心の翼 思いの風
べつに目の前の人を恨んでるわけじゃない。
この人のせいでまた辛い思いをしたなんて思ったこともない。
それどころか、私はこの人に出会えたことを心から幸せだと思っている。
この人のおかげで亀裂のはいって進むことの出来なくなった
私の道に橋を架けることが出来た。
ここから私はまた歩きだす。 そしてその歩みを止めることはない。
「仏教面…」
「なにか？」
「べつに…」
ものみの丘、今私の立っている場所。 そして、
あの子の消えた場所。
ただの草原だったそこには今はお墓がたっている。
べつにあの子の亡骸が埋まっているわけじゃない。
「表情が硬いぞ天野」
「親友の墓標を前にして笑顔でいろとでも言いたいのですか？」
「いや、けど少しは表情をゆるめろ。あいつが好きだったのは、
そんな、怒ったような顔した天野じゃないはずだ」
「そうは言っても、今更変わりませんよ表情なんて…」
「変えようと思えば変えれるさ。俺は結局だめだったけどな……」
相沢さんの目に哀しみと怒りが見える。
大切なあの子が消えてしまったことにたいしての哀しみ。
そして、消えてしまう運命を変えることの出来なかった自分への
怒り。どちらも仕方のなかったこと。
けど、相沢さんはそれを受け入れようとしない。
毎日毎日なにがあってもここに来て、いつもお墓の前で手を合わせて、
今日一日のこと、他にも色々なことを居るはずもないあの子に、
話しかけている。
「……はぁ………」
自然とため息がでてしまう。 私は知っている。
なにをしてももうあの子が帰ってくることがないということを。
相沢さんも本当は理解しているはず。 それなのに、
毎日毎日同じことを繰り返している。
そんな相沢さんを見るのが辛くてしょうがない。
あの子の大切な人。 私の大切な人。
その人のこんな目はもう見ていたくなかった。
「なあ、天野」
「なんですか？」
「ため息つくな。春に吹くのなんか春風だけで十分だ」
「は、はあ」
「もうあいつが帰ってこない……そんなこと俺も分かってるよ。
だけど、なにもしないであいつのこと忘れるなんて俺にはできない」
私もそんなことは分かっていた。 私も忘れられなかったあの子のことを。
一度私の前から消えたあの子。 そしてもう一度私の前に現れて、
また消えてしまったあの子。 出会って別れて、また出会ってまた別れる。
一緒にいる時は、毎日が楽しくて、毎日が嬉しかった。
けど居なくってしまったら、毎日が寂しくて、毎日が哀しかった。
だから忘れたかった。 だけど忘れられなかった。
けど私は出会いと別れを繰り返してこの人と一緒にいる。
今の私は『さようなら』から始まっている。
けど相沢さんは違う。 相沢さんは『初めまして』からもう始まっている。
だから一度の別れに耐えることもできない。
だからこんな目をしなくてはならない。
「相沢さん………」
「ん？」
「鳥は自分の力だけでは飛べないって知ってますか？」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
ただ支えになりたかった。
「どうしたんだ急に？」
「知っているのですか？ 知らないのですか？」
「………知ってる」
相沢さんが少し悩んでから答える。
たぶん頭では理解していても、私の突然の質問に
とまどったから反応が遅れたんだと思う。
「けど、なんでそんなこと訊くんだ?」
「なんとなくですよ。……それで鳥が飛ぶには自分と
なにが必要ですか？」
「………風……だろ？」
「相沢さんは………今飛ぶことが出来ますか？」
「飛べるわけないだろ俺には翼もないしな」
「相沢さんは飛べます。 ただ飛び方を忘れて、
翼を自分で折ってしまって、大切な風を無くしてしなっただけ…」
相沢さんに飛んでほしかった。 初めて会ったあの日の
あの希望に満ちた目をもう一度見たかったから。
あの目が私を勇気づけてくれた。 もしかしたら
この人ならあの子を生かしてくれるかもしれない。
そして今は、あの子にもう一度会いたい。
だけど会えないから会えると信じる相沢さんの目が見たかった。
「じゃあ、訊くけど俺の翼と風ってなんなんだ？」
「翼は心。そして、風は大切な人………」
相沢さんの目が哀しみの一色に染まる。
思い出したくない過去を思い出した人の目はこんなものかもしれない。
だから私は。
「………私じゃだめですか？」
「えっ？」
「私じゃあの子の代わりにあなたの風になれませんか？」
一瞬でいいあの目が見たかった。 ただそれだけ。
それ以上を望まない。 だから、私は続けた。
「哀しくて寂しくて泣きそうな日も、楽しくて嬉しく笑う日も、
あなたのことを抱きしめるあなたの風になれませんか？」
「天野………」
「一緒に見ましょうよ。 もう一度あの子に会いたいそんな些細な夢を」
「けど、あいつはもう…」
「相沢さん、『さようなら』は『初めまして』のはじまりなんです。
私があの子にもう一度会えたように、相沢さんもそれが叶うはずです。
その時はもう一度『初めまして』から始めて、
一緒に思い出を創りましょう」
「俺は……俺は……」
「相沢さんは私の大切な人。 だから相沢さんは私の風
いつも私のそばに居て、いつも私を飛ばそうとしてくれる、
本当に暖かい春風………」
そう言って私は相沢さんを抱き寄せた。 泣いていた。
相沢さんは子供のように泣いていた。
「行きましょう。 もうここに来る必要はありません……だってあの子は、
帰ってくるから」
相沢さんが泣き終えると「帰ろう」と言ってくれた。
迷いのない目。 希望に満ちた目。 見ているだけでどんな病も治りそうな目。
私の望んだ目。 そして、あの子の帰ってくる目印となる目。
私たちは今帰路に立っている。日のあたる坂道で私たちは互いの思い出を話している。
私しか知らないあの子との思い出。 相沢さんしか知らないあの子との思い出。
歌うかのように話して唇を染めていく。大切なこの人と出会えた幸せを祈るように。
「ねぇ、相沢さん…」
「ん？」
「未来の私たちはどんなことを話しているのでしょうか？」
「さあな、けどこれだけは言える」
「なんですか？」
「楽しくて嬉しくて幸せな今さ」
心の翼が蘇る。相沢さんと私の翼。 暖かい春風が凪を終えて帰ってくる。
相沢さんと私を飛ばしてくれる。 夢の叶う幸せの青空へ。
「行きましょう相沢さん」
「どこへ？」
「幸せと言う名の空へ」
そして、私たちは加速していく速く速く
青空へ向けて高く高く………
ＦＩＮ…
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