『Wait』
些細な出来事に、何か大きな見返りを求めるわけではないけれど。
誰かにとっては些細でしかない出来事も、私にとっては大切な思い出で。
でもただの思い出にして終わってしまいたくなくて、私は今この場所にいる。
「ちょっと風が冷たいかな」
私は誰もいない学校の中庭で一人呟く。
今はまだ授業中、この場所に誰かこの学校の生徒が現れることは無いと思う。
私もこの学校の生徒だけれど、ここに来たのはたった一度だけ。
別に学校をサボったりしているわけじゃない、これも全て病気のせいだ。
病名はなんだか難しい名前だったということだけ覚えている。
どうやら私は次の誕生日まで生きられないかもしれないらしい。
本当は今も病院へいなくてはいけないんだけど、
『残り僅かな時間でも自由にさせてあげよう』
と、言うお医者さんや両親の計らいなのか私は少し前から家に戻ることを許された。
傍から見ればそれは私にとって幸せなことに映るのかもしれないけれど、
私には余計に自分の命が短いものなんだと感じてしまって嬉しくなかった。
何故私はこんな弱い身体に生まれてきてしまったのか、そう思ったこともあるけれど。
両親やお姉ちゃんの気遣いがその嫌悪感を忘れさせてくれた。
それはとてもとても嬉しくて、幸せなことだったけれど、
自分の死期が迫っていることが何一つ変わらない現実にその幸せさえも苦痛に感じた。
私は視線を時計へと移し時間を確認した。
どうやら四時間目の授業はまだ終わらないらしいあと数十分はあるようだ。
「あと少し…」
私は呪文のようにその言葉を唱える。
昨日であったあの人は、私のことに気付いてくれるだろうか？
約束の無い待ち合わせ、相手が来なくても当然だなと思う。
それに相手は私のことを覚えていてくれるかもわからないような人。
でも私は待ち続ける、私の自殺を食い止める何かを与えてくれた人だから。
ガチャ
不意に中庭へ通じる校舎の扉が開く音が響いた。
もしかしたら学校の先生に見つかってしまったのかもしれない。
そうだとしたら私は家に帰されるのだろう、だが中庭へと現れた人影は先生ではなかった。
中庭へ現れたのは先生ではなくこの学校の生徒だった。
今はまだ授業中なのに何故だろう？
リボンの色からして多分三年生、私よりも二つ上の学年の先輩だ。
その先輩は身長も私よりも高くて、長く綺麗な黒髪を後ろでリボンで束ねていた。
「そんなところで何をしているの？」
目の前の見知らぬ先輩は不意に声をかけてきた。
その声は何となく怖いような、ぶっきらぼうな物言いだった。
「えっと…」
私は言葉に詰まってしまった。
ただ素直に人に会いに来た、と言ってもなんだか嘘みたいに聞こえてしまいそうな気がしたから。
「誰かに会いに来たの？」
先輩は私の言おうとしたことを察したかのように口にした。
私は説明しようにも上手く言葉に出来なかったので素直に「はい」とその言葉に頷く。
何故この先輩は授業中なのに私のところに来たのだろう？ そのことばかりが頭の中を通り過ぎてゆく。
私が先に続ける言葉にその問いを投げかけるかどうか悩んでいると、
先輩が私から視線を外し少し俯き気味な姿勢で口を開いた。
「いくら待ったって、待ち人は来ない」
私は突然の先輩の言葉に微かに怒りを覚えた。
何故初対面の人にいきなり私の行動を否定されるのか、納得がいかなかったからだ。
何か言い返してやろうかと先輩に睨むようにして視線を向ける、
すると先輩は何故か悲しげな表情で先程と同じように少し俯き加減に地を見ている。
どうしたのだろう？ 私は先程浮かんだ怒りの感情を胸にしまって先輩に話を聞くことにした。
「何かあったんですか？」
先輩は顔を上げると話すべきかどうか一瞬悩むような表情を見せると
「子供の頃の話だけれど…」と過去の出来事について語り始めた。
詳しくは話してくれた内容からじゃわからないけれど、
先輩は子供の頃、まともな友人が殆どいなかったらしい。
原因はよくわからないけれど同い年の子達はみな先輩の元によって来る事がなかったらしい。
稀に仲良くなる友人がいてもその友人は先輩の事を恐れてか逃げてしまったようだ。
でも先輩の事を恐れずに普通に接してくれた男の子がいたという事を話してくれた。
何故先輩は恐れられたりしたのか？ 私にはすこし理解できなかった。
私もさっきまでは確かに先輩のぶっきらぼうな話し方とかから少し怖わそうだなと言う印象を受けたけれど。
過去を語る最中の普段抑えている感情を露にするような先輩の姿は真剣そのものだった。
感情を露にすると入っても本当に微かな変化でしかなかったけれど私にはなんとなくそう伝わってきた。
だからこの人は一見怖い人に感じたけれど根はとても良い人なんじゃないかな、と思えるようになっていた。
『先輩は何故恐れられたりしていたんですか？』と聞いてしまいたい衝動に駆られるけれど私はそれを抑えることにした。
さっきの話の中で詳しく話してくれなかった辺りからして、多分先輩にとってその話はあまり好ましい話ではないんだと思う。
もし話したくないことなら聞いてはいけない、聞かないほうがいい。
だから私はそのことについて深く追求することはなく先輩を恐れることなく接してくれたと言う男の子について聞くことにした。
すると先輩は少し悲しそうに再び語り始めた。
「私は友達と遊ぶこともなく一人で麦畑に来ていた、
そこには殆ど人が来ることもなくて自分を嫌う人たちもいなかったから。
ある日そこに一人の男の子が現れた、それがさっきの話の男の子。
その男の子は私のことを恐れたりすることもなく接してくれて、それからは毎日のように遊んだ。
だがその楽しい日々にも終りが来た。
その男の子はこの街の子ではなくて夏休みを利用して親戚のうちに来ていたらしい。
だからある日、夏休みが終わるからもうこの街にいられない、言ってこの街を去ると言った。
私はその翌日無理とはわかっていながらもその男の子に電話をかけた『いつもの遊び場にきて欲しい』と
私は待ちつづけた、でも男の子が来ることはなかった、あの男の子は私の元から逃げた、他の子と同じように逃げた…」
そこまで話すと先輩は口を噤んだ。
私はようやく先程の先輩の言葉の意味を理解できた気がする
『待ち人は来ない』という言葉の意味が。
先輩は待つことの辛さを知っているんだ、だから私にこう言いたかったんだ。
『来ると信じなければ裏切られることも傷つくこともない』と。
だから先輩はこの場に来たのだろうか？
誰かを待ちつづける私にその言葉を伝えるために。
不意に時計へ視線を向ける、とそれと同時にチャイムが鳴った。
四時間目の授業の終了を告げるチャイム、私の待ち人は来ないのだろうか？
あの人は来てくれないのだろうか？
私は先輩の言葉を理解しながらも、それを否定したいと思う自分がいるのを感じる。
裏切られると…、それを前提に置いたとしても…、私は来てくれると信じたかった。
ガチャ
先程のチャイムから暫しの時が流れ再び校舎から中庭へ続く扉が開き
「舞〜、授業サボっちゃだめだよぉ〜」と女の子らしい可愛い声が中庭へ響く。
どうやら今入ってきた人も三年生らしく、先輩の事を呼んでいるようだ。
「佐佑理…」
先輩は自分を呼ぶ声に気付くと小さく今入ってきた先輩へ声をかけた。
どうやら先輩は『舞』と言う名前らしい、そして今入ってきたのは『佐佑理』という名前なんだと私は理解した。
ガチャ
佐佑理先輩が入ってきたすぐ後に再び扉の開く音が中庭へ響く。
「あれ？ 舞、佐佑理さん？ それに昨日の女の子？」
今度はいってきたのは男子生徒だった、どうやら目の前の先輩二人と面識があるらしい。
その人は私が昨日出会ったあの人…、私の待ち人…。
「佐佑理、すぐに戻るから先に行ってて」
「あっ、うん、わかった中で待ってるから」
舞先輩は佐佑理先輩に先に戻るように言うと私の元へ歩みより、口を開いた。
「叶う願いが十あれば、叶わぬ願いも十あると、全ては対であり、あなたは光で私は闇なのかもしれない…。
あなたの待ち人は来た、だからあなたは私のようにならないで。
そして…、願いが叶ってもそれは必ずしも幸せではないという事を覚えておいて。
私はさっき話した男の子に会うことはできたけれど。
それは決して幸せなんかじゃなかった…」
舞先輩は最後にそう言い残すと今度は私が昨日出会ったあの人に元へ行き何かを一言告げると校舎へと戻っていった。
私の願いどおり、私の待ち人は現れた。
だがそれを先輩は必ずしも幸せではないと言う。
それがどうしてなのかはわからない、でも今私は幸せだ。
幸せの始まりは、残酷な結末への序曲かもしれない。
それでも私は信じたい、HappyEndがあることを、それが訪れてくれることを。
どんなにそれが愚かな行為で、後に自分が傷つく行為だとしても。
今と言う時を精一杯行きたいから、先の事なんて今はどうでもいい。
私は…、今だけを見て歩いてゆこうと思う。
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