金魚
１学期の終業式が終わって、夏休みが始まった。同時に夏季補習も始まった。故に休みなんて、ない。クソ。
退屈な終業式の後、石橋が配った夏休みの予定表には補習授業がギッシリと詰まっていた。それはもうギッシリと。ミッチリと。流石は進学校、といったところだろうか。予定表の上には「受験生はこの夏が勝負！」と書かれている。夏が過ぎれば「この秋が勝負！」とか言い出すのだろう。
「いきなり沈んでるな、北川」
ひとつ前の席の相沢がその体をグルリとよじって話しかけてきた。
「この予定表見てテンション上がる奴はいないぞ。お盆ギリギリまで補習が入ってるじゃねーか」
学年がひとつ上がっても、相沢と美坂と水瀬さんとは同じクラスだった。転校生の相沢とは２年目、美坂と水瀬さんとは３年目の付き合いだ（ヒャッホウ♪）。こういうのを腐れ縁と言うのだろうか。
「でも、まあ、土日まではさすがに入ってないんだな」
相沢が予定表を眺めながら言った。
「土日も休みなしだったら俺は死ぬぞ、マジで」
「葬式には行ってやるよ」
「そりゃどうも」
俺は相沢の冗談を軽くかわして再び予定表へと目をやった。今週の日曜日のところでその目が止まる。
「おっ、今週の日曜日ってこの街で祭りやるよな。花火祭り」
「うん。その祭りね、祐一と一緒に見に行くんだよー」
横から水瀬さんが相変わらずの眠そうな声で会話に入ってきた。
「ん、お前ら行くの？」
俺が聞くと、水瀬さんは嬉しそうに「うんっ」と頷いた。
「祐一は一度もこの祭り行ったことないからね。そうだ、北川君も行く？」
「お誘いはありがたいんだけど、パスっとくよ。ふたりのお邪魔はできないもんな」
にやりと相沢の顔を見た。その顔が赤くなる。フフン。見せつけてくれたことへのお返しだ。
「え、いいの？香里も誘ってるんだけど」
なにぃ！？
水瀬さんの言葉に俺は飛び上がった。
隣の席に顔を向けると、美坂がヤレヤレといったふうにちょっと笑みを浮かべながら俺達を見ていた。どうやら美坂が行くというのは本当のようだ。
「行きます。ぜひ行かせて下さい」
速答。
そんなこんなで、俺達は４人で花火祭りに行くことに相成りました。
夏休みに入って最初の日曜日。この街では毎年この日に花火祭りが催される。場所は街外れの丘の横にある神社（なんでも妖孤が奉られているらしい。本当かどうかはかなり怪しいけど）。割と大きな祭りで、俺も小さい頃は何度も足を運んだが、最近はめっきり行かなくなっていた。あれこれ３年振りだ。
当日、俺達は６時に駅前で待ち合わせていた。
その５分前。夕日に照らされた駅前に来てみると、相沢がひとりでいた。
「おっす」
「よお」
とりあえず軽く挨拶をする。
「美坂と水瀬さんは？まさか来れなくなったって言うんじゃないだろうな」
俺が聞くと、
「ヤローふたりで祭りに行って何が楽しいんだよ。ふたりともちょっと遅れるって言ってたから、もうすぐ来ると思うぞ」
「ふーん」
頷きながら辺りを見まわした。いつもは帰宅途中のサラリーマンやら学生やらでごった返してる駅前だが、今日は家族連れや子ども、カップルなんかが多い。皆、祭りを見に行くのだろう。これは思ってたより混むかもしれない。
「おまたせー」
程無くして、俺の後からのんびりとした声が聞こえた。
振り返ると水瀬さんと美坂が並んで立っていた。
浴衣姿で。
思わず口が開いた。
「えへへー。似合うかなー」
水瀬さんはその場でクルリと回った。なかなかカワイイかもしれない。その横では美坂がヤレヤレと腕を組んでいる。美坂の長い髪は首の後でひとつに束ねられていて、なんかいつもと違った印象を受けた。
「うん、ふたりとも似合ってると思うぞ、相当に」
俺は正直な感想を口にした。
「ありがとうだよー、北川君」
「あたしは嫌だって言ったんだけどね」
ウンザリした表情で美坂が言う。
「だって折角のお祭りなんだから浴衣着ないと勿体ないよ」
「まあ、確かに浴衣なんて他に着る機会ないもんな」
そう言った後、相沢がさっきから黙ってるのに気づいた。
「ん、どうした、相沢。水瀬さんの着物姿に見惚れたか？」
「愛しの彼女だもんね、相沢君？」
美坂も笑いながら俺に続いた。
「な、なわけあるかあっ！」
「そ、そうだよ！なんてこと言うんだよ、香里も北川くんも！」
顔を赤めて慌てて否定する相沢と水瀬さんは、まんざらじゃないように見えた。俺と美坂は揃って笑った。
これは思っていたより楽しい１日になりそうだ。
駅前から歩くこと10分。俺達は神社に到着した。
「けっこう人来てるんだな」
「うん。花火も上がるしね」
「俺、来るの３年振りだけど、こんなに人いたか？」
「あたしは去年も来たけど、こんなもんだったわよ」
人の山を眺めながら美坂がポツリと言った。
「お？美坂って去年も来たんだ」
「えー、わたしも去年行ったんだよー。声かけてくれればよかったのに」
「あー、まあ、ちょっとね。色々あったのよ」
慌てて誤魔化そうとする美坂。バレバレだ。いつものクールな美坂様っぽくないぞ。なんか変だな、と思いつつも、このときは大して気にしなかった。
にしても人が多い。大して広くもないこの街の、一体どこにこんなに多くの人が住んでいるのだろうかと疑問に思う程の多さだ。そんなにこの街には娯楽がないのか。
人々の喧騒、子どもの笑い声、お菓子の甘い匂い、既に酒で出来上がっちゃってるオジサン達、焼き鳥の煙（うまそうだ。ああ、腹減った）、ムアっとした夏の空気に混じる太鼓の音―――。なんか俺達の街とは違う場所みたいだ。
いつもはほとんど変化のない街の風景だけど、こんな色も持っていたんだなと気づかされる、なんて柄にもないことを思ってみたりもした。
「あれ？名雪は？」
横で相沢が間の抜けた声を上げた。そういえば水瀬さんの姿がいつの間にやら消えていた。周りを軽く見渡してみても、その姿は見えない。
「おかしいわね。さっきまであたしの横でキャッキャ言ってのに」
「はぐれたんじゃねーのか？」
この人だかりではそれもしょうがないだろう。
「いや。アイツのことだから、また猫でも見つけて追いかけに行ったのかもな」
ヤレヤレといったふうに相沢が言った。
うーむ、それも一理あるな。その姿がリアルに想像できるぞ。
「どっちにしろ、俺ちょっとそこら辺を探してくるな」
言いながら回れ右をして元来た道を駆け出そうとする相沢。それを美坂が呼び止めた。
「あたし達もついて行こうか？」
「いや、先に境内の広場まで行っててくれ。後から追いつくからさ。もうすぐ花火も上がるしな」
そう言い残して、相沢は人ごみの奥へと消えた。
結果、俺と美坂のふたりが残される。
ナイスだ、水瀬さん！祭りに着いた途端いきなりはぐれた水瀬さんを不憫に思いつつも、心の中で俺はガッツポーズをした。
「とりあえず先に進むか？」
「ん。ここで突っ立っててもしょうがないしね」
祭りはまだ始まったばかりだ。
のんびり歩いてきたけど、境内前の広場にはすぐに着いた。花火を見るベストポジションだけあって、さっきいた場所よりさらに人の数は増えていて、屋台も所狭しと並んでいる。やぐらの上からは祭太鼓の音が聞こえ、陽気なリズムで空気を揺らしていた。
「美坂ー、花火まで後何分か分かる？」
「時間通りなら後10分ぐらいね。にしても名雪と相沢君、遅いわね」
「なんか俺、腹減ってきたなー。何か食うか？」
「何か買ってくる？」
「俺はアイスが食べたい。暑いし」
「……アイス、か」
一瞬、美坂の顔から明るさが消えたような気がした。
「どうかした？」
「ううん。何でもないわ。それじゃ、あたしも食べようかな」
そう言って財布を取り出す。
「いいよ、俺買ってくるから。味はなんでもいいよな」
「食べ物の味ならね。悪いわね、わざわざ」
「いいっての。んじゃ、行ってくるでごわす」
そう言って俺はアイスが売られている屋台へと向かった。
端から見れば俺達も恋人同士に見えたりするのだろうか？見えたらいいなあ。
夏祭りでクラスメイトの女の子とふたりきり。しかもそれが容姿端麗、頭脳明晰、さらには浴衣姿ときた。極めつけに、そいつは高校に入ってからずっと好きだった女の子だ。
なかなかすごいシチュエーションだとは思わないか。
告白するにはもってこいだよな、うん。
屋台でオレンジのアイスをふたつ買い、早足で元の場所へと戻ると、美坂は金魚すくいの屋台の前にいた。どうやらこっちには気づいていないようだ。
『美坂』
『あ、北川君。アイスありがとね』
『美坂……。いや、香里！』
『えっ』
『実は俺、お前のことがずっと前から好きだったんだ！付き合ってくれっっ！』
その直後、これ以上ない最高のタイミングで花火が打ち上げられた。俺達のバックで、ドラマによくありそうな幻想的な光景が広がる。
どーん、どかーん。
『……北川君。実は、あたしも……、潤のことが』
『香里っ！』
『潤っ！』
抱き合うふたり。そのバックでは花火がどかーんぼかーん。ハッピーエンドだ。メデタシメデタシ。
よし。イメージトレーニングはバッチリだ。後は実行に移すのみ！
俺は後から美坂に歩み寄った。
「北川君」
突然、美坂が振り返らずに声を上げた。
いかん。どうやら俺がいることに気づいていたようだ。いきなりイメトレ失敗。しかしまだまだ大丈夫だ。たかが先手を打たれたのみ！これからだっ！
―――そんなお気楽なことを考えていた俺はアホだった。それもどうしようもない程の、世界一の大バカ者だった。
美坂の口から次に出てきた言葉はあまりにも意外なものだった。
「あたしが去年もここの祭りに行ったって話、したわよね」
「ん、ああ」
予期せぬ言葉に多少驚いたが、とにかく俺は頷いた。
「ふたりで来たのよ」
「誰と？」
よもや彼氏とか。
「……妹と」
「ふうん」と、俺はまたそっけなく頷いた。
妹なんていたんだな。初耳だ。にしても、どうにも話の内容が見えてこない。一体美坂は何が言いたいのだろう。
「それで？」と、俺は話の続きを促した。
美坂は俺に背を向けたまま続けた。
「金魚すくいをしたの。あの子がどうしてもやりたいって言うから。ちょうどそこの屋台。去年も同じ人が来てたわ」
美坂の視線を追うと、子どもの群の中に不精髭を生やした人の良さそうなオジサンがひとり。子どもと一緒にガハハガハハと笑っている。
「お祭りの金魚なんて弱いからすぐ死んじゃうでしょ。だから去年、５匹捕まえたんだけど、１ヵ月もしない内に１匹に減っちゃったの。1匹じゃ可哀相だから来年、またふたりでお祭りに行って一緒に金魚すくいしようねって、今度は元気な金魚を捕まえようって……、約束したの」
ん？なんか変だぞ。
「約束したんなら、妹サンも連れて来れば良かったのに。俺、歓迎したぞ。たぶん相沢と水瀬さんも」
「それはできないわ」
「なんで」
美坂は答えない。
「美坂？」
「栞は……、もうこの世にはいないから」
その直後、これ以上ない最悪なタイミングで花火が打ち上げられた。
夕闇を照らす光。一瞬遅れて聞こえてくる花火の音。花火が１発上がるたびに歓声を上げる人々。何色もの光が俺達を照らし、影を作り、消えてゆく。周りはこんなに騒がしいのに、俺の頭の中はあまりにも静かだった。
俺は美坂の言葉に完全に打ちのめされた。意思とは無関係に、視線ばかりが忙しそうに動き回り、体の方はピクリとも動けずにいた。
「……美坂」
必死で一言、口からそう絞り出した。だけどそれから何を言っていいのか、全然分からなかった。
「ごめんなさい」
そう言って振り向いた美坂は一瞬泣いている様に見えた。だけど涙は見えない。
「あたし用事思い出しちゃったから帰るわね。名雪と相沢君には上手く言っておいて」
「ちょっ……」
元来た道へ駆け出そうとする美坂を、俺は慌てて呼び止めようとした。しかし、
「アイス、頼んでおいたのにごめんね。それじゃあ」
そう言う美坂の顔は、引き止めないでほしいと語っていた。
上がりかけた腕がダランと下に落ちた。
熱気を帯びた風が吹いた。隣の屋台にある何十本もの風車が一斉にクルクルと回った。その横ではいくつものお面がバカにしたような笑みを浮かべてこっちを見てる。打ち上がる花火。歓声を上げる人。人の波に逆らって駆けて行く美坂。それを追うことができない自分。手の中で段々と溶けていくアイス。
やがて美坂の姿は人込みに紛れて見えなくなった。
俺は呆然と立ち尽くしたまま、何をすべきか分かっているのに、何もできないでいた。
ガキだった。
何も知らず、幸せに、ただ笑っていた。自分はただ笑っていれば、何もしなくても、それでも世界は回っているのだと。きっと全てが最後にはうまくいくのだと。
そんな夢のような時間が、きっと今、終わった。
祭りの終わりはいつもなぜか少し物悲しい。
１時間続いた花火が終わり、街の人達もそのほとんどが神社を後にした。今残ってるのは屋台の後片付けに追われているオジサンオバサンと、祭りが終わってもなかなか家に帰ろうとしない子ども達だけだ。
俺は神社の境内の横を陣取って、ひとり座っていた。背中の後には、祭りで買ったものを入れてある透明のビニール袋が唯一の慰めのように置かれている。
相沢と水瀬さんには携帯で適当に連絡しておいた。アイツらはアイツらで、ふたりでラブラブしながら花火の上がるロマンチックな夜を楽しんでいたらしい。きっと俺達のことなんか、とうに忘れていたに違いない。こんちくしょう。
空を見上げた。天気は快晴。頭上では満月が淡い光を放ち、輝いていた。
そんな澄み渡った夜の空とは裏腹に、俺の頭の中は灰色の曇空のように沈みきっていた。
なぜ俺はあのとき美坂を追わなかったのだろう。
答えは簡単だ。
怖かった。
妹の話をしたときと美坂の表情とか、声とか、流れなかった涙とか。追いついたところで何も言えないであろう俺自身にとか。あまりにも慣れていないその場の雰囲気とか。そういう色んなものが、怖かった。
恐怖に負け、だから俺はこんな所でひとり座っている。
胸が詰まり、不意に泣きたくなった。
だけど涙は流さず、慌てて鼻をすすった。なぜなら目の前によく知ってるクラスメートが現われたからだ。
「何やってるの。こんな所で、こんな時間まで」
さっきと同じ浴衣姿で、でもその表情はいつも通りの美坂が腕を組みながら、ちょっと呆れたような顔で言った。
「お前こそ」
俺は突然の美坂の出現を、不思議と驚きもせず慌てもせずに受けとめた。図々しいが、もしかしたら心のどこかで美坂が来るのを待っていたのかもしれない。
「帰ったんじゃなかったのか？」
「忘れ物を取りに来たのよ」
「ウソだろ」
「もちろんウソよ」
美坂はあっさりと認めた。そして一旦間を置いて言った。
「金魚すくい、まだやってないかな、って」
は？
俺は思わず眉を寄せた。
「……それもウソだろ」
「本当よ」と、真顔で言う。
「でももう祭りは終わってるぞ」
周りでは祭りの後片付けが着々と進められている。
「見れば分かるわよ。ダメで元々、来てみただけ。やっぱり金魚もひとりじゃ可哀想かなって思ったから」
さっきと同じ、どこか曇った顔で言った。
ひとりじゃ可哀想。それは金魚にのみ向けられた言葉なのだろうか。
「じゃあ、ホレ」
俺は背中の後に置いてあったビニール袋を取り出して、美坂に渡した。
「あっ」
美坂が驚いたように口を開けた。
「金魚」
美坂の言う通り、ビニール袋の中には５匹の金魚の群がスイスイ泳いでいる。
「金魚すくいしてたガキと、屋台のオジサンに元気そうなのを選んでもらったんだ。イチオシだぞ。オジサン曰く、10年は生きるだとよ」
10年というのは実に疑わしいところだが。
「なんで……」
「そりゃもちろん元気な方がいいだろうと思って」
「そうじゃなくって」
と美坂が首を振った。
「あたしのため？」
「俺のため。急に金魚の飼育方法について論文を書きたくなって」
「なによ、それ」
美坂が目を細め、俺の横に座った。それからゆっくりと口を開いた。
「余計な気、使わせちゃったみたいね。さっきはごめんなさい、変な話しっちゃって。せっかくのお祭りだったのに」
「いいさ。色々あったんだろ。妹のこととか、色々さ。話したくなければ話さなくっていいよ」
「……うん、ありがとう」
それから俺達はしばらく黙りこくった。
俺は少し焦った。どうもこういうのは苦手だ。いつもアホキャラで通してきた分、こういう展開に全く慣れてない。何を話せばいいか。うーむ、さっぱりだぞ。ムード的にはけっこういい感じだと思うのだが、いやしかし。これがドラマだったらキスぐらいはオッケーか？
「あっ！金魚のお兄ちゃんだっ」
突然、子どもの声がした。顔を上げると、金魚すくいの屋台にいた子ども達が俺達の前で飛び跳ねていた。
「そのお姉ちゃん、誰ー？」
「その人が金魚をあげたいって言ってた人ー？」
「さては彼女だなー！」
「うわー、アツアツだー」
そう言ってまた飛び跳ねる。
彼女。そう見えるか、お前達。嬉しいぞ。って、嬉しがってる場合じゃないだろ。俺は子ども達の方へ拳を振り上げて一歩前へ出た。
「そんなんじゃねーよ、大ボケ。さっさと帰んないと、ママにしかられるぞ」
「うわー、逃げろー」
「きゃはははは」
笑いながら退散する子ども達。
はあ、と俺は溜め息をついた。ムードぶち壊しだなあ。
「やっぱり、あたしのためだったのね、その金魚」
後から美坂の声がした。
「まーな」
苦笑しながら振り返る。
さすがにもう誤魔化せないだろう。ていうか、さっきの論文がどうこうの話で誤魔化せたとは思ってないけど。
美坂の妹のこと。その子がもうこの世にはいないこと。ときたま見せる美坂の暗い表情。一匹だけ残った金魚。俺の知らない、彼女の思い。
知らなければ良かったのかもしれない。何も知らずに、さっきの子どもみたいに笑っていれば、それなりに幸せだったかもしれない。少なくとも俺の中では幸せだったんだろう。
でも、知ってしまった。話してくれたんだ。恐らくは水瀬さんも相沢も知らないであろう妹のこと。キッカケは何であれ、美坂は俺に話してくれた。
じゃあ、俺には一体何ができるのだろう。
確かに俺は一度は恐怖に負けた。目に見える結果が怖くて、立ち去る美坂を追うことができなかった。
でも本当に怖いのはそんなのじゃなくて、そんなのじゃなくて……、
後悔することなんだ。伝えたいことも伝えられないまま、何もかもが中途半端ままで、なんとなく終わってしまうことなんだ。後で確実に後悔するであろう、そういうことなんだ。
「なんつーか、上手く言えないけど」
だから自分の思いを正直に口に出した。
俺はやっぱりまだまだガキで、立派な大人みたいにかっこいい言葉は浮かばないけど、きっとそれでも……、
「俺には大したことできないからさ。こんな単純なことしかできないから。そんな安っぽい金魚しか贈れないけど、それでも色々考えて、こうした。金魚なんかでどうこうなるなんて思ってないけど、それでも何かは変わるかなって」
「ん」
美坂が頷いた。
「嬉しい」
笑顔で、言った。
「それに、安っぽくなんてないわよ」
金魚が入ってる袋を顔の高さまで上げて、軽く揺すった。
「５匹で300円だぞ」
本当は３回やったから900円かかってる。金魚すくい、意外と難しかった。男のプライドにかけて、それは言えない。
「ううん、北川君の気持ち、とか」
なんか照れ臭くなって、俺はちょっと笑った。
「大したもんじゃないって」
「いいわよ。それでも大切にする。今度は絶対死なせない」
やけに真剣な目つきで言ったので、またちょっと心配になった。
「あんまり深く考えるなよ。金魚だけじゃなくて、他の色んなこと」
「北川君になら、」
「あ？」
「北川君になら、いつか全部話せるかもしれない」
「………」
「そのときは、聞いてくれるかな」
「ああ」
待ってるよ。
すぐじゃなくてもいい。ゆっくり、時間をかけて、美坂の頭の中できちんと整理ができて、そして俺に話してくれるときはちゃんと聞いてやろう。それが今、俺にできることの精一杯だ。
「にしてもずいぶん遅くなっちまったなー。そろそろ帰るか？」
気がつけば、後片付けをしていた人達も随分と少なくなっていた。さっきまでピョンピョン騒いでた子どもの姿ももう見えない。
「ん。そうね」
美坂が立ち上がり、軽く埃を払った。
「家まで送ってよね」
「モチロンです、お姫様」
「やだ、何よ、それ」
またふたりで少し笑った。
祭りは終わった。明日からはまた学校の補習だ。夏休みはまだ続く。暑い夏もたぶんもうしばらくは続くだろう。
話はまだ、始まったばかりだ。
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