『パラダイス☆銀河〜愛と絶望の小豆洗い〜』
自分の卒業式を明日に控えた放課後、オレは一人で家路につこうとしていた。
校門をくぐる。と、その瞬間、凄まじい勢いで一つの影がオレに向かって突進してきた。
巻き起こる土煙。突き刺さる殺気。
オレは瞬時に腰を落として迎撃体勢を取る。
相手が突っ込んでくる勢いを利用してカウンター気味に肩からのタックルを決めようとするオレの考えを読んだのか相手は直前で地面を蹴りくるりと背中側に回りオレの首筋に手刀を叩き込もうとしたところを咄嗟に前方に体ごとダイブして回避。
前回り受け身を取りつつ、回転する視界の中でその人影――深山雪見――がニヤリと笑うのを確かに見た。
「甘い！ みさきっ」
「らじゃー。被疑者確保！」
忍び足で背後から近づいていたみさき先輩に、オレはがっしりと捕まえられてしまった。
「やったよ、雪ちゃん」
「折原君、あなたには何も話さない権利がある、あなたの言ったことは裁判であなたに不利な証拠になることがある、あなたには弁護士を呼ぶ権利がある」
「何故にいきなりミランダ警告」
「でも拒否権はないのであしからず」
「なんでだっ！」
というか一体なんなんだ。
帰宅していく学生たちが、オレたちの方をちらちらと見ながらも決して半径五メートル以内には立ち入らないようにして通り過ぎていく。その顔には「またか」という諦めと、「今度は何だ？」という好奇心が浮かんでいる。
注目の中、深山先輩はオレに言い放つ。
「折原君、あなた舞台に立ちなさい」
「舞台？」
みさき先輩に取り押さえられたまま、オレは問い返した。
背中に当たるぽよんとした胸の感触が気持ちいいことはもうしばらく黙っていよう、うん。
「そう、舞台。わたしが脚本を書いたのだけど、その主役を演じて欲しいのよ」
「いや、主役って言われてもオレ、演劇はまったくの素人だし」
「実は前々から折原君には目をつけてたの。あなたには人の目を引く存在感が備わっているわ。役者としてうってつけなのよ」
むう。真面目な顔をしてそんなことを言われてしまっては多少心が動く。
しかしここで素直に了解するわけにはいかない。なんというかオレのアイデンティティ的に。
「実は折原家の家訓の一つに、ジェットコースター上での万歳と演劇だけはするな、というのがあるんだ」
「そんな家、即刻出なさい」
確かにそんな家訓のある家はいやだなぁ。
なんとなく納得してしまった時点でオレの負けだった。
「で、いったいどんな話なんだ？」
「まず舞台は中世ヨーロッパで」
「ふむ」
「テーマはありきたりだけど『真実の愛』で」
「ふむふむ」
「それでタイトルは『髪の毛座ブラックホール狂詩曲〜小豆洗い危機一杯〜』」
「全身全霊でちょっと待て」
限りなく危険な黄色っぽい電波を感じて制止する。ちなみに黄色は救急車の色だ。鉄格子とかついてるらしい。
が、深山先輩はオレの制止などまるで意に介さず続ける。
「折原君の役は主役の小豆洗いだから。期待してるわよ」
「だからちょっと待てって！ 一体なんなんだ中世ヨーロッパで真実の愛でブラックホールで小豆洗いって！」
「あら知らないの？ 小豆洗いっていうのはね、日本古来の妖怪で」
「誰もそんなことは聞いてないっ！ いくらなんでもアバンギャルドに過ぎるだろっ。一体どういう芝居なのかさっぱり理解できないぞ」
「それがいいのよ。先が読める芝居なんてそれこそ未来がない。観客が求めているのは意外性だって、山田先輩も言ってたわ」
深山先輩は自信満々に言った。
「みさき先輩、山田先輩って？」
「うんとね、雪ちゃんのサークルの先輩だよ」
「どんな人か知ってるか？」
みさき先輩は宙に視線を漂わせて少し考え込むと、
「確か、年齢は48歳で、10年前に奥さんに逃げられて以来独身、駅のガード下に住んでいるらしいよ。それでいつも全身タイツを着て何か叫んでるんだって。好きな食べ物は酢豚の中のパイナップル」
「変な人に捕まったか……」
オレはがっくりと肩を落とす。さようなら、常識人だった深山雪見。
「言われてみれば、確かにちょっと変な人かもしれないね」
「相当に変だっ」
言われないと気づかないみさき先輩もな。
オレの落胆をよそに、深山先輩はマイペースだ。
「なにはともあれ、はい、これ台本」
深山先輩から手渡された、コピー用紙を紐で綴じただけの簡単なそれの表紙には、でかでかとそれは見事な達筆で『髪の毛座ブラックホール狂詩曲〜小豆洗い危機一杯〜』と書かれていた。
冷や汗が一筋こめかみを伝う。
マジだ。大マジだこの人。
なら、オレもやるしかないだろう。
だって断ったらなんか怖いし。
あおーげばーとおーとしー、わがーしのーおんー。
「卒業証書、授与」
一人ずつ壇上に上がって校長から卒業証書を受け取っていく。
あっという間に一日は過ぎて、卒業式は順調に進んでいた。
呆れたことにオレに与えられた猶予はたったの一日だった。舞台はどうやら卒業式後に開幕らしい。
一応自分の分の台詞にだけは目を通してきたものの、舞台の流れなど一切理解していない。それに稽古とか全くやらずにいいんだろうか。
深山先輩とみさき先輩の姿はさっき確認した。後ろの方でスタンバっているのだろう。
嫌な予感がする。
落ち着くために持っていたドライバーで前に座っていた七瀬の椅子のネジを捻ってみたりする。
がしゃがしゃどざーーーっ!!
あ、分解。
「ぐあっ」
変な声を上げて床に尻餅をつく七瀬。手負いの熊もかくやというようなもの凄い目つきでオレを睨むので思わず目をそらす。
七瀬はしばらくオレを睨んでいたが、式の最中にいつまでもそうしているわけにもいかず、やがて教師が持ってきた新しい椅子に荒々しく座って前を向いた。
「もうっ、駄目だよ浩平。あんなことしちゃ」
「いや、きっとネジが錆びていたんだな。七瀬の体重に耐えきれなかったんだ」
「何言ってるの。全部見てたんだよ。そこにあるドライバーはなんなのよ」
「ぐあっ、しまった」
そんな些細なハプニングも孕みつつ、卒業証書授与はオレの番になった。
「折原浩平」
名前を呼ばれて壇上に上がり、礼をして校長から証書を受け取り回れ右して自分の席へ戻っていく。
戻ろうとしたときだった。
突然、講堂中の電気が消えた。窓にも全て暗幕がかけられ、一気に暗闇が辺りを覆う。
ざわめく場内。
そしてスピーカーから流れる深山先輩の声。
「あー、あーあー。突然ですが、ただいまより卒業式を中止しまして、有志による演劇『パラダイス☆銀河〜愛と絶望の小豆洗い〜』をお送りいたします。どうかそのままでしばらくお待ちください。それから業務連絡、関係者はただちに舞台袖に集合するように」
タイトルが変わっているのは深い意味はないんだろうな、きっと。
「まさか卒業式ジャックをやるとは思わなかったぞ」
「いいじゃない、どうせもう卒業証書貰ったんだから。今更何をやったって停学にも退学にもならないわよ」
「わかんないぞ、もう一度入学させられるかもしれない」
舞台袖で深山先輩と話していると、くいくいと袖を引っ張られた。この感触は……。
「やっぱり澪か。なんだ、澪も出るのか」
澪はうんうん、と頷いてスケッチブックを見せる。
『がんばるの』
「ははっ、そうだな。お互い頑張るか」
小豆洗いだけどな。
「そろそろ幕を開けるわよ。全員位置について！」
深山先輩の声が響いた。
オレは最後に客席の様子を確認する。
満員御礼だった。三十分前よりも明らかに人が増えている。なんか後ろの方、立ち見とか出てるし。相変わらず大らかな学校だ。
あ、住井発見。
「コーラいかがっすかー。コーラ一杯二百円でーす。ポップコーンは三百円ー」
商売してやがる。
「コーラとポップコーンのセットで通常五百円のところを、今なら特別セット価格四百円と大変お買い得になっておりますー」
しかも商売上手!?
薄闇の中に響くブザーの音。絞られていた明かりが完全に消され、闇がその濃さを増す。客席のざわめきがやんで沈黙が降りる。
舞台の幕があがっていく。
開演。
舞台上のライトに照らされ、森のセットが浮かび上がる。
「ここは中世ヨーロッパのとある森の中。時は夜。物語は、日本から渡ってきた一人の小豆洗いが偶然ここを通りかかったことから始まります」
深山先輩のナレーションが辺りに響く。
スポットライトに照らされて、オレは舞台袖から千鳥足で歩き出す。
「小豆、小豆はどこだー。ちくしょう、最近は不景気でどこにも小豆が見つからねぇ。こうなったらいっそのこと大豆洗いにでも転職しちまうかね、えぇ、お月さんよ」
故郷から遠く離れてやさぐれてるという設定らしい。
「でも駄目だ。大豆なんて洗っていたら、いつ加工して豆腐にしてしまうかわからない。そんなのは駄目だ。あまつさえ、豆乳なんてつくっちまったら駄目駄目だ」
主役であるオレの感情に合わせて、悲しげな音楽が流れる。偽りのテンペスト。よりにもよって。
「ぼくはずっと小豆を洗っていられたらそれで良かったのに。永遠なんてなかったんだ」
舞台の中央にスポットライトが当たる。そこに佇んでいるのは白っぽい衣装に身を包んだ澪だ。手にしたスケッチブック……ではなくプラカードを掲げてみせる。観客にもよく見えるようにという配慮か。
『そんなことないの』
「君は？」
『お米の女神なの』
――なんだっけ。
ヤバイ。澪との絡みの最中、台詞が飛んだ。アドリブで対応するか、それとも……。
「『この美しい月に誓おう』、だよ」
どこからともなく囁き声。この声は長森？ あいつもこの舞台にいるのか？
頭を切り換える。詮索は後回しだ。
「この美しい月に誓おう。オレはこの世の果てにあるという伝説の小豆エターナルを必ず手に入れてみせる」
ぐっと拳を握り、固い決意を込めて振り上げる。
そしてスポットライトはオレから離れて澪に移った。なんとか乗り切ることが出来たらしい。
その隙に周りを見回すと、心配そうな表情をしている長森が見つかった。
舞台の奥。背景に溶け込むように立っている。
というか、背景の木の役だった。
「何やってんだよ、長森」
「メタセコイアだよ」
誰が属名を尋ねたか。それにそもそもあれってヨーロッパに生えてたっけ？
「浩平がお芝居やるって聞いて、心配だからわたしもオーディション受けちゃった。すごい倍率だったんだよ」
「木の役がか」
「うん。樫の木やサボテンの役はそれほどでもないんだけど、メタセコイア役は大人気」
今、世間ではメタセコイアが密かなブームらしい。多分。
「とにかくさっきは助かった。ありがとな」
「わたし、こっそり台本持ってるからまた詰まったりしたら教えてあげるよ」
「ああ、教わってやろう」
くすりと笑う長森。
「そろそろ場面転換だよ。がんばってね、浩平」
「おぅ。長森もな」
爽やかにエールを交わし合う小豆洗いとメタセコイアなオレ達だった。
立派な城のセット。そのバルコニーの上にドレスアップした茜の姿がある。憂いを帯びた表情で空に浮かぶ朧月を見上げている。
オレは不覚にも数秒間見惚れてしまった。
フランス人形のような面持ちの茜に、お姫様役はよく似合う。
茜がその小さな口を開く。
「――お」
一瞬の溜め。そして。
「おぉーっほっほっほっほ！ パンがなければワッフルを食べればいいじゃない！」
高笑い!? あの茜が!?
「凄い……」
マイクに入らないようにぽつりと深山先輩が呟く。
「山葉堂のワッフル三十個は決して高い買い物じゃなかったわね」
買収したんか。
「良くってよ、良くってよ！ ワタクシ、今とっても気分が良くってよ！」
茜の演技はさらにヒートアップする。
腰を反らし、片手は腰に、片手は口元に。並み居る観客を文字通り見下ろし、態度はあくまで傲然と。
その姿はもうこれ以上ないほどに見事な女王様だった。
里村茜、意外と完璧主義者。
そして客席から一人の男が立ち上がる。
「ブラボー！ そんな里村も好きだぁぁ！」
観客席の中央を突っ切って舞台に登ろうとする愛の奴隷沢口。血走った目が怖い。
「好きっつーかむしろラブ？ 愛？ そう俺たちは愛し愛されて生きるのさ。そう、やはり俺としては健全に交換日記から始めてゆくゆくは海辺の小高い丘に二階建ての白い洋館を建てて子供は男の子と女の子一人ずつでペットのゴールデンレトリバーの名前は三郎太にしたいと思っているのでまずは俺と付き合ってくれぇぇぇ！」
「嫌です」
ひゅんっ！
「あべしっ！」
風切り音がしたかと思うと、沢口は吹っ飛んで白目を剥いた。
「い、今、茜の髪が伸びて鞭みたいに動かなかったか？」
「きっと幻覚症状だよ、浩平くん」
「それはそれで激しく嫌なんだが……」
気絶した沢口はどこからともなく現れた柚木が引っ張って回収した。
「はいはい、役者さんには手を触れないでね。希望はなんだっけ？ 海辺の小高い丘に建った弟切草の花でいっぱいのお墓に埋めて欲しい、だっけ？」
「ち、が、う……」
フェードアウトしていく会話の声と、ガコンガコンと沢口の頭が床の段差にぶつかる音。
それもまた一つの永遠。
獣耳に獣しっぽを生やしたちっさい物体が、俺の周りを飛び跳ねる。
「みゅーっ、みゅーっ」
そうか、繭。お前も捕まってたのか。
きっと裏山辺りで、輪にした縄の中にてりやきバーガーをしかけられたりしたんだろうなぁ。
「浩平、そんな汚されちゃったお気に入りのおもちゃを見るような目で繭を眺めてる場合じゃないよ。台詞台詞」
おっとそうだった。オレは自分の台詞を思い出して声を出す。
「おお、なんと不思議な生き物だろう。こんな生き物は見たことがない。しかもどうやらオレに懐いているみたいだ」
「みゅみゅっ？」
「よし、お前を『みゅー』と名付けよう。どうだ、みゅー。オレと一緒に来るか？」
「みゅーっ！」
「よしよし、これは楽しい道連れが出来た。いざとなったら非常食にもなるしな」
ううっ、ごめんな繭。全てはこんな脚本を書いた深山先輩が悪いんだからな。
「わー、浩平ロリコンだぁ」
「そういう意味の食べるじゃねぇっ！」
「みゅっ？」
興味深そうな顔でオレを見るな、頼むから。
戦いに傷ついたオレは長森＝メタセコイア＝瑞佳の前に跪いて祈る。
頭上から長森の声が降ってくる。
「顔を上げるんだよもん、小豆洗い。貴方は実は竜の子孫なんだよもん。その身に宿した古の力を、今、覚醒させてあげるんだよもん」
舞台全体がぼんやりと発光する。その中心にいるのはオレだ。
「こっ、この光は……」
「だ〜よ〜も〜〜〜んっ!!」
光は今や眩しいばかりになり、オレの背中には確かに四翼の羽が生えていた。
「す、すげぇっ！ これで一体オレはどんな能力を手に入れたんだ？」
「指の第一関節を自在に曲げられるようになったんだよもん」
「地味すぎーっ！ しかも意味ねーっ！」
劇もいよいよ佳境に入ってきた。
長い旅路の末、オレ達はついに伝説の小豆エターナルの元に辿り着いた。
だがオレ達の前にはワッフルプリンセス茜が立ち塞がるのだった。
「この伝説の小豆は渡しません。どうしても欲しいというのなら、ワタクシ達を倒して実力で手に入れてご覧なさい」
「ワタクシ達？」
「出てきなさい、王宮護衛力士！」
…………。
たっぷり三十秒以上の間。何も出てこない。
いや、セットの影で何かが酷い葛藤に悩まされている気配だけはよく伝わってくるんだが。
……まぁ、そんな役柄じゃ出たくないだろうなぁ。
「出てきなさい、王宮護衛力士！」
さっきと全く同じ声音で同じ台詞を言う茜。
葛藤の影がさらに濃くなる。
オレはその影に向かってこっそりと声をかける。
「おーい、気持ちはわかるけど、出てこないといつまで経っても話が進まないぞ」
「わかってるわよ！ でもなんであたしがこんな力士の役で……」
「どうせなんかで脅されてるんだろ？ なら諦めた方が賢いと思うが」
「うう……屈辱だわ」
「出てきなさい、王宮護衛力士！」
茜が三度目の台詞を言う。
ようやくのそのそと出てきたのは、大方の予想通りやっぱり七瀬だった。肌色の肉襦袢に身を包み、両手を上げながらオレ達の前に歩み出る。
「ふ、ふんがー」
「フランケンか、お前は」
「うるさいわねっ、そう言えって脚本に書いてあるのよ！」
「こっちもだ。ちなみに今喋っているこの台詞も脚本に書いてある。という台詞も脚本に書いてある。という台詞も以下略だ」
複雑でなんだか頭が痛くなってきた。
見ると、七瀬も同じらしくこめかみを押さえている。あいつも結構アホだからな。
「とにかく、お前を倒さないと伝説の小豆が手に入らないというのなら倒すまで！ ゆくぞ！」
オレは武器の南京玉すだれを構えて七瀬に突進する！
袈裟懸けに斬りつけたが、七瀬は力士とは思えない俊敏なバックステップでそれを回避。がら空きになったオレの胸元へ両手を伸ばす。
「どすこーい！」
「ぐっ、ぐわぁぁぁ！」
オレは七瀬の連続つっぱりによって画面の端に押し出された。
「この技はまさか伝説のつっぱり大相撲千秋楽!? あの殺人相撲術の使い手がこんなところにいようとはっ」
「おぉーほっほっほ！ この子はダンプカーとも五分以上に戦える逸材ですのよ」
「くっ、伝説の小豆を目の前にして……。ここまでなのか……」
オレはがっくりと膝をつき、王宮護衛力士がゆっくりと近づいてくるのを見上げることしか出来ない……。
と、そのとき一陣の風が吹いた。
「――今日はいい風が吹いてるね」
舞台袖から一人の人影が現れる。
「誰っ!?」
力士の誰何の声に、人影は歌うように答える。
「一つ、人の世のカレーを食らい」
べべん。三味線の音。
「二つ、不埒なおかわり三昧」
べべん、べん。
「三つ、醜い食べ残しを片づけてあげよう、カツカレー侍！」
着流し姿で腰には日本刀を履き、なぜか頭には斜めにひょっとこのお面を乗せている。
みさき先輩だった。
「さぁ、私が相手になるよ」
ちゃきり、と居合いの構えを取る。なかなか様になっている。
その剣気に当てられたのか、七瀬も真剣な顔をして四股を踏み、腰を落として突進する構えを取る。
『カツカレー侍の居合いが早いか、力士の突進が早いか、スピードの勝負なの』
手持ちぶさたなのかお米の精霊がプラカードで解説する。
『普通に考えたら居合いの方が断然有利なの。でも、力士にはあれだけの体重があるから、突進力および破壊力はかなりのものなの。もしカツカレー侍が力士を一撃で倒せないようだと、その瞬間にカツカレー侍の負けが決まるの』
「懐に入られたらあれだけの長い刀は不利だからな。直線的なつっぱりの方が有効というわけだ」
『そういうことなの』
オレ達が解説している間も二人は微動だにしない。この場に行司はいない。なんらかの動くきっかけを二人とも待っているのだ。
オレは二人の動きを注目しながら静かに口に出す。
「……カツカレー侍にＡランチ」
『力士にＢランチなの』
「賭けてるんじゃない、ドアホゥ！」
「ぐあっ！」
七瀬のつっぱりがオレを突き倒した。
そして、カツカレー侍が動いた。
「――今！」
水面を移動するような摺り足で移動し力士を攻撃範囲に収めると、目にも止まらぬ早さで抜刀した。足下の床が爆発のような音を立てる。
「……くっ！」
銀色の光にしか見えなかったそれを、しかし力士は紙一重でかわした。ぎりぎりまで体を反らせて、まさに首の皮一枚といったところ。うっすらと血が滲んですらいる。
「……って、ちょっと待てっ!! 先輩、それもしかして真剣なのか!?」
七瀬は顔を青ざめさせて腰を抜かしている。無理もない。
「えっと、関係あるかどうか分からないけど。雪ちゃんは『ちょっと重いかもしれないけど、これもリアリティを追求するためだから』とか言ってたよ」
「その重さとやらは人一人の命の重さだと知れ」
舞台袖から深山先輩がこっそりと言う。
「芸術の発展のためには常に犠牲がつきものなのよ」
「だからって他人の命を犠牲にするなよ……」
「ほら、そんなことより舞台の続き。いよいよ終盤なんだから気合いを入れなさい」
舞台に目をやると、七瀬が泣きながら逃げ帰っていくところだった。
ワッフルプリンセスと王宮護衛力士を退けて遂に伝説の小豆を手にしたオレ達。
「これが、伝説の小豆エターナルか」
オレは隣に立つお米の女神様こと澪の頭を撫でてやる。
「これを手に入れることが出来たのも、元はと言えば君のおかげだ。お礼を言うよ、ありがとう」
いよいよラスト、ラブシーンだ。この物語のヒロインは澪だったらしい。今知ったが。
『そんなことはないの。あなたの知恵と勇気と悪運と卑怯さとその他諸々が、その伝説の小豆エターナルを勝ち取ったの』
「はっはっは、こいつぅ」
なんか頭に来たのでウメボシの刑に処す。ぐりぐりと頭をこづいてやった。
『とっても痛かったの』
えぐえぐと泣く澪を見ると、少し悪いことをしたかと思わないこともない。
そうだな、この劇もようやく終わりだし、後は普通のラブシーンだけみたいだから最後ぐらいはきっちりきめてやるか。
オレは真剣な顔を作ると澪に向き直る。
「エターナルを手に入れたものの、オレの行く手にはまだこれから先、様々な困難が待ち受けているだろう。良かったら、これからもオレと一緒にいてくれないか？」
澪は顔を赤く染めると、しばらくもじもじとする。
「……駄目か？」
問いかけると、澪はすごい勢いでプラカードに文字を書く。焦りすぎて少し読みづらかったが、
『そんなことないの！』
でっかい字でそう書かれていた。
「……いいのか、オレなんかで。オレはいくら伝説の竜の子孫とは言え、所詮しがない小豆洗いだ。きっと色々と苦労をかけることになると思う。それでも、本当にいいのか？」
こくり、と澪は赤い顔で頷くと、何かをプラカードに書いて見せる。
『ヒトメボレなの』
「なるほど、米だけに」
気が付けば舞台の照明は絞られ、ロマンティックな音楽が薄く流されている。
オレは澪を抱き寄せてキスをしようとする。抱き寄せられた澪は赤い顔をして目を閉じて、その身をオレに任せる。
もう少しで唇が重なる、というところで。
セットの一部が爆発した。
「なっ、なんだ一体!?」
こんなのは確か台本にはなかったはずだ。
もうもうと立ちこめる煙。舞台の上には大きな穴が一つ。
そして煙の中に一人の人影。
「酷いじゃないか浩平君、僕というものがありながら浮気だなんて」
「ひ、氷上!?」
そこにいたのは氷上シュンだった。ただし、全身白タイツを着て、爆発の影響かアフロヘアになった。
一目見た限りでは変態にしか見えないが、その実中身は立派な変態だ。
「その伝説の小豆エターナルとやらは預かっておくよ。欲しければ僕を追っておいでマイラバー」
誰がマイラバーか。
「待て、それ返しやがれ！」
「あはっ、僕の思いは届いたかい？」
「決め台詞だけ言って消えるんじゃないーっ！」
氷上は現れたときと同様の唐突さで舞台の上から消えた。
無駄にウインクなんて決めて。
伝説の小豆エターナルを持ったまま。
呆然とするオレをよそに、エンディングテーマが流れる。
深山先輩のナレーション。
「ああ、なんということでしょう！ ようやく手に入れた伝説の小豆エターナルは、謎の変態ホモ美少年に持ち去られてしまいました！ 果たして小豆洗いは伝説の小豆を取り戻すことが出来るのか!? そして氷上シュンと折原浩平の禁断の、そして真実の愛の行方は!? 後日上演予定の第二部『外宇宙への旅立ち』を乞うご期待!!」
「まだ続くのかーっ!?」
「ちなみに最終章第三部『餡〜とろける味覚へ〜』の脚本も鋭意執筆中です！ お楽しみに！」
「全然楽しみじゃねぇっ！」
幕。
続かない。
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