有史以前より、彼らはそれぞれに惹かれ合い、それぞれに巡り合い、そして、それぞれに結ばれていた。
別々に生まれた彼らが、幾多の奇跡に導かれ、出会い、そして、熱く結ばれる。
その時、世界は燃え上がる。
− 光幕 −
「こんばんは。
珍しい所でお会いしましたね」
背後からかけられた声に、草むらにぼんやりと座り込んでいた相沢祐一は振り返る。
「珍しいか？
天野と会う場所としては結構多かったような気がするぞ？」
天野美汐は軽く会釈をし、祐一の傍らに自らも腰を降ろす。
「確かに、待ち合わせた訳でも無いのに何度かここで相沢さんとは出くわしましたけど」
抱えた膝に頭を横に乗せるようにして、美汐は祐一を見上げる。
「こんな時間にここで出くわすのは、流石に珍事と言うべきでしょう」
祐一は苦笑し、伸びをしながら草野原の中へと仰向けに寝転がる。
「全くだ、な」
祐一は、瞬く星々の光に全身を透かし、深夜の秋空を見上げていた。
ただでさえ人家の無いものみの丘の夜空は、漆黒の背景となって鮮やかに星明りを浮き上がらせていた。
「暫くぶり、でしたね。
相沢さんは最近は如何でしたか？」
頭をこてん、と横に向けたままの姿勢で、美汐が丁寧な口調で訊く。
妙齢な女性に似合わぬ子供っぽい仕草。対照的によく似合った口調。
アンバランスな美汐のその姿が、何処か眩しく見え、祐一は少し視線を逸らす。
「相変わらず、だな。上から叱られてばっかだ。
天野は、どうなんだ？ 最近は」
美汐の口元に、小さな微笑み。
ころん、と転がるように草に背を預け、その勢いのまま、くるん、と美汐の身体が祐一の方を向く。
自室でくつろぐかのように、自らの腕を枕に横寝姿になった美汐の顔が、思わぬ程祐一の横顔に近づく。
草の匂いと共に、ふわ、と香る、女香。祐一の心拍が一瞬跳ねる。
「こちらも、相変わらず、ですね。
書類とパソコンばかり見て過ごしています」
祐一の吐息が夜風と混ざる。
「何回聞いても違和感あるな。
天野の口からパソコン、なんて出るようになるとは。
時代の変化だな。俺も歳をとる訳だ」
寝姿のまま、美汐が祐一ににじり寄る。
「どういう意味でしょうか？ それは？」
視線を尚一層逸らし、祐一が小さく咳を払う。
「ごめんなさい。大した意味は無いですから許してください」
逸らす視線を追って、美汐が更に祐一に詰め寄る。
夜の空気を隔てて、祐一に感じられる美汐の体温。
「許しを請う時点で失礼な意図があった事が明白なのですけど？」
詰め寄る美汐から逃れ、祐一の身体がごろりと横を向く。
美汐と祐一の間にぽっかりと空いた、祐一１人分の空間。
「追求するなって。ちょっとした言葉の過ちだ」
後頭部を向けられた美汐が、拗ねた口を結ぶ。
「どうせ私に機械文明は似合いませんよ。
そろばんで事務計算すれば得心してもらえますか？」
祐一の背が震え、含み笑いの声が漏れ聞こえる。
「そりゃ確かに似合うな。
ついでに墨と筆で書類を作るってのはどうだ？」
「相沢さん？」
トーンの下がった美汐の声。びくりと竦む祐一の背。
「一体私を幾つだと考えているのですか？」
「ええっと、その……
その上品な物腰からすると、俺の倍は生きておられるのではないかと……」
竦みながらも飽くなき暴言を続ける勇者に、闇から氷の剣が向けられる。
冷ややかに光る刃は、返す一言で祐一を切って落とす。
「後輩よりも歳下になるとは、流石は相沢さん。見事なお子様ぶりです。
若さの秘訣は鳳凰の血ですか？ 謎のジャムですか？」
「分かった！ 悪かった！」
美汐とのこれまでの付き合いで、身に染みる程祐一には分かる。これ以上美汐を怒らせる事が、どれ程の危険を伴うのか、を。
「天野は永遠の１６歳だ！ 清らかなる乙女だ！」
美汐の眉が、苦笑に緩む。
「どうして極端に走るのですか。全く」
くすくすと笑う美汐の声に、祐一は安堵の吐息を漏らす。
と、祐一の耳を美汐の指が摘み、引き絞る。
「あたたたっ！」
引き千切られそうな勢いに慌てて耳の引かれる方へと身を倒す。
途端、祐一の耳に感じられる、体温。
引き寄せた祐一の耳に、寄せられた美汐の唇。
熱を持った、吐息。
「私も今はもう２０歳です。
子供では……ありません、よ？」
遡る事４年と１０ヶ月程も前。世界滅亡などというスケールの大きな都市伝説の蔓延していた頃。祐一と美汐は出会っていた。
失いつつある祐一と、過去に失った美汐。
同じ痛みという、苦しみを伴った共通項にめぐり合わされた２人の間には、笑顔は有り得ない筈だった。
避けようの無い終わりの時が迫り、砂がこぼれるように欠けてゆく大切な物。見守る事しかできない美汐の前で、祐一の笑顔も欠けていく筈だった。
だが、祐一は、美汐の辿らざるを得なかった道を、自らの意思で拒絶した。
耐えがたい現実。その全てを受け入れ、正面から向き合った祐一の強さ。
美汐にとってそれは、成し得なかった夢想を体現して見せてくれる、憧憬すべき勇者の姿だった。
やがて、残酷な現実が終末を迎え、１人の少女の姿がこの世から消滅した。
差し伸べる手もかける言葉も持たないまま、ただ傍らに立つ美汐に、祐一が向けた顔は、笑顔、だった。
目を逸らすのでは無く、忘れるのでも無く、まして、美汐のように殻に閉じ篭るのでも無い。そこにある痛みを受け入れ、それでも強くあってくれた、笑顔。
美汐は悟る。人は、強くあれるのだという事を。
美汐は決意する。自分もまた、強くあろう、と。
高校を卒業し、美汐は社会に出る事を選んだ。
１日でも、一瞬でも早く、自らの脚で立ちたい。それが美汐の望んだ未来だった。
そこには、１年先んじて社会へと出た、祐一への憧れと対抗もあったかもしれない。
同じ北の街で暮らすとは言え、生活圏の変った祐一とは、次第に会う機会も少なくなった。
それでも、折々の時節の機と、度々の偶機が、２人を疎遠にはしていなかった。
日々忙殺される中、美汐にとって、次にまたあるかもしれない偶機が、心の支えになっていった。
秋風が草を揺らす。
北国の夜半の風は、秋とは言え充分に冷たい。
耳を掴まれたまま硬直していた祐一が、ぶるりと震えた。
「そ……そうか。天野ももうはたちか」
寄せた唇を離さず、美汐が小さく頷く。
「ええ。更に言えば、あと１月と少々でもう１つ歳を重ねます」
祐一の肩から腕にかけて、２人分の厚地の服を通して伝わる、人肌の熱。
意識せざるを得ない、異性としての身体。
「まあ、確かに、大人、だよな」
こういった時、祐一のとる態度は決まっている。場の空気を変える為、冗句を連ねるのだ。
「おばさんくさかった天野の口調が、すっかり素で似合うようになっちまったもんな。
これでもうおばさんくさいとは言われないぞ？
素でおばさんだ」
今度の暴言は、最初から美汐を怒らせる為に放たれた。
怒る美汐に謝る祐一。その図式に持ち込めば、この妙な空気は霧散する。
しかし、美汐は怒り出す様子も無く、ただ、もう少し、祐一に擦り寄った。
「それは、女、に見てもらえるようになった、と言う意味なのでしょうか？」
祐一の鼓動が跳ねた。
美汐の声に混ざって聞こえる、色の香り。今日のこの時まで聞いた憶えの無い、美汐の女の声。
「……天野？
どうしたんだ、お前……」
美汐の口元に浮かぶ笑み。
美汐の目元に浮かぶ情気。
美汐の吐息に混ざる熱さ。
「どうもしてはいません。
ただ……相沢さんに、触れたいと思っているだけです」
言葉の意味が祐一に染み渡る前に、美汐の手が行動で意図を示す。
祐一の頬に添えられる、熱い美汐の手の平。脈打つ熱さが伝える、美汐の激しい鼓動。
朱に染まった美汐の頬。震える、声。
「相沢さんに…………
触れて欲しいと……思って……いる、だけ……です」
祐一を襲う、驚愕。混乱。そして、情欲。
赴くままに暴走しかける感情を、危うい一線で繋ぎとめる理性。
「天野……こういうのは、な……その……ちゃんと好きな相手に、だな」
「好きです。相沢さん」
停止する祐一の思考。
染み込み、リフレインする、告白の言葉。
「もう、ずっと前から、好きです。
私を……見て欲しいんです」
呆然としたまま、祐一の顔が美汐に向けられる。
祐一の視界一杯の、紅潮した美汐の顔。
恥ずかしさのあまりに潤みながら、それでも祐一を見詰める、両の瞳。
「私に……触れて欲しいんです……っ」
いつまでも続くような沈黙の後、祐一が深く息を吐く。
祐一の手が、震えながら、おずおずと伸びる。
美汐の肩を掴む祐一の手。びくりと跳ねる美汐の身体。
「天野……気持ちは、本気で、嬉しい。
けどな……ここで、天野の思いに応えるのは……許してくれないか？」
美汐の瞳に浮かぶ悲しさ。そして、せつなさ。
予期していた答え。
「ここには、真琴が居るのですね？
相沢さんにとって、永遠に」
苦しげに頷く祐一。
「分かってる。あいつはもう居ない。
でも、ここには、居るんだ。あいつと過ごしていた頃の……俺が、な」
抱き合う姿そのままに寄り添っていた美汐の身体が、祐一から離れる。
半身を起こす美汐のシルエット。星明かりが照らす、横顔。
「分かってます……だから、ここから、始めるしか無いんです」
身を捻り、祐一を振り返る美汐。
決意を込めた眼差し。
「相沢さんの中の真琴に許してもらえない限りは、相沢さんに受け入れてはもらえないのですから」
刺すように真剣な美汐の言葉。
居住まいを正すように自らも半身を起こす祐一。
「真琴に……俺の中の真琴に……許して、もらう、か」
祐一の視線が夜空を見上げる。
瞬く星々が、祐一を見返す。
「天野……俺は……あいつに、許されてもいいんだろうか？」
痛みを堪えて吐き出される言葉。
美汐を、そして祐一自身を、切りつける、言葉。
「ここで結婚式をあげた真琴に……ここで結ばれた真琴に……どうやったら、今の気持ちを許してもらえるんだ？」
ぴくりと跳ねる美汐の肩。
「今の、気持ち？」
血の滲む言葉。痛みを撒き散らす言葉。
「今の……ずっと前から、天野を抱き締めたかった気持ちを、さ」
夜風が音をたてて巻いた。
闇の向こう側から、不意に、幾つも重なって聞こえる、高く長く吼えたける獣の声。
周囲の山々に広がる、幾重もの遠吠え。
突然の自然の喧騒。
「なんだ！？ 山犬、か？」
美汐が、すっくと立ちあがる。
闇を見透かそうと、無為にさまよう視線。
「いえ。犬の群れにしては、位置が個別にばらばら過ぎます。
声の高さからしても、もっと小型の獣だと思います。
例えば……」
祐一の喉がごくりと鳴る。
「狐、とか……か」
「でも、狐は群れを作りませんから、普通は遠吠えなんて習性は持っていないのです。
それがこんなに、しかも、一斉になんて……」
祐一の全身の肌が泡立つ。
「まさか……妖狐……なのか？
応えて、くれてるってのか！？」
祐一は立ちあがる。全周囲から響く遠吠えを身に浴びるように受け、両手を広げる。
「真琴……！ 居るのか！？
居るなら、教えてくれ！ お前は、許してくれるのか！？」
応える者の無い筈の問い。
無意味な筈の問いが、声を限りに振り絞られる。
「相沢さんっ！ 空っ！ 空を……！」
美汐が指差す空。そこに広がる光。深夜に有り得る筈の無い、光の帯。
「な……なんだ……？ これは……！？」
波打つように広がる光。赤に、白に、緑に、移り変わる色の幕。
天幕にはためく光が、瞬く間に広がり、全天を幾重にも覆う。
瞬間、真白に光る、光幕。
天空になびく純白のヴェール。
空が、爆発、した。
「うわっ！」
荒れ狂う光の粒子。
白く染め上げられた世界。
一瞬くっきりと足元にできる、影。
そして、世界は闇に還った。
一瞬の眩い光が、前と同じ筈の夜を真の暗闇へと変え、祐一は美汐を見失う。
「あ、天野！ そこに居るか！？」
すぐに応える声。
「はい！ そこですね！？ 相沢さん！」
空間をまさぐる美汐の手が、すぐに祐一に触れ、美汐は祐一の胸元に跳び込む。
まだ闇に慣れない目のまま、２人が互いを抱きとめる。
細かく震える、互いの身体を、互いがしっかりと抱き締める。
「天野……今のは……真琴だと思うか？」
「分かりません……でも」
美汐が祐一を見上げる。
ようやく光の残像から開放されてきた目が、目の前の互いの顔を捉える。
一瞬訪れる、沈黙。
「……でも……奇跡ではあると……思います」
２人が見詰め合う中、虚空から、たなびく帯が舞い降りる。
帯は、ゆっくりと螺旋を描き、２人の元へと向かう。
美汐が、帯に気がつく。
「あれは……？」
祐一が美汐の視線を追って、顔をあげる。
祐一の目の前を通り抜ける帯。白く閉ざされる視界。
ふわり、と美汐の頭に被さる、白いヴェール。
呆然とヴェールを見詰める祐一。
「まさか……そんな」
忘れる筈も無い、白いヴェール。
２人だけの結婚式に、真琴を飾った、花嫁衣装。
そのヴェールが、美汐を艶やかに飾っていた。
「許して、くれるのか……？」
震える祐一の声。
優しく巻く、夜風。
ヴェールが、ふわりと広がり、広げた羽のように星明かりに映えた。
「祝って……くれるのか？」
見上げる美汐の瞳。
瞳を潤ませる涙。
涙を光らせる星。
「相沢さん……
好き、です」
溶けていく。
祐一の中の、心を縛る戒めが、美汐の涙に溶けていく。
祐一は、長く奥底に押し込めていた本心のまま、応えた。
「俺もだ。好きだ、美汐」
祐一の手がヴェールをかき上げる。
閉じる美汐の瞳。溢れ、流れる涙。
２人の唇が、熱く、結ばれた。
さやさやと流れる風。
耳元で鳴る草の葉。
大の字に寝転がった祐一に寄り沿い、胸元に頬を寄せた美汐。
祐一の指が、美汐の髪を弄ぶ。
見上げる夜空が、僅かに白んでいた。
「相沢さん」
「ん？」
上目使いに祐一を見上げる美汐を、首を傾げて見詰め返す祐一。
「核融合、って……御存知ですか？」
「はい？」
まるで場違いな問いに、空転する祐一の思考。
「原子レベルで物質が衝突する事で起こる分子の変化の事です」
睦言を語らうような声と体勢に反して、淡々と科学分野の話が続く。
「水素分子が核融合を起こすと、水素はヘリウムに変わります。
この時、余った電子が飛び出し、熱と光を生む訳です」
「……天野、何の話をしてるのか、俺にも分かるように説明してくれ」
甘えるように祐一の胸板に頬を擦り合わせる美汐。
その仕草とはどうにも似合わない話題。
「太陽の話です。
太陽の熱と光は、内部で水素が核融合を起こす事で生まれているのです」
「だから……それがなんなんだ？」
美汐が祐一に抱きつく。祐一も優しく抱き返す。
「その……ですね。３日程前に、ネットで知ったのですけど、太陽の表面で凄く大きなフレア爆発が観測されたそうなんです」
変わらず続く天文科学の話題に困惑する祐一。だが、少し、話の方向性が見えてきた気がする。
「３日前？」
「ええ。その爆発の影響がですね？ 地球に届くまでに約３日かかる訳です」
祐一はぐるりと夜空を見渡す。
「えっと、つまり、今日辺りか？」
美汐が縮こまるようにして祐一にしがみつく。
「はい……つまり、今夜辺りから、地球には数１０年に一度の規模の、とても激しい磁気嵐が来る、と予測されていた訳です」
祐一の眉根が寄る。
何か、話の概略が見えてきた気がする。
祐一は軽く咳を払う。
「……天野？
んで、激しい磁気嵐、とやらが来ると……どうなるんだ？」
美汐がますます小さくなる。
美汐の肩を抱く祐一の手に、力が篭もる。
「その……動物が、異常行動をしたり、とか……」
「例えば、遠吠え、とか？」
「……はい……あと、通常では極地付近でないとあまり見られない現象が……広範囲で……見られたり……する事も」
すっかりと眉根に皺を寄せた祐一が、低めた声で問う。
「どんな現象だ？」
美汐が、爆発を抑えようとでもするように、全身で祐一にしがみつく。
「……オーロラ、です……」
沈黙が降りた。
抱き合う恋人達の間に満ちる、ぴんと張った空気。
「ふっ」
祐一が笑う。
「ふ……ふ、ふ、ふ……
ふふふふふふ」
美汐が小さく追笑する。
「あは……あはは……ははは」
祐一の笑いが止む。
美汐の笑いも途絶える。
祐一が、ゆっくりと身体を起こした。
「……あ〜〜ま〜〜の〜〜っ！！」
「きゃーっ！！」
逃げ出そうとする美汐に一歩先んじて、祐一の両の足が美汐の胴中を挟み込み、取り押さえる。
「すると何か！？ 奇跡だなんだ言っといて、ありゃあ単なる自然現象なのか！？」
「あっ、あのっ！ それは確かにそうなんですけどっ！ でもっ！」
じたばたともがく美汐の両脇に、祐一の手が滑り込む。
「問答無用！ こうしてくれるっ！」
祐一の指先が美汐の柔らかい肌に食い込み、縦横に掻き回す。美汐の手足が激しくもがく。
「きゃああっ！！
くっ、くすぐるのは許してっ！！
あっ、あっ、あーっ！！ だめぇっ！！」
美汐の悲鳴に構わず、祐一は更に激しく美汐をくすぐる。
「うるさいっ！ 悪い子にはおしおきだっ！」
「あーっ！ ああーっ！！ いやぁぁっ！
ちっ、違うんですっ！ 途中までは確かに……
ひぃぃぃっ！！
確かにっ！ 自然現象なんですけどっ！！」
くすぐり責めにあえぐ苦しい息の中から、美汐の必死の説明が続く。
「でもっ！ 極地以外で見えるオーロラは……
あああっ！ あーーっ！！
ちっ、地平線の向こうに上の方だけ見える程度でっ！
きあああっっ！！ だめえぇっ！！」
あがきもだえる美汐の姿に、持ち前の底意地の悪さを刺激され、祐一の口元がにんまりと吊り上る。
「それから？
なんだ？ 天野？」
「はひぃっ！ ひぃっ！！
あ、あ、あっ、あんな風にっ！ 空一杯に広がるなんて事は有り得ない事でっ！！
くはああっ！ ひああんっ！！
そっ……そ、れ、にっ……眩しい程明るく光る事もっ……ああありえなああいい……
ひいいいっっ！！ 許してええっ！！」
祐一は最早完全に美汐の狂態を楽しみながら、手を休めずに問う。
「それから？
ほれ、ちゃんと説明しろ」
「ひっ、ひっ、ひぃっ……！
か……は……あ……！
まして……真琴のっ……ヴェー……ル……なんて……
あが……ぎ……あ……！
降ってくる……筈が……あああああ……
だ……め……死ん……じゃ……う」
息も絶え絶えに訴える美汐の言葉に、祐一はようやく頷く。
「そりゃそうだよな。
……そっか……。やっぱりお前だったのか、真琴」
祐一は、どこ、とも言えない虚空へと視線を巡らせ、まだその辺りに居そうな気がする真琴の意思に呼びかける。
「祝福、してくれるんだな。
ありがとうな。真琴」
風が舞う。
風は、秋の夜風とは思えない程に暖かく、そして、優しかった。
「あ……いざ……わ……さああん……
お……ね……が……い……ゆる……し……て……く、だ、さ、いい……っ！！」
「ちょっと黙ってろ」
止まる事無く美汐をくすぐり続けていた祐一の手が、一気に加速する。
「ぎ、あ、あ、あ、あ、あ…………っっ！！」
断末魔の悲鳴をあげ、美汐ががくりと崩れ落ちる。
びくびくと痙攣を続ける美汐を離し、祐一は立ち上がる。
「真琴、すまなかったな。お前を言い訳にしちまってて。
でも、もう大丈夫だ。
これからは、お前の分まで、天野を大切にする。
約束するから……安心してくれ」
風が鋭く強く吹く。
カン、と音をたてて、祐一の頭に小粒の石が当たる。
「いてっ！
何だよ、真琴！」
思わず虚空に言い返してから、はた、と祐一は気付き、足元でピクピクと痙攣を続ける美汐を見る。
「あー、えーと、これは……
愛情表現だ。うん。気にするな！」
ヒュゥゥゥ……
風が、寒々とした音を鳴らし、吹き過ぎて行った。
「……相沢さんは鬼です。
悪魔です。人でなしです。
その上色魔の根性悪です」
「ええい、やり過ぎた事は謝ってるだろうが！
しつこいと置いて行くぞ天野！」
夜の明けかけた山道を下る祐一の背で、まだ腰の立たない美汐がぶつぶつと祐一を罵っていた。
「全く、どうしてそんなに性格が歪んでいるのですか？
理解に苦しみます」
祐一は他人事のように、はっはっは、と快活に笑う。
「今更この性格は直らん。
諦めて一生付き合うんだな、天野」
朱に染まる美汐の頬。
「い、一生、って、そのっ……」
「なんだ？ 一夜の遊びだったのか？
案外尻が軽いんだな？」
「もう……馬鹿！」
こちんと後ろからぶたれ、祐一がまた笑う。
ふてくされた顔のまま、美汐は祐一にしがみつく。
「んぐっ！？
おい天野、苦しいって！」
美汐の腕が、更に祐一の首を締める。
「一生の付き合いなら……さっきの名前で呼んでください！」
「さっき？？」
ぱちくりと瞬く祐一に、余計に美汐の腕に力が篭もる。
「告白に応えてくれた時ですっ！」
祐一の足が止まる。
「あ……えーと……ははは」
無言で美汐が腕を締める。祐一の首が更に締まる。
「分かったっ！ 分かったからっ！」
１つ、２つ、３っつ。祐一が咳を払う。
「さ、帰ろうか。
……美汐」
嬉しげに微笑む美汐。
美汐の腕が、今度は柔らかく、祐一にしがみついた。
「……はいっ！
祐一さんっ！」
恋人達が後にするものみの丘には、いつまでも暖かい風が、吹いていた。
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