反転少女
朝。
一日のはじまり。
目覚めは爽快に行きたいものだ。
ガバッ！！
布団を身から剥がす。
……うん、異常は無い。
何の違和感も無い、実に爽快な朝だ。
「さて、名雪を起こすか……」
そう思って、部屋を出た。
実を言うなら、名雪もいい加減に、一人で起きて欲しいものだ。
そうすれば、朝の俺の労力が少しでも削げるものなのだが……。
まあ、それは叶わぬ夢か。
愚痴ってもしょうがない。
「名雪〜、朝だぞ〜！！」
ドアをノックした。
案の定だが、中から反応は無かった。
ここまでは何時も通り。
この程度で起きるわけが無い。
「仕方が無い……、突入するか」
意を決し、部屋の中へと入る。
「名雪、朝だぞ……って、何だこりゃあ！！」
俺は、信じられない光景を眼にしてしまった。
あれだけ目覚まし時計が散乱し、時計屋を開けるのではないかとも思わせた部屋。
それが、目覚し時計が一個も無かった。
それだけではない。
「名雪が……いない」
何時もなら『く〜』というベスト・オブ・寝息をたてながら眠っている筈の名雪。
それが、ベッドの上どころか、部屋の中の何処にもいないのである。
「……まさか！！」
俺は名雪の部屋を出、急いでリビングへと行った。
そして俺はそこで、予想通りというか、予想外というか、何とも言い難い光景に出くわした。
「あ、おはよう、祐一」
そこには、しっかりと覚醒していて、既に制服に着替え、尚且つ白飯を快活に食す従妹の姿があった。
「な……名雪、どうしたんだ一体」
驚く俺に対して、名雪は『？』という表情をしていた。
「どうしたの、祐一。トランプマンに逢ったような顔をして……」
「良く分からない例えだが、それはこっちの台詞だ。何で一人で起きているんだ？」
「え？何言ってるの、祐一。何時もの事じゃない」
そう言って、名雪は持っていた茶碗に、更なる白米を入れる。勿論、炊いたやつだ。
「え、だって……。それに、お前いつもパン派だったじゃないか。イチゴジャムはどうした？」
「日本人はお米族だよ。朝食にパンなんて邪道だよ。イチゴジャム？もっての他だね」
そう言って、再び名雪は白米を食し始めた。
おかしい、非常におかしい。
そういった感情が、俺の中で渦巻いていた。
「そう言えば名雪。秋子さんは何処だ？まだ寝ているのか」
「お母さんなら、ほらそこ」
名雪が指差したそこには、ソファの上に寝転がって爆睡している秋子さんの姿があった。
「何時ものように、私が起こしたのは良いんだけど、白米を炊いた時点で寝ちゃった。でも、お母さんが作るおかずは、とても食べられるものじゃないけど……」
「え？何言ってるんだよ。秋子さんが作る料理は絶品じゃないか。お前もそう言っていた……」
言い終わる前に、名雪がそっと俺の前に肉じゃがを差し出した。
「食べてみて」
そう言われたので、俺は箸を取ってジャガイモを口に運んだ。
「うっ、まずっ！！」
瞬間、思わず吐き出しそうになった。
何というか……、絶望的な味だ。
どうやったらこんな味付が出来るのか、謎だ。
「それ、お母さんが昨日作ったやつだよ」
信じられない。
信じられないが、この盛り付け方は、間違いなく秋子さんだ。
俺は白米を美味しそうに頬張る名雪と、気だるそうに眠っている秋子さんを見比べた。
何が起こっているんだ、一体？
違和感だらけだ。
誰だよ、爽快な朝だなんて言ったやつは。
むちゃくちゃ変な朝だ。
朝食をまともに摂らずに、俺は学校に行った。
これ以上あの家に居たら、頭がおかしくなりそうだった。
早く教室に行って、頭を冷やそう。
うん、そうしよう。
「きゃははは〜」
と、そこに、突拍子も無くトンチキな少女の声が聞こえた。
いつの時代のコギャルだよ、と思いながら、俺は声の方を見た。
それはまた、俺にとって驚愕の映像だった。
「香里……、何やってんだ？」
阿呆みたいな声を上げながら、美坂香里は俺の周りを回り始めた。
「あっいざわく〜ん、おっはよ〜♪」
「香里、この世の春でも見てきたのか？」
「え〜、香里わかんな〜い」
声の質が、馬や鹿そのものだった。
「ところであいざわく〜ん。今日の宿題みせて〜。香里バカだからわかんなかったの〜」
「……すまん、後でな」
何というか、とても見ていられなかった。
あの頭脳明晰、冷静沈着が売りだった香里が、何という体たらくなのだろうか。
水瀬家といい、何が起こっているんだ、一体。
……と、そこに、見覚えのある金色のアンテナを発見した。
俺は変わり果てた香里から逃れたい一身で、そいつに近付いた。
「よお北川。おはようさん」
そう言って肩を叩いた。
北川が振り返る。
俺が驚く。
「北川……、何の真似だ、それは？」
俺が見たの北川は、黒縁眼鏡を掛け、手には参考書を持ち、二宮尊徳よろしくな格好をしていた。
「……何だ、相沢か。おはよう」
無愛想に、まるで『近寄るんじゃねえ、このスケこましが！！』というオーラ全開に北川は言った。
「何の用だ？」
「お、おいおい、ただの用があるわけないだろ。挨拶だよ、挨拶」
「用が無いのなら、俺に話しかけるな。もうすぐ試験だから、勉強に忙しいんだ」
そう言って、北川は立ち去ろうとした。
そこに、先程のクルパー香里が北川に近付いていった。そして猫のように、彼に擦り寄った。
「きったがわく〜ん、おっはよ〜ん♪」
「でえい、寄るな！！俺はお前みたいな遊び人風情の女は嫌いなんだ！！あっちいけ！！」
「そんな事言わないでよ〜、このい・け・ず♪」
尚もじゃれてくる香里に対して、北川は明らかな嫌悪を見せていた。
何というか、いつもと逆の光景だな。
……逆？
そう言えば、今朝の水瀬家も、いつもと逆の態度だったような……。
……まさかな、ＳＳじゃあるまいし、そんなことあるわけがない。
そう、あるわけがないんだ……。
しかし、これはＳＳだった。
それを知ったのは、授業中のことだった。
俺は何の気無しに、外を眺めた。
そこには、一面雪に覆われた中庭があった。
そして、その中庭に、一人の少女が居た。
その少女は、身体にストールを巻いている、ボブカットをした小柄の少女だった。
その少女に、俺は見覚えがある。
見覚えがあるのだが……、明らかに違和感だらけだった。
何故かって？
それはもちろん、その少女がやっていることが問題だらけだった。
少女は、明らかに動きにくそうなその格好で、中庭を全力疾走していた。
すっごくアクティヴに、すっごくアグレッシヴに。
飛んだり跳ねたり、一人近代陸上をしていた。
……頭が痛かった。
「すいません、保健室に行って良いですか？」
俺はそう行って、保健室に行くわけも無く、中庭へと行った。
鉄製のドアを開け、中庭へと出る。
そしてそこには、一人で空中鳳凰脚の練習をしていた少女が居た。
「……風邪は良いのか、栞」
俺は、極めて無駄な問いをしてみた。
美坂栞は、丁度今から上昇しようというところで動きを止め、俺の方を見た。
「どうしたんですか、祐一さん。マジックを失敗したトランプマンみたいな顔をして……」
「いや、お前もトランプマンかよ。ところで、風邪は良いのか？」
「風邪？何のことですか？私はここ数年、風邪なんて引いてませんよ」
そりゃそうだろう。冬の寒空の中で鳳凰脚出来るなら、風邪なんて引かないだろう。
「じゃあ、何で授業に出ていないんだ。サボりか？」
「違います！！身体を動かしたくて、ずっと走ってたんです。そうしたら、授業が始まってて……」
何というか、今日はこんなんばっかりかよ。
「祐一さん。良かったらモデルになってくれませんか？あ、モデルと言っても、スパーリングですけど……」
「結構です」
俺は丁重に、かつはっきりと断って、足早にその場を去った。
おかしすぎる。
疑念は確信に変わった。
朝早く起きる名雪。
すっげえ怠惰な秋子さん。
おバカなコギャルの香里。
硬派真面目な北川。
武闘派の栞。
違和感の総合商社だ。
「ひょっとしたら、他の人間も……」
そう思った時だった。
「あはは〜」
そう言った声が聞こえた。
あはは〜といえば、佐祐理さん。
良かった、あのひとだけはまともか。
俺はそう思い、声のした方へと駆けて行った。
「佐祐理さん！！」
愛しさ一割、現実逃避圧倒的多数の感情で叫んだ。
しかし、そこにあった光景は、その思いを見事に打ち砕いてくれた。
「佐祐理……さん？」
結論から言うと、あはは〜の主は佐祐理さんではなかった。
その隣にいる少女。
川澄舞であった。
「あはは〜、それでさ、いきなりその魔物が私にガバーって襲いかかってきたわけよ。絶体絶命ってああいうことを言うのかな。でもそこはさすが私、咄嗟の判断で持っていた剣でズバッと一閃、いや〜、気持ち良かったね〜。場馴れしているって、こういう時に役に立つんだよ。……ねえ、聞いてる、佐祐理」
「……うん、聞いてる……」
そして、暗い顔をしながら舞の横で静かに舞の話を聞いているのは、他ならぬ倉田の佐祐理さんだった。
「ったく、相変らず辛気臭えな、佐祐理は。そんな事じゃあ、いつまで経っても彼氏出来ないぞ。それとも何、まだ弟のことを引きずっているの？まったく、気持ち悪いよ、そんな後ろ向きな性格」
「……うん、そうだよね。私なんて、生まれてこなければ良かったんだよね」
そう言って佐祐理さんは、近くにあったロープ（何でロープがあるんだよ）を手にとって、それを輪状にし、その中に首を入れた。
「……生まれてきてすいません。佐祐理はここで死にます」
「って、ちょっと待てい！！」
今にも変死体となるところだった佐祐理さんを救出して、床に下ろした。
「あ……、祐一さん」
「どうした、祐一。マギー司郎のマジックを見たトランプマンみたいな顔をして」
最近トランプマンがブームなのか？
「それは良いとして、なんて事言うんだ、舞！！危うく佐祐理さんが自殺するところだったじゃないか！！」
「良いじゃねえか、いつものことだし。なあ佐祐理」
「う……、うん、そうだね……」
何というか、これでは親友というより、いじめっ子といじめられっ子の関係みたいだ。
二人の間には友情ではなくて、敵対心があるんじゃないか？
「そ、そうか、それなら良いんだ」
もう何も言う気力が無くなっていた。
俺はただ、とぼとぼと、その場を後にする事しか出来なかった。
放課後、家路に向かいながら俺は計算していた。
残すところ、まだ出てきていない知り合いは３人だ。
天野美汐、沢渡真琴、月宮あゆ。
この３人とは、今日中に会いそうな気がする。
ご都合主義ではないが、そんな気がしてならない。
「あ、相沢さん」
「祐一！！」
……予想通り、２人の少女が現れた。
天野美汐と沢渡真琴だ。
まずは天野から、俺に寄ってきた。
「相沢さん、聞いてください！！昨日、うちで飼っているハムスターが子供を産んだんですよ！！」
聞きながら、俺は別の意味で違和感を感じていた。
へえ、中々可愛い変わりようでは無いか。
この異常事態に慣れつつあった俺自身に、恐さを感じた。
「ふうん、それは良かったな」
「ええ！！幸いにしてオスでした！！きっとあのハムスターは、ある時人間に変身して、そしてそれは絶世の美少年で、いつの日か私と結ばれる運命にあるんですよ！！きっとそうです！！」
前言、激しく撤回。
何処が可愛いんだよ。
めちゃくちゃ妄想癖があるじゃねえか。
良く言えば、夢見る少女か。
だか悪く言えば、妄想。
タチが悪い。
「相沢さん！！結婚式には来てくださいね！！」
「ああ、分かった」
真面目に答える気も起きない。
「あう〜、祐一！！何テレビに出たての頃のトランプマンみたいな顔をしてるのよ！！」
真琴が大声で俺の耳元で叫ぶ。
「うるせえ！！もうちょっと静かに話せ！！それにお前等何でトランプマンだよ！！」
そうは言いつつも、安堵感が半分。
なんだ、真琴は普通そうだな……。
「そんなことよりも、昨日の午後６時１３分に貸した３１７円返してよ！！それと、３日前の午後８時５分に、真琴の部屋にあった漫画持って行ったでしょ！！それも返して！！あと、２週間前に約束した肉まんを奢ってくれるっていう話、どうなったのよ！！」
前言、やはり撤回。
正直、うぜえ。
記憶力、むちゃくちゃあるし。
小姑かよ、お前は。
「分かった、分かったから。またいつか、な」
「その台詞、４日前の昼にも聞いた！！祐一と出会って、もう３７回聞いた！！」
……あの〜、読者の皆さん。
この娘、殴って良いですか？
ダメ？
なら良いです。
帰りますから。
「祐一！！」「相沢さん！！」
「でえい、うるさーい！！」
俺はそう叫んで、夕暮れの空の下を想いっきり疾走した。
何時の間にか、商店街にやってきていた。
まるで何かの展開に導かれるように。
予定調和？
なにそれ？
しかしこうなると、残るはあと一人なんだが……。
「祐一くん！！」
来た。
来ました。
予想通りというか、何というか。
例にも漏れない、お約束だ。
もうちょっと捻れよ作者、と突っ込まれそうなくらいだ。
「それでお前はどういう性格異常者になってしまったんだ月宮あゆよ」
「うぐぅ？」
あゆは、何のことでしょうかといった風な表情をした。
「何のこと、祐一くん」
「とぼけても無駄だ。さあ馬脚を現せ、暴露しろ、その仮面の下に隠れている悪魔の表情を曝け出せ！！」
あゆとの距離を詰めた。
俺の様子に驚いているのか、あゆは一歩後退った。
「なあに、痛いようにはしない。黙秘権はくれてやる。弁護士も呼んで良いぞ。俺は極めて寛大な人間だ。その代わり、極刑は免れないということを補足説明しておこう」
じわりじわりと、あゆを壁際に追いやっていった。
逃げ場を失ったあゆは、既に涙目だった。
「う、うぐぅ……、恐いよ、祐一くん」
「騙されるか！！今日一日で俺がどれだけ頭の痛い思いをしたのか分かっているのか！！その辛さ、お前にも分からせてやる！！」
そう言って、あゆの胸倉を掴んだ。
「だめ〜！！」
途端、鳩尾の急所辺りに衝撃が走った。
全身に言い様の無い痛みが走る。
我慢できずに、その場に倒れ込んだ。
「祐一くんひどいよ！！ボクはなにもしていないよ！！祐一くんなんて嫌いだ！！」
涙を流しながら、あゆは無様に倒れこんでいる俺に言った。
「祐一くんなんて、そこで『なるほど・ザ・ワールド』が終わった後のトランプマンみたいになってれば良いんだ！！」
「……」
「さてと、それじゃあ八百屋に行こうかな。今日は確か大根が安かったんだよね。あ、それとたいやき屋が半額セールやってるんだった。急いで行かなきゃ！！お財布はきっちり締めないと……」
そう言って、あゆは去っていった。
後に残されたのは、地面と固い友情で結ばれた俺と、それと汚いモノをみるかのような眼で見ている観衆だった。
子供の『ママ〜、あれなに〜』という問いに、母親が必死に『見てはいけません！！』という言葉を投げ掛けて目を背けさせようとしていた。
「もう、おうちにかえして」
俺はそう言って、再び意識を遠いものとしていった。
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