夢
夢が終わる日
雪が、春の日溜りの中で溶けてなくなるように……
面影が、人の成長と共に影を潜めるように……
思い出が、永遠の時間の中で霞んで消えるように……
今……
永かった夢が終わりを告げる……
最後に……
ひとつだけの願いを叶えて……
たったひとつの願い……
ボクの、願いは……
……うぐぅっ！ 天使の人形がたい焼きにッ！
朝の通学路を意気揚揚と歩く。凍って歩きにくい雪も、寒い風も、やたら咆えかかってくる犬も、オレの高揚を打ち砕けはしなかった。
昨日までのオレ、なんとなく学校に行き、授業を聞き流し、適当に遊ぶ、そんなダメダメな北川潤に決別したんだ。そう、今のオレの名は
少年エスパー 北川！
事の起こりは、たい焼きを買って家で食おうと帰り道を急いだこと。
懐に抱いた紙袋に気が向き、紙袋を持ったダッフルコートの小さな女の子に気付くのが遅れた。
向こうも同じなのか、ぶつかってお互いの紙袋を落としてしまった。
「うぐぅ、ゴメンね。ぶつかって」
と女の子が涙目で、奇妙な鳴声をあげながら謝った。こちらこそ、と言おうとしたとき、女の子は、
「ゴメン。急いでるんだ」
と、ひったくるように紙袋を掴んで、逃げるように走り去る。
残された一つの紙袋。女の子が持っていった紙袋と同じ物。
不安になりながら中を確認すると、やっぱりたい焼きでなく、古びた天使の人形が。
紙袋の外見が同じだから、間違えたんだ。
女の子を探して周りを見回しても、見えるのは白銀に覆われたいつもの町並みだけだった。
結局、たい焼きを諦め、捨てるわけにもいかず人形を持ち帰る。
その日の夜、テレビで再放送の超能力特集を見た。
動物の怪我を癒し、死から蘇らせる奇跡の少女。そんなフレーズが嘘臭い。
下らないインチキ、と思いつつそんな非日常にどこか憧れる。
その後、風呂に入って眠りについたら夢を見た。
何処とも知れない森の中、大きな切り株に腰掛け泣く女の子がいる。天使の人形の持ち主だ。
視線を感じたのか、女の子が泣きはらした赤い目をオレに向ける。
「うぐぅっ！ 人形泥棒！」
認めがたい言いがかりだった。
「返してよっボクの人形！ それと、たい焼きはこしあんだよ！ カスタードなんて外道を食べさせるなんて！」
いいだろ、好きなんだから。つーか、人のたい焼き、勝手に食っておいて逆ギレかよ。
うぐぅ、うぐぅと鳴く女の子を宥めて、自己紹介する。
「オレは北川潤。」
「ボクは月宮あゆ。ねえ、ボクの人形は？」
「今は持ってないけど、家にちゃんと保管してあるよ」
「そうなんだ、ありがとう。よかった、人形がたい焼きになってて、最後の願い事を使っちゃったのかと思ったよ」
よく分からない事を言う。それは無視して、一番の疑問を尋ねる。
「ところで、ここ何処だ？ たしかオレは家で寝ていたはずだが」
「ここは夢の境界なんだ」
「は？」
「夢と現実の境、あやふやな場所。君は今、その狭間に立っている」
「意味分かって言ってる？」
「実はあんまり……」
とにかくここは夢と現実が入り混じった世界らしい。
「なあ、月宮。人形どうやって返したらいい？ ここって歩いてこれないんだろう？」
「北川君。人形持ってないって言うけど、ほんとは持ってるんじゃない？」
「ないない。ボロくて壊れそうだったから、テーブルにちゃんと置いておいた」
「ほんとに？ ほら、なんかポケット膨らんでるけど、ひょっとしたら持ってるんじゃない？」
そう言われると、自信が無くなる。ポケットにも何か入ってる気がしてきた。
ポケットに手を入れ、それを取り出す。ボロボロの天使の人形。
「わり、俺の勘違いだった」
謝って人形を返すオレに、受け取りながら首を振って月宮は言う。
「違うよ。多分君は人形を持ってなかったんだ。君がここにあるって思ったから、この人形がそれに応えたんだよ」
「それで、その人形。大事なもんなんだろ？」
気を取りなおしたオレが聞くと、嬉しそうな、でも少し哀しげな様子をみせる。
「うん。大事な、でも必要ないもの」
「必要ない？ あんなに泣いてたのに？」
「この人形はね、奇跡を起こせるんだ。でも、ボクにはもう奇跡なんて必要なくなっちゃったから」
「奇跡？ なんか嘘臭いな」
「そんな事ないよ、奇跡はあるもん。そうだ！ 北川君に証明とお礼を兼ねて奇跡のお試しサービスをあげる。お試しだから、期間限定で大した事はできないけど」
「それはお手軽な。う〜ん、どんな奇跡にしようかな……」
不思議な事ばかりで、それは意外なまでにオレの中で納得できた。
奇跡はある。この少女がかなえると。奇跡の少女。
ふと浮かんだフレーズが、今夜のテレビを思い出させる。
超能力。一回こっきりの奇跡より、期間中ずっと使える方が面白そうだ。
「そうだな、超能力が欲しい」
「ちょうのうりょく？ 具体的に、どんな？」
「え〜と……。テレキネシスとかテレパシーとかクレアボヤンスとかテレポートとかヒーリングだな」
「？」
「あ〜、つまり、見えない手で遠くの物を動かせたり、人の考えてる事が分かったり、物を透視したり、一瞬で遠くに移動できたり、怪我や病気を治せるって意味だ」
「わかったよ、お試し期間は三日後の夜までだからね」
天使の人形を掲げて、月宮は言う。
突如、人形が眩しい光芒を放ち、それに押されるように後ろに倒れる。
しかし、何時までたっても背中が地面に着く感覚がない。何処までも落ちていく。そして……
オレは自分の部屋のベッドで上体を起こしていた。
テーブルの上に、天使の人形は……ない。夢じゃない。
なら、超能力も夢じゃないはず。テーブルの上の雑誌に集中する、動け！
しかし、ピクリとも動かない。夢だったのか、と諦めたとき、目覚まし時計のベルが鳴り始めた。
期待を裏切られた不快感で、手が痛いほど乱暴にボタンを叩く。
？ おかしい。オレは二度寝しないために、手が届かないテーブルの端に時計を置く。ボタンを叩けるはずがない。
目を向けると、いつもの所に目覚ましがある。
右手を伸ばすが当然届かない。肩・肘・手首を順に伸ばす感覚の後、さらに押すように感覚を伸ばす。
最初は分からなかったが、何かが指先に触れる感触がして、僅かに時計が動く。実際のオレの手には何も触れていないのに。
表面をなぞる様にしてそれを掴むと、見えない『手』で持ち上げられたように時計が浮く。手にははっきりと時計の感触と重さが有る。
感覚を縮めると、時計は俺の手元に引き寄せられる。
右手で受け止めようと、手を開くと時計は下に落ちた。
どうやら、見えない感覚の『手』は、元となる手に連動しているようだ。
期待していた念動力とは違うが、これも立派な超能力だ。夢なんかじゃない。
「じゅーん、何時まで寝てるの。遅刻するわよ」
母親の呼びかけに、ようやく俺は気を取り直し、高揚に身を振るわせた。
そして、オレは高揚したまま学校に向かい、顔見知りに挨拶しながら教室に着いた。
クラスメートに挨拶しながら、自分の席に座る。ついでに、前の席の相沢祐一にも声をかける。
「おはよう、相沢！ 良い朝だな」
相沢は机に突っ伏していたが、オレの挨拶に気だるげに身をおこす。
「ああ。しかし、なんでそんなにテンション高いんだ？」
「朝はおはようだぞ、相沢」
「んな名雪みたいな事を。まあいい、おはよう北川」
「そういや、水瀬どうした？ いないけど」
相沢の従姉妹兼同居人の水瀬名雪はすごい寝坊助で、それに付き合わされる相沢はいつも遅刻ギリギリの生活を余儀なくされていた。
「置いてきた。舞と佐祐理さんと登校できないからな」
こいつは転校してまだ間もないのに、もう女友達ができてる。三年の川澄舞と倉田佐祐理。
二人は、なんか生徒会と揉めてて、一時は退学騒動にまでなった。
それに反抗したのが相沢で、その時はオレ達、美坂や水瀬も少し手伝った。
その後は色々あったらしいが、今は有耶無耶に納まったようだ。
二人ともタイプは違うが美人には変わりない。特に川澄先輩はなんと言うか、純な高校生には目の毒です。はい。
そんな美人二人を両手に花、と羨ましいこと極まりないが、本人は平然と「二人は友達だぞ」と言って憚らない。
まあ、あの三人を見てると、恋人達と言うより、仲の良い姉弟めいた微笑ましさががあるのも事実だ。
「あれ？ 倉田先輩、もう退院したのか？」
倉田先輩は怪我で入院していると聞いた。
「ああ、最近な。やっぱ、あの二人は一緒じゃないと」
嬉しさを隠しきれない相沢が、笑いながらオレに聞く。
「さっきも聞いたが、なんでそんなにテンション高いんだ？」
「よくぞ聞いてくれた。昨夜、テレビの超能力特集をお前見た？ ほら、奇跡の少女っての」
オレも超能力者だ、と自慢をしようとしたら、相沢は笑顔を消し、目付きを険しくして口元を歪める。
「ああ。最低な番組だった。視聴率なんかの為に人を引きずり出して、好奇心を煽るためにインチキして、人を晒し者にしやがって。反吐がでる」
それは、生徒会相手に一歩も引かず反抗したのも頷けるような、不実を怒る顔だった。
「第一、本当に超能力を持ってたら、他人なんかに見せたくないに決まってる。好奇の目に晒され、人と違うからって迫害され、はじき出されるからな」
正直、相沢の言葉を聞いて冷水をかけられた気分だ。
オレも同じだ。超能力を持つことが知れたら、俺もまた見世物になり、迫害を受ける。
高揚など、もうどこにもない。オレのテンションが下がったのに気付いたのか、相沢は、
「わり、興奮して。こんなこと、北川には関係ないよな」
と謝った。
「でも、なんで突然超能力？」
しょうがないから、適当に誤魔化そう。
「昨日、超能力で人形を歩かせる大道芸人がいてさ。凄かったから自慢しようと思って」
「ん〜。手品としては凄いけど、芸としては三流だぞ？ 宴会芸以外に役に立つとは思えんな」
「う……」確かにオレの念動力も同レベルだ。
その後、超能力から話を逸らして、テレビ番組について話していると、美坂香里がやってきた。水瀬の親友で、我がクラスの誇る学年主席の才女。
「おはよう、美坂」 「はよ、珍しく遅いな香里」
「おはよう、北川君、相沢君。あたしだって、寝坊ぐらいするわ。で、あなたの寝坊助はどうしたの相沢君？」
オレ達の挨拶に応えながら、鮮やかに切り返す。
「俺のじゃないって。名雪は置いてきた。卒業間近の先輩達に遅刻の責を負わせたくないからな」
相沢達の会話を聞いてるうちに、石橋がやってくる。結局、水瀬は遅刻だった。
相沢が言ったことを、授業を聞き流しながら考える。
自分の超能力は隠した方が良い。どうせ三日だけだから、ばれないように非日常を楽しもう。
しかし、この念動力ってほんとに役に立つのか？ 色々試してみよう。
念動力の『手』は物質を透過できる。しかし、距離が離れたり、障害物があると感覚が凄く鈍る。
『手』の力はオレの筋力に比例する。漫画みたいに車や大岩を持ち上げる事など不可能だ。
……全然ダメだ。感覚のある孫の手程度にしかつかえねー。
オレは机に突っ伏し、頭を抱えた。
授業が終わる頃には何とか立ち直る。超能力は一つじゃない。
気を取りなおして、相沢と水瀬の会話に耳を傾ける。
「ゆ〜いち〜。朝どうして置いていったの？」
「ちゃんと起こしてやったろうが。大体、なんであんなに朝飯に時間をかけるんだ？」
「う〜、占い見てただけだもん」
水瀬の返答にちょっと興味をもってテレパシー、思考を読む超能力を使ってみる。
耳に意識を集中し、感覚を広げるようにする。
ザワザワとした、意味のない雑音が聞こえる。
その中で場所が近い相沢、美坂の思考ははっきり聞こえる。
（イチゴジャムに夢中で、占いなんか見てないくせに）
（相変わらず子供ね、名雪は）
心の中とは言え結構、ひどい事を言ってる。
（そうしないと祐一、すぐに川澄先輩の所に行っちゃうもん）
相沢に夢中な水瀬の思考が、実にいじらしい。
（祐一、そんなに川澄先輩の胸がいいの？ あんなの、じきに垂れて血管が緑色に浮いて苦瓜みたいになっちゃうよ？ それよりわたしの張りの有る程々なのを、揉んで大きくする「長期成長型」の方が絶対お得だよ！）
……いじらしいっつーか、むしろ怖い。子供っぽく頬を膨らましている水瀬の内側は真っ黒だった。
次の授業を使って、テレパシーの訓練に励む。
どうやらこの能力、距離に応じて思考の鮮明さが違うようだ。
遠い人の思考は雑音混じりに、近い人の思考ほどクリアに聞こえる。弱い思考は小さく、強い思考ほど大きく聞こえる。
そして、人の心の声が聞こえる事がこんなに辛いなんて思いもよらなかった。
教師の教え方がつまらないと、心の中で罵声をあげる相沢。私語をするクラスメイトを、心の中で馬鹿扱いする美坂。寝ているのを教師に見つかり、心で文句を言う水瀬。
勝手な意見だとは分かっても、友達の内面に幻滅を感じずにはいられない。
授業を終え、疲れてため息をつくオレに相沢達が声をかける。
「どうした、北川。疲れた顔で。風邪か？」
「北川君、顔色悪いよ。大丈夫？」
「そうね、保健室行ったほうがいいわよ」
口では心配そうだなと、暗い考えに取り付かれたオレは、皆の心を読む。
（朝やたらテンション高かったのも、熱のせいかな）
（あんまりしゃべらないし、気分悪いのかな）
（いつもの元気がないわね。大丈夫かしら？）
「んー、風邪ひいたみたいで、ちょっと頭痛するんだよな。保健室行ってくるから、先生に説明頼むな」
大丈夫？ と聞くあいつ等に首を振って、保健室に向かう。
……恥かしかった。他人の心を勝手に覗いて、幻滅し、邪推した自分が。
オレのほうが酷いヤツだ。超能力をこんな風に使うのはやめよう。
保健室のベッドに寝ながら、そんな事を誓う。眠りはすぐに訪れた。
溺れたような息苦しさに、もがき、跳び起きる。ビックリした顔の相沢がオレの鼻と口を塞いでいた。
「何てことしやがる！」
「起こしてやったんだ。もう昼だぞ」
「お前、水瀬も毎朝こうやって起こしてないか？」
「こんな優しい方法じゃ、起きないぞ」
「確かに名雪なら、この程度じゃ無理みたいね」
「う〜、祐一も香里もひどいよ」
美坂と水瀬もいる、迎えに来てくれたようだ。
「昼飯、食えそうか？」
相沢が聞く。水瀬も美坂も心配そうにオレを見る。
ぐー
答える前にオレの腹が鳴る。
おかしそうにみんなで笑った。
学食にはもう席がないから、先輩方とご一緒させてもらう。オレ達を先に行かせ、相沢はみんなのパンと飲み物を買ってくる。
「では、北川。お前には体によさそうな物を買ってきてやる。おかゆジュースとか」
そんな事を言う相沢だが、オレの調子が悪いので自分がパシリを買って出たのだろう。そんな相沢を置いて、先輩方のところへ行く。
屋上への踊り場に、シートを敷いて川澄先輩と倉田先輩が重箱をおいてスタンバってる。
ご一緒させてください、と言うと快く承知してくれた。ハーブティーを紙コップで回され口をつける。
水瀬・美坂・倉田先輩は料理についての話題に花を咲かしている。
川澄先輩は重箱を穴があくほど凝視し、時々階段に目を向ける。相沢が来るのを待っているのだろう。
そんな様子の川澄先輩に、ふと邪念を持つ。超能力の中には、透視能力があったはずだ。
（まてまて、友人の彼女になんて事を）
（いやしかし、相沢は彼女じゃないって否定している）
（さっき誓ったのを忘れたか。超能力を悪用するな）
ブンブンと首を振って邪念を追っ払うと、小首を傾げてオレを見る川澄先輩の姿が目に入る。
無表情ながら、凛とした綺麗な顔。座っていても判る、高い腰に見事な脚線美。そして、ケープとリボンを押し上げる、制服にぎちぎちに詰めこまれた胸。
（全裸はだめだ。でも下着くらいなら）
あっさりオレの誓いは破れた。
念動力は手の延長、テレパシーは耳の延長。なら透視は目の延長だ、と目線を誤魔化すために紙コップに口をつけながら、目に力をこめる。
「ッッッグブぅ！」
ハーブティーで咽る。あまりのショッキングな光景に。
咳き込むオレを心配する女性陣に、慌てすぎたと誤魔化していると、相沢が戻ってきた。
皆にパンが行き渡り、倉田先輩が重箱の中身を提供する。
「ほんとにそれでいいのか？」
「ああ、思ったより食欲が無くてな」
シャレで相沢が買ってきたおかゆジュースを啜りながら答える。
今はどんなご馳走も食えそうにない。
（透視って、こんなんありかよ）
オレの透視能力、名前の通り物を透かして見る事が出来る。ただし、平面にしか透視できない。
つまり、長方形の板状の空間、その平面を直接網膜に写すようだ。ぶっちゃけ病院のＭＲＩのように断面図しか見えない。
人体が曲面で構成されているから、服を透視できるのは平面に引っ掛かる極一部だけ。
動く相手には照準を合わせるのに一苦労。下手すると、人体の断面図を見せつけられることになる。
オレが川澄先輩を透視して、見えたのがその断面図。いくら美人だからって、人体の輪切りを見せられても嬉しくない。
食欲をなくしたオレは、おかゆジュースを啜りながら、もう透視能力は使わない、と固く心に誓った。
昼食が終わり、先輩方と別れ教室へ。
五時間目の授業中、おかゆしか飲んでない胃袋が食物を要求し始めた。
寝て誤魔化すか、と思った時、超能力の中に瞬間移動があったのを思い出す。
トイレとか言って教室を出る、人目のないところでコンビニに瞬間移動、買い食いの後、瞬間移動で戻ってくる。いいアイデアだ。
早速実践する。教室をでてトイレへ。コンビニをイメージしつつ、瞬間移動だから足に力を込めてジャンプ！
一瞬のめまいの後、そこは行き付けのコンビニ、でなくトイレの前の廊下。トイレから３メートルほどの場所にしか移動してない。
全身に妙な疲れが残る。イメージが足りなかったかと、もう一度ジャンプする。
またも学校の廊下。さっきの場所から３メートルほどしか移動していない。疲労が更に深まる。
ムキになってもう一回、やはり３メートル移動しただけ。加えて、立ってられないほど疲れた。
瞬間移動は３メートル限定かよ。しかも結構疲れる。
ションボリしながら教室に戻る。空腹なんかもう、どうでも良い。
あまりの使えなさと疲労に、オレはその日の授業を終えるまで、ずっとふて寝した。
放課後、オレは本屋で超能力の本を読み漁り、有効利用のヒントを得ようとした。
しかし、多くは超能力の訓練法や体験談だけで、身についてからの利用法を述べている物はなかった。
時間を無駄にした気がして、家に帰る。
あと二日しかないのに、超能力の訓練をしてもしょうがない。
今ある分で何とかするしかない、そう思って眠りに落ちる。
「どうだった？ 超能力」
昨日と同じ夢の中で、切り株に腰掛けた月宮が問いかける。
「全っ然っ、使えねー。なんだよ、あの中途半端は。もっと強くすることはできないのか？」
「うぐぅ、お試しサービスでそんなに怒らないでよ。う〜ん、他の超能力分を合わせれば強くできるよ」
「なら、透視と瞬間移動の分を他に回してくれ」
「わかったよ」
目覚めたら自分の部屋、朝食を取って、準備をし学校に向かう。
授業中、念動力を試す。腕を組んで左手を美坂に向け、『手』の感覚を伸ばす。
手探りで『手』を前進させる。あわよくば、美坂の厚く張った胸にお触りするために。
感覚があるという最大の利点は、痴漢行為ができる事だ。昨日から考えた結果がそれだ。
『手』の指先に暖かい何かが触れる。オレはそれを優しく握り締めた。
「ぁあぅうん」
美坂、でなく彼女の隣の席で寝ていた男子が身悶える。
皆の注目を浴びて、そいつは「何かが、耳を優しく噛んだんだ」と主張したが、教師に怒られながら不満そうに席につく。
オレ自身にも『手』が見えないので、場所の調整が全然つかない。
諦めきれず、もう一度試したが、美坂の横面をつついてしまい、物を投げつけたと誤解され睨みつけられた。
結論、痴漢行為はいけません。
なんとか、超能力の有効利用法はないかと考えていると、石橋がやってきてその授業の教師に何事かを言う。
先生達は相沢と水瀬に荷物をまとめさせ、二人を連れて出ていった。
突然の事に皆が不安そうな様子をみせる。
「相沢達、どうしたんだろ」
オレの質問に美坂は首を振るだけで答えなかった。
その日相沢と水瀬は戻らず、先生達の説明もなかった。
心配になったオレは放課後、石橋に事情を尋ねる時テレパシーで心を読む。
「先生。相沢と水瀬、どうしたんですか？」
「ああ、家族の事情で早退したんだ」
（北川か。あの二人と仲良いから、言っても良いかな）
「どんな事情なんですか？」
「ご家族が事故に遭われたんだ」
（意識不明の重体らしい。美坂もそうだが可哀想に）
とにかく二人の家族が事故にあったらしい。美坂の名が出た事もあり、不安な気持ちでオレは帰宅した。
家で夕食を取っている時、テレビでニュースを見た。
近所で交通事故があり、主婦が車に轢かれ意識不明の重体。主婦の名は水瀬秋子。
水瀬。今日の授業中に早退した水瀬と相沢。事故。
テレビに事故現場が映され、くしゃくしゃになった車と、飛び散った血が事故の凄まじさを伝える。
「あら、近所じゃないの。怖いわね」
母親の言葉を聞き流しながら、オレは不安を消せなかった。
水瀬・美坂に電話しても通じない。オレは焦燥を感じながら眠りに落ちた。
いつもの切り株、しかし月宮は目を赤く泣きはらし、細かく震えていた。
「なに？ 北川君。ボク、忙しいんだけど……」
「頼みがある。テレパシーを少し残して、他の全部を集めてヒーリングを強くして欲しい」
オレの言葉に、オドオドと視線を逸らす月宮。
「ねえ、勝手だけど奇跡を返して欲しいんだ。ボク、奇跡を必要としてるんだ」
いきなりの言葉に呆然とするオレに、
「ゴメン、我侭だよね。お願い、かなえておくから」
と言うと、目の前から消えてしまう。
次の日、重い気分で準備を済まし、かなり早い時間に学校に向かう。
珍しく相沢が早くに来ていた。水瀬の姿はない。
声をかけると、憔悴した様子で挨拶を返す。
「水瀬は？」というオレの質問に、辛そうな顔をして答える。
「昨日、俺の叔母、名雪の母親が事故にあってな。今日休みだ」
「水瀬のおばさん、大丈夫なのか？」 聞きながら、このために残したテレパシーで相沢の心を聞く。悪いが、嘘をつかれたら困る。
「ああ、大丈夫だ。名雪は付き添いで少しの間休むけど」
（意識不明、楽観視できない、舞、俺を拒絶する名雪、七年前憶えてる？、一人ぼっちの名雪、俺がいる、信じられないよ今更と拒絶する名雪）
断片的なイメージが、千々に乱れた相沢の心を表すように浮かぶ。テレパシーが弱くなった所為で、そのイメージは整合性を持たない。
幾つか分からない部分があるが、水瀬のおばさんは意識が戻らず、水瀬は相沢を信じれず、拒絶しているようだ。
そんな事を考えていると、美坂がやってくる。
オレにしたような説明をする相沢。心配そうな美坂。
オレにはヒーリングの能力がある。これを使えば。
でも、役に立つかどうか。今までの超能力がアレだからな。
期待だけさせて失敗したら、と思うとその事を伝えられなかった。
放課後、皆が帰宅するなか、オレは教室で悩んでいた。相沢達に超能力の事を話すかどうか。
ふと、窓から見下ろした中庭に、何かがいるのを見つけた。
見てみると、一匹の子狐だ。怪我をしているらしく、回りの雪がいくらか赤く染まっている。野犬にでも襲われたのだろう。
中庭に降りて、怪我を治してやることに。いやがる子狐をひっつかみ、怪我した部分に手を当てる。
「治れ」と念じ手に力を込めると、意外なほど鮮やかに傷が治っていく。
それにつれて、じたばたと暴れていた子狐も大人しくなる。
この能力はアタリだったな、と喜ぶ。これなら、水瀬のおばさんを治せるかもしれない。
子狐はふいに耳を震わせ、オレの腕から飛び降りる。そして、中庭の出口へ駆けていく。
そこには、一年生の短い癖毛の女生徒がいて、子狐をいとおしげに抱く。女生徒は少し考えるしぐさをした後、オレに会釈をして立ち去った。
いいことしたな、と伸びをすると、二階でこちらを凝視している美坂と目が合った。
見られた！ と思う間もなく、美坂は見えなくなる。
誤魔化しの言葉を考えてるうちに、美坂が中庭へやってきた。ひどく虚ろな顔をしている。
「なんで？ どうして貴方にそんな事ができるの？」
「あ〜、ちょっとした奇跡ってやつで……」
「どうしてよ！ 奇跡なんかない、妹なんかいないってずっと！ ずっと耐えてきたのに」
いつもの冷静さをかなぐり捨て、泣きじゃくる美坂。何を聞いても泣くばかり。仕方なく彼女の心を読む。
遮る物のない思考が洪水のようにのしかかってくる。
（妹。栞。病気。奇跡でもない限り、次の誕生日までもたない。栞に伝えた。向き合えず無視。学校に来てる。無視。妹なんていない。無視。入院。あの子、何のために生まれてきたの。奇跡。昏睡状態。誕生日を越えた。奇跡だと言う医者。奇跡。奇跡。要らない奇跡。ほしい奇跡はない。奇跡、奇跡、奇跡！）
「このバカ！ なんで、なんでオレ達に……」
言いかけてやめる。そんな事は美坂が一番悩んだはずだ。
妹が病気で長くないなんて相談されても何とかできると思えない。
（今のオレ以外なら、な）
「美坂。妹さん、栞ちゃんだっけ？ 彼女はオレが救ってみせる」
「北川君、なんで栞の事……」
「オレの正体は、少年エスパー 北川。正義のエスパーだ」
「エスパーだから何でも知ってるって事？」
「そうさ、エスパー協会が、妹に奇跡をもたらしたいと願う少女を救えって指令を出したんだ」
「なによそれ。ふざけてるの？」
「美坂、ここで重要なのは、そんな事か？」
「……北川君、あなた病気を治すことができる？」
「分からない。でもやってみる価値は有る」
「北川君、栞を、妹を……助けて。お願い！」
「言ったろ？ 少年エスパー北川は正義のエスパー。困ってる人を見捨ててはおけない。栞ちゃんの次は、水瀬のおばさんだ」
子供のように顔をくしゃくしゃにした美坂は、オレの胸に飛び込んできた。
こんな時ですら嗚咽をかみ殺そうとする美坂を、オレはそっと抱きしめた。
病院。＜美坂栞＞のネームプレートのかかった個室。そこに眠る死に捕われた眠り姫。
大き目の酸素吸入器で青い顔を隠し、生命維持装置に幾本ものチューブで繋がれた栞ちゃんの姿は、ひどく痛々しい。
美坂がすがるようにオレを見る。ひとつ頷き、栞ちゃんの手を取る。治れ！
どれほどの時間がたったのか、外は真っ暗になっていた。ずっとオレは超能力で栞ちゃんを治している。
効果があるのかはわからない。でも、やめるわけにはいかない。
ふいに月宮の言葉を思い出した。
（お試し期間は三日後の夜までだからね）
時計を見る。９時。タイムリミットは近い。
焦りに周りがぐらぐらと回る。って違う。回ってるのはオレの意識？
「北川君！ ちょっとどうしたの？」
泣きそうな美坂の声を遠くに聞きながら、オレは意識を手放した。
昨夜みた夢と同じ場所。大きな切り株に腰掛ける女の子。月宮あゆ。
昨夜と同じように涙を流す月宮に、オレは頼み込む。
「月宮！ 頼む。こんなハンパな超能力じゃなくて、本物の奇跡をくれ！」
月宮はオレに泣きはらした目を向けると……小さく首を振った。
「どうして！ もう奇跡なんて要らないって言ってたろうが」
「だって、しょうがないんだよ！ 秋子さんが死んじゃうかもしれないんだ」
「秋子さん？」
「名雪さんのお母さん。祐一君の叔母さん。ボクにすごく良くしてくれたんだ。だから、ボク……」
月宮と相沢や水瀬に繋がりがあるなんて。でも、美坂と栞ちゃんを見捨てるわけにはいかない。
「なあ、お試しサービスなんてあるぐらいなら、奇跡を分け合う事ぐらいできるだろう？」
オレの言葉に月宮は首を振る。
「できないよ。その奇跡はほんとはボクを生き返らせるためのものなんだ。一人しか救えないんだよ」
「生き返らせるって、生きてるじゃないか、お前は」
「ボクは七年前、祐一君の目の前で木から落ちて昏睡状態なんだ。今のボクは幽霊みたいなもの、心だけが形を持ったんだ。体は今も病院で眠りつづけてる」
「じゃあ、月宮。おまえも……」
「そう、ボクもまた死にかけてる。でも、それから助かる方法もあるんだ。それがあの人形」
「あんなボロイ人形が？」
「うぐぅ、ボロイは余計だよ。祐一君が言ったんだ。あの人形には三つの願いをかなえる力があるって、祐一君にできることしかダメだけど」
相沢らしい、突拍子もなく、優しいアイデアだと思った。
「二つ願いは使っちゃったけど、七年間待ったおかげで、後一つは本物の奇跡になったんだ」
「でも、相沢は……」
相沢から、月宮の話を聞いた事はない。それに相沢には川澄先輩がいる。
「そうだね、祐一君はボクの事故の事、忘れちゃったんだ。でもいいよ、ボクも忘れてたし、元々ボクが勝手に木に登ったのがいけなかったんだ」
月宮は、自分が座る木の切り株をいとおしげに撫でる。
「その所為で、この木は切り倒され、祐一君は傷つき、名雪さんや舞さん、ひょっとしたら他の祐一君を待ってる人にも、七年間も待たしてしまった」
天使の人形を膝の上に乗せ、月宮は歌うように言う。
「だから、祐一君達が困ったときにボクの奇跡をせめて使って欲しかったんだ。舞さんには必要なかったみたいだけど」
「なんで、自分に奇跡を使わなかった？」
オレの言葉に、月宮は眉に皺をよせて涙をこぼしながら叫ぶ。
「生きかえっても、祐一君には舞さんがいる。ボクには誰もいない！ お父さんもお母さんも誰も！ ボクは一人ぼっちなんだ！」
コートの袖で涙をぬぐうと、月宮はオレを見る。
「君には悪いけど、秋子さんが死んじゃったら、名雪さんも祐一君も悲しむよ。もう、あの時の繰り返しにしたくないんだよ！」
「あの時って？」
「名雪さん、ボクの事故のあと、祐一君に告白して拒絶されたんだ。今は逆に名雪さんが祐一君を拒絶してる」
水瀬のどこか恋愛から逃げてる部分に納得がいく。同時に、それでも相沢を想う水瀬の気持ちの強さに感心する。
「じゃあ、このまま水瀬のお母さんを助けて、お前はどうなるんだよ。それに、美坂と栞ちゃんは」
「栞ちゃん？ まさか」月宮はどこか遠くを見るように視線をさまよわせる。「そんな！ 栞ちゃんが……」
呆然とする月宮。どういう関係か、栞ちゃんとも知り合いのようだ。そのことは月宮に、より選択の苦しみを増やすだけなのに。
「オレの超能力なんかじゃ誰も救えない！ 奇跡なんてないのかよ！」
美坂がただ一つ、本物の奇跡を願った気持ちが分かった。みんな救って欲しい、無茶だが偽りのないオレの本心だった。
「奇跡はあるさ、ここにあるぞ北川」
いるはずのない人物の声。振り向けば、８歳程の少女と手をつないで現れる相沢。絶対絶命のピンチに、遅れて来るヒーローのようで、不覚にもかっこいいと思った。
「祐一君……」
絶句する月宮。相沢は少女の手を離すと月宮に歩み寄り、
「このバカチンが！」
ポカリと一発こづいた。
「うぐぅ、痛いよ祐一君」
涙目で抗議する月宮。相沢は、自分が叩いたところを優しく撫でる。
「ゴメンな、あゆ。秋子さんの病室に向かう途中で、あゆの病室を見つけたんだ。今更だけど全部思い出した。お前の事忘れてて、辛い事全部押しつけてほんとにゴメン」
「いいよ。忘れてたのはボクも同じ。それに辛い事なんてなかった。祐一君のためなら本望だよ」
「でもな、あゆ」
俯く月宮の頬を優しく両手で挟み、自分のほうに向けさせながら相沢が囁く。月宮は目を閉じ、睫毛を震わせ言葉を待つ。
「お前の犠牲で助かっても、秋子さんが、俺が、名雪がそれを喜ぶと思うか？ 思っちゃったのか？ ええ？」
相沢は今にもキスしそうな雰囲気をぶち壊して、月宮の頬を掴んで左右に引っ張る。
素敵な雰囲気を壊され、抗議の声をあげたらしい月宮の「ふふぅ、ふふぅ」と洩れる鳴声が、哀切極まりなく胸を打つ。
「とゆーわけで、お前はとっとと奇跡を使って、自分の体に戻れ」
「でも、秋子さんと栞ちゃんが……」
「大丈夫だ。舞がいる。そうだよな、まい？」
相沢は、さっきから一言もしゃべらない――それはオレも同じだけど――少女、まいちゃんに声をかける。
長い黒髪からウサギの耳をはやした、ノースリーブの白いワンピースという寒そうな格好のまいちゃんが頷く。
「舞は希望の力をもってる。願いはきっとかなうよ」
子供らしい元気な声で答える。しかし、舞にまい。実に分かりにくい。
どこかで見たような気がするまいちゃんを不審に思ってると、彼女が川澄先輩に似ているのに気付く。
「まさか、川澄先輩との子供？」
「うぐぅ、祐一君不潔だよ」
思わず洩れたオレの一言に反応する月宮。その所為で、相沢に頬を引っ張られた上、捻られた。
「言っとくが、まいは俺と舞の子供じゃない。んなこと、まだしてない」
赤い顔で意外と純なところを見せる相沢。
「じゃあ、舞さんと他の人との子供？」
「あゆ、少し黙ろうな、な？」
笑顔ですごむ相沢。慌てて相沢から離れる月宮。
「で、その子、まいちゃん？ だれなんだ？」
話が進まないからオレが聞くと、相沢は渋い顔をしつつも、答える。
「まいは、舞の超能力が独立した者だ。人格をもった力と言って良い」
「じゃあ、川澄先輩、超能力者なのか？」
「お前もそうだろうが、少年エスパー 北川」
「なんでお前が知ってるんだよ！」
「この前の昼休み、お前から妙な気配がするから、まいが監視してたんだと。で、それを俺に教えてくれたんだ」
相沢はそこで、オレに素敵な笑顔で見せながら言う。
「ところで、正義のエスパー北川君は、透視能力で舞の裸を覗こうとしたらしい。後でひどいからな」
月宮とまいちゃんの目に軽蔑の色が浮かぶ。慌てて、自分の超能力がいかに使えないかを説明して、悪用できない事を納得してもらう。
「話を戻すが、お前たちの事情をまいから聞いて探してたんだ。こんな夢の端にいるから、まいに精神を分離してもらい、ここに案内してもらったんだ」
相沢が肩をすくめながら言う。
「でもここで栞が出てくるとはな。ほれ、俺が転校してきてすぐ、中庭に私服の女の子がいたろ？ あれが栞だ。まさか香里の妹だったとはな」
言われて思い出す。彼女に最初に気付いたのはオレだ。確かにすごい偶然だ。
「あゆは栞とも知り合いだし、秋子さんとも仲が良い。辛い選択だよな」
相沢は慈しむように月宮の頭を軽く撫でる。
「でも、大丈夫だ。奇跡はおきる。だから、お前も自分に奇跡をおこせ」
嗚咽を洩らし泣き始める月宮を抱きとめながら、相沢はこちらを向く。
「北川、病院に戻るぞ。別の場所から夢に来てるが、すぐ栞の病室に行くからな」
相沢の言葉と同時に、まいちゃんが手をあげる。まばゆい光芒に押され、倒れこみ……
揺さぶられて目を覚ました。栞ちゃんの病室で、美坂がオレを揺さぶってる。
「どれくらい、気絶してた？」
「十分くらい。本当に大丈夫？ 調子悪いんじゃないの？」
「大丈夫だ。ただ、相沢が……」
「相沢君？ 彼がどうしたの？」
説明しようとしたときに、廊下を駆けて来る複数の足音が聞こえる。
ノックもなしに相沢・川澄先輩・月宮が入ってくる。
「相沢君、川澄先輩どうして……」
「舞、やれ」
「……」
美坂の台詞を遮り指示する相沢、無言で美坂の延髄に手刀を当てる川澄先輩。
崩れ落ちる美坂を抱きとめ、ソファに寝かす相沢。手馴れた様子が戦慄を誘う。
「舞、できるか？」
相沢の問いに無言で頷く川澄先輩。栞ちゃんの胸の上に手を当て、目を閉じて集中する。
変化は劇的だ。途切れがちだった心電図が、速くなり安定する。栞ちゃんの呼吸も安定し、顔色も良くなる。
「多分、大丈夫」
川澄先輩の声で皆が安心する。
「じゃあ、秋子さんも」
月宮が川澄先輩に聞くと、相沢が答える。
「もう治してもらった。意識はまだ戻らないが、命に別状はないし、障害も残らないそうだ」
「良かった、うぐっ ほんとに良かったよ」
涙ぐむ月宮に、
「だから、あゆ。あなたも元気になる」
川澄先輩が小さく微笑む。
その姿はまさに奇跡の女神と言うべきもので……？ まいちゃん、川澄先輩、病気を治す、どこかで見た……。
「奇跡の、少女」オレがテレビで見た、動物の怪我を治し、蘇らせた奇跡の超能力者。
オレの呟きに、川澄先輩も相沢も顔を歪める。
「この力がある所為で、私はずっと不幸だった」
哀しげに呟く川澄先輩。その肩を抱き寄せる相沢。
「好奇と嫌悪の目。いつも世間からは、悪意しか与えられなかった」
その悪意から遮るように自分を抱く相沢に小さく微笑んで、
「でも、私はこの力を誇りに思う。この力で出来ること、救える人がいるから」
オレに向かって言う。
「だから、あなたも誇りに思って。この姉妹を、あゆを救ったのはあなただから」
相沢が、なぜあの番組を憎悪したか、どうして生徒会に反抗できたか分かった。ただ川澄先輩を守りたかったんだ。
「でも、オレは何の役にも立ってない」
オレの言葉に相沢は首をふりながら、
「俺なんかもっと酷いぞ。七年間も舞を、あゆを、名雪を放っておいた」
周りを手で示しながら、厳かに語り始める。
「なあ、北川。今夜この場にいる誰か一人でも欠けたら、奇跡は起きなかった。だから、俺達が出会った事自体が奇跡みたいなもんだ。言ったろ？ 奇跡はここにあるって」
言ってから恥かしい台詞だと自覚したのか、相沢が照れてそっぽを向く。その様子に月宮や川澄先輩の口元がほころぶ。
「あなたが栞を癒してたから私が間に合った。あゆも奇跡を使わなかった。あなたは奇跡を繋いでくれた」
川澄先輩に言われ、ようやくオレも自分に誇りを持てた。
「でだ、悪いけど栞を治したのお前って事にしてくれ。舞の名を出したくないんだ」
「いいのか？ 美坂もホイホイ言いふらしたりしないと思うけど」
「あんな番組の後、奇跡の近くに舞がいることで注目されたくないんだ」
「香里にも、あなたにも退学騒動の時世話になった。その恩返し」
「わかった。美坂にはオレがやったって言っておく。それと、超能力も使い切ったって事にしておこう。月宮、超能力返すよ」
オレに言われ、ようやく発言の機会を得た月宮が話に入る。
「うん。お試しサービス、回収するね。それと、ありがとう。君がそんなに超能力を使わなかったから、サービス分の不都合も小さくなりそうだよ」
「不都合？ なんだそれ」
「えっとね、北川君にサービス分の奇跡をあげちゃったから、ボクの分の奇跡が足りない分、何かの不都合が出てくるんだ」
「例えばこれ以上、胸や身長が大きくならないとか？」
相沢の言葉に、皆の月宮を見る視線が可哀想なものを見る視線に変る。
「うぐぅ。なんだよ、その目つきは！」
手を振り回して抗議する月宮。
「まあまあ、はやく体にもどって成長して、相沢を見返してやれ」
「そうだな、その時はたい焼き奢ってやるよ」
オレと相沢がそう言う。
「うん！」
大きく頷くと月宮は花開くような笑顔を見せる。
「がんばって」と応援する川澄先輩に月宮は、
「あの、舞さん。ゴメンなさい」
いきなり謝る。
キョトンとした顔の川澄先輩に、オズオズと言い出す。
「あのね、ほんとはボク、祐一君を奪った舞さんに、奇跡を使って胸を萎びたヘチマみたいにしてやる、って思ってたんだ」
どっかで聞いたような事を。月宮は水瀬と気が合いそうだ。
「でも、舞さんいい人で良かった。ただ胸がでかいだけじゃないんだね」
無表情な川澄先輩だが、オレには先輩のこめかみに血管が浮かぶのが見えた。
突然、川澄先輩は月宮を小脇に抱える。まるで「おしりぺんぺん」するかのように月宮を抱えて、川澄先輩はドアに向かう。
「このあゆはまいと同じ。心が形を持って外に出た」
ドアに向いているため、こちらからその表情は伺えない。小脇の月宮は、キョトンとした表情をこちらに向けている。
「だから私と同じ方法で、力を体にもどせる」
「うぐぅ。同じ方法って？」
「おなかを切り裂いて、そこにこのあゆを捻じ込む」
「うぐぅ！」
相沢に目を向けると、青い顔で頷いてるので嘘じゃないようだ。
「がんばって、やってくる」
こちらに顔を見せない川澄先輩、小脇の月宮は小動物さながらに震えている。
「ま、舞？」
「大丈夫だから」
相沢の呼びかけに、一言答えて川澄先輩は病室を出ていく。すがるような月宮の視線が印象的だった。
「いいのか？ あれ」
オレの問いかけに相沢は視線をさまよわせ、
「おお、秋子さんが無事だって事を一刻も早く名雪に知らせねば。さらば、少年エスパー 北川！」
大袈裟に言うと、病室を出て行った。逃げたな、ありゃ。
嵐が去ったような病室では静寂が痛い。
ソファに寝かされた美坂の寝顔を見ていると、身じろぎして目覚めた。
「北川君？ ここは、それに相沢君が……」
「へんな夢でも見たのか？ 相沢がいるわけないだろ」
「そうね、相沢君に当身を当てられたり、川澄先輩が子牛を屠殺場に連れて行ったり、変な夢ね」
いくつか間違ってるが、概ね合ってるのが恐ろしい。
「そうだ！ 栞、栞は？」
栞ちゃんに目を向ける。見違えるような健康そうな顔色、安定した呼吸と心音。
「治ったの！ 栞は治ったのね！」
子供のようにはしゃぐ美坂に苦笑する。いつものクールビューティは見当たらないが、オレには好ましい。
「ありがとう！ 北川君、本当にありがとう！」
「美坂、オレの事は誰にも言わないでくれ」
オレの言葉に、美坂は表情に疑問を浮かべる。
「超能力者って事は秘密だし、第一超能力を使い切っちまったんだ」
美坂の表情が曇る。
「私のせい？ 私がこんな事頼んだから……」
「違うよ。元々残り少なかったんだ。最後に人を救えて引退ってのも悪くないだろ？」
「本当に、大丈夫？ あの、あたしにお礼にできることなら何でも……」
赤い顔、上目遣いで胸元に手を当てる美坂にクラっときたが、邪念を振り払う。
（武士は食わねど高楊枝、そうだな相沢）
心の中の相沢は親指を立てて、自分の喉を掻っ切るしぐさをする。何が言いたいんだ。
「いいよ、そんなの。そうだな、いつか、美坂姉妹共同製作の手作り弁当でも作ってきてくれよ」
格好つけたオレが言うと、美坂は見惚れるような笑顔で、「ありがと」と呟いた。
後にこの約束は果たされ、オレは人間の胃袋の限界に挑戦する事になるが今は関係ない。
「うぐぅ〜〜〜っ！ 嘘っ！ 大きすぎるよ。裂けちゃう。血っ血が出てる。あぁ、そんな捻りこむ様にだなんて。そんな、ムリ、ムリだよぅ。あ、頭がゴリゴリして、壊れる、壊れちゃうよぅ〜〜〜っ！」
そんな絶叫が病院中に響いて、ほのぼのな気分がぶち壊し。
あれから二週間がたった。
医者が匙を投げた病人が治ったり、車に轢かれたのに打ち身ですんだ主婦がいたり、七年間植物状態だった少女が目覚めたり、といった奇跡がこの街をにぎわせた。
しかし、新聞やテレビが伝えたこの奇跡の連続の熱も、ようやく冷めようとしている。
水瀬は自力で立ち直った。自室に篭って全てを拒絶するより、母の元で奇跡を信じる事に決めたそうだ。
余談だが、入れ違いに気付かなかった相沢が、伝言と謝罪、慰めの言葉を録音し、水瀬の部屋の前に置いて駅前のベンチで待っていたらしい。
病院で母を看ていた水瀬は当然気付かず、相沢は一日以上待ちぼうけで大風邪をひいたらしい。
月宮はいまだリハビリ中だそうだ。両親がいないので今後どうなるかわからないが、それまで水瀬家で面倒見るようだ。
そんなに衰弱してたのか？ と相沢に聞いても、虚ろな笑顔を浮かべるだけ。まさか、川澄先輩の付けた傷の所為じゃ……。
栞ちゃんは退院が決定した。毎日、学校ではあれをする、これをするとうるさくてしょうがないと美坂は嘆いた。言葉とは裏腹な嬉しさを隠さずに。
留年確定とはいえ、学校には来るらしい。「その時は、あなた達にも紹介するわ」と相沢や水瀬に言う。でも、相沢は知ってるんだけどな。
なんとなく、皆で昼食を取るようになった。
倉田先輩が重箱弁当を、水瀬と美坂が自作の弁当を持ってくる。川澄先輩・相沢・オレは食べるの専門。
今日も屋上への踊り場にシートを敷き、皆で持ち寄った弁当やパンをつつく。
「いっちご〜、いっちご〜」
水瀬は倉田先輩が作ってきた苺のタルトにご満悦だ。
「本当に名雪は苺さえあれば満足なのね」 呆れたような美坂。
「そんな事ないよ。大切な物は他にもあるもん」 頬を膨らませて水瀬。
「例えば、猫とか」 茶化す相沢。
「おかあさん」 箸を止めて川澄先輩。
「ねこさんもおかあさんも物じゃないよ〜」 不満げな水瀬。
「それでは、何が大切な物なんですか？」 尋ねる倉田先輩。
「これだよ！」
水瀬はどこからか置き時計を取り出す。絶句し硬直する相沢。
相沢が再起動する前に、水瀬は時計のボタンを押す。
『名雪、俺には奇跡はおこせないけど』
どうやら声を録音するタイプの目覚まし時計のようだ。
ちなみに、声の持ち主の相沢は川澄・倉田の先輩方に羽交い締めにされて、身をよじっている。
『約束する……名雪が悲しい時には、俺がなぐさめてやる』
『俺は、ずっとここにいる。もう、どこにも行かない』
『俺は……名雪のことが、本当に大切だから……』
踊り場に沈黙がもたらされる。
「ふぇ〜。プロポーズみたいです。羨ましいね、舞」
倉田先輩がそう言うと、川澄先輩が首を振って、
「私も同じことを言われた」
と発言した事から場が緊張する。
「なあ、相沢。おまえは水瀬と川澄先輩、どっちにプロポーズしたんだ？」
オレの発言に皆の注目が相沢に集まる。
「祐一、どっち？」
と異口同音に聞く川澄先輩と水瀬。期待している返答はまったくの逆だろう。
相沢は青い顔で身を震わせるだけで、答えられない。
「祐一、ちょっと」
またも異口同音で川澄先輩と水瀬がハモる。
右手を川澄先輩、左手を水瀬に取られ、相沢は立たされる。両手に花だが、少しも羨ましくない。
「な、なんだ。俺はまだ昼食を取り終えていないぞ」
なんとか逃れようともがく相沢。どんな力が働いてるのか、ピクリとも動かない二人。
「大丈夫」
やっぱりハモる二人。そのまま相沢を連れて、屋上に向かう。
憔悴した顔をこちらに向けて相沢は口を動かす。
（たすけて、しょうねんエスパー きたがわ）
残念、オレはもう引退したから、無理ッス。
そんな気持ちを、暖かい笑顔に込めて相沢に返す。
相沢はがっくりと頭をたれ、連行された。
倉田先輩がその様子を覗きにいったので、踊り場にはオレと美坂しかいない。
「助けなくて良いの？」
「自業自得さ、相沢は」
脳裏に数日前のオレ達の会話が思い浮かぶ。オレの超能力がいかに使えなかったかをおどけて話したことを。
「これは、まいから聞いたときに思ったんだけどさ」そう言ってから、相沢が続ける。
「お前の念動力使えば、パチンコで玉が入れ放題じゃないか。瞬間移動だって壁抜けに使えば何処にでも侵入できるぞ。テレパシーはテストで使えばカンニングし放題、麻雀で使えば負け知らず。透視もわざわざ服を透視しなくても、更衣室か風呂場を覗けばいい。あるいは、テストで香里の答案を覗くとか」
意外な使い道に呆然とするオレ。
「惜しかったな北川、せっかくの超能力、少しくらい残してもらえば良かったのに」
ニヤニヤと笑う相沢の顔を腹立たしさと共に思い出す。そう、これは自業自得だ。決してその素晴らしい悪知恵を教えてくれなかった事への復讐ではない。
「ほんとに？」
「ほんとに」
オレの名は北川潤。なくした超能力を惜しむ、ちょっと素敵な元少年エスパーだ。
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