風邪の一日
夢、夢を見ている。
忘れる事の無いあの時の夢を。
「はぁはぁはぁ……なんで俺は走ってんだよ」
ぴろが、ぴろがただ真琴の鈴を首にかけて走り出したからってだけで。
「はぁはぁはぁ……ものみの、丘か」
この方向は間違いなくそうだ。
俺が何も出来ず、ただ一緒にいてやることしか出来なかった少女との別れの場。
心が壊れるほどの悲しみに押しつぶされそうになったあの場所。
「くそっ、俺やっぱ弱いのかっ」
名雪や栞、あゆたちのお陰で俺は絶望に捕らわれることなくいられたし、
天野の言葉を支えに真琴の事を思い出と考えられるようになっていた。……でも。
「全然忘れられない。今だって僅かな希望にすがってる」
結局俺はあいつを待ち続けていたってことだ。
大好きで、愛しくて離れたくない存在なのだと今更ながら自覚する。
「はぁはぁはぁ……着いた」
俺はものみの丘に着いた。
「ここになにがあるってんだ」
そう言いながら俺の心は奇妙な高揚感に包まれていた。
あいつが帰って来たんじゃないか、
そう思ってものみの丘に立ち寄った時にいつも感じるこの感覚。
でもそれはいつも落胆に終わる。
「また現実を思い知らされるだけかもしれない……でも」
俺は歩みを止めることができなかった。
「うなぁ〜」
「……ぴろ？」
ものみの丘の着いたとこで見失っていたぴろの鳴き声が聞こえた。
「どこだ、ぴろっ」
タッ
俺の言葉に答えるように何かを咥えてぴろが姿を現した。
「え？それは……」
「うなぁ〜」
ぴろが咥えていた物、それはヴェールだった。
俺が結婚式で真琴にプレゼントしたヴェール。
「なんでそれを……」
風に飛ばされたはずなのに。
タタッ
「お、おいっ」
ぴろは駆け出してしまった。
「おい、待てったら」
俺は必死で追いかけた。
ちりん、ちりんっ
ぴろが走るたびに鈴の音がする。
「はぁはぁはぁ…………！？」
俺は立ち止まった。目の前の光景が信じられなかったから。
「真琴？」
消えた時の服装のまま真琴は草むらで寝ていた。
「うなぁ〜」
「う、う〜ん」
真琴はみじろきをした。
「うにゃうにゃ……」
「ん？……ぴろ？……あれ？どうして、あたしこんなとこに……」
真琴は眠そうに目を擦りながら周りを見渡した。
「うなぁ〜」
「なんでだっけ。どうしてあたしここにいるんだろう。ぴろ、分かる？」
記憶が、混乱してるらしい。
「うにゃ〜お」
「ん？どうしたの、ぴろ。なに咥えて……え？それ……」
ぴろはヴェールを真琴に見せた。
「これ、ヴェール？………あっ……あ……あ……」
真琴は目を見開き涙を零した。
「これ……これ……ゆうい……」
真琴はヴェールを握り締めると泣き崩れた。
俺との別れを思い出したのだろう。
「そうだ、あたし祐一と別れて……消え、たんだ。消えちゃったんだ」
真琴はそう呟くと自分の身体を両手で抱きしめた。
「もう、逢えない。もう……祐一に……。祐一……う、うわぁ〜ん、祐一、ゆ……ゆうい、ち……」
真琴は俺の名を叫んで泣き続けた。
「……何してんだ、こんなとこで」
俺は普通を装って話し掛けた。
「……ゆう、いち？」
真琴は呆然と呟いた。
「おう、祐一様だぞ」
「なんで……」
何故俺がこの場にいるか真琴は理解できていないらしい。
「なんだ、いちゃ悪いのか？」
「そういう訳じゃないけど……」
「そっか。……ん？お前、泣いてるのか？」
俺は今気づいたような口調で訊いた。
「そ、そんな訳ないでしょっ」
すると真琴は慌てて涙を拭いた。
「ふぅー。でも今までどこ行ってたんだ？」
「分かんない。でも良いじゃない。どこで何しようとあたしの勝手よ」
真琴は昔どおり憎まれ口を叩いた。
「人を心配させておいてその言い草か」
「フンだ、祐一になんか心配されたくないわよ」
真琴はソッポを向いてしまった。
「相変わらずだな、お前は」
「なによ、真琴の事馬鹿にしてんのっ？……あたしは、あたしは別に祐一なんか……」
ちりんっ
真琴が文句を言いかけた途端ぴろの首にかかっていた鈴が落ちた。
「あ……これ……」
真琴は大切そうにそれを手の平で包み込んだ。
「天邪鬼だなぁ。そんなんじゃこの先大変だぞ」
「何よ、祐一には関係ないでしょっ。ベーっだ」
真琴は舌を思いっ切り出した。
「関係、あるさ」
俺は真琴に近づいた。
「な、何……え？」
俺は思いっきり真琴の身体を抱きしめた。
「ずっと、待ってたんだ。……帰って、来たんだよな」
俺は真琴の温もりを確めるように強く抱きしめた。
「祐一、なの？触れてるの？夢じゃないの？」
真琴は俺が抱きしめたことを心底驚いていた。
……いや、これが真琴の願望が作った夢でもなんでもなく現実だと知り混乱していた。
「そう、みたいだな」
だが俺がそう答えると。
ギュッ
真琴も俺の身体を強く抱きしめ返してくれた。
「祐一だ、祐一だっ。触れる、傍にいる、夢じゃないっ。また祐一が抱きしめてくれてるっ」
「ああ、夢じゃないぞ。……俺は、お前の傍にいるよ」
「う、うわぁ〜ん。祐一、ヒッグ、祐一〜」
真琴は俺の胸でわんわんと泣いた。
「真琴……」
俺は真琴の小さな身体を壊れるくらい強く抱きしめた。
「い、痛いよ、祐一」
「うるさいっ。離さない。もう絶対離さない。……一生、傍にいろ」
「祐一……うんっ」
真琴は力強く頷き返してくれた。
「真琴……結婚式の続き、しようか」
「え？……うん」
「大好きだぞ」
「あたしも……ん」
そして俺たちは誓いの口付けを交した。
その後真琴を家に連れ帰ったのだが水瀬家はお祭り騒ぎとなってしまった。
知り合いを集めてのパーティーをしたのだがかなり盛大なものになってしまったのだ。
けどみんなが真琴が帰って来てくれたことを喜んでくれている。
それがとても嬉しかった。
忘れられない大切な思い出の夢。
「祐一、起きようよ」
「う……真琴？」
ベットで寝ていると真琴に起こされた。
「うん、おはよう」
「……もうおはようって時間じゃないだろ」
多分もう夕方くらいだと思う。
「でも、起きたらおはようだって名雪さんが言ってたよ」
「はいはい」
俺はそう言いつつ身体を起こした。
「何よ、気の無い返事ねー」
「気のせいだ。……うっ」
ブルッ
俺は身を震えさせた。
「どったの、祐一」
「いや、何でも。ちょっと寒気がしただけだ」
喉も少し変な感じだ。
「大丈夫？」
「大丈夫だろ。……それより何しに来たんだ？」
「あ、そうだった。夕食、もうすぐ出来るよ」
「え？そうなのか。あちゃー、結構眠っちまったな。すぐ行く」
時計を確認すると時刻は７時ちょっと前。寝たのが５時くらいだったからおよそ２時間か。
昨日遅くまで起きてた所為だな。
「うん、じゃあ先に行ってるね」
そして真琴は部屋を出て行った。
「さてと、行くか」
俺はベットから降りクーラーのスイッチを切りダイニングへ向かった。
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