SSこんぺ No.009 : 『例えばきみに聞いてみた』

例えばきみに、聞いてみた。

「……なんで、俺なんだ？」

『例えばきみに聞いてみた』

……春休みを間近に控え、けれど未だ冬の只中にある、そんな時期。

相沢祐一は、ある一つの疑問を持っていた。

「え？」

「いや、だからな。
　なんで七年間も、俺を待ち続けたんだ？」

朝。彼の隣には水瀬名雪。

登校途中、そんな事を聞いてみる。

「なんでって…なんでかな？」

「…聞いてるのは俺だ」

「……祐一のことが好きだから、じゃダメ？」

「…………」

真っ赤になりながら言う名雪に、祐一も思わず頬を染める。

「いや、まあ…俺が聞きたいのは、だな。
　なんで、その…そんなに待つほど俺の事を想えるんだ？」

と、そう言うと名雪はびっくりしたような表情になり、
そしてすぐに、う～、と眉根をよせた。

「むずかしいよ……」

「そんなに複雑な事なのか？」

「だって、気がついたときには祐一がいたから」

ここにね、と自分の胸を指す。

「ずっとそうだったから、理由なんてわからないよ」

「そ、そうか」

「うん」

にっこりと笑って言う名雪に照れてしまい、
祐一は微妙に視線をずらした。

「…………」

「…………」

「なあ、名雪」

しばらくして、祐一が口を開く。

「え？なに？祐一」

「俺は…随分お前に酷い事したよな」

「…………」

……七年前のあの日。

壊れた雪ウサギ。

泣きじゃくる、女の子。

「……そのままいなくなって、一通の手紙さえ返さなかった。
　そんな男を、なんで――」

「祐一」

彼の言葉を遮り、名雪が言う。

「なんでそんなこと聞くの？」

「――っ」

どこか怒ってるような光をたたえて、見つめてくる真剣な瞳。

……視線を、逸らすこともできない。

「……理由なんて、わからないよ。」

少しして、彼女はそう呟く。

「理由は、わからないけど…
　でも」

名雪は微笑んだ。

「私ね、ずっと祐一のこと好きだと思う。
　何があっても、好きだと思う。
　七年間……ううん、もっとずっと前から好きだったから、
　ずっと離れても好きだったから、忘れられなかったから……」

「名雪……」

「だから祐一」

揺れる髪、流れる景色……

……名雪の笑顔。

――ああ、こいつはこんなにきれいだったんだ……

「責任、とってね？」

幼馴染の従姉妹に不覚にも見とれながら、
祐一は無言で頷くのだった――

「しかし……」

「？」

「……走りながらする会話じゃないな」

「……話ふったの祐一だよ～」

……授業の間の休み時間。

祐一が廊下を歩いていると、ばったり天野美汐と出くわした。

「こんにちは、相沢さん。今日はよいお天気ですね」

「おう、天野。相変わらずおばさんくさいな」

「失礼ですね、物腰が上品だと言って下さい」

言って二人で笑いあう。

……これは、いつもの挨拶。

真琴の事があってから、二人は結構親密な間柄になっていた。

関わり合いを避けていた頃とはうって変わって、
それはまるで昔からの知り合いのよう。

いつものように、その場で少し談笑する。

内容は…たわいもない話だった。

「……という噂があるんです」

「ほう」

「だから今度…その、連れて行っていただけますか？」

頬を染め、遠慮がちに彼女が尋ねる。

それはめったにない、彼女からのデートの誘いだった。

「おう、もちろんだ。
　天野みたいに可愛い女の子の誘いなら大歓迎だぞ」

「…それでは可愛い女の子なら
　誰でもいいと言ってる様に聞こえます」

「うむ。その通りだ」

美汐は少し眉をひそめる。

「相沢さん」

「………冗談だ。」

「それにしては間が気になります。」

「はっはっはっ」

「笑ってごまかさないで下さい。」

口調がが少し、強くなった。

…美汐とて、祐一が本気でそう言っているとは思っていない。

だがそこは、理屈でわかっていても…というやつだ。

まして彼女は、すでに彼に想いを伝えているのだ。

不機嫌なところを隠す必要もなかった。

「……なあ、天野」

「はい。なんでしょう」

唐突に、祐一のふざけた雰囲気がなりをひそめる。

代わりに少し、真剣な空気が場を満たした。

「……なんで、俺なんだ？」

「？なにがですか」

「なんで、その……お前は俺の事を」

そこまで言って、言葉を切る。

なかなか聞きにくいことだからだ。

だが、そこまでの言葉でも、彼女には伝わったらしい。

「…以前、お話したと思いますが……」

そう返してくる。

「もう一度聞きたい。
　……気持ち、変わってないか？」

「はい。……でも、何故その様なことを？」

訝しげな様子で美汐が聞いてきた。

「……わからないんだ。
　俺は、天野に何かしてやった覚えがない」

祐一の表情に困惑の色が混じる。

そんな祐一に、しかし美汐は首を振った。

「……いいえ、そんな事はありません」

静かに、はっきりと。

「あの頃……他人との関わりを断っていた私を、
　連れ出してくれたのは相沢さんです。
　もう一度他人と関わる勇気をくれたのは相沢さんです。
　私を救い出してくれたのは、相沢さん、あなたです。」

「それは…真琴じゃないのか」

「もちろん、真琴もそうです。
　でも…相沢さん。きっかけになったのは、相沢さんなのですよ？」

諭すような言葉の中に、あふれんばかりの想いがあった。

それは決して揺るがない、彼女の中の真実。

「天野……」

「相沢さん。私を変えてしまった責任は取ってください。
　……嫌だと言っても、一生付きまといますから」

そう言って微笑んだ美汐は、例えようもなく、可愛らしかった――

「ねえ、あの二人今責任って……」

「一生付きまとうとか言ってたわよ……」

「……言葉は選ぼうな、天野」

「…………すみません」

……昼休み、屋上前の踊り場に行く。

卒業を間近に控えた二人が、今日も今日とて、
お弁当を持ってそこにいるはずだった。

祐一は階段を駆け上がると、
目的の場所に着くなり、定番の挨拶を始める。

「よっ」

「あっ、祐一さんだ～」

声をあげたのは倉田佐祐理だ。

「おう、祐一さんだぞ…ってあれ？舞は？」

そこから更に簡易コントに入ろうとして、気づく。

いつもならそこいて、すでに食べ始めている人間が足りない。

「舞は今、職員室なんです」

「職員室？」

祐一が眉をひそめる。

舞と職員室という組み合わせは、いい思い出がない。

「あ、心配ないですよ。
　今日は卒業式の事で、ちょっと呼ばれてるだけですから」

「へえ……」

その言葉に相槌をうちながら、祐一は佐祐理の横に座った。

「それで舞が、“長くなりそうだから先に食べてて”って言ってました」

「そっか…じゃあしばらく二人きりだな、佐祐理さん」

「あはは～、そうですね～」

見詰め合う二人。

祐一の手が佐祐理の頬へ。

佐祐理が静かに身を寄せる。

視線と視線が絡み合い、そして二人は――

「ぬう。ツッコミ役がいない」

祐一が呟いた。

ツッコミ役の舞がいないというのに冗談をやってしまう。

もはやこのあたりのやり取りは、すでに習慣となっているようだった。

「止めるやつもいないし、これくらいにしとこうか。佐祐理さん」

……とりあえず、これで冗談はおしまい。

さぁ昼食をとろう、となるはずのタイミング。

しかし……

「…そうですか？」

「……佐祐理さん？」

いつもなら同意するか笑うかして終わりにするであろう彼女が、
少し真剣な目で聞き返してくる。

「佐祐理は、このままでも……」

「え…………」

その表情、その言葉。

彼女が求めているのは、それは――

――彼女の瞳が、潤んで見えた。

「佐祐理さん……」

「祐一さん……」

――いけない。このままいくと……

抱き寄せようとして、踏みとどまる。

――“自分はまだ、答えを出していない”――

「……さ、佐祐理さん、ちょっと、聞いていい？」

「………はい、なんですか～？」

雰囲気に飲まれそうになりながら、どうにか言葉を搾り出す。

それでとりあえずこの場は脱した。

見た目いつもどおり笑っているようで、
どこか不満顔の佐祐理を前に、その質問を投げかける。

「…えっとさ、その…なんで俺なの？」

「はぇ？」

「なんで…俺なんかにこういう事……」

「ふぇ……佐祐理はご迷惑ですか？」

一転して佐祐理が泣きそうな表情に。

「いや、そうじゃなくて。
　正直、俺は佐祐理さんに想われるほどの事を
　した覚えがなくってさ」

そう言うと、佐祐理は少し驚いたような顔を見せ、そして微笑んだ。

「そんな事ないですよ～？
　祐一さんは素敵な男性だと、佐祐理は思います」

「…………」

さらっとそんな事を言う佐祐理に、どう反応していいか迷う祐一。

……面と向かってそう言われると、やっぱり照れる。

「それに…一弥の事で支えてくれました」

「佐祐理さんの話を聞いただけじゃ…」

「一弥の事を話せたの、舞と祐一さんだけなんです」

「…………」

沈黙する祐一に、佐祐理は語る。

側にいてくれた事で、どんなに心が助けられたか。

共にいてくれた事で、どんなに心強かったか。

「祐一さんは…不思議な方です。
　こうして一緒に居てもらえるだけで、
　佐祐理は強くなれる気がします」

「買い被りだよ。俺にそんな力は…」

と祐一は言う。

しかし、佐祐理はにっこりと笑うと、

「たとえそうでなくても、
　佐祐理は祐一さんの事が好きだと思いますよ？」

そう告げた。

「それはきっと、ずっとです。
　…佐祐理がおばあちゃんになっても、ずっと――」

「佐祐理さん……」

「だから、祐一さん？
　もしご迷惑でなければ……」

祐一の手を取り、両手で握り。

それを胸元で、祈るように。

「……佐祐理を側に、おいてくれませんか？」
　
再び潤んだ瞳で、不安げに問う佐祐理に、
祐一は断るすべを持たなかった……

「……祐一さん。つづき、しませんか？」

「つ、続きって……えっと…」

「あはは～♪」

……夕暮れが、訪れる。

一日の授業が終わり、茜色に染まる教室に、二人の生徒の姿があった。

祐一と、美坂香里。

……他には、誰の姿もない。

「……突然何を聞くかと思えば、そんな事？」

机に寄りかかった姿勢で、香里が呆れたよう言う。

「そんな事、はないだろ。
　こっちはこれで真面目に悩んでるんだ」

椅子に腰掛けたままの祐一が返す。

「……愛してる、の理由なんて聞くものじゃないと思うけど」

「知りたいと思うのは罪なのか？」

「“好奇心は猫を殺す”って言葉、知ってる？」

「……好奇心から知りたいわけでもない」

憮然として言う祐一に、いつもの冗談っぽい雰囲気はない。

あまりに普段と違うその様子に、香里も折れた。

一つため息をつき、仕方ないわね、といった様子で口元に笑みをつくる。

「言ってもいいけど、後であたしの質問にも答えてくれる？」

「ああ、いいぞ。答えられる範囲ならな。」

その祐一の答えに満足そうに頷くと、それじゃあ、と香里は語り出した。

「そうね……。
　……好きになったのがいつか、なんて明確にわかるものじゃないわ。
　初めて意識し始めたとき、なんて事も覚えてない。
　ただ……自覚したのは、栞の手術が成功して、少ししてからかしら。
　それまでは、あたしも他の事を考えてる余裕なんてなかったから…」

「…………」

「今から思えば、あの時……
　あの夜の時には、もうあなたに惹かれていたのかも。
　……そうじゃなきゃ、
　栞の“いいひと”ってだけで、呼び出したりはしないわ」

それは、つい最近の事のはずなのに、まるで遠い昔の事のようだった。

あの時がどれほど特別で、日常からかけ離れた時間であった事か……

あの時の全てが、夢の中であったように、香里には思える。

「……一言でいうとね、相沢君」

少し首を振って、思い出に浸りそうになる自分を引き戻すと、
香里は改めて祐一を見た。

「理由なんて無いのよ。
　あたしが…あなたに惹かれたことに」

蠱惑的な瞳が、祐一を捕える。

思わず引き込まれそうになり、祐一は息を飲んだ。

「……こういうの、栞なら“運命です”って言うんでしょうね」

「…似てないぞ」

「そう？」

声色を使っておどける香里に、
そんな事を言わなければどうにかなってしまいそうで。

からからに渇いた唇を、わずかになめる。

「俺じゃなくて…他のやつに惹かれる事は、あると思うか？」

「…先の事はわからないわ。
　そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
　でもね、相沢君？」

いいながら、香里は祐一に顔を寄せた。

……互いの瞳しか見えぬほどに。

「あたしは思い込みが激しいの。
　それこそ、命がけになるくらい。だから――」

香里は笑う。

獲物を狙う、狩人の目で。

「覚悟しておきなさいよ？」

返答はできない。

すでに、口は塞がれていたから。

彼女の唇が離れるまで、祐一は微動だにすらできなかった……

「…約束よ。質問に答えて。
　なんでこんな事を聞いたのかしら？」

「それは――」

「…………
　…そんな事で悩んでたの？呆れたわ」

「どういう意味だ」

「言葉どおりよ」

……病院の、とある一室。

まもなく面会時間も終わろうという時刻に、祐一はそこにいた。

ネームプレートには美坂栞。

手術に成功したものの、未だ退院できない栞を、
香里と共に見舞いにきていたのだ。

「きっと、運命です」

「…………」

その言葉に微妙に口もとが引きつる。

ベットの側に陣取った祐一が、上半身を起こして迎えた栞に、
例の質問をしたその答え。

「ね？栞ならこういうって言ったでしょ？」

香里がなぜか勝ち誇ったようにそう言った。

その間にも、栞の想像はヒートアップする。

「……街角で出会う二人、
　偶然が引き合わせた、神様のくれた恋……
　愛の力が、奇跡を呼んで…」

「…本気で言ってるか？」

「冗談です。」

いかにも楽しそうに即答する。

「でも、素敵じゃないですか。運命って響き。
　ドラマみたいですよね？」

「そうか？」

「そうです」

にこにこと笑って言う栞に、何故かどっと疲れを感じた。

結局、その質問はそこまでになり、
後はしばし、談笑の時間が過ぎる。

体感時間で結構な時が流れたと感じられた頃、
おもむろに香里が腕時計を見ながら立ち上がった。

「…もうそろそろ時間ね。」

「ええっ、もう帰っちゃうんですか？」

栞が不満の声をあげる。

「ええ、あんまり長居すると、栞の体に悪いものね」

「ま、産後は安静にしないとな」

「じゃあ子供の父親は祐一さんですね」

「…………」

「…………」

「…手強くなったな、栞」

「祐一さんのおかげです」

がっしりと手を握り合う。

「何をやってるのよ、あなた達は……」

心底呆れた、といった様子で香里がため息をつく。

「ほら、もういくわよ」

「えぅ……本当に帰っちゃうんですか？」

「もう時間だし、ね。…また来るから」

寂しそうな表情を浮かべた栞をなだめて、香里が歩き出す。

「…………」

ふと振り返ると、祐一はまだその場に立っていた。

「相沢君？」

「ああ、香里。悪いがロビーで待っていてくれないか？
　ちょっと栞に聞きたい事があるんだ」

「？…祐一さん？」

「……いいわ、先に行ってる。
　それじゃ、またね、栞。」

そう言うと、香里は栞に手を振り、病室を去っていった。

「……話って何ですか？祐一さん」

香里の背中を見送った後、
きょとん、とした様子で栞がたずねる。

「……前に話したけど、俺は今、複数の人間から告白を受けてる」

「……はい。私も含めて、ですよね」

「ああ…答えなきゃいけないところを、俺はまだ、答えを出してない。
　それで、最初の質問に戻るんだ。
　“……なんで、俺なんだ？”」

そう、なぜ、自分がいいのか。

それが祐一にはわからない。

……自分は優しくなんかない。

自分は頼りになんかならない。

もし自分でなくて良いのなら…その方が良いのではないか、と。

祐一の言葉に、栞はん～っと考えて、

「運命だからです」

そう言った。

「頼むから真面目に答えてくれ……」

「真面目ですよ？これ以外に言えないんです」

栞は微笑をたたえながら話す。

「…祐一さん。私が祐一さんにもらったもの、たくさんあります。
　……どれもかけがえの無いもので、とても大事なもので……
　……すごく、素敵なものです。」

祐一と出会ってからの、わずかな時間の思い出を振り返りながら。

「……でも、だから祐一さんが好きなんだ、というと、ちょっと違います。」

思い出は、思い出。

想いは、想い。

だから――

「何かをしてもらったから好き、じゃなくて、
　やっぱり、祐一さんが祐一さんで、私が私だから、
　私は祐一さんが好きなんだと思います」

「…………」

「これって、運命、ですよね？」

にっこりと笑って、彼女は言った。

祐一は、少しの間何かを考えていたが、やがて、口を開く。

「そっか……
　すまん。変な事聞いて…悪かったな」

「そんな事、ないですよ」

「…答えてくれてありがとな、栞」

言いながら軽く頭をなでて、そして席を立つ。

そのまま病室を後にしようとして――

「祐一さん」

栞に呼び止められた。

「……覚悟、しておいてくださいね」

「？……なんのだ？」

どこかで聞いたような言葉に、祐一が怪訝な表情になる。

「私、祐一さんから離れませんから。
　……結構、執念深いんですよ？」

「栞がか？」

「だって――」

……その言葉は、満面の笑みで。

「私は、お姉ちゃんの……美坂香里の妹ですから！」

「それにしちゃ、似ない部分がそこに一つ……」

「そんなこと言う人、嫌いですっっ!!」

……夜の闇が、包む校舎。

静寂の支配する学校の、数多ある教室の一つで。

そこに座り込む人影が、二つ。

……それは祐一と、川澄　舞だ。

「……祐一。」

「ん？どうした、舞」

「………なんでもない」

そう言って、体を祐一に預けてくる。

……普段は淡白な舞が、この時間だけはひどく甘えんぼうだった。

……二人がここで何をしているかといえば、実は何もしてはいない。

１０年前の思い出を取り返した二人は、あの事件以来、
こうやって夜の校舎で逢瀬を重ねるのが習慣になっていた。

……この場所では、悲しい出来事があった。

……この場所では、哀しい出来事があった。

けれど遠い記憶の中に、とても暖かい思い出があった。

だから二人は、ここに来る。

ここは二人の、思い出の場所なのだから……

「なあ、舞……」

かなりの時がたった頃、
祐一は腕の中の舞に問いかける。

おずおずと、躊躇うように。

「もし、俺がいなくなったら、どうする？」

……聞いてはならない問いかけだったかもしれない。

けれど、聞かなければならない問いかけだった。

……彼が愛するのは、彼女だけではないのだから。

「………舞？」

返答がない事に疑問を感じ、呼びかける。

「…………いなく…なるの？」

……そして、祐一は凍りついた。

なぜなら、彼女はすでに泣いていたからだ。

ぼろぼろと涙をこぼし、まるで、幼子のように。

「お、おい……」

「…………祐一、いなく…」

「だ、大丈夫だ、いなくなったりしない！
　いなくなったりしないからっ!!だから泣くなっ!!」

「………ぐしゅ…ひっく…祐一、ひどい」

「わかった、わかった！俺が悪かった!!
　なんでもするっ!!動物園でも牛丼でも納豆ごはんでもっ!!
　だから泣くな!泣くなって!…………」

静かな夜は、一時的に騒がしくなる。

泣きじゃくる舞に、必死になだめる祐一。

……彼女が泣き止んだのは、それからしばらく後だった。

「…………はぁ」

……疲れた様子で、祐一は息をついた。

やっと泣き止んでくれたのだが、
その過程でかなり恥ずかしい事を言わされた気がする。

最終的には、『ずっと一緒にいる』などと
プロポーズまがいの言葉まで引き出されてしまっていた。

(……みんなとの関係に決着つけようとして、
　どつぼにはまってどうするよ。俺……)

もう一度、深くため息。

「…………ん…」

舞が身じろぐ。

泣くだけ泣いたら、眠たくなったらしい。

彼女はしっかりと祐一にしがみつき、
彼の胸を枕代わりに、今は眠りについていた。

「…………スー」

「…………」

……本当はさっきの質問の後、
『俺じゃなくちゃダメなのか？』と聞こうとしていたのだが、
この様子では答えを聞くまでもないだろう。

……本当に、剣を捨てたら弱くなってしまった舞。

皆との関係に決着がついたとき、彼女はどうするのだろう……

「…………」

無言で舞の髪を梳る、祐一であった……

「……そろそろ家に帰らないとな」

「…………」

「起こさないと…って実は起きてたりして」

「………ぽんぽこたぬきさん」

「「…………」」

「こら」

「………しまった」

……深夜、水瀬家の祐一の部屋にて。

祐一はベットの上で、沢渡真琴の頭をなでていた。

……何故、そこに彼女がいるかといえば、
祐一が寝入った頃を見計らって、布団にもぐりこんできたからだ。

祐一自身はその時に目が覚めてしまったのだが、
彼女はそれに気付かず眠りに落ち、この状況である。

「ホントしょうがないやつだな……」

口ではそんな事を言いながら、祐一の目は優しい。

……あの、別れの後。

彼が心の底で願い続けた、真琴との再会。

それを成したのが美汐のいう妖孤達の奇跡なのか、
それとも他の何かなのかはわからない。

わからないが……今彼女はここにいる。

それが例えようもなく嬉しくて、だから祐一はどこまでも優しくなれた。

「……あう……ゆういち……」

「…………」

幸せそうな寝顔。

つい、頬を引っ張ってみたくなる。

そんな事をすれば、彼女は怒りだすのだろうが……

……考えていると、ふと今朝の会話を思い出した。

名雪を起こす前に真琴と話したのだが、
その時も随分、怒らせてしまったものだ。

『もし、俺が他の人と付き合い出したら、どうする？』

原因は、そんな質問。

実際に告げた言葉は違ったが、意味はそんなところだった。

……真琴には、何故自分か、などとは聞かない。

命を賭してまで自分に会いに来た彼女だ。

自惚れかも知れないが、今更聞くまでもないだろう。

……それが、祐一の認識。

だからあんな質問をしたのだが、答えは怒りと共に返された。

『祐一のバカッッ!!浮気ものッッ!!』

『いや、あのな――』

『真琴達以外に女をつくるつもりねっ!!?そうなんでしょっっ!!!
　そんなの、ぜっっったい許さないんだからっっ!!!』

その後、真琴は“祐一なんか知らないっ”と言って、駆けて行ってしまった。

……それでも、夜になって布団に忍び込んでくるあたり、
彼女も祐一から離れることはできないだろう。

――しかし、どこであんな言葉覚えたんだか。

なんとなく、祐一はそんな事を考える。

……まあ、十中八九、漫画からだろうが――

「…………？」

そこで、かすかな違和感に気付いた。

――真琴“達”？

漫画のセリフをそのまま使ったのだろうか？

あるいは美汐の事だろうか……

「……なんだ？一体」

妙な予感を感じつつ、その日の夜は過ぎていくのだった……

「あう……にくまん……」

「……もうちょっと色気のある寝言は言えないのかね、こいつは。」

「え？なんでって……なんで？」

病院の椅子に座って、月宮あゆが聞き返す。

「…理由を聞きたいんだよ。
　もし、俺でなくてもいいのなら、その方がいいかも知れないだろ」

隣に座り、祐一が言う。

……ここは、あゆが入院している病院。

七年の眠りから目覚めたあゆは、
その後の検査とリハビリのため、未だに退院できないでいる。

春頃には退院できるそうだが、
それまでは当分、病院暮らしだった。

「…いまさらだと思うよ？祐一君」

ちょっと怒ったような感じで、あゆは言った。

「……そう…だな。今更、だよな」

「そうだよ」

――ああ、そうかもしれない。

その言葉に、祐一は思う。

確かに、今更だ。

そんな事を聞いて…自分は何をしようとしていたのか……

……あるいは、確認したかっただけなのかも知れない。

関係に決着をつけるだとか、そんな事のためじゃなく。

確かめたかっただけなのだ。

本当に、俺でいいのか、と。

……自分に自信がもてないから、みんなに答えを求めた。

それだけだったのかもしれない。

みんなの答えはわかりきっていたはずで……

それを聞いたからといって、誰か一人を選べようはずもなかったのだから。

「祐一君。それ、もしかしてみんなに聞いた？」

「……ああ。お前で最後だ」

「…………」

あゆが沈黙する。

なんというか、怒っているというより、呆れているような表情で。

「なぜ突然黙る？」

「無神経だよ。祐一君」

「…………」

その言葉は、痛いほどに突き刺さる。

「みんな祐一君が…その、好き、なんだし。
　いまさら自分よりも、なんて言われたって嬉しくないよ。」

「……ああ、反省してる。
　やっぱりこれは自分の意志だけで選ぶべきだったんだ」

「…選ぶ？」

「お前らの中から、誰と付き合うのか」

それを聞いて、あゆは驚いたような表情をつくった。

「なんで？」

「なんでって……答えをださないわけにもいかないだろ」

聞いてくるあゆに、祐一は怪訝な表情になる。

「……もしかして、誰かに選んでくれって言われた？」

「いや、全然」

「だよね。みんなそんな事言うはずないもんね」

あゆはぽむ、と手を合わせて、今度は安堵の笑顔を見せた。

未だ疑問が解けない祐一は、

「どういう意味だ?」

と聞くが、

「言葉どおりだよ」

などとどこかで聞いたような言葉で返される。

……とりあえず、頭をはたいた。

「うぐぅ……いたい……」

「お前が香里の真似してもだな……って、まて。
　なんであゆが香里を知っている？」

あの中であゆと直接面識があるのは、名雪と栞ぐらいのはずだ。

彼女が、香里を知っているのはおかしい。

「……前にお見舞いに来てくれたんだよ。みんなで」

「ちなみにメンバーは？」

「えっと…名雪さんに、舞さん、佐祐理さん。
　美汐ちゃんに、真琴ちゃんに、香里さん」

栞を除く全員だ。

「……何か、話したか？」

祐一は確信と共に訊ねた。

何かある。

絶対に何かある。

自分に声をかけずにそのメンバーが集まって、
あゆのお見舞いだけで終わるはずがない。

「……言っていいのかな？」

「ぜひ聞きたい」

「…………実は――」

それを聞いて、祐一は脱力した。

……彼女たちがそこで話したのは、彼が今回聞いたのと同じような事。

気持ちの確認と、選ばれなかった時、諦める気があるかどうかだった。

……結果は、彼女達自身、予想済みだったらしい。

そしてそこでの話題の“肝”は――

「……だから、誰も諦める気がないなら、
　まとめて祐一君に面倒見てもらおうって」

「なんでそうなる……」

「佐祐理さんが言い出して、みんな賛成したよ。
　栞ちゃんには後日伝えるって言ってたけど」

「…………」

沈黙する。

もはや何も言う事はなかった。

「つまり…初めから選ぶ必要は……」

「うん。なかったね」

即答するあゆ。

……とりあえず、頭をはたいておいた。

「うぐぅっ……なんでたたくの？」

「なんとなくだ」

「うぐぅ……」

それにしても、自分のいないところで…

いや、この際それはどうでもいい。

問題なのは……

「本当にそれでいいのか、お前ら……」

……それだ。

祐一はそう思った。

普通は、独占しようと思う。

自分だってそうしたい。

明らかに不自然だ。

共有なんて、できるはずが……

「祐一君。」

再び思い悩む祐一に、あゆが声をかけた。

「なんだ」

「たぶん……たぶんなんだけど……
　みんな、怖がってるんだと思う。」

「？なにを」

「……祐一君が、いなくなること。
　…なによりも、それが怖いんだよ」

…そんな馬鹿な。

みんながみんな、そんなに弱いはずがない。

自分程度がいなくなったところで、そんな――

「……ねえ、祐一君。ボクからも、聞いていいかな？」

「………ああ、いいぞ。答えられる範疇ならな」

「うん。…“ボクたちが、他の人を好きになったらどうする？”」

「――っ」

祐一は、息を呑んだ。

昨日一日、散々口にしてきた事。

その方がいい、と考えてきた事。

それを今、この耳で聞いて……気付いた。

幸せを祈る？……バカな。

大人しく身を引く？……ありえない。

それが彼女達のためと言われても、自分は想い続けるだろう。

――諦められる程度の愛し方など、自分はしていないのだから――

「……祐一君？」

「本当に、いいんだな。それで」

あゆの質問には答えない。

答えたく、なかった。

突然の言葉に少し戸惑った彼女は、けれどすぐに笑い出す。

「……うんっ!!いいんだよっ、これで!!」

元気にそう言うあゆの笑顔が、やけに眩しく映えていた……

「秋子さんも、了承って言ってたし」

「ぐはっっ!!」

――例えば、きみに聞いてみた。

「なんで、俺なんだ？」

きみは答える。

「言う必要、ある？」

俺はその言葉に満足すると、頷いた。

その答えは、必要ない。

俺はきみを愛しているし、きみは俺を愛してる。

その事実だけで、充分なのだから――

――FIN――

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