降り注ぐ雪。
周りを見れば全てが白で彩られた世界。
それが、止まった時間の中で唯一ボクが見る事ができた世界。
でも、それすらももう見れなくなるのなら。
せめて、今だけは過ぎ去った思い出に浸っていたい。
終わりのそばに、始まりの兆し
その出会いは必然なのかもしれないと思った。
「うぐぅ！どいてー！ 」
ドンッ！
「うぐぅ……痛いよ……」
「大丈夫だ。俺は痛くないぞ」
ぶつかった瞬間、声を聞いた数秒間。そして、その姿。
その何もがボクの記憶を震わせた。
その時は気のせいで済ませたけど、やっぱりボクは思い出しちゃったんだ。
「もしかして……祐一、君？ 」
「そう、だけど……」
「帰って来てくれたんだね。ボクとの約束、守ってくれたんだね」
嬉しかったけど、悲しかった。
どうして悲しかったのか判らなかった。
だから、ボクは探していた。
記憶の奥底に残った思い出のかけらを。
祐一君との思い出に、悲しい事は無かったと証明したかった。
「探し物をしているんだよ」
「何を探してるんだ？」
「うーん、と……わからないけど、大切なもの」
大切なもの。
それは、今この手の中にある古びた人形。
でも、その時のボクは、まだ思い出さなかった。
何を探しているのか。そして、途切れた最後の記憶を。
「あゆ」
「……え？ 」
「見つかるといいな。探し物」
「……うん」
――そう。ボクもそう思った。
それなのに、見つけたくないという気持ちも自覚していた。
間逆の位置にある二つの想い。
理由を思索する内に、困惑の中に一つの違和感を見つけていた。
それは、ぼんやりとしたイメージ。
自分の存在が薄れてゆく感覚。
「って、お前は何でここにいるっ？！ 」
「朝ごはんを食べてるからだよ」
「自分の家で食えっ！」
「うぐぅ……恐かったよぉ……」
「それじゃあ、来週もあの映画を見に来るか」
「うぐぅ！祐一君、意地悪だよっ！ 」
祐一君と話すたび、触れ合うたびに大きくなるそのイメージ。
それが恐くて、ボクは祐一君に会えなくなった。
それから……少しだけ時が経って、誰かの声が聞こえるようになった。
――何を探してるの？――
「……わからないよ」
――じゃあ、何で探してるの？――
「わからないけど、大切な物なんだ」
その声が聞いてくる事はいつも同じ。
何を探しているのか。
どうして探しているのか。
その二つの問いには、いつも同じ答えを出していた。
何を探しているのかわからないけど、大切な物だから探すんだ、と。
また少しだけ時が経つ。
問答に飽きたのか、声の主は小さくため息をついてこう言った。
――じゃあ、教えてあげようか？――
と。
その時は、疑いもせずに声の主の言葉を信じた自分が不思議なくらいだった。
――ここだよ――
ドクン……。と、心臓が大きく鼓動を打つ。
――この木の下に、君はそれを埋めたんだよ――
「ボクが……？ 」
少しだけの困惑。
でもそれは、戻りつつある記憶が少しづつ消してゆく。
……それから。
ボクはただ、目の前にある地面を掘り続けた。
ボクも、聞こえる声も、何も話さなかった。
「…………？」
掘り進む内に指先に感じた、何か固いものの感触。
周りの土をどけて、それを引き出す。
「……あ」
それは土で汚れて、片翼や頭の輪は無くなっていたけれど
「天使の……」
ボクの記憶の中にある思い出の人形だった。
「う……」
ずっと探していた物を見つけて、ボクはそこで喜んでいるはずだった。
少なくとも、今までのボクの中では。
でも、今。ボクの目から流れる涙は、決して喜びの涙じゃなかった。
ボクは、その涙の理由を知っていた。
……違う。思い出したんだ。
七年前に、ボクは……。
「……そっか。そう、だったんだね……」
忘れていたのはここに留まる為の代償。
思い出せなかったのはボク自身がそれを拒否していたから。
「……………………」
寒さを感じない。素手で地面を掘り続けたのにも関わらず、指の痛みもほとんど無い。
手を見ると時々向こうの景色が透けて見える。
何処と無く、今までに感じていたイメージに重なっている様に思えた。
そうだとしたら、きっとボクはもうここに留まってはいられない。
考えるよりも早く、ボクは歩き出していた。
祐一君を探して、お別れを言う為に。
あの日、祐一君を探す途中で、ボクは少しだけ考えていた。
もし、ボクと祐一君があの場所で再会していなかったら。と。
でも答えは出なかった。想像できなかったという方が正しいだろうか。
なんとなく、祐一君が何処に居ても見つけてしまいそうだから。
そして見つけたらきっと、
「祐一君っ」
君の事、呼んでしまうから。
「…………何だ、あゆか」
ボクの声に祐一君が振り返る。
「祐一、君」
もう一度、その名前を呼んでみる。
大好きで、大切で。幸せになってほしいと、切に願う。
そんな祐一君は笑顔だったけど、その笑顔はとても悲しそうで、ボクは二の句が告げなくなりそうになった。
でも、言わなくちゃいけない。最後のお別れを。
ボクにはもう時間がなくて、祐一君と話が出来る時間は今だけしかないと解っていたから。
「……探し物、見つかったんだよ」
たどたどしく、それだけを告げる。
「……よかったな。大切な物だったんだろ？」
優しくて、それでいて悲しい笑みをむけられる。
「うん。……それでね、探し物が見つかったから、もうこの辺りには来ないと思うんだ。
……だから、祐一君とも、もうあんまり会えなくなるね」
一つ、二つと嘘を重ねていく。本当はもう、ここに来る事はないのに。祐一君とも、会えるはずが無いのに。
「だったら、今度は俺のほうからあゆの街に遊びにいってやるよ。
あゆの足で来れるんだから、そんなに遠くないんだろ？」
「…………」
「また、嫌って言うくらい会えるさ」
「そう……だね」
そう言ってくれるのは、祐一君の優しさ。
でもその優しさが、何よりも痛かった。
「ボク……そろそろ行くね」
それ以上の会話は、ボクには無理だった。
涙が出て来ないうちに、踵を返してたった一言。
「ばいばい、祐一君」
そう言って、ボクは走り出した。
それからまた少しだけ時が経った今。ボクは一人、空を見上げていた。
思い出が途切れた、この場所。祐一君とボクの、二人だけの「学校」で。
目印だった大きな木は既に無く、今はその面影だけをそこに残していた。
ボクの知らない時間。この七年の時の間に、祐一君は悲しい記憶を心の奥に沈めてしまい、
事故のあったこの大きな木は切り倒されてしまった。
倒された木はとても悲しかったけど、祐一君が七年前の事を忘れている事は良かったと思っている。
あの事を思い出して、祐一君が悲しむ姿を考えるのさえ嫌だった。
……でも、それを思い出さなくても、祐一君の未来に悲しみが待っている事を知っていた。
最後に祐一君と会った日、少しだけ見えた未来のビジョン。
断片的に見えた未来の中で、祐一君は泣いていた。
……また、祐一君が泣いている。
祐一君が、悲しんでいる。
ボクの目からも涙が溢れてくる。
「……誰か……、誰か、祐一君を、助けてあげて。祐一君が悲しむのは……嫌なんだよっ！」
虚空に向かい、誰にとも無くボクの想いを叫んだ。
……その時だった。
――奇跡を、起こす気はある？ ――
久しく聞かなかった声を聞いた。
……奇跡？
「ボクに、そんな事ができるの？ 」
――できるよ。七年の間待ち続けた君ならね――
命と引き換えに、たった一つだけ。声は最後にそう言った。
あの日から、ボクは考えていた。
どうすれば祐一君が幸せになれるだろうと。
どんな願いなら祐一君が悲しみの涙を流さずに未来を歩めるのかを。
考えている内に、祐一君は何に悲しむだろうと考えた。
「あ……」
答えは簡単だった。祐一君だけじゃない、人の共通の悲しみ。
それは……
「大好きな人と、会えなくなる事。だよね……」
どうして気付かなかったのだろう？
ボクの願うべき事は、こんなに簡単な事だった。
それならば、ボクの願いはたった一つ。
視線を前に戻し、立ち上がる。
息を整え、天使の人形に願う。
ボクの……願いは……
「祐一君の未来に、悲しい別れがありませんように……」
………………
ばいばい、祐一君。
――光が、弾けた。
……そして、季節は春。
この街には、いくつもの奇跡が起こっていた。
これは、そのいくつもの奇跡の一つ。
七年の時を得て、悲しい眠り姫が今……
「……あれ？ 」
「ボク……生きて……どうして？ 」
あの日、ボクは確か命と引き換えに……。
なら何で、ボクはここに……？
――君の命を取るわけにはいかなくなってね――
「……え？ 」
――久しぶり。……と言っても君にはほんの数日程度の感覚だろうけど――
「ねえ、どうしてボクは……」
言いかけたところで、声は小さくため息をついた。
――君が願った事は忘れてないよね？ ――
「……祐一君の未来に、悲しい別れがありませんように……」
――そう。君は優しい子だからね。奇跡を自分の為に使わないだろうと思ってたけど……。
まさか、ああ来るとは思わなかったな――
呆れるような、それでいて楽しんでいるように声は笑った。
「え？ ……どういう……？ 」
――たとえどれだけの奇跡が起きても、奇跡の代償が君だと祐一君は悲しむ。って、ところかな。
彼は君以上に優しいからね――
「…………」
――自分の事で悲しんで欲しくなければ「自分の事を忘れて欲しい」と願えばよかった。
でも、それじゃあ他の奇跡が起こせないから祐一君に悲しんで欲しくない君の願いは叶わない。
じゃあ、君の命と引き換えにあの日の君の願いを叶えたらどうなるか？
結果は同じ。遅かれ早かれ祐一君は君の死を知ることになる。そうすれば彼が悲しまないはずが無い。
結局、あの願いで君の命は取れなかったって事さ。――
ふう。とさっきよりも大きなため息をつく。
「……ごめんなさい」
――謝る必要はないよ。ただ、自分の願いに後悔しないで生きて欲しいな。――
「するはずないよ。だって、ボクは祐一君が大好きだから」
――うん。そうだね……――
ふと、閉めきっているはずのこの病室に風が舞った。暖かい、春の風だった。
――そろそろ時間みたいだ。じゃあ、僕は行くよ――
「あ……待って！ 」
――うん？ ――
「君は……君は、誰なの？ 」
ボクがそう聞くと、声は少しだけ笑ってこう言った。
――七年間も土の中にいて、ちょっと疲れたかな――
と。ただそれだけを。
それから、病室に入ってきた看護婦さんに驚かれて、ちょっとした騒動が起きていたけど、
ボクはその中で考えていた。
きっとボクと話していたあの声の主は天使さまで、ボクのわがままな願いを叶えてくれたんだ。
無茶な願い事をして本当にごめんなさい。
……そして。
「本当に、ありがとう」
涙が出た。
かつての涙とは違う、喜びの涙。
やりたい事がたくさんあって、やらなきゃいけない事もたくさんあるけれど。
ここからが、ボクのスタートライン。
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