「ごほっ、けほっ……」
夕食後リビングでくつろいでると不意に咳き込んでしまった。
「うん？祐一風邪？」
名雪が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「なの、かな？」
確かに頭がちょっとボーっとする。
「あら、祐一さん風邪ですか？」
「かも知れません。少し頭がボーっとして」
「あらあら。それじゃあちょっと熱を測りましょうか。名雪、体温計持って来てくれないかしら」
「うん、分かったよ」
名雪はそれに答えて体温計を取りに行った。
「ふぅー、夏休みだってのに……」
せっかく明日は名雪たちと一緒にプールに行く予定だったのにな。
「はい、祐一」
「ああ、ありがとう」
俺は名雪から体温計を受け取り脇に差した。
ピピピピピッ
「ん、終わったか。……えっと熱は……はぁー、あるし」
「どのくらい？」
「３７度２分。はぁー、やっぱクーラー付けっぱなしで寝た所為かな」
「そうなの？もしかして設定低くしたんじゃないの」
「かも、知れないな」
「かもって？」
名雪が首を傾げて訊いてきた。
「いや、目が覚めたら寒くて」
「あらあら。祐一さん、クーラー付けたままお昼寝するなら高めに設定しなくては駄目ですよ」
「あ、はい。でもしたはずなんですけど……こほっ、ごほっ……」
俺は咳き込んだ。
「祐一さん、これ飲んでください」
いつの間にか秋子さんが水の入ったコップと薬を持って来てくれていた。
「すみません、秋子さん。…………ゴクゴクゴク……ふぅー」
「祐一、今日はお風呂に入らずにこのまま寝たほうが良いよ」
コップを机の上に置いた俺に名雪がそう提案した。
「ああ、そうする。……お休み」
「うん、お休みー。あっ、温かくして寝なきゃダメだよ」
「分かってるって。でも明日のプール行きたかったけど無理そうだな」
「だね。残念だよ。まっ、明日は真琴や香里たちと楽しんでくるからお土産話楽しみにしててね」
「……了解」
天然ってこういう時残酷だ。悪意なく人を落ち込ませるんだから。
俺は失意のままドアを開けた。
「あれ、祐一？もう寝るの？」
ドアを開けると目の前に風呂上りの真琴がいた。
「ああ、まあな。じゃあお休み」
「あ、うん」
俺は真琴に挨拶すると２階に向かいすぐさま自分の部屋のベットに潜り込んだ。
「はぁー、今日はぐっすり眠ろう」
もしかしたら明日になったら風邪は完璧に治ってるかもしれないと淡い期待しつつ俺は眠りに就いた。
ギシギシギシ……
「あはは……」
久しぶりに真夜中に俺の部屋に向かって廊下を歩く音と真琴の含み笑いが聞こえた。
最近は落ち着いて来てたのによりによって今日するかぁ？
「はぁー、どうすっかな」
昔なら即行で反撃体勢を取っていたのだが今はあいつの構って欲しいと言うサインだと分かっているので邪険に扱えない。
「付き合ってやるか」
まぁ、きっと子供じみた悪戯だろうから気にする事でもないと思うが。
何よりそんなとこが可愛いと思う。
ガチャ、ギィ……
「あはは……寝てるわね」
起きてるって。つーか、名雪くらいだぞ、起きないの。
「ふふふ……いざ」
真琴はそう呟くとゴソゴソと何かを取り出した。
何をするつもりだろう。
「えいっ」
「え？」
バシャッ
「うわっ、冷てーっ」
俺は驚いて飛び起きた。
「あはは、やったー」
真琴は馬鹿みたいに喜んでいる。って言っても秋子さんを起こさないように（名雪は普通の物音じゃ絶対起きない）小声だがな。
「やったじゃないだろ、こいつは」
ぽかっ
俺は真琴の頭を引っ叩いた。
「イッター、何するのよ」
「何するのよ、じゃねえだろ。一体何しやが……ハックションッ」
スッゲー体が冷たい。
「へへん、水風船よ。驚いたでしょー。昼間美汐と買いに行ったのよ」
真琴を胸を張って答えた。
……ぷちっ
「マコピー、ちょっと来い」
「誰がマコピーよっ。あたしは沢渡真こ……あぅ〜〜」
俺は真琴が言い終える前に一気にベットの中に引き摺り込みこめかみに両拳をセットした。
グリグリグリグリ……
「お前は〜」
「あぅあぅあぅ……」
俺は思いっきり梅干グリグリを行った。
「あぅ〜〜、痛い〜」
真琴を涙目になりながら頭を抑えた。
「自業自得だ。……ほら、さっさと帰れ」
俺はベットから真琴を放り出すとそう言い放った。
「え？一緒に寝ないの？」
「はっ？誰が寝るんだよ、こんな事されて。……そもそもお前、俺と寝たいのか？」
「んな訳ないでしょ。ぴろが寝たいって言うから……」
「そのぴろはどこにいるんだよ」
「え？……あっ、部屋に置いてきちゃった。取ってくる」
そう言って真琴は部屋を出ようとした。
「真琴っ」
「な、なによ」
「今日はそのまま自分の部屋で寝ろ。戻ってくんな」
「な、なんで……」
「なんででもだ。ほら、しっしっ」
俺は手の平で追い払う仕草をした。
「ムッカー、もう良いわよっ。ふん、お休み」
真琴は頬を膨らますとそのまま部屋に戻ってしまった。
ちなみに足音を立てないように静かに歩いてだ。こう言うとこは成長してんだがなぁ。
「たっく、あの馬鹿は。いくらなんでも構ってやれんわっ」
俺はベットから起きて新しい下着とパジャマ代わりのスエットを出して着替えた。
いくらあいつ相手でも笑顔で許すような事は出来なかった。
「ハックションッ。……うー、さむ」
俺は１回クシャミをした後濡れた下着やらを洗濯機の中に放り込みに向かった。
「はぁー、布団もちょっと濡れてやがる。……まっ、これくらいなら何とかなるだろ」
俺は少し濡れた布団に包まった。
「うー、寒い」
俺は身を震わせながら眠りに落ちた。
『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて遊びに行くよ〜』
目覚ましの音がする。夏休みバージョンってやつだ。
『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて遊びに行くよ〜』
相変わらず眠くなる声だ。……ってかなんで目覚ましセットしたままにしてんだか。今日は予定が無いはずなのにさ。
『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて遊びに行くよ〜』
はぁー、消すか。いくら眠くなる声とはいえ消しとくべきだろう。
「えーっと、どこだ……ゴホッ、カホッ、ゴフッ……」
声を出した途端に俺は咳き込んだ。
「く、くそ……ウッグ……」
それ以上に俺は目覚ましを止めるために手を伸ばそうとしたが意向に身体が動いてくれない。
「はぁはぁはぁ……」
息苦しい。俺は必死に身体を起こそうとしたが途中で力尽きてしまった。
『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて遊びに行くよ〜』
名雪の声が部屋に空しく響く。
「くそっ、早く起きな……ゴホッ、ゴホッ」
ダメだ。息が……。
「はぁはぁはぁはぁ……」
俺はベットの上で荒い息を吐いたまま突っ伏した。
『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて遊びに行くよ〜』
目覚ましはまだ鳴っている。
「祐一、目覚まし止めないさいよー」
真琴が文句を言いながら部屋に入ってきた。
パチッ
「たっく、近所迷惑でしょうが。まぁ、名雪さんの目覚ましには負けるけど」
真琴はやれやれといった口調で言うと目覚ましを消した。
「はぁはぁはぁ……あ、ああ」
「ほらほら、名雪さんじゃないんだからさっさと起き……祐一？ねぇ、祐一、どうしたの？」
俺の様子が変だと気づいた真琴は慌てて俺の身体に触れた。
「ケホッ、ゴホッ…………はぁはぁはぁ……気にすん……な」
「ちょ、ちょっと、いったいどうしたのよっ。祐一〜」
泣きそうな顔で真琴は俺を揺すりだした。
「どうしたの、真琴。大声出して」
秋子さんがそう言いながら部屋に顔を出した。
「秋子さ〜ん。祐一が、祐一が……」
真琴は秋子さんに駆け寄った。
「落ち着きなさい、真琴。祐一さんがどうしたの？」
「分かんない。ただ顔が赤くてとっても苦しそうで……」
「え？……祐一さん、ちょっと良いですか？」
秋子さんはそう言うと俺の傍に来て額に手を当てた。
「……ひどい熱。……真琴、体温計を持って来て。あと、出来れば名雪も起こして来て」
「あ、うん、分かった」
真琴は頷くとすぐさま部屋を出た。
「祐一さん……」
「……大丈夫……です。はぁはぁはぁ……ちょっと、風邪をこじらせただけで……」
「大丈夫じゃないでしょう。まだ病院はやっていないだろうし……知り合いのお医者様、呼びましょうか？」
「い、良いですよ。はぁはぁ……薬飲んで寝てれば治ります」
「ですが……」
秋子さんが困ったように（本当に困った顔をした秋子さんを見るのは珍しい）頬に手を当てた。
「秋子さん、はいっ」
真琴は体温計を持って部屋に入って来た。
「ありがとう、真琴。……祐一さん、ともかく熱を計ってください」
「あ、はい」
俺は言われるままに熱を計った。
「お母さんっ、祐一が一大事ってどう言うことだよっ」
名雪が珍しく慌てた声で部屋に入って来た。
「よ、よう。今日は早いな、名雪」
「祐一が大変だって聞いて寝てられるわけ無いよっ。いったいどうしたの、祐一」
名雪が激しい口調で訊いて来た。
「そ、そんなんで早起きしてくれるなら……はぁはぁはぁ……これから毎日俺が一大事って言って起こ……ゴホッ、ゲホッ……」
「祐一、茶化さないで。いったいどうしたんだよ」
背中を擦りながら名雪が訊いた。
「風邪をこじらせたみたいよ」
秋子さんが俺の代わりに答えた。
「風邪こじらせたって、一体何やったんだよ」
「あ、えっと……」
俺が答えに窮した。
風邪が悪化した原因、それはやっぱ真琴のあの水風船だろうな。
「ね、ねぇ、名雪さん。風邪が悪化ってどう言うことっ？祐一風邪引いてたの？」
「え、うん。なんか昨日クーラー付けっ放しでお昼寝した所為で風邪気味だったんだよ」
「クーラー？」
「うん。祐一、設定温度いくつだった？」
「ああ、確認したら……２２℃になって……たぞ」
「もう、そんなに低くしてお昼寝したら風邪引くに決まってるよ」
名雪は仕様が無いなと言った顔で俺を見た。
「……クーラー。風邪気味だった……」
真琴は呆然と呟いた。
「どうしたの、真琴」
ビクッ
秋子さんの言葉に真琴は微かに身を震わせた。
「あぅ、えっと……」
なんだろう。……もしかして責任感じてるのか？昨日俺に水風船ぶつけたことを。
「大丈夫、祐一」
名雪は心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
……たとえ真琴の所為で風邪が悪化したのだとしても風邪を引いたのは俺自身の責任なんだから真琴が責められることになったら悪いな。あいつは俺が風邪だって知らなかったんだし。
「祐一？どうしたの、難しい顔をして」
「ん、あいや、なんでも。……でも……はぁはぁはぁ……寝相悪くて布団剥いじまうとは……不覚」
「えー、布団剥いでたの？たっくもう、よりによって風邪の時にしなくても」
「無意識の……はぁはぁ……行動なんだから仕方ない……」
俺は嘘をついた。変な責任を真琴に負って欲しくなかったからな。
ピピピピピッ
体温計が鳴った。
「ああ、鳴りましたね。ちょっと見せてください」
秋子さんが俺の傍に来た。
「……３９度３分。高いですね。……やはりお医者様呼びましょうか」
「ちょ、秋子さ……ゴホッ、ゴホッ」
俺は慌てて秋子さんを呼び止めようとしたが途中で咳き込んでしまった。
「祐一さん。そんなに酷いんですからお医者様を呼んで診てもらわなければ駄目ですよ」
「大丈夫です。……薬、あるんでしょう？それ飲んで……ぐっすり休めば……はぁはぁ……大丈夫ですよ」
「ですが……」
「それに秋子さんは今日……仕事があるんでしょう。もうすぐ出る時間じゃ……ないんですか？」
「え、ええ、まぁ」
「だったら良いですよ。………薬を持って来てもらえれば。……あ、後お粥でも作ってもらえれば嬉しいですね」
迷惑はこれ以上掛けたくなかった。
「……分かりました。お薬持って来ますね」
「あっ、じゃあわたしお粥作ってあげるよ」
「すまない、名雪」
「気にしなくて良いよ。祐一のためだもん」
そして秋子さんと名雪は部屋を出て行った。
「……祐一」
真琴が俺の傍に近寄ってきた。
「どうし……ゴホッ……たんだ、真琴」
「……どうして言わなかったの？真琴が水風船をぶつけたって」
「俺が風邪を引いたのはお前の所為じゃ……ないからな。悪化したのは確かにそうかもしれないが……ゴホッ、ゲホッ……風邪を引いたのは俺がクーラー付けっ放しで寝たからなんだ。……お前が気に病むことじゃない」
俺はそう言って真琴の頭を撫でようとした。
ビクッ
だけど俺が真琴の頭に触れる直前で真琴は身を震えさせた。
「どうし……たんだ？」
「なんでもないっ」
真琴はそう叫ぶと一目散に部屋から飛び出してしまった。
「なんだ、あいつ」
訳が分からん。
俺はそのまま名雪たちが戻ってくるのを待った。
「では祐一さん、私はそろそろ仕事に行きますね。なるべく早く帰ってきますので安心してください」
「気にしないで下さい。じゃあ、行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
秋子さんはそう言って部屋を出た。
「さてと、名雪」
「うん？なぁに、祐一」
さっきからお粥を食べさせてくれたり（俺は恥ずかしいから嫌だと言ったんだが拒否された）して世話を焼いてくれていた名雪に話し掛けた。
「プールに行く集合時間って確か１０時だったよな」
「あ、うん、そうだけど。良いよ、今日はわたしも行かないよ。香里にも連絡入れとくから」
「おいおい、俺は大丈夫だって」
「でも祐一１人にしておくのは心配だよ」
本当に心配そうに名雪は呟いた。
「前々からみんなで行こうって約束してただろ。俺はこんなんだから行けないがお前は健康そのものじゃないか。……行って来いよ」
「でも……」
「それに天野や栞たちとプールに行くのって初めてだろ。この機会を逃したらもう行けないかもしれないじゃないか」
「そんなわけ無いよ。みんなお友達なんだから今日じゃなくたって行く機会はあるよ」
名雪はなかなか説得されてくれない。
「……真琴、行きたがってたから連れて行ってやれよ。お姉さんだろ」
「う、うん。……ふぅー、分かったよ。じゃあわたしと真琴も９時半には家を出るね」
「ああ、そうしてくれ。……だがしかし惜しいな」
「なにが？」
俺の言葉に名雪は首を傾げる。
「いやー、天野や栞たちの水着姿を見たかったなと。……いや、舞の水着姿はもっと見たかった。くそ、無念」
舞のスタイルは抜群だ。水着姿は是非見たかった。
「祐一、変態さんだよ。……それにわたしのは見たくないの？」
「プールの授業で見た」
「うー、それはスクール水着だもん。せっかく祐一に見せるために新しい水着を買ったのに」
名雪はすっごく不満そうだ。
「まっ、それはそのうち機会があったらな。まぁ、そもそも名雪だし見なくても別に良いよ」
バフッ
枕が頭にヒットした。
「酷いよ、祐一」
「投げんなっ。俺は病人だ……ゴホッ、ケホッ……」
「自業自得だよ。……ふふ、でも本当は真琴の水着姿を見たかったんでしょ。好きな娘の水着姿は見たいもんだよね」
名雪は笑顔でとんでもない事を言い出した。
「ば、何で真琴の水着姿なんかを。それに俺は真琴の事は妹みたいにしか……」
「素直じゃないね、祐一は。祐一が真琴をどう見てるかみんな知ってるよ」
楽しそうに名雪は言う。
「お前なぁ。……そもそも真琴の水着姿なんてどうせ子供っぽいもんだから見たいなんて思わんて」
「そっかなぁ。真琴結構スタイル良いし子供っぽくもないと思うよ。祐一恥ずかしがり屋さんなんだから」
「言ってろ。……たっく、さっさと行け」
俺は追い払う仕草をした。
「うー、ホントのこと言っただけなのになんでそんなに邪険に扱うんだよ」
「……」
どうやら名雪はからかってたわけではなく純粋に思ったことをただ言ってただけらしい。
……そっちの方が性質悪いな。
「どうしたの、祐一。疲れたような顔してるけど……もしかして風邪悪化した？」
「……悪化したかもな」
「ええっ？わっ、やっぱりわたし今日祐一の看病するよ」
名雪は慌て出した。……皮肉が全く通じてねぇ。
「冗談だから大丈夫だ。少し寝かせてくれ」
「あ、うん、分かったよ。じゃあお休み」
「ああ」
そして名雪が出て行くのを確認して俺は手で顔を覆った。
「好きな娘の水着姿は見たいもんだよね、か。……たっく、あいつめ。自覚させんなよ」
熱がまた上がりそうだ。
「初めて会った時には考えられないことだな」
それほど出会いは最悪だった。でもそれからのやり取りで俺はだんだんあいつに惹かれて行った。
「はぁー、やっぱあいつと行きた……ガホッ、ゲホッ……」
俺は咳き込んだ。さっきまで我慢したがもう限界だ。
「はぁはぁはぁはぁ……あいつらが家出るまで何とか……ガハッ、ゴホッ……くっ」
俺は口元を押さえて布団を抱き寄せた。
「くそっ……」
心配させないように何とかしないと。
そう思っていたが俺は意識を失った。
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