Ｓｉｄｅ４・Ｓｌｅｅｐｉｎｇ Ｂｅａｕｔｙ
チュンチュン、チチチチチチ…………。
…………カチッ。
『名雪……俺にきせ』
バシンッ！
「名雪、起きろ」
「…………うー。最後まで聞かせてよー」
ぶーたれながら横を見ると、いつも制服でそこに立っている筈の祐一は、今は裸で私のベッドの中に居て、すぐ近くで私の目を見ていた。
寝ぼけ気味の頭が一瞬で覚醒し、あわてて左手を見る。
「がはっ！？」
「あ、ごめん……」
慌てて布団から出した左手が、アッパーになっちゃった。私もちょっと手が痛い……
「…………夢じゃ、なかったんだね」
左手の薬指で光る銀色。祐一の誓ってくれた未来が、昨日と変わらずそこに在った。
「夢オチにされてたまるか。いてて……」
憮然とした表情で顎をさすってるけど、その頬は紅い。
「…………えへへ」
「…………気持ち悪いぞ」
「酷いよー……」
そう言いつつも、顔がだらしなく緩むのを押さえられない。
「…………ほら、起きるぞ」
照れ隠しなんだと思う。いつもより素っ気なくベッドから出る祐一。私は寝返りを打ってうつ伏せになり、肘だけ立てて身を起こし、髪を掻き上げる。
「ね、祐一。……今日はサボらない？」
「朝っぱらから爛れた事を言うな」
祐一は呆れたように言いながらこっちを向いて、私のちょっと扇情的な体勢と表情に顔を紅くする。
「あはは。もっとすごいことしてるのに、何で紅くなるのかな」
「〜〜！ さっさと起きろ！ 俺は今日北川と香里に復讐しなくちゃいけないんだ！ サボってる暇はない！」
「あ、そうか。私もお礼言わなきゃ」
あはは。昨日は祐一も北川君のところに行ってたって聞いてビックリしたよ。
『くっそ、得をするってのはこういうことか！』
祐一はそう言って、照れ隠し気味に怒ってたけどね。
「礼はいいんだ礼は！ あいつら俺たちで遊ぶ気満々なんだから！」
「うーん、それは二の次だったと思うよ？ 本気で心配してくれたんだよ、きっと」
「いーや違うね！ 最初からこのつもりだったね！」
くすくす。本当は祐一だって解ってるくせに。
「〜〜！ ほらいつまでも笑ってるな！ 起きろ！」
「はいはい」
こういう時、可愛いよね、祐一は。
「おはよー」
「…………おはようさん」
ダイニングに入るとあゆちゃんと真琴が、ばっ、とこっちを見た。
「あぅ、えっと……」
「…………うぐぅ。二人とも、もう大丈夫なの？」
「うん。心配かけてごめんね」
「あー、…………悪かったな」
二人はほっとしたように顔を見合わせて頷いた。
「おはようございます。祐一さん。名雪」
「あ、おはよう」
「おはようございます」
お母さんはにこにこ笑っていた。
「悩みは解決したの？」
「うん。北川君と香里のおかげで」
「断じて違う！」
「もー。まだ言ってるの？」
「うふふ。いい友達に恵まれたわね」
「うん！」
「だからぁ！」
どうにも割り切れないらしい祐一はとりあえずうっちゃって、いつもの席に座る。
「素直じゃないからね、祐一君は」
「うんうん。祐一は馬鹿だし」
「お・ま・え・ら・なぁ〜」
ああ――――いつもの風景だ。
「ようやく、ね」
「だね」
お母さんと微笑みを交わして、私はトーストを受け取った。
「…………ま、なんにせよ、歩いて登校できるのはいい事だ」
「…………何故かな、馬鹿にされてる気がするよ」
てくてくと、朝の通学路を歩きながら、祐一がそんな事を言う。
「気のせいだろ。多分」
「そうかなぁ？」
釈然としないんだけど。
「ところで、名雪？」
「なに？」
「それ、学校にもしていくのか？」
実に嫌そうに、私の左手を指差す。
「していくよ。ずっとしてる」
「…………無駄と知りつつ言ってみますが、外す気ありませんか、名雪さん」
「却下だよ♪」
「…………うあー」
ごめんね、祐一。
「外したくないんだよ。これは、祐一が誓ってくれた未来だから」
「…………なんでこう、恥ずかしい事を平然と言い放つかな、こいつは」
「恥ずかしくないからだよ。全然」
祐一はため息をついた。
自惚れなのかな、その呆れたような顔には嬉しそうな色が見えた。
「…………んがっ！」
「あ、北川君と香里」
角を曲がった先、向こうに北川君と香里が立っていた。二人ともニヤニヤしてる。
「居やがったな、触覚にわかめ頭！ そこに直れぇぇぇぇぇっ！」
「わ、祐一、待って……」
駆け出した祐一を追いかける。
「ん、よう相沢。奇遇だな」
「ほんと。奇遇ね」
「どの口でほざくかこの鬼畜外道！ 人の純情弄びおってからに！ ていうか朝っぱらの通学路で二人して煙草吸ってんなこの不良学生ども！」
「二人とも、煙草は体に良くないんだよ」
「大丈夫だ水瀬。見られるようなヘマはしない」
「そういう問題じゃないんだけど…………」
「それで？ どうだったの『幸せ者（ハッピーライフ）』。ちゃんと『白雪姫（スリーピングビューティ』をキスで起こした？」
「起こすかっ！」
『この甲斐性なし』
「ハモリで！？ ていうか名雪は混ざるなよ！」
「だって、私もそれで起こして欲しいもん」
「男にとっても浪漫だろうが、相沢」
「お前と一緒にするな触覚！」
「ああん？ バカ言え、全男性共通だっつーの」
「ンなわけねーだろ！」
「だったら試してみるか？ おい、そこの貴様」
「は、はいっ！？」
「通りすがりの下級生を巻き込むんじゃねー！ しかも何で偉そうなんだお前は！」
「あ、あの……」
「ごめんなさいね。行っていいわよ」
「は、はあ……」
「あれ、香里？ そのネックレスになってるのって……」
「え？ ああ。これね。昨日名雪が帰った後に貰ったの」
「相沢が帰った後で渡したんだ」
「この金持ちが！」
「褒めてるだろ、それ」
「あ、そっか。『今はそういう気分』だからつけてないんだね？」
「ふふ。まあね」
「…………何の話だ？」
「相沢君は知らなくていいのよ」
あはは。と思わず声が出た。
「名雪？」
「うん、なんだか、いつもどおりだなって」
「まーなぁ。どこぞのアホのせいでぎこちなかったしな」
「甲斐性なしを好きになると大変ね」
お前らなぁ！ と祐一が言って、北川君がやり返して。それに私と香里が加わって、またマシンガントークが始まる。
それは、いつもの光景で。
そして、これからも見ていたい光景で。
ああ、帰ってきたんだなって。
そう思う。
「ったく。…………くっそ、人選間違えた」
「ンなことないさ。昨日の素直なお前はどこに行った？」
「思い出すんじゃねー馬鹿！」
「あ、お礼がまだだったよ。……ありがとうね、二人とも」
「おう。気にすんなよ、親友」
「…………何故俺の肩を叩く」
「そうね。気にしなくていいわよ、親友」
「だからなんで俺の肩を叩く！？」
「あははははは」
四人で笑いあう。祐一は憮然としてたけど、でも楽しそう。
「ま、めでたしめでたし、だな」
「そうだね」
「…………そうか？ 本当にそうか？」
「相沢、顔笑ってる。めっちゃ笑ってる」
「うるさい黙れっ！」
「しつこいわよ相沢君。…………いいじゃない。だってこれで、いつも通りなんだから」
「…………いいよね、なんだか。いつも通りってさ」
「そうね」
「…………まあ、な」
そのとき、「あ、いや、例外もあるっぽいぜ」、と北川君だけ違う反応を返した。
「あん？ どういう意味だ」
「うむ」
北川君は大きく頷いて、それから腕を持ち上げて時計をトントンと叩いた。
ばばっ！
三人とも一糸乱れぬ動作で時間を確認。きっかり一秒の間を置いて、
「だー畜生！ 結局走るハメになるのか！？」
「っていうか、本気で危ないわよ、これ…………」
「ほらほらボーっとしてるな。走れ走れ！」
「大丈夫だよ香里。私の自己ベストを半キロぐらい維持すれば」
「無理に決まってるでしょってもういいから行くわよ！」
香里の一言を合図に、一斉にスタート。
朝の冷たい空気を裂いて、体が前に進む。
「あははははっ！ ねえねえみんな！」
「なんだよこんなときにっ！」
「ホントのんきだな水瀬っ！」
「話っ、かけっ、ないでよっ！」
走りながら空を見上げる。
昨日まではなかった銀色が私の薬指に在る。
昨日よりも強い、四人の絆を感じる。
「いいよねっ！ こういうのもっ！」
「嫌だっ！」
「遠慮したいぞっ！」
「冗談、じゃ、ないわよっ！」
あはははは、ともう一度大声で笑う。流石に息が切れるけれど、全然気にならない。
「だって、顔、笑ってるよ？ すごく笑ってる！」
「…………」
「…………」
「…………」
『うるさい黙れっ！』
「あはははははっ！」
昨日とは違うもの。
私の薬指。祐一のポケット。
香里と北川君のネックレス。
昨日より強いもの。
私と祐一の絆。
きっと、香里と北川君の絆。
きっと、絶対に、私たち四人の絆。
そして。
そして世界は、またひとつ。
またひとつ嬉しいものが増えて。またひとつ楽しくなって。
今日もまた、私たちの世界が始まる。
「っしゃあ見えたっ！ 時間はっ！？」
「石橋先生との勝負だよっ！」
「ほら美坂っ！ もう少しだっ！」
「ああもう、やってやるわよっ！」
走る。疾る。
遅れないように。置いていかれないように。
一歩たりとも。一秒たりとも。
ずっと一緒にいたいから。それが無理だってことぐらい皆わかってるけど。
でも、今日はまだ私たちの四人の世界だから。
「石橋っ！ そこで三秒止まりやがれっ！」
「ぐわっ、何で今日に限って張り合うかなっ！？」
「香里香里っ、急いで――――！」
「なんでこうなるのよ――――っ！」
昨日とはちょっと違う“いつも通り”に。
私たちの世界は、今日も四人で、一緒に回す。
そう遠くはない、道が分かれるその日まで。
その日がいつまでも来なければいいと祈りながら。
今日もまた、私たちは四人で一緒に――――
『……ゴールッ！』
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