歩いて行こう
「――以上、今日の生徒会会議を終ります」
久瀬のその一言で他の生徒会役員達は立ち上がり、部屋から出て行ったり書類の整理をしたりしている。
そんな中、副会長の女子生徒が久瀬に話しかけた。
「……あの、会長」
「ん？ 何か用かい？」
「いえ……先程の会議で決まった、問題を起した反生徒会のメンバーの処遇……
少し厳しすぎはしませんか？ いくらなんでも、あれでは……」
「ふっ……何かと思えばそんな事か。
学校というのは集団生活の場だ。 そして集団生活には、必ずルールというものがある。
そのルールを守れず規律を乱せば、それなりの処罰を受けるのはあたりまえの事だ。
もっとも、彼らには退学にならなかっただけ、ありがたいと思ってもらわなくては困るがね」
「ですが……」
「この話はこれまでだ。
事後処理がまだ残っているので、僕はこれで失礼するよ」
そう言って久瀬は彼女を無視して、事後処理をするため生徒会室内部の会長室へと入っていった。
「この書類で最後か……まったく、人の苦労も知らないで問題ばかり起す生徒が多くて困る」
時計を見ると、夜の８時を過ぎていた。
「もうこんな時間か……問題を起す生徒を片っ端から退学にすれば、少しは楽になるかな？
いや……退学にしたとしても、事後処理があるから苦労は変わらないか……」
久瀬は少しぼやいた後、当直の教師に挨拶をして帰路についた。
（今回の反生徒会の起した事件は、今までで一番たちが悪かったな……）
二月に入ってからといもの、反生徒会の動きがやけに大きくなってきた。
事あるごとに生徒会の意見に反発し、つい先日も、もう少しで警察沙汰の事件にまで発展しそうになったぐらいだ。
（反生徒会が増長しはじめた理由は、たぶんあの事が原因だろう……）
一月に、一人の女子生徒が生徒会主催の舞踏会を台無しにしたという事件があった。
その女子生徒は前々から、証拠は無いが校舎のガラスを割ったと疑われていて、その事もあり退学処分を言い渡された。
だが、その女子生徒の親友である代議士の娘が以前脱会した生徒会に復帰するという条件の元、退学になったその女子生徒は復学する事になる。
翌日、デモを兼ねた演説の場で代議士の娘を紹介していると、復学した女子生徒が生徒会長を脅し、結局、代議士の娘が生徒会に復帰する件はうやむやになったという……
生徒の間では、その時の事がそういう結論となってウワサされている。
そのウワサを知った反生徒会のメンバーは、『力で脅せばいい』という短慮的な結論に達し、増長しはじめたのだ。
（どうして、そういう低レベルな結論に行き着くのか理解に苦しむ）
その女子生徒の退学、代議士の娘の生徒会復帰による復学云々の実態は、生徒の間に広まっているウワサとは多少異なっていた。
まず、事の起りは代議士の娘の生徒会の脱会。 女子生徒がガラスを割ったという事件は、それほど大した事ではなかった。
この地方でも有名な代議士の娘が生徒会を脱会するというのは、生徒会の、ひいては学校の汚点となった。
生徒会役員及び、教師陣は何とか代議士の娘を生徒会に引き戻したかったが、へたな事をすれば代議士の怒りを買う事になりかねない為、おいそれと手は出せない。
そこで目をつけたのが、代議士の娘と友達の女子生徒だった。
校内で何か問題が起きれば彼女にその疑いをかけ、例え無実であろうと何かしらの処罰を与える。
それを繰り返していけば、代議士の娘は友達を庇うため生徒会に戻るのではないかと……
そして退学になった友達を復学させるため、代議士の娘が生徒会に戻るという学校側の思惑は成功したかのように見えた。
（生徒が生徒なら教師も教師だ）
当初の目的は達成されたかのように見えたが、ここから新たな問題が発生した。
『女子生徒が生徒会長を脅した』……これは別に脅したわけではく『代議士の娘を悲しませたら許さない』と女子生徒が生徒会長に言い放っただけである。
それがどういうわけか、『脅した』というウワサになって生徒の間に流れていた。
そのウワサを助長させたのが『代議士の娘が生徒会に入る件がうやむやなった』というウワサである。
これも別にうやむやになったわけではなく、代議士の娘は生徒会役員として登録されてはいるが、生徒会長の意向により一切の活動に参加していないというのが実態であった。
この事実を知っている者も少数存在するが、結局の所『生徒会長が女子生徒に恐れをなした』と見られている。
反生徒会が増長しはじめたのは理由は、間違いなくそれだといって良い。
ただ、反生徒会の誤は『生徒会長が脅しに弱い』のではなく『彼女に恐怖を感じた』からだった事に、まったく気付いていなかった事である。
（あの時は、まるで野生のライオンと同じ檻に入れられた気分だったな……）
生徒会が一般生徒の脅しに折れる事はもちろんなく、業を煮やした反生徒会のメンバーが実力行使に乗り出そうとした所、教師陣や運動部の生徒に取り押さえられ、先日の事件は終了した。
（学校は『生徒に勉強を教える』ただそれだけの場所じゃないのか？
それなのに、教師は面子や自己保身ばかり気にしているし、生徒は生徒で一部のエリートが権力を振りかざすわ、それに反発した生徒が反生徒会を創って実力行使に訴えるわ……
社会と同じで腐っている……まるで政治をそのまま縮小したようなものじゃないか。
もっとも、僕自身がその中心人物なんだから、偉そうな事は言えないか……）
久瀬は、そんな事を延々と考えながら歩いていた。
考えに区切りをつけ横をふっと見ると、この付近では数少ないコンビニがある。
（少しお腹がすいたな……何か買っていこうか。 それとも、夕食もあるし我慢するか……）
その場で立ち止まり、少し悩んでいるとコンビニの出入口が開き、一人の少年が出てきた。
「ありがとうございました」
店員の声と共に出てきたその少年は……
「相沢…君？」
「ん、…久瀬？」
コツコツコツ
コツコツコツ
コツコツコツ
コツコツコツ
街灯もあまり無い夜道を、二つの足音が規則正しく響いていく。
「いつまでついて来る気だ？ 相沢君」
「別について来てる訳じゃないさ。
俺も帰り道がこっちなんだよ」
「まったく、学生がこんな時間にふらふらと」
「コンビニに夜食を買いに行くぐらい、別に良いだろ。
お前こそ、こんな時間に何やってるんだよ」
「僕は生徒会の残務処理があったんだ。 君とは違う」
「ふ〜ん。 生徒会も大変なんだな」
コツコツコツ
コツコツコツ
「…………………………」
「…………………………」
コツコツコツ
コツコツコツ
「…………………………」
「…………………………」
「……なあ、久瀬」
しばらく無言が続いたが、先に沈黙を破ったのは祐一だった。
「……なんだい？」
「その……さ、あの時は、すまなかったな」
「あの時？」
「佐祐理さんと一緒に、舞の復学の署名を持っていった時の事だよ」
「あの時の事か……それで？ 何故、君があやまるんだ？」
「何故って……俺はあの時、生徒会と反生徒会の確執なんて知らなかったし、舞の事で頭がいっぱいで周りが何も見えて無くてさ……
あの時、署名を受理していたら反生徒会や他の生徒にしめしがつかないっていうか、そんな内部の事まで気が回らなくて……
佐祐理さんの生徒会復帰の事だってそうだよな。
そうしなきゃ舞は復学できなかった訳だし、佐祐理さんも生徒会役員として登録されただけで、活動には全然参加してないんだろ？
なんか俺、早とちりしてお前が悪い奴だとばかり思っててさ……本当は――」
「本当は？ 本当は何だと思ったんだ！？
まさか、この僕が『本当は良い奴だった』なんて馬鹿げた事を思ったわけじゃないだろうね！？」
「く、久瀬？」
「はっ、お笑いだね！
いかにも何の苦労もなく、人の善意の中で育ちましたという……
辛い目にあった事もない、苦しんだ事もない、ただの子供の奇麗事だな！！」
「……………」
「僕が本当に良い奴だったら……君達が署名を持って来た時に君を怒らせるようなマネもせず、もっと穏便に事を収められたさ！
僕はあの時、ただ川澄さんを退学にして、それを餌に倉田さんを生徒会に引き入れたかっただけさ！
倉田さんに気を使って生徒会の活動に参加させてない？
僕はただ、川澄さんが怖くて倉田さんに近づきたくなかっただけなんだよ！！」
「……………」
「君達の友情ゴッコを見ていると、吐き気がする。
君は人に裏切られた事があるかい？ 今まで親友だとか、大切に想っていた人とかにだ！
ないだろうねぇ。 ないからそんな甘っちょろい事が言えるし、友情ゴッコだって平気でやれるんだ！」
「……………」
「僕はね、この世の中に失望しているんだよ。
人は人を利用して裏切る、自己保身の塊なんだよ。
僕自身だってそうさ。
周りに利用される前に利用してやる。 裏切られる前に裏切ってやる。
世の中、世界そのものが腐りきっているんだよ！」
「……………」
「どうだい？
君はこれでも僕が『本当は良い奴だ』と言えるのかい？
黙っていないで、何とか言ったらどうなんだ！！」
「……………」
けれども、祐一は何も言わない。
ただ、けっして目をそらさずに久瀬を見つめている。
「……これ以上話す事は何もない。
それと、僕にはもう関わらないでくれ。
君と話していると虫唾が走る」
そう言い放って、その場を去ろうとした久瀬だったが……
「……なんだ、君達は？」
前方の十字路の左側から男が三人、久瀬の進路をふさぐように現われた。
だが、出てきたのはその三人だけではなかった。
十字路の右側からは二人、そして後にはいつのまにか五人、計十人の男が久瀬と祐一を囲んでいた。
「なんだ、生徒会長様はつい先日の出来事も覚えていないのか？」
男達のリーダー格と思われる男が、まるであざ笑うかのように話しかけてくる。
「そういう意味じゃない。
何のまねだと聞いているんだ」
「何のまね？
今日の出来事を思い出せば、心当たりぐらいあるんじゃないのか？」
「別に無いね。
今日は集団生活の秩序を乱す連中に、それ相応の処分を下したぐらいかな？
もっとも、あの程度で済んで感謝してもらいたいぐらいだけどね」
「てめぇ……」
男の一人が久瀬に近寄ろうとしたが、リーダー格の男が腕を横に伸ばしそれを制した。
「まあ待て。
おい、そこにいるのは、確か二年の相沢だったな……
聞いてるぜ、お前も久瀬と一悶着あったんだってな。
どうだ、オレ達に手を貸さないか？ お前も久瀬に恨みが――」
「ふざけんな！！」
男が最後まで言う前に、祐一は怒鳴り返していた。
「お前達と久瀬の間に何があったかは知らないが、こんな人数集めてたった一人に何がやりたい！？」
「ケケッ、馬鹿かお前は。 フクロにするに決まってるだろ」
祐一の問いかけに、後にいた男があざ笑うかのように言い放つ。
「まあ、そういう事だが……どうやら手を貸す気は無いようだな」
「あたりまえだ！」
祐一とリーダー格の男が睨み合っていると、久瀬がその場にいる全員に聞こえるように苦笑した。
「くくっ」
「てめえっ、何笑ってやがる！」
「怖くて頭がおかしくなったんだろ」
「ギャハハ、そりゃいいや」
「女にびびるくらいだからな」
周りの男達が久瀬を口々に馬鹿にするが、当の久瀬は気にした風でもなかった。
「まったく、これだから下賎の輩を相手にするのは疲れる」
「なんだとっ！」
「てめぇ、自分の立場がわかってんのか！？」
「落ち着け、お前等。
生徒会長さんよ、オレ達も別に鬼じゃない。 オレ達の処分を無かった事にして、この前の要求を飲んでくれれば腕の１本で済ませようってんだ。
悪い話じゃないだろう？」
久瀬はリーダー格の男の高圧的な態度にも屈せず、頑とした態度を崩さずに言い返かえす。
「それで脅してるつもりかい？ おおかた、僕が脅しに弱いというウワサを鵜呑みにしてるみたいだが……
これだけは言っておく。 君達、反生徒会の要求を飲むつもりは無いし、処分に関しては決定事項だ！」
「交渉決裂か。
しかたねえな……おい、お前等！」
リーダー格の男のその一言で、他の男達は輪を縮めてくる。
「相沢も一緒にやっちまいましょうぜ。
こいつ、いつも女をはべらしててムカツクからよ」
ふいに男の一人が言った。
「好きにしな」
「覚悟しろや、相沢！」
リーダー格の男の許可が降りるや否や、祐一の後ろにいた男が殴りかかって来た。
パシッ！
祐一は振り向きざまにその拳を左の手の平で受け止めると、間髪入れず殴りかかって来た男の鼻の下、人中に肘を叩き込んだ。
ガスッ！
祐一の肘を喰らった男はそのまま仰向けに倒れ、そのままピクリとも動かなくなる。
「たった二人相手に十人掛り？ 恥ずかしくないのか、お前等！！」
一瞬のその出来事に、今にも殴りかかろうとしていた男達の動きがぴたりと止まる。
「てっ、てめぇ！」
「び、びびってんじゃねぇ！ こ、この数に、たった二人で敵うわけねえだろ！」
なんとか勢いを取り戻そうとするが、男達は完全に浮き足立っている。
「久瀬、お前ケンカの経験は？」
その隙をついて、祐一は久瀬に小声で問い掛けた。
「……護身術を少し習ったくらいだ。 だけど実践はおろか、ケンカなんて野蛮な事はした事も無い」
「じゃあ、二、三人は任せたぞ」
そう言って祐一は、いまだ浮き足立っている自分の正面にいた男の顎を、斜め下から打ち抜くように殴り掛っていった。
「勝手な事を言ってくれる……」
久瀬は正面に向き直ると、殴り掛かって来た男の腕に自分の手の甲を当てて外側に払い、がら空きの鳩尾に拳を叩き込む。
殴られた男は一瞬怯むが、数歩下がって咳き込んだだけだった。
（ちっ）
一撃で仕留められなかった事に内心舌打ちするが、横合いから別の男が殴りかかってくる。
これも捌き、今度は顔面を殴ろうとした時、先程殴った男が再び殴り掛かって来た。
バキッ！
「ぐっ」
不意をつかれて殴られた久瀬は倒れたが、そのまま転がって相手との距離を素早く離し、立ち上がった。
一対多数のケンカの場合、囲まれると絶対的に不利になる。
慣れている者であればそれなりの対処方もあるが、経験の無い者にとっては、特に数が多ければ多いほど致命的だ。
そこで、囲まれないように常に相手と自分の距離を測り、後を取られないようにする。
正面から殴り掛かって来れるのは、せいぜい二、三人。 それを対処していけば、何とかなるはずだ。
久瀬は自分にそう言い聞かせ、再び殴り掛かってきた男達の拳を捌いていく。
何度殴り、何度殴られただろう……
顎に頭突きを入れ、ようやく一人倒し、拾った折れた木刀で顎を打ち払い、二人目も倒した。
（最初から顎を狙っていけばよかった……
顎を狙って相手の頭を回転させるように斜め下から打ち抜くと、脳がシェイクされ、非力な女性でも大の男を気絶させられるとは聞いていたけど……
まさか、ここまでとは……どんな事でも、あながち馬鹿にはできないな）
そう思いながら自分が倒した二人を見下ろしていると、久瀬は今更ながら自分が持っている折れた木刀に気が付いた。
（そういえば、何で折れた木刀が落ちていたんだろう？）
周りを見ると、今まで気付かなかったが自分が倒した二人の他に、最初に祐一が倒した一人とは別にもう四人、計七人が転がっている。
少し離れた所では、顔に少し痣ができてる祐一が、二人の男と殴り合っている最中だった。
（気を付けていたとはいえ、僕が囲まれなかった理由はこれか……）
そんな事をついぼんやり考えていたが、久瀬の視界に、後から羽交い絞めにされる祐一の姿が映った。
（危ない！ 助けなければ……
助ける？ 何故？ そんな事をして何の得がある？
相沢君が危険にさらされているから？
違う……
彼がやられたら、やつらは僕を標的にするから？
違う！
助けて恩を売りたいから？
違う！！
じゃあ……何故？ 何故、助けたいんだ？
……わからない…わからない わからないっ わからない！ わからない！！）
一瞬、祐一を助けようと思った久瀬だったが、何故かそれを止めようとする意志が働いてしまう……
「散々、てこずらせやがって……
だが、これで終わりだ！ 相沢！！」
もう一人の男が、羽交い絞めにされた祐一に殴り掛かかった。
ガスッ！
その音に気付き、久瀬は顔を上げ、殴られたであろう祐一の姿を捉えようとしたが……
視界に映ったのは、今まさに倒れていく男と、羽交い絞めにされた状態で回し蹴りを放った格好をしている祐一だった。
足の高さからして、相手のこめかみを狙ったのだろう。
蹴りを放った祐一は次の瞬間、羽交い絞めにしている男の顔面に後ろ向きのまま頭突きをかます。
ゴッ！
「がぁっ！」
男は顔面に頭突きを受け、腕の力を緩めてしまう。
その隙をついて羽交い絞めから逃れた祐一は、男の髪を両手で掴み、相手の頭を下へ一気に振り下ろす。
振り下ろした先には振り上げてきた祐一の右膝があり、祐一の右膝は男の顔面を打ち抜いていた。
（僕なんかが助けるまでもないって事か……）
顔面を打ち抜かれた男が崩れ落ちるのを確認した祐一は、久瀬の方へ向き直ると少し安堵した顔をした。
「どうやら、そっちも片付いたみたいだな。
けっこう殴られたみたいだが、平気か？」
「ふんっ。 君に心配されるほど、落ちぶれちゃいないよ」
「それだけの減らず口が叩けるなら、大丈夫だな。
さて……残るは、あと一人か」
久瀬は祐一の視線を追い後を向くと、倒れている連中のリーダー格の男が呆然とした顔で立っていた。
「多人数とケンカする場合、頭を早い目に潰すのが得策なんだが……
離れた所で観戦してられると手が出せないな」
「おおかた、彼等が僕達を弱らせた所をいたぶる算段だったみたいだが……
当てが外れたようだね」
「て、てめぇ等……馬鹿にしやがってー！！」
リーダー格の男は、二人に馬鹿にされたと思い逆上し、ポケットからナイフを取り出すと久瀬に向かって走り出してきた。
（避けなければ！）
そう思った久瀬だったが、足が思うように動かない。
（まさか、怖くて動けないとでもいうのか！？）
ナイフを持って、殺気を出しながら走って来る相手を見て、怖いと思わない人間は稀だろう。
久瀬はそんな経験は今日が初めてだ。 恐怖で足が竦んでしまっても無理はなかった。
「死ねぇっ、久瀬ぇ！！」
男が眼前に迫ってきた所で、久瀬はギュっと目を瞑った。
ドスッ！！
ナイフが刺さる生々しい音が耳に届くが、痛みはいつまで経ってもやって来ない……
恐る恐る目を開けた久瀬の視界に飛び込んで来たのは……
「へ、へへっ、馬鹿が……自分から刺されに来るなんて、何考えてやがるんだ……
気でもおかしいんじゃないのか？」
「おかしいのは貴様だ！
今すぐ、相沢君から離れろ！！」
ガスッ！！
久瀬は渾身の力を込め、祐一を刺した男の顔を殴りつけた。
「がっ……
効かねえなぁ、お前ごときのパンチなんかよ！
次はお前の番だ、覚悟しろや！！」
男は祐一の腹から血のべっとりと付いたナイフを引き抜くと、久瀬に向かって振り上げる。
「痛てえじゃねえかぁ！！」
ゴスッ！！
腕を振り上げ完全にがら空きになった顎に、予想もしなかった祐一のアッパーカットを喰らい、男は白目をむいて仰向けに倒れていった。
ドサッ
男が倒れたのを確認した祐一は、ゆっくりと久瀬に向き直る。
「大丈夫だったか？ 久瀬」
「だ、大丈夫って、それはこっちのセリフだっ。
君こそ大丈夫なのか！？」
祐一は、顔にびっしりと汗をかいているが、普段と同じように笑っていた……
その表情だけを見れば大丈夫そうに見えるが、ナイフで腹を刺されたのだ。 大丈夫なわけがない。
「大丈夫だって、こ…れぐ…ら……い………」
最後まで言い終わることなく、祐一の体が前のめりに倒れていく……
バタッ
「あ……相沢君？ 相沢君！？ 相沢君！ 相沢君！！ 相沢ー！！」
だが、久瀬がいくら呼んでも祐一は目を覚まさず、路地には久瀬の叫び声が虚しく響くだけであった……
−−−−−
次のページ
このSSは、作者の方に二次著作権が存在します。
転載、無断引用を固く禁止します。
戻る