もういいよ
「結局、折原があたしを乙女にしてくれたのよ」
椅子からずり落ちそうになるのを、懸命に堪えた。
横を見ると、折原が苦笑交じりで七瀬のことを見ていた。どうやら前にも言われたことがあるみたい。そうでなければ、私と同じリアクションにならなきゃ嘘だもの。
「そ、そう…………」
どうにかそう言うのが、精一杯だった。
「広瀬」折原が恥ずかしそうな目で私を見る。言わないで、分かるから。
「ファミレスで椅子からずり落ちるというのは、中々恥ずかしいものがあるんだが」
「私は当事者よ」言い返す。
「……その心は？」
「一番恥ずかしいってことよ！」
大声を出さなかった私を、誉めてあげたかった。
七瀬が転校してきてすぐ、私は仲間と一緒に、七瀬に対して陰湿な苛めをした。
一応理由はあった。あまりにも男子側に媚を売りすぎて、私達女子を無視した態度が、気に入らなかったから…………よく考えると、とんでもなく幼稚だった動機。
でも、七瀬にもわかって欲しかった。私達だって、七瀬と話がしたかったってことを。
男子がいかに無力か、七瀬に思い知らせる意味もあった。だって、そうでしょ？あれだけ媚びている男子はあんたに何をしてくれたのよ。
画鋲をお尻に刺した時、黒板に酷い落書きをした時、連中は七瀬、あんたに何をしてくれたのよ。何もしてくれなかったじゃないの！
男なんて、そんなものだから、そんなみっともないことをさせたくなかったから。
あの後、私は七瀬に頭を下げた。理由を聞かれて、正直に全部話した。
「……あたし、てっきり嫌われていたのかと思ってた」
「そんなこと……だって、嫌うようなこと、していなかったでしょ？」
「広瀬さんが言う所の、「男に媚売ってた」っていうやつ」
う、それを言われると、ちょっと痛い。
「それは確かに気に入らなかったけど、あくまでも「気に入らない」であって、「嫌い」とは全然違うわよ。あ、この際だから言うわ。私のこと、「広瀬さん」なんて言わないで」
「え？どうして？」
「もっと仲良くなりたいから、他人行儀に「さん」なんてつけて欲しくない」
顔が熱い。真っ赤だろうな、きっと。
「え？あ、う、うん…………わかった」
七瀬の顔も赤い。傍目から見ると、妙な光景なんだろうな、これ。
こうして私と七瀬は打ち解けて、今みたいにファミレスでお茶したりするように、なった。
「ん？なんだ？戦いの後で、愛でも芽生えたか？」
と、ここで折原が入ってきて………………現在に至る、と。
咳払いをしつつ、座りなおす。コップの水を飲む。少し温い。
「水を飲んだ所で、赤面した顔が直るわけではないと思うぞ」
「うるさいわねっ！」
どうして折原は、いつもこうなの？
「少し茶々を入れるのを控えなさいよ」
七瀬が折原に釘を刺す。
「こういう性格なんだから、仕方がないだろう」言いながら、自分が持ってきたアイスコーヒーを啜っていた。ミルク多めで、ガムシロップは少なめ。
私も自分の抹茶に口をつける。七瀬に怪訝そうな顔をされたけど、私和物の方が好きだから。
飲んでいると、段々とリラックスしてくる。まだ慣れないから、未だに少し緊張している。少しずつ気が楽になってるけど。
勢いに乗って、カミングアウト、しちゃおうかな。
「聞いてくれる？」
「ん」
七瀬は、私の眼を見て頷いてくれた。それを確認してから折原の方を見る。
「俺のことは気にするな。茶々も入れるつもりはないしな」
内容が内容だけに、ちょっと信じられないけど、まあいいわ。言ってしまおう。
「私ね、男嫌いなの」
……………………だからって。
「引くの止めて。別に女の子相手に恋愛しようっていう趣味もないから」
２人が眼を見合わせる。ったく、これから追々話そうと思っていたのに。
「リアクションを取るのは、最後まで聞いてからにしてよ」
おずおずと、二人が元の席に座り直す、やれやれ。思ったこと、覆したくなるじゃないのよ……
「同世代の男の子が嫌いなの。やることなすこと、全部子供っぽくて、見ていて馬鹿らしくて、単純で最低で…………」
「同世代の男として、複雑な心境だな」
卑屈そうな声。よくわかっているじゃない、折原。
けど、結局、折原が全てを変えたのよね。
七瀬だけじゃない、私も。ちょっと、口惜しい。
でも、否定は出来ない。
「折原が私の男子への印象を、変えたのよ」
最も、折原は例外なのかもしれない。
「なんか、あたしのパクリっぽく聞こえたんだけど…………」
七瀬が不満の声をあげる。
「どこがよ。別に私は、折原に乙女にしてもらった覚えはないわよ」
そもそも、叫ぶのを止めてもらったことの、どこら辺が乙女になれたのか、教えて欲しい所だわ。
「とりあえず俺としては、身に余る光栄だと言っておこう」
謙虚に折原。
「で、結局の所これはなんの集まりだったんだ？」
「何も知らずに混ざって来るなっっ！」
すかさず七瀬が突っ込む。さすがに日頃名コンビぶりを発揮しているだけのことは、ある。ちょっと、羨ましい。
「親交を深めているのよ」代わりに私が答える。
「なるほど。それなら、ついでと言ってはなんだが、俺とも親交を深めるか」
涼しい顔で、そう言った。思わず吹き出す。
「今更あんたと親交を深めてどうしようってのよ！」
「七瀬に言ってるんじゃない。俺は広瀬に言っているんだ」
面白い。本当に面白い。笑いが止まらなくなる。
「うふ、うふふふふふふふふっっ」
「あたしよりも付き合い長いはずでしょ！」
「そんなことはないぞ。接点なんか、全然なかったし。これを機に、勉強させてもらおう」
べ、勉強って…………お、おなか痛い…………
「…………で、広瀬は何が面白くて笑っているのよ」
「面白いからに決まっているだろう」
「何がよ」
「七瀬がだ。一瞬でジュースを吸い取るなんて芸当を見せられたら、誰だって笑いが止まらなくなる」
「そんな事出来るかっっ！」
「……おね…がい……やめ、て…わらい……しぬ……」
実は私、笑い上戸。学校では出来るだけクールを装っているけど、一度笑い出すと、簡単には止まらなくなってしまう。
「死ぬな広瀬！傷は浅いぞ！」
「だからあんたは黙ってろっっ！
大丈夫？背中さするね」
心配そうな顔で、ゆっくりと私の背中を、さすってくれる七瀬。少しずつ少しずつ、落ち着いてくる。
「ふう、ふう、ふう、ふ―――――――――――――」
はぁ、やっとどうにかおさまった。
「しかし、意外だな」呼吸を整えて水を飲んでいる私を、珍しいものを見るような目で折原。
「何がよ」私の代わりに七瀬。
「広瀬がこんなに笑う人間だとは、思わなかったんだ。普段だって、クールに見えるし」
でしょうね。
「そう言われてみれば、そうよね。もっとも、あたしの場合はまだ、それほど広瀬を知らないから、しょうがないと思うけど」
七瀬のことも知っちゃったわけだし、私だけ隠しておくのも不公平、か。
ついでだから、カミングアウトしちゃおう。
「七瀬と同じよ。私も自分を作っているのよ。いくらクールを装っても、一皮剥けばゲラ子なのよ」
「…………一緒に遊ぶ子達にも？」
「うん。内緒にしてる。出来るだけ表情、出さないようにして」
苦しい時もあるけど、もう一年の頃からだから、どうにか頑張って耐えている。今まで培ったイメージ、簡単に崩れてしまう砂上の楼閣。だけど、それでも卒業までは、そう思っている。
「疲れる生活過ごしているんだなあ」
本当よね。苦笑する。
「それでわかったよ」
折原が意味深な前振りをする。
「何が言いたいのよ」七瀬が不満そうな顔で聞いた。さすが体育会系、単刀直入じゃないと気持ち悪いのね。正直私も気に入らない。
「いや、俺の気のせいかとも思ったんだけどな」
「前振りはいいから、とっとと本題に入ってよ」今度は私が言った。七瀬に任せると、掴みかかりそうな勢いだし。
「あ、いや。二人は似ている、と思ったんだ」
「「へ？」」
「顔とかじゃなくてだな、うーん、説明が難しいんだが」
「「どこが？」」
「しいて言えば、雰囲気、か」
「「雰囲気？」」
「…………それは絶妙なコンビネーションか？それとも単なる偶然か？」
「「偶然よ」」
「…………的確な言葉を思い出した」
「「何よ」」
「お前たち２人、俺と接している時の思考が、同じなんだ。最初に広瀬と話をした時、妙なデジャ・ブ
を感じたが、そうに違いない」
「「な、何をわけのわからないことを、って」」
さすがにここまで連続で声が重なると、折原の言うことを信じざるを得ない。
七瀬も苦笑いを浮かべて、私のことを見ている。私も、同じような表情をしているんでしょうね。
「折原の言う通りかも」「知れないわね」二人で笑う。
「…………上手くやっていけそうじゃないか」
交互に私たちを見て、折原。
まさか、折原はこのことを言いたくて……？まさか、ね。
「知的策略を広瀬が、直接攻撃を七瀬がそれぞれ担当すれば、世界も狙えるかもしれん」
真顔でそんなこと言われても。
「じゃあ、さらに親交を深めるということで、これから遊ばない？」
七瀬が立ち上がる。
「何よ、急に」
「あたし、体育系だから。身体を動かして遊びたい」
「子供か」折原が突っ込む。
「否定しないよ。あたしはまだ、乙女の入り口に立った乙女以前の幼女だから」
幼女って……まあ、いいけど。
「で、どうする？」折原が私を見る。
「お姉さんとお兄さんで、お子様の面倒を見ましょうか？」
今私、悪戯っぽい顔、してるだろうな。
ファミレスを出た私たちは、公園にやって来た。
広すぎず狭すぎず、私達高校生ぐらいが遊ぶにはちょうどいい感じ。どんな遊びをしたいのやら。
中央に時計台、これで時間もすぐわかる。お子様に優しい公園。
天気もいい。雲ひとつない、晴れ渡った空。確かに外で遊んだ方が気持ちも良さそう。
「で、何して遊ぶんだ？」
「そうねえ……」ぐるりと周囲を見て。
「かくれんぼとか、どうかな？ちょうどいい感じの広さだし。三人ぐらいなら、時間もそんなにかからないでしょ？」
………………かくれんぼ。
「あれ？２人ともどうしたの？苦い顔して」七瀬が私と折原を交互に見て言う。
言われて私も折原を見る。折原も私を見ていた、確かに同じような、苦い顔。
「トラウマでも、あるの？」「苦い思い出でも、あるのか？」
違う言葉が交錯する。言っている意味は同じだけど。
「「別に」」返事は同じだった。言い方から察するに「ある」と言うこと。だって私がそうだから。
「じゃあ、止めて他の遊びにする？」雰囲気を察した七瀬が言った。
「俺はいいよ、かくれんぼで。たまにはいいかもしれない。広瀬はどうなんだ？」
「…………私も、それでいい」
「妙に歯切れが悪いな」人のこと、言えないって。
「三人じゃ盛り上がらないからよ」
違う言葉を引きずり出した。理由を言う必要は、ないでしょ。
「それを言ったらおしまいだって」七瀬が苦笑する。
「それなら缶蹴りに……やっぱりいい」
言いかけて、途中で止められるのは気分が悪い。
「何よそれは」
「折原、言いたいことは何となく分かっちゃったから、殴ってもいい？」
なるほど。七瀬の怪力ネタか。すぐに反応できてしまう七瀬が羨ましい。
「絶対に嫌だ」折原がおどける。
胸が、ちくりと痛んだ。
「鬼決めましょう」それを打ち消すように言う。
「ジャンケンね」「妥当ね」「よし」
「最初はグー」、で、最初からパーを出した私と折原に、七瀬が切れる。宥めつつ、もう一度。
私が鬼。
「１００数えたら探すからね」宣言。
「えー？「もういいかい」「まあだだよ」は基本じゃないの」
さすがは七瀬。言うことが子供。
「声の出所でばれるじゃないのよ」突っ込む。
「それならこうすればいい。「もういいよ」から数えて５０」
なるほど。さすがはうちのクラス随一の遊びの達人。
「じゃあ、それでいくわよ…………よーい、どん！」
軽快な足音が遠ざかっていく。
途端に蘇る、幼い日の思い出。
「もういいかい」
「まあだだよ」
「もういいかい」
「まあだだよ」
「もういいかい」
「………………」
「もういいかい」
「………………」
「もう……いい……かい……」
届かない声。聞こえない、返事。
他愛のない悪戯が、私の心を締め続けている。今も、高校生になったっていうのに。
気付いた時には誰もいない、夕闇。
苦い思い出―――――――――――――――――――――――ー
息が…………詰まりそう。
目の前が真っ暗に、なりそう。
何も出来ず、その場にしゃがみこんでしまいそう。
それは、嫌。だって、あの子はもう来ない。
だから
「もういいよ――――――――――――――――――――――――！」
声を聞くと同時に、振り返り、声の、七瀬の声の方に向かって……
「ぐあ…………」
「おり、はら？」
私のすぐ後ろにいた折原が、うめき声をあげた。
「な、何で隠れないのよ！」
「ずるいぞ広瀬！「もういいよ」から数えて５０と言ったじゃないか」
う。それを言われると……
「と、とにかく！あんたが鬼よ！」
誤魔化そうと思うせいで、つい大声で喚いてしまう。
「ああ、俺は誰かと違って、約束事は守るからな。鬼になっても大丈夫だ」
ずきっと、心に突き刺さる一言。
でも、まだまし。だから我慢する。虚勢を張ってでも。
「じゃあ、私、隠れるから」
返事を待たずに走り出す。
適当な木陰に身を隠す。
と「ずるいわねー」、横から非難の声。
七瀬だった。非難する目が、心に痛い。
「つ。掴みよ掴み。ほら、よくかけっことかであるじゃない。「よーい……どんって言ったら走るんだぞー」ってやつ。あれと同じよ」
我ながら苦し紛れ。
「なるほど。そういえば折原も同じようなことしてたわね。棒立ちになって」
折原がどうして隠れなかったのか謎だけど、お蔭で七瀬は納得してくれたみたいだった。
「もういいかい」の声が聞こえてくる。ありがと、折原。
「まだ？」七瀬。私が声を出さないから、彼女が代わりに言うつもりらしい。
「もう、いいかな」この位置なら、仮に私みたいにすかさず折原が走ってきても、先に呼ばれるのは七瀬のはず。直線で来ればの話だけど。
折原の性格を考えれば、最初はおやくそくをしてくるはず。来たら木を軸にして、回り込んで隠れよう。
「じゃあ、言うわよ」言われて頷く。
「もういいよ―――――――――――――――――――――――――――――！」
と、だっという、地を蹴る音。やっぱり折原も数え無視した。
木を抱くようにして、回り込む準備をする。
七瀬は、そのまま動かない。多分数えていると思い込んでいる。
「七瀬発見」
「ぐあっっ！」
予想通りな結果を目の当たりに。
「あ、あんた、ちゃんと数えてきたの？」
「無論だ。俺は「光速カウントの浩ちゃん」と呼ばれ、プロレスごっこでは大人気のレフリーだったんだぞ。そうだ、なんならサインを書いてやろう」
嘘。絶対に数えていない。でも、七瀬は折原が数えた、って信じているらしい。おめでたいというか、純真というか。
「いらんわっっ！」
目の前で繰り広げられている漫才に、つい笑ってしまう。
「で、そこで笑っている広瀬発見」
回り込んできた折原に、あっさりと見つかった。
「あそこで漫才始めるとは思わなかったわ」お手上げポーズ。
「まあ、そんなわけで、鬼らしいのが鬼になった、というわけだな」
「誰が鬼らしい鬼かっっ！」
「その怒りを、見つけ出すエネルギーに転換しなさいよ」
「…………瞬速で見つけ出す！」
言うなり、怒涛の勢いで鬼ポイントへ。
「よし、隠れるぞ」
と、言うなり折原は、私の手を取って走り出した。
「ちょ、ちょっとっっ！」
「気になることがあるんだ。ちょっと付き合ってくれないか」
何かを感じさせる目。最初は引きずられていたけど、しっかりと自分の足で走り出した。
私も、折原に聞きたいことがあったから。
気になった。かくれんぼをする、となった時に見た、苦い顔。
折原も多分、このことを聞こうとしていると思えた。ちょうどいい。
走らされ、足を止めた。七瀬の声は聞こえてくる。けど、「もういいよ」がないと、５０のカウントが始まる。そんなに長くは話せない。
「俺は、お節介な性格だと思う」
いきなり、そう言いだした。
「わかるわ」
折原が七瀬に気を使った結果が、今の私たちの関係に繋がっているわけだし。
「わかってくれるか」
「まあ、ね」
これから先、何を言おうとしているかまで。わかっちゃったわ。
「それなら、次に俺が何を言いたいかも、わかってくれているんだな？」
「まあ、ね」
「じゃあ、教えて、くれるか？」
それは…………
「それとこれとは、話が別よ」
「まあ、な」
折原も、予想がついていたみたい。
「条件次第」
苦い気持ちを吐き出すのなら、見返りを求めたい。
「条件？」
「何を言いたいか、想像はつくと思うけど？」
察しもいい方みたいだし。
「まあ、な」
折原に対しての私の反応を、再現しているみたいだった。
私たち、意外なところで似てるっぽい。
となると、答えも想像がつく。改善された関係とはいえ、古傷を曝け出せるほどにまで、心を許したわけでもない。
「追々、な」そうでしょうね。
「じゃあ私も、右に同じということで」
「そうだな。それがいいか。時間はまだ、あるだろうし」
そうね。何となくだけど、予感がする。私と折原と、そして七瀬の。
長い付き合いになりそうな、予感。
予感じゃない。きっと、願望。
「も――――――――――――――――――――い――――――――――――――――――――
か―――――――――――――――――――――――いっっっっっっっっ！」
その日から、私の友人関係相関図が書き換えられた。
七瀬と折原が、上位に食い込んだ。
結果、今までよく遊んでいた友達との間に、微妙な距離が出来上がる。
でも、そのことは悪い方には向かなかった。確かに優先度は変わったけど、打ち切ったわけじゃないから。
むしろ、若干の距離を置くことで、その子達とはお互いの悪い点を補え合えた。近い所にいすぎて注意出来なかったこと、言われると苛立つことが、何故かあっさりと納得出来てしまえた。
好転。全てが私にとって、良い方向に向いている。そんな気がした。
日々が楽しい。面倒な宿題や、憂鬱なテストですら、楽しさを演出する、小道具でしかない。
放課後に図書室へ二人を引きずり込んで、勉強したり。
休日は「乙女の極意を掴みたい」と喚く七瀬を買物に連れて行って、ショッピングに連れて行く（私が案内する店を、こまめにメモ取っていたりするもんだから、恥ずかしいことこの上ないけど）。
今日は、クッキーしか焼けない七瀬に、ケーキを教えている。
教える度に、真剣に頷く七瀬と接していると、何かまるで、妹が出来たみたい。
彼女は私を見て「乙女」を勉強している。私が「私は乙女なんかじゃないってば」と、懸命に否定しても、七瀬の目から見ると、私のやることなすことは、七瀬がイメージしている、乙女のそれらしい。
焼きあがるまでの時間、話をする。
「よく考えてみれば、あたしって、今まで女の子の友達っていなかったのよ。だから、こうやって身近に女の子と接するのって、すごい勉強になるわ」
「……それならどうして、女の子と仲良くしようって思わなかったのよ」
呆れてしまう。
「男の子の方が接しやすかったのよ」
つまり、女の子とは接しにくかったってわけ？
「あたし、ずっと男の子と混じって剣道やっていたから、男の子相手だと話しやすいのよ」
冷蔵庫から、買い置きのパック式オレンジジュースを取って、七瀬に渡す。
「ありがと」言って、早速ストローを飲み口に突き刺した。その刺し方で、体育会系行動が染み付いているのがよくわかった。とにかく力強い。肩に力、入りすぎ。
「一息で飲み干したりしているうちは、乙女への道のりは、遠いわよ」
大体、結構固いと思うこの飲み口を、どうしてあんなに簡単にストロー刺せるんだか。
「飲み干せるかっっ！」
豪快に喚き返された。本当、乙女への道は、遠いわね。
「でも、接しなれている側の方にいくと、むしろ危険なんじゃないの？」
「え？どうして？」
どうやら飲み干してはいなかったらしく、二口目を飲む七瀬。きょとんとした顔で、聞き返して来る。
「だって、普通に接しちゃわない？普段どおりに接しやすい、ってことは、普段どおりの自分で接するってことでしょ？自分で「体育会系」って言うぐらいだから、そのノリで接したら、自爆確実じゃない」
その疑問は、七瀬の心を深く抉ったらしい。
ど――――――ん、と暗くなった。
「何か、あったんだ」
こくり
俯いただけのようにしか見えない、頷き。
「折原との、ファーストコンタクトの時。思いっきり叫んだ」
は、ははははは。なるほどね。
だから折原に遊ばれていたんだ。納得。
「今後も猫被り続けるなら、もっと気をつけないと」
その言葉に、七瀬は首を横に振った。
「ん、もうやらないから平気」
「え？そうなの？」
見れば、何か吹っ切れたような顔。
「あたしは乙女になりたいだけで、男の子にもてたいわけじゃないもの。むしろ、悪いところを曝け出して、少しずつ、直して行くことに、決めたの」
さすがは体育系、切り替えも早い、ってところかしら。でも、その判断は良いことだと思う。
女子の反感を買うのは、絶対にご法度。七瀬は身を持って知ったと思うから、同じ徹は踏まないでしょうけど。
「恋愛関係なんて、まだ全然」そう言って、苦笑する七瀬。
その言葉に、ちょっとだけ安心した。
焼き上がったものに、クリームを塗って苺を乗せて、完成。
余り物を使って、試食。
「……………………ど、どうかなっっ！？」おどおどと、聞く七瀬。
目を閉じて、ゆっくり味わう。
渋い顔をすると、はらはらした顔になる。不安でしょうがないって、すぐわかる。可愛いな。
だから、笑ってあげる。
「食べてみなさいよ。私が言うよりも、わかりやすいでしょ？」
一欠片摘んで、「はい、あーんして」
「……………あーん」覚悟を決めて、大きく口を開く。だから、乙女を目指すなら、少し押さえなさいって言うのに。半ば呆れつつ、そっと入れてあげた。
「んぐ、んぐ、んぐ…………おいしいっっ！」
会心の、笑み。
「美味しいよ！広瀬！」
私は、七瀬みたいに「乙女」を意識したことなんか全然ないまま、女という性をやってきた。
だから、「乙女」というものがどんなものなのか、明確に説明を求められても、答えられない。
でも、普通にしていても可愛いし、そうやって全身から喜びを表現している姿は、うちのクラスどころか、学年一可愛いと思う。それで、十分じゃないの？
「じゃあ、第三者にも評価をもらいに行きましょうか」
言って、エプロンを外す。
「え？」
面食らった顔も可愛い。何か、口惜しい。どうしようもないことだけど。
「折角だから、食べてもらいましょうよ。私たちを友人関係にしてくれた、あいつに」
感謝している。まだ七瀬と親しくなって、一ヶ月も経っていないのに、短く感じられるほどに楽しかったから。
私があんなくだらないことを続けていたら、こんなに楽しい日々を過ごすなんて、出来なかった。七瀬と仲良くなんて、なれなかった。
「男の俺よりも、女の広瀬の方が、乙女については教えてやれるだろう？
長森は、駄目だ。あいつは乙女じゃない。少なくとも俺から見て、乙女とは思えない。もっとも、俺があいつを知りすぎているから、そう思うだけなのかもしれないけどな。でも、広瀬に頼みたい。
どうしてかわからないけど、広瀬なら、広瀬の方が、七瀬とうまくやっていけそうな気がする」
折原が、どうして私に広瀬を引き合わせたのかわからないけど。今では感謝している。
だから、せめてもの、お礼。
七瀬の話だと、クッキーは食べさせたらしいから、今度はこのケーキ。
クッキーは作り慣れているみたいだから、今度は初めて作ったもの、私と七瀬の、２人の、合作。
ところが、予想外のことを言われた。
「広瀬、一人で行ってくれない？」
「はぁ？」
何を言っているんだか。
「あんたが作ったのに、あんたが顔見せないでどうするのよ」
逆を言うならわかる。「広瀬、あたしだけで行きたいんだけど」と言うのなら。でも「一人で行ってくれ」と言われるとは思わなかった。
「だって、どうせまた馬鹿にされるに決まっているもの」
「そんなことないって。私だって美味しいと思ったんだから。自信持ちなさいよ。大体、クッキーだって誉められたんでしょ？」
どうも、私と仲良くなってから、折原には及び腰なのよね、七瀬。
三人でいる機会が多いけど、折原と七瀬の間には何か挟まっているみたいな感じがする。
折原は変わっていないから、七瀬の方に何かあるらしいんだけど。
「とにかく、あたしはいいよ。広瀬お願い」
ため息。聞いても教えてくれそうにない。拒絶の姿勢。
「わかった。感想は私が聞いておく」
「ん。ありがと」
学校の住所録を使って、電話をして教えてもらい、初めて来た折原の家。ちょっと緊張する。
玄関のベルを鳴らして折原が来るまで、緊張しっ放しだった。
「ご苦労さん」
折原が出てきた。トレーナーにジーンズ。ラフな格好。
私も私服。ジーンズの上下。それと下には薄い黄色のシャツ。一緒に商店街とか歩いたら、似合うかな…って、何を考えているんだか私。
「こんにちわ」
「上がっていくか？」
一瞬考える。男の子の家に入るのなんて、初めてのことだし。
でも、ケーキの感想を早く教えてあげたくて、上がらせてもらうことにした。
「狭くて悪いが、そこいらに適当に座っていてくれ」
部屋に通された。思っていたよりも中は片付いていた。
「もっと、汚いかと思ってたけど、意外に綺麗なんだ」
「押入れがすごいことになっているだけだ」なるほど。
「今、お茶を淹れてくるから、ちょっと待っててくれ」
「あ、うん。ありがとう」
部屋に一人、残された。
改めてもう一度、折原の部屋を観察する。
面積に対して、荷物が多い。ごちゃついているようで、ちゃんと片付いている。けどやっぱり、荷物が多いように感じた。
雑誌が片隅に積まれていたり、ＣＤラックに目一杯詰め込まれているにも拘らず、ＣＤが積み上げられ、洋服も箪笥から出しているのか、入りきらないからなのかわからないけど、部屋の中に何着かハンガーに吊るされていた。
ベッドにぬいぐるみがないところが、男の子だな。
押入れの中が気になったけど、さっき言っていたように、詰め込んだようには思えない。
床に座ってみた。座ってみても汚さは感じない。ちゃんと掃除機をかけてあるみたい。
「お待たせ」
かちゃかちゃと音を立て、お盆にティーポットとカップを乗せて折原が戻ってきた。
レモンのスライスまで小皿に乗せられていた。意外に気を使う性格みたい。あ、それともお母さんの気配り、よね、うん。きっとそう。
「レモンティーでよかったか？一応牛乳もあるけど」
「それでいいわ。ありがとう」
紅茶が注がれたカップに、レモンのスライスを乗せて渡してくれる。受け取った時、ふわっと紅茶とレモンの香りがした。
「じゃ、乙女修行中の生徒と先生の作品を、見せてもらおうか」
偉そうに。でも、貫禄がない分、妙に可愛く感じる。子供みたい。
「ええ。見て、それから食べて、率直な感想を聞きたいわ」
箱から取り出して、折原に渡す。ここに来る前に切り分けはしておいたから、お皿に乗せて。
「ショートケーキか、王道直球勝負だな」
「そりゃね。いきなりモンブランなんて、出来るわけないし」
七瀬が「作るならショートケーキがいい」って言ったから。
「んじゃ、早速いただきます………………ちょっと固くないか？」
「それ、苺」
やるとは思ったけど、予想通り。
「素早い突っ込みに、感謝する」
ため息。本当、折原といると、疲れるわ。
「では改めて…………」
緊張なんか、しない。折原がどう答えるかなんて、分かり切っている。「美味しい」以外の言葉が出るわけがない。折原がそう言う人間だっていうことは、知り合う前から分かっていた。
私がここにいるのは、食べた瞬間の顔を確認したいから。
その瞬間なら確実に顔に出る。それを見極めたかった。
――――――――――――――――――――――大成功よ。七瀬。
「これ、本当に七瀬が作ったのか？」
予想以上の効果。多少芝居がかっているとはいえ、嘘には見られない、驚きの顔。
「私は指示を出しただけだから。作ったのは間違いなく、七瀬だけよ」
「へえ、やるもんだなあ。うん、甘さも適度に押さえられているし、覚悟していたスポンジも、予想以上に柔らかい」
あ、やっぱりそう思ったんだ。
「スポンジに関しては、力を入れすぎないようにって、口が酸っぱくなるぐらいに言い聞かせたのよ」
「光景が目に浮かぶようだ。あいつは力強いからなあ。って、広瀬も食べたらどうだ？俺用に持って来てくれたのなら、遠慮なく食べてくれ。いくらなんでも、全部食べたいほど甘党じゃないし、他の人間に食べさせるわけにも行かないからな」
そう言われると、食べないわけにもいかない、か。
「じゃ、いただきます…………ん、美味しい」
不思議ね。こうやって食べると、作りながらとはまた違った美味しさがある。紅茶も美味しかった。
ん？
折原が手を止めて、私を見ていた。
「何？」
「あ、いや、別に何でもない」
とは言いつつも、折原の目は私から外れない。
「……気になって、食べられないんだけど」
っていうか、恥ずかしいんだけど。
「あ、ああ、悪い」
ようやく視線を外してくれた。ようやく食べられる。
一口、そして紅茶を口に注ぐ、と、また感じる、視線。
「………………何か、私に言いたいことでもあるの？」
見れば何か言いたそうに、口を動かしている。
「いや、別に」とてもそうは思えないんだけど。
「別に怒らないから、言ってくれない？そんな目で見られたら、落ち着いて食べられないって」
顔が赤くなるのが、自分でもわかる。
「あ、ああ、悪かった。深い意味はないんだ。いや、あるけど……いや、ないんだ」
言ってる意味が、わからない。
妙な雰囲気。そのせいかも知れない。私も、何か、調子が狂う。
意識しないようにしていたことを、意識してしまう。まずい。
こういう時は、話を変えよう。
「そういえば、家の人って、出てこないわね」
「え？」
「ほら、私も経験ないから、はっきりとは言えないんだけど、普通男の子の家に見慣れない女の子が来たら、色々と理由をつけては様子を見に来たりするものなんじゃないの？」
ドラマとかではよくある光景。
「あ、ああ。そんなのはいないよ」
え？
「いない、って？」
「………そう、だな」
妙な重苦しさが、場を包んだ。
時を刻む時計の音が、やけに大きく聞こえる。
折原が、深呼吸をした。
「前に言ってたよな、広瀬」
「な、何を？」ちょっと、恐い。
折原が恐いんじゃない。折原が言おうとしていることに、恐さを感じる。
何を、言おうとしているの？前に言ってたことって、何？
「かくれんぼをした時に、言っただろう？苦しそうな顔をした理由、「条件次第で教えてくれる」、って」
その、こと、か……
「言ったわ」確かに言った。
「ついでだから、俺の方の事情を話すよ。教えてくれないか、広瀬の方の理由」
………………………………
「わ、わかった」
と、言ってはみたけど、本当に話せるかどうか、今の私には自信がない。
折原の言葉次第。
折原は、もう一度深呼吸をして、静かに話し始める。
それは、折原自身の境遇についてのことだった。
幼い頃、親に捨てられたこと。
最愛の妹との、悲しい別れのこと。
叔母さんに引き取られ、生活をしていること。その叔母さんとは時間が合わず、一人暮らし同然であること。
そして、幼い頃の、妹との約束のこと、だった。
「妹と、外で一緒に遊んだ、最後の思い出。
俺は、妹と遊ぶ約束をしていたんだ。だけど、用事があって、すぐには行けなかった。
だから「先に公園で待っていてくれ」と言って、先に公園に行かせたんだ。
用事は、思った以上にかかった。実は、妹が前に欲しがっていた人形を買いに行っていたんだ。うっていた店のが、売り切れててな。知っているおもちゃ屋を片っ端から回って、やっと手に入れた時、夕方近くになってしまったんだ。
急いで公園に向かった俺を待っていたのは、ブランコを一人で漕いでいた妹だった。
俺が来たと気付いた時、喜んでくれたよ。遅れたのに、喜んでくれた。家に帰らないといけない時間なのに、喜んでくれたんだ。ひたすら頭を下げた。笑って許してくれたよ。「おにいちゃんがくるまえに、いっぱいあそんでくれたおねえちゃんがいてくれたから、さみしくなかったよ」って。
人形を渡そうとした時、急にぐったりとして………………俺は背負って、病院に連れて行った。
そして、そのまま妹は、外に出られることもなく…………」
何も、言えなかった。あまりに衝撃的だったから。
喋りを止めると、途端に聞こえるのは、時を刻む時計の音。耳障りなまでに大きく響く。
折原の言葉の、続きを待った。
「妹はあまり我侭を言わなかった。だけど、病院のベッドで一度だけ「…………やくそく、まもれなかった」って言われたのが、心に残っているんだ。
…………俺は後悔している。あの時に人形を買いに行ったことを。
妹と遊ぶ約束を守れなかったことを」
ため息。ずっと溜め込んでいたものを吐き出す、深い深い、ため息。
「遊ぶ約束が、かくれんぼ、だったんだ。２人っきりでも、妹の頼み、だったんだよ。
守ってやりたかった。守れなかったんだよ」
あの時に感じたもの、それは、過去の苦い思い出。そんな生易しいものじゃ、ない。
今も、折原を苦しめ続けている。
涙が零れそうになるのを、懸命に堪える。
「これが、俺の話の全部だよ」
ため息。今度は私の。
重い。重いよ。すごく、重い。
どうして。
「どうして？」
「何がだ？」
「どうして、私にそんな、絶対に触れられたくないようなことを、教えたの？」
普通、人には言えない。それぐらい、深く、重い。
「どうしてだろうな」そんな、他人事みたいに。
「感じたから、なのかもしれない。あの時に見た、広瀬の目から。
俺と同じものを感じたから。だから、分かってくれるのかもしれない、そう、思えた」
わかる、わかるよ。確かに分かる。
分かるけど、重すぎるよ、これは。
「私には、重すぎるよ」
呟いた。無意識に。
折原を見る。重い荷物を降ろしたような、すっきりとした顔。ずるい。
私に、こんなに重い荷物を背負わせて、自分だけすっきりとしちゃって。私の気持ちなんか、全然わかってくれてないのに。
今私が、どんな想いで折原の言葉を聞いているのか、思い知らせてやりたい。
「なら、軽くすればいい。俺のように、溜め込んでいたものを吐き出せばいい。
別に俺は広瀬の背負っていたものを拾おうとは思っていない。広瀬だって、俺の荷物を無理に背負う必要はないんだよ」
耳に届く、折原の言葉。それは、とても優しく響いた。
目を見る。いつもの、ふざけたような、子供っぽいものではなかった。
全てを包み込んでくれるような、優しい瞳。
なら、それなら。
「嫌よ」
否定する。
「え？」
中途半端なら、嫌。
「嫌って言ったのよ」
傷に触られるだけなんて、見られるだけなんて、絶対に嫌。
「そう、か………でもな、広瀬。今のお前、見てられないぞ。今にも壊れそうじゃないか。俺のことを聞いて、感じることがあったんだろう？」
そうよ。感じたし、自覚してる。今にも壊れそうだって。
でも、だからこそ、中途半端になら、接して欲しくない。優しくして欲しくない。
「俺じゃ、無理なのか？広瀬の背負っているものを、軽く、出来ないのか？」
折原にしか、出来ない。
でも、あんたは今、自分で放棄したじゃない。背負うことを。「背負ったものを拾おうとは思わない」って。
そんなんじゃ、いらない。
中途半端に優しくされたって、嬉しくも何ともない。
思い出す。七瀬を苛めたいた、あの時。
七瀬が怒りの限界を越えた時、それを押さえ込んだ折原の叫び。
あの目は本気だった。恐いとさえ思った。
そして、羨ましいと思った。
あんな風に、庇ってくれる存在は。私にはいなかったから。
欲しいと思った。そんな存在を。折原を。
近くにいて、七瀬を通じて、折原を見ていた。
他人のために本気になれる人、近付けば近付くほどに…………そして今。
２人だけでいる今、改めて感じる。
だからこそ、中途半端に触れて欲しくない。触れるなら、触れようとするのなら。
私の全てを受け止めて欲しい。
私、欲張りだ。
折原からは、色々もらっているのに。
七瀬留美という親友、短いけど、一緒に過ごしている時間、色々たくさんもらっているのにね。
まだ、欲しいものが、あったんだ。
「私は、背負うわ」
「え？」
「私は背負うわ。折原の背負っていたものを。折原が心に仕舞っていた、重い重い荷物を。折原は、どうなの？」
「……………………広瀬？」
「背負えるの？私がずっと心に仕舞っていた荷物を。背負ってくれるの？私を、私の、わたしの、わたしを」
頭が真っ白になって、思っていたことを口にしているのかも分からないぐらいになって
我に返った時、ベッドの上だった。
上には、折原。
覆い被さるように、包み込むように。
時を刻む音がする。ベッドが軋む音がする。
それを消すのは、優しい声。
「暴れなくて、いいから。落ち着け」
鼓動を感じる。早く脈打っている、折原の鼓動を。
段々と、気持ちが、落ち着いてくる。
「悪かった。言い方が悪かったんだな」耳元で囁くように。
「あまりにも「重い」って言われたから「無理に背負わなくていい」って言ったんだ。それが余計に苦しませるなんて、思いもしなかったから。いくらなんでも、無責任だよな。
大丈夫、俺だって、ちゃんと背負うよ。広瀬の荷物を」
それが、本当なら。どれだけ嬉しいか。
「だから」「それなら」
折原の言葉を止める。
首を回すと、すぐそこに折原の顔。
「全部背負って。私を全部」手を回す。絡める。折原の体。思ったより大きい体。
「それぐらいの覚悟が欲しい。人によっては、たいしたことじゃないことだろうけど、私にとっては」
今度は逆に、私が言葉を止められた。
止められたというべきか。飲み込まれたと言うべきか。
口は塞がれた。折原の唇に。
離れる。まだ離して欲しくないのに。
「これが覚悟、じゃ足りないか？」
足りない。もっと覚悟が必要。
「俺にはここから先に踏み込む覚悟もある。最初のかくれんぼの時は、単なるお節介だった。だけど、今でははっきりと言い切れる。広瀬のことが、好きなんだって。七瀬と広瀬、三人で遊ぶようになってから、段々広瀬に惹かれていったんだ。強がっているところ、可愛いところ。見続けてきた。
好きなんだ。だから、俺は踏み込みたい。
ここから先に覚悟が必要なのは、むしろ広瀬の方だと思うぞ」
軽く、笑う。
「折原なら、いいよ……折原じゃなきゃ、駄目。折原以外は、許せない、許さない」
「後悔、しないか？」
「後悔って、後にならないと、出来ないものよ」
「それも、そうだな」
「後悔するのはむしろ、折原かもしれないわよ。だって、私は好きだから後悔なんて、しないもの」
「それは大丈夫だ。俺も、ちゃんと広瀬のことが好きだから」
その一言が、欲しかった。
心に広がっていく。手を広げて、囁くように。
「きて、おりはら」
「私、小さい頃はいじめられっ子だったの」
ベッドに２人、寝そべって。手を繋いで。
折原は私を見て、私も折原を見ながら。
溜め込んでいたものを、吐き出す。
受け止めてくれる、そう約束してくれたから。
そして、伝えなければいけないことも、あるから。
「私、小さい頃はいじめられっ子だったの。今の私を見ても、信じられないかもしれないけどね。
というか、反動なのよ。今の私が逆の立場にいるのって。苛められたくなかったから。
だから、一生懸命強がって、苛められないですむように、小山の大将になったのよ。
…………子供の頃の話、するね。
あの時も私、いじめられてた。一人ぼっちで、かくれんぼ、してた。
一人ぼっちでかくれんぼ、なわけ、ないってわかるでしょ？一人ぼっちにされたのよ。
呼びかけても来ない返事、ずっと「もういいかい」って言っているのに、耳に届かない「もういいよ」。
ずっとずっと呼んでいたわ「もういいかい」「もういいかい」って。
止めたかったけど、止められなかった。まだ、信じてたから。
でも、悲しくって、泣きながら呼んでた。
それで、「もう止めよう」って思った時に、「もういいよ」って、言われたの。
でも、声がしたのはすぐ側だった。おかしいなって一瞬思ったけど、「もういいよ」って言われたのが嬉しくて、振り返った。
立っていたのは、知らない小さな女の子だった。
にこっと笑った顔が、すっごく可愛かった。
その笑顔で「わたしもかくれんぼ、やりたい」って。嬉しかったわ。
夕方まで、ずっと遊んでた。二人っきりのかくれんぼ。
相手の子が小さかったから、私もすぐ側に隠れて、見つけて、見つけられて。
すっごく、楽しかった。ずっと、遊んでいたかった。
でもね、その子、咳込んだの。夕方になって。
私、「つかれちゃったから、きょうはこれでおしまいにしよう」って言ったの。本当はもっと遊んでいたかった。だけど、その子の顔色が悪いって、小さいながらも分かっちゃったから。
「またかくれんぼやろうね」って言って、別れたわ。
それから毎日、公園でその子のこと、待ってた。けど、それ以来、二度と会うことは、なかったわ。
その子のことで苦い顔をしたわけじゃ、ないの。ただ、かくれんぼっていうと、どうしても置き去りにされたことの方を、思い出してしまうから。一人は、嫌だもの」
折原は、信じられないものを見ているような目で、私を見つめていた。
私は俯いていたから、折原には見えなかっただろうけど、さっき折原の言葉を聞いた時、同じ目をしたんだよ？
だって、嘘みたいな話だもんね。でも、本当のことなんだよ。
聞いていて、繋がっちゃったんだもん。それに、証拠だって、あるんだから。
「折原の、妹さん、だったんだね…………」
「嘘、だろう？」
「多分、間違いないっていう自信、あるよ」
「な、なんだよ、その自信って」
「名前、その子の、名前。約束した時に、名前の交換したから」
『……………ちゃんと、やくそく、まもれなかった』
「この名前は絶対に忘れないよ。だって、私の大切な、最後まで一緒に遊んでくれた、最初の友達だったんだから」
涙で滲む、折原の顔。よく見えない。見えないから、抱きつく。
そして、はっきりと告げる。大切な友達の名前。大好きな人の、妹の名前。
「みさおちゃん」
『まきちゃんと、やくそく、まもれなかった』
次の瞬間、抱き締められていた。それも、強く、とても強く。痛いぐらいに。
ベッドが悲鳴をいあげるほどの、強い力。
「そうか、そうだったんだな、みさお…………」
折原が呟く。私以外の誰か――――――――多分みさおちゃんに向けて。
「俺との約束じゃ、なかったんだな。広瀬との、約束を守れなくって、泣いたんだな」
ああ、やっぱりそうなんだ。みさおちゃんは強い子だと思ってたけど、やっぱり泣いたんだ。泣いて、、くれたんだ。私のために、私との約束を守れなかったから。
「「ありがとう」」声が重なる。
教えてくれて、ありがとう。みさおちゃんの気持ちを。
不思議だけど、みさおちゃんには裏切られたなんて、ちっとも思わなかった。ただ、早く元気になってくれたらいいな、って。そう思った。
悲しいことだけど、でも心の中で、納得していた。やっぱりそうなんだなって、思えた。
「みさおは、友達がいなかったんだ」
「私もいなかった。みさおちゃんが、初めての、一番最初の、大好きな友達だった」
「ありがとう。みさおの友達でいてくれて」
きゅっと、抱き締めてくれる手に、力が加わる。
「これからは……………俺の、一番近くに、いてくれないか？みさおのことは確かに嬉しい。けど、みさおのこととは関係のないところで、広瀬のことが好きになったんだ。ずっと側に、いて欲しい」
私からも、強く抱きつく。口に出すまでもないことだから。けど、これだけは。
「…………………一つ、お願い、聞いてくれる？」
「一つと言わず、いくらでも聞いてやるぞ」
「みさおちゃんのところに連れて行って欲しいの。会いたい」
「ああ、一緒にいこう。
…………そうか、俺もみさおも、広瀬がいてくれたことが支えになっていたんだな。本当にありがとうな、広瀬。大好きだ………」
次の日、晴れた空の下、私たちは手を繋いで、みさおちゃんのところに行った。
その途中で、信じられない話を聞いた。
「え？七瀬、気づいてるの？」
はっきり言って、思いが溢れ過ぎて零れ落ちそうになっている私。
ただ、そうなってしまうと七瀬に私たちのこと、気付かれてしまうかもしれない。
別に隠さなくてもいいことだと思うけど、三人で一緒にいることが多いわけだから、それも何か悪い気がする。でも七瀬はお子様だから、まだわからないかもしれないわね、と私が言ったことに対しての折原の言葉は、私が思いもしないことだった。
「あいつなりに、さりげなく気を使っていたんだよ。ここのところ、妙に俺に対してよそよそしかったりしていただろう？あれ、わざとだったんだぞ？だって、本人が言っていたんだから間違いない。「早く告白してあげなさいよ」ってな。「乙女って、好きな男の子からの告白を待っているんだから。本当は乙女から告白したいけど、言うより言われたいものなんだって」だそうだ」
「は、ははははは……」
なんのことはない、色恋沙汰に関しては、私が一番お子様だったってわけ、か。
無縁仏を預かるお寺で、みさおちゃんは眠っていた。
手を合わせて、お話をした。
これまでのこと、これからのこと。
ちら、と横を見れば、大好きな人が手を合わせていた。
何を言ったのかな？教えて欲しいな。みさおちゃん。
みさおちゃんは笑っていた。思い出の中のみさおちゃんは、ずっと笑顔だったから。
公園に、三人。
七瀬と私と、そして折原。
遊ぶのはいつもこの三人で。そして今日の遊びは
「かくれんぼね。あ、でもこの間みたいのは駄目だからね！」七瀬が防衛線を張る。苦笑する私と折原。
「私から鬼でいいわよ」「俺が最初の鬼になってやるぞ」二人、ほぼ同時に言った。
「いい。また卑怯なことするから、あたしが最初の鬼になる」
随分と信用をなくしたものね、私たち。最も、最初から信用なんかされなかったか。
「じゃあ、始めるわよ！」言うなり木に向かう七瀬。それを見て、手を繋いだまま走り出す私と折原。
「も――――――――――――――――――――――――――――――い――――――――――か―――――――――――――――――――――――――――いっっっっ！」
負けないぐらいに大声で
「「も―――――――――――――――――――――――――――い―――――――――――――――――――――よ――――――――――――――――――――――――――――っっっっっっ！！」」
二人で叫ぶ、三人分の、「もういいよ」
おしまい
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