ある日ボクは天使に会った
ある日ボクは天使に会った
雪降る町の、駅前の、
小さいベンチに、少女が1人。
リボンを着けた、その少女。
今日も、待ち人待っている―――。
雪は深々降り積もる。
人もどんどん歩いてる。
少女に誰も気付かない。
それでも少女は待っている。
約束のため、待っている―――。
「ふぅ…」
ベンチに座っている少女が、小さく息を吐く。
その口から出た白い息は、すぐに周りの空気と混ざり合い、見えなくなった。
見た目中学生くらいの、頭に白いリボンを着けた少女・月宮あゆは
一度空を見上げると、再び視線を正面の人ごみに向けた。
ベンチのある駅前は、こんな雪の日でも人で溢れている。
だが、誰もあゆに注意を向けることなく通り過ぎていく。
…まるで、そこにいるはずのあゆが見えないかのように。
「遅いなぁ…」
あゆが今度は声に出して呟く。
さっきより大きな白い息は、やっぱりすぐに周りの空気に溶けてしまった。
「ボクあれからもう…あれ？ボク、いつから待っていたんだっけ？」
もしも、あゆの隣に一日中座っている人がいたら、朝から１０回以上は繰り返し聞いていた疑問をあゆは口にした。
だが、仮に隣で聞いていた人がいたとしても、まさかあゆがこのセリフを
７年にも渡って言い続けてきたなどと、誰が想像できようか。
「…でも、祐一くんは約束してくれたもんね。ボクとまた遊んでくれるって。
祐一くんはいつも約束を守ってくれるから…うん、きっともうすぐ来てくれる」
他の誰でもなく、自分自身に言い聞かせるように自信を持ってあゆは言う。
これもまた、７年間言い続けてきたセリフ。
しかし、毎日消えては現れ、消えては現れを繰り返してきた夢の中ゆえ、
あゆにとっては「過去」など何の意味もなかった。
彼女にとっては、「今」が全て。
それは、まるで、幼い子供のように。
「今」という瞬間に、全てが詰まっている―――。
そして、夕暮れ。
夕焼けが、全てを染めていく。
木も、雪も、風も。
駅も、道も、家路へと向かう人すらも。
赤く、朱く、染まってく。
そして。
不意に。
止まっていた、あゆの隣の空気が動いた。
誰かが隣に座る気配。
あゆは黙って横を向く。
そこにいたのは、１人の少年。
今来たばかりのはずなのに、
ずっとここにいたかのように、
金色の髪を風になびかせ、
静かにベンチに座っている―――。
「こんにちは」
あゆの視線を感じた、少年が微笑む。
見た目、あゆと同じくらいの年の少年である。
雪のように真っ白い服と、
短く切りそろえられた金髪の髪が、
対照的でありながらどこか神秘的な組み合わせを感じさせる。
「こ、こんにちわ」
その挨拶が自分に向けてのことだと感じたあゆは、とまどいながらも挨拶を返す。
祐一くんじゃない。
知らない人だ。
…でも、ボクはどこかでこの子を見たことがあるような気がする。
少年を見たときのあゆの第一印象は、こういった感じであった。
「…ずっとここにいるんだね、君は」
それが少年の二言目。
それは温かく、優しい声だった。
「えっ、ボクのことを知ってるの？」
ちょっとビックリしてあゆが尋ねる。
「うん。僕はずっと、君を見てきたからね」
「ボクを？」
あゆは今度はもっとビックリした。
「そう。それが僕の役目だからね。―――月宮あゆさん、いや、あゆちゃんと呼んでいいかな？」
「ボクの名前まで知ってるなんて…キミ、誰？」
少年に対する不信よりは幼さ特有の興味が勝ったのか、
特に怖がることもなくあゆは尋ねる。
「僕？」
そして、少年はちょっといたずらっぽく笑って言った。
「僕はね―――――天使なんだよ」
「天使さんなんだ。すごいなぁ。ボク初めて会ったよ」
感嘆の声を漏らすあゆ。
「疑ったりしないのかい？」
「うん。だって、普通自分は天使だなんてウソつく人いないもん」
こういう、人を素直に信じられるところが、子供のような純粋な心を持つあゆの特徴であろう。
「そっか、なら、話は早いね」
「話？ボクに？」
「うん。僕はふだんは天国にいるんだけどね。今日はあゆちゃんに話があったからやって来たんだ」
「そうなんだ。それで、天使さんがボクに何のお話なのかな？」
「えっとね…」
ここでちょっと間を空ける。
今度はさっきとは違い、真剣な顔つきである。
「…神様からの、届け物とプレゼント」
いきなり神様とか天使とか言われても、普通の人間ならまず信じないだろう。
そんなことを言う奴はよほどかまって欲しい暇人か、ただの頭のおかしいやつと思うだろう。
けれど、あゆは信じた。
最初から疑いなど持たず、さっき会ったばかりの少年を信じた。
あゆの好奇心は強かったし、少年の目は嘘を言ってなかったし、何より
今まで誰にも自分を見てもらえなかったあゆには、少年が声をかけてくれたのが嬉しかったから。
「うぐぅ？神様から？」
「そう。神様はね、ずっと君を見てきたから、君がどれだけ長い間待っていたか知ってる。
君にどんな過去があり、これから何が起こるかもね。
だから、君のために出来ることをしてあげようと思ったんだよ」
「どんなことを？」
「それはね…まず、届け物から先に渡そうか」
「う、うん」
あゆがそう言うと、少年は両手を目の前にかざした。
すると、何もないはずの空間から、光とともに綺麗に包装された紙包みが出てきた。
これを他人が見たら、ひどく驚くところだろう。
だが、道行く人は誰もベンチの二人に気付いていなかった。
いや、見えていなかったのかもしれない。
少年はあゆにしか、あゆは少年にしか見えない存在だったのかもしれない。
…それは、誰にも証明できないことだけれど。
「はい」
少年は紙包みをあゆに渡した。
「開けてもいいの？」
「うん、君の物だからね」
がさがさ、と音を立てて、あゆは中身を取り出す。
中から出てきたのは、
真っ赤な、
カチューシャだった。
「うぐぅ？カチューシャ？」
どうしてこれを神様がくれるのか、さっぱり分からないのか、首をかしげるあゆ。
「そう。７年前に、君がもらうはずだったものだよ」
少年は優しい笑顔で答える。
「７年前…？」
「うん。君が待っている人・相沢祐一君から、あゆちゃんへのプレゼントになるはずだったもの」
「祐一くんからの…！？」
その懐かしい名前に、あゆが反応する。
どうして祐一君のこと知って…と聞こうとする前に、
（ああ、神様だったら知っててもおかしくないかもね）と思い直した。
だが、かわりに新しい疑問が浮かんできた。
「あの、祐一くんからボクへのプレゼントになるはずだった、ってどういうこと？」
「それはね…あゆちゃんは、７年前の最後に何が起こったか覚えている？」
「７年前？祐一くんと出会った年だよね？う〜ん…ダメだよ、思い出せない」
首を大きく捻って思い出そうとするあゆ。
その格好は、どこか可愛らしくて微笑ましい。
「そっか。…僕は知ってる。でも、それは僕の口からは言えないんだ。悲しいことがあった、それだけしか言えない」
「悲しいこと…」
７年前。
祐一と待ち合わせていたあゆが、木から落ちてしまった悲しい事件。
祐一も、そしてあゆ自身も、
その悲しさから目をそらす為に、
弱い心を守るために、
そのことを忘れてしまっていた。
「それでね」
輪郭のハッキリしない、記憶の中の悲しいイメージを探っていたあゆは、少年の言葉で思考を現実に戻した。
「そのとき悲しいことがあったせいで、祐一君があゆちゃんのために用意していたプレゼントは、
結局渡されないままで終わってしまったんだ。
神様はそれを拾って、あゆちゃんに届けるように僕に頼んだんだよ」
「これが…祐一くんからボクへのプレゼント…」
手に取り、頭上にかざして、あゆはまじまじとその赤いカチューシャを見つめる。
宝物でも扱うかのように。
大事に、大事に扱いながら。
「だからね、これからはリボンじゃなく、それを着けておくといいよ。
せっかく祐一君がくれたものだし、祐一君とまた会ったときにもそれを着けていれば、祐一君も
君のことがすぐに分かるかもしれないから」
「うんっ。ありがとう。大事にするよ。神様にもお礼を言っておいてね」
「分かったよ」
そう言って並ぶ、二つの笑顔。
夕焼けから闇へと変わりつつある夜の訪れの中においても、
そのカチューシャの赤と少年の金色の髪は不思議と目立っていた。
それは、幻想的な夕暮れ時では決して見られないであろう、黒と赤と金のコントラスト。
白い雪も闇に消え、
人の姿も闇に溶け、
それでも世界には２人が存在することを証明するかのように、
そこには確かに色が在った。
「じゃあ、次はプレゼント、かな。
これは、本当に神様が君のために用意してくれたもの。
たった１人で、７年間も祐一君を待っていたあゆちゃんのために、神様がくれたご褒美なんだ」
「それってなに？たい焼き？」
ご褒美、と聞いて真っ先に思い浮かんだものを挙げるあゆ。
「あはは、欲がないんだね、あゆちゃんは」
少年が小さく微笑む。
「でも、そういう純粋な心を持ってるからこそ、神様もご褒美をあげてもいいと思ったんだけどね」
「うぐぅ？よく分からないけど、それじゃあご褒美って何なの？」
「うん。…大事な話だから、よく聞いてね」
ここで、再び少年は真面目な顔になる。
それを見て、あゆも真面目に聞こうと構える。
そして、
少年は、
静かに、口を開いた。
「…あゆちゃん。君は、１つだけ願いを何でも叶えられるようになったんだ」
「願いを、何でも…」
「そう。神様だからこそできること。
この、夢の世界だからこそできること。
君のために出来る、最高のことなんだよ」
「すごいね。本当に何でも叶えられるの？」
さすがのあゆも、少し興奮気味である。
だが、あゆには願いを私利私欲のために使おうなどという気持ちは微塵もなかった。
そこにはただ純粋な、驚きと好奇心があった。
「何でもだよ。ただし、条件があるけどね」
「条件？」
「そう。２つの条件」
「条件ってなに？」
「あゆちゃんは、何だと思う？」
「う〜ん」
しばし考えるあゆ。
そして、答えが出たのか、「あっ」と、少年の方に向き直った。
「神様が叶えられるお願いじゃないとお願いできない、とか？」
自信ありげに言うあゆ。
それは、昔あゆが祐一から言われたこと。
あの天使の人形を貰って、願いを叶える話になったとき、祐一が言っていたこと。
それを思い出したようだった。
「う〜ん、残念」
ちょっとおどけた様子で、少年も答える。
「神様だから、叶えようと思えば何でもできるんだ。だから、残念ながらその答えはハズレ」
「そっか、うぐぅ、残念…」
「でも、いい答えだよ。それじゃあ、正解です」
「うんうん」
真剣ながらも、どこかちょっと芝居がかった様子の少年であった。
「１つ目の条件は、その願いを心から願うこと。
いいかげんな気持ちじゃなくて、本当に真剣にこの願いを叶えて欲しいと願うこと。
自分のためにでも、人のためにでも。
どうしてかって言うとね、神様は、本当は１人だけのお願いを叶えちゃいけないんだよ。
１人のお願いを叶えてあげたりしたら、他のみんなも自分の願いを叶えて欲しいと思ってしまう。
それじゃあキリがないからね。それでも今回は特別に叶えてあげるわけだから、
願いを叶えてもらえない他の人たちのためにも、いいかげんな気持ちでお願いされても絶対に許さないんだ」
「…うん、分かったよ。約束する」
力強く、あゆは頷いた。
「ありがとう。あゆちゃんならきっと大丈夫だよ」
少年も、満足そうに微笑む。
「それで、２つめの条件は何？」
「…うん、２つめはね…」
「…僕をもう一度見つけること」
「…キミを？」
「そう。神様に願いを叶えてもらうためには、僕があゆちゃんのそばにいないといけないんだ。
だから、お願いする前に、僕を見つけて、僕にお願いを伝えないといけない」
その言葉に、あゆの顔にかすかだが不安の色が見えた。
もう一度、少年を見つける。
この広い街で、たった一人を。
それが、あゆには自信がなかったのだろうか。
「で、でもどうして？どうしてキミがいないといけないの？」
「それはね…もともと、僕が神様にお願いしたからなんだよ。
『あゆちゃんはずっと待ち続けていたから、あゆちゃんに残された最後のお願いだけは、せめて何でも叶えられるようにしてあげたい』 って。
それを神様は聞き届けてくれた。僕を形だけの存在じゃなく、本当の天使にもしてくれた。
だから、元々が僕から始まったことだから、僕には最後に立ち会う必要があるんだ。
…大丈夫。あゆちゃんか、同じく僕を知っている祐一君が、僕のことを心から必要としてくれれば、
僕はかならず見つけてもらえるから」
それを聞いて、あゆの表情が一変する。
「最後のお願い…本当の天使…祐一君も知ってる…それに、その顔…
もしかして、キミは……」
あゆがそのセリフを言い終わらないうちに、
辺りに、光が満ちた。
いつのまにか、周囲に人はいなくなっていた。
夜の闇と、静寂の中。
そこには、
あゆと、
光を放つ、純白の翼を持つ天使の少年の、
２人しか存在しなくなっていた。
「…思い出してくれたんだね」
背中の翼を羽ばたかせ、地上３０センチほどの高さに浮き上がったまま、少年は言った。
優しく微笑むその姿。
それはまさに、神でなければ天使の姿。
頭の上にも、いつのまにか天使の輪が乗っていた。
「そう。僕は、祐一君があゆちゃんにあげた天使の人形。
みっつの願いを叶えると祐一君がいった、あの人形。
７年という月日、あゆちゃんと祐一君の想い、積み重ねられた夢と願い、そして神様の力で、
僕には心が生まれ、天使になった。
もちろん僕の本体は、まだ思い出の場所に埋められている。ここにあるのは心だけ」
あゆはただ、呆然と話を聞いていることしか出来ない。
あまりの驚きと、少年の放つ神秘のオーラに、言葉が出てこないのだ。
少年は、気にせず続ける。
「だから、この世界も心の世界。言い換えるなら、夢の世界。
僕らが存在できるのは、ここだけだから。
そして、次に君がこの世界に来たときには、たぶん僕と会ったことも、僕が言ったことも忘れている」
少年の語る言葉の重みが、あゆにのしかかって行く。
それでも、あゆは言葉が出せない。
驚きか、悲しみか、寂しさか、不安か、それとも希望なのか。
その心の中にある感情は、少年にも読み取れなかった。
「だけど、今回のことも記憶の片隅には残る。
記憶は消滅したりはしないから。
そして、時がくればきっと全てを思い出す。
その時は、きっと、僕を必要とする時だろうから、僕を探して欲しい。
そして、君の信じるままに僕に願いをかけて欲しい」
少年の翼の光が強くなっていく。
それがすなわち、少年との別れが近づいていることだと、あゆにはなんとなく分かった。
「もうすぐ。
もうすぐ、祐一君がこの街に戻ってくる。
それは定められた未来。神様が見た未来。
でも、その先の未来は神様にも分からなかった。
それは、僕でも神様でもなく、祐一君とあゆちゃんが決める未来だから。
だから、その時が来るまで、またしばしのお別れだよ。
最後に僕からお願い。
後悔だけはしないで。
例え、どんな未来になったとしても、
最後まで笑っていられるような強さを忘れないで。
君はもう、その強さを知っているはずだから。
本当に幸せな未来を――君ならきっと―――作れるから―――――」
世界に光が満ちていく。
夢の世界が、消えていく。
けれど、この世界は終わらない。
何度でも、また何度でも、
夢はふたたび繰り返す。
夢を見る者がいる限り。
あゆも光に包まれる。
少しの間の、別れに向かう。
けれど、また夢が始まったら。
あゆも再び戻ってくる。
それが、夢の世界の住人の定め。
あゆが眠り続ける限り。
だから、あゆも、知っている。
この別れは、永遠ではない。
たとえ、今回のことを忘れても、
また、いつもどおりの夢の日々が始まったとしても、
『過去』と『希望』を忘れぬ限り、
『未来』はその手の中にある―――。
「…うん、分かったよ―――」
「またいつか、会おうね―――」
そして、その世界は、
ひとまず消えて、
また、作られて、
人がいなくなって、
また、やってきて、
風が止まって、
また、風が生まれて、
夜が終わって、
また、朝がきた…。
…再び、世界は始まった。
「うぐぅ、今日も寒いなぁ。
祐一くん、来てくれるかなぁ？」
雪降る町の、駅前の、
小さいベンチに、少女が1人。
カチューシャ着けた、その少女。
今日も、待ち人待っている―――。
雪は深々降り積もる。
人もどんどん歩いてる。
少女に誰も気付かない。
それでも少女は待っている。
約束のため、待っている―――。
「う〜、お腹空いたよ〜」
あゆのお腹が、くぅ、と可愛い音を立てる。
「…そうだ、たい焼きでも食べに行こうかな」
そう言って、あゆは立ち上がる。
「祐一くんから教えてもらった鯛焼き屋さんっ」
方向を確認すると、あゆは走る構えを見せる。
「待つのもいいけど、たまには自分から捜しに行ったほうがいいかもしれないしねっ」
そう言って、あゆは駆け出す。
風の遊ぶ駅前を、
雪の積もった並木道を、
そして、人で賑わう商店街を、
１人の少女が、駆け抜けていく―――。
完
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