この街の夏
その景色はいつもの日常とは違ってみえた。
薄暗い空の下、いつもは閑散としたはずの場所が異世界に変身していた。
石路の両側に沿って並ぶ屋台、家の中の明りとは違う灯りが点々と並ぶ。
幸せそうな足跡、活気、人々が笑顔で通り過ぎる。
はじめてみるこの光景に――僕は圧倒されていた。
あれからもう何度目の夏が通り過ぎたのだろうか。
俺はあのときと同じ街の同じ夏祭りに同じ人物に誘われてここにやって来た。
普段は人が集まるようなところじゃない。
だけど毎年、この夜にだけ姿を変える。
出店が、灯りが立ち並ぶ。
家族連れ、カップル、仲のよさそうなグループ、いろんな人々が笑顔で通り過ぎてゆく。
あのときの俺とは違うからもうこの光景に圧倒されることはなかったけれど
それでもいつもとは違うこの雰囲気は感じることができた。
たまにはこういうのもいいな――と。
「ねぇ、祐一は何味がいい？ わたしはやっぱりイチゴかなっ。後でりんごあめも食べようね。
そういえばなんでりんごあめはあるのにいちごあめとかってないのかなぁ。あ、わたがしも必須だよねっ」
名雪の声で一気に現実感が戻ってきた。
まったく人が浸っているっていうのに、隣にいるのはいつもと同じの俺のいとこだった。
花より団子を文字通り体現している名雪は、かき氷のイチゴ味を買ったところだ。
「まぁ、名雪だし、そうだよなぁ」
「もしかして、ひどいこと言ってる？」
「そんなことはないぞ」
少し納得のいかない顔をしていたがかき氷を一さじ口に含むと名雪は笑顔に戻った。
「うーん、幸せ。かき氷はやっぱりイチゴだよねっ」
「なんでもいちごのくせに」
幻想のような空間でも名雪は変わらない。
今だって道行く女の子のように浴衣を着ているわけでもないし、髪を結っているわけでもない。
いつもと変わらない格好で、ただ夏だから薄着で肌をなかなか露出させた服を着ていたりする。
年頃の女の子が夏場になると刺激的なものでありまして……。
「何？ 祐一」
「いや、なんでもないっ」
と顔を背けた。
名雪の身体を眺めていたなんて言えなかった。
「変なの〜」
おまえってそういうの無防備だよな、と心中でつぶやいた。
ぽつ……、ぽつ。
ぽつ、ぽつ………………………………ざぁああああああああああああああああああああああああ。
夏の空は気まぐれな唐突の雨。
この神社に集まった人たちも、俺も名雪も各々に雨宿りをしていた。
「すごい夕立だな」
「あーあ。服がびちょびちょだよ〜」
雨音が続いている。
他に聞こえるのは名雪の息遣いだけだった。
２人だけの、この空気がなんとなく気まずい気がして何かしゃべることにした。
「そういえば、さ」
「ん、なぁに？」
「おまえはさぁ、みんなみたいに浴衣とか着ないのか？」
何気なく言った言葉だった。
いつもみたいに名雪ののほほんとした声が返ってくるかと思った。だけど違った。
「――え？」
声をあげたのは俺。
名雪が、いつもと違う目でこっちが予想しないような顔で、見つめていた。
「覚えてないの？」
――何が。とつぶやきかけてやめる。
その言葉の意味が全くわからなかったわけではなく、逆に何かを思い出そうとしていた。
「ええとね。ずっと前のことだけどね。
今みたいにここのお祭に来たこと覚えてない？」
それは、覚えている。
俺は、そのときまで祭りというものを体験したことがなかった。
俺が住んでいた地域ではそういうものはなかったのだ。
あの衝撃は記憶にはあった、けど――名雪の言うことまでは思い当たらない。
「あのときもこんな風に夕立がきて、
雨をしのげそうな場所まで避難したら、おかあさんたちとはぐれちゃって
二人だけでいたときに今みたいに話をしてたときに祐一が言ったからだよ」
名雪は少し頬に朱を散らして続けた。
「『俺は浴衣より普通の服のほうが好きだぞ。だって夏の女の人の服装って薄着だし』って」
解れていた記憶の糸が、少しずつつながってゆくのを感じる。
でも、それは――いや、そんなことよりも。
それはつまり、名雪が俺が言った言葉を覚えててこうしてくれたわけで――
かぁああああ、と耳が熱くなるのを感じた。
意識すると名雪の方をまともに見れない。
気にしてなかったのに、雨で透けた下着が目に入る。
名雪の柔らかそうな肢体がひどく女を意識させる。
何かを返せもせず、ただしびれたような恥ずかしいような感覚で全身が震えている。
名雪もうつむいていてこちらからは表情はわからなかった。
ただ無言で俺の手をゆっくりと握った。
俺も、その手を握りつぶさないように包むように握り返した。
「雨、やんだね」
「そうだな」
雨よけにしていた建物の屋根から名雪は飛び出した。
「……今度は泣いてないんだな」
「……？ 何か言った？」
「いや、なんでもないよ」
まったく都合のいいことだけ覚えてやがるんだから。
夕立が通り過ぎても僕のいとこの名雪は泣いていた。
秋子さんたちとはぐれてしまったし、全身は濡れてしまっている。
「うわぁあああん。浴衣なんか嫌いーーー」
慣れない浴衣と草履が歩きづらいと泣き出してしまった。
その姿をみて、幼いながらもこの子を守らなきゃって思った。
だから、僕はしどろもどろになりながらも名雪を慰めようとした。
もうめちゃくちゃで慰めにもなってなかったんだけど。
「そうだな、浴衣なんて良くないよな。
俺は浴衣より普通の服のほうが好きだぞ。だって夏の女の人の服装って薄着だし。
今度は普通の格好で来ようぜ」
本当は浴衣姿の名雪をすごく可愛いと褒めたかったのにそれができなかった。
いつもと違う名雪をみて本当はドキドキしていたんだ。
「今度は名雪の浴衣姿みてみたいな」
「浴衣より薄い服のほうがいいんじゃないの？」
なんていいながら自分で赤面している名雪。
こっちもあのとき慰めるために言ったなんて正直に返すのは恥ずかしかったので。
「年とともに嗜好は変わるというかなんというか。
浴衣も男のロマンのひとつだよ。
こう、腰の帯をくるくる〜って、がははよいではないかーーーっ」
なんて、あのときと同じく空回りしたもっとバカな科白しかでてこなかった。
「祐一はすけべだね」
しみじみ言われると悲しかった。
「でも、いいよ。
本当は新しい浴衣も持ってるんだ」
何年ごしになるのかわからないけど、今度こそは名雪の浴衣姿を可愛いと褒めてあげたい。
「でも、今度ってことは来年以降だよ？
わたしたちそのころ高校卒業してるよ？」
もう一度、俺は名雪の手を握って。
「来年以降もずっと名雪といっしょに居たいってことだよ」
「……嬉しい」
名雪ももう一度握り返して。
「じゃあ、また来年もこよう」
二人で指切りをした。
ひゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜……どおおん！
ひゅ〜〜〜〜〜……どぉん！
ぱん！ぱぁん！どん！どん！どん！
花火がはじまったみたいだ。
空に様々な色で浮かんでは消える花火を無言で見つめていた。
その景色はいつもの日常とは違ってみえた。
薄暗い空の下、いつもは閑散としたはずの場所が異世界に変身していた。
石路の両側に沿って並ぶ屋台、家の中の明りとは違う灯りが点々と並ぶ。
幸せそうな足跡、活気、人々が笑顔で通り過ぎる。
はじめてみるこの光景に――僕は圧倒されていた
闇の中、閃る花火に僕は吸い込まれそうになった。
「この街の夏はどう？ 祐一」
「うん。いいよ。
すごく、いいと思う」
花火を見て笑顔になる人々。
いつもとは違う独特の雰囲気。
それらはもちろんすごくいい。
けれども、名雪が隣に居てくれるから。
この街の夏も、秋も、冬も春も。
どんな季節でも好きになれる、そんな気がして夏の空に祈りを込めた。
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