予想通りだな。
　　　そんなことを祐一は思った。

　　　名雪と舞は、スタート開始直後こそ隣にいたがあっという間に差がつき
　　　今ではもう見えなかった。
　　　佐祐理さんと香里も、まだギリギリ視界に収まっているが消えるのも時間の問題だろう。

　　　まあいい、最初からあの４人に勝とうとは思っていない。
　　　今、自分の後ろには北川、天野、栞、がいる。
　　　この三人にさえ抜かさなければいいのだから。
　　　そっと、後ろを振り向いてみる。
　　　三人の姿は、何処にも見えなかった。

　　　「ん？」

　　　そのとき、隣を自転車に乗って通り過ぎようとする生徒がいた。
　　　祐一は疑問符を浮かべる。
　　　あったこともないはずなのに何故か、その生徒をよく知っているような気がしたのだ。
　　　なかなか思い出すことができない。

　　　自転車が横をすり抜ける。
　　　その時に、その生徒はにやりと笑いながら祐一に聞こえるようにポツリと呟いた。　　

　　　「アディオス、相沢君」　　


　　　その声で、それが誰なのかがようやく解った。

　　　「てめぇ、卑怯だぞ北川！！」

　　　いつもの目印の触覚を水か何かで固めて、髪型を変えていたため誰だか解らなかったが聞こえてきた声は
　　　間違いなく北川だった。

　　　はっはっはっは、と笑い声を残して北川は走り去っていった。
　　　その後を、同じく自転車に乗った生徒会の連中と車に乗っている教師達が追っていっていく。
　　　すぐに追いつかれるだろうが、失格にはならないだろう。
　　　祐一は思った。
　　　生徒を失格にするためには、その場で捕まえなければいけないからだ。
　　　バイトの達人であると同時に、遊びの達人でもある北川は
　　　この街の裏道を知り尽くしている。
　　　裏道を駆使すれば、自分を追う連中をまくことは、簡単にできるだろう。


　　　もっとも、この状況は祐一にとっても有利だった。
　　　北川が、監視するべき人間を全員連れて行ってくれた御陰で、
　　　自分も裏道をつかうことができるのだから。


　　　伊達に、毎日真琴やあゆに付き合わされて町中をかけずりまわってはいないということだ。
　　　祐一は、参加人数と、通る人間の数があうかをチェックしているであろうポイントを
　　　ざっと計算すると、裏道へと突入した。


　　　

　　　祐一が裏道を駆使して快進撃を始めた頃、他のメンバーはどうしていたのかをみてみよう。



　　　「ハア、ハア、ハア…」

　　　栞はチャンスを待っていた。
　　　勿論、その前にばれたりするといけないので一生懸命に走っている。
　　　が、そのかいもなくあたりに自分以外の人影はない。
　　　さらにいえば、生徒達が反則しないかどうか見張っていた教師や、生徒会の役員達の
　　　姿もなかった。
　　　圧倒的に人手が足りないため全員、前の方へ移動したのだ。

　　　走りながらそのことを確認した栞は、足を止めた。
　　　改めて周囲を見るが、やはりあたりには誰もいない。

　　　「ふふ…」

　　　あまりに理想的な展開に、思わず笑みがこぼれ落ちる。
　　　栞はスキップをしながら、バス停へと向かった。
　　　そこには記憶の中にある時刻表で確認したとおり「物見の丘」行きのバスが止まっている。

　　　これこそが栞の秘策だった。
　　　これに乗れば今は最後尾にいる栞でも、祐一達が辿り着く前に到着することができるのだ。
　　　卑怯などとは言う事なかれ、これも頭を使った一種の作戦である。

　　　「名付けて『棚からぼた餅大作戦』です。　　祐一さん、私を馬鹿にした代償は大きいですよ。
　　　　お腹がいっぱいになるまでアイスを奢ってもらいますよ。」

　　　少しお金を使うことになるが、構わない。
　　　この後自分が得る利益は、この出費を上回っているのだから。
　　　そう思い、バスに乗り込む。
　　　平日の午前中だけあって、乗客は自分一人しかいなかった。

　　　それからしばらくして、バスが発車する。

　　　　「あれ？」

　　　余裕を持って、窓の外を眺めていた栞は気が付いた。
　　　おかしい。
　　　バスの向かう方向が違う。
　　　バスは今まで栞が走ってきた走路を逆に、つまり物見の丘がある方向とは逆の
　　　学校がある方向へと向かっていた。

　　　栞がいやな予感がし始めたのと同時に、車内アナウンスがなった。

　　　『当バスは本日、物見の丘行きを改めまして、雪領高校行きとなっております。
　　　　ご乗車になった方は、失格となりまーす。』

　　　お嬢ちゃんで１０人目だよ、とバスの運転手はつけ加えた。
　　　どうやら久瀬はこのことまで読んでいて、
　　　此処にまで手を回していたらしい。

　　　　「えぅ〜、邪夢はいやですー！」

　　　同じ事を考える人って居るんですね。
　　　そんなことを考えながら、もう逃げることもできない栞は
　　　叫んだ。

　　　美坂栞…不正行為発覚により失格。





　　先頭をひた走る舞、名雪の二人は、

　　「牛丼、牛丼、牛丼、牛丼、牛丼、牛丼…」

　　「イチゴサンデー、イチゴサンデー、イチゴサンデー、イチゴサンデー、…」

　　好物の名前を呟きながら、走っていた。


　　結構な差が開いて真ん中よりは先頭よりという位置を走っていた佐祐理と香里は、

　　「倉田先輩は、何を奢ってもらうんですか？」

　　「えーっと、佐祐理はですね〜…」

　　と、走るスピードはそのままに、のんきに世間話をしていた。
　　まだまだ余裕があるようである。


　　そして、栞と同じく最後尾あたりを走っていた美汐は、
　　スピードが落ち始めた生徒達を追いむいて、中盤にまであがっていた。


　　そして北川は、

　　　「ふぅ、まいたか。」

　　祐一の予想通り自転車を乗り捨てた後、裏道に突入して追ってから
　　逃げ切ることに成功していた。

　　　「これで、俺はおごらずにすむな。」

　　そう呟くながら、北川もチェックポイントを通る裏道を進み始めた。
　　少しばかり、時間をロスしてしまったが問題ない。

　　　　「………、………」

　　　　「…………」

　　此処を抜けるとゴールは目の前だと、北川が鼻歌を歌いながら走っていると、さらに一本向こうの道から、
　　複数の人間が言い争っている声が聞こえてきた。
　　こんな裏路地で一体誰だ？
　　何となく、怪しさを覚えた北川は角を曲がり、そっと除いてみた。





　　「ちっ、北川のやつどこへいきやがった。」

　　祐一は、そう呟きながら裏路地を走っていた。
　　すでに祐一もトップ組の仲間入りを果たし、賞品を手にするのも
　　夢じゃなくなっていたが、それでも北川を抜かなければ気が済まなかった
　　このみちは、建物と建物の間が繋がってできた道で、普通の人ならまず知らない道である。
　　が、北川ならこの道を通るのは確実だった。
　　あれからかなり追い上げてきたというのに、まだいっこうに追いつく様子がない。
　　もっと、前にいるのだろうか？

　　「…ら、…ぞ！」

　　そう思ったとき、一本向こうの道から北川の声が聞こえてきた。

　　「おっ、やっと追いついたな。　　…しかし、なにやってんだあいつは？」

　　祐一が、北川の声が聞こえてきた場所にやって来てみると、北川は背後に
　　見知らぬ他校の女生徒を庇いながら、誰かに向けて叫んでいた。
　　この位置からでは、相手は見えないがどうやら複数居るらしい。
　　と、祐一が思ったとき北川が見知らぬ誰かに殴られて、地面に倒れた。
　　北川を殴った相手は、取りあえずいかにも不良ですという格好をしていた。

　　「ふむふむ。」

　　それを見て、自分なりに状況を理解した祐一は、北川達のいる場所に向けて猛然とダッシュし、

　　「必殺　田中キーック！！」

　　と人の名前をかりて叫びながら、北川を殴った不良（と思われるやつ）の横っ腹にスピードののった
　　跳び蹴りをくらわせた。

　　「ぐほぅ！」

　　跳び蹴りをくらった不良は妙な声を挙げながら、吹っ飛び気を失った。

　　「な、なんだてめえは？」

　　不良はまだ三人いた。
　　突然の祐一の登場に面を食らったのだろう。
　　仲間を蹴られたことに怒ることも忘れて、間抜けな質問をした。

　　「おい、伊藤。　これは俺の想像通りの展開と見ていいのか？」

　　祐一はそれにはかまわずに、起きあがってきた北川にたずねた。

　　「ああ、そう思ってくれて間違いない」

　　北川は頷いた。

　　「大丈夫だったか？」

　　次に祐一は、北川が背中に庇っている女子生徒に尋ねた。
　　女子生徒は、まだ気が動転しているのだろう。
　　無言ままコクコクと頷いた。

　　「無視してんじゃねえよ！」

　　その後ろから怒声が響いてくる。
　　無視された不良達は、あっさり怒りのボルテージを上げると
　　飛びかかってきた。

　　
　　狭い路地裏で、殴り合いが始まった。



　




　　カァ、カァ、カァ、
　　夕暮れの空をカラスが飛んでゆく。

　　「いてて」

　　殴られて腫れた部分が痛むのだろう、北川は顔をしかめながら呻いた。

　　「お前無茶しすぎだぞ。　　俺が来なかったらどうするつもりだったんだ？」

　　「だってしょうがないだろう。　　みかけちまったんだから。
　　　見つけたのがお前だったとしても、やっぱりああしただろう。」

　　「まあ、それはそうだが。」

　　あれから、何とか勝利を収めた北川と祐一は、女子生徒を家まで送り届けたあと、
　　お互いを肩でささえながら学校までの残りの道を歩いていた。

　　「それにしても、誰だよ。　田中って。」

　　北川が、さっきのことを思い出して言った。

　　「僕のことだよ、伊藤君」

　　お互いの周囲に累が及ばないように、名前を偽ってケンカしたため、
　　きっとあの不良達は、二人のことを、田中と伊藤と記憶したはずである。
　　二人は、ひとしきり笑った。

　　「それにしても、賞品とれなかったなあ。」
　　
　　祐一が呟いた。

　　「ああ。」

　　「表彰式もおわっちまっただろうな。」

　　「そうだな」

　　そのまま、しばらく会話がとぎれて、無言で歩く。
　　いつもの何倍も時間がかかったが、二人の右手にようやく学校が見えてきた。

　　「北川」

　　校門まで後少しと言うところで、ポツリと祐一が呟いた。

　　「なんだ？」

　　「お前、大丈夫なのか？」

　　「なにが？」

　　「お前、生徒会と先生方から逃げ回っていただろう。
　　　帰ったら邪夢食わされるんじゃないのか？」

　　祐一は、言った。

　　「…いまの状態でアレ食ったら間違いなく死ねるぞ。」

　　北川は、顔を青くしていった。

　　「まかせとけ、俺が様子を見てきてやるよ。」

　　びしっと親指を立てて祐一は言った。

　　「本当か！」

　　「ああ、まかせろ。　　やばかったら合図するから、そっこーで逃げろよ。」

　　「でも俺を逃がしたらお前もやばいだろ？」

　　最初は祐一の言葉に喜んだ北川だったが、祐一の身の安全に思い至って、不安そうに言った。


　　「俺たち、友達だろう。　そんこと気にするな。」

　　「しかし…」

　　「安心しろ、俺もやばくなったら逃げるから。　お前もちゃんと逃げ切れよ？」

　　なおも言い募ろうとする北川をそこにおいて、祐一は校門に向けて歩き出した。
　　校門まであと８メートル。

　　「相沢、本当にありがとう。　　お前こそ本当の親友だ。
　　　この恩は絶対忘れない。」

　　その祐一の姿に感動して、北川は涙を流さんばかりに感謝した。

　　「いいから気にすんなって。　　そんなに謝られると…」

　　校門まで後４メートル。

　　「良心が痛むだろう？」

　　「えっ？」

　　「じゃあ、今日の帰りはよろしくねー」

　　祐一そいうって祐一は最後の力を振り絞って走り出す。

　　「あっ、相沢ー！」

　　ようやく賭の存在を思い出した北川も、あわてて祐一を追って走り始めたが
　　スタートの遅れはいかんともしがたく結局、祐一に追いつくことはできなかった。

　　「ゴール！！」

　　祐一が、叫びながら校門を駆け抜ける。
　　そして、校門の近くでがっくりと地面に膝を突いている北川を振りむいていった。


　　「はっはっはっは、賭のことをすっかり失念していたようだね。
　　　じゃあ、明日は頼んだよ、き・た・が・わくん」

　　「くっそー」

　　「盛り上がってるとこ悪いけど、途中で栞が失格になったから敗者は栞よ。」

　　と、悔しがる北川の上に香里の涼しげな声が振ってきた。

　　「なに！　それは本当…」

　　祐一が香里に振り返ったようだ。
　　が、何があったのかその言葉は途中でとぎれた。
　　取りあえず、北川も立ち上がって香里の方を向いてみる。

　　「……！」

　　北川も同じように声に詰まった。
　　その理由に気づいているのだろう。
　　悪戯っぽく笑いながら、香里は続けた。

　　「もっとも、今日の帰りに奢ってもらう必要性はなくなったんだけどね。」

　　「あっ、えーっと何でそんな格好をしてるんだ」

　　いち早く驚きから回復した祐一が聞いた。
　　北川はその隣で未だにポーっとしている。

　　「はー、似合っているぐらい言えないのかしらね」

　　香里はため息をつきながら言った。

　　「おっ、おう似合ってるぞ美坂」

　　ようやく驚きから回復した北川が、慌てて言う。

　　「ありがと、北川君」

　　そういって、少し照れたように笑う。
　　香里はなぜだか知らないが、ドレスを着ていた。
　　大人っぽいデザインのそれは、香里によく似合っていた。
　　よく見ると、その後ろには他の面々もそれぞれドレスを着て立っていた。

　　「あー、ところでそのドレスはどうしたんだ？」

　　「久瀬さんが、マラソンをし終わった後、みんなお腹もすいているだろうし、
　　　マラソンに参加しなかった人は、何も思い出に残ることは
　　　ないだろうということで、ダンスパーティーを企画していたんですよ。」

　　これまた、ドレスを着込んだ美汐が近づいてきていった。

　　「ふーん、久瀬がね。　しかし、ダンスパーティーということは、それは自前の物なのか？」

　　祐一が尋ねると、美汐はまさかと首を振った。

　　「生徒会が貸し出している物です。　もうパーティーも始まっていますので、
　　　お二人も早く着替えて来てください。」

　　「そうか、よし行くぞ北川」

　　「おう！」

　　祐一と北川は、連れだって着替えに行った。


　　




　　「ふぅ…」

　　久瀬は、パーティー会場となっている講堂からでてくると、
　　ため息をついた。
　　まだ、後かたづけが残っている物の取りあえず大仕事が片付いて気がゆるんだせいか、今まで溜まっていた疲れが
　　一気に出てきたようだ。
　　風呂にでも入って、早く寝たい。
　　久瀬は、その気持ちよさを想像して、珍しく微笑んだ。
　　と、

　　「何笑ってるんだ？」

　　何時の間に近づいてきたのか、祐一が声をかけてきた。

　　「いや、なんでもない」

　　久瀬は、照れ隠しに咳を二、三度してみせた。

　　「倉田さん達と、踊っているんじゃなかったのか？」

　　「さっきまでそうしていたんだが、お前に用があったからな、
　　　ぜんぶ北川に押しつけてきた。」


　　講堂の中からは、ダンスの曲とたくさんの笑い声が聞こえてきている。

　　「僕に用？」

　　久瀬は、いまごろ休む間もなく踊らされ続けてるであろう北川に同情しながら、
　　祐一に問いかけた。

　　「ああ、礼を言っておきたくてな」

　　「何の？」

　　礼を言われる事は何もなかったはずだが、久瀬は祐一に聞き返す。

　　「天野から聞いたんだが、ダンスパーティーを企画したのはお前なんだろう。
　　　そのことに対して、礼を言いたいんだ。
　　　今年はダンスパーティーがあんな事になっちまったからな、
　　　舞も佐祐理もすごく喜んでた。
　　　だから、また開いてくれてありがとう。」

　　「…もともと、もう一回やってくれと言う要望も強かったから、
　　　いい機会だし、やっただけだ。
　　　何も、倉田さん達の為だけに開いたんじゃない。」

　　久瀬は、照れているのを隠すようにぶっきらぼうに答えた。

　　「それでも、だ」

　　祐一は、そんな久瀬を面白そうに見ながら言った。

　　「おーい、相沢ー。　戻ってきてくれー」

　　その時、遠くから北川がフラフラになって近づいてきた。

　　「じゃ、行くか」

　　北川の様子に苦笑して祐一は歩き出す。
　　久瀬はそれを見送っ…

　　「何してるんだ久瀬、行くぞ」

　　と、祐一が久瀬を振り返っていった。

　　「僕もかい？」

　　久瀬は驚いていった。

　　「当り前だろ。　　北川はもうフラフラだし、俺だけじゃとても身がもたん。
　　　手伝ってくれよ、生徒会長。」

　　祐一は、そういうと久瀬をじっと見つめた。
　　それから、しばらくの間無言で見つめ合っていたが、やがて久瀬は
　　小さくため息をつくと言った。

　　「よろこんで、手伝わさせてもらうよ。」

　　「サンキュ」

　　今度は二人で連れだって、歩き始める。
　　北川が遠くから手を振っていた。
　　と、

　　「そうそう、久瀬」

　　「ん？」

　　歩きながら祐一が尋ねる。

　　「ジャム、まだ余ってるか？　　もしあるんなら、一つ譲って欲しいんだが…」


　　なにはともあれその夜、祐一達は大いに踊り、
　　大いに楽しんだそうな。


　　



















　　次の日、結局起きない名雪を起こすのに久瀬からもらった邪夢が大活躍したというのは、また別の話である


　　　

　


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