SSこんぺ No.030 : 奇跡のかわりに (1/5)

奇跡のかわりに

「なあ、香里姉さん……」
　めきっ！
「ぐあっ！　痛ぇえ！」
　いきなりか？　いきなりなのか！？
「お姉ちゃん、今のは……」
「完璧な人中へのクリーンヒットだな」
　突然襲った謎の痛みに立てないというのに、栞と北川は呑気にそう言った。
　いつも通りの昼食というには、あまりな光景だ。
「ちなみに、人中というのは、身体の中心のことで急所になっている箇所だ」
　誰もそんなことは訊いていない。
「俺は、ただ醤油を取ってくれと言おうとしただけじゃないか」
「……取ってあげるから、姉さんはやめなさい、姉さんは」
　いつもの不機嫌な顔でそう言った香里だが、すんなりと醤油差しを渡してくれた。意外と照れているだけかもしれない。
「でも、お姉ちゃんもなにも問答無用で殴らなくても……」
「殴ってないわよ、軽くツッコミを入れただけで」
「嘘だっ！」
　軽くも無いし、ツッコミでもない。それに、ツッコまれただけで、いちいち頭蓋骨が変形していては、芸人・相沢　祐一の命が危ない。
　……いや、別に芸人を目指しちゃいないのだが。
「しかた無いでしょ。虫酸が走るのよ、相沢君に『姉さん』なんて呼ばれると」
「失敬な。これでも、『姉さん』と呼ばせたら右に出るものはいないってずっと言われてきたんだぞ」
「連れてきなさいよ、そう呼んだ人を……」
「つーか、そんなバカなことばかり言ってるから、嫌われるんじゃないか？」
　嫌われてたの？　俺。
「でも、私と祐一さんが結婚したら、そう呼ぶわけですから。慣れたほうが良いですよ」
「栞、すぐに他の男を見つけなさい！」
「名前の呼ばれ方だけで、人の恋路を邪魔するんじゃないっ！」
　やたらと騒がしい中庭での昼食。
　無意味に注目を集める昼食。
　俺はこの瞬間がたまらなく好きだった。
　俺がいて、病を克服した栞がいて、妹の運命を受け入れた香里がいて……。
「なんで北川がいるんだろうな……」
「いたら悪いかよ……」
　あ、落ちこんでしまった。
　別にいてもかまわないんだが、何故か北川を見るとこういうツッコミをしてしまう。
　まあ、そういうキャラなんだろう。
「なあ、相沢。お前って密かに俺のこと嫌いか？」
「いや、そうでもないぞ」
「そうか……」
　何やら悩み出した北川を放っていて、栞作の出汁巻き卵を口に放りこんだ。
　……甘い。

「あっ！　祐一さん、見てください！　この水着は可愛い私に似合うと思いませんか？」
　日曜日はデートの日。
　どことなく安っぽいキャッチコピーのような響きがあるが、そういう日になっているのだからしかたが無い。
　デートをしてくれないと似顔絵を描きますよ、とまで言われて断れるはずも無かった（それが脅しになった事に栞は凹んだようだが）。
「可愛い私ってのが誰のことか分からないが、気にいったんなら試着でもしてきたらどうだ？」
「さり気無く酷いこと言われた様な気がしますけど、試着してきます」
　にこやかな笑顔など振りまきつつ（俺以外に振りまくな）栞の姿は試着室に消えていった。
　で……。
「今日もついてきてるのな」
　俺達の位置から数メートル後ろにぴたっと着いて来ている影に声をかけた。
「あの相沢君と栞を二人きりには出来ないわよ」
　姿は見えず、声だけ返って来た。姿を確認するまでもなく、シスコン女王・美坂　香里のものだ。
「あのって言葉がかなり気になるんだが」
「そういう言葉がつくだけの前科持ちなのよ」
　酷い話だ。
　まあそのお陰で、雪の降る街の裏面・白い破滅の街一週ツアーにいけないのだから、香里の牽制はかなり有効なのだろう。
　というか、どんなツアーだよ、それ。
「そうして着いて来られるとかなり気になるんだが」
「あたしは、石ころよ。野球のアンパイアと同じ。気にしないことね」
「気になるって、数メートル離れて着いてくるくらいなら、せめて横を歩いてくれ」
「あのね、それじゃ相沢君と栞のデートにならないでしょう」
「横を歩いたんじゃデートにならないっていうなら、後ろを歩かれている時点で既にデートになってないから」
　デート中にぴったりと着いてくる何故か気迫満点の姉。落ち着かないことこの上ない。まだ、横を歩かれた方がマシというものだ。
「いくら鈍感な栞だって気付いてると思うぞ」
　胸は小さいが、栞は俺や香里の細かい変化には非常に敏感だ。気づいてないわけが無いだろう。
「ひどいですー。鈍感なんかじゃないですよ」
　シャッとカーテンを引く音と共に純白という感じのワンピース水着を身に纏った栞が現われた。
「あ、お姉ちゃん。どうしてこんなところに？」
「……」
　気づいてなかったんかい。

「結局こういう形になるのね」
　とぼとぼと横を歩きながら、香里が言った。
「いや、別に香里だけ帰るって選択でもよかったんだが」
「１００年早い！」
　うわ、速攻。
　つーか、１００年後にはギネス認定物の老夫婦になっていると思うんだが、香里はそんなになっても横にいるつもりか？

「はあ、栞さんや。今日は桐の棺桶が安いらしいのぅ」
「どれ、それじゃ入り心地を試してみますかねぇ………あぐっ、こ、腰がっ」
「し、栞～。しっかりしなさい………あがっ、ひ、膝がっ！」

「……」
　なんか、異世界が見えた気がする。
「ま、今日のところはトラインアングルデートですね」
「なんだ、そのデートは」
　ジンジンと鳴り響く頭を抱えつつ、俺と栞＋保護者の姉は次の目的地へと向かった。

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