何でもない土曜日のこと。
それは、ある土曜日の放課後のこと。
俺は北川のにやけた声で目覚めた。
「相沢ー」
「んだよ北川」
苛立たしい。
なんが哀しゅうて北川の声で目覚めにゃならんのだ？
殺気を込めてじろりと睨めば、
「見てみ」
北川はちょい、と教室の出入り口を指さした。
「・・・舞？あいつ何やってんだぼへーと突っ立って」
舞は誰かに声をかけるでもなく、ただ突っ立ってこっちを見ている。
・・・用があれば呼べばいいのに。
仕方ないなと苦笑して、舞の元に向かう俺に絡みつく腕。
「そりゃぁ君のお出迎えに決まってるじゃないか相沢君」
・・・北川だ。
「やめい」
きりきりきりきりと首を絞めてきやがった。
「ああもぉ羨ましいったりゃありゃしねぇぜコンチクショウ！？」
更に力を込めてきやがる・・・
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・！
「やめいちゅーとるんじゃこのボケがぁっ！」
「ぐはぁぁあっ！？」
はぁはぁはぁはぁ・・・無駄な体力使わせやがって・・・
ははは、正義は勝つのだっ！
・・・ってんなことしてる場合じゃ無いっ！
って駆け寄ったんだけど。
「舞？」
「・・・・・・」
あ。涙目でこっちを見てる
あー。
何だか嫌な予感だぞ？
じわ、と舞の目が潤んできて・・・
「ぐしゅぐしゅ」
「わぁっ！泣くなぁっ！」
泣いてしまった。
「相沢ぁ、酷い奴だなぁ」
「川澄先輩、可哀相・・・」
・・・好き勝手言ってやがる。
「・・・川澄先輩、もっと怖いと思ってたけど・・・」
「なんか、可愛いよね？」
・・・・・・拙い。
なんだか非情に拙い。
「あ、舞、さぁすぐに移動しようなっ！？」
で、舞の手を引っ張ってそれこそ『神の領域」』に突入して・・・
やっと校外に出た俺だ。
つくづく心臓に悪いんだけど・・・
でも、なんで声を掛けないんだ？
「あのな、舞。用があるなら声かけりゃいいんだぞ？」
苦笑しながらこう言うと、
「・・・どう声かけたらいいか分からない」
・・・やれやれ。
「んなもん普通でいいんだ普通で。
佐祐理さんに声かけるみたいにすりゃいいんだよ」
俺の言葉に舞は、こく、と無言で頷いたものの。
「でも・・・祐一、楽しそうだった。
私がいるの、気付いてたくせになかなか来てくれなかった」
あ。
また涙目。
「ぐしゅ・・・」
あああっ！何か別の話別の話・・・
・・・・・・あれ？
いつもならこんな時にフォローを入れてくれる佐祐理さんが居ないぞ？
・・・むぅ。
「あれ？佐祐理さんは？」
「・・・ぐしゅ。佐祐理は、部屋探し・・・ぐしゅ」
・・・おお。
そう言えば舞と佐祐理さんはここを卒業したら一緒に住むんだったな。
その準備か。
・・・あれ？でも舞はなんでここにいるんだ？
佐祐理さんと一緒に部屋探ししても良さそうなもんだけど。
「舞は佐祐理さんと一緒に行かなかったんだな？」
とりあえず訊いてみる。
「・・・祐一が一緒に行こうって言ってくれてたから・・・ぐしゅ」
一緒に行く？どこに？俺なにか約束してたっけ？
「・・・動物園」
おお！そういえば「今度の土曜日、動物園に行こうなー」と言った気がしないでもない。
それで迎えに来たのか。
・・・自分も佐祐理さんについて行こうか、それともどうしようかって悩んだんだろうなぁ。
でも、佐祐理さんが言ったんだぞ、多分。
『あははー、舞、駄目ですよー。もっと我が儘にならなきゃ。
だから、今日は祐一さんとお出かけしてらっしゃい？』
とかな。ああ、その風景が目に浮かぶようだ。
でも・・・
なんだか、
嬉しい・・・かな？
俺も・・・舞と一緒にいたいんだし。
「祐一」
あ。真面目な顔。
でも涙目なわけで・・・ドキッとしちまった。
「・・・駄目？」
「駄目なわけないじゃないか」
あ。
やっと笑った。
と思ったら。
「すぐに行く！」
いきなり俺の手を掴んで走り出しちゃった。
引きずられる。引きずられていってるね俺！
じゃなくて！
「待て待て待て待て！」
「嫌、待たない」
そこまで楽しみにしてたのか？とはいえこの状態はかなり辛い。
「だから待てってのに！」
「待たない」
ふぅ・・・仕方ないなぁ。
溜息一つついた後、俺も全力疾走開始。不本意なのだが（本当に、心から不本意なのだが）名雪との朝の特訓（名雪の寝坊に巻き込まれたが故の全力疾走の毎日、とも言う）は伊達じゃない。
実際、舞と同じくらいの速度の維持程度なら苦にもならないし。
でも、だからといって名雪の寝坊を容認する気にはならない。まったくならない。欠片ほどにも礼を言う気も無いぞ。
で、舞と同じくらいの早さで思い切り走っている俺・・・手は繋いだままなんだけど。
うーん、後で
「怪奇現象発生！」
とか、
「俺は奇跡を見た！」
とか、
「商店街を疾走する謎の生命体！」
とか、妙な噂が立たなきゃいいなぁ。
・・・多分無理なんだろうけど。
そうこう走っているうちに、動物園の前。
舞はもううずうずしている。
早く早く、行こうよ行こうよ。
そんな心が伝わってくる。
・・・反則だ、その目は。
「えーと、大人２枚」
ともすれば思い切り抱きしめそうな衝動を抑えつつ、震えた声でチケットを買う。
・・・あ、舞、なんだかすまなそうな目してる。
んでポケットをごそごそした後・・・しょぼんとしてる。
こりゃ、財布忘れたな。
俺は舞の頭にぽん、と手を置いて。
「気にするな、舞。俺が誘ったんだし」
「でも・・・」
本当にいいの？
って目で見上げてくる舞。
・・・ふっ。こんな舞、学校の誰も知らないんだろうなぁ。あ、佐祐理さん以外は、だけど。
でも、そっちの方が俺としては嬉しいのも事実なわけで。
・・・だって舞がこんなに可愛いって知られたら独り占めできないし。
うんうん、俺って幸せだよなぁ。優越感を感じるよなぁ。
くくく、ざまぁみさらせ舞を避けてた者どもめ！うわーはははははははっ！」
「祐一・・・変」
はっ！
どうやらテンション上がりすぎて声に出して笑ってたらしい。
・・・気まずい。とんでもなく気まずい。
「あはは・・・じゃあ舞、行こうか」
「・・・」
舞は無言で肯いて、先導するように動物園に入っていった。
・・・本当は走り出したんだろうなぁ。
「祐一、早く行く
「はいはい」
はは。
本当に・・・来たかったんだな。
何か・・・嬉しいな。
舞は、俺と来たいって・・・そう思ったんだろうから。
「祐一」
「何だ？」
「きりんさん」
「おう、きりんさんだぞ」
「孔雀さん」
「ああ、羽が綺麗だよなぁ」
「ライオンさん」
「がおーっ！とか鳴かないなぁ」
「ペンギンさん」
「・・・暑そうだな」
「・・・」
こくり。
そりゃーペンギンには辛かろう。
心持ちぐてーとしてる。
ん？
確かに嬉しそうなんだけど・・・
むずむずしてる？
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
ひょっとして？
「触りたいのか？」
何となくこう訊くと、舞は凄い勢いで肯いた。
ぶんぶんぶんぶん！
とまぁこんな感じで。
言ったものが良いものかどうか。
・・・うーん。
「・・・・・・」
舞、そんな目で見るな・・・
「祐一、動物さん触りたい・・・」
ぐはぁっ！
・・・負けです、完璧に。
「えーとな、舞。
実はここにはふれあいコーナーというのがあってな、動物さんを触れちゃうわけだ」
・・・あれ？舞がいない。
と思ったらなんだか凄い勢いで土煙が近付いて来て――急停止。
「祐一、案内する」
やっぱり舞だったよ。
「早く案内する！」
はい、わかりました。
というわけでふれあいコーナーに来たのだが・・・
「・・・・・・」
うっわー、すっごい喜んでるよ、舞。
「・・・・・・」
ま、他の奴らには無表情に見えるんだろうけど、さ。俺には解る。
あいつ、本当に喜んでる。
「・・・祐一も一緒に撫でる」
そういって舞が差し出したのは猫。
うわ、ちっちゃいなぁ。
「にゃ」
なんて鳴いてるし。
そ、っと手を伸ばす。
撫でり撫でり。
「にゃー」
・・・うん。いいな、こんなのも。
撫でり撫でり撫でり。
「ごろごろごろごろ」
うん、良いなぁ・・・和む。
「・・・・・・」
ん？
なんだか舞が少し羨ましそうな目で見てるし。
しょうがない奴だなぁ。
撫で。
「！」
びくぅっ！
あははははははは、面白い！
撫で撫で撫で。
「！！！」
びくびくびくぅっ！
あーもう、本当に舞の奴って可愛いったらありゃしない！」
「・・・嬉しい」
あれ？・・・ひょっとして？」
「言葉に出てた」
うっわー！恥ずかしい！馬鹿ップルみたいだ俺！
「あのおにーちゃんたち、赤くなってるー」
「らぶらぶだー」
「いいなぁ」
「微笑ましいわね」
あ。
周囲の皆さん、いつの間にか見ておられる。
「は、ははははは・・・行くぞ舞！」
というわけでダッシュ！
あ。来るときと逆だ。わはは。
「ああ・・・猫さん、犬さん、ウサギさん・・・」
ぐは、そんな恨めしそうな目で見るな！
「フェレットさん、リスさん、ハムスターさん・・・」
しかし・・・許してくれ。あの場に居続けることは俺には出来なかったんだ！
走る。
走る。
走る走る走る！
そして公園に突入して。
「ふぅ。ここまで来れば大丈夫ってうわぁっ！」
「・・・酷い、祐一。私はもっと撫でたかったのに」
泣いてる。
・・・すっごい罪悪感。
「舞、また連れてきてやるから」
「・・・本当に？」
少し不安そうに、俺を見上げる舞。
そんな舞に、俺は迷わず応える。
「ああ。約束だ」
「・・・解った。約束」
「約束破ったら・・・私、多分泣いてしまう・・・」
あ、上目遣い。・・・佐祐理さんだな、教えたの。
俺の負けだ。完全に負けだ。それはもういっそ爽やかなほどに！
でもそのまま言うのは照れるし悔しいから、俺はこう言う。
「バーカ。俺が舞との約束を破るわけ無いだろ？」
「・・・・・・」
笑っている。
微かに、でも確かに舞は笑っている。
今はまだ、俺や佐祐理さんにしか分からない笑顔。
でも、こうやって慣れていけばいい。
少しずつ、少しずつ笑顔を取り戻せばいい。
俺は、そう思う。
そして今日も今日とて・・・
撫で撫で撫で撫で撫で撫で撫で撫で。
俺は舞の頭を撫でていたりする。
「・・・・・・祐一、くすぐったい」
ははは、照れてる照れてる。
猫みたいに目を細めて、嬉しそうにしてる。
そうだな。
こんな幸せそうな舞を見るためなら――
俺は多分。
何でも出来てしまうんだろう。
「・・・・・・」
そう、例えば――
奇跡でも、何でも起こすことが出来るんだろう。
だって、俺は――
こんなにも、舞のことが好きなんだから。
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