マリッジブルー
ある冬の日、二人は出会いそして恋に落ちた。
どこかのゲームのキャッチコピーにでも使われそうな、そんな何処にでもある話である。
振り返ってみれば、思い返すことも無く幸せな日々の片隅に埋もれてしまっているようなそんな話。
登場人物は二人。
後お節介が一人出てくるがここでは省く。
少し普通ではない出会いをして、そこから始まった関係を恋愛へと発展させた何処にでもいる少年と少女。
これが彼らにとって良き日であったことは間違いないが、だからと言って重要な日であったかと聞かれればさしてそれほどのものともいえない。
それは、当たり前のことだから。
元から持っていたものだったから。
振り返れば二人は、何時もこんな日常を繰り返していたから。
これから語られる話は、つまりはそう言う話である。
『相沢祐一様
大切な話がありますので、放課後屋上にてお待ちしております。
天野美汐』
「今日産婦人科に行ってきました、3ヶ月だそうです。」
「そうか。」
大切な話、終了。
そのまま二人は無言で別れることとなる。
あらかじめ申し合わせたように、二人順々に屋上を後にし、別々の道を通って校門を出た。
天野美汐は深いため息を吐く。
先ほどの彼のあの態度、普段の彼とは余りにも違う淡々とした態度は、まったくもって彼女の予想通りのものであった。
相沢祐一というのは、酷く優しく、そして残酷なまでに誠実な人間である。
それが彼女の相沢祐一に対する評価だ。
誠実な人間だから。
真剣で在らねばならない時を知っているから。
だから、今は真剣であってくれたのだろう。
それが彼の魅力であるのだろうし、だからこそ彼女は彼に惹かれたのだから。
だから、彼女にとって彼の反応は予想通りだった。
だから少し時間をおくために別れた。
自分が言うべきことは全て言った。
後は彼が最良の選択を導き出してくれるだろう。
彼女はに出来るのは、彼を信じて待つことだけ。
だが、だからこそ不安がある。
彼のことを信じている。
彼を愛している。
彼に愛されている。
だというのに、何時もどこかに不安がある。
出会い、触れ合い、心を通わせ、肌を重ねた。
だけど、自分がもっとも彼の近くにいるという自信がもてない。
傍にいるときも、心を通わせている時も、肌を重ね合わせている時も、初めて名前を呼ばれた時でさえ、彼女は不安だった。
自分が冷たい人間だと知っているから。
自分のことを、こんなにもやさしく包んでくれる人間がいることが信じられない。
彼の周りにはつねに魅力的な女性がいるから。
彼の傍ら、自分の立っている場所が信じられない。
優しい男だった。
だから、女を見捨てることが出来なかった。
いつか何処かでそんなような内容の小説を読んだことがある。
だからもし、自分達の関係も、ただそれだけのものに過ぎないのだとしたら。
「馬鹿馬鹿しい。」
それは優しさなんかじゃない。
ただの偽善なんだから、彼とは、違う。
「私は祐一さんを愛しているのだから・・・。」
だから祐一さんも、私のことを愛してくれている。
口でそういうのは簡単だ。
だが心はそう簡単に納得してはくれない。
そうさせる要素はいくらでもある。
例えば目の前。
目の前の喫茶店。
彼が、彼女にとって最愛の彼が、別の女と楽しそうに話をしていたとしたら・・・・・・・・・・・？
気付いた時には、足が勝手に動いていた。
気付いた時には喫茶店の中で、彼の目の前でわめき散らしていた。
泣きながら、テーブルを叩いて、人の目を気にすることもなく。
呆然とする彼の顔に、テーブルに置かれていたカップの中身を、思い切りぶちまけていた。
そして、彼女はここに居る。
緑生い茂る丘。
いくつかの出会いと、別れが交差する場所。
彼女は一人腰を降ろして空を見上げる。
元々解かっていたことだ。
彼は魅力的な男性だから。
だから、だから自分みたいな酷薄な人間を本気で愛してくれる筈もないということは。
彼の周りには常に幾人もの女性の姿があって、自分もその中の一人に過ぎないということは。
そんなことは解かっていたのだから。
自分だけが本気だった。
彼には代わりとなる人がいくらでもいるのに。
自分だけが信じていた。
彼の気を知ることもなく。
だから自分だけがこうして一人で悩んでいる。
その間に彼は別の女性と、あんなに楽しそうに話をしていたというのに・・・・・・・・・・・・・・！！
彼女はそっと自分のお腹に手をやり、呟く。
「これからどうしましょうね、君・・・・・・・。」
呟きは風に乗って。
丘を駆け巡り彼のもとに届く。
「そのことに付いて幾つか話があるんだが、聞いてくれるか？」
はたして彼はそこにいた。
何時もの様に。
何時もの顔で。
ここまで来れば結末を想像するのは容易いであろう。
結末を継げる言葉は既に用意されている。
だがその前に少し、時間を遡らせて頂く。
彼の視点から、もう一度物語を追いかけてみよう。
相沢祐一は深いため息を吐く。
先ほどの彼女の言葉に対し、気の聞いたセリフの一つも言うことが出来なかった自分を嫌悪しながら。
子供が出来た。
まだ二人とも学生だというのに。
彼にとってそれは何の問題でもない。
ただ、それを気付いてやることが出来なかった自分が許せない。
何時も彼女の傍にいた。
彼女のことを誰よりも知っているつもりでいた。
だというのに、自分は何も彼女のことを解かっていなかった。
天野美汐という少女は、何事も自分だけで抱え込んでしまうところがある。
そういう彼女を助けてあげたいと思ったからこそ、今の自分と彼女の関係は始まった。
自分が傍にいる。
その事を彼女に知って欲しかった。
傍にいる人に、甘えても良いんだと教えてあげたかった。
彼女に愛されていたかった。
自分が、彼女のことを愛しているから。
だから、だからその事を伝えてあげなければならない。
そうしなければ、きっと彼女は深い深い泥沼にたった一人で足を踏み入れてしまうから。
「悩み事なら相談に乗るわよ。」
何時の間にやら目の前にいたクラスメートは、そう言って彼を捕獲した。
とりあえず行きつけの喫茶店に入り、これまでの経緯を友人に話す。
「馬鹿。」
と、第一声で言われたのは語るまでもない。
相談事事体はさして深刻なものではなかった。
何故なら彼は自分がするべき事はもう解かっていたから。
だから、自然彼らの会話は何時ものペースで進んでいく。
時折冗談を交えながら、楽しげに。
店の外から彼を見つめる、その視線に気付くことも無く。
ただ単純にその時間を楽しんでいた。
だからこれは自分の責任。
彼女が一人悩んでいることを知っていたのに、一人楽しくおしゃべりをしていた自分が悪い。
だからたとえ、煎れたてのコーヒーを頭から被ったとしても、それは自分の責任なのだろう。
呆然としたのは一瞬のこと。
取るもの取らずに彼女の後を追いかける。
コーヒーの代金など当然払うべくもない。
それはまぁ、一人楽しそうに傍観者に徹していた友人に対する、ささやかな復讐の意味もこめられていたのだが。
そして彼はその場所へ走る。
緑生い茂る丘の中腹。
虚ろなまなざしで空を眺める彼女のもとへと。
「これからどうしましょうね、君・・・・・・・。」
だから俺が。
「そのことに付いて幾つか話があるんだが、聞いてくれるか？」
傍にいるから。
話はここで繋がる。
「それには及びません、私ももう覚悟は出来ていますから。」
数瞬の間の後、彼女は気丈にもそう言ってのけた。
彼は少し顔をしかめて言う。
「まぁそう言うなよ、これでも少しはない知恵絞って考えてきたんだから。」
「ですからそれには及びません、もとより祐一さんにご迷惑をおかけするつもりはなかったのですから、この子の事は、私が責任を持って一人で育てていきます。」
何事も自分だけで抱え込んでしまう。
彼の思ったとおりで、彼女は全てを一人で背負い込もうとしている。
「ですが、きっかけが祐一さんにもあることは確かですので、後生ですから、せめて、認知だけは・・・、このこの父親だということだ・・・けはっ・・・。」
『認知』
法律上の婚姻関係によらないで生まれた子を、その父かまたは母が自分の子だと認めること。
涙目で絶望に打ちひしがれていてもそういう現実的な部分だけはしっかりしているのが、いかにも彼女らしい。
というか、おばさんくさい。
彼は時と場をわきまえず苦笑してしまった。
そういうところが可愛いんだよな、とかどうしようもないことまで考えてしまう。
彼女を道化のままにしておく訳にはいかない。
だから彼はこの状況を打開すべくとんでもないことを口にする。
「おろすとかっていう選択肢は無いんだ？」
「そんな人として不出来なことが出来ますかっ！！」
案の定彼女は激昂して言葉を荒げた。
この勢いなら平気だろう。
そう考えて彼は軽薄な笑いを浮かべて言う。
「それについては俺も同感だな、だからさ、そういうところも含めて俺から話があるんだけどいいか？」
笑顔を浮かべる彼に、彼女は少し勢いをそがれる。
「は、・・・ぁぁ・・・・ハイ。」
生返事を返す彼女に、彼は言葉を続ける。
「じゃぁ聞いてくれ、3つほど考えてきたから好きなやつを選んでくれて良いから。」
3つほど考えてきた。
何を？
決まっている、これからのことだ。
彼女は自然居住まいを正す。
彼は仰々しく咳払いをして口を開く。
「まず一つ目、『死が二人を別つまで、共に歩むことを誓って欲しい』。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は？」
彼女は呆然としてしまう。
彼は構わず言葉を続ける。
「二つ目、・・・・・・香里のお勧めのやつだな、『君は僕の太陽だ、永遠に僕を照らし続けてくれ!』。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっと。」
一体なにを言っているのだろう彼は？
子供が出来たという事実が余りに衝撃的過ぎて、頭のネジが外れてしまったのだろうか。
彼は彼女の反応を伺い顔をしかめた。
どうやら、違う意味で解釈しているらしい。
「ぬ・・・・・・やっぱりダメか、じゃぁこれが最後だ、『黙って俺について来い!』。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
嗚呼、もう何がなにやら。
混乱する頭で、それでも彼女は彼に問うた。
「あの・・・、何をおっしゃりたいのか今一よく解からないのですが。」
彼女の言葉に、彼は決まり悪そうに頭を掻いた。
「いやほら、子供が出来たんだからなぁなぁってわけにも行かないだろう？だからえっと・・・、プロポーズの言葉なんかを考えてみた訳で・・・さぁ。」
最後のほうは流石に恥ずかしかったのか、彼の頬はかすかに朱に染まっていた。
しかし、彼女はますます混乱してしまう。
プロポーズ？
何故？
自分は彼にそんなものを受けるいわれは・・・いや、あるのか？
あるはず、かも知れない。
混乱して口を閉ざしてしまった彼女に、なおも彼は言葉をつなげる。
「んでまぁ、気の聞いた言葉を贈ってやりたかったからさ、こーいうの考えるの苦手だから、香里なんかにも相談してみたんだが・・・。」
気が付けば彼の顔は真っ赤である。
ここに至ってようやく彼女は落ち着きを取り戻した。
彼女はしばし黙考する。
なんてことは無い。
彼は元々そういう人なのだから。
初めから何の不安も無かった。
だから彼女は、いつも通りの済ました顔で、現実的な問題を口にする。
「ですが祐一さん、学校のことなどはどうなさるおつもりなのですか？」
「学校なんてやめるに決まってじゃないか、美汐だってそのつもりなんだろ？」
それがごく当たり前のことのように、彼はそう言うのだ。
「よろしいのですかそれで？不安なことは？今までどおりではいられなくなるかも知れないのに。」
震える声で問う彼女を、彼は優しく抱きしめる。
「子供の一人や二人できたぐらいで、崩れちゃうような付き合いをしてきた訳じゃないだろう？多少の苦労があるかもしれないし、辛い事だって多いかもしれない、でもそう言う時は今までどおり二人で解決していけば良いじゃないか。」
そう言うところ、すごく好きです。
言葉にならないその思いは、別の言葉で形を作る。
「今の言葉で、お願いします。」
「・・・・・・何が？」
訳がわからず問い返す彼に、彼女は少しの笑顔を浮かべる。
「好きのものを選べ、とおっしゃいました、ですから先ほどの言葉でお願いします、と。」
ああ、この笑顔に惚れた訳だ。
ならば彼は答えるしかない。
思いのままに、自分の心を伝えよう。
彼はゆっくりと口を開く。
だがはからずも彼の言葉は、彼女の唇によって塞がれた。
絡み合う視線。彼女の呼吸が彼の頬をくすぐる。
瞳を閉じた彼らにとって、触れ合う甘い感触だけが世界の全てとなった。
甘く、限りなく甘い時間が過ぎ去って、離れていく彼女の唇から、言葉が零れ落ちる。
「不束者ですが、末永くよろしくお願いします。」
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