舞が、親友が好きになった男の子。とても素敵な男の子。
その人――――祐一さんと、舞と、わたしと。高校を卒業したわたしと舞は、予てからの願い通り、３人で暮らし始めた。
夢のような日々が訪れるはずだった。
三人でいつまでも仲良く暮らしていけるはずだった。
だけど、あの日、祐一さんと舞が結ばれている所を見てしまった夜から。
少しずつ、でも確実に、私の二人への思いは変わっていった。
その時初めて、自分が女であることを強く意識してしまった。
その時初めて……嫉妬という感情が芽生えた。
……嫉妬、というよりも憧れに近かったのかもしれない。
本当に、子供のように純粋な舞。
わたしは、どんなに頑張っても舞のようにはなれない。
心に芽生えてしまった……欲望を、押さえる事はできない。
芽生えてしまった欲望を押さえて、子供のように純粋な心で祐一さんと結ばれることはできない。
……だから――――――――――――
多角関係
「あははー、ですから、皆さんにお願いしに来たというわけですよー」
突拍子もない佐祐理の言葉に目を白黒させる面々。
「お願いって……何？」
「もちろん、祐一さんに振り向いてもらうためのご助力を、です」
日曜日。水瀬家に、祐一の知り合いが一同に会した。当然、秘密裏に。
「祐一さん本人に『佐祐理とももっと親しくして下さい』とも言えないので……。祐一さん本人が佐祐理にも振り向いてくれるのが理想的なんです。その……ちょっと、ずるいかもしれませんが」
「……まあ、確かに言いづらいっていえば言いづらいわね……」
「別にずるくないよ〜。好きな男の子に振り向いてほしいっていうのは、女の子なら当然の願いだよ」
「……以前から気になっていたのですが、倉田先輩は相沢さんに敬語で話していますよね。同棲し始めた今でもそれは変わらない……。やはりその事実が、無意識のうちに相沢さんが倉田先輩に溝を作る要因になっているのではないでしょうか」
名雪の意見に賛同しようとする者の意見を制し、美汐が話題を促す。
「わーっ、美汐すごいっ、学者さんみたいっ！ さすが一番年上なだけはあるわねっ！！」
「――――― 一番年上？」
露骨に憤りを表した表情で真琴をたしなめる美汐。
「真琴。学生同士で集まっているなら軽い冗談としてみんなの笑いを取ることも出来たでしょうが、この場には秋子さんもいるのです。そんな嫌味な冗談は酷というものでしょう」
それこそ美汐なりにみんなの笑いを取ろうとした冗談だったが、大人気なくも聞き流してくれない方もいました。
「あらあら、どうして嫌味なのかしら？」
「……………………」
「うふふ、美汐ちゃん、ちょっと」
「あ、あの…………」
「……………………」
傍目にはそっと美汐の手を取り立ち上がった秋子だが、その華奢な手に万力のような力がはたらいていることを見抜いている者はいるだろうか。
助けを請うような目を皆に向ける美汐。その口が小さく動く。
声にならず、何を言っているのかはわからない。
正面から口の動きを見ていた真琴には、もしかしたらその言葉がわかっていたのかもしれない。
声を詰まらせて、不意に後ろを向いた。
「いってらっしゃい……」
それだけを口を押さえた手の下から紡ぎ出す真琴。
美汐は、抵抗する事すら出来ずに引きずられて行く。
リビングのドアが、鉄の扉のように重苦しい音を立てて閉まった。
しばらく後、声無き声での激しい絶叫が聞こえる。
それは廊下でも別の部屋でも２階からでもなく、地下から這い上がるかのように聞こえてきた。
目をそらす者、耳を塞ぐ者、よくわかってない者、リアクションは様々だが、とにかく天をつんざくほどの絶叫は続いた。
「名雪さん、この家って……」
「……命が惜しかったら深入りしない方がいいよ……」
「――――――はい」
数分後、何事もなかったかのように部屋に戻ってきた秋子と、その後ろからふらふらと歩いてくる美汐。
頬は痩せこけ、瞳に光はなく、髪の毛はこの世の地獄を見てきたかのように真白に染まっていた。
「わっ、天野さんが本当におばあちゃんに」
「美汐ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー！？」
揺さぶったり頬をはたいたりして意識を覚醒させようとする真琴の努力も空しく、美汐はうなされたように延々と謝罪の言葉を繰り返す。ただひたすら、神に懺悔でもするように……。
「もうしませんもうしませんもういいませんもういいませんさかもとまあやさかもとまあやさかもとまあやさかもとあまの」
「しっかりして美汐っ！ 今栞のクレヨンで髪の毛染めてあげるからっ！！」
気を取り直して（美汐の髪も染め直して）賑やかなディスカッションを再開する。
途中で赤のパステルがなくなってしまったため、美汐の後頭部はまばゆいばかりの七色に輝いている。
「……敬語の事はむしろ倉田先輩のキャラクターでもあるんだし、そのことは置いておいて、もう少し肩の力を抜いた作戦を考えればいいんじゃないかしら」
「……作戦って……」
「こういうのはどうでしょうか。倉田先輩は重い病を患ってしまって、次の誕生日までしか生きられない体だという嘘をつくんです。当然祐一さんは残された時間を精一杯幸せに過ごそうと寄り添ってきてくれますから、あとはその優しさにつけこんで一気に関係を深めようというわけです」
「まるで実体験のような隙のない作戦ね。さすがよ、栞。ドラマみたいで素敵だわ」
「……………………」
全員の刺すような視線などものともせず、最愛の妹を褒めちぎる香里。
「あ……あはは〜……それはちょっと。人を騙すのはいけませんよ〜……」
「大丈夫ですよ。逆のパターンならともかく、美少女が男の子を騙すのは何も悪い事じゃないです」
「ふえ……でも、佐祐理は演技とか得意じゃありませんから……。出来るでしょうか……」
不安げに肩を落とす佐祐理に、胸を張って香里が答える。
「心配いらないわ、倉田先輩。演劇部の私がみっちり指導してあげるから」
「それに、大学生にもなってそんなおっきいリボン恥ずかしげもなくつけてる佐祐理さんなら大丈夫だよねっ」
たい焼きを頬張りながら、あゆも適当に相槌を打つ。
そういうわけで、現役演劇部の香里と、どういうわけかアカデミー主演女優賞のトロフィーを持っていた秋子の鬼のような指導を受け、佐祐理はその演技力をめきめきと開花させていった。
「なんなのその男に媚びたような笑顔はっ！ もっと妖艶に笑えないのっ！？」
「はぇ〜、グラフィックがこれしかないんですよ〜……」
「うふふ佐祐理ちゃん、そんなことじゃあ脱ぎ女優としてしかやっていけないわよ」
「お、お母さん……なんで最優秀監督賞まで持ってるの……」
その日の夜、舞がバイトに行っている隙に作戦を実行する佐祐理。
「たくさん食べてくださいね、祐一さん。今日は佐祐理、頑張っちゃいましたから〜」
「う〜ん、でも、何も舞がいない時に頑張らなくてもなぁ」
「ふぇ……」
「あ、で、でも今日俺腹減ってるからっ！ うん、うまいよこれっ！！」
既に自分の意志で涙を自在に流せるまでに昇華された佐祐理の演技力。
頃合を見計らって、栞から託された作戦を実行に移す。
「ごちそうさま、佐祐理さん。美味かったよ」
「どういたしまし………………あっ…………」
「佐祐理さん！？」
片付けようとした食器が地面に落ち、顔面が蒼白になった佐祐理が祐一の方へと倒れ込む。
「佐祐理さんっ！！！」
「……と、とうとうこの時が来てしまったんですね……」
「一体何の事なんだ！？」
「……佐祐理は、次の誕生日まで生きられないと言われています……」
「誕生日って、２週間前に終わったよね……」
今は５月下旬。そうすると１年先の事だろうか。
「この手首の傷のせいで……現代の医学では治しようのない、不治の病にかかってしまったんです、佐祐理は」
「リストカットでかかる病気って、想像はつきませんけど……」
せいぜい出血多量くらいしか……。
「お願いします、祐一さん……。佐祐理の生命が尽きるその時まで、佐祐理を普通の女の子として扱ってください……」
「今までもそうしてきたつもりですが……」
「…………はぇ……」
「………………」
隠しカメラでその様子を見ていた香里が、口惜しげに拳を握り締める。
「おかしいわ。相沢くん、少し疑ってるみたい。倉田先輩の演技力は完璧になったのに……」
「……演技力は一流でも、脚本はＣ級だよ……」
「名雪さんっ！ それは、私のシナリオを揶揄しているととってもいいんですかっ！？」
「……ど、どうして…………！？」
ストールで名雪の首を絞めようとしている栞を余所に、カメラの向こうでは佐祐理がいちかばちかの熱演を始めていた。
「はえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
「さ、佐祐理さんっ！？」
１７年生きてきて一度も聞いた事のないような人間離れした絶叫に、祐一は取り乱し始めた。
「はあああああああええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
秋子仕込みのハリウッド演技が、祐一の疑心を見事に吹き飛ばす。
「今、救急車を呼ぶからな！ 頑張るんだ、佐祐理さん！！」
「……祐一さん……。最後に……大きな雪だるまを…………」
祐一が携帯電話をダイヤルし始めた時、勢いよく玄関のドアが開いた。
「舞っ！？」
「佐祐理の叫び声が聞こえたから、バイトを早退してきた…………」
舞のバイト先のおもちゃ屋さんは、アパートから１０Ｋｍ以上離れている。
「舞、佐祐理さんが病気なんだ！！ なんとかならないか！？」
「……頑張る」
両腕に渾身の力を篭め、佐祐理に力を注ぎ込み始める舞。
病床に伏した母親を助けた、舞の”力”。
極限まで衰弱し、精も根も失いかけた人間ならばそれは文字通り命の水となり得ただろうが、いたって健康体である佐祐理には、ぱんぱんにふくらんだ風船に無理矢理息を吹き込むようなものだった。
「は゛あ゛あ゛あ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え」
「わっ、倉田先輩、本当に迫真の演技です〜」
「……あれ、本当に苦しんでるんだと思うよ」
「舞、もう一頑張りだ！！」
「もう少しだから、頑張って、佐祐理」
「……あはは〜……もう少しで………………死にますよー……」
白濁した意識の中、佐祐理は機敏な動きの一弥に水鉄砲の乱射を喰らっていた…………
作戦名不治の病の女の子（略して不治子ちゃん）失敗
次の日。
「ねえみんな、学校行こうよ…………」
皆は学校にも行かず、昨日の作戦の失敗点を反省していた。
ちなみに佐祐理は家で寝ている事になっているので、祐一と舞だけで大学へ行った。
「水瀬先輩。倉田先輩は、人生の岐路に立つほどの悩みを抱えているのです。それを見捨てるなんて、そんな酷な事はないでしょう」
「そうよ、名雪。どうせあなた、学校行ってもほとんど寝てるんだからいいじゃない」
「真琴も保育園は大丈夫よっ！ 赤毛で関西弁のおばさんが、ヘルスで入ってくれたからっ！！」
「それをいうならヘルプよ、真琴」
「う〜ん、でも昨日の事を考ええると、滅多な真似はもうできないよね……」
「ではこういう作戦はどうでしょうか」
パステルの色素を毛根まで吸収して完全復活した美汐が、遠慮がちに話し始める。
「美坂さんの、相沢さんの優しさにつけこむというコンセプト自体は悪くはありません」
「……だからつけこむって……」
こういう場合は年上としてたしなめてあげるべきだろうか、それともそれは無粋な事だろうか、名雪は迷う。
「しかし、不治の病という現実離れした状況では、冷静な判断力を欠いてしまう可能性があります。あるいは、その逆でかえって冷静になってしまって嘘を見抜きやすくなってしまうのかもしれません。それならばいっそ、これ見よがしなくらい自分の寂しさをアピールするべきではないでしょうか。倉田先輩が淋しいというのは嘘ではないのですから、あとはそれを誇張するだけです」
「あ、確かに多少大袈裟にするくらいなら嘘にはならないもんねっ！」
オーバーリアクションの筆頭、あゆが賛同する。
「”淋し空間”に閉じこもって救いを待つ女の子。そしてその子には自分しかいないのだと気付く。ここまでお膳立てが整っていながら何もしなければ、男として不出来というものでしょう」
「すごーい、まるで自分がそうしてるみたいに説得力があるっ！ さすが美汐、年の功っ！！」
栞は首をかしげる。確かに美汐は教室で自分に結界を作ってしまっているが、クラスの男の子がかまってあげているのを見たことは一度もない。
「あはは〜、でもどうしましょう……。昨日舞に治療されてから、身体が火照って仕方がないんですよ……」
頬を赤らめながら、くねくねと身をよじる佐祐理。香里と美汐が舌なめずりしたように見えたのは錯覚だろうか。
「あ、結果オーライじゃないですか？ いい感じにえっちなキャラに転身できましたし」
「……それで祐一はその気になってないんだからますます問題だよ……」
大学から帰ってきた舞と祐一を、影を落とした暗い顔で見つめる佐祐理。
「あはは〜……お帰り、舞……祐一さん」
「……佐祐理、元気がない……」
「いつも仲がいいですね、二人は…………」
部屋の隅でうずくまる佐祐理の手首には、真新しい包帯が巻かれていた。
「さ、佐祐理さん…………」
真っ青になって佐祐理に近づいていく二人。
「さ、佐祐理さん……何か悩みがあるなら相談にのるけど……」
ちょっとした発言が引き金になってしまう事を恐れ、選び選び言葉を紡いでいく祐一。
はれものに触るように、慎重に悩みを聞き出そうとする。
「心配ないです。悩みなんてありませんよ、佐祐理は」
一瞬、昨日の狂言の病気の続きかと思ったが、佐祐理の表情は深刻だ。
その間にも佐祐理は、ちらっと祐一の方を向きながら大袈裟にため息をついたり、本を読もうとしても手首をかばって本を落としてしまったり……。果ては虚ろな目で何かぶつぶつ呟き始めたり……。
……まあようするに無茶苦茶あてつけがましかった。
「は、ははは……。あ、俺、今日バイトあったんだ〜……。じゃあ行ってくるね、佐祐理さん」
「………………私もバイト…………」
『お前……今日休みだろ、佐祐理さんの傍にいてやれよっ！！』
「………………急に替わってって言われた」
『だいたいあれ、昨日のお前の力の副作用とかじゃないのか！？』
『…………違うとは言い切れない』
『…………そうか……』
「………………」
「………………」
「…………バイトだから」
そそくさと逃げ出すように出て行く二人。
「あはは…………あれ？」
これからさらに陰湿な演技をしようと思っていた佐祐理は、ちょっと拍子抜けしてしまう。
「あれは祐一達、今夜は帰ってこないね……」
「あれじゃあ、淋しい女の子じゃなくてただの危ない子よっ！ 近づきたくなくなるじゃない！！」
「え、でも天野さんは学校ではあんな感じですよ」
「………………」
「………………」
「………………」
作戦名ミッシー（天野川で発見されたＵＭＡ）、失敗
さらに次の日。
「やっぱり、祐一くん相手には、根暗よりも少しお茶目な女の子の方がいいと思うんだっ！！」
重なる作戦の失敗に気を良くしたのか、今までおとなしくしていたあゆがしゃしゃり出て来る。
「普段真面目な女の子が見せるちょっと悪戯っぽい一面とか、きっと祐一くんはぐっとくるよっ！！」
「悪戯っぽい一面って、具体的にいえばどんなものなんですか？」
「例えば、食い逃げとか……く、食い逃げとか……食い逃げ……とか……」
「……ホントですか〜？」
「……うぐぅ……！ そうなんだよっ！！」
あゆの言われたまま、その日の昼、奢ると言ってこっそり舞に内緒で祐一と昼を食べに外へ出た佐祐理。
手はず通り、会計の前で困ったように大声を上げる。
「はぇー、財布忘れてきちゃいました。すみません祐一さん。奢るって言ったのに。困りましたね〜」
「はは、じゃあ俺が払いますよ」
「あはは〜、こうなったらダッシュです！ 祐一さん！！」
状況を飲み込めずにいる祐一の手を強引に引くと、童心に返ったように元気いっぱいにダッシュし始める佐祐理。
「話はあとです、祐一さんっ！ とにかく逃げますよ〜」
「だから俺財布持ってますって！！」
――――エキサイティングな佐祐理を見てくださいね、祐一さん！！
しかし、心躍る佐祐理の期待を余所に、店員が追いかけてくる様子は一向にない。
気になってすこし戻ってみると、黒服の男が支払いを済ませている所だった。
同棲を始めた後も佐祐理の身辺を警護している倉田家お抱えのＳＰ。
やっと上手くいきそうだった所を邪魔された怒りからか、ふえぇ、とそのＳＰに思い切りよくビンタをすると、がっくりとうなだれて祐一のもとへと戻って来る。
祐一以上に状況が飲み込めないのは誰であろう、そのＳＰであった。
……言葉もなく、ただ頬を張られた。
一番の新参であるそのＳＰは、もしやカードでなく現金で支払ったのがお嬢様のプライドに障ったのだろうと後悔していた。
特に、小銭入れから１円玉を３枚取り出す仕草などは、由緒ある倉田家に泥を塗るほどの失態であったかもしれない。
次からは、悠然と店を出て行くお嬢様の威厳を保つためにも、いかな大衆食堂とはいえ、カードを出さなくては……。
「あ……あれ、おかしいッスね……。どうして涙が出るのかな……？」
「今日の事を忘れるな。そして乗り越えろ。……お前は、きっと一人前のＳＰになれる……」
「先輩…………っ」
当の佐祐理はそんなＳＰ達の気苦労、悲喜交々などは知る由もなく。
作戦名うぐぅ（最も適当で行き当たりばったり）、失敗。
「……手強いわね、相沢君は」
「これだけ落ち度のない作戦の数々をことごとく打ち破るとは。普段の飄々とした態度は隠れ蓑で、実は相当な切れ者だったようですね」
「………………」
自分達の作戦が完璧だと信じて疑わないこの面々。一人だけ常識を保っていると思っていた名雪だが、こうなってくると段々、自分のほうがおかしいのではないかという錯覚さえ覚えてくる。
「では、最後の手段、というやつの出番かしらね」
……秋子さんの最終手段となると一つしか思い浮かばない面々。
それは作戦というよりはもはや、人の所業としてのボーダーラインも越えてしまっている気がする。
「年上の女性の魅力を最大限に引き出すんです」
「「「「「「「……え？」」」」」」」
全員の声が気持ちよくハモる。オレンジ色の回答を予想していただけに、これは少し拍子抜けだ。
「舞ちゃんは、凛々しく見えて子供みたいに甘え上手だもの。同じように対抗しても無理があるでしょう？ だったら、いっそ佐祐理ちゃんはお姉さんとして甘えさせてあげれば、きっと祐一さんも喜ぶわ」
「……素晴らしい意見ですね、秋子さん。まるで、自分がそうしようとして失敗した哀愁漂う未亡人のようです」
また余計な事を言ってしまった美汐が部屋の外へ連行されていったが、とりあえずそれを見ないようにして、面々はそれに付加するようにいろいろな意見を出し合っていく。
しかし、佐祐理はため息をつくと、謝るように頭を下げた。
「……ありがとうございます、皆さん。でも、もういいんです」
「……倉田先輩？」
「皆さんに協力して頂いてすごく助かりましたし、それに、楽しかったです……」
「倉田先輩、じゃあ……」
香里の問いにそっと頷く。そして、自分に言い聞かせるように語り始める。
「やっぱり佐祐理は間違っていたのかもしれません。佐祐理ももっと祐一さんに好きになってもらいたいですけど、この願いは舞を裏切ることになるんですから。もしかしたら祐一さんも、佐祐理の思いに気付いているかもしれません……。ただ、舞を裏切る事が出来ないから……」
何かを吹っ切ったように、佐祐理の心も表情も晴れ晴れとしていた。
思いを、愛を捨てたわけではなく、昇華した末の決断。
「………………舞と祐一さんが幸せなら、佐祐理は…………」
「倉田先輩……」
「………………」
重苦しい雰囲気に耐えられなくなったように、真琴が素っ頓狂な声を上げた。
「えーっ、でも真琴には平気で手出したわよぅ、祐一」
「……………………………………………………………………はえ？」
今、聞いてはいけない言葉、聞こえるはずのない言葉が聞こえてしまった気がした。
「ま、真琴っ！！」
慌てて名雪が黙らせるが、もう遅い。
「あ、あれ、手を出したって……。佐祐理……頭の悪い女の子ですけど、どう善意に解釈してもそれは……」
ばつの悪そうにお互いを見合わせると、意を決したように香里が口を開いた。
「あのね、倉田先輩……。言いづらいんだけど、私たち、その、みんな……相沢くんと……」
「祐一君は救いようがないくらい女好きだから、下手に遠まわしにしないできちんと好意を表せば、すぐに手を出してくるよ」
皆が言い篭っていることをさらっと口にするあゆ。
陶器に亀裂が入ったような無情な音が響いた。佐祐理の体内から。
「じゃあ……皆さんが今まで……必死になって佐祐理に協力してくれたのは…………」
「その……同棲までしてるのに何もしてもらえない倉田先輩が不憫だったというか…………」
名雪さんは去年一つ屋根の下に暮らしていたのだからまだしも、こんな小学生達まで……
「小学生じゃありませんっ！！」
「小学生じゃないよっ！！」
見に覚えのある人間が目ざとく地の声に反応する。
「ちょ、ちょっと待って下さい……まさか……まさか秋子さんまで……」
どの道同じ事だが、最後の希望にすがるように秋子を見つめる佐祐理。
「…………………………………………………………うふふ」
ひとづまああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
さっき失敗したって言って反応したじゃないですかーーーーーーーーーーーーーーーーーーー！！
「………………洗脳って知ってますか？」
佐祐理の心を読んだように、にこにこしながら答える秋子。
「これだけ好色な相沢さんと、２ヶ月も同棲していながら、見向きもされなかった。……こうして改めて考えてみると、倉田先輩は女として終わっているのかもしれませんね」
後頭部につぎはぎのある美汐が、人格を改竄されたかのような毒舌を吐く。
「あはは……………………あははははははははははははははははははははははははーーーーーーー」
およそ人類に出せない不気味な音域の叫び声を上げながら、佐祐理は意識を失った。
「わーっ、白目むいたーーーーっ！！」
「とりあえず、私のパステルで黒目書いておきましょうか…………」
遠目にその様子を見ていたＳＰ達。新米ＳＰは激昂せずにはいられない。
佐祐理を裏切った事も去ることながら、複数の女性を手玉に取るその所業は許せるものではない。
「なんて奴だ！ 俺達の目の届かない所でそんなことを！ 男の風上にも置けない！！ そう思うだろう！？」
ＳＰの中でもまだ大学を卒業したばかりの、歳の近い女ＳＰに話を振る。しかし、その肩は小刻みに震えていた。
「………………」
「……おい？」
「ごめんなさい……私、私、お嬢様を裏切ってしまった！！」
「お前ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー！？」
「夜の彼を監視しているうちに、我慢が出来なくなって……！ 見ないで！ 堕ちた私を見ないで！！」
底知れぬ女性関係を築く男、相沢祐一。
倉田佐祐理の願いは、当分叶いそうにない…………。
「っていうか、叶えない方が幸せだと思うよ……」
終わり
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