また春が来て、オレたちは最上級生となった。
進学校でもないのにクラスの持ち上がり。全く、変な学校だ。
その中で、去年の今頃には見なかった顔がある。
七瀬留美。周囲と違う制服を見に纏ったその少女は、昨年末に越してきた転校生であり、今オレの最も気になる相手でもある。
オレとあいつと彼女の事情
「な〜に黄昏てんのよっ」
完全に自分の思考に入りこんでいたオレは、突然背後からかけられた声に思わず身を竦めた。
軽く呼吸を整え、平静を装って振り向く。そこには、見慣れた、いや見飽きたといってもいい顔があった。
「なんだ、佐織か……」
そう、稲城佐織。オレの家の近所に住んでいる幼なじみであり、小中高と同じ学校に進学した腐れ縁。
なのに同じクラスになったのは去年が初めてだというからわからない。
まぁ世の中得てしてそんなもんといわれればそれまでだけど。
その佐織が、腕組みをしながら不満げな表情でこちらを見つめていた。
「なによ、その態度は。明義が一人寂しそうにしてたから話しかけてあげたんじゃない。感謝されこそすれ邪険にされる覚えはないわよ」
「うるさいな、あっち行けよ」
気の置けない間柄というのは、心地よい反面、今のように考えごとをしたいときには少しばかり鬱陶しい。
しっしっ、と手を振って追いやろうとしたのだが、佐織の一言によってその動きは凍りついた。
「あんた、また七瀬さん見てたの？」
「なっなっ」
「なんでそのことを知ってるんだ、って聞きたいわけ？」
こくこく。まるで啄木鳥のように何度も頷く。そんなオレを見て、佐織はさも飽きれたとばかりに肩をすくめた。
「はぁ……そりゃ普通わかるでしょ。最近七瀬さんの方見て溜息ばっかついてんだから。というかウチのクラスで気づいてないのって、あんたと七瀬さんぐらいじゃないの？」
マジか？ 確かに最近は七瀬を目で追う機会が増えたとは自覚していたが、まさか周りにバレバレだったとは……。
ぱしん。
「痛っ、いきなりなにしやがるっ！」
羞恥と自己嫌悪とがないまぜとなって呆然としているオレの背中を、佐織は思いっきり引っぱたいた。
「あ〜もう、うじうじうじうじ……最近のあんたは見ててイライラしてくんのよ！」
「なら見なきゃいいだろ！」
「同じクラスだから勝手に目に入ってくるのよ！ 全く、情けない。女の子一人声かけられないなんて」
溜息をつきながら首を振る。その様子を見てカチンときた。
「そんなはずないだろ。考えごとでもしてんのかなって遠慮してただけだよ！」
「ふ〜ん。恥ずかしくて話しかけられないってわけじゃあないのよね？」
「ああ」
「じゃ、証拠見せてよ」
「証拠？」
いぶかしげに聞き返すオレに、佐織は
「そ。実際に今から声かけてきてよ」
にっこりと笑いながらそう言った。
あ〜、なんでこんなことになってるんだ？
七瀬の席に向かいながら、オレは考える。
佐織が挑発しているのには気づいていた。
なのにあえてそれに乗ったのは、やはり何かしらのきっかけが欲しかったからだろう。
そう、冷静に分析すればすぐにわかることだ。だけど、唐突すぎる。心の準備がまだ出来ていない。
少しでも到着を遅らそうと必死で足を緩めたが、そこは狭い教室内。十数歩の歩みで、七瀬の前にまで来てしまっていた。
「？」
不意にさした人影に気づいたのだろう。七瀬が顔をあげ、オレを見て怪訝そうな表情をした。
「えと、南君……だよね？ あたしに何か用かな？」
普段、長森や佐織たちと話している時とは明らかに違う口調。
それもそうだろう。今まで数回しか話したことのない男が、急に目の前に現れたんだ。変に思われても無理はない。
が、強制的とはいえ折角の機会。オレはその警戒心を無視して、意識して軽い感じで話しかけた。
「ああ。最近休憩時間ぼーっとしていることが多いだろ？ ちょいとそれが気になってな」
「そんなことないわよ。あたし、前からこんな感じだったし」
朗らかに笑いながら、丁寧に、それでいてそっけなく返される。
だけどここで引き下がってしまっては意味が無い。オレは記憶を頼りに、さらに言葉を続けた。
「いや、転入してきた当時はもっと騒がしかったような気がするぞ」
「……え？」
「ああ、確か誰かと一緒に……」
あれ、何言ってんだオレ？
慌てて取り繕おうとしたところ、七瀬が何かを期待するような目で見ているのに気がついた。
「それで？」
「い、いや。オレの気のせいだったみたいだ」
「そう……」
答えた途端、暗い面持ちになって俯いてしまう。
「どうしたんだ？」
「ううん、なんでもない」
どう考えても何かあります、って表情だったのだが、さすがにこれ以上踏み込むのは躊躇われる。
しばらく無言で過ごしていると、七瀬はそのままの体勢で言葉を放った。
「ごめん、南君。しばらく一人にしてくれる？」
「お、おう」
消え入りそうなほど小さく、か細い声。オレはぎこちなく頷き、その場を後にする。
自分の席の戻る途中、佐織からの「なっさけないわねっ」との声が聞こえてきたが、もはやオレにはそれに反論する気力さえ残ってはいなかった。
「暗いぞっ、南」
「いきなり失礼な奴だな」
７月。夏休みを目前に控え、浮れた雰囲気の中。オレは一人沈んでいた。
理由はわかっている。数ヶ月前のあの会話。
あれ以降、ますます七瀬はかたくなになり、周囲との溝を深めていた。
話しかけられれば答えるし、誘われればそれなりに遊びに行くようだが、自分からは決して行動しない。
場合によっては一日中、窓から外を眺めているだけの日もあった。
その責任の一端がオレにあると思えば、明るくなれるハズもない。
しかし、当然のことながら目の前にいる友人――住井にオレの葛藤が伝わるはずもなく、いつも通りの高いテンションのまま言葉を連ねてきた。
「デートだ」
「はぁ？」
「デートするぞっ」
ちょ、ちょっと待て。オレにその気はないぞ？
「あ、その顔は絶対勘違いしてるな。俺とお前とのはずがないだろうが」
「じゃあ、なんなんだよ」
住井は演出効果を高める為か一拍間を空け、その後声高々に宣言した。
「ダブルデートだっ！」
「なるほど。オレとお前とあと女を二人誘って遊園地に行く、と」
「そう。偶然チケットを四枚貰ったんだが、野郎ばっかで行っても面白くないだろ？」
それならば納得できる。が、最初のあの台詞でそこまで理解できる奴がいるとは思えない。
「お前、さっきはわざとオレに誤解させるような言葉を使っただろ」
「うん、気のせいだろ。それより誘う相手なんだが……」
さらりとかわされてしまう。さすがにクラスのムードメーカーともなると神経が図太いな。動揺一つしない。
「七瀬さんと稲城さんでいいか？」
「はぁ？」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
そして理解するに従って、ますます頭が混乱してきた。
「待て待て待て待て」
「あん？」
「なんで七瀬と佐織なんだ？」
「嫌だったか？」
「嫌とかそんなんじゃなくて、人選の基準だよ、基準！」
そこまで言って、オレはあることを思い出した。
「そうだ、長森誘えよ長森。お前確か、長森狙いじゃなかったのか？」
「ば、馬鹿っ。俺のことはいいんだよ、今はお前のことだっ！」
「オレの……？」
言ってからしまった、とばかりに口を押さえる住井。
「さて、と。理由を教えてもらえるよな？」
にこやかに指を鳴らしつつ迫るオレに、住井は諦めたように溜息をついた。
「仕方ないか。本当は言いたくなかったんだけどなぁ」
「だからなんなんだ？」
もう一度溜息をつき、今までのふざけた雰囲気から一転、真剣な顔をして住井は答えた。
「お前、七瀬さんのことが好きなんだろ？」
「なっなっ」
以前佐織からみんな知っている、と聞かされていたとはいえ、実際に友人の口から問いかけられると別の意味で衝撃を受ける。
そんなオレの様子を見て確信したのか、苦笑いしながら住井は続けた。
「ああ、大丈夫だって。七瀬さんは気づいてないから。他の奴は……たぶん、クラス全員知ってるとは思うけど」
再度その事実を知らされ、思いっきり打ちひしがれる。
しかも今回のは何気に「見てる」から「好きだ」にランクアップしているし。
「それでまぁ、その、俺がちょーっとばかり手伝ってやろうかなって思ってな」
全く、お節介な奴だ。一見、おちゃらけているようで、その実友達思いな住井。
たまに無茶しているのにも拘らず、クラスでこいつのことを嫌っている奴がいないのも、その辺りが理由だろう。
あれ、そういえば一緒につるんでいた奴がいたような気が……？
「……すまん、やっぱり迷惑だったか？」
思わず考え込んでしまったオレを見て不安になったのか、住井が心配そうな表情で聞いてきた。
「いや。そのチケットのことを考えていてな。わざわざオレの為にお前が買ったのか？」
「さすがに俺もそこまでしないって。本当に貰いもんだよ」
「そうか……」
顎に手を当て、思案している風を装う。結論はもう出てるんだけどな。
「じゃあ、お願いできるか？」
「おう、任せとけって！ そんじゃあ俺が七瀬さんを誘うから、お前は稲城さんに話してくれ」
「……いいのか？」
「お前からだと話しにくいだろ？ まぁ戦艦大和にでも乗った気持ちでどーんと構えとけって！」
言うや否や、七瀬の席に向かって歩き出す。
でもな、住井。
オレは去って行く住井の背中に向かって、心の中で呟いた。
大和は結局、沈んだんだぞ……。
「なあ、少し休憩しないか？」
「だっらしないわね〜、男だったらもうちょっと頑張りなさいよ」
「あたし、何か飲み物買って来るわね」
「七瀬さん、俺も行くよ」
「駄目駄目、住井君は招待者なんだからここで座って待ってて。代わりに私が行くから」
目の前で繰り広げられているやり取りを、オレはぼんやりと見つめる。
ここは郊外にある遊園地。結局あの後住井は、見事七瀬さんを誘うことに成功した。
むしろオレの方が難航したと言ってもいいだろう。あっさりＯＫすると思っていた佐織が、何故かなかなか首を縦に振らなかったからだ。
最終的には「しょうがないわねぇ」と承諾してくれたものの、いつものあいつらしくない態度が少しだけ気になった。
「お前、馬鹿だなぁ」
「ん？」
近くにあったベンチでへばっているオレを見て、住井が呆れたように目を細める。
「こんな時こそポイント稼がないと。特に今なんかは七瀬さんと二人っきりになれる絶好のチャンスだったんだぞ？」
んなこと言われてもなぁ。実際、朝から歩き通しで疲れてたし、二人になっても気まずいだけだろうし。
オレの気のない様子に、住井は我がごとのように声を荒げる。
「お前がそんな調子じゃあ、それこそここに来た意味がなくなっちまうぞ！」
「ああ……」
コイツにはほんと、感謝してる。
今日だってオレと七瀬を一緒にしようと、わざと並ぶのを遅らせたり、パスポートが見つからない振りをしたり、色々試してくれたのは知っている。
それでもやっぱり、踏ん切りがつかなかった。あんな会話の終わり方をして、いまさらどの面下げて話しかけりゃいいんだ？
だからオレは、七瀬と二人だけになるのを避けた。その都度理由をつけ、住井を待ったり、佐織に話しかけたりして、常に三人以上で行動するようにした。
それが歯痒いのだろう。笑顔を浮かべながらも、住井は時たま責めるような視線をオレに向けてきた。
「どうなんだ？」
しかし……。
「なぁ住井」
「あん？」
「お前、なんでそんなにいい奴なのに彼女がいないんだ？」
「なっ、ふざけるのも大概にしろよっ！」
純粋に疑問をぶつけただけなんだが、住井は大層ご立腹のようだ。
そうこうしているうちに七瀬と佐織が戻ってきて、そのまま話はうやむやとなった。
と、このときのオレはそう考えていた。しかし、住井はまだ諦めてなかったんだよな……。
徐々に高まる視界から、オレは住井に抗議の視線を送る。
奴は満足げに笑っていた。しかも親指まで立ててやがる。くそっ！
……そう、最後の最後で、オレは七瀬と二人っきりにされた。しかも観覧車。他のアトラクと違い、じっくり話せること受けあいだ。
おまけにこの遊園地の名物とあって、一周するのに２０分もかかりやがる。
オレはしばらく外を眺めていたが、やがて間が持たなくなってきて仕方なしに正面を向いた。
と、反対側の窓を眺めていた七瀬も向き直り、思いっきり目が合ってしまう。
なにか話さないと。散々躊躇したあげく、オレはゆっくりと口を開き、
「「あの」」
七瀬と同時に声を発し、そして同時に口をつむんだ。
「七瀬から言えよ」
「南君こそ」
「オレは対した用件じゃないよ」
「あたしも別に」
沈黙。オレはそれを嫌い、再度口を開く。
「なんかあるんだろ、言えよ」
「別になんでもないって。南君はなに？」
「オレはいいから先に言えって！」
「あんたこそ先に言いなさいよ！」
いがみ合う様に顔を付き合わせ、おもむろに吹き出す。
「何やってるんだろうな、オレたち」
「ほんと、わけわかんないわね」
どうも予想外の展開だったが、都合よくなごんた雰囲気となった。
オレはこれ幸いと、あの時のことを切り出す。
「七瀬、前は悪かったな。なんか気に障るようなこと言ったみたいで。オレ、デリカシーないからそういうの全然気づかなくて」
「ううん、南君は悪くないわ。全部あたしの問題。なのに追い払うような真似をして。だから、こっちこそごめんね」
お前を悩ませているのは何なんだ？ そうここで問いただしたかったが、今はまだその時期ではないだろう。
とりあえずは、もっと話してみよう。そうすれば、いずれわかるだろうし。
「しっかしさっきは驚いたよ。今まで大人しいと思っていた七瀬がいきなり怒鳴りだすんだもんな。今まで学校じゃ、猫かぶってたのか？」
「え、何のことかしら？」
「今更上品ぶっても遅いって。しっかしコレを知ったらクラスの男連中、がっかりするだろうな〜」
「……なにが望みなの？」
「あれ、なんか催促しているように聞こえたか？」
「思いっきり脅迫じゃないのよっ！ ああ、もう、せっかく築きあげてきたあたしの乙女らしいイメージが台無しじゃない！」
本気で驚いた。冗談のつもりだったのに、マジで装ってたのか。
でも何故か、全く違和感はなかった。オレはこの七瀬を知っている？
「……どうしたの？」
おっと、また考えごとに没頭していたようだ。七瀬が訝しげな表情でオレを見ていた。
「ん、いや、なに奢ってもらおうかな〜って思ってな」
「あんた、本当に女の子にたかる気？ それって最悪よ」
「冗談だよ。誰にも言やしないって」
「そ、そうよね。あははっ、一瞬本気にしたじゃない」
「こんな面白いこと、他の奴らにもらすのは勿体無いだろ？」
「うわっ、人間腐ってる……」
「今度こそ冗談だって！ ホント、信じてくれって！」
その後は、まるで今までぎくしゃくしていたのが嘘のように色々と話した。
昔、剣道をやっていたこと。意外とミーハーなこと。実はお菓子作りが得意なこと。
そうこうしているうちに時間は過ぎ、次はオレたちが降りる番となった。
「？ なに？」
差し出したオレの手を見て、首を傾げる七瀬。
「ああ、降りるとき危ないだろ。だから手、貸そうと思って」
「え、ああ、ありがと……」
嫌がるかな、と思ったんだが、意外と素直に手を重ねてくれる。
「んじゃ、いきますかお姫様？」
気恥ずかしさからおどけてみせたオレに、
「うんっ！」
七瀬は笑顔で答えてくれた。
「じゃ、俺と七瀬さんはこっちだから」
「南君、佐織、またね」
「おう、じゃあな」
「送り狼になるんじゃないわよ〜」
あの後、パレードまで見たオレたちは、軽く飯を食って駅前で別れた。
オレと佐織は家が近所なので、自然と二人で帰ることとなる。
「観覧車で何かあったの？」
「あん、なんで？」
「だって……あれから急にしゃべりだしたじゃない。それまでずっと避けてるような感じだったのに」
ああ、気づかれてたのか。そういやこいつにも世話になったしな。
オレは観覧車で仲直りしたことを、簡潔に説明した。
「ふ〜ん、それで？」
「なにが？」
「明義、留美に告白するの？」
「なっ、なんでいきなりそこまで話が飛ぶんだよっ！」
大声を上げてごまかそうとするも、佐織の視線に押されて口をつむぐ。
「どうなの？」
「いや、まだわからん。とりあえずは友達から、ってとこだな」
「そう……」
それっきり顎に手を添えて考え込んでしまう。
「どうしたんだ？ お前、さっきから少し変だぞ」
「……え？ ああ、そういえば私、お使い頼まれてたんだったっけ。明義、悪いけど一人で帰ってくれる？」
「おい、佐織っ！」
言うや否や、佐織はオレの返事も待たずに駆け去ってしまった。
「全く……なんなんだ、一体」
後に残されたオレは、一人首を傾げるばかりだった。
それから、オレと七瀬はたまに遊びに行くようになった。
勿論、二人きりってワケじゃあない。今日だって、南森や長森と一緒だ。
今は二組に分かれてボーリングをしている真っ最中。なし崩し的にオレと七瀬を同一チームにされたのが少し気になったが……。
苦笑いをされてる所を見ると、うちのクラスで一番恋愛ごとに疎そうな長森にもバレバレなんだろうなぁ。はぁ。
がっこ〜ん！
場内に響き渡るその小気味のよい音に振り向く。すると、丁度七瀬がこちらに向けてガッツポーズを取っている所だった。
「うわぁ、凄いよ七瀬さん！」
「おいおいマジかよ〜。これで三回目だぜ？」
我がごとのように喜ぶ長森と、がっくりと肩を落す南森。
まぁこの後の夕飯をかけてるんだから、南森の反応が普通だわな。
得意満面で戻ってくる七瀬をオレは笑顔で迎えた。
「流石は七瀬。やっぱ16ポンドは破壊力が違うよな」
「失礼ね、あたしが使ってるのは14ポンドよっ！」
途端に不機嫌になる七瀬。ほんと、コロコロと表情の変わる奴だな。
「お〜い長森。お前が使ってるのは何ポンドだったっけ？」
オレは含み笑いをしながら長森に問いかける。
「えっと、その……」
ちらちらと七瀬の様子を伺う長森。言おうか言うまいか悩んでる様子だった。
「瑞佳、いいから教えて？」
「う、うん。わたしが使ってるのは8ポンドで……ああ、七瀬さんが特別とかそんなんじゃなくて、わたしが非力なだけだからっ！」
焦ってフォローにならないフォローをする。その言葉を聞いてますます落ち込む七瀬。
「七瀬、気にするなよ」
オレはそんな七瀬の肩を優しく叩いてやった。
「南……」
「七瀬の漢らしさはオレが一番よく知ってるからな！」
「誰がじゃぁぁ！」
キラリと歯を光らせて微笑んだオレを襲う七瀬の拳。まるで交通安全人形の如くもんどりうって吹っ飛ばされる。
「ぐふっ、流石は豪腕の二つ名を欲しいままにしていただけはある。見事な右ストレートだったぞ……」
「南、まだ言う気っ？」
「な、七瀬さん、抑えてっ！」
そんなオレたちの様子を、南森が呆気に取られた様子で眺めている。
「七瀬、いいのか？ 南森が見ているぞ」
「えっ、ああ、南くん、大丈夫？ ここの床って滑りやすいから注意してねっ」
……本気でこれで誤魔化せると思ってるのか？ 七瀬とオレの視線に気づいたのか、南森は愛想笑いをして目線を逸らせた。けっ、チキン野郎め。
「でも懐かしいなぁ」
不意に漏れ出した長森の言葉。オレは何の気なしに聞き返す。
「なにが？」
「うん。七瀬さんのそうやって男の子とやり取りしてる姿。以前はもっとよく見かけたから……」
「以前？ 前になにかあったっけ？」
「え、あ、そう言えばそだね。わたし、なに言ってるんだろ？」
う〜んと首を捻る長森を、七瀬は無表情に見つめていた……。
そして、夏休み最後の日曜日――
オレは、近所の公園を歩いていた。
別に散歩をしているのではなく、単にコンビニに行く近道として利用しているだけだ。
いつもは少しぐらい遠くても商店街まで行くんだが、今日は面倒くさくて近場で済ますことにしたわけだ。
課題を写すため、少しでも時間が惜しいってのもあるけどな。
……思えば、ここに来るのも一年ぶりぐらい。
幼い頃はそれこそ毎日にでも遊びに来ていたこの公園も、高校生ともなればそれこそ理由もなく訪れることもない。
日々の生活に追われ、ブランコより楽しい遊びを見つけ、将来のことを考え。
あの頃よりも出来ることは飛躍的に増えた。でも、失ってしまったものも多い気がする。
らしくないな。何考えてんだ、オレ。受験を控えてナーバスにでもなってるってのか？
よっぽど思考に没頭していたらしい。いつのまにやら周囲の様子が一変していた。
微かに記憶に残る、この風景。ここは……高台の付近？
踵を返し、本来の道筋に戻ろうとする。と、視界の隅に、見覚えのある人物が、見覚えのない姿で佇んでいるのを捉えた。
「七瀬？」
そう、七瀬。青いドレスを着て、大木の麓で空を見上げている。
しかしその姿は煌びやかな装いとは裏腹に、今にも消え去りそうなほど儚げに見えた。
オレの呟きが耳に入ったのか、それともはたまた偶然か。
ゆっくりと首を下ろした七瀬とオレの視線とが交錯した。
「南？」
「こんな所で何やってんだ。文化祭の練習か？」
まだ題目も決まっていないのに、そんなはずはない。それを知っていながらオレは、わざとおどけた感じで声をかける。
「…………」
が、返事ない。機嫌が悪い時にでも、必ず何かしらの反応を示してくれた七瀬。
もしかして聞こえなかったのか？
「去年の卒業公演は凄かったよな。あの一年の……今はもう二年か。上月だったっけ？
舞台全部をまるで自分の庭にように扱ってたもんな。この前食堂で実物と会った時は、思いっきり普通の奴で驚いたもんだが」
「…………」
まただ。今度はさっきより大きめの声を出した。聞こえていないはずがない。
となると意識的にオレを無視してることになる。でも、何故？
「なぁ、七瀬」
「……って」
「え？」
「お願い。帰って」
小さいながらも、はっきりと自らの意思を感じさせるその声。
しかし、そんな言葉で納得できるはずもない。オレは引き続き言葉を連ねる。
「帰ってって……普通気になるだろ。友人がドレス着て公園にいるんだぞ？」
「…………」
「なんか悩みがあるんだったら、相談にのる。そりゃ力になれるって保証は無いけど……話すだけで楽になることもあるんだし」
「…………」
また無言。その時、ある仮説がオレの脳裏をよぎった。
「七瀬、お前日曜は用事があるっていつも誘いを断ってたよな。その用事ってこれか？」
「っ！」
弾かれたように面をあげる七瀬。そして……
「あんたには関係ないわ」
今まで聞いたことのないほど機械的で、無機質な声で七瀬は答えた。
「……そうか。邪魔したな」
軽く手をあげ、背を向ける。
わずかながら期待していた引き止めの言葉もなく、オレは歩き出す。
短いながらもそれなりの付き合いをしていたオレと七瀬。あいつの意志の強さは承知している。
結局、オレじゃあ無理だったわけだな。
我れ知らず、自嘲の笑みが浮かぶ。
絶え間なく続く蝉の鳴き声。先程まで気にならなかったそれが、今のオレには堪らなく煩わしく思えた。
新学期が始まった。そして、オレと七瀬の関係は夏休み前へと逆戻りした。
いや、今の方が数段悪いか。なんせ視線すら合わせてくれないもんな。
そんなオレたちの様子を見て、住井や佐織が何か言いたそうにしていたが、こればかりはどうしようもない。
あいつから話してくれないことには、行動の起しようがないから。オレはただ待つだけだ。
最も、あの様子じゃあ望みは薄そうだけど、な。
ことあるごとに彼女を追いそうになる視線を無理矢理引き剥がし、オレは立ち上がる。
そのまま教室を出ようとしたとき、まるでそれを待っていたかのように住井に声をかけられた。
「南、この後ヒマか？ ヒマだよな？ ヒマに決まってるよな？
よし、EternalFightの新バージョンが出たらしいんでゲーセンに寄ってくぞっ！」
「……そうだな。久々にパーっと騒ぐか！」
「おうっ！」
正直、そんな気分じゃなかったんだが、少なくとも一人で思い悩むよりも気は紛れるかもしれない。
最後に七瀬の席を盗み見る。しかし、彼女はもう帰宅した後のようだった……。
そして数週間が過ぎた。
その日は朝から雨だった。
正確には昨日の夕方から降り出した雨。何でも台風なんやら号が近づいているらしい。
風も強く、窓枠がぎしぎしと不協和音を奏でる。時折響く何かのぶつかり合うような音が不安を誘う。
しかしオレは嫌ではなかった。むしろ、昨日が今日でないことに喜びすら覚えた。
そう、今日は休日、日曜日。しかも両親は法事に出かけており、明日にならないと帰ってこないので、いくらだらけていても注意される恐れもない。
せっかくの休み、存分に堪能させてもらうか。オレは軽く朝食をかっ込むと自室に戻り、再度ベッドに横になった。
ふと空腹をおぼえ、意識が覚醒する。
地面にまで垂れ下がった電気の紐を引き、明かりをともす。ベッド脇に置いてあった時計で時刻の確認。
「マジかよ……」
よほど疲れていたのだろうか。驚くべきことに、あれから半日近くが経過していた。
気だるい体を引き起こし、顔を洗おうと洗面所へ向かう。
その時ふとある考えが頭をよぎり、慌ててそれを否定する。
まさか、な。いくらなんでも今日は居ないだろう。
そう思ってみたものの、何故か心は晴れない。逆に不安感ばかりが増してくる。
気が付けばオレは、傘を片手に家を飛び出していた。
嫌な予感ほど、得てして的中するものだ。
「……やってんだよ」
この雨の中。ほとんど用を成していない傘を手に、
「なにやってんだよっ！」
七瀬はそこで、空を見上げていた。
そう。例の場所、高台の公園で。
まるでその声が聞こえていないかのように微動だにしない七瀬。
オレはその肩を掴んで無理矢理こちらを向かせ、改めて問いかける。
「お前、こんな日にまでなんで……」
その時になって、オレはようやく異変に気がついた。七瀬に触れている手が、燃える様に熱いのだ。
「七瀬っ！」
「みなみ……？」
それだけ答えると、七瀬の体は急速に力を失い、ゆっくりとオレに向かって倒れかかってきた。
「おい、七瀬！ しっかりしろ、七瀬っ！」
「……う、うん」
その声に読んでいた本を閉じ、急ぎ駆け寄る。
「気が付いたか？」
「……ここは？」
不信げにあたりを見渡し、手元の布団をかき寄せる七瀬。
まぁ気が付けば見知らぬ家のベッドの中。不安に思うのも無理はない。
「ああ、オレの家だ。お前、公園で倒れただろ？ だから……」
「えっ、えっ？」
視線をオレの顔と自分の衣服とに往復させ、そして顔を真っ赤にさせる。
その行動がなにを意味するかに気づき、慌ててフォローを入れた。
「違うっ！ 着替えは佐織に頼んだからオレは見ていないっ！」
「佐織に……？」
なおも警戒している七瀬に、オレは佐織が幼馴染であること、家が近所であることを伝えた。
「ま、そういうこった。明日にでもちゃんと礼、言っとけよ。その服もあいつの奴だし」
「うん、わかった」
納得し、素直に頷いた七瀬を見ながら、オレは先程の佐織とのやり取りを思い出していた。
あの後七瀬を家に担ぎ込んだオレは、途方にくれていた。
病人の看護ってどうすりゃいいんだ？
いくら近いからってオレの家に連れ込んで良かったのか？
このドレス、脱がせた方がいいのか？
とにかく悩みは尽きない。
しばらく呆然としていると、不意に電話が鳴った。
一瞬身をすくませ、そんな自分に苛立ち、少々荒っぽく受話器を手にする。
「はい、南ですけどっ！」
「……なに、あんた。感じ悪いわね」
「その声は佐織か？ 一体何の用なんだ？」
「おばさんからご飯の仕度、頼まれてんのよ。で、今日はどうする？ こっちで食べる？ それとも作りに行ってあげようか？」
「いや、今日は……うん、ちょっと待ってくれ」
反射的に断ろうとしたが、良く考えればこれはいい機会じゃないか？
「女物の着替えを持ってオレん家に来てくれないか？」
「はぁ？ あんた女装趣味ってあったっけ」
「理由は後で話す。とにかくすぐに来てくれ！」
「……わかった」
オレの切羽詰った様子が伝わったのか、意外とあっさり承諾して通話が途切れた。
その後は家に来た佐織に事情を話し、着替えをしてもらい、熱を出している人への対処方法を教えてもらった。
本当は七瀬も佐織の家に引き取ってもらいたかったんだが、何故かそれは頑として断られた。
曰く、「病気で気が弱ってる今こそチャンスじゃない。でも無理矢理は駄目だからねっ！」だとよ。
全く、何言ってんだか……。
「ドレスは？」
「あ、ああ。あのままにしてると皺が残るとかそんなんで、佐織が持って帰っていったぞ」
「そう……」
俯き加減になにやら考え込む七瀬。ここからではその表情は伺えない。
と、顔をあげ、なにやら悲壮な決意を湛えた表情で口を開いた。
「じゃあ、もう処分しておいてって伝えてくれる？」
「お、おい。あれって大切なものなんだろ？」
「うん。でもいいの。もう、疲れちゃったから」
そう言って七瀬は、笑った。今にも壊れ、消え、泣き出しそうな、その笑み。
オレが惚れた相手は、こんな弱い奴だったのか？
「……いいのかよ」
「えっ？」
「七瀬はそれでいいのかよっ！」
「南？」
突然の怒声に戸惑いを見せる七瀬。
その様子が、さらにオレの気に障った。だから、言った。
本当はずっと黙っておくつもりだったが、こんな七瀬を見ているのはこれ以上耐えられない。
「折原のこと、諦めていいのかよっ！」
「嘘っ、なんで……」
オレのその言葉に、驚愕で目を見開く七瀬。
「あいつを待ってたんだろ？ あのドレスはあいつとの思い出なんだろ？ それを、そんな簡単に諦めちまっていいのかよっ！」
「あんたに、あんたに何がわかるっていうのよっ！」
折原と七瀬が付き合っていたのは思い出せた。そして、二年の終わり頃から急に折原がいなくなったことも。その時期から七瀬が大人しくなったことも。
その後、ドレス姿で折原を待ってたってのはオレの予想。
でもこうして反論してくる所を見ると、どうやら図星だったらしい。
「ああ、わからないし、わかりたくもない。オレが知ってるのは、今こうして目の前であっさりと彼氏を忘れようとしている薄情な女だけだからな」
「っ！」
ばしっ
乾いた音と共に頬が叩かれた。勿論叩かれたのはオレの方。
オレは痛みを堪え、無理矢理口元に笑みを象った。
「おっ、ようやくいつもの七瀬らしくなったじゃないか」
呆気にとられたように自分の手の平を見つめていた七瀬だが、不意にこちらに向き直り、声を荒げる。
「なんで、なんで避けないのよっ！」
「いや、避けたら格好悪いだろ？」
七瀬が混乱に反比例して、オレは冷静になっていく。
だから今の言いがかりじみた問いかけにも、すぐさま答えを返すことが出来た。
「なんで……よ。今更なんでなのよぅ……」
嗚咽。そして、徐々に七瀬が平静さを取り戻していくのがわかる。
「折原のこと、詳しく教えてくれないか？」
オレは七瀬が落ち着いたのを見計らって声をかけた。
「そういやクラスの連中も完全に忘れちまってるよなぁ」
にわかには信じがたい話だった。周りの皆から忘れられていき、最終的には自分も消え去るなんて。
それでも確証できたのは、七瀬の真剣な様子。そして、取り戻したオレの記憶。
「南はいつ、どうやって折原のこと思い出したの？」
「え、あ、そりゃあアレだ。この間住井と話してるとき急にな。うん」
「……ふ〜ん」
明らかに納得できてません、てな目で睨まれる.
でも言えるかよ。「ずっと七瀬のことを考えてて思い出しました！」なんて。
「それで、本当に諦めるのか？」
「えっ？」
「折原の、こと」
「……」
話題の転換交じりに、今一番気になる点を尋ねる。
「アイツが遅刻するのなんていつものことだぜ？」
「……」
「それに、待つ女ってのも乙女っぽくていいんじゃないか？」
「……」
迷っている。いや、天秤は大きく傾いている。他ならぬ、オレ自身の言葉によって。
「海外留学してる奴なんか二、三年会えないなんてザラだし」
「……」
「オレが思い出せたってことは帰ってこれる可能性もかなり高いと思うぞ」
「……うん」
どうやら心は決まったようだ。オレは確認の意味を込めてもう一度聞いてみる。
「で、ドレスの方はどうするんだ？」
「勿論、佐織に返してもらうわよ！」
七瀬はいつもの不適な笑みを浮かべ、そう答えた。
それからオレと七瀬は、また話し出すようになった。相変わらずの友達以上、何たら未満な関係。
前と違う点といえば、今度は二人で遊びにいく機会が出来たことだろうか？
各種行事でも、いつのまにやら二人で回ることが自然となっていた。
例えば文化祭――
「どこから回るの？」
「そうだな。ここなんてどうだ？」
「……アームレスリング部の腕相撲大会。あんたが出るの？」
「いや、七瀬」
「なんであたしなのよっ！ もっとましなのを探してよね」
「我侭な奴だな。これはどうだ？」
「相撲部の勝ち抜き戦……いい加減相撲から離れんかぁ！」
例えば修学旅行――
「お、七瀬。これなんかお前にあってるんじゃないか？」
「南にはこれなんてどう？」
「……わざわざ北海道にまできて友情キーホルダーを買えと？」
「……あたしに木刀買わせて殴って欲しいわけ？」
例えばクリスマス――
「ひょっとしてあたしの勘違いかもしれないから、念のために聞いておくわ。ここってなんのお店なの？」
「見てわからないのか？ 焼肉屋だぞ。なんとクリスマスなのに千円で食べ放題という豪気さだ！」
「別のお店にしない？」
「なんだ、気に入らなかったのか。なら商店街の定食屋……はやめて駅前にあるレストランにしますからそんな目で睨まないで下さいお願いしますごめんなさい」
オレは大学、七瀬は専門学校。
それぞれの進路も決まり、穏やかな日々が過ぎていく。
そしてオレたちはまた、あの公園にやって来た。
今日は平日。三年はもう自主登校日となっており、学校に行く必要もない。
だけど、何故今日なんだ？ いつもは日曜にしか来ないはずなのに。
そんなオレの疑問を読み取ったのか、七瀬は何かを懐かしむように語りだした。
「一年になるの」
「一年……？」
「そ、一年。あいつが消えてから、ちょうど一年」
そうか。だから今日、ここに来たんだな。
オレが何と声をかけていいのかわからずにいると、不意に七瀬が佇まいを正し、オレに向かって頭を下げた。
「南、これまでごめんね。そして……ありがと」
「い、いきなりなんだよ。おかしな奴だな。朝、腐った納豆でも食ったのか？」
戸惑い交じりのオレの返しに微笑で答えた七瀬は、そのまま言葉を連ねる。
「南、本当はもっと前から折原のこと、思い出してたんでしょ？」
「……ああ、そうだな」
「いつぐらい？」
「……遊園地に行ってすぐ、ぐらいかな」
「ふ〜ん。じゃあその時からずっと、折原みたいに振舞ってくれてたわけね？」
「なっ！ 気づいてたのか？」
言ってしまってから慌てて口を押さえる。くっ、何たる失態……。
しかしオレの動揺をよそに、七瀬は笑って言葉を続けた。
「普通わかるわよ。だって南、もうちょっと落ち着いた感じしてたじゃない。
折原と住井君がふざけてるのを、一歩下がって苦笑いして見ているような」
「……オレってそんなイメージがあったのか？」
「うん」
今回ばかりはかなりへこんだ。自分では完璧だと思っていた演技が、実は穴だらけだったとは。
これじゃあただの道化じゃないか。いや、笑えない分それ以下だよな。
激しく自己嫌悪に陥っているオレを見て、七瀬が慌てたように首を振る。
「あ、違うの。怒ってるとかそんなんじゃなくて、純粋に感謝してるだけ。だって、そこまであたしに気を使ってくれたってことでしょ？ それに、このことに気づいたのって最近。昔を振り返る余裕が出来てからなんだし」
「……そうか」
なおも落ち込んだままでいるオレに、七瀬は息を吸い込み、
「あ〜もう、男らしくないわねっ！ ぐずぐず悩んでないで言いたいことがあるならはっきり言いなさいよっ！ それに感謝されてて何が不満なわけ？ あんたは素直に喜んでりゃそれでいいのよっ！」
一気に言い放った。
そんな七瀬を見て、オレは一気に気が楽になった。本人が良いって言ってくれてるのに、一体何の問題があるっていうんだ？
人を幸せにする嘘は、ついてもいいって話も聞くし。
「こっちこそ、ありがとな」
「なっ、その、当然でしょっ！」
照れたように顔を背ける。その様子が子供っぽく、可愛らしかったのだが、そこを突っ込むとえらい目に合いそうなので、話を変えることにした。
「ついでに教えて欲しいんだが、何で七瀬って乙女にこだわるんだ？」
「それは……前に観覧車で話したわよね？ 剣道部での話と、乙女に憧れてるって話」
「ああ」
記憶を辿るまでもなく、その時のことは鮮明に思い出せる。
「それで、その、せっかく折原に乙女にしてもらったのに、今度会った時元に戻ってたら申し訳ない気がして……」
「乙女にしてもらった？」
「ああ、違うっ！ やらしい意味じゃなくて、普通によ。普通にっ！」
「お、おう」
誰も聞いていないのに弁解を始める。あまり詳しく聞くと心臓によくない結果になりそうだったので、そこで話を打ち切った。
なんとなく会話が途切れて数時間。
日が暮れるにつれ、七瀬の表情も暗くなっていく。
折原が消えてから一年目の今日。オレをここに連れてきた七瀬の真意は、大体予想出来ている。
恐らく、過去との決別。新たなる旅立ち。その証人か、もしくはパートナーとしてオレを選んでくれたのだろう。
でもオレは、素直にそれを喜べない。
何故だ？ オレは七瀬のことが好きなんじゃなかったのか？
今までのことを思い起こしてみる。何度も機会はあった。が、その都度自らチャンスを逸してきた気がする。
七瀬に惚れた理由。それを思い出せれば、なにかがわかるような気がした。
「南」
「うん？」
「そろそろ帰ろっか？」
少々の疲れは見えるものの、その表情に悲壮の色は見えない。
むしろ、何かを吹っ切ったかのような清々しささえ感じる。
「……もう、いいのか？」
「ええ、終わったわ」
なにが、とは聞かない。言葉にしなくても、わかる。
七瀬の中で、けじめがついたのだろう。
何故か残念な気分になりながら、七瀬に続いて一歩、足を踏み出しかけた。丁度そのとき。
どんがんがらがだずだだんだん！
轟音と共に、何かが石段を駆け上がってくる気配がした。
「な、なんだ？」
「……」
そしてその音は徐々に近づいて来て……。
「ふんがぁ〜！」
「ぐはぁ！」
見事オレを跳ね飛ばし、七瀬の前で急停止しやがった。
「あん？ 何か轢いちまった様な気が……」
「オレだ、オレ！」
「折田さん？ そうか、よくわからんがすまなかったな」
「南だぁ！ 元クラスメイトの名前ぐらい覚えとけっ！」
そういえば七瀬はどうしてるんだ？
折原登場以後声のなかった七瀬の方をかえり見る。
すると彼女は、折原に向けて猛ダッシュしている真っ最中だった。
「折原ぁ！」
「ん……うごあべし！」
自転車の上で不安定な折原。その横っ腹に七瀬が突っ込む。
「な、七瀬。いくら時間に遅れたからっていきなり攻撃するのはどうかと思うぞ」
「抱きついてるのよっ！」
言い争いをしながらも嬉しそうな二人。
そして七瀬の表情を見たとき、ようやくオレは理解した。
――ああ、オレはこの笑顔に魅せられたんだ。
折原と一緒にいるときに見せる、この笑顔。
だからオレは、踏み込めなかった。どうしても折原から彼女を、奪う気にはなれなかったんだな。
そんなオレの視線に気づいたのか、七瀬はばつの悪そうな顔をしてこちらに向き直った。
「あの、南……」
「よかったな、七瀬。願いが通じて。やっぱお前は乙女だよ。現に祈りが神様に通じてるじゃないか。
それと、折原。七瀬はずっとお前のことを待ってたんだ。こんないい子、他にはいないぞ。必ず幸せにしてやれよ」
一気に言い放ち、背中を向ける。
「南、すまん。そんで……サンキュなっ！」
折原の声に後ろ手を振りながら、オレはその場を後にした。
自分では落ち着いているつもりでも、知らず知らずのうちに人恋しさを感じていたのだろうか。
気が付けばオレは、商店街に来ていた。
特に目的もなく、ぶらぶらと見て回る。と、誰かに思いっきり背中を引っぱたかれた。
「明義、どうしたの？」
「ん、ちょっとな」
そう、佐織。最も、声を聞くまでもなくこんなことする奴は一人しかいないけど。
「わかった。七瀬さんに振られたんでしょ。なっさけないわね〜」
「……誰に聞いたんだ？」
少し真剣に返してみる。こいつがどんな反応をするのか楽しみだ。が、
「ええっ、明義、本当に七瀬さんに告白したの？ 折原がいるのに？ あ〜んその場面、見たかったなぁ〜」
果たして、佐織は実に面白くない返しをしてくれた。この辺は流石は幼馴染、落ち込んでないのがバレバレか。
それにしても佐織の口から折原の名前が出てくる所を見ると……もうみんな思い出していると考えて間違いはなさそうだな。
七瀬と折原の今後を思ってほっとしていると、目の前に至近距離にまで近づいていた佐織の顔があった。
「な、なんだよ」
慌てて体を反らせる。
「ううん、別に。それよりさ、カラオケいかない？」
「はぁ？」
その脈絡のなさに、思わず呆気にとられる。
「そ、明義失恋記念。ひと皮向けた明義を祝ってぱ〜っと騒ごうよ。もち、代金はあんた持ちでねっ」
ああ、なるほどな。さっきオレのことが佐織にバレたように、オレもこいつの考えていることがある程度わかる。
ガラにもなく、気を使ってくれているわけだ。全く、似合わない真似しやがって。
「普通こういう時って奢ってもらえるんじゃないのか？」
だからオレは、あえて芝居にのった。お互い肩寄せ合って慰めあうような関係じゃないからな。
「何言ってんの。こんな可愛い子が一緒に行ってあげるんだよ？ サービス料貰ってもいいぐらいなのにぃ」
拗ねたように体をすり寄せる。その仕草に不覚にも心臓の高鳴りを覚え、それを隠すかのように憮然と言い放つ。
「ここで話してても埒があかん。とりあえず行こうぜ」
「ああ〜っ、明義、今一瞬私に見惚れたでしょ。ねっねっ」
「うるさいっ、んなわけあるかっ！」
「も〜っ照れちゃって。可愛くないなぁ」
……ツーカーの仲ってのも困り者だな。
カラオケに向かう道すがら、オレは一人、心の中で嘆息した。
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