美凪





走ってるわたしのうでの中に、けがをした子ぎつねがいる。
ものみの丘という場所でけがをしていたので、思わずひろってしまった。
足から血がでていて、少し固まっていました。

うでにだいた子ぎつねの毛がちくちくとうでにささる。
ねむそうな子ぎつねの目と、目の前の道に何度も目を移して走った。
ようやくついた家のドアを思いきり開けて、すぐにお母さん、とかすれた声をしぼりあげた。
とりあえずけがを何とかしてもらおうと思ったのです。
お母さんはおどろいた顔をして言いました。
「美汐、どうしたの？」
そう聞いてきたので、わたしはものみの丘でひろってきたと答えました。
するとお母さんはもっとおどろいた顔をしました。
それでもお母さんは薬箱を出してきました。
お母さんはすぐに子ぎつねの足に消どく液をつけて血をふきとり、ほうたいをまきました。
子ぎつねはあまり動きません、それが逆に心配です。
ふつうなら痛がるでしょう。

けど、じぃっ。としたままの子ぎつねを見ているとあんがい痛くないのかもしれないと思った。
わたしは子ぎつねにほうたいがまかれると安心して、子ぎつねをだきあげました。
うれしくてわたしは勝手に顔がわらっていました。
わたしは思いきって、さっきからこっそり考えていたことをお母さんに言いました。
「お母さん、この子ぎつねうちでかっていい？」
するとお母さんはすごくおどろいています。ふるふると指をふるわせて言いました。
「だめよ」

「でもこの子けがしてるよ、けがが治るまででいいからおねがい」
お母さんはそれでもまだ考えこんでいます、ななめ下を見ながら口に手を当てて考え込みました。
わたしはお母さんが、どうしてそんなに考えるのかが分かりません。
お母さんは学校の先生をしていて、いつも生き物にはやさしくしよう、とおしえていると言っていました。
生き物だけじゃなくて、自分のクラスの子どもにもやさしくしてるし、もちろんわたしにもやさしいです。
どんな時でもわたしの話をちゃんと聞いてくれます。

わたしはもう一度言いました。
「おねがいお母さん、この子すごく弱ってるし、けがが治るまででいいからいいでしょ」
「けど、野生の動物はそんなかんたんに飼えないしましてキツネを……」
「キツネさんでもタヌキさんでもけがしてるよ」
わたしは子ぎつねをむねにだいてお母さんにおねがいしました。

「………分かったわ」
「本当！　ありがとうお母さん」
「ちゃんとめんどうを見るのよ美汐」
「うんっ」

そして子ぎつねはわたしの家族になりました。
名前をきめる時は、お母さんに手つだってもらいました。
「そうねぇ、これはあなたの名前を考える時にいくつかあった名前のひとつなんだけど」

美凪、それが子ぎつねの名前になりました。


美凪はわたしの家でくらしはじめることになった。
次の日、わたしは学校の図書館で先生にてつだってもらってキツネについて色々しらべました。
キツネが犬のなかまだと知っておどろいたりもしました。
なによりも、キツネが何を食べるかわたしには分からなかったのです。
先生によるとどうやら何でも食べるらしくて、わたしは学校の帰り道におこづかいでドッグフードを買いました。
家に帰ってカギをつかってドアを開けると、ものすごいにおいにわたしはたおれそうになりました。
それが美凪のおしっこのにおいだと気づくのに、時間はかかりませんでした。
そしてわたしの部屋が、ドロボウが入ったのと同じようにちらかっていました。
美凪がやったのはすぐに分かりました、しかし美凪が見つかりません。
たしかにわたしの部屋にいるはずなのに、さがしてみるとなんと大きなタンスの上でねてました。
一体どうやってあんなところへのぼったか分かりませんでした。

ねているのでおこすのは悪いと思って、わたしは部屋をかたづけることにしました。
本当にすごい部屋です、ところどころかべにキズが入っています。お母さんが見たらおこるかもしれません。
もともとたくさん物がある部屋じゃないので、じゅんばんにかたづけて部屋はすぐに元通りです。



お日様がお月様とこうたいするころになって、お母さんが帰ってきました。
それと同じようにして美凪もおきてきました。どうやってタンスからおりてきたのかもふしぎでした。
とりあえずわたしはドッグフードをおさらに入れて美凪に食べさせました。
おなかがへっていたみたいで、あんまりごはんを食べないわたしがいつまでも見ていたくなるくらいの食べっぷりでした。
お母さんは部屋のにおいに気づいて少しためいきをついていました。
もしかしたらお母さんはこのにおいのことを知っていて美凪をかうことにはんたいしたのかもしれません。

美凪は赤と茶色をまぜたような毛の色をしています。
わたしがいるときには、大人しくていつもつまらなさそうな目をしていました。
それでもわたしはそんな美凪を見ているだけで、やさしさがあふれてきました。
心からあったまるやさしさの中に、美凪はいました。

わたしは学校に行ってもずっと美凪のことを考えていました。
帰り道に走るとゆれる、この首からつるしたカギも好きになれたました。
ひとりで開ける家のドアは、大きくてつめたくてキライだったけど
美凪が待っていると思うとドアを開けるのが楽しみになった。

そんなわたしと美凪のくらしも一週間をすぎるとなれてきました。
おしっこもちゃんとペット用のおトイレでするようになりました。
お母さんはちゃんとおトイレでするのか不安だったようですが、美凪はすぐにおぼえました。
「美汐よりおトイレのおぼえが早いわね」
お母さんがそんなことを言いました。
少しむっ、として言いました。
「そんなことないよ」
「だってあなた今でもたまにおねしょするんだもの」
それは言わないでほしいと思いました……。


そんなある日の夜のこと、その日は月がきらめいていました。
たくさんの音を月がすいこんだみたいに、しずかな夜でした。
わたしがおふとんでねていると、美凪がわたしのおふとんにもぐりこんできました。
めずらしいと思って、わたしはそっと美凪のせなかをなでました。
その時、美凪がぽっと光りました。くらい部屋で美凪の体から光がだんだん出てきました。
わたしは夢なのかそうじゃないのか分からずに、おどろきながら美凪を見ていました。
だんだん美凪を見ることができなくなってきました、美凪の光はわたしの目を真っ白にしてしまいました。
頭の後ろからも光が入ってきているのが分かりました。
目を閉じても頭のまわりが真っ白でした。それがほんの短い間強くなったと思ったらまた真っ黒にもどりました。
わたしは目をぱちぱちさせてしばらく何も考えられずにすわりこんでいました。

ようやく目がなおってきたころに、美凪がどうなっているのか心配になりました。
いそいでおふとんの中にいる美凪を見ると、そこにはわたしよりすこし小さな子どもがいました。
そっとさわっただけで、それが美凪だとわかりました。
もっているあたたかさ、たしかに美凪でした。
だれにも信じてもらえないかもしれないけど、わたしには分かった。

わたしはすぐにお母さんの部屋に行きました。
ねていたお母さんをむりやりおこして、わたしの部屋につれてきました。
そしてさっきあったことを話しました。
それでもお母さんはずっとだまったままでした。
最後に、そう。とだけ言っていました。お母さんはなぜか悲しそうな顔をしていました。
それは気になったけど、美凪が人になったことがうれしくてそれどころじゃありませんでした。
わたしはたくさん本を読みます、だから動物が人になるお話も知っています。
けど本当にこんなことがおこるなんて……。
ほかの人が言えばわたしはうそだと思ったでしょう、けど美凪のもつ”何か”が子ぎつねといっしょだった。
それだけはうたがうことはできません。だから…、わたしはすんなりとうけいれた。
だって、ずっと前からこんな妹ができたらとねがっていたから。

わたしはやさしく美凪に目をむけました。
美凪はわたしより少し小さいようです、まだねていましたがわたしの服をきせました。
わたしは美凪をおこそうか考えましたが、やっぱりねかせておくことにしました。
おふとんに入って美凪のかみの毛をなでました。
かみは月をくだいたような銀色でサラサラとしていてわたしの手がとけこんでるみたいでした。
顔も大きな目があって、小さくはなと口があり本当にかわいくてかわいくて、わたしは思わず美凪のほっぺたにキスをしました。
おやすみなさい。



　朝おきてもやっぱり美凪は人でした、本当にかわいらしいわたしの妹。
神様がくれたわたしだけの妹です。
朝の７時を少しすぎたころ、美凪がおきてきました。
「おはよう美凪」
わたしは朝の太陽に負けないつもりのえ顔で話しかけました。
美凪は大きな目をもっと大きくさせてわたしを見ています。
わたしはもう一度話しかけます。
「おはよう」
「……おはよう」
その声はガラスから出てきたみたいにすんでいます。
「美凪、わたしのことが分かる？」
美凪はだまって首を横にふりました、そのしぐさも小さくてゆっくりでかわいらしかったです。
「とりあえずお顔をあらって歯をみがきましょう」
わたしは美凪の手を引いてお風呂場の前まで行って顔をあらいました。


その後で朝ごはんを美凪と食べました。
たたみの上にすわっていつものようにいただきますをしたけど
今日のいただきますはずっと特別でした。

その後でわたしは今日学校を休むとお母さんに言いました。
学校の先生のお母さんにずる休みすると言うのもヘンです。
けど、お母さんはためいきをついてから、分かったと言ってわたしの学校に電話をかけてくれました。

今日は美凪といっしょです。
部屋にもどって、美凪に色々とおしえることにしました。
わたしの名前が美汐だということと、あなたのお姉ちゃんだということなどです。
美凪はたどたどしい声で小さく「お姉ちゃん……」と言いました。
わたしはこの時ほど神様にありがとうを言ったことはなかったでしょう。
八百八十八の神様でも、仏様でもとりあえずありがとうを言いました。
美凪はそんなわたしをふしぎそうに、首を横にして見ていました。
またかわいさに見とれそうになりましたが、すぐにこほんと小さくしてから言いました。
「えーと美凪、どうして人になったの？」
「……？」
じぃ、とわたしを見る美凪
あぁ、おねがいだからそんなかわいい顔でわたしを見ないで美凪。
気をとりなおして色々ときいてみると分かりました。
どうやら美凪は自分がきつねだったことは、おぼえていないようです。
と、いうことは美凪はずっと人としてわたしの妹としてくらすのでしょう。
それはすごくステキなことに思えましたし、きっとそうなると思いました。



美凪といる時間はどんどんふえました。
つまらない学校が終われば、首につるしたカギをふりながら家にかりました。
美凪はわたしが帰ってくると「おかえりお姉ちゃん」とでむかえてくれます。
この声ひとつが、わたしをどれだけ喜ばせたか……。
家に帰ってだれもいないのは、知らない間に心を少しずつ取られているようなものですから。
そしていっしょにテレビを見たりおふろに入ったり、同じおふとんでねたり。
どんな姉妹よりもなかよくしていました。

ある日には、こんなこともあった。
たなに入れていたおかしがなくなっていた。
とったのはは美凪だった、口のまわりにチョコをつけているのに食べてないというのです。
もちろんそのことをちゃんと言った
「かってに食べちゃダメでしょ美凪」
そう言ってわたしは美凪をしかろうとした。
するといきなり走りだして、にげた。
「あ、まちなさい」
わたしも後をおいかけました。
けれど美凪はすばしっこくて、机のしたをくぐりぬけたり
急にろうかの角をまがったりと、上手ににげまわりました。
もうわたしも美凪をしかるためと言うよりも、おいかけっこをしてる気分でした。

おいかけっこの終わりはお母さんが帰ってきたことだった。
ろうかの角をまがった美凪が、お母さんにぶつかったのだった。
わたしもその場まできていました。つまり美凪はろうかではさまれているのです。
「美凪、おいかけっこは終わりよ」
「あう……、お姉ちゃん」
「あらあら、どうしたの」
「お母さん、お姉ちゃんがいじめるっ」
そう言って美凪はお母さんにだきついた。
「あらダメよけんかは、美汐がお姉ちゃんなんだから」
「お母さん！　美凪がわたしのチョコまで食べちゃったんだから」
「本当？　美凪」
「え？　あーと…」
美凪は答えにこまっているようです。
「うふふ、そんな悪い子にはおみそしるの具になってもらいましょうか」
「あう…」
お母さんがこわいです……。
「お母さん、そこまでしなくてもいいから…。
　べつにそんなにチョコがほしかったわけじゃないし」
「ホント？　お姉ちゃん大好きっ」
美凪はお母さんの手からぬけて、わたしにだきついてきました。
そんな美凪をずるいと思いながらも、ついついゆるしてしまいます。

「あらあら、お菓子ならあるわよ。ほら」
お母さんは買いものぶくろから、アメやチョコをとりだしました。
美凪はそれを見て、目からキラキラ光線を出したかと思うとすぐにとびつきました。
あまりにあっさりとわたしの手からはなれていきました。
「もうっ！　美凪、ばんごはんが食べられなくなるでしょ。後にしなさい」
「だいじょうぶだもん」
そこでお母さんが言いました
「そうね、たくさん食べておいしく育つのよ美凪」
「「………」」
美凪はだまっておかしをふくろにもどしました。


そんな美凪といるくらしが、わたしの”ふつう”になったころのこと。
わたしと美凪はいっしょにテレビを見ていました。
人気テレビアニメ『魔女っ娘さゆりん』です、前の回も美凪といっしょに見ました。
ふつうと言いながら、勉強もできてかわいい佐祐理が、魔女に変身して悪ものをたおすアニメです。
さゆりんがあぶなくなれば、美凪といっしょにドキドキしながら見ていました。
今回はさゆりんが好きな男の子、祐一君が悪の手先北川につかまってしまうお話でした。
でも最後にはさゆりんがステッキをふって終わりです。
空からすごいたくさんのアメ玉やおかしがふってきて、北川はつぶれてしまいました。
あははーっ、せいぎは勝つんですよーっ。と、さゆりんが言ってまた今度につづきます。

アニメの終わりの歌も見終わってから美凪が言いました。
「お姉ちゃん、あんなふうにおかしがふってきたらすっごくうれしいね」
「そうね、きっと一生かかっても食べられないね」
「すごいなぁ、まじかるさゆりん」
大きな目をきらきらさせて美凪は、たくさんのおかしを考えているようです。
その後でまじかるさゆりんの歌をいっしょに歌いました。
美凪の歌は本当にすごいです。
とうめいで、みずうみのような声をせいいっぱい使って歌います
さらにそのとうめいなみずうみの中で、楽ふの上のおたまじゃくしを自由におよがせています。
つまり、声はきれいなのにオンチです、もったいない。
それでも二人でいっしょに歌いました。

まじかるさゆりん　空をとぶ
悪をたおすぞ　まじかるさゆりん　おーっ。

歌い終わって大きな声でわらって、そのあとでおふろに入ってあらいっこしてまたわらって。
本当に美凪が妹になってからわらった数は、今までわらった数よりも多いかもしれません。
これからもそんな日が続くと思うと、それを考えるだけで笑ってしまいます。

それから数日
今日の夕ごはんはおいしいものがたくさんでした。
机にハンバーグやからあげがならんでいます。
「お姉ちゃん、おいしそうだね」
「そうね」
多分お父さんからお母さんに電話がかかってきたのでしょう。
お父さんは中学校の先生をしていますが、遠くなので一人でくらしています。
たまに電話がかかってきますが、その日はきまって夕ごはんにおいしいものがたくさんでした。
はな歌をしながらお母さんは机にお皿をならべています。
お母さんはたよりないから、お前がしっかりするんだぞ。
お父さんはよくそう言っていました、たしかにお母さんは少しのんびりで、ぼけっとしすぎてます。
それにお母さんはお父さんに甘えすぎです、わたしだってもう少しお父さんに甘えたいのに。
けどしっかりしていれば、お父さんはほめてくれるので
わたしはいつも自分のことをちゃんとしたり、お母さんのお手伝いをしたりしています。

あ、そういえばお父さんにも家族がふえたことを言わないと
そう思いながら、ハンバーグにおはしをのばした時でした。
「あれ？」
「どうしたの美凪？」
「おはしがもてない…」




それから数日すると、美凪はこまかいことができなくなった。
すぐに泣き出したりした、わたしはそのたびにだきしめて頭をなでてあげた。
そうすると美凪はおちついた。
すぐに元にもどると思ったけど、そうはなりませんでした
そして美凪は言葉たらずになった。







学校が終わってから、美凪とものみの丘へでかけた。
ここで会ったというのに、二人で来るのは初めてだった。
もともといやなことがあった時に来ていたのです。
美凪が来てからはここに来る意味はありませんでした。

丘はみどりをなびかせて、なだらかに人のおなかのように続いている。
ずっと小さく見える町を、いつまでも見ていた。
二人とも何も言わずに、ずっと。
かたをよせあって、わたしが時々美凪のかみをなでてあげて。

すっ、と美凪が立ちあがった。どうしたの、と聞くと何も答えずに歩きだした。

そのままおなかみたいな丘をこえて、木々がしげった森へと入っていった。
おどろいてぼうっ、としてしまったけど、わたしはあわててその後をおいかけた。

けど美凪は走ってもいないのに、すごく速くておいつけなかった。
そしてわたしがころんで、おき上がると美凪は見えなくなっていた。
もう夕方で、森の中はななめに夕日の光が入るだけでかなり暗かった。
夕日はよく赤いとか茜とか言われるけど、今の夕日はどろどろしていて山の間にとけていってるみたいだった。
その光もやっぱりどろどろとしている気がした、走ると木の間からとぎれとぎれにその光が入っては目の前を見えなくした。
森の中はまわりからたくさんの人に見られているようで、びくびくしてしまい、小さな体をもっと小さくさせてしまった。
わたしはふるえながら、それでも走りながら美凪の名前をよび続けた。
頭の中にはいやなことしか出てこなかった。

もしかしたら美凪が帰ってしまうんじゃないのか
そう思うとこのけもの道も進まないわけにはいきません。
それでもついに美凪を見つけることはできなかった。
はあ、と息をついて歩いた時には、もう夕日が山の間に落ちきっていました。
それでも進まなきゃ……
わたしは走って痛くなったおなかをさすりながら進みました。




その時でした。


ふっ、と大きな木のある場所にたどりつきました。
丸く、ぐるっ、と広がった中にぽつん。と、それでいてドシン、と立っていました。
その木は、ふしぎとまわりの木をよせつけない大きさで
高さは……、そう、わたしが思いきり首をあげないと、てっぺんが見えないくらい。
まっすぐで、少しだけほかのことすべてをわすれてしまうくらいの大きさ。

はっ、として目を木のねっこのほうにうつすと、そこに女の人が立っていました。
美凪と同じまっすぐの銀色のかみを、せなかまで下げています。
その人のきれいさときたら、目の動きをあやつられてるみたいに、じっと見ずにはいられません。
けど、この女の人はたしかにいませんでした、もしかしたら木の後ろにかくれていたのかもしれませんが
こんなところにいるなんて、おかしすぎます。
思わず手を口にあてて少し後ろへさがった時でした。

「美汐、こっちへおいで」
女の人が言いました。
どうして名前を知っているのか、どうしてこんなところにいるのか
分からないことはあったけど、女の人の目と話し方はだれかににていました。
もう一度女の人はおいで、と言い、わたしはおそるおそる女の人のところへいきました。
どうしてだか、その人はこわい人じゃないと思った。
それはたぶん……、目がお母さんの目をしていたから。
やさしくてすぐにでも心をつつんでくれそうな目をしていた。

「美汐、話したいことがある」
まっすぐにわたしを見て、女の人は言った。
この人はたぶん、美凪のお母さんだ……。

「単刀直入に言おう、君は今、束の間の奇跡の中にいる」
「え、きせき…？」
「ああ、一瞬の煌きだよ」
いっしゅんのきらめき…？

女の人の話は続いた………、わたしの心をこわしながら。



― 二つの犠牲が必要だ ―

心をキャベツみたいにいちまいずつむかれている、そんな気がした。

― 記憶と命 ―

最後にのこる、わたしの心のまんなかを、女の人はやさしくこわそうとしていた。

― 高熱を出してやがて衰えて消えてしまう ―



その話をうたがわなかったのは、一体なぜだろう。

「うそ…」
「嘘じゃないんだ美汐」
じゃあ、美凪は記憶と命をひきかえにして、人のすがたに……。
そう考えると、心のそこから何かがあふれてきた。
わたしは泣きながらそんなことないっ、とくりかえした。
何回も何回も、女の人はそんなわたしが泣きやむまでずっとだいてくれた。
お母さんのようにずっと。
最後に女の人は「すまない」とわたしの耳元で小さく言いました。
わたしにはその言葉に意味が分からなかった。





　美凪は木のねっこの少しへこんだ穴のところで寝ていた。
まるでここから生まれてきたみたいだった。
そんな美凪をわたしはせおった、ふりむいた時には女の人はいなかった。
だれもいない場所にむかって、わたしはありがとうございますと言った。



美凪をせおったまま家に帰った。
少しお母さんについて、気になっていたことがあった。
お母さんもこの子と同じような子といっしょにいたことがあるんじゃないかと。
わたしは何気なく、まるで今日の給食がシチューだったと言うように、お母さんに聞いてみた。
「お母さんはきつねとくらしたことがあるの？」
「あるわ…」
お母さんはそう言いました。
その顔は何も考えていないみたいで、何を考えているのか分かりませんでした。
「どうして美凪をひきとることにしたの」
「ごめんなさい……」
わたしはもう何も言えなくなっていた。
お母さんの心が少し見えたけど、わたしは見ることしかできないと思う。



その日も夜も二人で「魔女ッ娘さゆりん」を見ていた。

けど今日はさゆりんがピンチになっても美凪は何もいいません。
そっと美凪を見ると白い顔を赤くしています、目は細くて遠くを見てるようです。
わたしはおどろいて、すぐに美凪のおでこに手をあてました。
そこは思わず手をはなしてしまうくらいに熱くて、わたしはすぐに台所にいるお母さんをよびました。

美凪が熱を出したことを言うとお母さんは、そう。と、かなしそうな顔で言いました。
お母さんはそのままゆっくりと美凪のそばまで行って、やさしい目をしてそっと頭をなでながら。
「美凪、大丈夫？」
「……お母さん？」
「ええ、そうよ。風邪をひいたのね、すぐにお部屋にもどりましょうね」
そのまま美凪をだきかかえてわたしの部屋へ行きました。
わたしがふとんを出して、そこに美凪をねかせました。
まだ少し苦しそうです。本当にかわいそうで、わたしはずっと美凪といっしょにいました。

次の日になっても美凪の熱は引きません。
わたしは学校を休んで美凪といっしょにいることにしました。


美凪の熱いおでこに、何度もつめたいタオルをあててあげました。
「…おねえ…ちゃん」
「どうしたの美凪」
わたしはいつものように、わらって言いました。
「おねえちゃん…」
「うん、どうしたの？」
それから何回か美凪は同じように言いました。
消えてしまいそうな声でしたが、わたしはしっかり聞いてあげました。
それから美凪は何回かねたりおきたりをくりかえしました。


もう何回おでこにあてたタオルをかえたでしょう。
その時に美凪は枯らした声で言いました。
「おかし、おかしちょうだい」
「だめよ美凪、かぜをひいてるじゃない」
「たべたい…」
「しょうがないわね」
わたしはとりあえず台所に行っておかしがあるか見てきました。
けどおかしは何もありませんでした。
そのことを美凪に言うと、それでも食べたいと繰り返しました。
たった一人の妹のわがままもかなえられなくて、姉などとよべるのでしょうか。
わたしはおかしを買いに行くことにした。
美凪を一人で家にのこすのはよくないと思ったけど、わたしは美凪のおねがいをかなえてあげたかった。
わたしが持っていたお金は３千円と少し、貯金は一人ではおろせないのでこのお金でおかしを買わないといけない。
昔、夏休みの宿題で作った貯金箱からお金を出して、美凪に行ってきますと言って走った。

外は少しくらかった、たしか雨がふるかもしれないと聞いている。
どうせなら、雨じゃなくてアメ玉をふらしてくれればいいのに。


平日のお昼前の商店街に行くのは初めてだったかもしれない。
すぐにスーパーに入って、今あるお金でありったけのおかしを買った。
これにはレジの人があやしんだのか、色々と聞かれた。
わたしはひっこしをするので友達とのおわかれパーティのため、とうそをついた。

また走って家に帰った。


美凪はすぅすぅ。と、ねていました。
わたしはそのよこで全部のおかしのふくろを開けました。
チョコにアメにクッキーのようなもの、それにキャラメル。
うすっぺらいビニールにつつまれています。
「さゆりんみたい…」
美凪が言いました。
「おきたの？」
「うん」
そんなに大きな音をたてて、ふくろを開けていたのでしょうか。
「美凪、さゆりんみたいにおかしをふらせてみましょう」
「…うん」
美凪はふとんから体をおこして、わたしがゆかにばらまいたおかしを取った。
わたしもたくさんつかんで、天じょうにむかって投げた。


おかしがふった。
あめみたいにふってきた。
二人でいっしょにふらせた。
部屋の遠くに落ちたおかしはわたしがひろった。
なんどもふらせた。


けど美凪の手が止まった。


「どうしたの？　次は美凪の番よ」
わたしは泣きそうだったけど、わらっていた。
きっと他の人が見たら、へんな顔をしているとわらうだろう。
「ねぇ美凪、あなたの番よ」
美凪をうしろからだきしめた。
「ほら、こうやって上に投げるの」
むねがしぼられてるようで、そのしぼられて出てきたものが涙だった。
わたしは泣きながらわらっていた。
「おねえちゃん……」
「何？　美凪」
「ありが…とう…、だいすき」
美凪の手にもったおかしが、とん。と小さな音をたててふとんの上に落ちた。




部屋にはおかしとわたしがいた。






―　奇跡　―

―　煌き　―



何もいらない、美凪がいればよかった。
美凪はわたしのたった一人の妹。
大事な妹、その妹がわたしの前からいなくなるはずがない。
そう美凪はきっと、丘に帰ったんだ。
少しなつかしくなって、勝手に帰ったんだ。
きっとそこでまたおかしをふらせてるんだ。
だって、わたしをおいていくなんてありえない
だからわたしも丘に向かった。
一人で空からおかしをふらせるなんて、ずるいよ美凪。
お姉ちゃんといっしょにしようよ。



外にはアメじゃなくて雨がふっていた。
空が大きな声をあげて泣いていた。
きっと美凪に会えば空もわらってくれるはず。
カサなんてささずに、わたしは雨の中を走った。
何もかもをびしょびしょにして、丘にたどりついた。

けど、丘にはだれも、何もいなかった。


空はまだ泣いていた。


わたしはぬれていた。



その時わたしの声が体じゅうから出た。
自分が楽器になったみたいに、音が続いた。
痛いくらいにふってる雨の音にも負けないくらいのなき声。
世界をみずびたしにする雨に負けないなみだをながした。



そして声となみだを出しきって気づいた
わたしの中のかなしさが少しなくなっていることに。

それを思うと、また体のおくをしぼられたみたいになって気もちわるさが出てきた。
そのせいでまた泣きそうになった。
けど、こらえた。さっきみたいにかなしみがうすれることがこわかった。

もうぜったいに泣かない。泣けばきっと美凪のかなしみをわすれてしまう。
そう思ったし、たぶんそうだろう。
だって、かなしみの中に美凪があふれていたから。
ずっと美凪があふれていた。

このかなしみはぜったいにわすれない。
美凪をわすれてしまうなんて、そんなひどいことはない。
わすれることは、本当にひどいこと。



このかなしみの中にいる美凪をわすれない。


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