雪ウサギの憂鬱
ふと私、水瀬名雪は視線を左隣に向けた。
窓の外は一面冬景色。今も１月の粉雪が舞っている。
それを背景に私の従兄弟である相沢祐一は上の空といった状態で机に肘をついている。
彼の様子が最近おかしい。時折思い悩んでいるような表情を浮かべるのである。
思い当たることが無いわけではない。
祐一に彼女ができたということだ。一年下の後輩といつも楽しげに話しているのを見かける。
彼女のことで悩みでもあるのだろうか。
「はぁ……」
退屈な午後の英語の授業が続く中で小さくため息をつく。
授業などほとんど聞いてなかった。
この前のテストでも成績が下がり『今勉強しておかないと将来困るぞ』と担任に叱られたばかりである。
少しは集中しないといけないのだろうが……
しかし……
今一番大事な問題は「将来の事」よりも「現在の事」である。
７年前から私は祐一のことが好きだ。
雪ウサギを壊され拒絶されたあの日から心の中で「決して届かぬ想い」と割り切っていたはずだった。
それが今胸が締め付けられるような苦しさを感じている。
祐一を独占されるということが想いを日増しに強くさせているのか……
「起立！」
級長である香里の号令が響いた。いつの間にか授業は終わっていたらしい。
我に返って慌てて立ち上がる名雪。
この時間は六時間目で担任の石橋先生の授業だったためそのまま下校となった。
「祐一、一緒に帰ろ……」
既に彼の姿はなかった。きっと彼女のところに行ったのだろう。それはとても自然なことだった。
７年間待ち望んでいた生活。祐一と一緒に学校に行って、一緒に勉強して、一緒に帰るという、ただそれだけの生活。
それすらも二度と戻ってこない気がして言い表しようのない寂しさに襲われた。
失意のまま香里に声をかける。
「香里、一緒に帰ろう」
「ごめん、今日は１人で帰りたい気分なの。それじゃ、また明日ね」
実はこのごろ香里も元気がなかった。
一見するといつも通りだが長い付き合いでそれが分かる。
香里が出て行った教室で私はひたすら孤独感に耐えていた。
「はっ、はっ」
数日後、私はテンポを調節した呼吸をしながらグラウンドを走っていた。胸の中のわだかまりを振り払い、無心で走ろうとする。
それでもやはり浮かんでくるのは元気のない祐一と香里の顔。
二人と会話して元気付けようとしてもどうやら他のことを考えている様子だ。
事態は何も変わらなかった。むしろ２月に入ってから事態はさらに悪化した気がする。
二人の周りだけ空気が違っていた。
「６分２０秒……水瀬さん、最近調子悪いようだけど……」
１５００メートル走った直後、顧問の先生がそんなことを言いながら私とストップウォッチを見比べる。
「水瀬さん、悩み事でもあるんじゃない？」
「え、どうしてですか？」
「最近の水瀬さんの走り、なんか必死で走ってるって印象を受けるの。走らなきゃっていうプレッシャーがかかってるみたい。前はもっと楽しそうに走ってたわ」
私は何も言い返せなかった。事実私は心の不安を取り除くために無理に走っていた。
「今の水瀬さんの走りって重い荷物を抱えて走ってる感じなの……だから悩みでもあるのかなって思って」
これも当たっている。最近足が引きずられるように重い。
「いえ、大丈夫です。ちょっと体調が悪いだけですから」
「そう。じゃあ今日はもう上がっていいわよ」
穏やかに先生がそういったので私は一度礼をして部室に戻った。
校庭を横切る時、懐かしいものが目に入った。
雪ウサギ……
誰かが作ったものだろうか。
それはかなり注意してみないとわからないくらいひっそりとたたずんでいた。
名雪にはその雪ウサギが襲ってくる孤独に辛うじて耐えているように思えた。
その目が自分に寂しさを懸命に訴えているような気がして、早足でその場を立ち去った。
「……名雪……」
校門を出た直後に聞き覚えのある声に足を止めた。
「祐一……」
一瞬立ちすくんでしまった。そして会話を続けようと言葉を捜すものの見つからない。
いつから自分はこんなにも祐一との間に溝を作ってしまったのだろう？
ここ最近祐一とまともな会話をしていなかった。
「あ、あの……」
「帰るか」
それだけ言うと祐一はゆっくりと家に向かって歩き始めた。
状況的に見て一緒に帰ろうということらしい。
「祐一、こんな時間まで何してたの？」
部活を早引けしてきたとはいえ既に５時を過ぎている。
帰宅部の生徒ならとっくに帰っている時間だ。
「いや……ちょっと待ちぼうけしててな」
頭に積もっている雪からみて相当待っていたらしい。
しかし……
（私じゃないんだよね……）
なぜなら私に声をかけた時、その声に失望の色が浮かんでいた。
恐らく私が出てくるまでは待とうと決めていたのだろう。
脳裏にあの祐一の彼女がよぎった。
２月に入ってから彼女の姿を見かけない。別れてしまったのか……
「待ってなくていいの？」
「いいんだよ。来るはずないのは分かってたからな」
最後の方は小さな声だったのでよく聞こえなかったが一緒に帰れることに変わりはなかったので気にしなかった。
「今日の晩御飯なんだった？」
相変わらず話題を探していると意外にも祐一の方から話題を出してきた。
「えっと……ジャムだったかな」
「……マジ？」
「冗談だよ」
なんだそりゃ、と言って祐一は少し笑った。それは苦笑に近いものだったが久々に見る祐一の笑顔が嬉しかった。
そんなことでいちいち喜ぶこと自体溝が深いことの証明だったが……
それでも、その溝はこれからいくらでも埋められる。そう確信していた。
信じて疑わなかった。
１ヶ月ほど経った。
私と祐一の関係はようやく以前のものに戻りつつあった。
お互い軽口を交わしながら生活し、たまに一緒に登下校する。
もしかしたら前以上の関係にもなれるかもしれない。
そんな淡い期待すら再び再燃できた。
ただ……
ただ、気になることはあった。
１つは未だに元気のない香里。
もう１つは時折祐一が見せる悲しい表情。
私はそれをあえて無視することにした。
この平穏を崩されるなどということは例え可能性であっても考えたくはなかった。
大丈夫。全てうまくいっている。
香里はそのうち元気になるだろう。
祐一もそんな表情を見せなくなる。
時が解決してくれる。
そうやって無理矢理自分を納得させた。
それでもやはり不安は残っているらしくあの足を引きずられるような重さは残っていた。
心のどこかでいずれ壊れることを予想していたのかもしれない。
そして、意外にも早くその時は来た。
それは何の変哲もない３月の朝。
いつものように遅刻ギリギリの登校。
いつものように途中でバテそうになる祐一を「ファイトだよ」と言って励まして、チャイム直前に「間に合ったね」と笑いあうはずだった日。
しかし今目の前にある光景では祐一は何故か女の子と抱き合って泣いている。
その女の子とは一ヶ月ほど前から姿を見なかったあの祐一の彼女である。
その彼女が校門の前で立っていていきなり祐一に抱きついてきたのだ。
自分が相当動揺していることが分かる。動悸が止まらない。
この後の記憶はほとんどない。覚えているのは必死で埋めた溝が再び広がっていく音。
気が付いたのは自室のベッドの上で横たわっていた。
ほどなくして彼女が香里の妹の栞ちゃんでこの間まで病気のため回復が絶望的だと医者に言われていながらその病気を完治させたということを知った。
香織も元気になった。それを素直に喜ぶべきなのだろうがどうしてもそれができない自分がいた。
最近は私と、祐一と、香里と、栞ちゃんの４人で登下校する。
しかし祐一の隣にいるのは栞ちゃんであって私ではない。
香里はなにかにつけて栞ちゃんを気にかけている。
二人とも私の存在を忘れてしまったかのようだ。
二人の心は栞ちゃんのことで一杯なのだろう。
あの雪ウサギはまだ校庭の隅でひっそりとたたずんでいた。
多少は溶けているもののまだその形を留めていた。
誰にも思い出されなくなった雪ウサギは誰にも知られず溶けて消えてしまうのだろうか。
何かを訴えるような雪ウサギの目を見ながらそんなことを考えて悲しくなった。
最近ほとんど眠れない。
頭の中ではいろんな考えが浮かんでは消えてゆく。
もしも栞が治らなかったら……
この苦しみはなかったかもしれない。
「あんな子、死んじゃえばよかったのに」
言ってから吐き気がするほどの自己嫌悪に襲われた。
私は間違いなく栞に嫉妬していた。
どれだけ否定しても栞を邪魔者だと思う自分がいる。
無意識に出た言葉はいつまでも私の心に刻まれる傷となった。
「今日の帰りに皆で百花屋行こうよ」
次の朝私は１つの決意をしていた。
私から何かを提案するのは久しぶりのことだった。
別に構わない、と祐一も香織も同意してくれる。
ただ、この場に栞は居なかった。
学級の係があるらしく先に学校に行ったらしい。
別に構わない。帰りには栞ちゃんと打ち解けられるはずだ。
これはそのための提案なのだから……
私は栞ちゃんのことをほとんど知らない。
親密になれば自然に嫉妬の心も消えるだろうと思う。
そう思いつつ、どんな話をしようかと想いを巡らせた。
しかし放課後。
朝の私の提案を栞ちゃんに伝えると
「私、今日は公園に行きたかったんですけど……」
どうやら趣味のスケッチに行きたかったらしい。
仕方ありませんね、と残念そうにつぶやく栞。
とりあえず拒絶されなかったことに安心して胸を撫で下ろした。
ここで中止になっては全て断念せざるを得なくなる。
その時だった。
「じゃあ百花屋はまた今度にして今日は公園に行きましょうか」
いきなり香里がそんなことを言い出した。
「そうだな。じゃ、そうするか」
祐一までもがそれに賛成しだした。
本当ですか、とはしゃぐ栞。
「だ、だめだよ！先に私が約束したんだし……」
異論をはさんでいるのは私だけだった。
二人は恐らく栞の喜ぶ顔が見たかっただけだろう。
しかし、その時の私にそれを理解する余裕さえなかった。
それは二人が私の存在を消してしまうという疑念。
私の居場所が全て奪われてしまう。
「いいじゃない。百花屋ならいつでも行けるんだし」
「そうだぞ。ちょっとは我慢しろ」
栞ちゃんが居なければ、
「ずるいよ……」
「え？」
栞ちゃんさえいなければ……
心の中で膨れ上がっていく怒りと悲しみの黒い感情。
「どうした？なゆ……」
「ずるいよ！栞ちゃんさえいなければ祐一の側にいるのは私だったのに！香里とも楽しく話せたのに！！それを後からいきなりやって来て全部奪って！！」
自分でも驚くほどの声が出た。
なんで彼女だけが幸せを掴めるの？
どうして私だけがこんなに苦しまなきゃいけないの？
「いいよね……栞ちゃんは。欲しい物なんでも手に入れられて。病気だって治って祐一も手に入れて、香里とも仲良くできて」
祐一の隣に居ていいのは私だけなのに……
全てが壊れていく……
その場にいる誰もが呆然としている中、私は子供のように喚き続けた。
「栞ちゃんなんか……栞ちゃんなんか……」
ダメだ！これ以上言っては取り返しがつかない。
そう思っても言葉は自然と流れ出ていく。
「栞ちゃんなんか死んじゃえば……」
「名雪！！」
バチィン！！！
乾いた音が辺りにこだまする。同時に左頬がカッと熱くなった。
香里に思いっきり平手打ちされたのだった。
そのまま駆け出した。
後ろは振り向かなかった。
目にはとめどなく流れる涙……
その日はそのまま家に帰ってすぐに寝込んだ。
お母さんが心配してくれたが風邪を引いたことにして朝までベッドに潜っていた。
その間永遠に続くような痛みと苦しみと涙が続いていた。
それでも朝になると涙も止まり虚脱感だけが体に残っていた。
最低だった。私はどうしようもないバカで子供だった。
祐一も香里も完全に私に愛想を尽かしただろう。
もうおしまいだ。
部屋の鏡で自分の顔を見てみる。
酷い顔をしている。
今、私は完全な迷宮に迷い込んでしまったようだ。
窓の外では３月だと言うのに未だに雪が降っている。
あの雪ウサギは今も独り寂しく誰もいない校庭でたたずんでいるのだろうか。
そこで私は初めて取り残された雪ウサギの孤独を理解した。
その日は学校に行っても誰とも会話しなかった。
目線を合わすことすら互いに避けた。
私と二人の間には１ヵ月前よりも深い溝が出来てしまった。
後悔だけが私の胸でリフレインする。
私は走る。何のために？
決まっている。
正気を保つためだ。気分は最悪だがこうでもしないと自責の念で気持ちが押しつぶされそうになる。
私は走る。足は今までにないくらいに重かったが、それでもほとんど無意識に足を前に運ぶ。
「水瀬さん。大丈夫？顔色悪いようだけど。今日はもう上がった方がいいんじゃ……」
「大丈夫です。まだ走れます」
先生が心配してくれるが私はまだ走りたかった。
自棄になっていたのかもしれない。
何も考えられなくなるまで走りつづけたかった。
何も考えられなくなるまで……
急に足の力が抜けた。頭の中が雪のように真っ白になってゆく。
脳裏を通り過ぎるのは香里と出会い過ごした日々。
祐一と出会い過ごした日々。
走馬灯というやつだろうか。
このまま自分は死んでしまうのかもしれない。
それもいいかもね……
好きな人にも親友にも愛想を尽かされ、栞ちゃんにまで酷いことを言ってしまった。
このまま雪ウサギのように寂しく溶けていくのも悪くはないかもしれない。
（本当にそれでいいの？）
驚いた。気が付くとあの雪ウサギが私に話しかけてるではないか。
夢……夢を見ている……
なんとも滑稽な夢だ。
もうどうしようもなかった。
もう私の居場所などどこにも残されていなかった。
それよりも私は早く楽になりたかった。
（皆に酷いことを言ったままで本当にいいの？）
いいわけないよ……でも……もうどうしようも……
（どうしようもない？謝りもしないで？いつもそうだよね。祐一や香里が落ち込んでた時だってそう……）
ちがう……あの時だってどうしようもなかったよ……
（本当にそうだった？直接聞こうともしないで、そのうちなんとかなるって勝手に思い込んで……）
違う！私は……私は……
私は本当に愚かだった。
雪ウサギの言うとおりだった。
（ここから先どうするかは君次第だよ。さあ、どうするんだい？死ぬ？それとも……）
私はみんなに謝りたい……
（じゃあ、こんなところでモタモタしてちゃだめだよ）
そうだね……ありがとう、雪ウサギさん……
（君とはもうすぐお別れだから最後に言いたかったんだ）
え…？
（もうすぐ春が来るからね。そうすれば僕は溶けてしまう。避けられない運命さ）
そうなんだ……ちょっと寂しいね……
（大丈夫。春がくればきっといいことがあるから。それにお礼を言わないといけないのは僕の方だよ。君に見つけてもらえたおかげで僕はこうやって君の記憶に思い出を残すことができた。ありがとう）
白い背景に雪ウサギが溶け込んでいく。
（忘れないで！！君は独りなんかじゃない！君には未来を切り開く力がある！時間だってたっぷりある！！そして仲間もいる！！！だから僕ができなかったことを君は………）
ガスッ！
唐突に顔面に衝撃が走った。
一呼吸間をおいてそれが地面だと分かった。
周りから見ると一瞬の出来事だったのだろうが私には非常に長い時間だった。
目を少し開けてみる。
私を見つめている存在がいた。
雪ウサギ……
その目は以前の寂しげな目ではなく、笑っているように見えた。
再び視界は暗転する。
次に気が付いた時、白い天井が目に入ってきた。
固いベッドの感触と独特の雰囲気からここが保健室だと分かった。
「あ、気が付きました？」
「栞ちゃん……」
私の側にいたのはまぎれもなく栞ちゃんだった。
「いきなり倒れたって聞いたからびっくりしちゃいました。祐一さんとお姉ちゃんは家に電話してます」
外を見るともう暗くなっている。一体どれくらい眠っていたのだろうか？
「二人ともすっごく取り乱しちゃって」
「ごめんね……」
私は溢れる涙を押さえることが出来なかった。
心から私は栞ちゃんに謝りたかった。
「ごめん……ほんとにごめんね……」
「もういいんですよ。気にしてませんから。私こそすみませんでした」
何故か穏やかに謝られてしまった。
「おあいこです。私、実は名雪さんに嫉妬してたんですよ」
「え、そ、そうなの？」
「だって悔しいじゃないですか。お姉ちゃんはすっごく名雪さんのこと信頼してるし、祐一さんと一緒に暮らしてるし、すっごく元気そうだし……だから思いっきり我が侭言っていたんです……ごめんなさい……」
栞ちゃんも泣き出してしまった。私たちはそのまましばらく二人で泣いた。
栞ちゃんは本当にいい娘だ。
「名雪！！」
カーテンを開けて香里が飛び込んできた。
いきなり私に抱きついてきた。
「大丈夫だった？名雪に何かあったら……私……私……」
「そんなおおげさだよ。大したことないって……」
親友は私のために泣いてくれていた。
「過労だってよ」
続いて祐一も入ってくる。
「ずいぶんストレスと疲れが溜まってたんだろうって先生が言ってたぞ。全く人騒がせなやつだ」
「あれ〜、祐一さん。名雪さんが倒れたって聞いてものすごく大慌てだったじゃないですか」
後ろで栞が笑っている。
「あれは！別に……元気でいてくれなきゃ秋子さんに会わせる顔がないしな」
「祐一……」
私は独りなんじゃなかった。
どんなに深い溝ができようとも、それを乗り越えられる絆をたった今感じることが出来た。
「昨日は皆ホントにごめんね」
ごめんなさい。
私が言いたかったこと。
雪ウサギに教えてもらったこと。
たぶん皆にも伝わった。
「じゃあ名雪の回復祝いに百花屋でも行くか！おごってやるぞ」
「祐一、ホント！？じゃあ私は……」
「イチゴサンデーでしょ」
思いっきり嬉しそうに叫ぼうとしたセリフの先を香里に言われてしまう。
「う〜、なんで分かったの？」
「何年あんたの親友やってると思ってるのよ。それくらいいつもの事じゃない」
そう、私は独りじゃない。
「じゃあ、私はジャンボデラックスパフェを……」
「おいおい！！あのパフェだけは勘弁してくれ！」
栞ちゃんの突拍子な注文に喚く祐一。
「祐一、男に二言はないはずだよ。ね、栞ちゃん」
「はい。そうですよね。名雪さん」
お互い笑いあえる仲間。
「あら、あんたたち随分仲良くなったわね。なんかあったの？」
「秘密ですよ」
「そうだよ、香里。じゃあ百花屋へレッツゴー！」
私は久々に心から笑えた気がした。
「名雪！！始業式から遅れるつもりか！！」
「わ〜！！待ってよ祐一！」
４月になった。
私たちは相変わらず４人で学校に行っている。
栞ちゃんは進学テストを特別に受けさせてもらって合格点をとって２年に何とか上がることができた。
今でも私は時々栞ちゃんと出会った頃を思い出す。
あの頃私は皆に置いていかれるのが怖かったのだろう。
あれは祐一が人に取られることが嫌だったのではなかった。
祐一に自分の存在を忘れられるのが嫌だったのだ。
でも、もう私はそれを感じることは決してないはずだ。
祐一がいて、香里がいて、栞ちゃんがいる。
この絆は決して誰にも崩すことは出来ない。
これから先どんなに離れていようと崩れることは決してない。
「見てください。桜ですよ！桜！！」
校門に咲いた桜にいささか栞ちゃんは興奮している。
春がやってきた……
新しい季節の始まりだ。
ふっと、校庭で足を止める。
あの雪ウサギはもう溶けてしまった。
結局あれは夢だったのだろうか？
私はあの雪ウサギにたくさんの事を教えてもらった。
今でも私は本当にあの雪ウサギが私に教えてくれたのだと信じている。
形は無くなってしまったけど私は決してあの子の事を忘れない。
私が覚えているからあの子も独りじゃない。
頑張ろう。あの子の分まで精一杯生きていこう。
「ありがとう……」
つぶやいた先、以前あの子がいた場所にはタンポポが咲いている。
きっとあの子の生まれ変わりだと思う。
「名雪〜！！何してるのよ！」
「遅れるぞ！名雪！！」
「早く行きましょうよ！名雪さん！！」
皆が呼んでいる。
春にはいいことがある。
あの子が言ったように、私もそんな気がする。
「今行くよ〜！！」
私は走り出した。
その足は軽く、空を飛ぶこともできそうな気がした。
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