SSこんぺ No.017 : 『告白』　～本当の俺～ (4/4)

　ザ……！
　俺は足を止める。
　呼吸は激しく乱れ、喉がぜいぜいと鳴っている。
　畜生……最初からここに向かえば、百花屋から十数分だったんじゃないか。
　無意識のうちに、ここでは無い、と決めつけていたのだろう。
　心に傷を負ったこの場所には、名雪は来ないものと決めつけていたのだろう。
　名雪は、あの日のベンチに座り、降りしきる雪を、ぼんやりと見上げていた。
　名雪の髪に、肩に、膝に、降りしきる雪が白い花を咲かせていた。
　ザク……ザク……ザク……
　薄く積もった雪を踏み締める音。
　その音毎に、名雪の姿が近づく。
　俺は、名雪と空の間に割り込んだ。

「雪……積もってるぞ……」

　既視感。
　ほんの十数日か前、逆の位置で俺と名雪は再会をしたっけ。
　名雪が、にっこりと笑う。
　子供だった俺に、一目惚れをさせた、花の様な微笑み。

「そりゃあ……７年も待っていたもん」

「ぐはっ……！」

　見事にきり返された。

「す……すまん……」

　これは謝るしか無いだろう。
　くすくすと名雪が笑う。
　そして、ふっ、と悲しそうに黙る。

「ねえ祐一……
あの日……来なかったのって……
やっぱり、わたしが告白した事が、迷惑だったからかな？」

「違う！」

　俺は考えるより早く即答していた。

「それだけは絶対に違う！
俺は、嬉しかったんだ！
名雪も俺を想ってくれていたって知って、本当に嬉しかったんだ！」

　名雪が俺を見上げる。

「なら……どうして？」

　名雪の瞳が、俺を真っ直ぐに見る。

「だって……俺は……」

　俺の答える声が途切れる。

「いなくなっちゃうから？」

　名雪が俺の言を継ぐ。
　俺は絶句する。

「それって、ずるいよ。祐一」

　名雪の瞳は、相変わらず俺を責めてはいない。
　ただ、悲しんでいるだけ。

「祐一が、祐一じゃ無くなっちゃうから……
だから、黙っていなくなっちゃうの？
それって、ずるいよ」

「名雪……」

　名雪はゆっくりと立ち上がった。
　名雪の長い髪に絡んでいた雪が、さらさらと散る。

「わたし、何も訳が判らないままで、泣いていただけだったんだよ？
祐一が……すごく苦しんでいた事なんて、何も知らないで……」

　名雪の瞳に俺が映る。
　その、俺の虚像が、じわり、とぼやける。
　名雪の瞳の中に、涙がにじんでいた。

「祐一がわたしを好きでいてくれたなんて知らなかった。
わたしの告白が祐一を辛くしていたなんて知らなかった。
祐一が７年もあがき続けていたなんて知らなかった……」

　涙は名雪の瞳から溢れだし、名雪の頬を伝って、地面の雪へとぽろぽろと落ちた。

「ずるいよ、祐一……
ひとりで黙って苦しんでたなんて……」

　名雪の声が震え、嗚咽する。
　俺の長年の嘘を少しも責めず、ただ、俺の苦しみを思って涙する、あまりにも優しい少女。
　あまりにも、愛しい少女。

「ごめんね祐一……
何も知らないでいて……」

　俺は名雪の肩を抱き寄せる。
　名雪はされるがままに、俺の胸元に身体を預ける。

「名雪……俺は……
名雪の事が好きだ。
子供の頃からずっと。
今でも。
これからも。
名雪が大好きなんだ……
男として……いや……俺自身として……」

　ずっと言えなかった言葉が溢れ出していた。
　名雪が顔を上げる。
　濡れた瞳。
　朱に染まった頬。

「わたしもだよ……祐一」

　切ない気持ちが溢れ、俺は名雪を抱き締める。

「……いいのか？　名雪……
言っとくが……苦労するぞ？」

　俺と共に歩めば、名雪もまた、世間から異質な者として見られる事になる。
　俺はそれが怖かった。

「いいよ。
わたしは祐一が好きだもん。
祐一の身体も、心も、今まで生きてきた人生も……
全部、わたしの好きな祐一だもん」

　愛しい少女の言葉で、俺はようやく悟る。
　俺のこの忌まわしいだけだった身体も……俺が拠り所にしていた心も……抗い続けた人生も……何もかも全て含めて、本当の俺自身だった、という事を。
　もう迷わない。
　もう否定しない。
　俺は、間違い無く俺なんだという事を。
　間違い無く名雪を愛しているという事を。

「名雪……俺は名雪を愛している……
俺と……一緒に生きてくれないか……？」

　決して口にしてはいけないと思っていた言葉。
　名雪の人生を俺の人生と重ねてしまう申し込み。
　その言葉が、素直にこぼれだしていた。
　名雪が微笑む。
　そして……頷く。

「こちらこそ……よろしくお願いします……だよ。祐一……
わたしも……愛してるよ」

　俺の手が名雪の長い髪をかき上げる。
　名雪の瞳が閉じる。
　雪景色を背景に、俺と名雪のシルエットが、ゆっくりと重なった。

　少し小降りになった雪の中、俺と名雪は寄り添って家路を歩く。
　凍えそうに寒い筈なのに、身体の芯がぽかぽかと暖かい。
　俺は夕闇の空を仰ぐ。

「さて……親父には何て言うかな……」

　母さんと秋子さんは、俺が結局女になった場合を考えて、親父には何も話していない。
　親父は俺の事を、ちょっと、いや、かなりがさつな、一人娘、と認識している筈だ。

「正直に言うしか無いんじゃない？」

　名雪が微笑んでいる。
　俺の大事な名雪。
　俺の大好きな笑顔。

「親父、引っくり返るだろーな……」

　俺もくすりと笑う。

「それより祐一。今はお母さんに何て報告するか考えようよ」

　秋子さん、か。
　何か、何言っても了承されそうな気はするけどな。

「そうだな……
『娘さんを俺の娘にください』
とか……」

　名雪が目を剥く。

「何で『娘』に貰われちゃうんだよー！」

　俺は真面目な顔を作る。

「いや、でもな？
日本じゃあ同性の結婚はまだ認められていないから、普通同性同士が結婚する時には、どっちかがどっちかの養子になるんだぞ？」

　……正確には『年上の方が親』って決まってるんだが……
　あれ？　俺と名雪ってどっちが誕生日先だったっけ？

「わ、そうなんだ。知らなかったよ……
じゃあ、祐一がわたしのお父さんになっちゃうの？」

　俺はにやりと笑う。

「いや、戸籍上は、名雪の『お母さん』になるな」

「えー？
じゃあ今のお母さんは？」

「秋子さんは戸籍上は母親じゃなくなるな。
でも、結婚っつったら親の戸籍からは出るもんだろうが？」

「やだよー！
だったら祐一がわたしの娘になってよー！」

「俺はこんな寝ぼすけな母親は要らん」

「祐一ひどいよー！」

　むくれる名雪が愛しくて、尖らせた口元が可愛くて、俺は名雪を抱き寄せる。

「わ！　恥ずかしいよー……祐一……」

　口ではそう言いながら、名雪の腕も俺の腰にまわる。
　俺達は、雪の舞う宵の街を、お互いにしがみ付き合い、支え合って歩いていく。
　これからの俺達が、そうやって生きていく様に。
　苦しむだろう。
　傷つくだろう。
　転んでしまう事だってあるだろう。

　だけどきっと俺達ふたりなら、

何度でもまた立ち上がり、

互いに笑顔を向け合って、

再び歩き出せるだろう。

「名雪……ずっと一緒にいような」

「勿論だよ」

　愛しい少女の愛しい笑顔。

　この笑顔を曇らせない為ならば、

俺はきっと何でも出来る。

　この愛しい少女が愛してくれるのなら……

俺はきっと……

こんな俺の事だって……

大好きに、なれる。

END

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