SSこんぺ No.051 : ある牛丼屋の一週間

ある牛丼屋の一週間

夏よりも冬に近しく、日の落ちるのも早まってきたある秋の日の事
学校からの帰り道、祐一はふと立ち止まると、おもむろに財布の中身を確認した

「ひのふのみの…ぎりぎり牛丼一杯分ぐらいはあるな」

ちゃりちゃりと小銭を指で弄くるように数えながら祐一は呟き
そして、財布を無造作にポケットに押し込んでキョロキョロと辺りを見渡す
赤みがかった日差しが、厚着が目立つ商店街の人々を温かく照らしているのが目に入る

「口に出したら牛丼食いたくなってきたな
吉野家ないか吉野屋…まぁ、別に松屋でも構わんが」

しかし、今の祐一には
人は目に入っても、認識はされなかった
今祐一が見ているのは、人ではなく、その周りの建物
真っ赤な夕焼けに小さい秋を見つけるような余裕は今は無いのだ

「今日は秋子さん遅くなるって言ってたからな…
　このまま帰ってもどうせあの家に余分な食材は無いだろうし…」

そう、祐一は飢えていた
それは小腹がすいているなどというレベルでは無い
朝は秋子さんに謎ジャムを勧められたため、途中で逃げたし
一限から体育があって汗とともに体の中の栄養が流れ出てしまった
さらに今日は珍しく栞が祐一の言いつけを守って弁当の量を少なくし
午後の授業は小テストがあったため、眠って体力を温存する事も出来なかった
最早、祐一の胃袋は遅めの夕食を待つなどと言っていられない状況にあったのだ

「とりあえず肉食わんと家まで辿り着く事すら適いそうに無い」

そう言った時、腹がぐぅ～、とまるで相槌を打つように鳴った

「あぁ…俺の腹の中のあゆがもう限界を告げている…
　本家うぐぅがタイヤキでも持って走ってこないかなぁ」

とりあえず肉以外に残り少ない金を払う気は無いが
タダで手に入るならそれが出所がきな臭いものでも構わないらしい
つまりは、もはやそれほどまでに追い詰められしまっていると言う事だ

その時

「うぐぅ～、助けて～！！」

聞き覚えのある声が近くから聞こえた
祐一の記憶が確かならば、その『うぐぅ』は
食い逃げをした直後に乱用されるイントネーションだ

「確か声がしたのはこっちだったな」

タダタイヤキを求め、祐一は声のした方へ出向く
しかし、空腹のため足取りが重く、のろのろとしか歩けなかったため
祐一が声のした場所へ辿り着いた時には、最早あゆの姿も声も確認できなかった

「…まぁ、犯罪の片棒担いで美味い飯が食えるはず無いしな」

無駄足を踏んだと思うと気分が滅入ってますます腹が減るので
ポジティブに物事を考えながら、近くの飲食店を探して辺りを見渡す、すると

「お」

思わず嬉しそうな声が出る、目の前に牛丼屋を見つけたのだ

「佐久舞｛さくま｝、か…聞いた事無い店だが…
　いやいや、こういうのが意外と知る人ぞ知る名店なのかもしれん」

だが、一つだけ問題がある

「吉野家や松屋のデフレ牛丼は
チェーン店ならではの安さだからな…
　いくら最近狂牛病騒ぎで牛丼が安いとはいえ
　こういう店はまだ結構値が張ったもん出したりすんだよな」

店の外側にはメニューが無い
牛丼『佐久舞』と書かれた看板が出ているだけだ
これだけでは高いのか安いのか判断する事が出来ない

「食った後に金が無いから食い逃げ…
いかん、腹が減りすぎて思考があゆと同レベルになってる」

腕を組んでしばし熟考する
普通ならば、他の店を選ぶだろう
いくら腹が減っていても食い逃げよりはマシだ
誰だってかかないでもいい恥などかきたくないものだ

「すいませ～ん、この金額で買えるだけ下さい」

祐一はガラガラと戸を開けて店に入ると
テーブルの上に大量の１０円玉や５円玉を置いて店員に尋ねた
プライドで腹は膨れない、空腹の人間にとってこれは言わば真理ではあるが
現代において、これを実行できる人間は勿論、まともに対応できる人間も少ない

「あはは～、すいませんうちはバラ売りはやってないんですよ～」

常識通りの返答が調理場の方から聞こえる
祐一は、ちっと舌打ちしてそのまま席を立とうとした
が、今聞き覚えのあるような声を聴いたような気がして
栄養不足でストライキを起こしている脳を無理矢理働かせる

「ひょっとして…佐祐理さん？」

数瞬の間を置いてようやく該当者を割り出し
祐一がカウンターから身を乗り出しながら声をかける
すると、調理場からバタバタとエプロンをつけた女性が出てきた

「あはは～、お客さんは祐一さんでしたか～」

「やっぱり佐祐理さんか、ここで働いてるの？」

祐一の問いかけに、佐祐理はニコニコと微笑みながら答える

「えぇ、人手が足りないので調理と接客を兼任してるんですよ」

倉田佐祐理、祐一の学校の卒業生で
親友の川澄舞共々、祐一とは親しい付き合いだ
さらに言えばかなりのお嬢様で、牛丼屋でバイトをする必要などまるで無いはずだ
しかし、どれもこれも今の祐一には関係の無い事だ、今の祐一の関心事はただ一つだけ
『佐祐理さんが店員ならば、代金をツケといてもらえるかもしれない』、この一点に限られる
女性にツケを頼むなど男としてみっともない気もしないではないが、やはりプライドで腹は膨れないのだ

「佐祐理さん、実は俺…」

祐一が意を決してツケを申し込もうとすると、それよりも先に佐祐理が思いがけない申し入れをしてくれた

「あはは～、祐一さん
　せっかく来てくださったんですから
　佐祐理が一杯奢って差し上げますよ～」

まさに天の助け、祐一の目が燦然と輝きを放った

「いいんですか！？」

他に客がいないと言う事もあり、祐一は思わず大声をあげた

「あはは～、佐祐理に二言はありませんよ～」

女神だ、この人は女神に違い無い
祐一は思わず両手を合わせて拝んでしまった
佐祐理は笑顔で厨房の方を向くと、右手を口元に添えて叫んだ

「オーダー特盛り入りました～！！」

「えっ…いいんですか？」

特盛りと聞いて、思わず今度は小声で佐祐理に聞く
さすがに金が無くて奢ってもらうのに、特盛りは申し訳無いと思ったのだろう

「別に構いませんよ、今日の売り上げは大幅黒字ですから」

佐祐理がニコニコと笑顔を浮かべ、祐一の手元にお茶を差し出す
だが、祐一は少し困ったような表情をして、佐祐理に尋ねた

「でも…バイトが勝手に特盛り奢ったりしたら、怒られませんか？」

下手をすればクビにもなりかねん
そこまで迷惑をかけるワケにもいかない
しかし、佐祐理はきょとんとした表情になり、言い返す

「ふぇ？　佐祐理はバイトじゃありませんよ？」

「バイトじゃないって…正店員ですか？
　それじゃなおさら悪いんじゃ…それよりも佐祐理さん、大学はどうしたんですか？」

お茶で喉の渇きがやや潤ったせいかやや饒舌になった祐一が矢継ぎ早に質問する、すると、佐祐理は少し悩むそぶりを見せた

「え～と、どこから説明したらいいか…」

「その質問には僕が代わりに答えますよ」

祐一と佐祐理が声のした方を振り向くと
祐一と同じ学校の制服とエプロンに身を包んだ
メガネの学生が特盛りの牛丼を手にこちらに歩いてきた

「久瀬…何やってんだよお前まで」

祐一が驚くのも無理も無い話だ
バイト禁止のはずの自分の学校の生徒会長が
エプロンをつけて自分に牛丼を運んできたのだから

「だからそれを説明しに来たんだよ」

そう言うと、久瀬は祐一の目の前に牛丼を置き
目の前で腕を組んで立つと、座っている祐一を見下ろしながら話を始めた

「まぁ分かり易く言うとだね
　ここは学校名義で倉田さんのお金で借りた店なんだ」

まったく話が見えて来ない
祐一が露骨に疑問そうな表情を浮かべる
何故に佐祐理が学校名義で牛丼屋を自腹でやらねばならないのだろうか？

「舞が、食べるだけじゃなくて牛丼屋をやってみたいって言ったんですよ」

祐一の悩みを察したように佐祐理が口を開く
そして、祐一は思わず目の前に丼に顔を突っ込みそうになった

「…何故です？」

考えてもキリが無い事なので、思考を停止させながら理由を尋ねる

「そんな事僕らに聞かれても困る
川澄さんの奇行が今に始まった事では無いだろ？」

先ほどの佐祐理の一言
そして今の久瀬の一言によって
その部分については祐一は完全に納得した
いや、正確に言えば納得せざるを得なかったのだろうか
祐一は何かを諦めたように割り箸を割り、牛丼をつつき始めた

「まぁ、もう少し説明させてもらうなら
　当然、ただ牛丼屋をやりたいと言っても、すぐに出来るワケじゃない
　そこでみんなに好かれ、頼られる生徒会長である僕の協力が必要となったと言うワケさ」

久瀬が人差し指でメガネを抑えながら言う、どうやらポーズをとっているらしい
しかし、祐一は久瀬のポージングには目もくれず、モグモグと牛丼を咀嚼しながら一言告げる

「そこからはもう説明せんでもいい事だろうが、自慢したいなら自慢したいって素直に言え」

「自慢したい」

即答だった

「却下」

これも即答だった

「何故だい？」

「飯が不味くなる」

祐一が久瀬に吐き捨てるように言う

「ふぇ…佐祐理の牛丼は美味しくありませんでしたか？」

佐祐理が悲しそうに言うと
祐一は初めて牛丼から顔を上げ
慌てて佐祐理に対し弁解しようとする

「い、いや今のは言葉のあやですよ
　佐祐理さんの牛丼が美味しくないワケ無いじゃないですか」

すると、佐祐理の表情が再び温かい笑顔に戻る

「あはは～、ありがとうございます」

祐一はその笑顔を見てホッと一息つく
だが、何かが足りなかったような感覚がして
不思議に思い、辺りをキョロキョロと見渡した
しかし、結局その答えが出る事はなく、その思考は久瀬の言葉で中断された

「では、僕の話を続けてもいいかい？」

もちろん良い訳が無い
だがこれ以上話がややこしくなるのも困る
渋々祐一は久瀬の話を聞く事にした

「もちろん牛丼屋なんてやりたいからってすぐやれるもんじゃあない
　資金面は倉田さんが持つとしても大学生二人で店なんかやれるワケがない
名前だけでも後ろ盾が必要になるワケだ、それもある程度権威がある後ろ盾がね」

「で、何でそこで学校が出てくるんだよ？
　仮にも学校が学生にそんな事許すワケ無いだろ？」

ただ聞くだけなのも何だか癪だし
一々久瀬がもったいぶった言い方をするので、祐一の方から問い掛けてみる

「だから僕は画期的なシステムを考え出したんだよ
　学校が学生に商業活動を許す…いや、許さざるを得ない逆転ホームラン的発想のシステムを」

ビシッと祐一を指差しながら久瀬が言う
祐一は別段気にするでもなく、牛丼をパクつきながら聞く

「だから、それが何だと聞いているんだ」

すると、久瀬はニヤリと笑い、そして言った

「牛丼部を作ったんだ」

祐一の箸が止まる
そして、目を閉じ眉間に皺をよせ
その皺を人差し指で抑えながら無言で悩み出した
しかし、いくら悩んでも未知の単語の正体など判るはずが無い

「…何だ、その珍妙な単語は？」

「だから牛丼部だよ
　牛丼屋で牛丼を作るのが部活動」

「そして佐祐理はそこのコーチなんですよ～」

久瀬と佐祐理がさも当然のように言い放つ
祐一はちらっと傍に置いてある雑誌を一瞥すると
深く溜め息をついてから、再び牛丼を口に運ぶ作業を再開した

「校長はすぐにＯＫくれたんだけど教頭が意外にゴネてね
　まぁ、佐祐理さんと僕と川澄さんが三人がかりで話つけたんだけどね」

「よくあの石頭が納得したな」

「世の中カネとコネと暴力で解決できない事は無いからね」

さらっと久瀬が不穏当な単語を口に出す
祐一は何か言おうとしたが、無駄に考えるのは消化に悪いので止める事にした

「きちんと部員は集まりましたし
　それに久瀬さんの建前も筋が通ってましたし…」

一応佐祐理にも建前と言う意識はあるようだ
確かに、舞のワガママを通したい、などと言う本音は口が裂けても言えないだろう
まぁ、彼女らなら言えるかもしれないが、言わない方が交渉も早くまとまるというものだ

「部員って？」

他にそんなもんに入る物好きがいるのか、と驚き、好奇心から祐一が尋ねる

「現役生徒会メンバーの皆さんですよ～」

佐祐理が嬉しそうに言う

「…で、そのメンバー達は？」

「生徒会役員として僕の分まで職務に忠実に励んでいる」

それ以上追求する事なく
祐一は役員達の犠牲に感謝しながら牛丼をゆっくり味わった
そして、半分以上食べ終えたところで、ふと思う事があり、口に出した

「でもさぁ、残念だよな
　せっかく美味い牛丼なのに、客が全然いないし
　やっぱ狂牛病の風評被害って今さらながら恐ろしいんだな」

すると、佐祐理はなお一層の笑顔で答えた

「いえ、それが意外と繁盛しているんですよ？
　今日から日曜日までの一週間の約束でお店を借りたんですけど
　初日からもう元が取れそうなぐらい稼いでしまったんですよ～」

それには祐一も驚いた
見た限りでは全く流行っていなさそうなのに
昼間までに売り尽くしてしまったと言う事なのだろうか？

「へぇ～、それじゃ舞も大喜びだろ…って、舞は？」

そこで祐一はようやく足りない何かに気付いた
そうだ、さっきから舞の存在とツッコミが不足していたのだ
道理でいつもの二倍ツッコんだり誰にもツッコまれなくて寂しかったワケだ

「舞は今ちょっと出かけてまして…」

佐祐理が言いかけると
店のドアがガラガラと開き
タイミング良く噂の主が帰ってきた

「…ごめん、遅くなった」

その声に反応し、祐一は挨拶をしようと振り向いた

「よぅ舞、早速食わせてもらって…………………………あゆ？」

思いがけない光景に祐一が数瞬硬直した
何と、戻ってきた舞の手には、あゆのコートの襟が握られていたからだ

「うぐぅ…祐一君、助けて～」

あゆは、祐一を見つけると泣きそうな声で祐一に助けを求めた

「…祐一、いらっしゃい
　この食い逃げ、祐一の知り合い？」

軽々と片手であゆを持ち上げながら舞が尋ねる

「いや、全然知らんぞ？」

祐一はそう言うと再び牛丼に向かいあい、最後の一口を口の中に放り込んだ

「うぐぅ～、祐一君助けてよ～！！」

あゆがまるで子供のように大声で泣き喚く
祐一はお茶を一すすりしてからあゆの方をやれやれ、というような表情で振り向いた

「お前、食い逃げの上に営業妨害まで重ねる気か？」

すると、あゆは申し訳なさそうな表情を浮かべる

「…だって、お金が足りなかったんだもん」

あゆの情けない一言に、祐一は盛大に溜め息をつく

「前にも言っただろ？
　金は持ち歩けって…すいません佐祐理さん
　こいつの代金俺が払いますから、勘弁してもらえませんか？」

そう言って祐一は自分の財布から小銭を出そうとする
いくら知り合いとはいえ、あゆまでタダにしてもらうワケにはいかない
あゆがいくらか持っていると言っていたから、自分のとあわせれば足りるだろう

「はい、では２９万円になります」

「あ、意外に安いですね…２９万円！！？」

思わず財布から目を上げて佐祐理の顔を凝視する
目の前では、佐祐理が笑顔を浮かべながら右手を突き出している

「うぐぅ、ボク牛丼がそんなに高いなんて知らなかったよ」

あゆが大分的外れな事を言っているが
祐一はそれどころではなく、どうしたらいいものかと思案していた

「…祐一、早く払え」

舞も祐一に向かって手を突き出してきた
しかし、当然祐一がそんな大金を持っているはずが無い
その様子を見かねた久瀬が、ふむ、と一言沿えてから口を挟む

「仕方無いね、相沢君が払えないのなら、やはりそちらのお嬢さんに払ってもらう事にしよう」

久瀬が言うと、再びあゆは泣きそうな顔になる

「でもボクお金持ってないんだもん」

すると、久瀬はあゆの髪のてっぺんから爪先までじろじろと眺め、やがてうん、と軽く頷いた

「大丈夫大丈夫、リアルロリは高値で売れるからね、一晩で稼げるよ」

「よく分からないけど…一晩で２９万稼げるなら、ボク頑張るよ」

「あはは～、それでしたら佐祐理のお父様の知り合いに上客がおりますよ～」

「それはいい、それでは早速連絡して…」

「アホかぁぁぁぁぁぁぁ！！！」

叫び声と共に祐一の拳骨が飛ぶ、久瀬に

「痛っ！　何をするんだい、相沢君」

「はぇ～…祐一さん、暴力はいけませんよ？」

「人身売買よりは百倍マシです！！」

「でも児ポ法が改悪されたらもう出来ないんだよ？」

「今でも充分できんわボケェ！！」

「…祐一、食べてすぐ暴れるのは消化に悪い」

「誰のせいだ誰のっ！！」

ひとしきりツッコミを終えると
祐一は疲れたようにどさっと椅子に座る

「お前らなぁ、こんなボッタクリしてたら
すぐに警察が来て営業停止どころか逮捕されるぞ？」

「あはは～、大丈夫ですよ祐一さん
　この町では警察も司法も佐祐理の味方ですから」

さっきから佐祐理さんは天使の微笑みを絶やしていない
本当に純粋なモノに善悪の頓着など無いのだろうな、と祐一は半ば諦観にも似た悟りを開いた

「あのね佐祐理さん、そういう事じゃないんだよ
　牛丼屋ってのはそもそも、部活帰りで腹が減った学生とかの憩の場所で
　こんな『警視庁２４時』で紹介されそうな商売するところじゃないんだよ」

全員に諭すように祐一は語りかける

「…じゃあ、どうすればいい？」

舞が真剣な表情で祐一に尋ねる
一応真面目に牛丼屋を経営する気はあるようだ

「そうだな、まずは客への気配りだ、客商売はそれに尽きる
　客にいかに気持ちよく食べてもらえるかを工夫すれば、客もよってくるさ」

祐一の言葉に、舞達はうんうんと真剣な面持ちで頷く
どうやら、本気でこのボッタクリ牛丼屋で上手く行くと思っていたらしい
祐一はこのまま放って置いては商店街のためにもこいつらのためにもならないと思った
ではどうするべきか？面倒だが、関わってしまったからにはこのまま放っておくのも後味が悪い
ならば、自分の手でこの不良店をどこに出しても恥かしく無い優良店に変えるしかない、そう祐一は決心した

「とりあえず明日も来るから
　各自色々工夫を凝らす事、いいな！」

「「「は～い」」」

祐一はその返事にうんうんと頷いた
久瀬の素直な返事には正直背筋にサブイボが出たが

「祐一君、ボクはどうすればいいかな？」

すっかり蚊帳の外だったあゆの存在を思い出し、祐一はあゆに向かって言う

「…これ以上数が増えると俺の手に負えなくなる
　いいからお前は牛丼一杯分の代金置いて帰れ、そして二度とここに近付くな」

「うぐぅ、祐一君ひどいよ」

祐一の辛辣な言葉にあゆは思わず涙目になる

「酷く無い
　そもそもお前がこの店に近付かなければ
　そして食い逃げして叫びながら逃走しなければ
　俺はこんな貧乏くじを引かずにすんだんだ」

祐一はジロッと三人を見てからあゆに言った

「うぐぅ…でも、今ボク２００円しか持ってないよ？」

祐一は思わず頭を抱えた
いくらデフレスパイラルとはいっても
２００円で牛丼を食うのはさすがに無理だ
これがハンバーガーならば何とかなったのだが…
どうもあゆには天性の食い逃げ本能と言うものがあるらしい

「…いいから、有り金置いて出て行け」

祐一は明日からの苦労を思い
今から疲労困憊し、頭を抱えたまま溜め息をついた

「…祐一」

「何だ？」

「…有り金置いて帰らせる時は身ぐるみも剥いでから叩きだすんじゃないの？」

祐一は再び深く溜め息をつき
多分余計な事を吹き込んだ張本人であろう
久瀬と佐祐理を軽く睨みつけてから舞の方を向いた

「あのな舞、さっきも言ったように、客商売ってのは接客が命なんだ
　お前だって入った店の店員の態度が悪かったら嫌だろ？」

舞が無言でコクコクと頷く

「店員は客に美味しく牛丼を食べてもらえるように工夫しなければならない、例えば…」

祐一は舞に接客の基本中の基本から教え
舞と佐祐理はそれに熱心に耳を傾けていた

だから、誰も気付かなかった
久瀬が何かを考えるようなそぶりをしながら

「なるほど、客が喜ぶ工夫か…」

と呟いた事に

翌日、火曜日の朝
祐一は学校に行きたくなかった
正確に言えば、学校の後、帰りがけに『佐久舞』に行きたく無かった

昨日はあんな事を言ったものの
常識が無い人間と常識が通じない人間と常識を無視する人間相手に常識的な客商売をさせるなど
不良生徒達をラグビー部に入部させ、猛特訓の末、花園で優勝させる方がまだ楽だと言えるだろう

「かといって関わったからには無視も出来ないしなぁ」

基本的に善人でおせっかい焼きの自分の性格をこの時ばかりは怨んだ

どうせ今日もろくでもない事が待っているに違い無い
そう思うと、いつも以上に授業が身に入らず
クラスメートと別れた後の足取りも自然と重くなる

「この扉を開けた瞬間、俺はまたトンデモ事件に巻き込まれるんだ…」

『佐久舞』のドアの前で祐一は肩を落とす
このままずっとこの場に立ち尽くしていたい気分だ
いっそもう帰ってしまおうかと思ったとき、目の前のガラスの一部が割れた

チッ！　と何かが自分の頬をかすめ、背後の壁に突き刺さった
まずは頬、そして背後の壁と順々に確認すると、今自分の見に起こった出来事が理解できた
どうやら、店の中から包丁が飛び出して、それが自分の頬に小さな傷を作ったようだ
言葉に出せば実に簡単な事だった、祐一は別段驚いた様子もなく、一言つぶやきながらドアに手をかけた

「さすがに開ける前から巻き込まれるとは予想してなかったな」

そしてガラガラと戸を開くと
目の前にはこちらに背を向けた久瀬と
その向こうで久瀬に包丁を向けている佐祐理の姿が確認できた

「あ、祐一さん、いらっしゃい」

あくまで笑顔で出迎える佐祐理
しかし、身体からは笑顔に似つかわしくない、むしろ恐ろしいほどの殺気が立ち上っている

「…何してるんです？」

聞きたくなかったが、聞かないワケにもいかなかった

「倉田さん達が接客に協力してくれないんだ」

答えたのは久瀬だった
しかし、すぐに佐祐理の反論が入る

「あはは～、まともな接客なら協力しますけどね～」

佐祐理の視線が久瀬の持っている何かに向けられる
それに気付いた祐一は、それを確認すべく久瀬の前方に回りこむ
膠着状態にあるようなので、久瀬を振り向かせる事は出来ないと判断したからだ

「…何だこれは？」

「お客様が喜んでくれる工夫だよ」

久瀬の方がやや追い込まれているらしく
祐一には全く目線を向けずに冷や汗を流しながら言う

「…まぁ、確かに喜ぶだろうが」

久瀬の手に握られているもの、それはメイド服だった

「倉田さんと川澄さんの魅力を存分に引き出し
　そして牛丼屋でのメイドさんと言うミスマッチがまたそそる
　僕としてはこれ以上は無い最良の選択をしたと自負しているんだが…どうしても彼女達が首を縦に振ってくれなくてね」

久瀬が舌打ちしながら言うのに対し、祐一がそっけなく返す

「…そりゃそうだろうなぁ」

口では淡白だが、内心、祐一は久瀬を応援したくて仕方が無かった
しかし昨日あれだけ大真面目に接客語った手前、とてもそれは出来なかった

「諦めろ久瀬、メイドとは自ら奉仕するもの
　一度拒否されてしまえば、それは最早メイドではない」

そう言いながらポン、と久瀬の肩を叩く
久瀬はハッとしたように目を見開き、そして地に膝をついた

「…相沢君、この店の名前の由来を知っているかい？」

膝をつき、顔を伏せたまま久瀬が祐一に問う
祐一は軽く天井を見上げ、久瀬を視界には入れなかった

「…いや」

「この店を開くにあたって
　三人の名前を一文字ずつとったんだ…
　佐祐理の佐、久瀬の久、舞の舞…それが『佐久舞』だったんだ…」

「…………………………」

祐一は何も答えない

「夢だったんだ…メイドさんに色んな意味で挟まれるのが…」

搾り出すような、久瀬の心からの声
哀れんではいけない、蔑んではいけない、しかし、認めなければいけない

「…俺も、そんな夢を何度も見たよ」

そう、彼らは紛れもなく、同志なのだから

「あはは～、いつまで三文芝居を続けるつもりなんですか～？」

佐祐理が包丁を構えながら二人を威嚇する

「仕方無い、メイドさんはやめよう」

恐ろしいほどの速さで立ち直り
久瀬はすっくと立ち上がってメガネをなおす

「だがこれは部活動の一貫であるからして、全店員高校の制服着用は譲れません！！」

珍しく久瀬は大声を張り上げる
その迫力は思わず佐祐理もたじろいでしまったほどだ

「さすが生徒会長、いい事を言うな」

「腐っても鯛…むしろ一年ぐらい旬を過ぎた方がまた違った味わいがあるものさ」

「俺は青い果実も嫌いじゃないが、やはり果実は腐りかけが一番美味いものだ」

「うむ、やはり僕の目に狂いは無い、君は素晴らしいグルメだ」

祐一と久瀬は、冷ややかな視線を向ける佐祐理を他所に、がっしりと固い握手をした

「それはそうと、舞はどこへ行ったんだ？」

祐一が店内をキョロキョロと見回しながら言う

「…ゴミ掃除してた」

ガラガラと扉が開き、舞が入ってきた

「おお、それはいい心がけだな
　店内のみならず外も清潔にする事が大事なんだ
　客はまず外見を見てから店に入ってくるわけだからな」

祐一が感心していると、ボソッと久瀬がつぶやいた

「ああ、せっかくお客さんが来てくれてたのに…」

「…何だって？」

久瀬のつぶやきが耳に届いた祐一は
その言葉に重みがある事に気付き、聞き返した

「あはは～、気にしないで下さい祐一さん
　舞は、久瀬さんの流したデマを信じてやってきたハエを退治しただけです」

その言葉で全てを察した祐一が舞の方を見ると
舞は血糊のついた剣を布で拭っているところだった

そう、祐一は憂鬱のあまり気付かなかったが
今日学校では『メイドが接客してくれる牛丼屋』の噂が口コミで学校中に広まっていたのだ

「そんな美味い話があるワケない…
　普通の人間だったら一笑に伏すだけの噂…
　しかし、彼は来てくれた『もしかしたら』と思いながら
　１％でも奇跡を信じて、希望を胸にやってきてくれたんだ…そんな純粋な少年達が…」

「くっ…！」

久瀬と祐一は、目から溢れる熱い迸りを抑える事が出来なかった
祐一は思った、こんな時あいつがいたら、何と言うのだろう…

「はっ！？」

祐一はある事に思い当たり、そして舞に尋ねた

「なぁ舞…お前、北川って奴を斬らなかったか？」

祐一の問いに舞は少し考えるようなそぶりを見せた

「…分からない、名前なんて聞く前に斬ったから…でも…」

「でも？」

「一人だけ覚えてるのがいる…
　魔物のような執念と、不死身の身体を持った男がいた
　そいつは一番最初に私に挑んで、一番最後に倒れた…前のめりに」

間違い無い
祐一は確信した
その男こそ自分の親友、北川潤だと

「…強き戦士の忘れ形見、持ってきたけど…いる？」

そう言って舞はポケットから
茶色いアンテナのような毛の束を取り出した

「き…北川…」

祐一の脳裏に、熱くメイドさんについて語る在りし日の北川の姿が、浮かんでは、消えた

「相沢君…僕らには泣いている暇など無い
　僕らは彼らの死を無駄にしないために生きねばならない
　涙で濡れた目では僕らの進むべき道を見据える事などできはしないぞ！！」

久瀬が吼えた

「誰が泣いているもんか！！
　天国の奴らにみっともない姿は見せられねぇ！！」

祐一も吼えた

「…祐一、久瀬、店内で必要以上に騒ぐのは営業妨害」

舞が叱った

「あはは～、その通りですよ～
　これ以上ガタガタ騒ぐなら実力行使が待ってますよ～？」

佐祐理が脅した

「…さて、仕事しようか相沢君」

「そうだな…って、俺は別に店員じゃないから、普通に牛丼を食させてもらう」

祐一と久瀬は素に戻り
久瀬はカウンターの向こうで皿洗い
祐一はカウンター席に座って並を注文した

「しかし、お客さん来ませんね」

佐祐理がふぅ、と軽く溜め息をつきながら言う

「風評被害恐るべし、だね」

たった一枚で皿洗いが終わってしまった久瀬も暇そうに言う

「…祐一、アイディア出せ」

チャキ、と剣を祐一の喉元に突きつけながら舞が言う

「わ、分かった分かったから…
　別に脅さなくても協力してやるよ…」

そう言うとやっと舞も剣を引き
祐一は冷や汗を拭いながら一息ついた

「まぁ、久瀬もやり方を間違えてはいたが
　やはりお客が来てくれるような工夫はするべきだ」

「あはは～、水着とか言い出したら折檻ですよ～？」

間髪いれずに佐祐理がツッコむ

「…違いますよ」

そんなに自分は信用が無いのか
思わず祐一も苦笑いになってしまう
同時に、『残念だ』と呟いている久瀬を見て
同類扱いされている事に激しく気分を落ち込ませた

「そもそも、いくら味が美味しいとはいえ
　危険な食品を食べたいと思う人間はいないんだ
　いくら最高のフグでも、素人が調理したのを食べるのは嫌だろ？
　誰だって安全に食事がしたいからな、それと同じ事がこの狂牛病騒ぎに言えるんだ」

ふむふむとひとしきり頷いた後、佐祐理が口を開いた

「つまり、お客様に安心させれば良いという事ですね？」

佐祐理の問いに祐一は満足そうな表情を浮かべる

「その通り、だから確かに陰性の食肉牛だと言う確かな証拠さえあれば
　お客さんも安心してその肉で使った牛丼を食べてくれるようになるんだ
　そのためには、確かで細かい情報を全て開示できるような食肉牛を仕入れる必要があるんだが…」

それが一番難しい、と言おうとした時
突然の久瀬の声によって祐一の言葉は遮られた

「皆まで言うなよ相沢君
　ようは牛についての情報を集めればいいんだろ？」

そう言って久瀬は懐から携帯電話を取り出し、誰かに電話をかけた

「ああ、もしもし、僕だ
　今から絶対安全な食肉牛の情報を集めに行くぞ
　…え？　今それどころじゃない？　…ほぅ、君は僕の頼みが聞けないと言うのかい？」

それから二言三言なにやら話し
無理矢理相手の了承を取り付けたらしく
満足そうに久瀬は携帯を再び懐にしまった

「じゃあ僕はちょっと行ってくるから
　留守は頼むよ、閉店時間には戻るようにするから」

そう言うと久瀬はさっさと店を出て行ってしまった

「あはは～、さすがにこういう時は久瀬さんが一番便りになりますね～」

佐祐理が嬉しそうに微笑む
それがなにやら癪に障ったのか
舞が急にハキハキと塵一つ無い店内の掃除を始め
祐一も席を立ってカウンターをくぐって厨房へと入った

「佐祐理さん、俺達は久瀬が戻るまで味の研究をしよう？」

「ふぇ？　佐祐理の味ではいけませんか？」

佐祐理が少し悲しそうに言うと
祐一の喉元に背後から冷たい剣先が突きつけられた

「…祐一、佐祐理を悲しませたら…」

「だ～！　そういう事じゃないって！！」

必至でそう言いつつも
昨日足りなかったのはこれだったんだなぁ、と思い、さらに
自分にマゾの素質があるのでは、と疑って嬉しいような悲しいような複雑な胸中になっていた

「俺も関わるからには半端で終わらせるつもりは無い
　やるからには一分の隙も無い完璧な牛丼屋にしてみせる
　そのためにはまず客に好んでもらえる味作りから始めなければ」

そう言って祐一はおたまでツユをすくい、少し口に含んだ

「…どう…ですか？」

舞と佐祐理が心配そうに祐一の顔を覗き込む
祐一は、若干ためらった後、心を鬼にして辛辣な批評を口にする

「駄目だ、この牛丼は贅沢すぎる」

ぴしゃり、と言い放つ
そして、佐祐理も舞も熱心な姿勢で続きを聞こうとしているのを確認すると、批評を続ける

「確かに悪い牛丼じゃない
　でも、使っている材料を考えると一杯辺りの単価が高くなる
　あくまで牛丼のイメージは『安い早い美味い』が浸透しているからな
　それにこんな北国の一商店街なんかで高級食を出しても需要が少なすぎる
大手チェーン店は仕入れ値を安くしたりしてコストを抑えてるんだが、個人経営の店じゃ無理だ
　だから、うちは工夫で佐久舞オリジナルの味を極力安い材料で作り出す事を考える必要があるだろう」

佐祐理は祐一の言葉を聞き
確かに…とつぶやくように言った

「佐祐理の牛丼は単価が高すぎます…
　最高の牛丼を作ろう、と考えるあまり
　どうしても原価がかかってしまいました…
　素材を無駄に使わないようにして、出来る限り安価に仕上がるようにとは思ったんですが…」

佐祐理が少し落ち込んだように言う

「まぁ、欠点はそれぐらいだし
　みんなで考えれば良い考えも浮かぶさ」

「あはは～、そうですよね～
　みんなで考えればきっと何とかなりますよね」

にこやかに笑いながら祐一がフォローすると
佐祐理は再び笑顔を見せる、さすが女性の扱いには手馴れたものだ

「…でも、どうすればいいの？」

「そうだな…俺はあくまで第三者の視点で味を見なければならんから
　とりあえず二人で色々試してみてくれ、気付いた点があれば指摘するから」

「分かりました
　それじゃ、始めよっか、舞」

佐祐理が腕まくりしながらそう言うと
舞もお馴染みの肯定の台詞を言いながら厨房に立った

「ふぅ、大分遅くなっちゃいましたね
今日はもうこの辺りで切り上げましょうか？」

額の汗を袖で拭いながら佐祐理が言う
外はもうすっかり暗くなってしまっている

「そうですね…俺も試食のしすぎで腹一杯ですよ」

苦しそうに腹部をさすりながら祐一が言う
ちなみに、佐久舞を手伝う事に決めてから
秋子さんには一週間夕飯がいらず、遅くなると伝えてある
学校の宿題やノートも名雪に頼んであるので、心置きなく打ち込める
手伝うからには中途半端なしの全力投球、それが相沢祐一のモットーであった

「…久瀬、結局帰ってこなかった」

時計を見ながら舞が呟く
確かに、もう閉店時間を過ぎたというのに久瀬は戻ってこなかった
だが、むしろわずか数時間で客の信頼が得られるほどの情報を得るというのが土台無理だと言うものだ
現に祐一は久瀬を全くあてにしておらず、店名を『佐祐舞』に変えようかと考えていたぐらいだった

「まぁ、明日には帰ってくるだろ
俺達もそろそろ店閉めて帰ろうぜ」

そう言って祐一が鞄を持って席を立った時
勢い良く店のドアが開き、見覚えのある男が入ってきた

「おっと、帰るのは真打の登場を待ってからにしてもらおうか」

そう言ってビシッとポーズを決める
祐一は確信した、久瀬は今の台詞を言うために
誰かが帰ろうと言い出すまで店の外で待っていたのだと

「すると久瀬さんは情報を得る事が出来たのですか？」

佐祐理が目をキラキラと輝かせながら久瀬に尋ねる
当の久瀬はそんな佐祐理の期待に満ちた視線を浴びて快感に酔っているようだ

「もちろんですよ倉田さん
　貴女のために値千金の情報を仕入れて参りました」

「へぇ、凄いじゃないか
　で、どこの食肉牛を仕入れる事にしたんだ？」

最後に現れて美味しいところをさらっていった久瀬に対し
不満気に思わない事も無かったが、祐一はこんな短時間で情報を入手してきた久瀬の行動力に素直に感心した

「よくぞ聞いてくれた相沢君、実は僕はあの後、●●牧場について調べていたんだ」

「…●●牧場、前に行った事がある、大きな牛さんがたくさんいた」

久瀬に相槌を打つように舞が言う
なるほど、それは期待できそうだ
美味くて安くて安全な肉で出来た牛肉ならば、客が飛びつかないワケが無い

「ほう、その牧場が最高の牛を肉骨粉を使わずに飼育しているんだな？」

祐一が結論を急ぐと
久瀬はちっちっ、と指を振った

「いや、その牧場でも安全宣言をするにはまだ不明瞭な部分が多かった
　だけどその牧場の牧場主の奥さんの兄の甥の妹の夫の父親の従兄弟の息子の…」

ずらずらと人物が並べられる
全く、よくそこまで詳しく調べられたものだ
祐一は同世代である久瀬に対し、尊敬の念すら抱いた

「隣の家の息子さんのクラスメートのお母さんの姪が飼っている猫の元の飼い主が引っ越したアパートの大家さんの奥さんのはとこがお手伝いさんをしているお爺さんの朋友の義兄弟が住んでいる高級マンションの真上の階に住んでいる女性が、某大企業の会長が愛人に産ませた隠し子だという事が発覚したんだ」

そこで久瀬の長々とした説明が一旦途切れる
安全な食肉牛の説明を待っている祐一達は、まだ続きがあるものと思い、ワクワクしながら聞いている

だが、一向に会話が再開する様子は見られない
痺れを切らした祐一が、久瀬に対し質問する

「で？　その隠し子と安全な牛肉とどう関係するんだ？」

「牛肉？」

久瀬の表情が一瞬曇る
『こいつ、何言ってんだ？』とでも言いたげな表情だ

「だから、お前牛肉について調べに行ったんだろ？」

祐一の言葉に、久瀬はしばし考え込み
そして、左手を拳でポン、と叩いた

「ああ、そういやそうだったね」

あっけらかんとした久瀬の言葉に
祐一は激しく嫌な予感を感じながら質問を続ける

「…ああって…お前、値千金の情報を仕入れたんじゃないのか？」

すると、久瀬は素の表情で祐一に言い返す

「うん、だからその会長にその事実をブン屋に垂れ込んでいいかって尋ねたら、何も言わずにこのベンツのキーをくれて…」

そう言ってゴソゴソとポケットを漁りだす
久瀬の言わんとしている事を理解した祐一達は
互いに目配せをし、それぞれの配置へと移動した

「とりあえず、まだまだ絞れそうだから資金面の心配はもう無くなったも同然だよ」

祐一が近くのカウンター席に近付くと、舞は久瀬の隣に、佐祐理は久瀬の正面に立ち、互いに頷きあう
当の久瀬は鼻高々に自分の功績を自慢している、と、いきなり

「ワン！」

佐祐理が包丁の柄で久瀬の鼻面を思い切りぶっ叩く

「ブッ！！？」

突然の激痛に、久瀬は顔面を抑えてうずくまろうとする

「…ツー」

横から舞が久瀬の身体に手を伸ばし
足を引っ掛けて、久瀬の前方に引き込んで投げる
うずくまろうとした力まで利用されたため、久瀬の身体は宙を舞い
弧を描くように一回転して背中から固い床に激突する

「……………ッッッ！！！」

避けそうなほど口を大きく開けて久瀬が悶絶する
呼吸も出来ず、朝までこのまま寝ていたいほどの激痛が走る

しかし、それだけでこの惨劇は終わらなかった
久瀬の身体が床に叩きつけられる音を聞きながら
祐一が床を蹴り、目の前の椅子を蹴り、カウンターを蹴り、跳んだ
そして一回転しながら天井すれすれまで跳ぶと、膝を立てたポーズで静止した
静止した祐一の身体は重力に引かれるままに真下で悶絶している久瀬に向かって落下する
加速度を増しながら祐一の膝と久瀬の鳩尾は距離を縮めていき、やがてそれが０になった時
悲鳴と胃の内容物が混ざり合った物が久瀬の口から飛び出し、佐久舞の床に飛び散った

久瀬はそのままピクピクと痙攣したまま動かなくなり
祐一は帰り支度を整えると先に女性二人を店の外に送り出し
電灯のスイッチに手をかけると、久瀬に目線もやらずに吐き捨てるようにつぶやいた

「じゃあな、俺達は先に帰るから
　ちゃんと床の掃除してから帰れよ
　あと明日までにちゃんと食材調達しとけよ
　出来なかったらお前を具材にして久瀬丼作るからな」

パチン、と言う軽い音の後、佐久舞は完全な闇に包まれた

水曜日、意外に事が上手く進んでいるので、祐一は上機嫌で授業を受けていた

「わっ、祐一がずっと起きてるよ…
　雨が降ったらどうしよう…私陸上部の部長さんなのに…」

祐一の機嫌は同居人の従姉妹に損ねられた
が、わずかばかりの事なので気にせずに流す事にした

「本当、珍しいわね
　相方はすっかりバテてるのに…」

「相方？」

香里の言い方にひっかかるものを感じ
香里が向けた目線の方向に目をやってみると
そこにはぐったりと机に突っ伏している北川の姿があった

「…きたがわ？」

あんまり驚いたため、思わず棒読みになる
何が驚いたかって、昨日刈り取られたはずの触覚が
一回り大きくなって見事に北川の頭頂部にそそり立っているではないか
祐一が呆然と北川の触覚に目を奪われていると、視線に気付いたのかグロッキー北川が顔を上げた

「よぅ、相沢じゃないか
　そう言えば今日顔を合わせるのは初めてな気がするなぁ」

気がする、どころか初めてなのだが
これでお互いがお互いを親友と呼んでいるのだからある意味羨ましい関係だ

「…北川、昨日は災難だったな」

北川潤の神秘は今日に始まった事では無いので
あえて祐一は髪の事には触れずに、苦笑いしながら声をかける

「おお、大変だったぞ昨日は
　萌えを求めて牛丼屋に行ってみたら
　川澄先輩に叩き出されて、斬られて、ゴミ捨て場に捨てられてな」

北川が笑いながら首を傾けて
頚動脈の辺りに走っている一本の線を祐一に見せた
どうやら舞が的確に急所を捉えた結果らしい、何故生きているのだろう？

「ああ、そりゃ災難だったな」

だが、祐一自身結構慣れているので
特に不思議がらずに北川と話を続ける

「まぁ、大変だったのはその後だな
　なんか、急に久瀬から電話がかかってきてな
　俺が首から血が止まらないって言ってるのに無理矢理連れ出して
　某財界の大物のスキャンダルを一緒に暴かされて、強請りにまで付き合わされたんだ」

「…すまん」

祐一はとりあえず謝らずにはいられなかった
久瀬が勝手に暴走したとはいえ、焚きつけたのは自分だ
祐一は申し訳無い気持ちで胸が一杯になっていた

「で、それが終わって別れたんだが
　しばらくたってまた電話がかかってきてな
　朝までに牛肉手に入れないと命に関わるとか言い出して
　一晩かけて●●牧場の牛の血統やら飼料やらを調べさせられたんだ」

疲れきった笑顔でハハ、と北川が笑う
もう祐一は居たたまれない気分で一杯だった

「…いや、ほんとにマジですまん」

「気にすんなって
　その代わり、今度奢れよ？」

祐一は笑顔でああ、と言うと
とりあえず隣のクラスの久瀬を殴りに教室を出た

それから、苦心の末佐久舞独自の味を作り出す事に成功
常連客が出来たり、ライバル店が出来たりと様々な事があり
ついに噂を聞いた著名な料理評論家から来店したいと言われるまでになった
そして、その評論家が来る日にして、店の契約期間が切れる最終日の日曜日がやってきた

「…長いようで短かい一週間だったな」

感慨深そうに祐一がつぶやくと
久瀬も珍しく柔和な表情でその言葉に同意する

「ああ、そうだね…例えるなら
　某サイトで行われる事になったＳＳこんぺに投稿しようと思ってちょっと書いてみたんだけど、小ネタを色々並べてるうちに規定量に達してしまってタイトルに一週間とついているのに一週間分も書けずにジャンプの打ち切り漫画のように怒涛の展開で詰め込むように一気にオチの部分に繋ごうとする羽目になってしまう、そんなネタをコンパクトにまとめる才能の無い駄目ＳＳ作家にとっての５０キロバイトのようだよ…」

「…人がせっかく充足感に浸っているのに
　そんなコメントに困るような台詞吐いてんじゃねぇ」

「睨まないでくれよ相沢君
　これが円楽師匠なら山田隆夫に座布団の一枚でも持ってこさせるぐらいの超一流のジョークじゃないか
　それとも何かい？君は愚昧な凡才作家を擁護するのかい？駄目だよ、一々無価値な人間に人権なんか認めちゃ、正義は守れないよ？」

「だからそういう地の文がつけにくくなるようなコメント吐くなっつってんだ！！」

「…祐一、久瀬、せっかくの『佐久舞』一世一代の大勝負の日に仲間割れはいけない」

そう言いながら舞が祐一と久瀬の間に入り、仲裁する

「あはは～、そうですよ～
　今まで客足は上々でしたし、ここで権威ある方に認めてもらえば
　充分な結果を出したという事で、これからもお店を続けられそうなんですから」

佐祐理はニコニコと笑いながら開店の準備をしている
だが、その動きに緊張や気負いのようなものは見られない
ただ今まで自分が行ってきた最高の接客を今日もするだけだ
久瀬もしかり、下らない事を言いながらも、決して手を抜かずに
地味な仕事も丁寧にこなし、客の目に届き難い部分も進んで掃除している
祐一はそんな店員達の姿だけで、ここ一週間の努力が報われたような気がした

「相沢君、やはり大事なのは真心だね」

ああ、あの久瀬の口からこんな言葉が聞こえるなんて
祐一は、茶封筒に万札を詰め込む久瀬の姿を見ながら、今の言葉を反芻…

「待てい」

ガシッ！　っと祐一のアイアンクローが久瀬の頭頂部を鷲掴みにする

「痛いよ相沢君、真心が詰めにくくなるじゃないか」

祐一に頭を掴まれながら、しれっと言ってのける久瀬

「お前な、最初のボッタクリの頃から方向性まったく変わってないじゃないか」

「失敬な、念には念を入れているだけだよ
　ただちょっと料理を味わい易くするために鼻薬を効かせておこうかと」

あまりにも呆れたため、アイアンクローに篭る力が消える
やはり人の本質が一週間ぐらいでそう変わるはずも無かった

「…佐祐理、こっちは準備万端」

ツユの味見をした舞が満足気に頷く

「しかし、大丈夫か？
　舞一人だけに作らせて…」

祐一が少し心配そうに言う
そう、今日は舞のたっての希望により
牛丼の仕込みは舞一人の手によって行われたのだ

「大丈夫ですよ、舞も佐祐理と同じぐらい上手くなったんですから」

そう言って佐祐理はお玉でツユをすくい、祐一の口に含ませた

「…どう？」

舞が不安そうに尋ねる

「…美味い」

前言撤回、一週間で変わるものもある
正直、祐一にとっても予想外の美味さだった
それも、ただ味が良いと言うだけでなく、何と言うか…
胸の奥がポカポカとしてくるような、優しい温かみがあった

「これ、いつもと味変えましたか？」

「いえ、いつもと全く同じ『佐久舞』の味ですよ～」

祐一の反応に、佐祐理もご満悦の様子だ
舞も同じように、嬉しそうに祐一を見つめている

「さっ、そろそろ店を開けようか」

のれんを持った久瀬が皆に声をかける

「そうですね、それでは店長の舞からご挨拶をしてもらいましょうか」

そう言って佐祐理が舞を店の中央に立たせる
突然の事に、舞はやや戸惑っていたが、やがて意を決したように口を開く

「…今日まで私に付き合ってくれてありがとう
…始めはただの思いつきだったけど、今はみんなとお店をやれる事が凄く嬉しい」

そう言って、舞は一呼吸置いてから続ける

「…だから、もう一日だけ私に付き合って欲しい
　…今日も私達のお店で、みんなを幸せにしてあげたいから」

そして、店の中から三人分の拍手が巻き起こり、牛丼屋佐久舞の最後の一日が始まった

客の入りはついに７日間で最高を記録
今まで来れなかった他の牛丼部のメンバーも参加し
皆、息をつく暇も無いほど目まぐるしく動き回っていた
しかし、客の中の誰一人としてないがしろにはされる事なく
そして、客の誰もが、満足気な表情を浮かべて帰っていった
店の奥から様子を見ていた祐一には、それがはっきりと分かった

長いようで、短い一日
そんな一日も、ついに終りを迎えようとしていた
客の入りもまばらになり、閉店も間近になった時、ふと祐一が呟いた

「そろそろだな…」

そう、そろそろだ
例の料理評論家とやらは相当の変わり者らしく
あらかじめ、入店時間を閉店間際に指名していたのだ
刻一刻とその時が迫る、しかし、誰一人としてそれを気にかける者はいない
ただ、いつも通りの『佐久舞』のサービスを客に提供するだけなのだから

そして、閉店一分前
他の客が完全に帰ってしまった時
誰かが『佐久舞』の店内へ入ってきた

「おじゃまします」

その声を聞き、一瞬祐一は硬直した
何故なら、その声に祐一は覚えがあったからだ

「…秋子さん！？」

祐一が素っ頓狂な声を上げると
店員達が一斉に口元に指を当て、「し～！」と祐一を叱る

「あ、秋子さんが評論家なんですか？」

まだ信じられないと言った感じで祐一が秋子に尋ねる

「ええ、仕事の一環なんですよ
本当なら評論活動は専門外なんですが
今回のケースでは私が一番適任だと言われたので…」

微笑みながら頬に手を添えるいつもの仕草で秋子が言う
そこには、『どういう仕事だそれは』などとツッコミを入れられる隙は、一分として存在しなかった

「でも祐一さん、分かっているとは思いますけど…」

秋子の言わんとしている事を察し、祐一はニヤリと笑顔を返した

「ええ、手心なんて加えないで下さいよ
　そんな事をしなくても、佐久舞の牛丼は最高なんですから」

「フフ…それではいただきましょうか」

そう言って、秋子はゆっくりと牛丼に箸を伸ばし、流れるような美しい作法で口元に運んでいく
そして、秋子は牛丼を一口含み、じっくりと味わうように咀嚼し、そして再びゆっくりと箸を置いた

そして、しばらくの沈黙が流れる

「…いかがだったでしょうか」

何も言わぬ秋子に不安を覚えたのか、佐祐理が尋ねる
すると、秋子は再び微笑みを浮かべ、そして皆を軽く見回して言う

「私が閉店時間ギリギリに来たのはワケがあります
　意地が悪い行動かもしれませんけど、私は皆さんを確かめさせてもらったんです」

言葉を一旦区切り、そして続ける

「貴方達が本当にお客様の事を思っているか…
　料理とは、相手に対する思いやりをこめるものです
　それが、高名な評論家が来ると言うだけで、他のお客様達に対する思いやりがないがしろにされては話になりません
　今まで私はそう言うお店をいくつも見てきました…しかし、ここは違います
　このお店から出てきたお客さんの誰一人として、不満そうな人はいませんでした…私も含めて」

そう言って、秋子はより一層穏やかに笑う

「…って事は…」

祐一の声が歓喜の色を多く含む

「えぇ、大変素晴らしいお味でしたよ」

次の瞬間、歓声が店を包む
佐祐理は涙を潤ませながら舞を抱きしめ
舞も笑顔を浮かべて佐祐理と抱き合っていた
そして、祐一も笑いながら、どさくさ紛れに二人に抱きつこうとしていた久瀬の背を叩いた

「やったな！　佐祐理さん！！　久瀬！！　舞！！」

まるで自分の事のように祐一は喜んだ
そして、歓喜の嵐の後、ゆっくりと秋子が口を開いた

「確かに素晴らしい味です
　店内の雰囲気と相まって、最高の満足感を与えてくれます…
　しかし、それだけではありません、この一杯に込められた真心が、最高の調味料となっています」

そして、秋子は舞の方を向き、語りかける

「最後に一つだけ聞かせて下さい
　貴女は…どういう思いを込めてこれを作ったんですか？」

店内がシンと静まり返る
その静寂を打ち破れるのはただ一人、主役だけだ

「…いつもと同じ、お客さんへの真心」

そう言って、一旦言葉を切り
周りを見渡して、少し恥かしそうに続ける

「…そして、今日まで一緒にお店をやってくれたみんなに対する感謝
　…出来れば、これからも…佐祐理や…久瀬と一緒に…ずっとお店を続けたい
…出来れば、大人になっても、死ぬまで、みんなと一緒にお店を続けたい…そう思って…作った」

舞の言葉に、佐祐理は目に喜びの涙を浮かべ、久瀬も照れくさそうにメガネを抑えて斜め上を向いている

「舞が望むんだったら、佐祐理はどこまでもついて行くよ、だって…舞と佐祐理は親友だもの」

「まぁ、僕も乗りかかった船だしね
　それに、ここなら僕の優秀な能力を存分に生かせる事も出来るだろうし」

すると、秋子はパチパチと軽く拍手をし、そして言った

「素晴らしいお友達に恵まれましたね、舞さん
　私からも学校の方にお願いしてみます、これからもこのお店を続けて下さい」

秋子の一言に、再び店に歓声が溢れる

「やったな！　舞！！」

祐一が嬉しそうにガシッと舞の肩を掴んで言う
舞は、その手にそっと自分の手を添え、そして祐一に対し語りかけた

「…祐一もありがとう
　…祐一がいたから、私達はお店を続けられた
…祐一が私達にお客さんを大事にする事の大切さと喜びを教えてくれたから…
…祐一は関係無かったはずなのに…一緒に苦労してくれて…本当に…本当にありがとう」

その言葉に、祐一も照れくさそうに頬をかく

「…まぁ、最初はな
　でも、もう俺も関係無くなんかないぜ？
　だって、俺もこの店に惚れ込んだ常連の一人なんだからな」

祐一の言葉に、舞はゆっくりと頷く

「…そう、祐一は常連さん」

そして、もう一言祐一に言葉をかける

「…だから、私達のお店には祐一が必要
　…いつも、いつまでも一緒にいてほしい」

ああ、俺はいつもこの店にいる
そう言おうとして、祐一はある事に気付いた

「ちょっと待て
　それはひょっとして…
　俺に三食この店で食えって事か？」

すると、店内が一瞬静まり返り
その場にいた全員がコクリと首を縦に振った

「ちょ、ちょっと待て！
　さすがに三食毎日牛丼は無茶だって！！」

祐一が焦りながら叫ぶと。突然、祐一に気の抜けた声で返答が帰ってきた

「無理じゃないお～、特訓すれば大丈夫だお～
　だから祐一だけ晩御飯は牛丼、お茶碗に山盛りの牛丼に牛丼をかけて食べるんだお～」

おかゆライスと発想が変わらない
そんな無理難題をぶつけているのは
いつの間にか床で寝ている名雪であった
どうやら、秋子さんについて来てそのまま寝てしまったらしい

「飲み物は牛丼のツユなんだお～」

「死ぬわっ！！」

祐一が叫ぶが、周囲ではそれが良い考えだとして広まり始めた

「あはは～、ようは慣れですからね～」

「…牛丼丼…かなり嫌いじゃない」

「まぁ、栄養が偏りそうだから錠剤の用意だけはしておいた方がいいかもね」

周りがかなり本気の考えに満ちている事に気付き、冷や汗を流す祐一

「いや、だからここ最近も毎日牛丼食ってて正直もう飽きてきたし…」

「…祐一、牛丼に飽きたの？」

舞の目にじわりと涙が浮かぶ

「いやそういうワケじゃなくて！！」

「という事は…祐一さん、佐祐理と舞に飽きてしまったのですか？」

佐祐理の目にもじわりと涙が浮かぶ

「で、ですからそう言うワケじゃなくてですね！！」

「ああ、もういっそ殴ってくれた方がどんなに楽か
汚れ無き百万発のパンチよりも容赦なく祐一を攻め立てた」

「五月蝿い久瀬！
　地の文を勝手に演出するな！！」

「でも事実だろ？」

「…ぐ」

祐一も思わず言葉に詰まる
このままでは三食牛丼になってしまう
良い考えは無いものかと必死に思考を廻らす祐一
しかし、この完全な包囲網を破る策など思いつくはずも無かった、その時

「大丈夫ですよ、祐一さん」

秋子さんだ
秋子さんが助け舟を出してくれた
そう思い、祐一は歓喜の表情を浮かべる

「特製ジャムだけは食べても良い事にしてあげますから」

秋子スマイル…言うなれば死の宣告だ

「…三食牛丼でいいです」

がっくりとうなだれ、祐一は敗北を認めた

「うむ、これで相沢君も完全に佐久舞の一員となったワケだな」

「…もう、勝手にしてくれ」

あの時、この店を見つける事が無ければ
こんな運命も巻き込まれる事は無かったのだろう
もっと、違った平凡な一週間を送る事も出来たのだろう
祐一はそんな事を思い、満足感の混じった疲労感を感じ、薄く笑った

相沢祐一、後に全世界を股かける牛丼チェーン店『佐久舞』グループのグループ統括ゼネラルマネージャーと呼ばれる男である

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