あったかいもの
積もった雪はまだ溶けるには早い冬の季節。真琴は大好きな肉まんを買いにコンビニに来ていた。
秋子の手伝いをしたのでお駄賃を貰ったのだ。食べきれるかどうか解らないのに、真琴は全部を肉まんにつぎ込んだ。計五個……。
ガラスのドアをくぐり早速袋を開けて肉まんを食べようとする。そのとき、身体に衝撃をうけた。
「わっ」
「おっと」
同時に男の声も聞こえる。持っていた袋は不安定だったのか、手から滑り地面へと落下した。見事なほどに中身の肉まんが地面に散らばる。
「あうぅ〜」
そう言って真琴は地面にペタンと腰を下ろした。散らばった肉まんは、どう考えても食べられる代物ではなくなっていた。その惨状を見てしまっては、ぶつかった相手を怒る気力もない。
半泣きになりながら、散らばった肉まんを集める。すると、もう一つの手が肉まんを拾っている。先程ぶつかった人だろうか、手の先を見上げてみる。
最初に目に止まったのは自分と同じような髪の色。ちらっと見えた顔はバツの悪そうな表情をしていた。全部集め終えた彼は、同じく落ちていた袋に入れると、こちらに近づいてきた。
「ごめんね。俺がよそ見をしてたから……」
「あ、うん……」
人見知りの気がある真琴は何を言っていいのか解らなくなっている。真琴の持っている肉まんを袋に入れると、手を差し伸べてきた。自分より大きな男の手。
「大丈夫？ ケガない？ 立てる？」
「え？ う、うん」
一気に聞かれたので混乱してしまい、まともに答えることが出来なかった。なすがままに差し出された手に掴まると引き起こされる。
相手も少し混乱しているのか、困ったような表情になっていた。
「ホント、ごめんね。ああ、汚れちゃってる。ちょっとジッとしててね」
そう言うと、彼はポケットからハンカチを出して膝の辺りとスカートを叩いた。自分より少し年上な感じがしたので恥ずかしかった。
「これでよしっと。あとは……肉まん弁償するよ。ついてきな」
彼の後について店の中へと入る。よく見ると店員と同じ服装で、胸には『北川』の名札があった。
店の奥に連れてこられた真琴は今か今かと待っていた。
狭い部屋にロッカーや机、椅子が置いてある。ここは普段、店員だけが使う事務所スペースなのだと先程の彼が言っていた。
しかし、真琴にとってそんなことはどうでもよかった。パイプ椅子に座り、足をプラプラさせ気を紛らわす。見つめていたドアが開いて彼が入ってきた。
「はい、お待たせしました。当店自慢の特製肉まんで〜す♪」
「わ〜い、肉まん肉まん♪」
両手を上げて大喜びする姿を見た彼は、口元を押さえて笑いをこらえていた。だが、真琴は気にせず差し出された肉まんを手に取る。
「あちっ」
「あ、ごめん。熱いから気を付けてね」
「遅いよ〜」
手に息を吹きかけながら真琴は抗議した。彼は苦笑しながらごめんごめんと言って謝る。それほど怒っていたわけではないので、すぐに許した。
今度は息を吹きかけて冷ましながら肉まんを頬張った。出来たての肉の味が口いっぱいに広がった。少し熱いがそこは我慢する。
「おいしい〜♪」
「それはよかった」
彼は満足そうに頷いて近くのパイプ椅子に腰掛ける。
時間がかかったのは、真琴が買ったのが最後だっため新たに蒸かしなおしたのだ。真琴はふと気になることがあり彼に話しかけた。
「さっきの肉まんどうしたの？」
「ああ、あれ？ 食べられそうにないから捨てちゃったよ」
「なんだかもったいない」
「しょうがないよ」
真琴は彼の言葉など聞いていないように呟いた。
「食べ物を粗末にしたみたいで……」
それを聞いた彼は一瞬キョトンとしたが、その後で笑みを浮かべていた。
夢中で肉まんを食べている真琴を彼は眺めている。その視線に気付いた真琴は少し恥ずかしかったが、食欲の方が勝っていた。
不意に彼が笑い出した。真琴はキョトンとした表情で彼を見つめる。
「あ、ごめんごめん。食べカスが付いてるよ」
彼は自分の右頬を指した。真琴はそれに習って同じ方向に手を触れてみる。何もない。
「あはは、反対だよ、反対」
そう言われて反対側を触れてみるが、なかなか見つからない。もどかしくなったのか、ちょっとジッとしててと言いながら彼が身を乗り出して真琴の頬から食べカスを取る。そして、自分の口に運んだ。
「あ……」
真琴は短い声をあげた。徐々に顔が火照ってくるのが解る。彼も同じような声を出した。おそらく自分がなにをしたのか気が付いたのだろう。
数秒とも数分とも取れる時間、二人は気まずい空気の中にいた。先に耐えきれなくなったのは彼の方だった。
「じゃ、じゃあ俺、バイトに戻るから」
大げさなほど音を立てて、逃げるように事務所から出ていった。
手に持った肉まんを一口で食べ終わると、その後の食は進まずしばらく呆けていた。胸の鼓動がやけに早い……。
食べる気がなくなった真琴は、残った肉まんを袋に入れて持ち帰ることにした。ドアを押して事務所から出ると、レジに立っている彼の姿が見える。
出来れば気付かれないように立ち去りたかったが、そうは行かないようだ。目と目があってしまう。先程の出来事を思い出した真琴は顔が火照ってくる。
「あの……」
彼の言葉は聞かずに脇をすり抜けて逃げるように真琴は立ち去った。
水瀬家まで駆けてきた真琴はそのままの勢いで二階の自室に直行した。
後ろ手にドアを閉めるとそこにもたれかかる。ここに来るまでにずっと頭から離れない。肉まんの入った袋が床に落ちる。
胸に手を当てる。
鼓動が早い。
走ってきたという理由だけではない。
なにか……。
それがなんなのか真琴には解らなかった。
「あうぅ〜」
困り果てた真琴は畳まれた布団に倒れ込む。瞼を閉じふかふかの布団を感じるが、なかなか鼓動は収まらなかった。
次の日、真琴は彼のバイト先であるコンビニの前でウロウロしていた。あの出来事が過ぎって中に入れないのだ。
そっと中を伺って見たが、彼はいないようだ。どうやら今日はバイトではないらしい。安心して中に入ろうとしたとき……。
「あ、君……」
突然後ろから声をかけられた。ビクっと身体を振るわせて恐る恐る振り返る。そこには祐一と同じ制服を着た昨日の彼がいた。どうやら祐一と同じ学校らしい。
真琴はいるはずがないと思っていたのでどうしていいか解らなくなった。
「どうしたの？ 入らないの？」
「は、入らないわよ！」
大声で言ってしまい、しまったと思ったが後には引けない。驚いた表情の彼を置いて真琴はそのまま駆けだした。
昨日と同じように家まで走っていきたかったが、駄目なようだ。息が上がったため立ち止まり、膝に手を置いて呼吸を整える。
徐々に呼吸が整ってくると頭を軽く叩く。
「なに、してるんだろう……？」
答えは出ない。
「変な女の子だと思われちゃったかな……？」
だとするなら、少し胸が痛くなる。
真琴は深呼吸をして気持ちを切り替えた。
「よし！」
そう言って歩き出し、帰路についた。
沈む夕日を見つめると、なんだか暖かく見守っているような気がした。
だが、真琴は数日間同じようなことを繰り返していた。
いつものように玄関で靴を履こうとしたとき、ドアを開けて祐一が帰ってきた。
「ただいま〜……って、どっか行くのか？ 真琴」
「ど、どこでもいいでしょ」
祐一の言葉に過敏に反応してしまう。相手にしたくなかったのでそのまま出ていこうとした……が。
「お〜い、相沢。早く中に入ってくれないと、寒いんだが……」
「おっと悪い」
聞き覚えのある声がすると、祐一がどいて同じく見覚えのある人物が中に入ってくる。彼だ。
どうして彼がここにいるのか真琴には解らなかった。
頭はすでにパニックを起こし、なにも考えられない。胸の鼓動が早くなるのを感じる。
「あれ？ 君はどうし――」
「あ、あ、あうぅ〜」
「え？ ちょっ――」
彼の言葉を遮って真琴は居間へと引き返した。勢いよくドアを閉め、ノブを強く握ってドアを押さえる。そんなことなどする必要はなかったのだが、せずにはいられなかった。
ドア越しに小さく祐一達の声が聞こえる。
『なんだ？ あいつ。……お前なにかしたのか？』
『な！？ す、するわけないだろ！』
『ホントか？』
『あのな、相沢。俺をなんだと思ってるんだ？』
『まあ、たとえお前が犯罪者でも、俺は友達だからな』
『違うって！』
『隠すなよ』
『なんだ、その全てを悟ったような目は！』
『まぁ、真面目な話。あいつはちょっと人見知りが激しいからな、気にすることはないさ』
『…………』
違う……そんなんじゃない！
心の中で真琴は叫んだ。
違うの……なんだか解らないけど、違うのよ！
そのとき頬を熱いものが伝った。
涙……？
なぜ涙を流したのか解らなかった。
あれ？ なんで泣いてるの？
わかんない……だけど……。
悲しい……？
足の力が抜けて床に座り込み、静かに涙を流した。
落ち着きを取り戻した真琴は、自室で大好きな漫画を読んでくつろいでいた。
床に寝ころんで少しだらしないとは思っているが、止められないのだ。
ドアがノックされる音がした。普段なら反応しないのだが、今回は違った。その後に聞こえてくる声……。
『あの、北川だけど……入ってもいい？』
「え！？」
一瞬にして我に返った。慌てて起きあがり、散らばった漫画などを片付ける。髪の毛なんかもいじってみた。胸の鼓動を押さえつつドアの前に立つ。
『あの、入っていいかな？』
もう一度聞いてくる声に、一呼吸置いてから真琴は答えた。
「ど、どうぞ……」
真琴がドアを開けると彼が入ってきた。
「おじゃまします……」
彼はこちらを伺うように静かに言った。入れたはいいが何を喋っていいのか解らずに黙るしかなかった。気まずい空気が二人を包んでいる。
前にもこんなことがあったと真琴は思っていた。
彼は俯き加減で頬を掻いた。
「ええっと、相沢にさ。部屋がここだって聞いたから、その……」
彼の様子からして自分はすごく不安そうな顔をしているのだろうと思った。少し申し訳なく思う。
「あう……」
こんな言葉しか出なかった。本当はもっと違う『なにか』を言いたかった。それがなにか解らなかったが……。
彼はまっすぐ真琴を見る。
「あ、あのさ。俺、なんかしたかな？ なんだか、避けられてるみたいだから……」
「あ……」
真琴は言葉を失った。自分の行動が彼を傷つけていたことに。
「もし、知らないうちに嫌なことしてたんなら、謝るよ」
「あの、違うの……」
真琴は精一杯の勇気を振り絞って、自分の気持ちを言葉にする。
「そうじゃなくて、その……あのときから恥ずかしくて……」
だんだんと、顔が火照ってくる。彼にはなんのことだか解らないらしい。恥ずかしかったが、真琴は自分の頬をつまんで口に運ぶジェスチャーをする。
「あ……」
それで伝わったようで、彼は慌てだした。
「あ、そ、そうか、つい……ごめん」
彼は少し照れながら素直に頭を下げた。
「ううん、いいの。ただ、会うと思い出しちゃって恥ずかしかっただけだから……」
それを聞くと彼は一気に明るい表情になった。少しドキっとする。
「じゃあ、別に俺のこと嫌いじゃってわけじゃないんだよね？」
真琴はコクリと頷いた。彼は安心した顔でよかったと呟いた。
「座ってもいい？」
「うん」
お互い向かい合うようにして床に座った。
「いや〜、よかったよかった。君みたいなイイコに嫌われたくないからね」
「イイコ？」
心当たりのなかった真琴はキョトンとした。
「ほら、俺が肉まんを捨てたって言ったとき、君は……」
『なんだかもったいない……食べ物を粗末にしたみたいで……』
「……って、言ったからさ。イイコだなって関心してたんだ」
「そ、そうかな？」
褒められて悪い気はしない。真琴は俯きながら照れた。
「俺はそう思うよ」
「えへへ……」
真琴が照れていると、彼は何かを思い出した。
「あ、そうだ。肉まん好きなの？」
「大好き！」
言ってから真琴は恥ずかしくなった。素直な真琴に彼は微笑みを浮かべていた。
「はは……、じゃあ、今度肉まんのおいしい店につれてってあげるよ。もちろん、俺のおごりでね」
「ホント！？」
真琴の本当に素直な反応に彼は大きく頷いた。そこで、彼はハッとした表情になった。
「あ、そう言えばまだ自己紹介してないね。俺、北川潤。相沢とはクラスメイトなんだ。よろしく」
「沢渡真琴……あの、よろしく」
まだ少し恥ずかしかった真琴は上目遣いで言った。
「真琴……ちゃん？ かわいい名前だね」
彼のニッコリ笑う表情にまたも真琴はドキッとしてしまった。
数日後の日曜日。今日は訳あって真琴は早起きしていた。身支度を整え、玄関で靴を履く。今起きたのか、祐一が眠そうな顔で話しかけてきた。
「ん？ 真琴、どっか行くのか？」
「うん。潤に肉まんのおいしいお店に連れてってもらうの」
満面の笑顔を向ける真琴にいつもならからかってくる祐一だったが、そんな気はないらしい。
「ふ〜ん……そうか。まあ、気を付けてな」
「うん、いってきま〜す」
元気良く言って、真琴は家を出た。
晴れた青空の下待ち合わせの場所まで急ぐ。今から肉まんのことを想像して笑顔がこぼれる。だが、それだけではない。彼に会えるのだ。
彼は……。
なんだかわかんないけど……あったかい……。
肉まんと同じ？
わかんない。
だけど……早く会いたい……。
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