くんだろ、嫌だ」
俺は栞の頼みをはねつける、まあ、これで栞が引き下がってくれるとは思わないが。
「今回は違うんです、そんなことよりもっとすごい発表があるんですよ」
「なんだ？ 今回は木の方を俺に似せて書くとか？」
「そんなんじゃないんですよ、もっとすごいことです」
そこまでいうと栞はえへんと鼻を高くし、
「私、今度絵画コンクールに描いた絵を出品することにしたんです！」
はい？
なんですと？
俺は自分の耳を疑った。
落ち着いて栞の言葉をもう一度整理してみる。
コンクール。
絵画のコンクール。
絵を描くと人と木が同じになる栞が絵画コンクール……
「だから、これからその練習をするんです。祐一さんにはその手伝いを……」
「なあ、コンクールって小学生が描くやつか？」
まあ、違うとは思うが一応聞いてみる。
「違いますよ、ちゃんと一般の人向けのものです」
栞が一般の絵画コンクールに出品。確かにすごいことだ。
しかし、栞が一般の人についていける訳もない。
「それはやめた方がいいんじゃないか？」
「え？」
「だって、栞の絵は人と木が同じ物になるんだぞ、その絵でコンクールに参加しても審査員に見向きもされないに決まってる」
「でも、過去の偉大な芸術家だって最初は理解されなかったんですよ」
「俺は栞に過去の偉大な芸術家と同じ力があるとは思えないんだが」
「だから祐一さんに手伝ってもらってその力をつけるための練習をするんですよ」
どうやらこれ以上話しているとこっちの身が危ないようだ。
「とにかく俺は手伝わないぞ、時間がもったいないからな」
俺はそういうとそのままその場から逃げ出した。
「ああっ、祐一さん酷いですっ！ 鬼！ 悪魔っ！」
背後から栞の声が聞こえたが、かまわず走りつづけた。
すこし罪悪感を感じたが、ここまでしないと栞は必ず俺を付き添わせるだろう。
だって、いくらなんでも栞には無謀なことだもんな、絵画コンクールなんて。
次の日、秋子さんに頼まれた買い物をしていた俺は商店街の本屋でで栞を発見した。
「昨日のことを一応誤っておくか」
そう思った俺は栞のところへ駆け寄り、声をかけた。
「よ、よお、栞」
「あ……」
「……」
「……」
やっぱり昨日の事もあってギクシャクしてしまう。
「な、なあ、栞はこんなところへ何をしにきたんだ？」
とにかく、何か話でもして話をつなげよう。
そう思って、俺は栞が手にとっていた本を見る。
その本には「絵描き入門」とかかれていた。
「栞、その本……」
俺がそこまで行ったとき、栞が口を開いた。
「私、祐一さんには無理だって言われたけど、やっぱりコンクールに参加することにしたんです」
栞は話を続ける。
「自分でも無理だってわかってるんです。画力がないこと、コンクールなんて私には雲の上の存在なんだってこと」
「じゃあ、なぜあんなこと言い出したんだ。無理だとわかっているのに」
「私、絵が好きだから、だからコンクールみたいな機会で、祐一さん達だけじゃなくみんなに私の作品を見てもらいたいんです」
たとえ自分には無謀なことでもやってみたいことがある。
それが自分の好きなことだからこそ、やってみたいことがある。
そうか……
俺は何も考えずに栞に無理だと告げていた。
無理だから参加しない、ではない。
無理だけど参加したい。
だから参加する。
たとえ自分には無謀なことでもやってみたいことがある。
それが自分の好きなことだからこそ、やってみたいことがある。
俺は昨日、自分が栞に言った言葉を激しく後悔した。
「ごめん、俺、そこまで考えてなかった。そんなこと思っていたって知らなくて」
「いいですよ、それに祐一さんの言ってることのほうが正しいんですから」
「そんなことないさ、栞だって頑張れば入選するかもしれないしさ。なにせ過去の偉大な芸術家だって最初は理解されなかったんだからな」
「それは昨日祐一さんに否定されましたよ」
でも、それを語る栞はもう笑っていた。
「よし、じゃあ、今から30分後に公園に集合な、コンクールに向けて絵の練習だ！」
「えっ、祐一さんがモデルになってくれるんですか？」
「それは違う、俺は栞に付き添うだけ、栞は風景画を描くんだ。俺は木と同化したくはないからな」
「……なんかさっきから言ってることがおかしいような気がします」
そして、コンクールを迎えた。
結局、コンクールの入選作品に栞の名前はなかったけれど、
栞の画力はそう簡単には上がらなかったけど、
栞はそれでも絵を描きつづけている。
そう、いつかコンクールの受賞者欄に美坂栞の名を見られることを願って。
頑張れ、栞。
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