愛しい。
愛しい。愛しい。愛しい。
この気持ちが、間違いだと言うのか?
この思いが、錯覚だと言うのか?
俺が何をしたって言うんだ?
前世で余程酷い事でもしたのか?
どうして、こんなにも愛しい相手の事を……
抱きしめる、ただそれだけの事が……
許され……無い……んだ……?
『告白』
〜本当の俺〜
「祐一? どうしたの? 黙りこくって……」
はっ!
俺は顔を上げる。
目の前には名雪の顔。
いとこの少女の顔。
好物のイチゴサンデーにまだ手も付けず、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
話がある、と、百花屋に誘ったのは俺の方なのに、ずっと黙り続けているのだから、心配にもなるだろう。
募る。
愛しさが募る。
苦しい。
愛しいが故に苦しい。
いっそ、忘れてしまえば。
この気持ちを、忘れてしまえば。
忘れられたつもりだった。
7年かけて、忘れられた筈だった。
名雪だって、忘れているんだと思っていた。
お互い、子供同士の淡い想いだったんだと。
7年を隔てての再会は、ただのいとこ同士としての再会なんだと。
そう……思い込もうと……していた……
「……好きな男の人……?
…………昔は、いたよ」
つい昨日の会話。
何気無く訊いたつもりだった質問は、激しく過去の記憶を揺さぶる答えに連なっていた。
「昔って、どれくらい前だ?」
必死で平静を装う俺の声。
「小学生の頃かな」
……小学生の頃……俺がこの街に来ていた頃……
「それで、どうなったんだ?」
あの頃……名雪が好きだった奴……
そいつは……その馬鹿野郎は……名雪の事を……
「振られちゃった」
拒絶……した……
「祐一? 祐一ってば!」
名雪の声。
俺を心配する声。
俺はのろのろと顔を上げる。
俺の顔を見た名雪が、表情を曇らせる。
さぞかしひどい顔をしているんだろうな。今の俺は。
畜生、情けねぇ……
話す、と決めたのは俺自身なのに。
今更何を躊躇っていやがるんだ。
気が付いたんだろうが?
昨日の名雪の言葉を聞いて。
気が付いたんだろうが?
名雪が今でも、あの日の傷を抱えたままだった、って事に。
だから……決心したんだろう?
全てを……告白……しよう、って……
「ねえ……祐一……」
名雪の口調が変わった。
「今朝、祐一、お母さんと何か話してたよね?」
ピクッ……!
口元が引きつるのを感じる。
気が付いていたのか……
「ふたり共、わたしが降りていったら、黙っちゃったよね?」
名雪の口調に、俺を責める響きは無い。
名雪は、ただ、俺を心配してくれている。
それが判るだけに、名雪の視線が痛かった。
「あれってさ……わたしが知らない話がある、って事だよね?」
今朝の会話がフラッシュバックする。
「秋子さん……俺……今日、名雪に話そうと思います」
俺の為にコーヒーを煎れてくれていた秋子さんの手が止まる。
「話す、って……まさか……」
「はい」
秋子さんが戸惑いがちに頬に手をあてる。
「何故……今になって……?」
「それは……俺が……」
トントントン……
階段を名雪が降りてくる音。
俺は声を低めて、はっきりと言う。
「名雪を、好きだから、です。
……ひとりの、男として……」
「祐……」
「うにゅ……おはようございます……」
名雪が顔を出し、俺と秋子さんは、黙って目を逸らした。
「お母さんまで、わたしに黙ってる、って事は……
わたしが知らない方がいい事、なんだよね?」
名雪は、普段は鈍い印象があるが、実の所、人の心の機微に敏い。
悟った内容を追求してこないせいで、判っていない様に見えるだけだ。
その、名雪が、こうして人の隠そうとした事実に踏み込んでくるのは、黙ったままで眉間にしわをよせている俺を気遣っての事に間違い無い。
『切り出したくない話なら、無理しなくていいんだよ?』
名雪は、そう言っているのだ。
……情けねえ……
愛しく想っている相手に、気を遣わせてどうする!
「だからね、わたし、無理に訊こうって思わないから……」
「名雪!」
俺はようやく声を絞り出し、名雪の言葉を遮った。
名雪は素直に黙り、俺の言を待っている。
俺は息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐いた。
どうにか肝が据わる。
言って嫌われたって構うものか!
このまま名雪に気を遣わせ続ける事に比べれば……
「名雪、すまん」
「え?」
名雪が目を丸くする。
いきなり謝られれば当然だろう。
でも、謝らずにはいられなかった。
「俺は……名雪に、嘘をついていた……」
名雪の目がますますキョトンとなる。
「嘘?」
「ああ……」
ひとつの嘘を隠す為に、積み重ねられてきた嘘。
俺は、その固く強張った嘘の殻を、バリバリと引き剥がそうとしていた。
「何から行こうか……
そうだな。まず、俺は、7年前の事を……忘れては、いない……」
「え? ……え? …………ええーっ!?」
名雪は混乱し、ひとしきり疑問符を発し続け、それから、真っ赤になる。
「えっと……じゃあ……」
「ああ。名雪に告白された事も、覚えてる」
真っ赤に染まった名雪の顔が、更に赤くなる。
普段の俺ならからかう言葉のひとつでも浮かぶ所だが、今はそんな余裕は無い。
「忘れた、って事にしていたのは……
雪うさぎを壊した理由を……説明出来なかったからだ」
「理由?」
「そうだ。名雪はあれを、俺に振られた、と受け取ったが……そうじゃないんだ」
そう。俺が名雪を振る訳が無いんだ。何たって俺は……
「俺は……ずっと、名雪の事が……好きだった。
でも、だからこそ……名雪の気持ちには応えられなかったんだ……」
名雪の顔が更に赤くなる。
あそこからまだ赤くなれたのか。
人間の限界と言うものは計り知れん。
「…………何故…………?」
名雪が、やっと、といった感じで疑問を口にする。
当然の疑問だろう。
好き同士の告白だったのなら、プレゼントを叩き壊されるいわれは無いのだから。
「俺は……もう……二度と名雪には会えない筈だったからだ。
あの年の冬休みが……俺がこの街に来る、最後の機会になる筈だったからだ」
「10歳まで、の約束よ」
母の声。
泣きじゃくる俺。
これは、あの、7年前の冬の記憶。
迎えに来た母さんに、改めて、これが最後だと、宣言された時の記憶。
「姉さん、まだ、もう少しいいんじゃないですか?」
秋子さんの声。
俺の泣き声に心を痛めた、沈痛な声。
「駄目よ。確かに次の休みくらいは、ひょっとしたら問題無いかもしれない。
次の次だって、その次だって、まだ大丈夫かもしれない。
でもね……」
秋子さんの溜め息。
「……そうね……いつか、無理になるわね……」
いつまでも子供でいられればいいのに……
大人の身体なんて……欲しくなんかないのに…………
「でも、祐一、また来たじゃない……
7年経ったけど……来れたじゃない……」
名雪はようやく少し冷静さを取り戻したようだ。
「それは……俺が、7年かけて、相沢祐一になったからだ」
「祐一に……『なった』?」
身体が震える。
俺は、とうとう口に出そうとしている。
「そうだ。
俺は本当は……相沢祐一じゃあ……ない」
「え…………?」
震えが止まらない。
怖い……怖い……怖い!
好奇の目で見られる事も、馬鹿にされる事も、とっくに慣れた。
だが……この、愛しい少女にだけは……名雪にだけは……!
「名雪……俺はな……秋子さんの、甥ですら、ない……」
「祐一……何を言ってるの?
それって……どういう……」
嘘の殻は、ばらばらに剥げ落とされていた。
残るのは……一番最初の嘘。
「名雪……俺の本当の名前は……
戸籍に書かれてる、親から貰った名前は……」
自分の声が高く上擦っているのが判る。
低くする為に何度も潰したのに、まだこんな高い声が出やがるのか。
「相沢……祐。
秋子さんの……姪……なんだ……」
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