ｍｉｓｓ ｕｎｄｅｒｓｔａｎｄ
１．
車窓からとぎれとぎれに見覚えのある景色が現れる。
真っ白い雪の降り積もる冬場なら電車が遅れることもあるけれど、今の季節なら目的地にはあとわずかで着くだろう。
「久しぶりだな」
乗客の少ない車内で、なんとなくそのセリフが出た。
高校を卒業して大学進学で家を出た。
４年間の大学生活、そのころの長期休みはちゃんと帰っていたんだけどな。
社会人になって、私の仕事の関係上、お盆や正月でもあまり長い休みを取れなくなったせいか。それとも、バイトはもちろんしていたけど学費や生活費をもう送ってもらう必要がなくなったためなのか。または全く違う理由からか。私はここ数年、実家に戻っていなかった。
だから、今回が本当に久々の帰郷となる。
手にした一通の手紙を眺めながら、これから会えるであろう懐かしい顔を想像した。
２．
大学を卒業した私は無事に就職を決めて、今は忙しい日々を過ごしている。
昔からわりと努力家で妥協できない性格で、負けん気も強かったと思う。
だから、大学を出て会社で男女の関係なく働いてみせると思っていたし、それが普通だと思っていた。
世の中にはかつて、多くの男尊女卑があった。
戦前は女性には選挙権のなかった時代もある。
しかし、男女雇用機会均等法が生まれ、それからさらに数十年たった今では、同じとは言えないまでも頑張り次第でそれが認められる社会に少しずつ変化している。
私自身はそんな時代を生きてきたわけではないので実感はわからないのだけれど、こういう時代に生まれて感謝している。
だって、私は主婦にはなれそうもないと感じていたから選べる道があることは嬉しかった。
私は高校を卒業して大学生活の４年間、そして今も一人暮らしを続けていて、家事は苦手ではない。むしろ普通以上に出来る。でもそれが特別好きなことではなかった。
入社してすぐのころ、新人だけの飲み会で同期の子たちが
「一生は働きたくないわね。いい人をみつけて寿退社が理想よね〜」
と同意を求められて、愛想笑いをした覚えがある。
主婦として、家を守って一生過ごす覚悟のない自分にはそういう道も選べる彼女らに皮肉でもなんでもなく感心していた。
地元を離れてからの私はそうやって学生生活はバイトと勉学に励み、社会人になってからは自分が女性でも充分働けるように真面目に努力し続けて、休みなしで働いて、気がつけばあっという間の７年間だった。
そんなある日、仕事を終えてアパートに戻ると、いくつかの宣伝のはがきに混じって一通の手紙があった。
差出人の名前を見たが、ピンと来なかった。
それは高校のときの同窓会の連絡だった。
もう一度名前を見た。
けれど、その名には思い出せるものがなかった。
もう一度、瞳を閉じて記憶をさぐってみた。
そのときすぐに浮かんだ光景はあの頃の私を含めた４人組だった。
差出人は一向に思い出せなかったけれど、私は当時、いっしょに過ごしたあの日々を不思議と覚えていることに気がついた。
実家に戻らなかったここ数年、彼らとは会っていない。
みんな今頃どうしているだろうか？
変わってしまっただろうか？ 変わっていないだろうか？
名雪、相沢くん、北川くん。
これを機に一度、実家に顔を出してもいいかな。
久々に連休をとって里帰りをしよう。
珍しくそんな計画を立てた自分に、あえて疑問を持たないことにした。
私は強い。そんなに私の心は弱くない。
いつもの呪文を自身にかけて、そのときは気づかないフリをした。
３．
駅の階段をゆっくりと降りていく。
数年ぶりだけれど、そこは間違いなく私が１８年間過ごした街。
景色は変わったようでもあるし、変わっていないようでもある。
でも別の場所で７年も生活している私にはこの街は、思い出の街ではあっても暮らしている場所ではないので、妙な不自然さを感じてしまう。
住めば都、という言葉があるように、住んでしまえばそこがその人にとっての生活の当たり前の場所になる。
だから、なんとなく現実感を帯びていない異世界にたどり着いたみたいに、少しの期待と不安感をおぼえた。
同窓会の時間、夕方まではまだ時間がある。
手に持ったお土産や荷物もあることだし、実家に帰って、両親とあの子に会いに帰ろう。
私はあの頃を思い出すように、わざわざ遠回りして家に向かって歩いた。
４．
「ただいま、栞」
両親と久々の再開で、少ししゃべった後、私は栞に帰郷を告げた。
もちろん、返事なんてあるわけがなかった。
もう答えが返ってくることはないでしょうけど。
あなたが、私があなたの死に縛られ続けるのを望んでいないと思っているから、私は前を向いて生きているつもりです。
今のあなたの目から見て、私はどうかな？
ちゃんとして見えるかな？
あなたの姉として恥ずかしくないかな？
今は仕事も忙しいけど頑張っています、また新しい事を任されそうです。
そのまま手を合わせて、そのまま黙祷をした。
栞への挨拶を終えて、また両親と積もる話をした。
仕事は大丈夫だよ。頑張ってる。うん、２人が心配することなんてないよ。
そろそろいい人はって？
今は仕事が面白いからちょっとそういうことは……。
って、なんでお見合い写真出してるのよっ。
あ〜、もう帰るなんて何ヶ月も前から連絡するんじゃなかったなぁ。
こういう話があるってわかってて実家帰るの避けてたわけじゃないんだけど、嫌だなぁ。
ここで「結婚を前提にお付き合いしている人がいます」とか言えても『今度いっしょに連れてきなさい』とか言われるだろうし。
って、そろそろ時間だから、着替えて行かないとっ！
ごめんね。続きはまた今度ね。
実際の集合時間にはまだ時間はあったけど、逃げる口実にウソをついた。
そのままシャワーを浴びて、着替えて化粧をしていたら早すぎるってほどの時間でもなくなっていたので、親に久しぶりに「行ってきます」って家を出た。
５．
「美坂さん。お久しぶりー」
「香里ぃー、元気だったぁ！」
久々に会うあのときのクラスメート――私を含め、互いに再開を喜びあっている。
私も久しぶりね、と微笑む。
着飾った懐かしい顔。外見が全く変わって面影がない人。
他愛のない話、最近の話なんかすでに始まっていた。
手紙に書かれていた思い出せなかった幹事の顔を見ても、やっぱりよく覚えていない人だった。
高校のときの思い出と言っても、私が本当にそれを実感していたのは受験生となった高校３年生の途中からだったと思う。
今にして思えば、相沢くんが転校をしてきた２年の３学期からということになるのか。
私にとって一番の時はやっぱりこの４人がそろったときだったんだろうと思う。
だから、私は彼らの姿を探していた。
けれど、見つからない。
まいったなぁ、不参加だったかな。
「よっ。美坂！ 久しぶり」
と思った矢先に、声とともに肩をつかむ手。
すぐに振り返ると。
私の頬に彼の立てた人差し指が刺さった。
「って、何をするのよっ！」
その声に彼はもとより私自身が驚いた。
意外と大きな声で言い放っていた。
「わ、悪い……」
イタズラをした本人は、まさかこんなはずじゃ、と気まずそうに自分の頬をかいた。
「ふん。相変わらずガキなんだから」
でも、そういうとこが変わってないのかな、ちょっと嬉しい。
なのに、どうしてこんな憎らしい言い方をしてしまうのだ、自分は。
望んでいた相手の一人との再会なのに、上手くいかない。
ああ、こんなはずじゃないのに。
あなたとのは、普通に話したいのに。
なのに、言葉が見つからない。
「……き、綺麗になったな」
それは向こうも同じだったらしく、予想外の言葉が返ってきた。
こういうこというタイプじゃないと思ってた。似合わないわよ。
でも、ちょっと嬉しくて、悔しいけどちょっと頬を染めてしまったことを認めた。
「いえいえ、そんなことないわよ。化粧で誤魔化す方法が上手くなっただけよ」
なのに、慣れないセリフを言った彼をどうしてまたイジめるようなことを言ってしまうのだ私は。
少しの沈黙の後、困っている私の代わりにまた言葉を紡いだのは彼の方だった。
「あー。順序が逆になっちゃたなぁ。久しぶりだな、おかえり、美坂」
なつかしい声。
その笑い方。
そのまばたき。
変わってないのに、それをすこし愛しいと感じてしまった。
「うん……。ただいま、北川くん」
あの時期をいっしょに駆け抜けた少年の顔に、どきどきした。
「よぉ、悪い。遅れちまったなぁー」
北川くんに続いて見つけた名雪と話していたところだった。
料理を食べながら、ビールを飲みながら、移動しながらみんながめいめいに話しあっている中、遅れて来た人がいた。
やっと現れた４人目の姿を見て、私は正直、目を丸くした。
「よぉ。相沢ー。遅いぞー！」
「こんばんはー、相沢くーん。もうはじめちゃってるわよー」
相沢くん。
名雪の従兄で、私たち４人組の気がつけばいつも中心にいた人。
あの頃から変わり者で、いつも周りを驚かせていた人だった。
いろんな意味で何かをやってくれそうな人で、私のあのときも――
「祐一、おそいよー」
名雪が笑顔で軽く彼を叩いている。
「おっす。お前ならもっと派手な登場を期待してたけどな」
北川くんが手をあげると、学生時代に彼らがしていたように呼吸ぴったりで右、左で手を叩き合って、がっしと腕を組むところまでした。
ああ、私は帰ってきたんだ。
何故か、それはとても心に優しく、切なかった。
「それにしても、その格好は？」
私は問いかけた。
久々に仲間たちが集まる同窓会。
みんなあの頃とは違う意味で、みんなめかしこんで来ている。
なのに、相沢くんはの格好は、
「んー。さっきまで仕事。で、この後また仕事だからさ」
そうやって笑った。
学生のときに見ていた笑顔とは全く違う。
「遅れてきて悪いけど、１時間しかいられない。
でも、みんなに会いたいからちょっとの時間だけど。合間つくって飛んで来た」
「そっか、大変だな。おまえの仕事いま厳しいもんなぁ」
「どこだって、今は大変だよ。
っと、せっかく久々に４人そろったんだ。そういう話は今じゃなくてもいいだろ？」
相沢くんの『４人』という言葉、嬉しかった。
けれど、今は別のことを考えていた。
たくましくて、傷のついた腕。
火傷の跡。頬についた染み。
私の知ってる相沢くんからは想像できなかった。
一体、私の知らない間に何があったのか。
だって、彼はあの日――
「どうした、香里？ 怖い顔して？」
無邪気に相沢くんが問う。
「いえ、なんでもないわ」
にこり、と笑顔を作る。
そう、相沢くんの言葉じゃないけれど、今は短い４人の時間を大切にしたかった。
あっという間に楽しい時間は過ぎた。
不思議と今の話じゃなくて、あの頃の私たちの話をずっとしていたら、本当にすぐだった。
もっと、じゃべっていたかった。
あの頃の話をもっとしたかった。
本当はそれだけじゃなくて、今のみんなの話も知りたかった。
「俺、そろそろ時間だから」
「おぅ。またなー」
「またねー、祐一〜」
「またね。相沢くん……」
名残惜しかった。
止めたかった。
無論、私の都合で止められるわけがない。
相沢くんが店を出た。
聞きたいことはたくさんあった。
まだ話せていない。
だって、相沢くんはあの日、私を――
「ちょっと、お手洗いに言ってくるわね」
名雪にそう告げて、私は席を立った。
６．
「相沢くんっ……！」
滅多に着ないドレスを乱しながら走って私は何をやっているんだ。
「香里？」
相沢くんが振り返る。
はぁ……はぁっ。
「相沢くん。５分だけでいいから――私と話す時間はない？」
なりふりかまわず走ってきたんだ、時間がないのはわかってる。
だから、話すのも躊躇しない。
私は、このままでは帰れない。
絶対に後悔する。
ここであなたと話さないと。
「今、ここで？」
苦笑している。
どうせ、出来ないと思ってるのか。
「私は構わないわ」
いまさら、何を構うというのか。
相沢くんはただ黙って息を飲んだだけだった。
勝手に肯定と受け取って、私は聞く。
「相沢くんは、夢は諦めたの？」
「……良く覚えてたな」
その顔は、当時の相沢くんのものに戻っていた。
『なんのためにあの子は生まれてきたの！？』
『たった十数年しか生きられなかったら、何のためにっ！』
過去一度だけ、私が本音をぶつけたことがある相手、それがあなた。
あの後、私はあなただけでなく名雪や北川くんのおかげもあって、今こうして生きている。
でも、この言葉は、本当にあなただけにしかぶつけていない。
そして、あなたのあの話も私しか聞いていない。
「あの頃、相沢くんは私に、私だけに言ってくれたじゃない。
自分の夢の話を、あれ以来一度も話にしなかったわ」
「諦めたと言えば、諦めたんだよ」
「何それ？ 今やってることやりたいこととは違うことでしょう？
そんな身体を傷だらけにして。それでいいの？
そんなので頑張れるの？」
「……頑張れるね」
「私はそれじゃ頑張れないわ。
私は大学から今の会社に勤めて３年間、自分のやりたいことをやるために努力してきた。
そうじゃなきゃ、続かないわよ」
瞳が揺れる。
本当の気持ちを隠しているのはどっちなのか。
「香里は、『我』ばっかりなんだな。
それで頑張れる香里は強いってことだよ」
「強いって何よ！？」
いけない。
呪文が解けてしまう。それは他人には言われてはいけない言葉。
自分だけの暗示。
「栞を失ってからいろいろ考えたよ。
頑張らなきゃって。
でも自分のために頑張るってのは、結局諦めて楽な方に逃げるのも自分。
頑張れないのも、自分の責任で堕落する、自分のためだけなんだ。
自分のためだけだからこそ、人は頑張りきれないときがある。
死んでしまってそれでおしまいだ。
『我』だけじゃ頑張れないんだ、俺は」
「何を言ってるのっ！ ……やめてっ」
「俺は今、守りたいやつがいる。
俺はそいつを守るためだったら何だって出来る。
俺の夢くらい後回しにしておくよ。
『我』だけじゃ頑張れないけどな、あいつとおなかの中にいる子どものために俺は頑張れるし、死なない。
自分が死んだら、自分だけじゃないんだ失うものは！ だから俺は頑張れる。
守れるものがあるから強くなれた」
「あなたは変わったの？ 変わっていないの？」
「変わってなんかいないさ。
守るべきものが出来た。それだけだよ」
話は済んだな、というように彼は手を軽く振って、走り去ろうとした。
最後に、もう一度だけこっちを向いて。
「香里。弱いところだって見せてもいいんだよ」
今度こそ、本当に彼は走り去った。
７．
「祐一？ 結婚してるよ。去年の秋だったかなぁ。
ううん、わたしたちの全然知らない人だよ」
会場に戻った私は、名雪としゃべっていた。
北川くんは別の知り合いのところへ移動していた。
「祐一は頑張ってるよ。
本当に困ったときはいつでも力になるってお母さん言ってたけど、祐一は一度もわたしたちの前で弱音を吐いたことはなかった」
きっと、その奥さんがいるからだね。なんて泣きそうな顔で笑う名雪。
「私とはすごい違いだよ……」
「……名雪」
「わたしね。今度お見合い受けるの。
もう。恋愛で相手を見つけるのは、わたし自身無理だと思うんだ。
何度やっても祐一には届かなかったしね」
私は知っている。
高校２年の冬休みのときから、あれだけ嬉しそうに相沢くんのことを話していた名雪を。
その前とその後の名雪を。
幼い頃の相沢くんと名雪に何があったのかまでは知らないけど、名雪が相沢くんのことをずっと想っていたのは知っている。
栞を選んで、失って。
２人がその後、いい関係になったのも私は知っている。
「わたしは一人で今の仕事も頑張れそうもないし。それに家事は好きだから」
「……そう」
私は、何も言えない。
ただ、名雪が。
想い続けたこの子が少しでも幸せになってほしいと願うことくらいしかできない。
「香里は強いね」
痛々しい笑顔。
突き刺さりそうな言葉のナイフ。
「そうね。それだけがとりえだから」
「……香里。ウソつきはダメだよ。
いつかは無理が利かなくなるよ。わたしみたいに壊れちゃう。
わたしじゃ香里のその役になれなかったけど、北川くんなら――」
「余計な心配しなくていいの。
向こうで何年暮らしてると思ってるのよ。私は大丈夫だから」
８．
久々に会ったメンバーはほとんど２次会も参加だった。
用事や、相沢くんのように事情を抱えた人は名残惜しげに帰路についていた。
私も名雪が心配だったので、そのままいっしょについて帰ろうと思っていた。
けれど、名雪自身が
「わたしは大丈夫。ちゃんと帰れるよ。だから、２次会に行って、お願いだから」
そうして、私は２次会の席にいた。
相沢くんや名雪とあんな会話をした後。
私の気分も乗り気なわけがない。
気の乗らない返答。
当たり障りのない言葉でかけられる話を受け流していた。
途中でトイレに席を立った。
トイレから出て、みんなのいる部屋に戻る途中に北川くんが待ち伏せていた。
「どうしたの？」
「……あ、あの美坂。
ちょっと２人だけで話がしたいんだけど」
あなたの声、反則だ。
あのときと変わらない瞳も、何気ないクセも。
「……うん。いいわよ」
２人でナイショで店を出た。
『香里。弱いところだって見せてもいいんだよ』
相沢くんのさっきのセリフがよみがえる。
『……香里。ウソつきはダメだよ。
いつかは無理は利かなくなるよ。わたしみたいに壊れちゃう。
わたしじゃ香里のその役になれなかったけど、北川くんなら――』
何を言ってるの名雪。
もう、遅いのよ。
あの頃と私と北川くんじゃ、違うのよ。
なのに、こんなに熱くなるのは何故だ。
アルコールのせいか？
じゃあ、なんでわざわざ同窓会のために戻ってきた？
色んな理由をつけて戻った理由はなんだ？
あの頃だって、私の北川くんはなんともなかったのだ。
少なくとも向こうがどう思っていたのかわからない。
そして、当時の私はアレを恋だとわからなかった。
あの時、私は確かに北川潤に恋をしていたのだ。
でも、もうアレは終わったことなんだ。
もう遅いことなんだ。
だって、今はなんとも思っていない――
「こうして話すのは久しぶりだな」
自販で買った缶コーヒーを手渡してくれる、デミタスコーヒーだった。
「そうね」
「なぁ、あの頃覚えてるか？ こんなことあったよな」
なんて、私の高校生活が輝きだした高３の夏休みの話。
そう、あのとき。
恋と知らずに、ただ楽しくて嬉しくて、北川くんといっしょに過ごしたあの期間。
自転車に二人乗りして、遠くまで行ったっけ。
私の胸が背中に当たるのをあなたはとまどっていたよね。
最初のきっかけはあれだったよね。
ちょうど７年前の今頃やっていた、夏祭り。
浴衣を着た子供たちが笑顔で駆け抜けてゆく。
にぎやかな太鼓と笛の音。
通りを風が吹き抜ける。
相沢くんと名雪が先に行ってしまって私たち二人。
あの人ごみに押されて、自然に手をつないだよね。
思えばそれが始まりで。
色んなことがあったのに。私たちはそこで止まってしまって。
私は大学でそのことを隠すように恋人を作って。
でも、あなたとは違って。
上手くやってたつもりだったのにな。
彼の別れのセリフが忘れられない。
『香里は一人でも平気だから――』
泣きそうな気持ちを必死で隠して私は、あの人のために健気に笑顔を作ったわ。
本当は弱音を吐きたい夜もあった。
でも、あれ以来。
そしてずっと前から、私は呪文かけてきた。
私は強い。弱くない。
期待されている。親に心配をかけるな。
いっそう私のそれは強くなっていった。
でも本当は弱いわたしを見つけて欲しかった。
見つけてよ。
私を見つけてよ。
『香里。弱いところだって見せてもいいんだよ』
『……香里。ウソつきはダメだよ。
いつかは無理は利かなくなるよ。わたしみたいに壊れちゃう。
わたしじゃ香里のその役になれなかったけど、北川くんなら――』
期待してもいいのか？
それでここまできたんじゃないのか？
本当はあの夏祭りの夜に買ってもらったオモチャの銀色のオルゴールから始まって、彼から与えられたものは何ひとつ捨てられずにいることをまだ誤魔化すのか？
いい加減認めろ。
おまえがそうやって頑張り続けているのも、そういう自分を隠すためだと。
そして、認めてしまえ。
本当はまだ、北川潤のことが好きなことを――
おまえが本当に求めていたものは目の前だ。手の伸ばせ。
もし、拒まれたら？
ダメだったら？
その覚悟から逃げるためにおまえは必死に努力でカバーし続けてきただろう。
頭の良いおまえ自身なら気づいているだろう。
怖がるな、認めろ。
手を伸ばせ。
恐れるな。
「あの頃は楽しかったよな」
「うん。そうね」
「知ってるか？ 俺、あの頃、香里のことずっと好きだったんだぜ？」
そう、それがあのとき勇気を出せば手に入ったもの。
失う覚悟を恐れずにいれば、手に入ったものだ。
私も好きだったわ、潤。
もう思い出の恋ではなくしたい。
それを言おうとした。
でも、彼の次の言葉に凍りつくのが先だった。
「俺、来月に結婚するんだ」
わたしが欲しいものはあった。なかったと思っていただけで本当はあったのだ。
誰も本当のわたしを知らなくとも、心配してくれた。愛してくれた。気にかけてくれた。知ろうともしてくれた。
相沢くんも名雪も、北川くんも。
なのに。
「そ……そう、おめでとう」
裸のままで一度もぶつかっていかずに、本当の自分を今まで隠し続けていたためにこんなことに！
「最後にこれだけは言いたかったんだ。聞いてくれてありがとう」
あれ？
可笑しいな。あのときみたいに笑えないよ。
どうしてかな。
北川くんは。
いつものように、私に気を使って、その場から立ち去ってくれた。
いつだってそうだった。
彼は、私に気をつかってくれていた。
なのに、なんで、こんな、ことに、
私は泣いた。
声を出して泣いた。
それこそ、何年ぶりの涙だろう。
こんなところで、いい年した女が、こんな風に泣くなんて。
情けない。
とても情けない。
恥ずかしい。
すごく恥ずかしい。
私があの日以来、一番体験したくなくて、避けてきたこと。
そのために努力の壁で誤魔化してきたこと。
求めた結果がこうなるのに。
求めなければこうまで悲しくはないだろうに。
でも、恥ずかしいのに。
どうしてこんなに気持ちがいいのか？
Ｔａｋｅ Ｍｙ Ｈａｎｄ
Ｓｔｏｐ Ｍａｋｅ Ｍｉｓｕｎｄｅｒｓｔａｎｄ
Ｔａｋｅ Ｍｙ Ｈｅａｒｔ
Ｉ ｄｏｎ’ｔ ｗａｎｎａ ｌｏｓｅ Ｃｏｎｔｒｏｌ
Ｗａｎｔ ｙｏｕ ｓｅｅ ｍｙ ｓｏｕｌ
Ｏｎｅ ａｎｄ Ｏｎｌｙ ｌｏｖｅ
長かった。
遅すぎた。
結果の問題ではなく、もっと早く気づけばまた違う未来があったのかもしれない。
やっぱり、私も『我』だけでは生きられないのかもしれない。
でも、やっと私は生まれ変わった。
また、新しい私として生きる。
いつもの仕事もまた違うところから頑張れるかもしれない。
やっぱり、あの３人のおかげだった。
涙を拭いて、私は歩き出す。
すぐには変われないと思うけど、頑張ってみるから。
――だから、わたしは今日も生きる。
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