ちりん……
丘にたたずんでいた女性は、その小さな鈴の音に反応し振り向いた。
「相沢さん……」
そう呼ばれた青年は軽く手を挙げる。
「よっ、天野。随分と久しぶりだな」
「相沢さんこそ、どうしたんですか？今日は？」
「今日か？今日は報告だよ」
「報告？」
「ああ、結婚のな……」
その女性は多少驚いた表情をしたが、すぐに軽く笑みを浮かべると
「そうですか……結婚なさるんですね。おめでとうございます。相沢さん」
「ありがとう、天野。俺もいい加減二十代半ばを迎えた頃だし、いい加減あいつを安心させてやりたいと思ったからな」
「じゃあ、相手はあの方なのですね」
「当たり前だ。天野、俺を何だと思ってるんだ？」
「生粋の女たらし……」
「天野……何気にそれ、酷いぞ」
「冗談ですよ」
「はぁ……天野が言うと冗談に聞こえないんだよ」
そう、言いながら相沢祐一は、天野美汐の傍にしゃがみ込み、墓と呼ぶにはあまりに小さい積みあがった石に向かい
「よぉ、真琴……また来たぞ」
笑顔で語りかけた。
カナブン
「座らないか？天野」
「はい、じゃあ私も失礼して……」
既にあぐらを掻いて座っていた祐一に続くように美汐も青々とした草の上に座る。
「しかし、もう何年になるんだ？」
「今年で八年ですよ」
「八年か……思えば妙だよな。真琴が居なくなってから今までの八年間、未だにこの丘に来てるんだからな」
「そうですね……お互いにもう大人ですし……」
「俺は２５、天野も１２月で２４か……年をとったなぁ俺達……」
「相沢さん……そういうおじさんくさい事を言うのはやめてください。相沢さんはともかく私はまだまだ若いんですから」
美汐は少し不満気に祐一に訴える。
「それはどうか判らないぞ。女、２４過ぎればおばさん街道まっしぐらと言うらしいからな。天野もおばさんくさいじゃなく立派におばさんになりかねん」
「……相沢さん、怒りますよ」
「安心しろ、冗談のつもりだ。半分くらい……」
美汐は半ば呆れ顔で言う。
逆に祐一は手を頭の後ろで組み、幼い笑みを浮かべる。
すると、その動きに生じて”ちりん”と鈴の音がした。
「腕の鈴……それって……」
「ああ、これか。真琴が好きで、ずっとつけてた鈴だよ」
「今でもつけてたんですね」
「ああ、俺にとってこの鈴の音は真琴の鼓動みたいなものだったからな」
「鼓動……ですか？」
「ああ。真琴が唯一、物として俺に残してくれた……俺はその鈴の音……いや、鼓動を頼りに今までを生きてきた。真琴が居なくなって暫くは、これがなきゃ俺はどうかしてたんだ」
「…………」
「そのうちに、この鈴をつけていることが普通になって、今に至るんだけどな。それと、こいつのおかげで気付いたこともあるんだ……」
「気付いた事？」
「ああ……」
ちりん……
祐一はそう言いながら腕についてる鈴を軽く鳴らす。
「なぁ、天野……鈴の音、小さいだろ。これが、俺と真琴の恋愛だったんだ」
「相沢さん、よく言ってる意味が分からないんですが……」
「八年前、真琴が消えそうな時、俺はずっと真琴と共に生きる。そんなことをずっと思ってきた。そして、消えた時もそうだ。ずっと真琴のことを忘れないと思ってた。八年前に天野にも言ったけど、俺は真琴との思い出を胸に秘めてこれからを強く生きようと誓ったよな」
「はい……」
「でもさ、俺はいつしか別の人を好きになり、愛し、お互いを求めて体を重ねあって気付いたんだ。結局、俺と真琴の恋愛って所詮は子どもの恋愛なんだって。」
「子どもの……恋愛？」
「ああ。心の中では真琴のことを片時も忘れないと思っていても、あいつと一緒に街を歩いているとき、あいつと体を求めあった時なんかは真琴のことなんか考えていなかった。純粋にあいつのことだけを考え、愛していたんだ」
祐一は軽く息を吐くと、見上げていた視線を元に戻し
「所詮さ、俺って奴はそんなもんなんだって思ったんだ。いくら言葉では綺麗な事を言っても、どんなに忘れないと思っていても……結局、俺は弱くて……誰かの温もりが無ければ生きていけないんだ」
祐一の自嘲的な言葉を美汐は黙って聞いてた。
すると、祐一はその場から立ち上がり、腕につけてあった鈴を外すと、墓の前に置いた。
「相沢さんっ？」
美汐はその行動に驚きを隠せず大きく眼を見開いた。
そして、祐一はその墓をじっと見つめると
「真琴……お前との約束……この鈴と共にものみの丘に置いて行くよ。俺は別の女性と結婚する。だからもうお前のことを考えるのはやめる。俺は俺自身の道を歩く」
「相沢さん……」
「今日、ここに来た目的はこれだからな。極論で言えば真琴との決別……悪いな天野。あの時の約束護れなくて……俺は結局強くはいれなかったよ」
「いいんです。相沢さん……あなたは自分を卑下なされていますが、一人の女性を愛し、自分の幸せに向かって歩いています。これって立派だと私は思いますよ。過去の痛みをいつまでも引きずってる私よりはよほど立派です」
「……そうか。なんか少し引っかかるが、そう言って貰えると助かる……でも、これでようやく言えるな……」
祐一は一つ大きく息を吐き、墓に向かって
「さようなら、真琴」
そう言うと、立ったまま再び空を見上げた。
「相沢さん……泣いて……」
「いいや……やっと……やっと一つのけじめが付いたんだって……やっとこの言葉が言えたんだって……そんなことを柄にもなくしみじみと思ってたんだ」
「……相沢さん」
「ん？なんだ、天野」
美汐は祐一と向かい合い、右手を差し出すと
「これからも、頑張ってください」
笑顔で強く言い放った。
そんな美汐に祐一は力強い笑みで
「ああ、もちろんだ」
美汐の手を強く握り返す。
「じゃあ、相沢さん。私はこれで……」
「ああ、お前もいい加減いい相手見つけろよ」
「ムッ、余計なお世話ですよ」
美汐は少しムッとした表情で言うと、ものみの丘を跡にした。
「しかし、天野も可愛くなったもんだよな……あれで何故男が居ないのだろうか」
一人、残った祐一は小さくそう呟いた。
そして一つ、大きく背伸びをすると
「さてと……俺もそろそろ行くか。あいつを待たせるとうるさいし……」
祐一は墓のほうを向くと、優しい笑みを浮かべ
「じゃあな、真琴。また気が向いたら来るよ」
そう言うと、祐一も、ものみの丘を跡にした。
残されたものみの丘に小さな風が吹いて……
ちりん……
鈴の音が一つ……
それは、相沢祐一と沢渡真琴の小さな恋物語の終焉の音なのか……
それとも……
＜了＞
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