お便りは初雪の日に
『そろそろ秋風も厳しくなる頃です。お互いに体調を崩さないよう気を付けましょう。それでは』
最後はそう締め括った。ペンを置き、身体を伸ばす。
私はふとした感慨を持って、到来する冬を間近に感じ、寂しくなる季節を迎え入れる準備をする。空を見上げれば、寒々しいほど透き通った青が広がっている。
四季の一つである冬が訪れれば、人の生活はやや変わるものである。やや、というのは、根底にある考え方や習慣が変化するというわけではないからだ。ただ表面が変化をするだけである。しかし、それでも少々寂しいと感じるということは、私の内面も外面と同様に、冬の冷え込む風に影響を受けている、そのことの証明だろうか。
──冷たい冷たい季節が足を踏み入れてくるぞ。
この町の冬は、日本でも相当厳しい部類に入るだろう。初雪の到来は早く、冬の季節は長い。氷点下を切るのはごくごく当然であり、多少なりとも準備をせねば、まともに冬を越すことはできない。私は数ヶ月間しまってあったストーブとコタツ、コートと手袋を取りだした。手袋は普段なるべく使わないようにしていたが、本格的に雪が降り積もればさすがに着用せざるをえない。現に温度計を確認すると今ですら気温は一桁代に突入していた。どうりで先程から白い息が忙しなく口から漏れるわけだ。
やたら寒い。私はとっとと部屋の中へ逃げ込むこんで、今し方出したばかりのストーブを点火しようとした。
しかし、私は自分でも何を想ったのか、すぐに外へ出てみようという気になった。外はとても寒いことはわかっているし、私自身、そこまで寒さに強いというわけでもない。
ただ、外へと出たくなっただけだ。そこに何か都合の良い物があれば、すぐにでも出ていこう。
都合の良い物は、案外簡単に発見できてしまうものだ。とある人に出そうと思っていた葉書のインクが乾いていることを確認し、バックにしまう。
バカだなぁ、と心の中で呟く。
コートを着て、バックを持ち、外へ出る。
びゅう、と吹き抜ける風は、コートの上からでもその鋭い冷気を刺してきた。
ほら、やっぱりバカだ。
改めて思った。私のやることは、いつも馬鹿なことだらけだ。そうじゃなければ、まだ冬でもないのに今日のようなこんな寒い外へ好き好んで出ようとは思うまい。
長年住んだ家を振り返る。あの赤い屋根は近々真っ白い結晶で埋め尽くされるに違いない。毎年の恒例行事みたいなもので、さすがに私の家ももう慣れたことであろう。
商店街へ顔を出す、何度も顔を出し、互いに見知った店を点々としながら時間を潰す。私は時間を無駄に消費したかっただけだろうか、と思い直し、それでも何かあるかもしれないな、と言い訳がましくそんな自分を説得させた。
ここの商店街は学生がよく通ることも含め、なかなかに活気があった。一年中変わらない活気は良い。不変の何かがあることというのは、それなりに幸せなことだ。
学生達の姿がちらりほらりと目に入る。お喋りを楽しむ姿はとても新鮮な気がして、心を和ませてくれた。
かつて私にもそんな時期があったことを思い出し、つい苦笑をする。
商店街を歩いていると、ちょっとだけ目を引く光景があった。ストールをした少女が店の前でうろうろとしている。中学生か、それともギリギリで高校生か。なんにしろ持て余している時間だ、当の本人には悪いが少しだけ眺めさせてもらおう。
何か非常に困惑している顔のまま、店の前で行ったり来たりしている。商店街にあるベンチに腰掛けて、私は人の目を気にしつつ、ちらりちらりと少女を観察した。
その店はただのコンビニだったが、そのコンビニの前で何をそんなに悩んでいるのだろうか。それが興味を引く一番の理由であり、当惑している表情は少しだけ可愛いとすら思った。
しかし、もう結構寒くなってきているというのに、その少女の格好はなんだろう。意外に暖かいのかもしれないが、せめてストールだけではなく何かしら上着も着るべきだ。それに、悩むなら暖房の効いているコンビニに入って悩めばいいだろう。
やっと立ち止まってコンビニを見上げたかと思ったら、またその前をぐるぐる回り始めた。
一体何をしているのだろうか。
どうしても気になる。もう少し待てばわかるのかもしれないが、それでも私はその少女をみかねてベンチを立ち上がった。
「どうしたんですか？」
何か刺激を与えない挨拶は無いものだろうか、と歩いて近づいている最中に思考を巡らせてはみたが、いいのが思い浮かばない。だからそんな風に切り出した。
ビクリ、と身体を震わせて、少女はこちらを見た。
遠くからでははっきりとわからなかったが、やはり可愛い少女ではある。
「え、あの？」
「先程から、コンビニの前でうろうろされてたでしょ？」
「えっ……？」
僅かに頬を赤く染める少女を前にし、わかりやすい娘だと私は微笑んだ。
「少しだけ目立っていたもので、つい話しかけてしまったんですけど」
「め、目立ってましたか？」
「ええ。しっかりと」
「う〜〜〜……」
目立つ、というのが余程恥ずかしいのだろう。少しだけ紅を差していた頬が、みるみると広がりをみせる。
「もぅ……祐一さんが悪いんです。ここで待ち合わせしようっていって遅刻するから……」
ブツブツと文句を言う少女だった。
「彼氏でも待っているのかな？」
「はいッ？」
またまた身体を跳ねさせた。まるで小動物を相手にしているような気分にさせられる。
「祐一君と呟いていたでしょ？ だからそうかなって」
「え、えっと、……そ、そうです」
なるほど、姿を店の中に隠したくなかったと、そういうわけだ。
「それは羨ましいですね」
小さく肩を竦ませる。もちろん、本心からの言葉だ。
今は不機嫌に頬を膨らませているかもしれないが、これもしばらくすれば楽しい思い出へと変化を遂げる。まだその経験がない少女がそれに気付くのは難しいことだが、さほど遠い未来の話ではないだろう。
しばらく恋人がいない私にとって、それは少しだけ羨ましいことでもあった。
「その人、いっつも遅刻するんです。酷いと思いません？」
唐突に話しかけられて、今度はこちらが返答に困った。随分ご立腹なようだ。ちょっとだけ目の端を吊り上げているが、それもまた可愛らしい。だが、一度笑顔になればもっと素敵なのだろう。
「もう、ここで二十分も待たされているんですよ」
「なるほど、寒くてうろうろしていたわけだ」
「うっ……、だって、身体動かしてないと、寒くて……」
そわそわしている原因が、とてもそれだけとは思えないけど、私は敢えて何も言わなかった。嘯いているのなんて、すぐにわかる。
「これじゃ、アイスクリームが食べられないです」
「この時期にアイスは少し厳しいんじゃないですか？」
「う〜ん、そうですよね……以前は大丈夫だったんですけど、やっぱりまだ寒さに慣れてないみたいです」
「もう秋から冬に入ってきていますからね。こんな寒空で可愛い彼女を待たせるなんて、ひどい男ですね」
「ほんとです。風邪でも引いたら責任取ってもらいます」
「ええ、その方が良いですよ。どうせならうんと甘えた方がいい」
そうして、二人して微笑った。
ほら、やっぱり素敵な笑顔だ。
「それにしても、遅いです」
「どういう人かは知りませんけど、いつもこんなに待たせているんですか？」
「そう言う訳じゃないんですけど……、何かあったんでしょうか」
「だとしたら、心配ですか？」
少しだけ意地悪な目をしながら、私は訊いてみる。少女はちょっとだけ俯いてから、「……はい」と頷いた。
「携帯とかは？」
「あ、私が持ってないんです。祐一さ──彼は持っているんですけど」
今時の子にしては、珍しい。
「なるほど、なら使わないテレホンカードがありますから、それで公衆電話から電話をしてみたらどうです？ といっても、決して不機嫌そうな顔をしてはいけませんよ」
「え、なんでですか？」
「男心も複雑なんです」
笑みを作りながら、私は財布から取り出したテレホンカードを少女に渡した。使いかけを渡そうとも思ったが、やはり、と一度も使われたことがない新品なほうをプレゼントした。
「ありがとうございます」
ペコリと少女は頭を下げる。
「顔が不機嫌だと、口調もそれに反映されますからね。だから、心配なら電話越しだけででも伝えてあげるべきですよ」
「なんか、必勝テクニックみたいです……」
その顔からは意外な言葉に、くつくつと笑いが漏れてしまった。
「似たようなものですよ。ほら、電話、電話」
「あ、はい」
わざと急かして、少女に電話させた。一度、向こうの彼氏が取らずにコールが切れたらしい。少女の顔が明らかにそれとわかるほど蒼くなった。すぐさまかけ直したら、今度は繋がったみたいである。ほっと溜息をし、蒼い顔から一転、とても安堵し安らかな笑顔になった。
どことなく初々しいその姿は、まさに癒される何かがある。二人が付き合ってどのぐらいの期間が経過したかは、推して知るという、まさにそれしか無いわけだが、多分そういった時間は無意味なのだろう。
「ありがとうございました」
テレホンカードを返そうとした少女を、私は首を振って返してもらうことを拒否した。
「あげますよ」
「え、でも、いいんですか？」
「ええ、楽しい会話をさせてもらった礼ですから。あ、そんな気にしなくていいですよ、私携帯持ってますし。こう言ってはなんですけど、テレホンカードって使わないから要らないんですよね」
「う〜、やっぱり携帯って持った方がいいんですか？ みんな携帯持ってるんですよね。なんだか私だけ取り残されちゃったみたいです」
「まぁ、非常に便利な代物には違いないですからね」
「……今度購入を考えてみます」
さて、そろそろ潮時かな。先程の電話内容からすると、もうすぐ彼氏がここに来るらしい。その前に邪魔者はとっとと退散するのが吉というものだ。
「じゃあ、楽しいひとときを」
「──はい」
やっぱり少しだけ頬を染めたが、それでも本当に嬉しそうに彼女は返事をした。
「冬は始まったばかりですから。うんと楽しみます」
ハッとした。
簡単な事実を、それこそそんな簡単に言い切った目の前の少女に、私は感嘆の息をついた。
その言葉は、どこかとても印象強い。
別れの挨拶をし、私は帰路についた。少女との僅かな時間は希にみる楽しいものであったが、不思議と別れが寂しいとは思わなかった。
これ以上ここにいても仕方がない。あの少女との会話以上の物を今日という日の中で得るのは、少々難しいだろう。
ポストの前で立ち止まり、バックから葉書を取り出す。なんとなくそれを読み直すと、ちょっとしたミスを見つけたが、今更修正しに戻る気にもなれず、そのまま投函した。
これを読んだあの人は、きっと苦笑いを浮かべてくれるだろう。
寒空が広がる。空を見上げ今度は違う感慨に浸ろうと思ったが、それですら野暮な気がして、私は漏れそうになる笑みをなんとか飲み込んだ。
と、そんな私の前を、小さな白い結晶がふぅわりと通り抜けていく。
あ、と呟いて、もう一度空を見上げた。
白く、乾いた結晶が、降り注いできた。
──初雪であった。
私は、振り返ってあの少女を思い浮かべた。白い雪が舞い散る道を、素敵な彼氏と歩いていくストールの少女。止まらない笑顔。絶えない幸せを胸に。
寒い季節も、なかなか良いものかもしれないな。
私はをそんなことを思ってから、ゆったりとした足取りで、帰り道を包む銀色世界という景色を楽しむことにした。
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