水瀬家の縁側で
水瀬家にはあまり大きくはないが縁側のついた庭がある。
その縁側に腰掛けて、もう１５分も祐一は空を見上げていた。
「・・・・・」
最近、よくここで物思いに耽る。
今は夜。
以前の街では決して見ることのできなかった星空が、祐一の真上で輝いていた。
(・・・どこ行っちゃったんだろな)
ずっとそんなことばかり考えている。
なぜ今になってそんなことを思うのか、少し前までは祐一にもわからなかった。
ただあの凝縮された冬を終え、すべてが落ち着くところへ落ち着いた、今。
幼少の辛い記憶が、幸せに取って代わった未来を生きている祐一は、少し余裕のできた胸の内で思い出される少女がいるのだ。
(家族)
そんな言葉。
新しい家族を水瀬家に迎えてよく秋子さんの口にするそんな言葉が、妙に祐一の耳に残った。
「ほら、私の後ろにいたら祐一に見えないよ〜」
「だ、だって・・・うぐぅ」
「ほらほら〜。・・・あ、祐一！」
「う、うぐぅ・・・！」
なにやら背後で騒がしい。
ここにいると滅多と人が来ることはないのだが、今日は違うようだ。
「こんな所にいたんだね、祐一」
「星の綺麗な夜だからな」
「わ。全然似合わないこと言ってるよ」
さりげにひどいことを言う。
仕返しに何を言ってやろうかと闘志を燃やしつつ、祐一は首だけ振り返った。
「ほら、あゆちゃん」
そして目撃する。
「じゃ、じゃーん・・・」
変な効果音ととも、名雪の後ろから浴衣姿のあゆが姿を見せた。
所々に雪の結晶の模様がついた浴衣。
袖を掴んで広げるようにしながら、照れた顔でお披露目をするあゆはなんというか・・・。
可愛い。
なんか可愛いし。
「祐一、見とれてる〜」
「ほ、ほんとに？」
満面の笑みでこちらの内面を読みやがる名雪の横で、あゆが疑わしそうに見つめてくる。
このまま正直に感想を言うのも悔しいし、なんか恥ずかしかった。
「いや、演技だ」
「うぐぅ・・・。やっぱり」
「そんなことないよ。祐一、照れてるんだよ」
そんなことを言いながら名雪とあゆがこちらへとやってきた。
新しく入った家族。
この春めでたく退院をしたあゆは、身寄りもないことから水瀬家に居候することとなった。
一緒に暮らし始めてからもあゆはしばらくは遠慮がちにしていたが、今ではこの家にいることがしっくりとし始めているようだ。
「名雪は浴衣、着ないのか？」
「うん。私はこんどの夏祭りの時に着るからね。」
あゆと違って名雪はいつものパジャマ姿だった。
「夏祭り？」
聞き返す。
「そっか、祐一は冬にしか来なかったから知らないんだね。７月にそこの広場でするんだよ」
「ふーん」
ちょこちょこちょこと歩きにくそうにしながら、あゆが祐一の横に腰掛けた。
「ボクはちょうどその時が試験なんだよ。だから、今ね。秋子さんが着せてくれたんだ」
うれしそうに袖をぱたぱたとさせる。
あゆは今、祐一と名雪の通う高校に編入するための試験勉強中だった。もともと小学生の知識しか持ちわせていないためにだいぶ苦労しているようだが、名雪に家庭教師されてすったもんだやってるらしい。
「受かりそうなのか？」
「うーん。まだちょっと危ないかな。でも名雪さんが真剣におしえてくれるから頑張るよ」
「あゆちゃん、飲み込み早いんだよ〜。っていっても私もたいしたことないから、あんまり進まないんだけどね」
「香里にでも頼んだらいいじゃないか」
「うん。ゴールデンウィークに来てもらうんだよ」
「よかったな。香里ならスパルタでばっちしだ」
「え！？」
あゆの顔が青ざめた。
「あめとムチだ」
「ええ！？」
「・・・香里、怒るよ」
そう言いながら名雪もにこにこと楽しそうだった。
風が吹く。
名雪も祐一の横に腰掛けた。
「おいおい」
「はーれむ。はーれむ♪」
なにやら楽しそうだった。
名雪とあゆが目配せをする。
「あゆちゃん？」
「うん♪」
ぴと。
「お、おいおいっ！」
・・・両腕。
右腕に名雪、左腕にあゆ、と二人が祐一のうでを絡めた。
「はーれむ、だよっ♪」
両腕にふたりの柔らかい身体が触れている。なおかつ片方は浴衣でもう一人はパジャマだ。厚さの違う生地が、ふたりの無邪気なまでの積極的さが、妙な色気となって祐一を包み込む。
(あ、あのなあ・・・！！)
柄になく顔を赤くしてしまう。
「あ、祐一君。赤いね」
「けっこう効くね。これ」
「もう少しこのままでいようよ。名雪さん」
「うんっ。おもしろからね」
からかわれるのもどこか遠い空で、祐一はぼーっと空を見上げていた。
秋子さんが持ってきてくれたスイカを食べながら。
いつになく陽気なあゆと名雪と一緒に、祐一も珍しくこの縁側に長居をしていた。
「・・・けっこう難しいな・・・」
「祐一・・・下手だよ」
「あんまり触ったことないんだ」
「祐一君、俺にまかしとけって意気込んでたのに」
「男はみんなそう言うんだ」
「それで、みんな恥をかくんだね」
「・・・・・・」
ええい。
いつもこうやって、かっこつけようとすると失敗するのは何故だ！？
そんなことを思いながら、祐一はまだギターと格闘していた。
先ほど名雪が物置から取り出してきたやつだ。
たぶん・・・いや、間違いなく秋子さんのものだろう。あの人にはこんな趣味もあったらしい。
もう驚かないが。
「貸して。祐一」
「まあ待て。まだ一番得意なのはやってないんだ・・・って名雪？」
「私、弾けるんだよ」
にこっと笑って名雪が手を差し出してきた。
「・・・マジか？」
「祐一、ひどいよ〜。私弾けるの、本当」
「意外だな・・・」
あまり想像しない姿だった。というか、音楽をする名雪というのがどうも浮かばない。
結局、ボクも名雪さんのギター聴いてみたいっ、というあゆの言葉にも押されて祐一は名雪にギターを手渡した。
・・・実はギターから解放されてすこしほっとしたのも本当だったり。
縁側に腰掛けて足を組み、名雪がギターのチューニングをする。
「よく、これで弾いてたね。音がめちゃめちゃだよ」
「ほっとけって」
あゆが弦を調整する名雪の指を興味深そうに覗いていた。
あゆにしてみればギターも珍しいものなのかもしれない。
「うん」
にこっと笑って名雪がギターを抱えなおした。
「なんの曲にする？」
「名雪の好きなやつでいいぞ」
「え〜と、じゃあね・・・」
少し思案した後、名雪がギターに指を滑らせた。
トントンと足でリズムを取る。
空気に混じる、ギターのかすれた音。
ハミング。
「わあ、名雪さん上手だねっ」
あゆが素直に感嘆する。
確かに、上手い。
「・・・・・・」
かすかに瞼をおろし、音に酔うように首を傾けて名雪が演奏する。
溶けるように、混じるように。
縁側の落ち着いた雰囲気に調和して、ギターの旋律が重なり消えていく。
(家族)
ふと、名雪を見てそんなことをまた思い出した。
特段に幸せでもない。
なにか特別なイベントがそこにあるわけでもない。
ただ、一緒にいて自然だと思える人が近くにいて、それが違和感を持たず、そしてこの人達といて何も『ない』ことが幸せだと思える。
そんな感じ。
「あ、そうだ」
唐突に演奏をやめて、名雪があゆをみた。
「あゆちゃん、歌える？」
「え？」
ハミングにあわせて身体を揺らしていたあゆが、びっくりしたように名雪を見た。
「う、歌！？」
「うん。せっかくだし、あゆちゃん歌ってよ」
「え、え、えええ！？」
おもしろいようにあゆが狼狽した。
「そうだな。歌えよ、あゆ」
「ゆ、祐一君までっ。む、無理だよ、ボク音痴だし！」
ぶんぶんと顔の前で手を振る。
「あゆ、お前に口はないのか？」
「え？・・・あ、あるけど」
「なら歌えるだろ」
「そういう問題じゃないよっ」
「いくよ、あゆちゃん。あゆちゃんの知ってる曲だよ」
「うぐぅ・・・。なんかもう唄うことになってるし・・・」
にこにこと笑いながら名雪が前奏を始めた。
「わ、わ、わ」
「ほら、あゆ」
祐一はあゆを立ち上がらせると、背中を押して二人の前に立たせた。
「うぐぅ〜」
少し涙目になってるあゆを横目に名雪の伴奏は続く。
「・・・あ」
「知ってるよね？」
「う、うん・・・」
少々あっけにとられた顔で。
あゆが名雪の方を見た。
「では、拍手。鐘３つくらいは鳴らせよ、あゆ」
「どういう意味っ！」
「はい。ぱちぱちぱちぱち」
言葉にも出して祐一は拍手した。
「好きなところで入ってね」
伴奏が続く。
どうあっても唄わされると思ったのか、あゆが覚悟を決めたらしい。
「で、ではっ」
あゆが『敬礼』のように手を額に構えた。心持ち緊張した顔で宣言する。
祐一はスイカを一切れ口にくわえた。
「一番、月宮あゆ。唄いますっ」
何が一番なんだろうか。
夜の涼しい風。
そんなことさえ楽しく、祐一は足を組んであゆを見守った。
納涼の雰囲気。
星空とぼんやりとした月明かりの下で、あゆの唄が静かに風の中を漂い始めた。
(ありがとう 言わないよ)
あゆの歌声。
(ずっと しまっておく)
けっして上手いとは言えないが、独特の子供っぽい声が妙にギターとマッチしている。
(さよならは 翳りない)
７年間の空白。その辛さに負けることなく、今こうして祐一の前で唄を。
新しい家族になって、恋人として、あゆの存在は、祐一に今まで知ることのなかった感情を教えた。
(夢のあと 静かに降り立つ)
決して家族になることはなかったあいつ。
天の邪鬼で。いつも騒いで。迷惑をかけて。
(両手には 降り注ぐ)
あの時は気づかなかった、この思い。
「あゆちゃん、上手」
「そ、そうかな」
いなくなってもまだ気づくことはなかった。
(かけらを)
あゆと一緒に暮らし始めて、やっと気づいたこと。実感したこと。
(いつまでも いつまでも 抱いて)
「名雪もそう思うのか？」
「・・・うん。そうだね」
「うぐぅ」
あいつにはあいつの家族がいるのだから、記憶を取り戻しそこへ帰ったことはいいことのはずだ。
なのに、どこか納得のいかない感情がある。
(最後まで笑ってる 強さを)
・・・幸せにしているだろうか。
(もう)
真琴。
(知っていた)
あゆの歌声が夜に混じり、消えていく。
浴衣姿で目を瞑り、唄うあゆの姿は綺麗だった。
いつものパジャマ姿でギターを奏でる名雪の姿も。
(俺がこの家族の中で幸せなように、あいつも)
そう。
願う。
『あぅ・・・』
「・・・涼しいですね。夜はやっぱり」
「そうですね」
縁側。
もう名雪もあゆも部屋に戻って眠っている頃。
祐一はまだここに座って空を見上げていた。
いつのまにか横に座っていた秋子さんと、ぽつぽつ会話をしながら。
「あゆちゃんの唄、上手でしたね」
「そうですね」
「私が教えたんですよ、名雪に。中学生の頃ですけど」
「ギターですか？」
「ええ。若い頃、あれに打ち込んでた時期があってね。その杵柄です」
「そうなんですか」
「・・・・・・」
どこか上の空で返事をする。
秋子さんが祐一にちらりと視線を移し、意味ありげに沈黙した。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
祐一は空を見上げた。
「・・・思い出しているんですか？真琴を」
「・・・あいつの悪戯しか思い出せないですけどね」
唐突に振られた話題。
真琴のことを口に出した覚えはなかった。
でも秋子さんなら表情からそれくらいのことは読みかねないから、祐一も今更驚かなかった。
なんでもないことのように聞き返す。
「あいつの家族ってどんな人なんですかね」
「さあ・・・・」
秋子さんはいつものように頬に手をあてて、微笑んだ。
「でもきっと、幸せにしていますよ」
「・・・そうですね」
・・・もう一度空を見上げる。
ほんの少しの間しか一緒にいることができなかった。
いつの間にか姿を消してしまった真琴。
あいつがどうして俺を憎んでいたのかも、本当の家族も、結局は分からずじまいだった。
・・・なんのために俺と出会ったのかも。
満天の星空。
この星の下で、真琴は今何をしてるんだろう。
祐一はため息をついた。
望むなら。
自分の幸せを掴んでいろよ。
真琴。
―fin―
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