曖昧ｍｅ、終わらせよう
淡い色の桜が舞う道に居る一人の女性。ブラウン・ヘアーが緩やかにウェーヴしている。眼は釣り上がっていて、人にキツそうな印象を与えるだろう。実際、彼女の性格はキツイ。いや、本来は優しいのだが、表に出すのが恥ずかしいのかもしれない。
彼女はとても綺麗だ。１７歳とは思えない、アダルトな顔立ちをしている。それが彼女にとってプラスなのかマイナスなのかは置いといて、少なくとも男子学生が憧れる……或いは、恋するには十分だ。それに加えてスタイルも良い。ココまでの条件が整っている、そんな彼女に男子学生が憧れも恋もしないわけが無かった。
しかし、彼女はそんな男子学生の告白を全て断っていた。彼女曰く、「好きでもない、魅力も感じない、尊敬も出来ない、そんな人とは付き合えない」らしい。彼女は二年生の時学年主席だった。単純に成績が良いのではない。物事を理解するのに長けていて、それを整理するのも得意だった。文章から淡い意味も深い意味も読み取り、それを自分の糧として成長出来る。それが彼女――美坂香里だ。
だが、彼女はそれ以外にもう一つ、恋愛出来ない理由があった。いや、出来ないのではなく、そんな事にうつつを抜かしている暇がないと思っていたのだろう。原因は、彼女の妹――美坂栞であった。
彼女の妹は一般的に言われる不治の病で、しかも全身が侵され次の誕生日――１６歳まで生きられないと告げられていた。彼女は自分の妹の事が好きだった。家族として愛情を注いでいた。それが彼女の枷――といわれるだろう、モノになった。
妹が１６歳まで生きられないと言うのを聞くと、彼女は次第に妹を避けるようになった。いや、それは避けると言うよりも無視すると言う方が適切だったろう。そして彼女は妹に１６歳まで生きられないと言う事を告げると、本格的な無視をし始めた。自分の妹を居ない事とし、自分は仮面を被ってその痛みに触れないように、そっとそっと生きていく。それが彼女の選択。彼女は何も変わらないように周りと接し続けていた。そして、一月。彼女は相沢祐一と出会った。
相沢祐一、彼は不思議な人間だった。曰く、ふざけていると評判だった。不思議で、面白くて、心に入り込む。彼女は、相沢祐一をなんとなく眺めている事に気付いた。相沢祐一はとても可笑しな人間だ。美坂栞と出会い、美坂栞と友達になり、恋人になった。一週間。一週間だけど、彼等は恋人になった。そして、そんな彼らに彼女は疑問を、嫉妬を、怒りを、悲しみを思った。
なんで相沢祐一は美坂栞が死ぬと知っていても、付き合うのだろう。
なんで美坂香里は美坂栞と彼らのように、接する事が出来ないのだろう。
なんで美坂香里は相沢祐一に理不尽な怒りを覚えるのだろう。
なんで美坂香里は今の現状に悲しむのだろう。
彼女は相沢祐一を呼び出し、自分の思いを打ち明けて泣いた。自分がどうしても誰にも言えなかった筈の、どうしようもない気持ちをたった数日前にクラスメイトになった男に打ち明けて、その胸の中で泣いた。不思議と恥ずかしさは無かった。彼女は全てを打ち明けてから、美坂栞と接した。そして美坂栞は誕生日を迎えても、それを越えても、死ぬ事は無かった。
そして美坂栞と相沢祐一は別れた。異常な程綺麗にスッパリと、アッサリと。美坂栞曰く、「好きですけど、他にも好きな人が居たらフェアじゃないですから」と言う事らしい。彼女はもう一度相沢祐一にアタックする気満々のようだ。美坂香里はただそんな相沢祐一を取り巻く現状を眺めるようにして、毎日を過ごしていた。
あたしは、曖昧なものが嫌いだ。
きっと、何時か、また、今度、もし、だったら、恐らく、多分、微妙、ちょっと、適当――。
どうして今あるモノが永遠なんて、どうして不変だなんて思えるのだろう。いや、分かってる。あたしもそうだった。そう、今の日常にしがみついて、自分が変わりたくなんて無いから盲目的に思って、自分を必死に守る。分かってるけど、今ではそれが許せない。本当に簡単に、普通だと、在って当たり前だと思っている事に腹が立ってしょうがない。
わかってる。自分でもそう思ってて、気が付いた瞬間怒りを向けるなんて理不尽だって分かってるけど、それでもやり場の無い怒りがドンドン募ってあたしを尖らせて行くのが分かる。イライラとした感情はマイナスにしか流れないし、その性質も理解出来るけど、それでもどうしようもない事もある。あたしらしくないと言われても、これも本当のあたしなんだから仕方が無い。
あたしはソレを潜めて生きている。そんなイライラを出す事にメリットなんてないって分かっているから。それでもイライラは表に出ないだけで募るし、何処かで息抜きでも出来ないと本当に爆発しちゃいそうね。感情の爆発はデメリットでしかありえないけど、その能力は大きい。頭の処理速度――耐えると言う事を凌駕して一時的に理性のタガを外すし、なによりもそれは本心だから。
あたしは怒る事を望んでいる。それでも、あたしは怒らない。
俺は恋をしている。それが愛かどうかは分からないけど、恋をしている。憧れかもしれない、同情かもしれない。それでも、好きだという気持ちに変わりは無いと思う。俺は、恋をしている。
好きでいれるだけで満足なんて綺麗事言うつもりは無いけど、それと今の自分がどう違うのかは分からない。つまり、勇気が無くて告白が出来無いと言う事だ。彼女が自分を好きになってくれるだろうか？ もし付き合ってくれたとしても、俺は彼女を引きとめられていられるだろうか？ そんな不安がずっと心の中をぐるぐると回る。冗談めいて告白してしまおうか？ そんな事が出来たら悩んでなんかいない。きっと、俺は誰よりも臆病だから人が悲しんでるのを嫌がるんだろう。俺は彼女の悲しそうな所に惹かれたんだろうか？ ――違う。絶対って言い切れないけど、そんなの違う。純粋に彼女が好きだ。悲しみとかじゃなくて、彼女自身に惹かれた。きっと、いや、きっとじゃなくて、彼女が――美坂香里が好きだ。
サラサラと舞う桜の花弁を、桜の木を眺めていた。この場所には相沢祐一と美坂香里以外居ない。少なくとも、今この瞬間は。
ただ二人は桜を眺めて、座って無言のまま時間を流している。特に意味があるわけではない、特に意味が無いわけではない、微妙な、とても理解しにくい雰囲気。口を開き辛くて、それでも嫌な沈黙ではない。だからそんな雰囲気に甘えて口を開くのを躊躇うのだろうか？
「何か話があるんでしょ？」
香里は口を開いて、何時まで経っても進まない雰囲気を打ち破った。祐一は曖昧に頷いて香里の問いに答えたが、香里の狙ったような急激な進行にはならなかった。香里は曖昧な雰囲気に次第に心に妙な焦燥感のような、そんな感情が溜まっていくのに気付いた。簡単に言うなら、それは怒りだった。自分が嫌いなモノに支配された空間が堪らなく苛立たしかったのだろう。眉間には薄く皺が刻まれ、その怒りを分かりやすく表現する。
「あの――さ、俺……、香里の事……好きなんだ――と思う」
フルマラソンのゴール・テープを切るような、長い曖昧からの祐一の告白。しかし、それはとても綺麗とかスッパリとは言えないモノ。表現するなら、美坂香里が嫌う曖昧と言う言葉が似合っている。香里は当然と言うか、眉間の皺を深くし、より分かりやすく表現してから座っている場所から立った。
「と思うって何よ、自分の心も分からないの!? あたしは、そう言う曖昧なモノが嫌いなの。多分とか恐らくとか、よく分からないモノがイヤなの。お茶を濁すようなヤツが一番嫌いなのよ！ 分かった？ わかったなら、あたしはもう帰るから」
そう言うと、香里は何時もより早く大股で廊下を歩いて行った。残されたのは、呆然とした祐一と相変わらず舞っている桜。
そして、相沢祐一が美坂香里にフられたと言う事実。
例えるならそれは有ったはずの床がぽっかりと無くなって、アニメやマンガみたいに空中でもがいているような感覚。
どれだけ手を振り回してもどれだけ足を動かしても、無い床と水は触りようが無くて抵抗の無い空気の中を落ちていくしかない。ひたすら足掻いて落ちる事をゆっくりするぐらいしか出来ないかもしれないけど、足掻かないよりもマシかもしれなかったから足掻いた。香里だったら「無様」とか「醜い」とかって嘲笑うかもしれない。少なくとも今の俺じゃ自分でもカッコ悪すぎて、落ちてしまいたいって気がしてる。
多分、恐らく、曖昧、と思う、――カッコ悪すぎて涙が出てくる。
諦める……か？ そんな簡単に終われる事だったか？ 違うよな、だから告白したんだよな？ もう諦めるのか？ 諦めきれるのか？
今でも香里が好きか？ 俺。――好きだ。
今でも多分とか思ってるか？ 俺。――違う。
今度はちゃんとキッパリ言えるか？ 俺。――多分じゃない。言えるって思ってろ、俺。
何時まで弱いつもりだよ、相沢祐一。お前の気持ちは嘘か？ 違うだろ。一回フられたんだ、今度は怖くないだろ？ もう、嫌われてるんだ。後ろより前、下より上、弱いより強い、……その方がカッコいいだろ？ 相沢祐一。今でも落ちたいか？ 相沢祐一。違うだろう。『無様』に、『醜く』足掻けるだろ？ 潔くなんて違うだろ？ 自分が嫌いなら、ソイツの逆向いて突っ走るか？ 違うだろ。嫌いな自分ぶっ壊して変えちまえ。自分が好きな自分になっちまえ、相沢祐一！
「多分とか恐らくとかじゃなくて、香里の事が好きだ」
桜の花は殆ど散って枝に残っている花は僅かで、どことなく寂しさを感じさせる。２度目の告白をしたのは、前回と同じ場所。けっして良い想い出があるとはいえない場所だけど、弱い俺を壊すならココしかないと思ったからココにした。――なんてことはなくて、避けられている時に追い詰めたのがココだったと言うだけだ。決してストーカーじゃない。ギリギリで違う。
「多分とか言ったからその焼き直し？」
まるで『くだらない』とか『醜い』とか『無様』とか言われてるような視線が、俺を突き刺してるような気がする。いや、実際そう思われてるんだろう。俺だってこんな状況だったらそう思うかもしれない。それでも、自分勝手かもしれないけど、俺は弱い俺を壊す為に、香里の事を好きでいるために、必要な事だと思うから今は置いておく事にした。
「それが無いって言ったらウソになるだろうなぁ。でも今度はちゃんと好きって気持ちが固まってて、曖昧でもなんでもなくてちゃんと好きだって思ってる。ストーカーじゃないけど、お前が嫌いでも好きだよ。迷惑だって言うならまた嫌いでも良いし、近付かないでもいい。未来の事だから確定とはいえないけど、良い男になって好きにならずにはいられないようにしてやるから」
物凄く恥ずかしいセリフを呼吸で休みを入れながら言って、顔が赤くなろうとするのを必死で耐えた。ここで赤くなったらカッコ悪いと思ったから耐えた。香里はふ〜ん、それで？ とでも言いそうなぐらいさらりと受け流していて、なんとなく敗北感が湧き上がったけど押さえ込んだ。
「で、どれぐらい本気で相沢君の言う『良い男』になろうと思ってるの？」
「小学校の卒業アルバムに書く、将来成りたいモノの欄ぐらいかな」
何を書いたかは秘密だけど、大抵ココに書かれるモノはふざけているか夢物語が多い。因みに俺はふざけている方だ。後で見てみたら、一番多いのは『総理大臣』だったような気がする。だけど、『良い男』の方はいたって真面目で、本気でなろうと思ってる。
「メチャクチャ不真面目じゃない」クスリと笑いながら、香里は言った。
その顔が凄くキレイで可愛くて、バカみたいでガキっぽいかもしれないけど、それでもっと好きになった。絶対良い男になって、振り向かせてやろうと思った。
「結構本気なんだけどな」
ふざけたように言って、ニィと目を細めた。
不機嫌にあたしは相沢君と会話したけど、終わる頃には和やかなムードになっていた。
数日前の相沢君とは明らかに変わった相沢君は余裕があって、いつもあたしが見ていた相沢君だった。いや、それとはまた少し違ったのかもしれない。なんていうか、何時もより芯があったような気がした。
『コクハク』は曖昧になったけど、相沢君の気持ちは本当に固まってるらしい。あたしを『好き』だと言う事も、『良い男』になると言う事も。ふざけたように誤魔化したのかもしれないけど、「結構本気なんだけどな」と言った目を細める前の表情は本当に本気だった。
本当を言えば、今でも相沢君は嫌いじゃない。けど、恋愛対象としては見てない。だから、相沢君が『良い男』になるまでにあたしが恋をしていなかったら、本当に相沢君が『良い男』になっていたら、あたしはホレるんだろうか？ 少し期待して、落胆しないように本当にホンの少しにして、何時も通り居ればいいんだろうか？ それで、相沢君が『良い男』になったらホレて愛する？ ……らしくないんじゃないかしら。相沢君が『良い男』になるなら、あたしはそれ以上に『良い女』になった方がいいわよね、美坂香里。よし、そうしよう。相沢君が『良い男』になっても、それでも眼を奪うぐらい『良い女』になってやろう。ホレるのじゃ納得いかない、やっぱり、ホレさせた方がらしいわよね。
ならそうしちゃおう。女神なんて言われるぐらい『良い女』になれるわよね、美坂香里。
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