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どっかーん！！
そのままあたし達はふたり同時に倒れ込んだ。
冷たいっ。名雪は言った。あたしは笑った。すぐに名雪も笑い始めた。水を掛けあいはじめた。
体も服もずぶぬれになっても、あたしたちの間を往復する水がやむことはなかった。
どこが地面でどこが空なのか、今ならすぐにわかる。
宙を舞って渡された缶コーヒーをあたしはなんとか受け止めた。
「ナイスキャッチ」
名雪が白い歯を見せて笑う。頬を撫でる１０月の風は冷たいけれど、右手に持った缶コーヒーは熱い。名雪はその笑顔のままあたしに後ろから抱きついてきた。腕が回された首筋も、熱い。
「香里〜」
「ん」
「大好きだよっ」
「そう？あたしもよ」
「相思相愛だね」
「そうね」
名雪が胸を背中に擦りつけてくる。熱い。
「じゃあこのままホテルに直行しよっか」
「しません」
「残念」
胸が離れた。
「言っとくけどあんた、いつもと相当キャラ違うわよ」
「残念〜」
言いながらスキップ。水面に反射した夕暮れの日差しを浴びた名雪のそれは踊るようにも見える。
「で、どうしたのよ。いきなりこんな所に連れてきて」
あたしは訊いた。こんな所とは海のことだ。
今、あたし達はなぜか海に来ている。遅めの昼食がすんだ後くらいにいきなり携帯に名雪から電話があって、それからすぐに自分たちの住む街からそれほど離れていないこの場所へバスでやって来た。
砂浜にはあたしたち二人以外には人影はない。コンクリートで固められた斜面の向こう、道路を挟んだその一帯には数えるほどの民家らしきものしか見あたらなくて、街からバスで３０分の場所の田舎っぷりに少し驚く。そんな日曜日。秋。
今日の午後は、ゆっくり読書をして過ごす予定だった。受験勉強の合間の貴重な息抜き。その予定を取り消してここに来たのは、電話の向こうの名雪の様子にいつもと違うものを感じたからなのだけど。
それにしても妙なシチュエーションだと思う。
海、夕暮れ。波の音、ふたりきり。女同士だけど。
妙だ。
妙に、できすぎている。
これで話の内容が告白か別れ話のどっちかだったら完璧だ。ちょっと頭が悪いくらいに。
足下の砂は不安定。しばらく俯いていた名雪が、口を開く。
「あのね、フラれたの」
意外なほどあっさりとした口調で。
「祐一にね、フラれちゃった」
波の音から浮き出るように、その声はあたしの耳に届いた。
別れ話だった。
いや、むしろ告白？
別れた話の、告白。
夏なら熱くてとても座っていられない砂浜も、この時期だとむしろ肌に冷たいくらい。さっきからあたしの左手はその砂をかき混ぜてばかりいる。
それなら右手はというと、小石を海に投げ込んでいた。
ぽちゃん、ぽちゃん。特にこれといった法則性もなくランダムに、石は底が透けて見えるような浅瀬に着水している。
ぽちゃん、ぽちゃん。
「香里、ひどいよ」
名雪がぼそっと非難の言葉をつぶやく。
ぽちゃん、ぽちゃん。
「ひ〜ど〜い〜よ〜」
呪うように体を揺さぶってくる。もう揺れる揺れる。あまりに揺れるもんだから、投げた石がてんで見当違いの方向に飛んでいって、「ぼすっ」砂浜に着地した。
「ひ〜ど〜」「あのね」
名雪の言葉をさえぎる。
「付き合ってないならそうと始めにちゃんと言ってよね。勘違いしちゃったじゃない」
「だからそれがひどいんだよ〜」
不満顔のまま彼女は続けた。
「付き合ってなくたってフラれたことには変わりないよ」
「それはそうだけど」
「う〜」
「今日、祐一にね、告白したの」
つまりは、こういうことだった。
名雪はもともと誰とも付き合ってなんかいなくて、今日相沢君に告白して、フラれた。
それをあたしは、名雪は「付き合っている相沢君に」フラれたのだと思いこんでしまっていたのだ。
あのわかりやすい名雪に彼氏がいるという事実を今の今まであたしは気付けなかったああなんてこと美坂家の恥だわ。
しこたまショックを受けた。自分の五感を本気で心配したりもした。一人で勝手に勘違いして。
そんなあたしに名雪が言ったのが、この言葉だった。
心配は、杞憂に終わった。
でもよく考えたら。相沢君に彼女がいるのを、あたしはまるで気がつけなかったということなのだ。
彼はいつだって、そんな素振りは見せていなかった。
まあ、彼は名雪と違って全然わかりやすくなんてないけど。
別に気がつく必要はないのだけど。
でも、なんとなく、悔しかった。
「えい」
名雪が横手で海に放った小石は、へなへなとスピンして着水、そのまま沈んでいった。ぽちゃん。
水切りのつもりらしい。
「う〜、難しいよ」
ざっと２０投して一度も切れなかった結果がその台詞なら、もう何も言うまい。
手頃な石を見つける。放ってみせる。
１回、２回、３回、
「わ、すごい、すごい」
６回目でぽちゃん。でも５回切れた。最高記録かもしれない、なんて。昔の自分の水切りの記録なんて全然覚えてないけど。
「もういっちょっ」
１回、２回、３回、４回、
「わ、すごい、すごい、すごい」
今度は８回切れた。８回。
──ちょっと、気持ちいいかも。
「香里すごいね〜」
褒められた。嬉しいかも。
「えいっ」
「わ、すごい、すごい、すごい、すごい、香里かっこいいっ」
「ふふん、あたしのことは水切り女王と呼びなさい」
「ごめん、それは全然かっこよくない」
「ほっといて。ほら、あんたも練習練習」
「え、わたしも？」
疲れた。
服に砂が付くのもおかまいなしで砂浜に寝転んだ。隣に名雪も。
足下の方で夕日が沈んでる。空は一面夕暮れの色だ。綺麗だった。
「何もない日にしようと思ってたんだよ。前から」
ふと名雪がいう。意味がよくわからなくて黙っていると、
「告白」
今度は言葉が見つからなくて、あたしは黙った。
どこかでカラスの鳴き声がする。
「へたにバレンタインの日とかに告白されても、祐一も迷惑かな、って」
手のひらで砂をかき混ぜる。冷たい。
名雪の横顔は寂しげで。
この子は、優しすぎるのだと思う。
「さて」
そして、名雪が口を開くまでに一つも気の利いた言葉をかけてあげられなかったあたしは情けない。
「水切り練習、再開しますか」
ならせめて、帰りたくないと言う彼女にとことん付き合ってあげたい。
石なら、足下にいくらでも転がっているのだから。
「えいっ」
相変わらず彼女は、不器用に石を投げ続けている。そんな彼女にあたしは言った。
「今日は、返さないわよ」
疲れて。
何回目だっただろうか。
「それっ」
情けないかけ声とともに放られた石が海の上で、
１回、
「あっ」
ぽちゃん。
すぐに石は海の底へ沈んでいった。
でも今、確かに、
「切った……」
切った。
「切った！」
名雪が手を叩きながら飛び跳ねた。
「切ったよっ！水切った！」
駆け寄ってきた。
「やったよ〜」
本当に嬉しそうな顔で抱きついてくる。やったよ〜、と何度も繰り返す。
なんだこれは。バカみたいだ。
「あんたね、一回くらいで……」
あたしは名雪を引き剥がすと、おもむろに足下の小石を手に取った。
「そんなに喜ぶんじゃないわよっ！」
ものすごい勢いで放り投げる。
１回、２回、３回、４回、５回、
「わ、すごい、すごい、すごい、すごい──わっ」
「どっかーん！！」
そのままあたし達はふたり同時に倒れ込んだ。
冷たいっ。名雪は言った。あたしは笑った。すぐに名雪も笑い始めた。水を掛けあいはじめた。
体も服もずぶぬれになっても、あたしたちの間を往復する水がやむことはなかった。
次の日の名雪の顔は晴れやかだった。
ただそれを見たのが教室じゃなくて自室。あのあとずぶ濡れのままのろのろと帰宅、そのまま風邪をひいて学校を休んだあたしはどう見ても正真正銘のバカ。
でも、名雪の顔は晴れやかだった。
見る人の心の雪が解けていくような、気持ちが踊るような笑顔。そういえばこの子の笑顔はこうだったと今、思い出した。
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