大輪の花
既に日は地平線のかなたに沈み、あたりはとっぷりと暗い。そして、それと共にうだるような昼間の暑さもやや収まり、ようやく過ごしやすくなってくる。
「晴れて良かったね。」
「ああ、そうだな。」
天候は快晴、そしてほぼ無風。花火見物には最高の日だった。
「楽しみだお〜」
「(モグモグ)」
「真琴ちゃん、そんなに急いで食べなくてもまだまだ一杯ありますからね。」
ここは■川河川敷。今日は水瀬一家揃っての花火見物である。
唯一心配していた夕立もなく、無事に座る場所を確保した水瀬家の面々は持参したビニールシートの上に座り、用意した夕食を摂っていた。
周囲には彼らと同様、場所の確保に成功した人達がそれぞれ同じように夕食を摂っている姿が目につく。
そして、後から到着する者達が更にその隙間を埋めていく。
開始時刻をすぎ、スピーカーからは運営委員長だかなんだかの挨拶が流れてはいるが、それを気にする者はほとんどいない。
「思ったよりも空いていますね。」
お握りの最後の一欠けらを飲み込みながら周囲を見回した祐一がそう呟く。
あたり一帯にはかなりの人数がいるが、その人数は河川敷の広さに比べればやや少なく、まだまだ余裕がある。
「今日は▲川でもっと大きなのがありますから。皆さんそちらへ行かれたのでしょう。」
「う〜ん、だったらそっちの方へ行った方が良かったんじゃあないの？」
ようやく口の中の物を飲み込んだ真琴が祐一にそう尋ねる。
「真琴、お前、人の話を聞いていないだろ？」
「あぅ？」
軽く溜息をつきながらも祐一は首を傾げている真琴に再度の説明を試みる。
「▲川のは大きいけどすごく混むんだ。よっぽど早く行かないと、こんな良い場所は取れないさ。」
「そうなの？」
▲川のは日本でも有数の規模であり、打ち上げる数も多いがそれに比して(あるいはそれ以上に)人出も多い。
座る場所を確保するのも一苦労だし、もし座れなければ満員電車のような人ごみの中、立ったまま眺めつづけなければならない。
「まあ、そうですね。折角ですからゆっくり見れる方が良いでしょう？」
そういうわけで、たとえ規模は少々小さくともゆったりと見れるであろうこちらを選択したのだ。
そんな会話を交しているうちにスピーカーから流れる声は何時の間にか野太いおじさんの声から軽やかな女性の声に変わっていた。
『これよりオープニングを飾ります…』
「お、始まるぞ。」
ヒュルゥッルッ
ドーン
パパパパパ
「たまや〜」
「たっまや〜」
「きれい〜」
独特の音を立てつつ打ち上げられる光の玉が空中で炸裂し、人々の目を引きつける。
『続けて四号玉の…』
次に打ち上げる花火についての説明に続き、次々と新たな花が夜空に咲いていった。
花火に来るのは何年ぶりだろう。頭上で咲き乱れる色とりどりの花を見ながらあゆはふとそう考えた。
その思いに従い、記憶の引出しをひっくり返していくとかすれていた記憶が徐々に浮かび上がってくる。
ああ、そうだ。お母さんが死ぬ少し前に連れてきてくれたんだ。お父さんと一緒に家族揃って花火を見に行ったあの時。
初めて間近で見聞きする花火は凄い迫力で。雷のようなその音にビックリして傍らのお母さんにしがみついたっけ。
「お母さん…」
途端にあゆの視界がぼやけ、綺麗な円を描くはずの花火が何重にも歪んで見える。
それに気づいて慌てて顔を下ろし、軽く目の端に触れた指が汗とは違う液体が濡らす。
「どうした、あゆ？」
急に別の方向を向いた彼女の様子を訝しんだのか祐一があゆの方を向き、問い掛けてくる。
「う、ううん。何でもないよ。あ、また上がったよ。祐一くん。」
「？あ、ああ。」
自分が声をかけた瞬間、慌てたように元気になり空を指差すあゆに気圧されたように祐一も再び空を見上げる。
(まあ、良いか)
「見られなかったかな？」
誰にも気づかれないようにそっとそう呟く。
とりあえずその場は切り抜けたもののあゆは内心の動揺を懸命に押し隠していた。花火を見つづけているフリをしながらもそっと目線を他の面々に走らせる。
祐一くんは…普通に花火を見上げている
真琴ちゃんは…相変わらずはしゃぎながら花火を見ている
名雪さんは…上を見つめながらも体が揺れてる
秋子さんは…こちらを軽く振り向くとゆっくりと微笑んだ
「うわ、やっぱりバレてる。」
慌てて顔を背け、軽く肩をすくめるあゆ。
(やっぱり、秋子さんはごまかせないや。)
でも、きっと秋子さんは何も言わないだろう。そういう人だから。たとえ全てを分かっていたとしても…。
「本日は〇〇市花火大会におこし頂き有難うございました。ただ今をもちまして第×回花火大会を〜」
大トリを飾る最後の一発の残滓が夜空の彼方へと消え、観客達が続々と家路へとつきはじめる。何時の間にかその数を増していた群集がまるで一つの川のように大通りへと向かっていた。
「さ、俺達も帰りましょうか。」
「そうですね。」
そして、祐一たちも立ち上がると人で溢れる土手の上へと向かった。
「うわ、すごい人だね。」
土手の上は既に一斉に帰る人の波で溢れていた。
「皆さん、足元に気をつけて下さいね。」
「ほら、名雪。帰るぞ。」
既に瞳が見えなくなっている名雪に歩くように促すが、反応は極めて心もとないものだった。
「うにゅ？」
「うわ、名雪さん。足元、足元。」
「おっとっと。」
予想通りというべきか、倒れそうになる名雪を慌てて祐一が支える。
「すみませんね、祐一さん。」
「まあ、いつもの事ですから。」
秋子の言葉に思わず苦笑する祐一。
「でも、どうしますか？帰りの電車の切符は買ってあるから問題ないにしてもこのままだとバスに乗るまで結構かかっちゃいますよ。」
「そうですね。」
「なんなら、俺が背負いましょうか？」
「良いんですか？」
「大丈夫ですよ。」
「それじゃあ、荷物は私が持ちましょう。あゆちゃんと真琴ちゃんは私達に着いて来てくださいね。」
秋子のその言葉に大きく頷く二人であったがそれを祐一は懐疑的な視線で見つめる。
「大丈夫ですかね？この二人だけで。」
「見失わなければ大丈夫でしょう。ね、二人とも？」
「「もちろん(だ)よ。秋子さん。任せて、ちゃんとついていく(んだ)から。」」
自信満々に胸を叩いて請け負う二人だが、それを見た祐一は軽く溜息を吐くと呟いた。
「でもなあ、あゆあゆとまこぴーだしなあ。」
「あぅ〜。祐一、それどういう意味よ！」
「言葉どおりだぞ。」
非難の声を上げる真琴にクラスメートの得意とする言葉で応じる祐一。
「返事になっていないわよ！」
「うぐぅ、ボクあゆあゆじゃないよ！…それに、なんか馬鹿にされている気がするよ。」
「いいや、馬鹿にする気なんか全然これっぽっちも、微塵もないぞ。」
事実を言っているだけだからな。
「うぐぅ、酷いよ祐一くん。」
「やっぱり私達のこと馬鹿にしてたのね！！」
「げ、もしかして。」
「「口に出してた(わ)よ！」」
(ぐわ、またか。)
内心で自分の悪癖を悔やむ祐一をよそに二人の怒りは収まらずありったけの不満をぶつけ続ける。
「さあて、早く帰りましょうか。」
これ以上付き合ってはいられないとばかりに祐一は二人の抗議の声を無視するとさっさと歩き始める。
「あぅ、待ちなさいよ。」
「うぐぅ、置いてかないで。」
「あらあら。」
自分の後に他の面々がついてくるのを気配で確認しながら、祐一は人ごみの中を流れにあわせてゆっくりと進み始めた。。
しかし、いい加減この癖を直さないといつか死ぬかもな。
なかなか進まない人の波に辟易しながらも、祐一たちはどうやら大通り近くまで来ることが出来た。後は信号ごとに生まれる流れに合わせて進んでいくだけだが…
ドン
「わっ！」
「あ、すいません。」
動き始めた人の波。それに合わせるように進もうとしたあゆが後方から倒れこむようにぶつかってきた一人の女性とぶつかり、よろめく。
「大丈夫ですか？」
転びそうになったのを何とか堪えたあゆに相手が申し訳なさそうな顔で声をかけてきた。
「うん、ボクは大丈夫。そっちこそ大丈夫？」
「ええ、私も大丈夫です。すいません。躓いてしまったみたいで。」
「ううん、仕方ないよ。この人ごみだし。怪我がなくて良かったね。」
「はい、お互いに。…あ、すいません。はぐれるといけないのでこれで失礼します。」
「うん、それじゃあね。」
軽く会釈をして、人ごみを掻き分けるようにその中に消えていく彼女を見ながら彼女はハッと自分の現状を思い出す。
「あれ？あれあれ？」
あゆがふと前を見ると、少し前までそこに居た筈の祐一達の姿がなかった。
「うぐぅ。皆、どこ？」
キョロキョロと伸び上がるようにしてあたりを見回すが後から後から押し寄せる人の波に揉まれる度に体勢が崩れてそれもままならない。
「うぐぅ、もしかして…」
はぐれた。
その言葉はかろうじて呑み込んだものの急に不安が押し寄せてくる。
「祐一くん、秋子さん、名雪さん、真琴ちゃん…」
自分と一緒に来た家族の名前を呟くがそれとて何の解決にもならない。
いつしかあゆは、人の波から少し外れたスペースに一人で座り込み、不安げにアスファルトを眺めていた。
「みんな…いやだよ…一人は…嫌だよ。」
懸命に堪えるものの熱いものが目にこみ上げてくる。
そして、それが臨界点を超えようとしたちょうどその時、あゆの頭上から声が降り注いできた。彼女が最も欲していた声が…
「ほら、なにやってるんだ。こんな所で。」
「祐一…、くん？」
恐る恐る顔を上げたあゆの瞳に映ったのは祐一の顔だった。
「ったく、本当にはぐれるとはな。」
「…ごめん、なさい。」
呆れたようにそう呟く祐一のその言葉を聞いて、あゆは消え入りそうな小さな声で呟く。
「…ほら、行くぞ。」
「え？」
その言葉と共に差し出された祐一の手をあゆはしばし呆然と見つめる。
「『え？』じゃない。また、はぐれると困るからな。」
気恥ずかしさを隠すためか軽く顔を背けながら祐一はそうあゆに告げた。
「う、うん！」
勢いよく頷き飛びつくように握り締めた祐一の手から決して忘れることのない温もりが伝わってくる。
「うわっ！」
喜色満面で飛びつくあゆの勢いに祐一はややよろめいたがそれをしっかりと受け止めるとあゆに呼びかける。
「さ、行くぞ。」
「うん！」
しっかりと手を繋いだ二人は再び人ごみの中を歩き始めた。
「あ、あゆちゃんだ。」
「え？あ、本当だ。祐一〜、あゆ〜こっちこっち〜。」
名雪のその声に反応すると真琴がピョンピョンと飛び跳ねるようにして自分の位置をアピールする。その傍らでは秋子が相変わらずの微笑を浮かべながらこちらを見ている。
「心配したんだからね。」
「無事でよかったよ。」
「お帰りなさい、二人とも。」
三人がそれぞれの表現で二人を出迎える。
「ただいま、みんな。」
今使うには少しおかしい言葉かもしれない。頭の片隅でそう思いながらもあゆはあえてその言葉を使った。
「心配かけてごめんなさい。」
「良いのよ。謝らなくても。さ、帰りましょう。バスも一杯みたいですから歩きましょうか？」
「そうですね。」
「「「賛成〜」」」
今度はしっかりと手を繋いだ五人は再び歩き始めた。
隣を歩く祐一の手をしっかりと握り締めながらあゆは思った。
ボクには新しい家族と、そして祐一くんがいる。もう一人じゃあないんだ…
そんな彼女達を大空に輝く星達が優しく見守っていた。
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