純白の審判
「静か……だな」
「そう……ですね」
思い出の公園は夜の闇と電灯の明かり、そして真っ白の雪に彩られている。
街灯に照らされた時計の針は、無常にも、いつもと変わらず時を刻み続けている。
「祐一さん。一週間、ありがとうございました」
「栞……」
「私は祐一さんのこと、ずっと、ずっと忘れません」
栞の目は俺の目をまっすぐに射抜いていた。
「そんな台詞はまだ早いぞ」
「そうでしょうか」
栞は人差し指を口に当て、聞いてくる。
「ああ、そうだ。最終回はまだもうちょっと先だ。それに」
俺はそこで言葉を切り、真っ黒な空を見上げた。
「それに……なんですか？」
そして再び、俺は栞の目を見る。
「それに、俺のほうこそありがとう。栞」
栞は急に礼を言われ、覚えが無い、とでも言うように小首をかしげている。
「俺は、栞から強さをもらった」
「え？」
「一週間前。普通の女の子としてみてほしいって言われたとき、正直自信が無かった。自分の運命をわかっていながら、笑っていようとする栞を見るのが辛かった」
栞は黙って聞いている。
それを確認して、俺は話を続けた。
「でも、それからの栞を見ていたらそんな思いもどっかへ行っちまった。なんかそんなこと考えてる俺がバカみたいに見えた」
俺は、一週間の栞との『デート』を思い出しながら言った。
「それじゃあ、まるで私がバカみたいじゃないですか」
「案外、そうかもしれないな」
「そんな事言う人、嫌いですよ」
栞は起こったように言った。もちろん顔は笑っていたが。
「だから、この一週間、俺が栞の約束を守れたのは、いや守れたとしたら、それは栞のおかげだ」
「……私はそんなに強い人間じゃないですよ」
栞はそれまでの微笑を自虐の形に歪めていった。
「私は弱い人間です。他人にすがらないと生きてられない、弱い人間です」
今度は俺が話を聞く番だった。
「私は、自分から生きることをやめようとした人間です。初めて祐一さんと会ったあの日の夜に、私は自分の手首をカッターナイフで切りました」
言葉は出なかった。
自分でも動揺しているのがわかった。
「死のうと思っていた。生きていてもお姉ちゃんに、お父さんやお母さんに迷惑がかかるだけ。そんな自分がどうしようもなく嫌でした」
「でも、死ぬことはできなかった。手首を切った後、昼間会った人の笑い声を、なぜか思い出して……」
「つられて笑ってしまって、そのときの自分がとても惨めに思えて……」
栞の顔が徐々に元の笑顔に戻っていく。
そして、その笑顔は……
「そうしたら、もう、手首を切れなくなっちゃいました」
そして、その笑顔は何か晴れやかな、ある種の決意を秘めた笑顔だった。
その笑顔を俺に向けて
「祐一さんのせいです。祐一さんのせいで私はここにいるんです」
「そこは俺のおかげ、って言うんじゃないのか？」
少し悪戯っぽく言ってやる。
「そうともいいますね。でも祐一さんのせいなのは変わらないです」
「それじゃあ、そこは俺が栞に強さを分けてやったんだ」
俺と栞は、目を見合わせて笑った。
栞と約束したのはちょうど一週間前。
「私を普通の女の子として見てください」
そう言って栞は、学校に来て、帰りに商店街によって、腹が減ったら買い食いをして、ゲームセンターにも行って、お気に入りの公園にも行って……
どこにでもいる、普通の女の子と同じ事を、とても嬉しそうにしていた。
そんなことを嬉しそうにできるくらい、栞は普通の女の子とはかけ離れた生活をしていたんだ。
そして、約束の最後の日、栞の誕生日の一日前。
朝見た空は、これ以上無いくらいに澄み渡り、どこまでも青かった。
栞は、
「これは私の日ごろの行いがいいからです」
なんていってたけど、あながち嘘ではないかもしれない。
俺は考えてしまったから。
つまりこれは
神様なる者がくれた
最後の奇跡なのかもしれない
と。
そんな自分に憤りを感じながら、いつもと同じ、いつもの道を歩いた。
ゲームセンターに行き、商店街を歩いて、アイスを食べて……
たとえ、自分の中で何かが違う、俺たちの最後の日だとしても、商店街や、周りの人々は変わることも無く、当たり前のように歩いている。
傍から見れば俺たちもその日常の一コマの背景だったのだろう。
夜になって、公園へと続く道を歩きながら、栞は聞いてきた。
「祐一さん。手、つなぎませんか？」
「ああ」
思い出の公園。
そのいつもと変わらぬ風景に目を向けた栞は、一言、疲れました、といった。
その言葉に受け答えしながら、俺は、残された時間が少ないことを改めて痛感する。
公園に流れる音は、ただ噴水が吹き出て、水飛沫のはねる音だけだった。
やがて、時計の針は天頂付近へと差し掛かった。
白い雪は、黒い雲から、深深と降ってくる。
そしてそれは、雪の上に横たわっている栞の体にも降り積もっていった。
悔しかった。
どうしようもなく無力な自分が、悔しかった。
何で俺は奇跡を起こすことができないのか。
俺は好きな女の子一人も守ってやることができないのか。
ここで、ずっと見てやることしかできないのか。
側にいること以外は……許されないのか……
「私は祐一さんと出会って、幸せでした」
「俺だって」
必死に感情を抑える。
男から泣くわけにはいかないだろう。
栞が笑っているのなら、俺もそうする。
「俺だって幸せだったさ」
「ありがとう、ございます」
栞はそう言って俺の顔を見上げた。
「もう、日が変わりますね」
時計の針はもう、ほぼ重なっていた。
「ああ、そうだな」
もう間も無く栞の誕生日だ。
プレゼントは買ってある。
秋子さんに頼んで、パーティーを開いてもらおう。
名雪や香里も呼んで、みんなで盛大なパーティーを開こう。
たぶん、メインディッシュはバニラアイスになるだろう。
パーティー会場は、１０メートルの雪だるまに見られているのだろう。
そして、栞は……
幸せそうに笑っているだろう……
時計の針は刻々と時を刻む。
白い雪は深々と降り積もっていく。
ふいに栞が口を開いた。
「私、笑っていられましたか？」
振り向くと、栞は微かに笑っていた。
「ずっと、ずっと、笑っていることができましたか？」
「ああ、大丈夫だ」
「良かった」
必死になって込み上げてくるものを抑えていた。
そうしないと、自分が保てそうに無くて。
そうしないと……約束が守れそうに無くて……
そして、時計の針は天頂をさした。
一月が、終わった。
二月が、始まった。
一週間が、過ぎた。
そして、
最後の審判が下された………
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