SSこんぺ No.051 : 待つ女

待つ女

俺がこの地に戻って来てから色々あった。
自分でも驚くほどの出来事――――――――――ここに戻ってくるときには想像もつかないようなことが次々と起こり、俺を翻弄していった。
だが、今となっては良い思い出だ。
どれもこれも、全てが俺の心に刻まれた大切な宝物になっている。
不快なことも少しはあった、泣きたくなるほどの―――――――――実際泣いたことだってあった。
でも今では笑える思い出。
あの時の辛さを、苦しみを悲しみを乗り越えて今のこのかけがえのない大切な時間を手に入れたんだ。
俺を支えてくれる大事な人も、俺の横にはいてくれる。
子供っぽさは全然抜けていないが、俺と２人きりになった時だけは精一杯背伸びをして俺のことを「あなた」なんて呼んでくれる。
料理なんかも覚えてくれた。
名雪や秋子さん、そしてあいつから真剣に学んでいた成果は今、一つの惣菜を任されるまでに上達していた。

「これも愛の力よねっ」

そういうあいつがくすぐったくも愛しくて、俺は自分の幸せをかみ締めている。
「真琴」
「なーに？・・・・あなた」
２人きりの部屋で、狭くもないのにべたべたとくっついて。
まだ春先だっていうのに全然寒さを感じなくて。
幸せな時を過ごしている。

「・・・祐一」
珍しく名前で呼ばれた。
「なんだ？」
「あたし、こんなに幸せでいいのかな」
変なことを言う奴だな。
「どうしたんだよ急に」
「・・・今日ね、学校の帰りに美汐の家に行ったの」
そういえば今日は料理を教えてもらう日だったな。
因みに明子さんの計らいで真琴は学校に通っている。
そして神様の計らいだろう、偶然にも天野と同じ教室でそれも席が隣らしい。
きっと誰も知らない相手だと大変だっただろう、そういう意味でも本当に神様の計らいかもしれないと今でも思う。
「今日は何を教えてもらったんだ？」
「はんばーぐ！誉められちゃった！」
ほう、そりゃ楽しみだな。
「で、後のピザも美味しかったんだよ！」
料理の勉強が終わると決まってピザを食べるらしい。
「今日は何だったんだ？」
「蟹が乗ってたの！」
「ほう、それは美味そうだな」
「うん！すっごい美味しかった！」
この分だとピザの勉強も近いうちにしてきそうだな。
「・・・でね、美汐・・・・ずっと待ってたの」
待ってた？
「何を待ってたって？」
「あのね・・・・・」
真琴は遠い目をした。
言いにくいことなのかもしれない。
「言いたくないなら無理に言わなくてもいいぞ」
「・・・・・・・・・ごめん」
辛そうな顔をして俯く真琴の髪を優しく撫でてやる。
「・・・・えへへ」
嬉しそうに笑顔を見せる。
「それ見てたら、胸がきゅんってなった」
悲しそうな顔。
普段は見せない顔だった。
俺以外には誰にも見せたくない顔だ。真琴は笑顔がいいんだから。
「・・・・天野は何を待っているんだろうな」
表情を変えさせたくて肩を抱く。
顔が少し明るくなって、笑った。
「・・・・あたしにもわからないの」
でもいつも、何かを待つように窓の外を見ているらしい。
真琴も本当は聞きたいらしいんだが、その顔を見ているととても聞こうという気にはなれないと言う。無理もない。
俺も天野の辛そうな表情は一度見たことがある。誰だってあの顔を見たら何も言えなくなってしまう。
「ねえ祐一。あたし美汐の手伝いしたい。一緒にずっと待っててあげたい」
「・・・・・・・やさしいんだな、お前は」
向きを変え、正面から真琴を抱きしめる。柔らかな髪から言い香りがした。
「お前が好きなようにすればいいよ」
言って髪を撫でる。
「・・・・・・・・・・・・美汐にも祐一がいればいいのにね。そうすればきっとあたしみたいに幸せになれるのに」
「・・・・・残念ながら俺はお前専用限定品だ」
「・・・うん。祐一はあたしだけのものだよ・・・それであたしも、祐一だけのものなの」
幸せは分かち合うものだ。
お前にだってきっとその日が来るさ、天野・・・・・・・

それから数日後、俺と真琴は天野の招待を受けた。
その場所は―――――――――――――――――ものみの丘。

「ようこそ相沢夫妻。歓迎しますね」
悪戯っぽく笑う天野。
立っているのは大きなマットの上。
緑の絨毯のような周りと比べても見劣りしない濃いピンクのマットだ。
「おじゃましまーす」
言って真琴を靴を脱ぎ、ちゃんと揃えてから座る。
「・・・・お邪魔します」
俺もちょっと戸惑いつつ、真琴に続いて靴を脱ぎ、揃えて真琴の横に座った。
「それで、今日は何のお招きなんだ？」
大きな鞄から紙コップを取り出している天野に聞く。
「暖かくなってきましたから、気分を変えて外で食べようと思ってたんですよ。でも一人じゃ寂しいじゃないですか」
言われて複雑な感情がよぎる。
「それも、そうだな」
「一人より三人の方がずっといいよ」
真琴が嬉しそうに言って、紙コップにペットボトルのオレンジジュースを注いでいく。
「はい祐一」
「・・・・・・俺は大吟醸じゃないと口にしないんだ」
「それお酒でしょ？」
「相沢さん、ここはアルコール禁止です」
「残念だ」
真琴の言葉を気にしすぎていた自分に気付いて苦笑する。
普段どおりでいい。
場所が場所だけにちょっとナーバスになっていたようだ。
「・・・・・・・・・・・・・ぷはー、これ効くなあ天野。何％だ？」
「え？ええ？美汐、これお酒だったの？」
「相沢さんは酔ったふりしているだけよ」
「いや、美人二人に酔いしれているんだ」
「・・・・祐一、おやじくさいこと言わないでっ」
「ふふふふふ・・・・」

しばらくそうやって騒いでいるうちに真琴ははしゃぎすぎたのか眠ってしまった。
「すー・・・・・・・」
頬を触ると気持ちがいいのでさわさわと触れていると、天野が立ち上がった。
そして何とも言えない表情で来た方を眺めていた。少し落着かない感じに見える。
視線の先は道がある、やはり天野は・・・・・・
「天野？」
「・・・・・・・・あ、すみません。いいですから真琴のそばにいてあげてください」
視線をこっちに向けずに言う。
心ここにあらずといった感じで。
真琴が言っていたのはこの状態なんだろう。
「天野・・・・お前は」
「・・・別につらいわけじゃないですよ。私だって諦めたわけじゃありません。奇蹟は均等に与えられるって信じてますから。私も決めたんです。相沢さんが真琴を笑顔で待っていたように、私も笑顔で待つことに決めたんです」
その顔は本心から見せたと俺でもわかるように輝いて見えた。
「・・・まあ一人で待つこともないだろう。俺も、真琴もいるんだしな」
立ち上がって天野の肩に手を乗せる。
「・・・そうですね。笑いながら待てそうです。それに・・・・」
「それに？」
「もう一つ嬉しいこともありますから・・・真琴、起きて」
「？」
もうひとつ？
「・・・・んー・・・・どうしたのぅ？」
「真琴が料理の勉強をしに来る時に終わったらピザを食べるんですよ」
それは知っている。
「この間相沢さんに蟹のピザを食べた話をしたら食べたそうにしていたって真琴が言っていたので頼もうと思いまして」
「それはありがたいが」
話が見えないぞ。
「ですがただでさえうまくいかないで払わされているのにこの上サイズを大きくしたら私の財源が破綻してしまいます」
「まあ、そうだろうな」
毎週自腹でピザのデリバリーなんか頼んでいたら高校生の財布はすぐ空になる。
「だから、ここにしてみました」
「？」
わからん。
「聞こえませんか？」
その言葉に反応して耳に意識を集中させる。
聞こえてくるのは・・・・バイクの音？と思ったら音が止まった。
「ちょうど今３０分過ぎた所なんですよ」
気のせいか、笑顔が狐に見えた。
「あー、ピザの配達さんだー」
真琴弾んだ声で現実に引き戻される。
いつも通りの天野の顔だった。
「・・・・・・ふう・・・ふう・・・・す、すみません・・・デリバリーピザで・・・・・あ！相沢！」
「き、北川？」
トレーを持って必死の形相で走ってきた配達のあんちゃんはよく見れば見飽きた顔のクラスメートだった。
「お、お前か！妙な入れ知恵したのは！ずるいぞちくしょう！」
「な、ちょっと待て、俺には何がなんだか話が全然見えないぞ？」
とか言いつつ「最近ピザ屋のバイト始めた」と言っていたのを思い出す。
「あの、すみませんがなるべく暖かいうちに食べたいので・・・・・」
困っている俺と興奮している北川の間に割って入る天野。
「・・・・・・・この借りはいつか返してもらうぞ相沢」
だから俺は関係ないと言っているだろうが・・・・
「えー、ご注文いただきましたシザースペシャルですが、制限時間の３０分以内にお届けできなかったのでご料金はいただきませんのでこのままお召し上がりください。本日は大変申し訳ございませんでした！」
なるほど、そういうことだったのか。
つまり自腹切れないけどどうしても食べさせたかったから確実に時間内に届けられる自宅よりもこの場所を選んだわけだな。
それで今さっきまで妙にそわそわしていたのか。
天野に頭を下げた後トレーを差し出し、俺をもう一度睨んで北川は帰っていった。

「さあ、食べましょう」
「あたし蟹が多い所がいい！」
「はいはい」
平然とピザを分けている天野を見て思う。
これだけ図太ければきっと大丈夫だろう。
本当に笑って待てるな、天野は。
これで待っている相手が帰ってきたらどんな笑顔になるんだろうな。
「はい祐一」
「お、サンキュ」
三人の前にピザが並ぶ。
「いただきます」
「いただきまーすっ」
「・・・いただきます」
蟹は確かに美味い。
だがそれ以上に美味いと思わせたのは多分この居心地のいい空間だったからだと思う。
愛する真琴と大切な友人の天野、そして俺。
三人で「美味い」と言って笑う、その場。
食べ物に春というものがあるが、それは幸せな時間にもあると思う。
いつ帰って来るかわからない天野の相手に心の中で忠告する。
旬なうちに帰ってこないと大損するぞ。
だってこんないい時間がいつまでも続くとは言い切れないんだからな。
「な、天野」
真琴の頬についた糸状の蟹の切り身を取って俺の口に入れながら天野に言う。
天野は一瞬きょとんとした顔を作ったが、すぐに
「はい」と言って微笑んだ。
それは早く帰りたい、そう思わせる強烈な笑顔だった。

おしまい

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