SSこんぺ No.075 : Ｔｒｕｅｓｔｏｒｙ (6/7)

before and after story

１／３、今日は今日とてすることがない。予定も無ければしたい事も無い。しかし、さてどうしたものかと己を問う気さえしない。彼女は惰性で入院から此所まで流されて来た。毎日の検査は、一般の妊婦へのそれとはまるで違うものなのだろう、矢鱈滅多に時間を掛けて精密に行われる。貴重なサンプルとして事細かに記録させれる事。無償で入院させてもらっているのだ、その手前、それくらいどうでもなくなって来た。

望みといえばお茶と茶請けと、用を足す時は水洗式が望ましいと思うくらいである。極度の対人恐怖、鬱。それに加えて感覚異常、無気力無感動。何も無い天井を見上げるよりは幾分マシかと思い、今日一日も雲を眺める事だけに専念しよう、そう思っていたその時、回診の時刻でもない今、個室の扉が音を立てずに静かに開いていった。

天野美汐は呆然とした。扉お開けてこの部屋に臆面なく入ってきた女性に。その長い髪を三つ編みで一つに纏めた女性は、白衣や看護服を身に纏っていなかった。おまけに、手にはピンクの可愛い花束を小さく抱えていた。見覚えの無い女性、部屋を間違えたのだろう、それに気付きさえすればすぐに出ていく。そう思い、天野美汐は一瞥した後すぐに窓へ向き直った。しかし、女性は微塵も立ち去る気配を感じさせない。それどこか大きな、楠の立樹を思わせる位絶大な存在感を次第に解放させていくようだった。部屋の入口すぐに立っている。それだけで、反対の壁にもたれかかっている美汐は、まるで押しつぶされる思いがした。

声を掛ければ、応じるのだろうか。それは判らない。でも、花を持って、いや、手ぶらであろうと私に面会など来る事が考えられようか。後の問いはＮＯと即答出来る。やはり、彼女の勘違いなのだ。後で思えば天野美汐の心は、この時点でもう揺らぎ始めていたのだろう。正確には外圧に揺す振られていたのだが。出ていってもらおう、そう言おうと息巻いたのだが、

「このお花、ラークスパーっていうんですよ。可愛いピンク色でしょう？」

望むか否かは別として、丁度美汐が気構えた瞬間に、女性は話を始めた。その草はとてもメジャーな類ではないのだが、美汐は名を聞かずともそれが解かった。庭弄りに興味があったというのも然る事ながら、何よりその突然来訪した女性の持つ花の束は、美汐が生まれた日、12/6の花だ。女性は、私を“狙って”ここへ来たのだ。そう、直感した。

「あら、このお部屋、花瓶が無いのかしら。ちょっと待っててね、今貰って来ますから。」

突如現れた女性のあまりに我が物と言わんばかりの動きに茫然自失した美汐は、結局一言も発せずに彼女を見送った。またここを訪れるのだろうか、またここを訪れるのだろうが。その懸案は希望ではなかった。だが、決してマイナスの感情でもない、靄々とした感情が美汐の中で充溢していた。直に此処に戻って来る見知らぬ女性を、心の何処かで待ち望んでいたのかもしれない。当然の事だ。彼女は、いつも一人だった。だが、彼女はその先に見た一握りの希望を微塵に打ち抜かれた。舞い戻ってきた女性の、ほんの二言で。年賀一枚届かなかった彼女へ、理解の及びようも無いメッセジを、女性はを携えていた。

「天野さん、家に戻られるおつもりは、無いのですか？」

美汐は言葉を失った。そもそもに会話を好むわけではないのだが、この時は増して反応する事が出来なかった。心の中で、放たれた言葉を三遍よく吟味して、意図を確かめる。この女性は何を言わんとしているのか？三度目の回答は、それまでのそれと同じだった。理由はどうあれ、この人は私を連れ戻そうとしている。ならば、

「そんな積もりがあろうとでも？」

歯車が、さび付いて二度と動く機会を得る事無く果てようとしていた歯車が、ゆっくりと、ゆっくりと本来の仕事を思いだそ‥‥‥』

‥‥‥文章は、此所で途切れていた。その後は、文字かもしれない記号群。続いて太さも波長も不揃いな波線。更にその突端は、インクが滲んで大きな青黒い円が見事に形作られていた。まるで、ひた走っていたペンがとうとう此処まで来て尽き果てたかのように。

その下の紙を見ると、これまでと同じ原稿用紙が数枚、白紙のままそれまでのそれと同じ折り目の癖を付けていた。それらを束ねるため、“青年”がパタパタと紙束を不慣れな手付で纏めていく。すると、これまでとは違う紙室、一枚のルーズリーフが原稿用紙の束から零れ出た。その紙には、シャープペンの物らしき文字列が、箇条書きで走り書かれていた。

・1/3、女性（秋子さん）が“私”へ初の来訪。
・“私”は見知らぬ女性である彼女を無視。が、自分への来客と確認。
・女性との幾許かの会話。両親の差し金である事を知り、憤怒。
・女性は、四日後にまた来ると言って去っていく。
・1/6、出産の話。
・1/7、女性再びの来訪。“私”の思い、産前後の変化。
・老医の企みと、女医の内通。病棟の強行離脱。
・私室、女性三度目の来訪。気持の整理。
・それまでの事、これまでの事。そしてこれから。
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