夢を見ない日はほとんど無いと言っていい
その夢はとても懐かしくて楽しいのだけれど…今となっては切ない思い出で
楽しかったと思い出せば思い出すほど胸に突き刺さる凶器の夢
でも、それでもわたしのわたしの楽しい思い出の詰まった大切な夢
あれはわたしが小学三年生の冬のことだった。
冬の街 降り積もった雪に覆われた街
二人で作った雪だるまとかまくら、それとつがいの雪うさぎが庭に飾られている。
わたしのお気に入りは雪うさぎ
形を整えるのに苦労したけど、その分彼が褒めてくれたから。
楽しい思い出の詰まったそんな日の夕焼けが綺麗な頃
雪遊びを終えた幼いわたしと彼はリビングでテレビを見ていた。
「名雪〜お風呂入れたから祐一くんと一緒に入りなさい」
「は〜い」
お母さんにお風呂に入るように言われ返事をする幼いわたし
「祐一、お風呂はいるよ〜」
「入れば？」
少し頬を赤めながら無愛想に言う幼い彼
「一緒に入ろうよ」
「なんでお前と入らなきゃいけないんだよ」
「去年も一緒に入ったんだから…。一緒に入ろうよ」
「やだね」
今思えば彼が散々抵抗したのは女の子と一緒にお風呂に入るのが恥ずかしかったのかもしれない。
わたしは何とか彼を説得して先にお風呂に向かった。
先にわたしが入ってあとから彼が来る。
そういう約束になっていた。
霧がかかったように湯気のたちこめる冬の浴室
ピカピカに磨いてあるピンクのタイルにそっと結ってある髪を梳いて衣服を脱いで立つわたし。
ぐっと背伸びをして深呼吸し、洗面器でかけ湯をする。
すべすべだった肌に少し鳥肌が立つがそれは一瞬で消えた。
「ふにゅ〜♪」
大事なところを洗って浴槽につかると冷えていた体が一気にぽかぽかと温もりを与えられ顔が歪む。
そこへ顔を真っ赤にして腰にタオルを巻いた彼が入ってくる。
「おそいよ〜」
浴槽に手をかけて上半身を乗り出し、前屈みになって彼に言う。
「……」
「どうしたの？」
「な、なんでもない…」
赤面して目をそらす彼
そのとき、腰に巻いていたタオルがほとりと落ちる。
「ほぇ…ゆ、ゆういち」
「み、見るなぁー！！」
大事なところを両手で抑えながら反対方向を向く彼
「ほへ……」
去年と少し違うことに気づいて少し驚きながらもなぜか冷静なわたし
お互い沈黙すること数秒、それから彼はもう一度腰にタオルを巻いてかけ湯をする。
わたしは少し動揺しながらも、赤面したままの彼の顔を眺めていた。
やがて彼がかけ湯を終えわたしに見えないように大事な所を洗い、
わたしを避けるように背を向けてタオルを腰に巻いたまま浴槽につかる彼
「祐一、なんで壁の方見るの？」
幼いわたしにはそれがわかっていなかった。
「だぁー…いいからおまえ体洗えよ。ひっつくなー」
「う"−そんなに大声で言わなくても体はちゃんと洗うよ」
わたしは浴槽から上がると蛇口を捻ってシャワーを出す。
それから髪を軽く濡らし手の平にシャンプーを泡立てて髪を丁寧に洗っていく。
洗い終わると今度はリンスでさっきと同じように髪を丁寧に洗ってシャワーで流す。
「お前、髪洗うの長いんだな…」
「ほへ？」
こちらを向かずに祐一がボソッと言う。
「いつもこんなにおそいのか？」
「んー、いつもこれくらいだよ」
「そっか、まぁとりあえず早く体洗ってくれ」
「うん」
ボディーソープをつかってスポンジを泡立てて体をゆっくりと丁寧に洗っていく。
「…ほへ、祐一どうしたの？」
彼がこちらを見ているのに途中で気づき声をかけるわたし
「な、なんでもない」
声をかけると同時に１８０度回転して再び壁の方を見る彼
「へんなの」
やがて体を洗い終え浴槽に浸かっている祐一と交代する。
彼は壁に沿って浴槽から出てこちらを向かずに髪を洗う。
「祐一、なんで壁の方ばっかり見るの？ お話しようよ」
痺れを切らしたわたしが少し怒ったように言う。
「うっ、うるさい。洗ってるんだから静かにしろよ」
「う"ーーー、祐一の意地悪」
再び沈黙が続き、彼は髪を洗う。
わたしはそんな彼の後姿を眺めていた。
よく見ると背中に傷がある。
「祐一、背中の傷どうしたの？」
「ああ、これか？ 夏休みに木から落ちてできたんだ」
「そ、そうなんだ…。 痛くなかった？」
「そりゃ痛いにきまってるだろ。 救急車で運ばれてさ、傷が完全に塞がるまで入院したんだぜ」
「そ、そうなんだ…今は痛くないの？」
「寒いと時々痛くなるけど、普段は大丈夫だ」
彼はそういいながらスポンジを泡立て体を洗う。
「そーだ。背中流してあげるよ」
「ちっ、近寄るな」
わたしは泡立ったスポンジを動揺した彼から取り上げる。
「かっ、返せよ」
「いいから、いいから」
わたしはゆっくりとスポンジを使って彼の背中をこする。
するとさっきの話していた痛々しい傷痕がよく見える。
「痛かったんだね」
わたしはそう呟きながらやさしく彼の背中をこする。
「あのな…名雪、傷は気にしなくていいから擦るならもう少し強くしてよ」
「ほへ？」
「これじゃくすぐったいだけだ」
「うん、わかった」
今度は力強く力をこめて丁寧に彼の背中を磨く。
それでも傷痕が目立つ所はできるだけ優しく丁寧に磨いた。
「もう、いいよ」
しばらくすると彼がそう言ったので、わたしは頷いて手についた泡を落とし浴槽に戻る。
彼はそのままシャワーを使ってからだの泡を落とす。
泡がゆっくりと流れ排水溝へ吸い込まれていく。
「んじゃ先にあがるからな」
「ちゃんと温まって出ないと風邪引いちゃうよ」
「いいんだって…」
「ダメだよ。風邪引いたら明日遊べなくなっちゃうよ」
わたしはとっさに浴槽から出て彼の腕をつかむ。
「は、離せよ」
「離さないよ。ちゃんと浸かって温まらないとダメだよ」
「あーもぅ、わかった。わかったから離せ」
「だめ。一緒に入るよ」
強引なわたしは彼の腕をつかみ、そのまま一緒に浴槽に浸かる。
彼はいまだに腕を引っ張られながらも壁の方を見ている。
「祐一…こっち向いてよ」
「……」
「だったら、こうだよ」
わたしは彼の腰に巻いてあるタオルを剥ぐ。
すると彼は動揺してついにこちらを振り向く。
そしてすかさずわたしは彼が壁の方を振り向かないように彼に抱きつく。
「うわっ…」
「これでもう壁の方は向けないよ」
「……」
「祐一どうしたの？」
「……」
「祐一！ 祐一！」
「……」
わたしが何度呼びかけても彼の返事は無く。
彼の顔と体は茹蛸のように真っ赤になっていた。
おでこに濡れタオルをのせ、パンツ一枚の彼がリビングに横たわっている。
わたしとお母さんは彼の火照った体を少しでも冷ますために団扇で扇いでいた。
しばらくすると彼の意識は戻り起き上がろうとするが…。
「あらあら、だめですよ祐一くん。もう少し寝ていてください」
お母さんが彼を止め再び寝かせる。
わたしは団扇で彼を扇ぎながら声をかける。
「だいじょうぶ？」
「ああ、俺どうしたんだ？」
「えーっとね、お風呂の中でいきなり倒れちゃったんだよ」
彼の問いにわたしは答えると彼の火照った顔がさらに火照ったように赤くなる。
「ふふふっ祐一くんも、もう男の子なんですね」
お母さんが右手を頬に当てていつものように笑顔で言う。
彼は恥ずかしそうにうつむいて無理矢理立ち上がろうとする。
しかし彼に今立ち上がるだけの力は無く、彼はわたしを巻き込んで倒れる。
その拍子にわたしの唇にふと温かいものが重なった。
突発的な偶然。されど、紛れも無く事実。
少し甘くてイチゴのような味がした。
わたしのファーストキスだった。
「あらあらまぁまぁ、名雪と祐一くんもうそこまで…」
お母さんが茶化し彼は焦って起き上がる。
「わっ…ご、ごめん」
彼は起き上がるとわたしにそう言い脱衣所へと走っていった。
わたしはゆっくりと起き上がり手のひらで唇を押さえながら少しぼーっとしていた。
きっと、急な出来事で気が動転していたんだろうと今では思う。
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