あの冬の日
それはわたしにとっても彼にとっても最も悲しい記憶の詰まった日のこと
二人の少女と一人の少年が止まってしまった日のこと
「嘘つき…祐一の嘘つき、来年って言ったのは祐一だよ。
それなのにそれなのに…あの子とずっと一緒でわたしとの約束は忘れてて…」
朝日が昇った後、わたしは一人で雪うさぎを作っていた。
お庭で作る雪うさぎ、何度作っても作ってもうまくいかない。
「祐一、ちゃんと教えてくれるって言ったのに」
何度も何度も作っては直し作っては直す。
でも、なかなか満足した形にならない。
それでもあきらめず何度も何度も作り直す。
また見たいから
彼の笑顔が見たいから
昨年ベランダで見た月明かりに照らされた彼の笑顔が見たいから
すると、ようやくちゃんとした感じの雪うさぎができた。
「えへへ、できたよ。祐一に見せよっと。祐一、誉めてくれるかな？
これで一緒に遊んでくれるかな？ 約束思い出してくれるかな？」
わたしは家の鍵をかけて家を出る。
朝、商店街に行くっていたから…。
わたしは走って商店街に向かった。
そしてそこで、彼を見つけたのは雑貨屋だった。
彼が何か買っていた。
「なぁ、オバサンこれで負けてくれよ」
「しょうがないね。今回だけだよ」
「やった」
何を買ったんだろう？
わたしは隠れながらそっと祐一の買った物を見る。
あれは、赤いカチューシャ
女の子が使うものだよ。
どうして祐一が？
もしかしてあの娘へのプレゼント？
なんで、どうして？
祐一この間、ゲームセンターで取ったお人形プレゼントしたのにまたプレゼントするの？
あの子ばっかりずるいよ。
そしてついに幼いわたしにある感情が芽生えてしまう。
胸が苦しい。
息をするのも苦しい
彼の事を想うと今にでも倒れてしまいそう。
そう、幼いわたしは彼に恋をしてあの子に嫉妬していることにようやく気づいた。
もう少し早く彼が好きだということに気づいていればと今では思う。
そしたらあんな事は起こらなかったのに…。
深い悲しみに包まれて３人が止まってしまう時が訪れることはなかったのに…。
彼が買い物を追えるとわたしは彼の後を追い公園の森のかなかに入っていった。
何故だか話し掛けることができなかった。
きっと芽生えた自分の感情に慌てていたのだろう。
うー、どこに行くんだろ？
彼を追って森の中に入ったのは良いが途中で見失ってしまった。
「どこ…？」
呟いて辺りを見回すが彼の姿は見当たらず。
完全に見失ってしまっていた。
そしてしばらく彼を捜して歩いていると強い風が吹いて雪が舞い上がった。
枝葉に積もっていた雪がバタバタと落ち、そして…遠くでドサッとした音がした。
それから音がしたほうから誰かの話し声が聞こえる。
「あっちにいるのかな？」
わたしは独り言を呟いてゆっくりと音と話し声が聞こえたほうに向かう。
そしてわたしはなんとも凄惨な光景を見てしまう。
赤く染まった雪のうえに倒れる少女
そしてうずくまった彼と血で濡れたリボンのかかったプレゼント
なにがなんだかわからなかった。
この辺の事は気が動転していて実はよく覚えていない。
それでも、とにかくわたしは彼を起こしてみようとしたのは覚えている。
体を揺らし声をかけた。でも、まったく反応がない…。
どうしよう、どうしたらいいんだろう。
錯乱するわたし
でもそれでもこの場所にいる中で
一番冷静で、一番動くことができたのはわたしだけだった。
助けを呼ばなきゃ、誰か呼ばないと…。
錯乱状態から戻ったわたしは目から光の消えた祐一の体揺すって大声で言う。
「祐一、ここにいて…すぐ戻ってくるから」
うずくまった祐一はピクリとも動かず、意識があるのかも聞こえているのかもわからなかった。
だけど、何度も何度もそう言ってわたしはまっすぐ森の外へ向かって走った。
救急車を呼ばなきゃ…。
そう思いながら走って森を駆け抜ける。
息苦しいけどそんなこといってられない。
はやく、はやく、誰か呼ばないと。
助けなきゃあの子を
助けなきゃ祐一を
幼い体を必死に動かし雪の上を走るわたし
とにかく少しでも早く森を抜けられることを祈って一直線に森を駈けた。
出た場所は、人がよく散歩をしている並木道だった。
でも寒さのせいか散歩している人は見当たらない。
だれか、だれか…。
必死に商店街の方に向かって駆ける。
誰でもいい、誰でもいいから早く伝えなきゃ救急車呼んでもらわなきゃ…。
「名雪？」
背後から急に呼ばれて立ち止まるわたし、振り返るとお母さんが居た。
「大変だよ。大変なんだよ。救急車、救急車」
わたしはお母さんに駆け寄り息苦しいのを我慢して必死に伝えようとする。
「落ち着きなさい。一体なにがあったの？」
「はぁはぁ…森の奥で女の子が…血を…祐一も一緒に」
わたしがそういうとお母さんは今までに見たことのない強張った顔をしてこう言う。
「…場所覚えてる？」
「うん、まっすぐ走って森を出たからそこからまっすぐ走れば…はぁはぁ」
「救急車呼んで来るからベンチで休んで待ってて」
「うん…」
わたしは近くにベンチに座り激しい呼吸を整えながらお母さんを待った。
やがて救急車のサイレンと共にお母さんが来た。
「名雪、案内して」
お母さんがそう言い、救急隊の人が救急車からタンカをもって出てくる。
やがてサイレンの音が聞こえ、救急車から救急隊の人がタンカを持って出てくる。
「こっ、こっちだよ…」
まだ苦しかったけれどわたしは最後の力を振り絞ってお母さんと救急隊の人を二人の元へ案内する。
早く早く行かなきゃ…。
雪の上を駆け抜けると気温が上がって融けはじめた雪が音を立てていた。
そしてお母さんと救急隊の３人を連れて到着すると、彼はうずくまったまま動かなくなっていた。
わたしは息を切らしながらもお母さんと一緒に彼に駆け寄り彼の体を揺する。
彼の体は氷のようにとても冷たくなっていた。
「女の子の方は危ない。すぐに運ぶぞ。頭をやられてるからタンカに乗せる時気をつけろ」
「そっちの男の子は大丈夫か？」
「寒さで衰弱しています」
「仕方ない…二人とも運ぶぞ…無線で応援を呼んでくれ」
「あっ、その男の子はわたしが背負います」
お母さんが救急隊の人の会話を聞いて申し出る。
「そうですか、それじゃあ…お願いします」
「名雪、まだ走れる？」
「うん…だ、だいじょうぶ」
もう走る気力なんてなかった。
でも走るしかなかった。
祐一とあの子が助かる為にはわたしは自分の足で走らなければならなかった。
必死に走ったお母さんのあと追って走った。
そして気づいたときわたしは病院のベッドの上にいた。
わたしもかなり衰弱していたらしい。
「大丈夫？」
お母さんが心配そうな顔をしてわたしの顔を覗き込む。
「うん、わたしは大丈夫だよ」
そう言って部屋を見回すと時計が見えた。
よく見るともうお昼を過ぎていた。
「祐一は？ あの子はどうなったの？」
二人の事が気になってお母さんに聞くわたし。
するとお母さんは悲しそうな顔をしてわたしを抱きしめてそっとこう言う。
「女の子はね。眠り姫になっちゃったの」
「眠り姫…じゃあ、死んじゃったの？」
「いいえ、生きてるわよ…でもね。起きることはないの」
「祐一は？」
「祐一君は…家に帰ったわ。でも今は心を閉ざしてしまって
もうわたしの声も届かないの…」
「わたし祐一元気にしてくる」
「名雪、今はそっと…」
お母さんが何か言う前にわたしは病室を出て家に向かう。
止まることはできなかった幼いわたし
想いが強すぎて彼がどこかにいってしまいそうなのを
子供ながら感じてしまっていたのだろう。
彼をこの街に繋ぎとめたかった。
ううん、わたし自身に繋ぎ止めたかったのだと今では思う。
一度家に戻り彼を捜す。
家の鍵は開いていた。
きっといるはず…。
でも…彼は居ない。
「どこにいるの？ 祐一出てきてよ！！」
大声を出して彼を呼んでみる。
でも反応はない。
もしかしたら…もしかしたら…あの場所に？
買い物の帰り、たまたま通った駅前のベンチで楽しそうにたい焼きを食べる二人を見た記憶がよぎる。
わたしは家の鍵を閉めて庭へ出て、雪うさぎを持って駅前のベンチへと向かう。
きっと あそこにいるよね？
きっと この雪うさぎ見たら元気出るよね。
わたしの想い伝わるよね。
わたしは走る必死に走る彼の元へ。
それがとんでもないお節介で彼を傷つけてしまうことも知らずに…。
彼は雪の積もったベンチの上で佇んでいた。
泣く事もなく。ただひたすら無表情で…。
「…家に帰ってなかったから…ずっと探してたんだよ…」
息を切らしながら少し崩れてしまった雪うさぎを抱えながら無表情な彼に向かって話す。
「…見せたい物があったから…ずっと…探してたんだよ…」
「ほら…これって、雪うさぎって言うんだよ…知ってるよね？」
「わたしが作ったんだよ…」
「わたし、ヘタだから、時間かかっちゃったけど…」
「一生懸命作ったんだよ」
無表情の彼に何度も話し掛ける。
反応が無かった。
もしかしたら伝わらないかもしれない。
でも、伝えたかった。
そんな気持ちが幼いわたしに次の言葉を語る勇気を出させた。
「あのね…祐一…これ…受け取ってもらえるかな…？」
言いながら胸に抱えた雪うさぎを差し出してよく見せる。
そして想いを込めて言葉を紡ぐ。
「明日から、またしばらく会えなくなっちゃうけど…でも、春になって、夏が来て…
秋が訪れて…またこの街に雪が降り始めたとき…また、会いに来てくれるよね？」
彼をこの街に繋ぎとめる言葉と
「こんな物しか用意できなかったけど…わたしから、祐一へのプレゼントだよ…
受け取ってもらえるかな、わたし…ずっと言えなかったけど…祐一のこと…ずっと好きだったよ」
雪うさぎと一緒に彼をわたしに繋ぎとめる言葉
勇気を出していった言葉
彼を元気付けたいと思いながら言った言葉
でも、それでも彼には届かなかった。
彼は無表情のまま雪うさぎに向かって腕を振りかざした。
そして、わたしの想いとして差し出したわたしの作った雪うさぎは砕け散った。
「…祐一…？」
戸惑いながらわたしは彼の名前を呼ぶ。
さっきまで手元にあった雪うさぎは、地面に落ちて赤い目だけポツンと目立っていた。
「…祐一…雪…嫌いなんだよね…」
わたしは涙をこらえながら雪うさぎの赤い目と崩れた雪うさぎの欠片を拾う。
そして彼を傷つけてしまったことに気づいて謝る。
「…ごめんね…わたしが、悪いんだよね…ごめんね、祐一…」
このとき幼いわたしは彼が遠くにいる存在に感じてしまったのかもしれない。
だから家に帰るときもこんな言葉を彼に投げかけた。
「…さっきの言葉、どうしてももう一度言いたいから…明日、会ってくれる？」
涙を堪えながら、わたしは言う。
あきらめられなかった。
ずっと ずっと 一緒にいたかったから
ずっと ずっと 好きでいたかったから
最後の賭けだったのかもしれない。
「…ここで、ずっと待ってるから…帰る前に少しでいいから…」
無表情のままの彼、それでもわたしは彼に語りつづける。
「…お願い、祐一…」
いつのまにか瞼から涙が零れ落ちていた。
「…ちゃんと、お別れ言いたいから…」
語り終えるとわたしは１８０度回転し駆け出した。
もう瞳から溢れ出る涙を止めることはできなかったから
わたしでは彼の傷を癒せないことが…。
悔しくて悲しかったから。
そして翌日、彼はわたしに姿を見せることなく
雪が融けて消えてしまうようにこの町を去っていった。
辛い記憶
でもかき消すことのできない真実の記憶
わたしの想いが彼に届かなかった日のこと
彼がこの町を去る事件が起きてしまった次の日のこと
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