月 影
今日は十五夜。
わたしの大好きなお月見。
この日はいつもお母さんの作ってくれた月見団子を食べながら、
二人だけで月を眺めてたいた。
でも、今年は二人じゃない。
祐一がいる。 帰ってきている。
だからいつものお月見とは、ちょっと、違う。
「名雪、これ運んでくれる？」
「うん」
できたての月見団子がお盆の上に盛られている。
お母さんの自慢の一品。
わたしはそれを受け取って縁側へと運んだ。
「おっ、うまそうな団子だな」
縁側に寝そべって月を眺めていた祐一が、体を起こしてにっこり笑う。
さすが秋子さん、なんて言いながら一番上の団子をひょいっと取って食べた。
「うむ、うまい」
「あ〜っ、何食べてるんだよ〜」
「団子が食べてくれと俺を呼んだものでな」
「まだお供えもしてないのに…」
いつもの冗談。
こんな毎日が好き。
七年間ずっと待っていたやりとりが。
「名雪も食べてみろよ」
祐一がお団子を一つ取って、わたしに差し出す。
差し出されたお団子と、祐一の顔を見比べて、わたしは祐一の隣に座った。
心と口に、甘さを感じながら。
ほんのり温かい。
その温かさを、わたしにもいっぱいわけてくれる。
不思議なお月見。
初めて聞く音楽が流れているみたいな、そんな感覚。
「お月様、まんまるだね」
「そうだな」
丸くて、大きい。
十五夜の満月は、いつもよりも綺麗に見える。
でも、見上げていると、悲しくなるのは…どうしてだろう。
今まで、月を見て悲しいなんて思ったことは無かった。
…ううん、それはウソ。
気付かないふりをしてただけ。
まだ大好きなんだよって、
慰めて欲しいんだよって、
そう…信じていたかったから…。
今日は祐一がいるから、思い出しちゃうんだ。
…忘れさせてはくれないんだね、きっと。
「名雪は、月は何に見えると思う？」
唐突な質問。
「えっ、う〜ん…やっぱり、うさぎかな」
月のうさぎ。
お月様の上で、一生懸命お餅をついている。
誰も食べに来てくれないのに。
手を伸ばしても辿り着けないのに。
「俺には岩の塊にしか見えないけどな」
ちくりと胸が痛む。
「それは可哀想だよ」
「可哀想？」
「うん。 お月様も…いろんな見方があるんだよ」
…複雑な気分だった。
居心地の悪い、奇妙なパントマイムを見てるような違和感。
別に祐一が同じ答えをしてくれるなんて思ってなかったけど…。
どうしてか、窮屈に感じてしまう。
「月は岩の塊で、無数のクレーターがある。 それだけだ」
少し突き放すような言い方。
また、ちくりと胸が痛んだ。
「どうしてそんなこと言うの…」
今日の祐一は、やっぱりいつもと違う。
…ううん。 違うのはわたしの方。
わたしが変なんだ。
祐一は冗談は言うけど、人を傷つけるようなことは言わない。
どうして…、どうして月の話がこんなに辛く感じてしまうんだろう。
いつもなら、なんてこと無い話なのに…。
「だけど月は…世界で一番綺麗なものに見える」
「え…？」
「クレーターがあるおかげで、月はいろいろな姿を見せてくれるだろう？」
…確かにそうだ。
クレーターの高低差によって影ができるから、うさぎにも見える。
うさぎにとって、それが幸せなことかは…わからないけど。
でも…、それがどうしたの？
わたしが知りたいのは、そんなことじゃないのに…。
「名雪、竹取物語って知ってるだろ？」
「え…、うん」
「どんな話だった？」
祐一がじっとわたしを見る。
普段からは考えられないような真剣な目で。
静かに息を潜めて、わたしの答えを待っている。
「えっとね…、かぐや姫が月に帰っちゃうお話だよ」
見つめられているせいか、しどろもどろに答えてしまう。
「…かなり端折りすぎてるが…まぁ、いい」
「うん」
「かぐや姫には、彼女のことを思っていた人達がいたよな」
「………」
「じゃあ、月に帰る時のかぐや姫の心境はどうだったと思う？」
「えっ？」
予期していない質問。
そんなこと言われても…わたし困るよ…。
「えと…うーんと…」
考えれば考えるほど、頭はそのことを考えてくれないみたい。
まるで認めるのを拒否しているみたいに。
この質問が困るような質問だと、そう思ってしまう自分のコトがわからない。
「あれ…おかしいな、…ちょっと待ってね」
表現できないモヤモヤ感が、わたしの心に潜んでいる。
知っていても、どうすることもできない。
頭の中に霞がかかったように…。
体が海の底でたゆたうように…。
意識が空に溶けていくように…。
わたしは不思議な浮遊感の中にいた。
どこも触れてないけど、何かに触れられているような感覚。
ふわり、ふわりと浮かびながら、強風でかき消されてしまいそうな淡い存在。
それが、わたしだった。
浮遊しているのは見つけてもらうため。
それが目的だったはずなのに…、今は忘れてしまった。
ただ、繋ぎとめて欲しかっただけだから…。
どこにも行かないように、手を握っていて欲しかっただけだから…。
…あなたも、同じなんだね。
…わたしと、同じなんだ。
だから…、わかるよ。
ずっと、待っているんだね。
ずっと、待っていたんだね。
「…もう、いいよ名雪。 泣くな」
暖かな優しさが、世界を満たしていく。
月の裏側まで届くような、そんな強さを秘めている。
心の中のモヤモヤが、朝日の陽光が差し込んだみたいに、
さらさらと、砂が舞い落ちるように崩れていった。
浮遊感が消えた。
抱きとめてくれたことに気が付いたのは、
祐一の唇がわたしの頬を伝う涙を拭ってくれた時だった。
わたしは自分が泣いていることさえ気付かずに…、
淡い光を包み込むような祐一の腕に、ただ抱かれていた。
「うさぎの気持ちは…ちゃんと届いてるんだぞ」
耳元で温かい声が囁きかける。
今なら祐一の言葉がわかる気がした。
同時に、月に対するわたしの気持ちも…。
「お前は、ただ祝福してやればいい」
…そうだよね。
うさぎさんの気持ちは、きっとみんなに届くよね。
わたしの気持ちも、うさぎさんと同じだったんだから。
…わたしが、うさぎさんだったんだから―――
「…うん。 祐一も一緒にね」
「あたりまえだろ」
祐一の掌が、わたしの頭を撫でてくれる。
懐かしい感覚。
今だけは、昔のままの、子供のふたり……。
かぐや姫の祐一に、わたしが渡すの。
ありったけの思いを、全部。
もう一度、始めるために。
月光に照らされた二人の影が、一つに溶けた。
ありがとう、月のうさぎさん。
気持ち、届いたよ。
気持ち、届いてるよ。
わたしの横の、お盆の上で、
生まれたばかりの小さな思いが、
いっぱい、いっぱい、はしゃいでいるよ。
みんなに気持ちを届けるために――――――
おわり
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