ボクの名前はノエル。
日本生まれ、日本育ちのラブラドール・レトリバーさ。
ボクはいわゆる盲導犬。目の見えない人たちを導くという目的でこれまで訓練されてきたんだ。
そして２歳の誕生日、毎日訓練を受けていたボクは車に乗せられてあるところに連れて行かれた。
そこでボクは出会った。別れた。
それがボクの物語。

とある騎士の物語




チュンチュン
雀が鳴く声。カーテンの隙間から差し込む。
ボクがここに来てから３日目。大体の事は分かって来た。
ボクの１日はみさきを起こす事から始まる。
みさきの寝起きは悪い。起こすのも一苦労だ。
ボクはベッドの上に這い上がり布団を揺らす。
ゆさゆさ
ゆさゆさ
「ん……雪ちゃん、自己破産を申請するよ〜」
一体どんな夢を見てるのやら。
（起きそうにないな、困った）
仕方なくボクはみさきの顔をなめてみる
「浩平君……舐めちゃやだよ……」
浩平？一体誰の事を言ってるんだろう？
って！早く起きないと遅刻するよ！
「うにゅ……あれ、ノエル？おはよう。」
ようやく起きてくれたみたいだ。
「うーん、今日も良い天気だね。」
そんな事やってる場合じゃないって！遅れるよ！
「わわ、ノエルそんなに引っ張らないでよ。今何時かな？」
みさきは枕元に置いてあった声で時間を告げるトーキング・ウォッチを手に取る。
『タダイマ　ハチジ　　サンジュップンです』
学校の始業時間は８時３５分だったりする。


ここからが大変だ。
みさきは急いで制服に着替えて階段を駆け下りる。
「おはよう、みさき。朝ご飯は？」
「そんな暇ないよっ」
台所からかけられるお母さんの声への返事もそこそこに玄関へ直行。
「ノエルちゃん。今日も頑張ってね」
みさきのお母さんは優しい人である。ボクに対して人間の息子のように接してくれている。
良い家にきたなぁ……
「うう……お腹すいたよ」
いくら学校に近いと言っても今から食べていては間違いなく遅刻である。
家を出て校門まで猛ダッシュ。
一陣の風に……はなることができなかった。
ボクは速く走れるけどみさきの足はそんなに速くない。
訓練はしてきたけどやっぱり実戦にはまだ慣れてないなぁ。
「あれ、おはよう、みさき先輩。」
後ろからボクたちに追いついた声と影。
振りかえって見るとそこには一人の男子生徒が走っていた。
コイツも遅刻寸前なのだろう。
「浩平君、おはよう。瑞佳ちゃんは？」
「いや、ちょっと驚かせてやろうと思ってクローゼットの中に隠れてたら見捨てられてな。まったくニュータイプなら少しくらい頭働かせて見つけてみろって」
「それって１００％浩平君が悪いと思うよ。大体瑞佳ちゃんニュータイプじゃないし」
いきなりその男はボクとみさきの間に割って入って話し始める。
う、なんか疎外された気分……
それに、後からやってきて割りこむなんて絶対おかしいよ！世の中間違ってる！
ったく最近の若いもんは……
と生きている時間なら明らかに１０年以上は余裕で負けていそうなボクは目で訴える。
それでも男は気付かない。
なんだかご主人様を盗られた気がして良い気分がしない。
よーし、そっちがその気なら……
「うわっ、なんだこの犬！いきなり俺に体当たりしてきたぞ！」
「ああ、その子は盲導犬のノエルっていうんだよ。たぶん走ってたからよろけてぶつかっちゃったのかな？」
どーだ、ざまーみろ。
犬をバカにしたらどうなるか思い知ったか！
まあホントは盲導犬がこんな事思っちゃいけないんだろうけど、今回は特別だ。
そのコーヘイとかいう男はじろじろボクを見て一言。
「あんまり可愛くないな・・・・・・」
なっ、なんだとぉ！
犬を侮辱するのもいい加減にしろ！
と、男はボクの前に屈んで
「お手」
手を前に差し出して命令してきた。
ボクをなめんなよ。お前なんかの言う事なんて聞いてやるもんか！
だいたいボクはそんな下等な真似はしないんだよ！
「やっぱ可愛くないな、コイツ」
また言ったぁ！
「ええー、酷いよ浩平君。ノエルはすっごく可愛いよ」
「いや何か俺の方睨んでるし・・・・・・」
「でもノエルだって傷つくよ」
そうだそうだ！しっかり反省しろ！
「あ、ごめん。無神経だったな・・・・・・」
やった、ボクの勝ちだ！
まあ別に勝ち負け競ってたわけじゃないんだけどね。
「ねえ浩平君。そういえばいつの間に私たち立ち止まってたんだろう？」
あれ、そう言われて見ると・・・・・・
「えーと今8時34分52秒・・・・・・」
え？

キ―ンコーンカーンコーン

「マジか！？じゃ、じゃあみさき先輩！またな。」
そう言って男は走り去っていった。
べー。おとといきやがれってんだ。
「ノエル。私たちも走ろうよ」
ああ、忘れてた。
こうしてボクとコーへイとの出会いは慌しく最悪なものになった・・・・・・




そして結局遅刻した・・・・・・




昼休み。
ボクとみさきは学校の学食に来ていた。
ボクとみさきとみさきの親友の雪見の３人である。
まあボクは人じゃないんだけど。
ボクはみさきの隣の椅子に登っておとなしく座っている。
みさきの食べる量は多い。非常に多い。
その上みんなボクが珍しいのか、視線はボクたちに集まってきていた。
「みさき、何度も言うけど腹八分目って言葉を知りなさい」
「じゃあ後カレー４杯は行けるね♪」
雪見が呆れたように呟くが耳を貸すみさきではない。
そしてみさきは５杯目のカレーの皿にかかる。
と、
「よう、みさき先輩に深山さん」
誰かと思って振りかえるとそこには・・・・・・
げ、朝の生意気な男がうどんを持って立っていた。
コーヘイとか言ったか？
そしてそいつは当然のようにみさきの隣に座る。
みさきの隣に座るのは構わないが何でこの男は椅子からボクを降ろしてまで座るのかね？
礼儀がなってない！礼儀が！
しかしボクは言葉は話せない、当然コーヘイには
「アウ！ワウ！」
としか聞こえないわけで……
それにしても反応くらいしてくれればいいのにあの男はこっちを見向きもしない。
楽しく談笑している
見てろ。ボクを無視したらどうなるか思い知らせてやる。
朝と同じような考えで一発くらい体当たりしてやろうかと思ったがその考えは途中で断念した。
というのはいきなりラーメンが目の前に降ってきて、さらにコーヘイの悲鳴が聞こえてきたからだ。
「あぢぢぢぢぢ！」
誰かがこぼしたのだろうか？
出来立てで相当熱かったのだろう。床に落ちたラーメンからは湯気がもうもうと出ている。
しかしこれはチャンスだ
ボクはテーブルの足に軽く体当たりしてテーブルを揺らした。
自然テーブルに載っている物も揺れる。
テーブルに載っていたコーヘイのうどん。まだ熱かったはずだ。
「うぎゃああああああ！」
作戦成功！トラトラトラ！我奇襲に成功せり！
ざまーみろ！
「この犬、今わざとテーブルに体当たりしてなかったか……？」
熱さで床をのたうちまわりながらもしっかりとコーヘイはボクの行動を確認していた。
目ざといヤツめ。
「そんなわけないでしょうが。びっくりしてよろけちゃったのよ。」
雪見がボクの代わりに弁解してくれた。
みさきの周りにいる人はやっぱり皆（コーへイを除く）いい人ばかりだ。
みさきはさっきからコーヘイの心配をしている。
ま、あれだけの熱湯を被ったんだから仕方ないか。
その傍らではラーメンをこぼしたと思われる女の子がひたすら謝りつづけている。
とにかくヤツをギャフンと言わせてやったことにボクは満足していた。
あははははは…………って冷たっ！
何！？何が起こった！？なんかボクの頭上から水が降ってきたんだけど！
野次馬の中の誰かが落としたんだろう。
床にはさっきまで冷たい水が入っていたコップが転がっていた。
コーヘイを見ると………ボクを見て笑っていた。
冷たいけど迷惑がかかるから弾くことも出来ない。
なんか勝ったはずなのに虚しくなってしまった。
覚えてろ。




とまあこんな感じでボクとコーへイはこと有る毎にケンカをした。
登校時、下校時、昼食、放課後、休み時間など……
顔を合わせる度にケンカをした。方法もいろいろだった。
黒板消しの粉を掛け合ったり、爆竹で脅かされたり、真冬の池に偶然を装いつつ突き落としたり……
しまいにはみさきに
「もっと浩平君と仲良くしなきゃだめだよ？」
と怒られてしまった。
さすがにボクとコーへイの仲が悪いのも気付かれたのだろう。


そしてある日曜日。
ボクはみさきと散歩をしていた。
天気は快晴。冬の寒い日だが、日光が気持ちいい。
そしてボクとみさきは楽しく散歩。
言う事なしだった………隣にコーヘイがいなければ。
どんな考えか知らないがみさきが
「今日の散歩は浩平君もいっしょだよ」
と言い出した。盲導犬であるボクはご主人様の命令に従わなければならないのだが……正直今日ほど気乗りのしない散歩はなかった。
そして相変わらずボクとコイツの相性は最悪。
お互い睨み合っている。
でも隣にコイツがいる事以外は本当に楽しい散歩だった。
改めて見るとやはりこの町は静かで、いい町である。
そしてボク達は公園についたのでそこのベンチに座って休憩した。
「そうそうこの前さ、部屋整理してたらこれが出てきたんだよ」
今までどこに持っていたのかは知らないが、みさきは円盤状の板を持ってきていた。
「へー、フリスビーか。懐かしいな。俺投げるのうまかったんだぜ」
ああ、これが噂に聞くフリスビーってヤツか。盲導犬はフリスビーで遊んだりしないように訓練されているのだ。だから実物を見るのも始めてだったりする。
それをコーヘイが手にとって見ていた。
と、それを見計ったようにみさきは
「たまにはこれでノエルと遊ぼうよ！あ、でも私が投げたら誰かにぶつけちゃうかもしれないな？困ったな。誰かいい人いないかな？あ、そういえば浩平君フリスビー投げるの上手いんだよね。じゃあこれでノエルと遊ぼう。うん、決定だよ」
一気にまくしたてていた。
コーへイも気圧されて断れないらしい。
しかたなくボクの方を見る。
「やるか？」
その「やるか？」という言葉にはどこかケンカを売ってるように感じられた。
ボクはどうしていたかと言うと……困っていた。
別にコーヘイが怖いわけではない。
さっきも言ったがボク達盲導犬はフリスビーで遊んだりしないように訓練されているのだ。
しかしここでコイツに背を向けるのはなんかシャクだ。
かといって盲導犬になるための訓練を無駄にするのにも気が引けた。
どうするべきか…………
「怖いのか？」
いつまでも動こうとしないボクにコーヘイが言い放った。
怖い？バカな事言ってるなよ。そんなもんでビビるボクじゃないぞ。
よし、やってやろうじゃないか。
訓練には背く事になるが、今日は特別である。
なんか訓練に背いてばかりの気もするがそこは気にしないでおこう。
「よーし、投げるぞ」
いつでもこいって！全部捕ってやる！
そして、ゴングは鳴らされた……


１時間後
「な、なかなかやるじゃないか……」
そ、そっちこそ……
ボク達は１時間ぶっ続けでフリスビーを投げては受け、投げては受けしていた。
初めは軽く揉んでやるだけの予定だったのだが、しだいにお互いマジになってきて最後にはコーヘイは全力投球してボクは全速力でフリスビーを追いまわしたのだった。
その間みさきはボク達の声を聞いて嬉しそうにしていた。
あまりに疲れたのでボクはその場にへたり込んだ。
疲れたけど……楽しい時間だった。
みさきはおそらくコーへイとボクが仲良くなるためにこんな事をさせたんだろう。
それは初めから分かっていた。
そして無理だと思った。
だけどフリスビーで遊んでる時、ボク達は笑っていた。
どこにでもいるような犬と飼い主になっていた。
案外コーヘイは良いヤツかもしれない。
「ノエル〜帰るよ〜」
ボク達は再び３人で歩き出した。
今日の散歩で少しコーヘイを見なおした。
しかし５分後にはまたケンカを始めていたボクとコーへイだった。
人付き合いって難しい……


この後もボクとコーヘイのケンカは続いた。
時には姑息に、時には正面から、またある時は心理戦にもちこんだりしながら時は経っていた。
そしてある雨の降る夕方の事だった。
その日の夕食は刺身だった。
刺身に醤油は欠かせないらしい。
ボクは食べた事ないけどみさきが教えてくれた。
なんでそんなものにこだわるのか犬のボクには分からないけど、とにかくそれが無いと食べられないらしい。
そしてこの日不運にも醤油は切れていた。
仕方なくボクとみさきは商店街まで買いに行くことにした。
雨の日は嫌いだ。
じめじめするし、濡れてしまう。
早めに帰りたかったので自然にボクは早足になっていた。
ついでに雨のせいでボクの気は立っていた。
買い物も終わって帰る途中だった。
「あれ、浩平君。奇遇だね」
コーヘイがいた。学校帰りらしい。
傘をさして商店街を歩いていた。
「今、学校の帰りなの？」
「はい。先輩は買い物？」
「うん、今日晩御飯が刺身なのに醤油切らしちゃっててね」
どうでもいいが早く帰りたい。
寒い、冷たい、帰りたい。
「そういえば昨日からここらへんで野犬がうろついてるらしい」
「えー、大変だね」
「危ないから送って帰ろうか？」
冗談じゃない。この雨でタダでさえイライラしてるのにこれ異常ボクのストレスを増やしてたまるものか。
ボクはコーヘイを無視して歩き出した。
首輪についた紐を持ったみさきは自然に引っ張られる形になる。
「わわっ。ノエル急に歩き出しちゃダメだよ。じゃあね浩平君」
「じゃあな、先輩。気をつけて」
野犬でもコーヘイでもかかってくるならかかって来い。
返り討ちにしてやる。


「ウワゥゥゥ……ウォウォウ！！」
と、言ってる傍からボク達は野犬に囲まれた。
うう……ホントにこんな展開になるなんて……
しかも相手は３匹である。
正直シャレにならない。噛まれたら大怪我すること間違いない。
「ノエル。ど、どうしよう」
「ウ……ワウ！ワウ！」
ボクは懸命に威嚇して見るが全く効果は無い。
それどころかなんか相手を挑発したみたいなんですけど……
だんだんと輪を縮めてくる野犬共。
みさきは怯えて震えている。こんな時に主人を守れないでどうする！
さあ、ノエル！戦え！そして主人を守りぬけ！
と、頭では分かっていても怖いものは怖いわけで……
今すぐ逃げ出したいけど、そんなこと出来るわけないし……
ああ、ボクは頭脳派タイプの犬であってこんな体育会系じゃないのに！
泣いても叫んでも状況は変わらない。
とにかくみさきだけは守らないと……
「ウワゥ！」
！！
野犬の中の一匹が飛びかかってきた。
ええい！やってやる！
ボクは力任せにそいつに向かって体当たりした。
思ったよりもそいつは吹っ飛んだ。
人間も犬もやれば出来るものである。
結果として野犬共を激怒させることになったが……
「ウワウワウ！」
「ウワウ！」
２匹一緒に飛びかかってきた。
ずるい！卑怯者！正々堂々一対一でかかって来い！こら聞いてるのか！やめろ！やめろってば！やめてください！お願いします！お願いだから！命だけは！命だけはご容赦を……
ボクは怯えて立ちすくんでしまったがいつまで経っても攻撃は来ない。
おそるおそる目を開いて見るとそこには……
傘を降りまわしているコーヘイがいた。
どうやら心配で追いかけてきてくれたらしい。
３匹の犬相手に懸命に戦っていた。
ボクは何をしている？怯えてただ立ちすくんでいるだけか？盲導犬だから？
そんな言い訳は通用しない。いざという時にご主人様を守れないでどうする。
ボクはコーヘイとみさきを助けなければならない。

そしてボクは無我夢中で戦っていた。
殴られた。噛みつかれた。引掻かれた。
それでもボクもやり返した。
コーへイと二人で戦っていた。そしてボクは始めてこの男が頼もしいと感じた。
さっきだってボクを守ってくれた。
良いヤツだ、そう心から思えた。


「キャウキャウ！」
そして野犬共は情けない声をあげて逃げ去った。
ざまーみろ。
「大丈夫か？みさき先輩！」
「う、うん。ありがとう…浩平君、ノエル。」
コーヘイは急いでみさきの所に駆け寄る。
先を越されたようで悔しかったが今日の所は黙っておいた。
それだけみさきを心配していたと言う事だ。
みさきが無事だと分かるとコーヘイは安心したように座り込んだ。
ボクもコーへイもびしょ濡れである。
傷が雨で凍みた。
「病院に行って一応お医者さんに診てもらおうよ。悪い病気が移ってたら大変だよ。」



ボクとコーヘイは家の縁側にいた。
雨はすでに止んでいる。真っ赤な夕日が綺麗だ。
二人並んで夕日を見ていた。
あの後ボク達は一度みさきの家に帰って病院に行った。
とりあえず何ともなかったらしい。
そしてコーヘイは夕食をご馳走すると言われ待っているのだった。
びしょ濡れの服は脱いでみさきのお父さんの服を着ている。
沈黙が続いた。
だいぶ時間がたった後、コーヘイが口を開いた。
「ノエル、大丈夫だったか？」
コーへイは夕日を見ながらボクに語りかけてきた。
名前をコーヘイに呼ばれるのは初めてだったので少し驚いたが、かまわずコーヘイは先を進める。
「カッコよかったぞ。野犬を体当たりでふっ飛ばしたところ。なんか見なおした」
別に答えが返ってくることを期待してはいないのだろう。
独り言のようにコーヘイは呟いている。
「俺な、初めはお前の事嫌いだったんだよな」
うん、それは知ってる。
「なんか犬のくせにやたら態度がでかいし、俺につっかかるし……それになんかみさき先輩への嫉妬みたいなものもあったからな……」
そう言ってコーヘイはボクの頭を撫でた。
昨日までは触られるのも嫌だったが、今はその感触が心地よかった。
「ホント今日のは見なおしたぞ。立派な犬だな、お前って……」
それはボクも一緒だった。
体を張ってボクやみさきを守ってくれた。
それにボクはコーヘイが来るまで怯えてただけだった。
コーヘイがいたからボクは勇気が出せたんだ。
これからはもっとコーへイとも仲良くなろうそんな風に思った夕方だった。
ただ一言気になる事を聞いたが……
しだいにそれは忘れてしまっていた……
「俺がいなくなっても今日みたいにみさき先輩を守ってやってくれよ」



ちなみにこの日の晩御飯は刺身が寿司になった。
お母さん曰く
「みさきの未来の旦那さんだから今日はご馳走でお祝いしましょう」
とのことらしい。



そして次の日から微妙にボクとコーへイの関係は変わった。
やはりよくケンカをする。
それはいつも通りだ。でも本気で相手が憎いんじゃなくてそういう空気を楽しめるようになった。
それに散歩にコーへイとみさきと３人で行くようになった。
コーへイとの散歩は楽しいものだった。
歩いて、公園で遊んで、帰りに何か買って食べて、また歩いて……
単調だけど毎日が楽しかった。

ある時、コーヘイは１つの歌を教えてくれた。
コーヘイの好きなバンドの歌らしいけど、歌詞の内容は次のようなものだった。


いつも皆に忌み嫌われていた黒猫がいた。
ソイツは周りの人を信じられなくなって孤独だった。
だけどある時一人の絵描きと知り合った。
初め黒猫は絵描きを避けていたが次第に打ち解けて友達になった。
絵描きは黒猫に「ホーリーナイト」っていう名前もつけてあげた。
でも絵描きはとても貧しくてついに倒れてしまったんだ。
死ぬ間際に絵描きは故郷の恋人に手紙を書いて黒猫にそれを託した。
黒猫は走った。親友の故郷目指して。
途中、いくつもの罵声や暴力が襲ってきても黒猫は走りつづけた。
「ホーリーナイト」って名前を胸に抱いて。
そしてついに黒猫は絵描きの故郷に辿り着いた。
でもそのとき黒猫はもうボロボロだった。
最後の力を振り絞って黒猫は恋人に手紙を渡す事が出来た。
そして黒猫はその名前にアルファベット１つ加えられて「聖なる騎士」として死んだ。


「……とまあこんな歌だ。」
「なんだか、良い話しだね……」
みさきは涙をボロボロ流しながら感動していた。
そして不覚にもボクも感動した。
猫は気まぐれな動物である。人になつかず家になつくという。
親友の約束を守りきって死んだ猫はどんな気持ちだったろうか？
「ま、お前も聖なる騎士になれるように頑張ってご主人を守れよ」
そう言ってボクの頭をコーヘイは撫でた。
ボクも「聖なる騎士」になれるようにみさきを守っていきたいと思った。




ボクとコーヘイは出会ったころのようないがみ合いはもう無くなっていた。
ボクはそうやって大切な友人とご主人様との日常を楽しんでいた。
それはいつまでも続くものだと思っていた。
思っていたさ……



変化は突然訪れた。
それは２月のある日の事。
いつものように３人で散歩をしていると、雪見に会った。
「雪ちゃん、奇遇だね。何してるの？」
「ちょっと自習してたら遅くなっちゃってね」
「そうなんだ、受験勉強大変だね」
ちなみにみさきはすでにとある専門学校に進学が決定している。
その時、雪見はコーへイをみて何故か不思議そうな顔をした。
そして……
「ねえ、この人みさきの彼氏？」
それはまるで今までコーヘイの存在を知らないかのようだった。
雪見はもちろんコーへイの事を知っていたはずだ。
なのになんで……？
そしてコーヘイは最初は面食らった顔をしていたが、すぐに真顔に戻って
「まあ、そんなもんです」
そう言う風に返した。
どうにもおかしい。それはみさきも同じらしくいつまでも困惑した顔をしていた。



そして日が経つにつれておかしな事が起こっていた。
みんなコーへイの事を忘れてしまったのである。
雪見から始まりそれはしだいに波紋のように広がっていき、ついにはコーへイといつも一緒の女の子さえ
「人違いじゃないかな？私が知ってる限りじゃ『こうへい』って人は知らないよ」
と言っていた。


そしてついにはコーへイ自身に連絡がつかなかった。
ボク達の散歩は１つ分空席が出来た。
その空席は小さいようで、何よりも大きかった……
もうすぐ春がやってくる。
春が来るとみさきは高校を卒業する。
コーヘイは以前こんな事を言っていた。
『俺、絶対みさき先輩の卒業盛大に祝うよ』
その言葉は果たして達成されるのか……
春の日差しは暖かかったが、ボク達の心にはまだ冬の冷たい風が吹きつづけていた……



みさきの卒業式の日になった。
ボク達は体育館に集まって長々と校長先生の話しを聞かされたりした。
周りには泣いている人、別れを惜しんでる人いろいろいた。
だけど……
ボクは在校生の方を始終気にしていた。
それはみさきも同じらしくしきりに後ろを気にしていた。
でもやはりコーヘイはついに姿を見せなかった。



「来なかったね……浩平君」
ボクとみさきは卒業式の後、屋上でたたずんでいた。
みさきはボクに語りかける。
「浩平君とね初めて会ったのはこの場所だったんだよ。」
真っ赤な夕日がボク達を照らしていた。
もうそろそろ日は暮れる。
「浩平君、私のこと嫌いになっちゃったのかな？」
有り得なかった。コーヘイはいい加減なヤツだが、みさきを見る目は本気だった。
嫌いになるはずがない。
本当にコーヘイは今何をしているのか？
と、屋上のドアが開いた。
先生の見まわりかな？と思って振り返った先には、
「先輩、わりぃ。卒業式出られなかった……」
何週間ぶりかに見るコーヘイがいた。
「ウソツキ……」
「ごめん、いろいろ事情があってさ……」
「でも私をお祝いしてくれるんでしょ。なら許してあげるよ。」
コーヘイが何をしていたのか？どこに行ってたのか？
それをみさきが尋ねることはなかった。
みさきはコーヘイが卒業を祝ってくれる事を幸せそうに、とても幸せそうに感じていた。



そして次の日ボク達はいつもの公園に来ていた。
久しぶりに３人での散歩である。
フリスビーやったり、追いかけっこをしたり……
いつもの時間が戻ったはずだった。楽しかった。
願わくば、時間よ。止まってくれ。
ボク達に永遠を与えてくれ。
だけど時間が過ぎるのは早かった。
「私、アイス買ってくるね」
しばらくしてみさきは屋台にアイスを買いに行った。
本当はボクも行かなくちゃいけないのだが近かったので、みさきは一人で行くと言って歩いていった。
「そろそろか……」
ベンチに座ったコーヘイは静かに言った。
コーヘイの様子がおかしかった。
ボクをまっすぐに見つめて、これまでで一番真剣な顔で語り出した。
「なぁ、ノエル。俺さもう行かなくちゃならないんだ」
初めボクは何を言われたのか分からなかった。
それは楽しかった日常のピリオドを意味していた。
「俺は、お前やみさき先輩と離れるのが辛い。でも行かなくちゃならないんだ」
コーヘイの言うことが理解できなかった。でもコーヘイを行かせてはダメだ。
それは理解した。今度はもう戻ってこない気がする。
そんなボクの顔を見てコーヘイは言った。
「大丈夫だって。絶対戻ってくるよ。約束する。その代わり……」
一旦間を置いて。
「頼みがあるんだ。一生のお願いだ。俺のいない間、みさき先輩を守ってあげてくれ。」
コーヘイははっきりとそう言った。
まったくコイツはどうしてこういつもいつも自分勝手なんだ？
勝手に居なくなったと思ったらまた現れて、そしてまた居なくなろうとしている。
気がつけば、ボクは泣いていた。
涙を流すのは初めてだった。
涙はとめどなく流れて、止まらなかった。
「ノエル、男と男の約束だ」
そしてコーヘイはボクの前に手を差し出した。
ボクが最初に拒んだ「お手」だった。
でも、今度こそボクは手を差し出して誓った。
みさきを守ってみせると。
それは人間で言う「指きり」だった。
嘘ついたらハリセンボン飲ませる。どちらかが嘘をついたら意地でも飲ませる。
そしてゆっくりと手を離した。
「覚えてるか？前に教えた歌」
あの黒猫の歌。親友との約束を守った黒猫の歌。
「お前も聖なる騎士になってくれ、頼む」
その時だった。コーヘイは静かに目を閉じた。
「またな、ノエル。みさき先輩」
ボクは自分の目を疑った。コーヘイが消えてしまった。



そう。
みさきが戻ってきた時、コーヘイは居なくなっていた。霧のように、初めから存在していなかったかのように消えてしまったのだ。
後には思い出の詰まったフリスビーだけが遺されていた。






コーヘイがいなくなってから二週間、みさきは寝こんだ。
よっぽどショックだったんだろう。
夜、いつまでもボクを抱いて泣いている時もあった。
コーヘイは遠くの世界に行ってしまったのだ。
でも、彼は言った。必ず戻ってくると言った。
だからボクはそれを信じる。
コーヘイは戻ってくる。



１ヶ月が経った。
みさきはようやく立ち直って専門学校に通った。
以前みたいな明るさがみさきに戻っていた。
今でも夜泣いている事はあるが、ふさぎこむ事も無くなった。
それと同時にみさきの周りには言い寄ってくる男もかなり居た。
みさきはモテる。だが、みさきにはその気が無く近づいてくる男は全員ボクが追い払ってやった。
みさきも信じて待っているのだ。
コーヘイが戻ってくる事を。




季節は過ぎた。
夏になり、秋が過ぎ、冬になり、年が明けて……
２月になった。
いつものように二人で散歩をしていた。
そしてその日は雨が降っていた。
ボクは雨が降ると時々思い出す。
コーヘイと初めて分かり合った日のこと。
コーヘイ、いい加減戻ってこいよ。
こっちの世界は今も楽しいよ。
だけど何かが足りないんだ。
ボク達の散歩にはいつも１つ大きな穴が空いてるんだ。
ボクの隣はいつも空席なんだ。
いつでも帰って来れるようにそこは空けておくから……だからコーヘイも早く戻ってきてくれよ。
その時だった。後ろからけたたましい声がした。
「ウワウ！」
いつかの野犬共だった。
囲まれている。
勝てない……今日は勝てない。
コーヘイがいない。頼れる人がいない。
じりじりと、野犬は近寄ってくる。
ダメだ、やられる。
（また、そうやって何もせずに逃げるの？）
声が聞こえた。その声の主は……自分だった。
（思い出せよ、コーヘイとの約束を）
そうだった。約束だった。
なんとしてもみさきを守る。コーヘイが戻ってくるまで絶対守りぬく！
「ワウ！ウワウ！」
ボクは野犬に向かっていった。
噛みつかれても、引掻かれてもボクは立ちあがった。
聖なる騎士にボクはなるんだ。
あの黒猫みたいにボクは約束を守る！
負けてたまるもんか！
「ワアウ！」
ボロボロになりながらも野犬に噛みついた。
野犬は泣きながら逃げていった。
勝った………
そしてボクの意識はブラックアウトしていった……
みさきがボクの名前を呼んでいた。
かすかにみさきの姿が見えた。
そしてこれがボクがみさきをみた最後の姿だった……


意識が戻った時ボクの目は見えなくなっていた。
どうやら野犬に引掻かれた後から病気が移ったらしい。
意識も朦朧としていた。
ボクはもう長くない……



コーヘイ、今何してるの？
会いたいよ。もう一度だけ、コーヘイに会いたいよ。
意識が遠のいてきた。みさきが泣いていた。
悔しかった。結局ボクはみさきを守れたんだろうか？
これまで守れたとしてもこの体じゃこの先もう無理だ。
コーヘイが戻ってくるまでみさきを守れなかったことだけが、悔しかった。
どれくらい時間が経ったろうか？
懐かしい声が聞こえた。そうそれは離れ離れになった親友の声。
「ノエル、聞こえるか？約束守ったぜ」
コーヘイ、約束守ってくれたんだ。
良かった。でも、ボクはもうコーヘイの顔を見る事が出来ない。
ごめんね。
なんでみさき泣いてるの？コーヘイが戻ってきたんだよ。
あれ、なんかボクからも涙が出てきた。
なんでだろう？嬉しいはずなのに、コーヘイが戻ってきたのに。
ボクは小さく唸った。これが今のボクに出来る最大の表現だった。
「よく約束守ってくれたな。元気になったらまた三人で散歩しようぜ」
よかった、ボクも約束守れたんだ。聖なる騎士になれたんだ。
散歩、楽しみだな。また三人で歩いて遊んで。
早く元気にならなくちゃ……
でもなんか眠いや。一眠りするね。
「おい！ノエル。目閉じるなよ。まだ眠るには早いって！おい！」
ごめん、ボクは先に休ませてもらうよ。
起きたらまた遊ぼう。
おやすみなさい。



ボクは死んだ。
最愛のご主人様と、大切な友達に見守られて。
ボクはみさきの家の庭にお墓を作ってもらって埋められた。
幸せな一生だった。みさきに会えて、コーヘイに会えて……
そしてボクは旅だった。




これで物語はおしまいかって？
いや、この物語にはまだ続きがあるんだよ。



年月は巡って。
コーヘイとみさきは結婚した。
学生結婚だったらしいが、今はラブラブな夫婦である。
幸せな生活が続いていた。

そしてある春の日の事だった。
病院にて
「みさき！生まれたか！？」
「うん。男の子だよ。」
みさきの手にはしっかりと赤ちゃんが抱かれていた。
それはコーヘイに似てるようでもあるし、みさきに似てるようでもあった。
しばらく二人は幸せを噛み締めて、赤ちゃんをみつめていた。
「なあ？」
「なに？」
「コイツの名前。何にする？」
「実は私はもう決めてあるんだ。
「へえ奇遇だな。俺も決めてある。」
「同時に言おうか？せーのー！」


そう、ここから始まる３人の新しい物語………


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