二人の記念日
「うぐぅ・・・まだこない〜」
いつもの商店街のファーストフード店の前。
左手の手袋を少しめくり、腕時計をチラリと見た月宮あゆは小さくため息をつき、その息の白さで寒さを思い出したように体を震わせた。
背中のリュックに付いた白い羽も、彼女の気持ちを表すように、しおれて見える。
「うぐぅ・・・遅刻だよ。祐一君・・・」
今日、彼女は恋人である相沢祐一とデートの約束をしている。
しかし、祐一は待ち合わせの時間を過ぎても現れない。
もう三十分以上も、待ちぼうけをくらわされているのだ。
あゆがちょうど十度目の「うぐぅ・・・」を白い息と共に、その可愛らしい口唇から漏らした時だった。
「ごめんっ！遅れた！」
通りの向こうから、聞き慣れた声が聞こえた。
あゆの表情が輝く。
彼女のまわりだけ春が訪れたような暖かい笑顔に変わる。
「遅いよ！祐一君・・・」
声の聞こえた方向を振り向き、うれしそうに手を振ろうとして・・・
あゆの笑顔は凍りついた。
「・・・っていうか、むしろ速すぎ！」
その理由は左手に何かの紙袋を持った祐一が、こちらに向かって走って来たからだ。
それも、まるで短距離走のタイムでも計っているかのような全力疾走で。
「到着！」
そのまま、あゆの目の前で急ブレーキする祐一。
一瞬”キキッー”という車のブレーキ音が聞こえた気がした。
「随分一生懸命走ってきたんだね。ゆっくりでもよかったのに」
ゼエゼエと肩で息する祐一の顔を見上げ、あゆが照れたように微笑む。
自分のために走ってきてくれたであろう祐一の行動が素直に嬉しかった。
ちょっとくらいの遅刻も、許してあげようと思う。
しかし、祐一の次の行動はあゆのまったく予想のしないものであった。
「それがそうもいかない・・・悪いけど、あゆにも今から一生懸命走ってもらうぞ」
「えっ？」
あゆの左手を掴み、祐一が強引に引きずるように走り出す。
「何？どうしたの？痛いよ！」
「・・・追われているんだ」
とりあえず一緒に走り出したあゆの問いに、振り返りもせず祐一は答える。
その直後だった。
「こらぁ！待ちなさい！」
自分達が走ってきた方向からの突然のどなり声。
直後に祐一が振り返り顔をしかめ、軽く舌打ちをした。
「くっ！もう追ってきたか」
「へっ？」
強引に手を引っ張られ、走りながらもなんとか振り返ったあゆが見たものは・・・
「そこの二人！待ちなさい！」
薄くなった頭に温和な表情、そしてなぜかエプロン姿・・・どこからみても普通のおやじだった。
ただし、その見るからに人畜無害そうなおやじにあゆは見覚えがある。
「あれって・・・たい焼き屋のおじさん？」
「そうだよ！」
そう答える祐一に引きずられながら、あゆはつないだ手と逆の方、祐一の左手に抱えられた紙袋を見る。
どこにでもあるような平凡な茶色の紙袋からは、わずかに湯気が立ち昇っている。
以前にもこんなことはあった。
その時はあゆの方が祐一の手を引いて走っていたが。
「祐一君・・・その紙袋ってまさか・・・」
「たい焼きだよ」
「うぐぅ・・・やっぱり！」
「あと、実は金を払ってない」
「うぐぅ・・・それもやっぱりぃ！」
「・・・ここまで来れば大丈夫だな」
いったいどのくらい走ったのだろうか。
人通りの少ない、その代わりに太陽の光を遮るように、ズラリと木々が立ち並ぶ通りでようやく祐一は立ち止まった。
「うぐぅ・・・ボク、疲れたよ。」
寝たきりの生活が終わってから一年近くたつが、まだまだあゆの体力はとても人並みとはいえない。
酸欠で目を回したあゆはフラフラと祐一にもたれかかる。
同時にリュックの白い羽もフニャリとへたれる。
「緊急事態だったからな、ごめんな」
まったく悪びれた様子もない祐一は、あゆの頭をくしゃくしゃと撫で、ごまかすように笑う。
あゆは「うぐぅ」とつぶやき、思い出したように祐一の手を払いのけた。
「ちょっと祐一君！そのたい焼きはどうするつもりなの！」
「食べる」
即答する祐一。
「うぐぅ・・・そうじゃなくて、お金はらってないでしょ？」
「払っていたら逃げたりしないって」
やはり、即答する祐一。
悪びれた様子もないまま、祐一はまだうっすら湯気のこぼれる紙袋をあゆの右頬に触れさせる。
その香ばしいたい焼きの香りが一瞬あゆの言葉を止める。
「おいしそうなニオイ・・・じゃなくて！食い逃げは犯罪だよ！」
「当たり前だろ」
さも当然とばかりに答える祐一。
「だったらそんなことしちゃダメだよ！」
「あゆが言うなよ、食い逃げの先輩」
「うぐぅ・・・」
あっさり撃沈されてしまう。
自分も前科があるのだから、説得力があるわけもない。
「あの時はたまたまお財布がなかったんだよ！あとでちゃんと謝ってお金も払ったし・・・おじさん許してくれたもん！」
大きな瞳をナルトのようにクルクル回して、必死に反論しようとしている。
酸欠で思考が正常でないのか、かなり慌てているようだ。
まあ、酸素など関係なく彼女の思考が常識的に作動することは少ないが。
祐一は苦笑しながら紙袋からたい焼きをひとつ取り出し、あゆに強引に手渡す。
「とりあえず食え！そして落ち着いて話をしよう。たい焼きは焼きたてが一番だろ？」
「え？そ、そうだね」
たい焼きを手渡されたあゆは、祐一を問い詰めるのを忘れたように、たい焼きを愛しそうに見つめ、すぐさま頭から噛り付く。
「はぐ・・・おいしいね〜」
リュックの白い羽がパアッとひろがる。
とてつもなく幸せそうである。
ひょっとしたら彼女の脳は酸素などよりたい焼きを要求していたのかもしれない。
あっという間に笑顔になってしまったあゆを見つめ祐一は微笑む。
「それはよかった」
「・・・」
あゆはたい焼きをかじるのを中断して一瞬見とれてしまう。
それはあゆと付き合うようになってから祐一が見せるようになった、とてもやさしい笑顔。
暗闇に小さな明かりを、そっと灯したようなやさしい笑顔。
あゆはその笑顔が大好きで、何度見てもドキリとさせられてしまう素敵な笑顔だ。
最近は祐一がそんな笑顔を見せてくれることが増え、頻繁にドキドキさせられてしまう。
そのたびに祐一への愛情が深くなっていくのを感じてしまい、恥ずかしくてごまかし笑いをしてしまう。
自分でも顔が赤くなったのがわかったあゆは、またごまかす様に笑顔をうかべ祐一に尋ねた。
「えへへ・・・でも、どうしてこんなことしたの？お財布わすれちゃったの？」
「金がなかったわけじゃない・・・今日１月７日が何の日か覚えているか？」
祐一が手に持った、たい焼き軽く振って見せた。
どうやらヒントをくれているつもりらしいが、あゆはそんなものなしでも、すぐさまその答えを理解していた。
そもそも今日祐一をデートに誘ったのもその答えのためだ。
「ちょうど一年前、あの商店街で・・・」
「ああ」
満足そうにうなずく祐一。
今日１月７日はこの街で祐一とあゆが再会した日だ。
「祐一君・・・憶えていてくれたんだね・・・」
祐一がそのことを憶えていてくれたのがうれしく、あゆは微笑んだ。
それはあゆにとって今日は大切な記念日だからだ。
ずっと待っていた大好きな人と再会した日。
あの日の出会いがなければ今の二人はなかったかもしれない。
こうして自分が再び目を覚ますこともなかったとさえ思っている。
この幸せな日々はたった一度の出会いの上に成り立っているのだ。
それは人並みの人生も歩めなかった、自分のため神様が与えてくれた奇跡。
１月７日はとても大切な記念日であるのだ。
誕生日よりもクリスマスよりも大切にしたい。
この日は絶対にデートしようと決めていた。
そして、たくさん話をしたい。
神様がくれたこの奇跡のこと。
この一年間がいままでの人生で一番幸福であったこと。
その幸福がずっと続くと確信していること。
そして、世界で一番祐一のことが大好きなこと。
なぜたい焼きを盗ってきたかはよくわからなかったが、あゆのほうもあまり細かいこと（？）を気にする性格ではない。
この大切な日を共に祝ってくれるなら、たかが（？）食い逃げくらいはどうでもよかった。
本当はどう考えても良くないのだが、彼女にとっては些細なことで済んでしまう。
・・・だってあゆだから。
そんなあゆの気持ちが伝わっているのだろうか。
祐一は愛しそうにあゆを見つめている。
「一年前の今日、俺たちはこの街、あの商店街で再会した」
「うん」
「あの日・・・あの時のことはよく憶えているよ」
「うん、うん」
「俺は今日が大切な記念日だと思っている」
「うん、うん、うん」
あゆは自分の胸が高鳴っていくのを感じる。
二人の思いが同じであるなら、そんな素晴らしいことはない。
だが世の中はそれ程甘くはなく、むしろ一味唐辛子を入れすぎたうどん程度には辛い。
・・・ということを祐一の言葉が証明した。
「あゆが食い逃げのプロとして、デビューした記念日だと」
「うん、うん・・・って・・・ええ！」
「あの時の戦利品もこのたい焼きだった」
懐かしそうにたい焼きにかじりつく祐一を見て、ズッコケそうになりつつもあゆは声をあげる。
「思えば、あんな衝撃的な再会は普通ないよな」
「ちょっと！祐一君！」
「あゆ、そのズッコケリアクションは古いぞ」
「じゃなくって！・・・記念日って、私たちがこの街で再会した記念日だよね？」
祐一が不思議そうに首を横に振った。
（何を言ってるんだ、こいつ）
・・・と顔にかいてある。
「いや、だから”月宮あゆ食い逃げ犯デビュー記念日”さ」
あゆは猛烈な眩暈に一瞬思考が止まりそうになったのを感じた。
「うぐぅ・・・そんなもの記念日にしないで！」
「なんでだ？今時食い逃げするような、ガッツあふれる女子高生なんてめずらしいぞ」
「ガッツって・・・」
「おまえは凡人には到底真似できない、偉業を成し遂げたといえなくもない」
偉業かどうかはともかく真似する女子高生は確かにいないであろう。
どうやら祐一はあゆと再会したことより、あゆが食い逃げをしたことのほうが重要な思い出らしい。
まあ、普通の女の子は食い逃げはしないし。
しかしそれで納得できるわけもない。
期待を裏切られたあゆは、フラフラと数歩後ずさる。
まあ、本人もここまでの話の流れがちょっぴりおかしいとは思っていたが。
「ゆ〜う〜い〜ち〜く〜ん！」
頬を膨らませ、祐一に攻撃を開始する。
「こらこら！やめろって！」
「ばかばかっ！祐一君の大ばか！」
「なんで怒るんだ！俺は一周年の記念として自らの手を汚したというのに！」
「そんな記念いらないよ！」
ポカポカと子供のようなパンチで、胸元を殴りつけてくるあゆを制しながら、祐一がシュックを受けたように顔を青ざめる。
「そうなのか！俺は彼氏として彼女の趣味を理解しようとしてだな！」
「そんな趣味ないもん！」
必死にあゆの連続パンチをかわしていた祐一だったが、一瞬のスキをつかれボディに一撃食らう。
「ぐはっ！ひどすぎるぞ！俺は食い逃げを二人の毎年の恒例行事にしようとまで考えていたのに！」
「そんなカップルいてたまるかぁ！」
ボディを守るためガードを下げた祐一の顎に、二発目のパンチが突き刺さる。
「ぎゃあっ！」
鈍い音と共に悲鳴をあげた祐一の膝が折れ、フラフラと尻餅をついた。
食べかけのたい焼きと紙袋が雪の上に転がる。
痛そうに顎を押さえながら祐一は、なぜか仁王立ちで自分を見下ろすあゆを見上げる。
あゆはハァハァと白くなった息を撒き散らし、すごい形相で睨んでいる。
手袋をしていることもあって、まるで女ボクサーにみえないこともない・・・がんばれば。
それを見て祐一は不敵に笑った。
「ボディブローで相手の動きを止めつつ、注意をそちらに向けさせる・・・そしてスキができた顔面に必殺の一撃とは、やるな！」
「そんな"いいパンチだ！おまえをライバルとして認めてやるぜ！"みたいな目でボクをみないで！」
「そ、そのツッコミいいなあ」
感心したようにつぶやき、祐一はフラフラと立ち上がり、あゆの肩にポンッと叩く。
"いいパンチだ！おまえをライバルとして認めてやるぜ！"みたいな目で。
「・・・なに？」
「ボケ専門と思っていたあゆに、これほどのツッコミができるとはな」
「うぐぅ！どうでもいい・・・」
「いや、俺はとても感心した」
「ボクはとてもがっかりしてるよ！」
「本当にいいツッコミもってるじゃないか、新しい芸風を身に付けたな！」
「ボクの話聞いてるの！」
話は聞いているようだが、理解するつもりはなさそうである。
顔を真っ赤にして怒るあゆ、相当怒っているようである。
「うぐぅ・・・今日の祐一君おかしいよ！遅刻するし！食い逃げするし！変なことばっかり言ってる！」
と、叫んで今度はフルフルと肩を震わせ始める。
よく見ると目に涙が浮かび始めていた。
「おい・・・あゆ？」
あゆはくるりと反転し祐一に背中を向ける。
涙を見せたくないのか、両手で目頭を押さえている。
「うぐぅ・・・私は今日のデートすごく楽しみにしてたんだよ・・・祐一君と再会した・・・大切な記念日だから・・・」
どうやら、本気で泣かせてしまったらしい。
彼女の小さな肩とリュックの羽が小刻みに震えている。
そんな後ろ姿を見ながら祐一は困った顔を浮かべ、ポリポリと頬をかいた。
「少し冗談が過ぎたか・・・」
「冗談で食い逃げしないで！」
ごもっともである。
祐一は足元に転がっていた紙袋を拾い上げ、雪で冷たく濡れたそれをあゆに突き出した。
「あゆ、たい焼きがまだ２個も残っているぞ！」
「・・・そんなんじゃ誤魔化されないもん・・・」
振り向きもせず、あゆははっきりとした口調で答える。
（どんなに謝っても絶対許さない）
あゆは心に誓っていた。
いつも祐一にはからかわれてばかりであるが、今日のはいくらなんでもひどすぎる。
今日はもう口をきかないと決心する。
「なら捨てるぞ、俺は腹がいっぱいだからな」
あゆからの返事はない。
本気で怒っているのはあきらかだ。
だが、祐一は肩の震えが一瞬止まったのを見逃さなかった。
少しだけ待ってきっぱり断言した。
「よし、捨てる」
「えっ・・・・」
どうやら迷っているようだ。
だが、それも一瞬であった。
「うぐぅ・・・もったいないよ」
あゆはまだ少し涙を浮かべたまま、顔だけ祐一の方を振り向いた。
豆腐の角よりも脆い決心であった。
一応弁護しておくとあゆのたい焼きへの愛は相当のものである、怒っていてもつい体が反応してしまうのである。
普段からあゆの心の中のほとんどは祐一とたい焼きに占領されている、それは空気中における酸素が占める割合よりも多い。
それがわかっていたのか、祐一は微笑んだ。
「なら食べてくれ、実はこの中に一個だけ特別製がある」
「特別製？」
完全に祐一の方を振り向いたあゆは、祐一が突き出した紙袋を受け取り中身を確認する。
もうすっかりたい焼きに夢中のようである。
紙袋の中には二つたい焼きが入っていた。
一つは見慣れた普通のたい焼き、もうひとつはこげ茶色のたい焼きであった。
まちがって焼き過ぎたというわけではなく、わざと通常より色が付くように焼いてあるようだ。
それにあゆが日本一のたい焼き職人と信じている、あのたい焼き屋のおやじが焼きすぎた商品を客に売るはずもない。
「もしかして、つぶあんでもこしあんでもないの？」
「いいから食べてみろ」
そういわれてあゆはこげ茶色のたい焼きを取り出し、頭から噛り付いた。
そして数秒後また涙目になった。
「うぐぅ・・・いつものこしあんだよ・・・」
「いいからもう少し食べてみろって」
うらめしそうに祐一を見上げたあと、あゆはもう一口かじる。
そして数秒後またまた涙目になった。
「うぐぅ・・・なんか硬いのはいってる・・・ゴリッてしたよ〜」
「それ、飲み込むなよ」
あゆは紙袋を祐一に手渡し、手袋をした手のひらにその"ゴリッとしたもの"を吐き出す。
「・・・これって・・・」
それは指輪であった。
シンプルなデザインの銀色のリングがキラリと輝く。
よく見ると小さな魚の模様が入っている、ひょっとしたらたい焼きの絵なのかなとあゆは思った。
この指輪を見て本気でそう思ったのは、日本でこの少女だけであるが。
不思議そうにリングを見つめていると、祐一が"ゴホン"とわざとらしい咳払いをした。
「祐一君・・・ひょっとしてこの指輪・・・」
「ああ、そうだよ」
ちょっと恥ずかしそうな祐一を見上げるあゆ。
「異物混入事件発生？」
今度は祐一がズッコケた。
「ちがう！プレゼントだ！」
「え！指輪ということは・・・ひょっとしてあのおじさん、祐一君に気があるんじゃ・・・怖いよ！」
「本当に怖いわ！・・・俺からのプレゼントだよ！二人が再会した一周年記念の！」
はげしくツッコミをいれる祐一。
一瞬、頭の中に”流し目でこちらを見つめる全裸のおやじの顔”が浮かんだが、トラウマになりそうなのですぐに忘れた。
不本意ながらツッコミ側に戻れたようである、全然うれしくなかったが。
それを呆けたような顔で見つめていたあゆであったが、言葉の意味に気が付いた瞬間に顔を真っ赤にした。
「・・・うそ！」
「うそじゃない・・・ほら！」
祐一が胸元から銀のネックレスを取り出す。
その先には同じ魚の模様の入った銀色のリングがぶら下がっていた。
「・・・しかもペアリングだ！」
祐一が自分のセリフに恥ずかしそうにうつむいた。
さらに頭を抱え込む、どうやらものすごく照れているらしい。
「・・・ボクは祐一君はペアリングとか嫌いな人かと思ってたよ」
「ああ、イヤだよ！あゆ以外となら絶対な！」
祐一はこれ以上ないくらいに恥ずかしそうな顔を浮かべ、あゆから目をそらす。
こんなセリフを堂々と言えてしまったことは、祐一本人にも驚きであった。
いや、そのセリフを言ったことにより、これほど恥ずかしい気持ちになったことに驚いたのかもしれない。
そんな祐一を見て、あゆは泣き顔をすっかり笑顔に変えていた。
「でも、いつのまにたい焼きの中に指輪を？」
全速力でここまで逃げてきたのだ、そんな余裕はなかったはずである。
「あのおやじがたい焼きを焼く時に、頼んで入れてもらった」
「そこまでしてもらったのに食い逃げしたの！」
「ああ」
鬼の所業である、ある意味すごい男だ。
「去年の出会いを逆に再現してみた。あゆが驚くかなと思って」
あゆじゃなくても驚く。
「普通にプレゼントしてくれればいいのに・・・」
「ふ、普通にプレゼント渡すなんて面白くないだろ・・・恥ずかしいし」
恥ずかしいとかいう前に、思いっきり犯罪なんですけどそれ。
などと普通の人ならツッコミを入れるところだが、あいにく祐一の周りには見渡す限り普通の人など存在しなかった。
目の前に存在するのは頭の中身を見たら、脳みその代わりにこしあんでも詰まっていそうな少女だけである。
「うぐぅ・・・ボク、うれしいよ〜」
案の定あっさり感動してしまう少女が一人。
こちらもある意味すごい。
あゆがリングを両手で握り締め、また涙目になる。
今度は最高のうれし涙であるが。
「えへへ・・・さっきから祐一君も顔が真っ赤だね」
あゆの知っている祐一というのはこんな風に顔を赤くしたり、照れたりする男ではない。
むしろ、さっきまでのようにクールに人をからかっていることが多い。
しかし、最近はこのような姿をあゆに見せることも多くなっていた。
「それは・・・」
言いかけて祐一は黙り込む。
”あゆのことが本当に大好きだから”
「・・・い、言えるかそんなセリフ！」
あさっての方向にむかってツッコミを入れる祐一。
自分が変わってしまった理由は十分理解していた。
以前よりずっとずっと、あゆのことを好きになってしまったから。
クールな自分ではいられないくらいに・・・惹かれてしまったから。
「よくわからないけど・・・」
あゆが祐一に力一杯飛びついた。
「わ！」
そのまま祐一は雪の上に倒れこむ。
「祐一君大好き！」
そして祐一を押し倒したまま、あゆは強引にキスした。
「こ、こら・・・あゆ！」
これ以上は人体に影響を及ぼしてしまうのでは？というくらい顔を赤くしながら祐一はあわてて周囲を見まわす。
運良く通りに人はいない、誰にも見られていないのを確かめ、祐一はホッと息をつく。
彼女に凝った演出をしてペアリングをプレゼントしただけでも恥ずかしい。
なのにキスシーンまで通行人に見られた日には羞恥心で死にそうである。
「あゆ、場所考えてくれよ」
「だって、ボクうれしかたんだもん！」
満面の笑みで答えるあゆ。
無邪気さ純粋さ、そして何より愛を感じさせる心からの笑顔。
その笑顔のあまりのかわいらしさに祐一は、またドキドキさせられてしまう。
「馬鹿！あんこの味がしたぞ！そんなキスは聞いたことがない・・・」
自分の感情を悟られないように憎まれ口を叩く。
「うぐぅ・・・」
ちょっとだけ拗ねた表情を浮かべるあゆを見て、それはそれでかわいらしいと思ってしまう祐一。
（最初は一方的に惚れられている感じだったのになあ・・・）
その考えは少し悔しい気もした、今まではあゆに対して常に精神的優位に立っていたつもりだったから。
しかしこの気持ちは、悔しい気持ち以上に今この状況を幸せと感じさせてくれた。
きっと、あゆも同じくらい自分を好きでいてくれるから。
同じ気持ちで繋がっているのだから。
あゆの頭を軽く撫で祐一は微笑む。
二つの笑顔が向かい合う。
「まあ、それも俺たちらしくていいのかもな」
今度は祐一の方からやさしくキスした。
雪の上で抱き合ったまま、笑い合う二人。
不思議と人目や雪の冷たさは気にならなかった。
二人でいることが何より大切だったから。
心が、冬の寒さにも勝るほど温かいから。
「また来年も祝おうな。大切な二人の記念日を」
「うんっ」
あゆのリュックの羽が、いつまでもいつまでも、幸せそうに揺れていた。
・・・数日後の商店街。
たい焼き屋のおやじに、正座で説教されている半泣きのカップルが目撃されている。
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