果たされる約束
「うわあ・・・・・」
風に舞う、桜吹雪。
舞い上がり、そしてはらはらと降りてくる。
その様子は白い雪の降りしきる冬の日に似ているけど、だけどずっとずっと暖かくて嬉しいもの。
別に雪が嫌いってワケじゃない、だけど、ボクにとって、この春は特別だから。
「お〜い、あゆ〜」
あ、祐一くんがボクを呼んでる。探してる。
「うん、こっちだよ、祐一くん」
ぶんぶんと手を振って、
ボクは大好きなあの人のところに走り出した。
果たされる約束
「おめでとう、月宮さん」
「元気でね、あゆちゃん」
祝福の声を受けながら、ボクはこの場所を後にする。
七年間、ずっと、過ごしたこの場所。
病院という、この世界から出て、外に一歩踏み出す。
怖い。
変わってしまったボク。長かったはずの髪の毛もいつの間にか短くなっちゃって、あの赤いカチューシャもこれじゃあ、つけられない。
ずっと大切にしていたもの。
病院に初めて運ばれた７年前に、意識のないはずのボクの手に、しっかりと握り締められていたって・・・
カチューシャを手に取って、ぎゅっと目を瞑ると浮かんでくる男の子。
あの時、大好きなお母さんを失って、もう一人ぼっちになって、笑うことが出来なかったボクに、もう一度笑う勇気をくれた男の子。
でも、いまさら、外の世界に行ったって、あの子には会えないんだよね。
それなら、どこにも行かず、ここで一人でいたかった。
だけど・・・
「さあ、行きましょうか、あゆちゃん」
にっこりとボクに手を差し伸べてくれた人。
やさしく笑いかけてくれた人。
その手のぬくもりが温かくて、
嬉しくて。
お母さんみたいで。
「うん」
ボクはその人の笑顔に答えるようにうなずいて、
七年の空白の時を埋めるために、初めて外の世界への一歩を踏み出した。
「ただいま」
「お・・・おじゃまします」
水瀬秋子さん、そう紹介されたとき、ボクはこの人をどこかで見たような気がしていた。多分、以前にあったことがあるんだって、そう思った。
だけど、秋子さんはボクに会うのは初めてだっていうから、気のせいだとは思うけど。
でも、なんとなく秋子さんが優しい人だって事がわかって、ボクのことを心配してくれている気持ちがすごく伝わってきたから。
一緒に暮らそうと言ってくれたときはすごく嬉しくて。
そして今、秋子さんの家におそるおそる入ろうとしている。
と、
「んニャア〜」
ぴょん、とボクに向かって飛び乗ってくる小さな影。
「えっ・・・あっ・・・」
慌ててその子を胸に抱える。と、
「待ちなさいよう」
「ぴろ〜、ぴろ〜」
そんなあわただしい声が聞こえて、
その、前から向かってきた声に反応して顔を上げたとき、
がん
ごちん
「うぐう〜」
「あう〜」
「んにゅ」
何かと勢いよくぶつかった時に、目から火花が出るって、本当だったんだ。
ちかちかする視界とずきずきと痛む頭をさすりながら、前を見る。おもわずへたり込んじゃったからお尻が床についちゃって冷たい。
「大丈夫か〜」
そこにかけられた声に顔を上げると、差し伸べられた手が目の前にある。
「うぐう・・・・あんまり大丈夫じゃないかも・・・・」
少し涙目で、だけど遠慮なくその手を取って、立ち上がる。
「よいしょっと」
そんな女の子を起こすにはすごく失礼な声で。
「祐一、私達は起こしてくれないの？」
先ほど突進してきた二人の女の子のうち、背の高い女の子がそう言った。
「加害者には同情してやらん」
だけど、笑いながらそんな意地悪をしている男の子。
「ゆういち、くん？」
覚えている。
あの頃大好きだった男の子の名前。
もう会えないと思っていた男の子の名前だった。
だけど・・・
「そんな偶然、あるわけないよね・・・」
うん、そんなはずないから。
「ありがとう。え・・と、祐一君」
「いや、なんてことはないぞ、あゆあゆ」
「・・・うぐう、あゆあゆってボクのこと？」
初対面のはずなのに、この人には全然遠慮とかものおじとかそういう言葉とは無縁みたいだった。
「他にあゆあゆはいないからな」
「ボクの名前は月宮あゆ、だよっ！！」
一瞬でもあの懐かしい男の子かも、って思ったのに。ボクの知っている祐一君は変な子だったけど、優しかったもん。女の子に意地悪するような子じゃなかったもん。
「ごめんね、えっと私は水瀬名雪。名雪でいいよ」
「あ、はい。ボクは月宮あゆ。あゆって呼んでください」
「そしてコイツは殺村凶子。あゆあゆにとっては居候の先輩だな」
祐一君がもう一人の女の子を指差して言う。
「ちがう〜。コイツの言うことなんて聞いちゃダメだからね〜！！」
わ、何だかすごく怒っているみたい・・・
「あ、あの、月宮あゆです。えっと・・・・」
「真琴。沢渡真琴、よ」
名雪さんの後ろに隠れるようにして、その子は名乗った。多分ボクより年下だと思うけど、なんだかすごく大人っポイ目つきをしている女の子だった。
「あらあら、もう皆さん仲良くなってしまいましたね♪」
それまで黙って見ていたらしい秋子さんがそんなことを言う。
「あう〜、違うわよう。祐一となんて仲良くならないもん」
「それじゃあご飯にしましょうか。名雪、手伝ってくれる？」
真琴ちゃんの言う言葉をさらりと流して秋子さんは台所に向かい歩いていく。
「うん、じゃあ、あゆちゃん、ごゆっくり」
そして名雪さんもそのまま行ってしまう。取り残されたボクの前にいるのは真琴ちゃんが祐一くんをけん制するかのようににらみ合っているところで。
「祐一だって居候じゃない！」
「確かにそうだが、おれはちゃんと学校へ行って勉強するという仕事をこなしているからな」
「わ・・わたしだって、ちゃんと保育園行ってるもん。働いてるんだから」
「ああ、そうだったな、園児に遊ばれているんだったな」
「あう〜、違うわよう、遊んでやってるんだもん」
ぽんぽんと言葉を投げあうその中で、ボクはどうすればいいんだろう？
「うぐう・・・秋子さんも名雪さんもマイペース・・・」
この空気に動じない二人を尊敬してしまう。
とにかくも、こうしてボクは水瀬家居候として迎えられた。
なんて言うか、一日目からもう波乱の幕開けだったけど。
「どうした？」
祐一君の声でボクは我に返った。
「あ、祐一君」
「気分でも悪いのか？ だったら無理に外を出歩かないほうがいいぞ。なんだかんだ言ってもお前はまだ病み上がりなんだからな」
祐一君の心配が、すごくあったかいものが、そのまま胸の奥にことり、と音を立てて転がり込んできてくれたようで嬉しかった。
「あのね、ボク、祐一君に初めて会ったとき、初めて会ったって気がしなかったんだ。秋子さんも名雪さんも。どうしてかわからないけど、この人たちはすごく優しい人達だってわかって、一緒にいる、ただそれだけで安心できたんだ。」
祐一と秋子さんと名雪さんと真琴ちゃんと。
水瀬家の暮らしは本当に温かくて、
ボクが７年前に一度失ったものを、また神さまが与えてくれたような気がして。
「なあ、あゆ。夢って、見るか？」
突然、祐一君がそんなことを聞いてきた。
「夢の中であゆと俺がさ、楽しそうに笑ったり、泣いたり、そんないろんな事を一緒にしている、そんな夢」
びっくりした。
だって、それはボクが最近見る夢と同じだったから・・
「うん、ボクも見るよ。祐一君と一緒に映画を見に行ったり、祐一君とタイヤキを食べたり・・・楽しいことも辛いこともあるけど、だけど幸せな、そんな夢」
現実じゃないかな、と思えるくらいリアルな夢。だけど、ボクが水瀬家に来てからの記憶であるわけが無いし、それまでボクは７年間ずっと眠っていたはずだから、そんなこと出来るわけ無いのに。
「俺も見るな。タイヤキ抱えたあゆあゆが、俺に向かって駆けてくる姿ははっきりくっきりと目蓋に浮かぶぞ。」
そういって、祐一君は目を瞑る。うぐう・・・なんだかひどいよ、祐一君・・・
でも・・・どうしてだろう。
ボクにもわかるよ、ボクはここを走り抜けて・・・
祐一君の背中を見つけて、嬉しくて、
何も考えられないままただ抱きついていたんだって。
「俺にとっては辛い夢だったな。なにせ後ろからの体当たりを何度食らったかわからないくらいだからな」
「ひ、ひどいよ、ボク、体当たりなんかしてないもん！！」
抗議しながら思った。
なんだか不思議だなあって。
二人で話しているのは夢の話なのに。
でも、ボクも祐一君も、夢じゃなくてほんとにあった話みたいに二人で楽しく笑ってる。
もしかしたら、これはほんとの話なんじゃないかなあって、
それはなんだかおかしなこと、だけど。
祐一君が笑っている。
ボクも笑っている。
なら、いいよね。
夢の話だけど、でも辛いお話じゃないなら、それで。
「さ、帰るぞ、あゆ」
差し出された手をしっかりと握り締めて二人で家までの道を歩く。
温かい手がすごく嬉しくて、ボクは今幸せなんだって、そう感じた。
二人が手を繋いで駆けていくその姿を見て。
私はようやく、約束を果たしたような気がしていた。
七年前に失った人。
私があの人を失ったとき、幼い、名雪と二人取り残された時に、力になってくれた親友のこと。
そして、最後に彼女から託されたあの子のことを、きっと私が幸せにしてあげる、と。
あゆちゃんはあなたに良く似ているわ。明るくて、元気で、人を幸せにさせてくれる、そんな女の子。
雪が溶けると春がやってくる。
それは、新しい季節、そして、二人が出会った季節。
奇跡を起こしたのはきっと彼女があゆちゃんを見守っていてくれたから。
だから、私も祐一さんも、あの子にめぐり会えたのだと、信じてるから。
"秋子、あの子はきっと泣いていると思うけど、私はもう何もして上げられないから。だから、お願い。あの子の涙を拭いてやって。溶けない雪が無いように、あの子の悲しみもいつか思い出に変わる。そのとき、暖かい春が来ていれば、きっとあの子も笑顔を取り戻してくれるから"
結局、私はあの約束を守れなかった。あゆちゃんに笑顔を取り戻させたのは祐一さんだったんだから。
だけど、これからのあの子の笑顔を守っていくこと。それは私にも手伝うことの出来る約束だと思うから。
「・・・了承」
あの人に届いてほしいという願いを込めて、
私はその一言を呟いた・・・・
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